料理ネタ


2005年9月

9月1日(木)

・ごはん
・昨日の残りの中華スープ
・鶏とキノコのサワークリーム煮
・セロリときゅうりのサラダ
・トマト
・コーヒー

とにかくキノコをたっぷり食べたかったので、鶏を焼いた後のフライパンで、しいたけ、まいたけ、しめじを各1パックとたまねぎ半分をしっかり炒めて、鶏を戻しサワークリームで酸味をつけた。

セロリときゅうりのサラダは、枝元なほみさんのレシピをアレンジしたもの。もともとのレシピと異なり、薄切りにすることがポイント。ワインビネガー大さじ1、サラダ油大さじ1半、砂糖&塩各小さじ半を混ぜて乳化させたものに、セロリ1本ときゅうり1本を薄切りにして加え、ざっくり混ぜ合わせて冷蔵庫でしばらくなじませる。台所に最初に立ったときに作っておくとよい。


今日は今書いている論文の共著者の一人でもある同僚の藤井さんに、内容チェックとコメントをもらった。あまりにすばらしいコメント方法だったのでここに記しておく。

それは、カードトークというもの。10×12センチ四方ほどの紙に、論文のなかで気になる項目を最大2つにまで厳選し、読みやすい大きい文字で書き付ける(手書きはやめたほうがよい)。1枚のカードのなかの項目間のつながりの論理は並列であっても逆説であっても自由。2つ以内に絞り込むことがポイント。そのようなカードを何枚も用意し、カードを出しながらコメントをしていく。そして机の上に、論理構造が人目で分かるようカードを美しく並べていく。ディスカッションを交えながら一通りしゃべり終えたら、解決済みのカードからしまっていく。最後に残ったのが、宿題。

この方法は、好事家の間で話題になっている高橋メソッドというプレゼン技法をヒントに藤井さんが編み出したものだという。本日初トライだったそう。高橋メソッドの派生形として、もんたメソッドまであるという。
知らなんだ。世界が広がった。得した気分。

高橋メソッドは確かに魅力的で学会発表とかで一度はやってみたい気はするけど、勇気がなくてあきらめてる。好事家は皆異口同音にそう主張する。私も、自分がするにせよ他人がするにせよ、すべったときの寒々しい空気を予期するだけで身がすくんでしまう。

でも、友人間のディスカッションには、高橋メソッドの副産物を利用したカードトーク(c)藤井洋之の手法は、非常に有効に機能するに違いない。一枚のレジュメにまとめられるより、よっぽどインパクトがあるよ。あなたも是非お試しあれ。相手のあなたを見る目が尊敬のまなざしにきらきらと変わることであろう。ただし、失敗してもこちらは一切責任は負えないので、話す内容を自分でちゃんと吟味するように。
9月2日(金)

・赤ワイン
・ごはん
・コーンクリームスープ
・サーロインステーキ、トマトしょうゆソース
・ポテトグラタン
・きゅうりと大豆のサラダ
・コーヒー

乳製品や肉を食べたくなるのは、私にとってちょっと疲れてきた証拠。夜になって頭痛もしてきたし、今週末はおとなしくひっそりしてよっと。夫も、自分の腕をさすりながら、皮膚が敏感になってる、いつもより何かを感じるんだと不気味なことを言い始めている。

昨日息子がきゅうりを輪切りにしたらパクパク食べることに気付いたので、それに気をよくして再びきゅうりを使ったサラダを作ってみた。枝元なほみさんのレシピをさらにアレンジしたのだが、ほとんど原型をとどめていないので、私のオリジナルとしたいくらい。自分でいうのもなんだが、いけてる。箸休めにぴったりだ。

作り方:サラダ油大さじ1とワインビネガー大さじ1を混ぜ合わせたものに塩小さじ1/3から1/2、カイエンヌペッパー小さじ1/4から1/3、粗引き黒こしょう少々、にんにくのみじん切り(できるだけ細かく)少々を加えてさらに混ぜる。このドレッシングの入ったボールに、水切りしたフジッコの「お料理だいず(水煮)」1パックと輪切りにしたきゅうり1本を入れて和える。
9月3日(土)

・ごはん
・豚汁
・明太子
・納豆
・トマト
・コーヒー
・エクレア

不穏な気配を察し、完全仕事オフ宣言して臨んだ今日。息子といっしょにたっぷり昼寝して起きたら、あら不思議。頭痛がしなくなって、体も軽やかに。なんだ寝不足がいけなかったのか。休息はとても大事だなあ。

その軽やかな気分のまま、体に負担をかけないような献立にして、夕食をささっと作った。今日のような献立のほうが実は家族の受けもよい。

テレビもだらだらと見た。午前中は「渡辺篤史の建もの探訪」沖縄スペシャルと午後はNHKスペシャルの沖縄戦の話が印象的だった。ようやく忘れることができそうだったのに、再びせつない気分になってしまった。ご無沙汰していた沖縄旅行のまとめをしたい。

8月13日(土):粟国島3泊目

昼at大衆食堂(沖縄料理・中国広東料理)
・えびチャーハン
・麻婆豆腐
・ぎょうざ

夜atプチホテルいさ
・揚げ物中心の民宿料理

8月14日(日):那覇(沖縄最終日)

昼atてんtoてん(沖縄そば)
・肉味噌
・沖縄そば
・コーヒー
・チーズケーキ

粟国島では最終日になってやっと海水浴をすることができた。遠くで起こった台風の影響でずっと高波だったのだ。私たちは自慢じゃないが金づち同然である。地元の人も泳いでいない、もちろんライフセーバーもいない海で泳ぐのは危険なので控えていたのだ。
最終日浜辺に出かけてみると地元の人が泳いでいた。そこで多少高波だとはいえ、私たちも海に入ることにした。毎年、他の観光客はダイビングを楽しんでいるみたいで浜辺ではあまり見かけない。今年もよそ者はたぶん私たちだけだったと思う。
私たちは高波が怖いので沖には出ず、波打ち際に座って波がかかるのを楽しんでいた。私はかつてのスレンダーギャルから出産を経て豊満ボディ、より正確には若かりし日のテレサ・テンのようなスタイルに変身していたので、波に洗われる芋んこのようにころころ転がっていた。夫は体重が0.1トン近くになっているので、安定感抜群。きゃっきゃっと喜ぶ息子を抱っこしていた。
地元の人は、さすが海人(うみんちゅ)を自称するだけあって、堂々としていた。生後数ヶ月の赤ん坊を肩に抱いたお母さんが小さい子どもを連れて、波にゆらゆら揺られながら立ち泳ぎをしているかと思えば、ムシキングのクワガタボートに乗った男の子が遠くまで船出していた。こちらは見ているだけで冷や冷やした。勇気ありすぎる。

いつものように前置きが長くなったが、その日はフェリーが高波で欠航になったため、夕食はストックされた食材でまかなわれたようだった。いつもは新鮮な海の幸、山の幸がふんだんに振舞われるのに、舟が欠航になるととたんに揚げ物か煮物中心になるのだ。離島に来ると、食べられるだけで幸せなんだということをほんの一瞬でも体感できる。非常に皮肉で非常に逆説(屈折)的ではあるのだが、私たちにとってそのことが心の贅沢をしたことになってしまうのだ。那覇も含め都会にいるときは、食べ物があることが当たり前なので、あそこがおいしい、ここはイマイチなど自然と品評する態度になるのだが、離島に来るとその手の態度(身構え)を取ることは、道徳的にではなく、自然となくなる。何を食べても心からありがたいと思える、幸せな食事時間になるのだ。

そんなことをしみじみ考えながら粟国島を後にし、那覇へ移動した。長崎行きの飛行機の乗り換え時間がたっぷりあったので、首里そばに行ったときのタクシーの運転手さんに「首里そばもおいしいけど、てんtoてんもいいよ。こっちは麺がやわらかめね」と薦められていた沖縄そばの店に行くことにした。大法典『沖縄上手な旅ごはん』でも薦められている店だ。行くしかない。やはり那覇に着くと、せっかくならおいしい店で食べたい!という気になるのである。変わり身はやすぎ。
感想。「首里そばとてんtoてんが2つとも会社の近くにあったら毎日交互に食べに行く。以上。」
9月4日(日)

・お好み焼き
・昨日の残りの豚汁

夫がホットプレートでお好み焼きを作ってくれた。広島風、大阪風の両方の焼き方で。息子と私はおいしいおいしいとパクパク食べたが、作り手本人はちょっと仕上がりが気に食わなかった模様。ひさしぶりにみた真剣な顔だった。

さて、今日は日曜できりもいいこともあり、8月14,15、16日に長崎、岡山で考えたことを書いておく。これで今年の夏は終わりにする。明日から秋。心機一転して、次のプロジェクトの準備に本腰を入れて取り組もう。


四捨五入すると80歳になる義父は、兵役検査に不合格になり、戦時中は女子どもに混じって長崎の軍需工場で働いていた。普段の勤務態度は不真面目で、上官の目を盗んでぷらぷらとさぼることが多かったという。1945年8月5日もいつもと同じようにさぼって塀の向こう側で遊んでいたところ、ちょうど原爆が投下された。工場のみんなは吹き飛ばされてしまったそうである。その後、廃墟の町を生存者の知り合いを求めて歩き回ったという。

四捨五入すると90歳になる私の祖父も、兵役検査に不合格となった。体が小さく、運動神経皆無だったからだ。当時不合格という結果は、田舎では恥ずかしくて住めないことを意味する。父親の勧めで満州に渡った。渡航前、父親は大陸で必要になるだろうからと、息子を一人前の男として当時のキャフェに連れて行き、武器の取り方ではなくサモワールでのコーヒーの飲み方を教えたそうである。

祖父はそこで知り合い意気投合した中国人と、利益折半という当時としてはめずらしい取り決めをおこない、商売を始めた。中国人の味方が得られたのでおもしろいように繁盛したそうである。そこでたくさん中国のおいしいものをご馳走になったそうだ。実家では今でもぎょうざは満州式の蒸し餃子である。

10年ぐらいおいしい思いをしたそうだが、敗戦引き揚げの頃にはすっからかんになってしまった。しかしロシア兵による日本人狩りが始まったとき、かつて仲間だった中国人が命がけでかくまってくれたそうである。日本軍の大半はとっくの昔に引き揚げている。自国の軍隊ではなく敵国の友人に命を救われたことになる。

その祖父が口癖のように言うことが3つほどある。私は生き残るための法則だと捉えている。

(1)現地のものをおいしく食べろ。
 これは上に書いたとおり、いざとなったら現地の人から助けてもらえる可能性があるからだ。

(2)本をたくさん、暗記するまで読め。
 商売繁盛するにつれ、軍部の人間の目にも留まるようになった。祖父は、中国人を並べて無理やりコケコッコーと言わせて楽しんでいる醜悪な日本軍兵士とかを見るにつけ嫌な気持ちになっていたそうだが、商売を続けるためには軍人に睨まれないようにしなければならないことも理解していた。
 酒宴の席に呼ばれて役にたったのが、それまで日本で読んできた本のなかの、特に軍記物を暗記していたことだったという。「へへえ、本日はこの前の続き、真田太平記の第○巻を朗読いたします。」といって、暗誦さえしていれば許されていたそうだ。
 どうしても付き合わなければならない嫌いな人間に対して、おべっかや不正をおこなわず、やり過ごす方法としては最も効果的だろう。

(3)運動会に参加するな。
 祖父はずば抜けて運動音痴だったそうで、子どものときから運動会になると屈強な友だちから「お前がいるとリレーに負ける」といやみを言われ続けたという。運動会当日、リレー競技になるとトイレに隠れて終わるのを待ったそうだ。その後友だちの多くは戦死してしまった。
 私は今の、みんなで手をつないで最後ゴールするという運動会の悪平等主義には反対である。祖父のようなずば抜けてできない人間の、尊厳ある参加拒否の自由を奪うからだ。トイレに隠れることすら許されないなんて。トイレに隠れることが皆の迷惑になってしまい、かえって陰湿な嫌味を言われそうである。

またまた前置きが長くなったが、今年のお盆に考えたことは、「へなちょこ主義で行こう」ということだった。義父や祖父のような限りなく非国民に近い、だめだめだけど、とことん平和主義的な態度を貫いていれば、生き残る可能性があるのではないかということだ。人殺しをしたり、されたり、自決したりというような物騒なことにも巻き込まれなくて済む。そういう人間が増えれば戦争が起こりようがないのに、とも夢想する。

へなちょこ主義。相容れない概念を結合させたことばの、なんて甘美なひびきだろう。私はこのことばの一切の著作権を放棄する。できるだけこの矛盾を抱えたことばが世の中に広まってほしい。
(ふふふ、いとうせいこう節が爆裂しすぎかしらんと思いつつ。おやすみなさい)
9月5日(月)

・赤ワイン
・パン
・カマンベールチーズ
(ちょっと間をあけて)
・まぐろの漬け丼
・豆腐と貝割れの味噌汁
・焼きなす
・もずく

帰宅後、あまりにお腹が空いていたので食事を作りながらパンとチーズを食べてしまった。一口だけ食べるつもりが止まらなくなった。意志が弱い。

さて、とある人から、長崎原爆投下の日付は8月9日であると、昨日の私の文章の間違いを指摘されました。恥。恥。恥。馬鹿、阿呆、馬鹿、阿呆。参考までに広島は8月6日。昨日の私はなぜか5日。。いったい何をとっちらかってるんでしょう。格好つけるものではありません。

だめだめついでに、私の英語アレルギーについてお話ししたい。今日私は仕事で自分の書いた日本語を英文に翻訳する作業をしていた。ほんのちょっとした分量なのに難航して、やっぱり英語は苦手だと再確認した。正直に告白すると、毛がぼうぼう生えた大柄の白人に対するコンプレックスもある。別に怖いことは何もしていないのに近くにいるだけで威圧感を感じ、萎縮してしまうのだ。研究者としては不利である。

(黒人についてはよく分からない。まともに話しをしたことがあるのはたった一人。非常にジェントルなジャズピアニストだったから。全く威圧感を感じさせない、やわらかな雰囲気の人だった。ピアノもいっぱい弾いてくれた。今、元気かな)

夫は英語がぺらぺらだし、白人や黒人に対するコンプレックスも全くない。父親が佐世保で米軍の通訳をしていた関係で、外国人が普通に出入りする家庭で育ったからだ。時間の無駄なので日頃は他人を嫉妬しないよう努力しているが、こと英語に関しては、夫をうらやましく思う。私がどんなにがんばってもなかなか出来ないことを最初からクリアしているから。

ご存知のとおり、敗戦当時の日本にやってくる米兵のほとんどは貧困層出身者、主に黒人である。義父は通訳をしていた頃、自分の名前を書けない彼らにアルファベットを教えたり、ラブレターを代筆したり、かけ算の仕方を示したり(最初は「魔法を使うな」と信じてもらえなかったそう)、愛読書ゲーテ詩集のなかのお気に入りの詩を英訳して聴かせたりしたそうだ。

義父がそのお礼として彼らから教えてもらったものは、米口語、ジャズ、ダンス、分厚いステーキ、などなど。当時の日本人には夢のような世界である。

義父は「ラッキー」というコードネームを与えられていた。「ラッキー、おまえは敗戦国の人間なのに、少なくとも俺より賢い」といつの間にか米兵の信頼を得たという。ゲーテの詩を英訳したときは、「なぜ敗戦国のドイツ人がこんなに美しいものを書けるのか」とびっくりされたそう。

そのうち彼らは「敗戦国は決して野蛮ではない。合衆国は何も自分に教えてくれなかった。ラッキー、おまえは文字と数学を教えてくれた。おまえの言うことのほうを信じるよ」と言って去っていったそうである。また当時の米兵の大方のものが、レイプを犯す米兵に対して、あいつらは人間の屑だと軽蔑していたそうである。

当時上官にあたる白人と下級兵の黒人とは食堂も別々で、お互いに対等に話合うということなど絶対なかった。コードネーム「ラッキー」はフリーパスをもらっていてどちらにも出入りできた。上官は下級兵の不平不満をラッキーを通じて知ることができた。

義父は狂乱の20代の頃、何を考えていたのだろう。なぜ、30代になって「おいしい」地位を捨て、安保闘争で投獄されるようなことまでしたのだろう。

話がまとまらなくなった。終わりにする。
記録のため、今日がニューオーリンズのハリケーン被災1週間目であることを記しておく。
9月6日(火)

・ごはん
・なめこの味噌汁
・回鍋肉
・ぎょうざ
・プチトマト
・コーヒー

夫が作ってくれた。ごはんが進んだ。おいしゅうございました。

昨日どうにか仕上げたわずか100単語程度の英文。たぶん、これ全然だめなんだろうなということぐらいは自分でもよーく分かっていた。ネイティブチェックが必要だ。会社には英文チェック専用の業者が図書館に入っていて、そこへ持っていけば会社の経費でチェックしてもらえる仕組みになっている。

今朝秘書さんに相談したら、「会社のデスクのチェックはだめ。短いセンテンスだから技術員の○○さんにチェックしてもらったら。」との返事。

○○さんはイギリス訛りっぽい発音をする(少なくとも私の耳には)アメリカ人で、ふだん会釈する程度でほとんど話しをしたことがない人。いつも周りの人間に早口でジョークを飛ばしている人。

いきなり自分で乗り込む勇気はなく、秘書さんは彼とは仲がいいので最初は一緒に着いてきてもらった。その後1対1でチェックしてもらうことに。

彼は容赦なく、とっても早口。何度も聞き返す。何度聞き返しても早口。なんだよ、と思ってはいけない。いやな顔をせず、何度も繰り返してくれたから、まあ、だいたい言っていることは理解できた。

途中ちょっとしたことでもめた。例えば「フィールドワーク」をいうことばをめぐって。彼は赤ペンで消してしまうのだ。

私は「演劇の稽古場のフィールドワーク」ということばを使いたいのよ。日本語ではちゃんとそう書いてるんだから。

だめだめ、伝わらない。少なくとも僕はそういう表現聞いたことない。演劇に対しては、フィールドワークとは言わない。フィールドワークは、アフリカとかでの調査。演劇にはスタディだ。

頑として聞いてくれない。
こちらに英語力があれば自分ですばらしい表現を考案するのだが、そもそも、それがないからミスターの助けにのっかってるのである。しぶしぶ承知した。弱いぜ、自分。

確かに、以前青年団の稽古場に「フィールドワーク」に出掛けてたとき、「わたしらのこと、動物園の動物だと思ってるでしょ」と冗談半分で劇団員の人からいやみを言われてたからなあ。一理あるのだ。

わずか100単語のなかにもそういう事案が何件があり、なんだかんだ時間を費やしたが、ようやくこれでいいだろうとゴーサインが出た。

最後に「サンキューべりマッチ、ミスター○○」と言うと、「どういたしまして。お金はそこにおいといて。チェックしたんだから、御礼もチェックで。」

なぜか、アメリカンジョークだけはどんなに早口でもわかってしまう私。。
業者のデスクチェックを受けるより同僚のチェックを受けたほうが断然よかったと思った1日だった。
9月7日(水)

・白ワイン
・ごはん
・トマトスープ
・イカとブロッコリーのガーリックソテー
・殻付き生牡蠣
・冷やっこ
・コーヒー

たまに会ってスキヤキを食べるためだけに存在するMLから、「次回のスキヤキの会は9月30日に東京・末広町のいし橋で」という情報が流れてきた。私は行けない。
きー、くやしい。生牡蠣たべて思いっきり贅沢した気分にもっていこうとしても、だめだった。やっぱり、くやしい。
もうこうなったら、たった一人で関西支部を設立してやるといきりたって、関係者のHPをリンクに張り、その活動について公開することにした。
もちろん公開にあたっては快諾を得ている。ただ心配なのは、そうすることでその会が広域スキヤキ団ということになり、当局から指定スキヤキ団の認定を受けてしまうのではないかということだ。次回の会合では、その対策について議題に上るはずである。
9月8日(木)

・赤ワイン
・ごはん
・ビーフシチュー
・洋風焼きなすの煮浸し
・クレソンとマッシュルームのサラダ
・コーヒー

昨日から仕込んでいたビーフシチュー。『枝元なほみさんのがんばらないおもてなしごはん』のレシピで、「お疲れ気味」の自分らをもてなした。このなかのビーフシチューは、とても簡単だし、何度作っても安定しておいしい。

今日の発見は、肉の量を半分に減らしたほうがおいしいということだった。もともとのレシピには800グラムとあるが、経済的理由で400グラムにして、そのほかの分量はそのままで作ってみた。すると相対的にたっぷりスープが飲めることになったのだが、これがヒット。お肉ごろごろwith限りなくソースに近いシチューより、肉汁のしみ込んだたっぷりスープがあるシチューのほうが、私たち家族の好みにあっていた。
息子はごはんをお代りし、ごはんがなくなるとパンを要求。スープに浸してほぼ一枚をたいらげた。(作り手冥利につきるが、やはりこれは食べすぎではないだろうか。)

あと、いつもの焼きナスを、しょうゆ・オリーブオイル・塩コショウを混ぜ合わせたものに漬け込むとごはんに合うけど洋風の煮浸しができる。お助けサイドディッシュになるよ。
9月9日(金)

・シーフードカレー
・昨日のビーフシチューの残り(少々)
・ゆで卵
・プチトマト
・コーヒー

シチューの次の日にカレーとは、お子様道まっしぐらな献立だと自分でも思う。家族の受けもあまりよくなかった。。

でも仕事の面では進展があり、すっきりさっぱり。重要な案件を1件終わらせることができてほっとしている。秘書さんのプロフェッショナルなフルサポートが受けられたのだ。ただものではない敏腕ぶりをいずれまとめてご報告したい。いや、ほんと普通じゃできないのよ、こういうサポートは。

明日から慶應大学で学会のため東京出張。次回の更新は月曜か火曜になる予定。
衆議院選挙の不在者投票を済ませて、いざ出発!!
4日分まとめて更新!

9月10日(土)・11日(日)
・喫茶店で適当に

9月12日(月)
・ごはん
・海草入り中華スープ
・チンジャオロースー
・プチトマト

9月13日(火)
・赤ワイン
・ごはん
・焼肉と焼き野菜
・プチトマト

土日の学会中は、昼は意見交換、夜はひとりで読書三昧だった。ある意味、至福の時間。
月曜は、9時過ぎに帰宅。夫が作ってくれたごはんをそそくさと食べた。
今日は実家から届いた郵パックの焼肉セットを利用した。

いかん、食が適当になってしまっている。

選挙が終わりましたね。私はいままでの投票行動をマイナーチェンジして、比例代表と小選挙区とでは投票政党を変えました。というか、そうするしかないでしょう。。。

今、政治で起こっていることは、大学や研究所など学界で起こっていることとほとんど同じ構図だと思う。「塩じい」と同じような切れ者がどこの世界にもいて、10年以上も前からじょじょに準備も始めて、ほとんど外掘りを埋めていったところで、一気に攻め落城させる。政治の怖さをまざまざと。。

ただし、この渦中のなかにいても、
(1)気付いていてもがいている人
(2)気付いているけど手も足も出ない人
だけでなく
(3)全く気付いていない人
がいて、とくに学会とかでそういう人々を見ると暗い気分になってしまったりするが、啓蒙するほどおこがましい立場にいないので(40,50代の先生方の仕事でしょうが)、せめて自分たちだけでも淡々と次のフェーズに備えていようとも思う。もちろん若手の会とかでつるむような、ださいまねはしない。

いかん、いかん、私は今何かにいらだっている。

というより、とうの昔の段階で「賢い人々」は、学界や郵政などはもう大枠をつけたと思っていて、次の課題に本腰を入れようとしているはず。すなわち、「もっとも賢い人々」は、医師会をどうにかしようと思っているはずで、もうすでに先進大学の教育カリキュラムではそのような準備は着々と進められていて、少なくとも今教育を受けている連中が担い手になり始める10、20年後には自然と「構造改革」になるよう仕組まれているはずだ。

いかん、いかん、いかん、これでは予言者気取りの大ばか者だ。しかも、ここで言うまでもなくみんな気付いているのに。ね、そうでしょう?

選挙が終わってから、こんなことをいうのはださすぎる。もう止める。すんませんでした。もうしません。ただ、生意気なだけで根はいいやつですから、許してください。
9月14日(水)

・麻婆丼セット

東京日帰り出張。朝5時起きでした。
食事は品川駅構内の中華料理屋でサラリーマンにまじってさびしくひとりで。
そのあと、ジュースを買おうと、新幹線乗り場近くのコーヒースタンドに行く。間違って「オレンジコーヒーをください。」と疲れた真顔でいってしまった。店のお姉さんには大受け。どうやら思い切り壷にはまったようだ。そんなに面白いかと思いますが、自分の天然が人を幸せにできて、私も幸せでした。

夫はヘルペスか帯状疱疹の疑いありの診断を病院でもらう。帯状疱疹は、皇太子妃がかかったことで一躍有名になった、高貴な人のかかるストレス病である。夫は私に「敬え」「いたわれ」と散々文句を言ってきた。思い当たる節はなきにしもあらず、最近仕事のほうにだけベクトルが向きつつあるから。ここでも早めにマイナーチェンジしないと。ぎりぎりのバランスで成り立っている我が家なのだ。家庭崩壊したら元も子もない。
9月15日(木)

・ごはん
・豆腐の味噌汁
・刺身(平あじとかんぱち)
・もずく
・オクラのしょうゆマヨネーズソース
・プチトマト

夕方めっきり涼しくなった! やっと、うちで普通のごはんを食べることができた!!

いっしょに論文を書いたことのある知り合いの奥さんが絵本を去年出版しました。つい最近それを知りました。
タイトルは、『チビカミ』。
ちびっちゃい神様が主人公なんですが、とってもかわいいのに、全然癒してくれません。私はこういうキャラクターが大好きで、ひそかにバッグに忍ばせて思いついたときに読んで楽しんでいます。そして会社では誰からも頼まれていないのに、布教活動。「5分私に時間をくれ」と無理やり読ませて感想を聞くという迷惑行為を繰り返していました。みなさんも是非、読んでみて。

チビカミ、夫の病気を治してよ

そういえば、最近息子は「もう、この子、なんとかしてよ」と自分で言いながら、いろいろたくさん、ダイナミックなよからぬ遊びをしています。ヘンな保育園ボキャブラリーが身に着いているよう。
9月16日(金)

・ごはん
・なめこの味噌汁
・えびとにんにくの芽のオイスターソース炒め
・納豆
・トマト、クミン風味しょうゆドレッシング
・コーヒー

夫が宴会で不在のため、息子とふたりでいつもよりゆっくりと時間をかけて食べる。息子の好物ばかり揃えた。最近、本格的に「これなあに?」の時期に突入している。「えび」は真っ先に覚えた。

またもや本のご紹介をしたいと思います。

友人夫妻の共訳で、スラヴォイ・ジジェクの『厄介なる主体』という本が出版されました。訳者はそれぞれ北欧政策とアメリカ文学の専門家です。

ジジェクは旧ユーゴスラビア出身のラカン派のマルクス主義者で、アメリカによるグローバリズムに対抗する方法を語る、現在もっとも活躍している思想家のひとりです(ちなみにラカン本人は自分のことをあくまでフロイト派と位置付けている精神分析学者です)。原著は、英語ネイティヴないジジェク本人が西欧圏の人々にも自分の思想を伝えたいと熱い思いで英語で書いた本です。おそろしい英文であることが容易に想像できますが、それを日本語に訳すのがどんなに大変だったかということもまた容易に想像できます。

またまた、現代思想? どうせちゃらちゃらしたエリート気取りの勘違いな奴らが翻訳したんだろう? 

違います。
この本を翻訳したのは、最初にリンクをはった犬の里親のボランティアをしている夫婦です。もともとそんなに犬好きでもなかったのに抜けられなくなってしまった人たちです。誤解を恐れずにいえば、阿呆といっていいでしょう。もっとうまくやればいいのに。私はこんな阿呆な研究者夫婦は他に知りません。もっともはやくいろいろな物事の矛盾に気付いているのに、もっとも不器用にしか対処できない良心の塊のような夫婦です。けれどもそういう人々が周りにいてくれるおかげで、私は少なくとも自分は勘違いをしなくて済んでいる(と信じている)し、友人たちから軽蔑されるようなまねだけはしないよう普段の行動を律することができている(と信じている)のです。

『厄介なる主体』は、正直いって、頭から血がでるほど難しい本です。私は今週2回の東京出張で読んでしまおうと目論んでいましたが、無理でした。自分の頭が軟弱になってしまっていることをひしひしと感じました。それにあの激務のなか二人が孤独に翻訳作業をしていたのかと思うと目頭まで熱くなり、何を血迷ったか軟弱ついでにみうらじゅんの『青春ノイローゼ』、ビートたけしの『たけしの落書き入門』を夜間の本屋で買い求め、猛スピードで読み終わり、あまりに男くさくなったのでさらに翌日学会のあいまを縫って本屋に駆け込み、江國香織の『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』でバランスをとりました。
ジジェクから、「スウィート過ぎる夢と、センチメンタルなメロディ」をかぎとってしまったのです。当然ながら当の目的であるところの本は読了していません。

みなさんはここで書いたような私の個人的思いなど、どうでもいいことでしょう。むしろ冷徹に批判的精神を保ってジジェクの『厄介なる主体1』を読んでくださったほうが、多くの人々のためになります。鋭いコメントを出版社や著者にどうか投げかけてください。

秋の夜長を先取りして。夫の帰宅を待ちながら。
9月17日(土)

・素うどん
・糸もずく
・コーヒー
・鳴門金時饅頭

昨日の晩目覚まし時計をかけずに寝て、今日起きたのは11時半だった。10時間半ぶっとおしで眠ったことになる。私の体は単純にできていて、それで復活。昨日までのだるい、おもい、しめりがちな雰囲気が一掃された。睡眠ってすごく大事なのね。

お昼ごはんが夕方近くになり、しかもたっぷり摂ったので、夜はごくごく軽めにした。しかし息子の食べるうどんの量は半端ではない。決して小食ではない私より確実によく食べる。小さな胃は大丈夫なのだろうか。

連休を利用して家族でリフレッシュ1泊旅行に行く予定だったのに、夫に急遽仕事が入ってキャンセルになってしまった。今日は夫の大学に荷物を取りに行かなければならなかったので、どんなマイカー通勤をしているか知りたくなりドライブがてら一緒に出かけた。

国道163号の生駒山のトンネルの前までは、うらぶれた奈良の田舎道で、「パブ茶屋ミキ」「生活にエンジョイ!何でも貸す店」などの看板が出ている。

トンネルを越えると大阪で、風景ががらりと変わる。まずは、ラブホテル街を通り抜け、次は松下電器総本山の工場がある工場街、そしてごちゃごちゃとした町並みになる。

もちろん地に足をつけ、路地裏に入り路上観察したら、いろいろと生活の息吹を感じる発見があるのだろうけど、車からは全く見えてこない。

感想。「道路わきの風景がわびしすぎる。思わず同情。これからはもっと敬うよ、いたわるよ。」
所要時間は片道1時間ほど。混んでいるときは1時間半かかるという。
9月18日(日)

・白ワイン
・お好み焼き
・大根と豆腐の味噌汁
・コーヒー

夕食は夫が作ってくれた。うちのお好み焼きはとってもシンプルだ。市販のものを使っているので、誰でも簡単にできると思う。その上安い。関西はすごい。

(1)日清のお好み焼き粉を使って生地を作り、そのなかにキャベツ、もやし、きざみねぎを入れて、混ぜ合わせておく。

(2)ホットプレートに豚ばら肉(お好み焼き用)を敷き、その上に「あげだま」を振り掛ける。あげだまとは天かすのようなものだが、天かすが天ぷらの副産物であるのに対し、わざわざそれだけを作って「あげだま」として袋入りで売っているメーカーがある。

(3)(1)を肉の上に乗せる。

(4)半分火が通ったところでひっくり返し、オタフクのお好みソースとマヨネーズを塗り、花かつおを乗せて火が通ったら出来上がり。


午前中は保育園の運動会だった。私たち夫婦は、「きんぎょはどこかな?」の出し物における息子のすばらしさにほれぼれした親ばか二人組と化してしまった。

たとえば、先生を見ながらクラスの親子みんなで踊っているところを、ひとり息子だけが全速力でトラック上を何度もくるくると走り回る。私はそれを追いかけるのに精いっぱいだった。おそらくその直前の、最上級生と保護者によるリレー競技をまねしたのだと思われる。その競技は大盛り上がりを見せ、会場は興奮に包まれたのだった。

またたとえば、型紙で金魚の形に切り取られたかぶりもの。子ども自身が金魚を赤く塗ってマイ帽子にしているのだが、ほとんどのお子さんが赤べったりなのに対し、なぜか息子だけは白地も目立っていた。帰宅後、息子がいうには、「ゆうくんのお手て金魚」なのだそうだ。そういわれて改めて見直すと、金魚の形のなかに、ちゃんと赤い手形も読み取れるよう赤と白の割合が絶妙かつ斬新にデザインされていた。

ユニークである。これは小学校以降大変だろう。いい先生にめぐり合うことを切に祈る。

その運動会の乗りのまま、お好み焼きに突入したのだった。
9月19日(月)

・赤ワイン
・ミネストローネ
・ペンネアラビアータ
・ルコラとトマトのサラダ
・鶏の塩焼き、タイム、ローズマリー風味

9月中に片付けるべき仕事をお互いリストアップして比較してみると、「あれ、私って超暇人なの?」というくらい夫とのあいだに差がついたので、連休最後の夕食は夫にリクエストされたとおりの献立にしました。えらい!

ミネストローネは、辰巳芳子『あなたのために:いのちを支えるスープ』のレシピを参考に。肝心のブイヨンをクノールのチキンコンソメで代用しているのだが(先生、ごめんなさい)、それでもとってもおいしくできる。ミネストローネは決して油たっぷりトマトスープではないということを知ることのできる貴重なレシピである。

鶏の塩焼きの塩梅もばっちりきまった。にんにくの香りをうつしたオリーブオイルで、塩、こしょう、乾燥ハーブを両面にまぶした鶏もも肉をフライパンで蓋をしてこんがり焼くだけなんだけど、しみじみしておいしいよ。粟国の塩が決め手のような気がする。
9月20日(火)

・ごはん
・昨日の残りのミネストローネ
・生かつお
・納豆
・もずく
・辛子明太子

夜8時から始まる会議のため、夫は不在。帰宅は余裕で午前様になる模様。生き残りをかけた私大の大変さは、ほんの少しだけ経験したことがあるが、壮絶だ。とにかくからだが資本だと思う。

夕食は息子と二人で簡単なもので済ました。とはいえ、いずれも息子の好物である。時々、こなきじじいかと思うくらい渋好みである。
そうなった原因のひとつとして、宇治市に住んでいた頃に二次保育(ファミリーサポートセンター)でお世話になった70歳に近いご夫婦の薫陶の賜物かもしれない。なにせおやつは酢昆布とスルメだったのだ。

今朝、息子は非常に調子が悪くお腹が痛いと主張し、途中から発熱までしてしまったので、私は会社を休むことにした。ところが10時半頃になって急に起き上がり、「ごはん!!」と要求。熱もすとんと下がっていた。食事もすごい勢いで完食し(というより、スープ3杯もお代わりと、パンもお代わり)、立派なうん○をおまるにし(本人曰く、「しっぽ」だそうだ)、部屋を走り回りながら散歩も要求。保育園に行くかと聞いたら元気に「行く!」と答えたので、お昼過ぎに連れて行った。

折りしも、同僚から携帯に電話がかかってきて、急用発覚。結局、出社した。

いつもの時間に息子を迎えに行くと、いつもどおり元気いっぱい。いったい今朝は何だったんだろう。わずか3時間のあいだに発病から完治までしてしまうなんて。うーん。。やっぱり謎だ。
9月21日(水)

・ごはん
・カゼ撃退鍋
・トマトときゅうりと大豆のサラダ
・コーヒー
・エクレア

昨日、深夜寝る前になって突然、のどに違和感を感じ、慌ててイソジンでうがいして就寝したのであった。

今日も残念ながらまだいがいが感がある。どう考えてみても風邪の前兆である。
経験上私の場合のどから来ることが多いのだ。こういうときは、「夫も病気だし息子もなぜか昨日発熱したし、勘弁してくださいよ」と弱気にお願いしてはだめで、いつものたおやかな雰囲気(ウソツキ!)を捨て、「菌だかウイルスだか知らねえが、おめえ、悪さしたらただじゃおかねえぞ。少しでも出すぎたまねをしたなら、、、、殺す」ぐらいの勢いで鼻息荒くして対処すべきだと思う。

カゼ撃退鍋という、どんぴしゃのレシピを見つけたので、今晩のメインはこれにした。ついでに豆腐も入れ、大根おろしを添えたポン酢でいただいた。ゆめさん、どうもありがとう。
9月22日(木)

・日本酒
・ごはん
・にんにく入りにんにくの芽と豆腐の味噌汁
・まぐろのレアステーキ、わさびバター醤油ソース
・かぼちゃと切り昆布の煮物
・トマト
・洋なし
・コーヒー

にんにくの芽をいれた味噌汁が健康にはいいとどこかで聞いたことがあるので作ってみた。味のほうは、からだは「別においしいじゃん」と言っているのに、味噌汁かくあるべしという固定概念がじゃまして頭が素直に喜ぶのを拒否している感じだった。でも、そんなことはそうでもいい息子は、大好きだったみたい。夫にも概ね好評。

風邪には絶対効きそうな予感がした。即からだがぽかぽかして、薬を飲むより効果的なのではないかなあ。必要以上に精がついたので、もともと健康な人にはかえって毒かもしれない。

相対的には超暇人であっても、私のほうも、とうの昔に締め切りの過ぎた原稿をかかえていて、だんだん逃げられなくなってきている。今日は、母親の次にこわい会社の秘書さんが夢枕に立ち、「わたくしが申し上げることではないのかもしれませんが、やはり今の状態は、ご自分に甘えていらっしゃるとしか思えません」と告げられた。なんで人から面と向かってこんなことを言われないといけないのだろう。夢とはいえ、やっぱりショックだった。

会社に行くと、限りなく予知夢に近い出来事が。。わかりましたよ、書きますってば。
9月23日(金)

・トマトソーススパゲティ
・きゅうり
・チェダーチーズ(夫の手土産)
・惣菜2品(夫の手土産)
・昨日の残りのかぼちゃと切り昆布の煮物

多くのみんなが休んでいるはずの祝日。夫は大学のオープンキャンパスでのロボット展示のため、朝から普通に出勤した。しかも明日から、学会のためドイツに出発しないといけない。朝5時25分発の電車に乗らないと間に合わないスケジュールになっている。

か、かわいそうすぎる。先発隊の先生からは、ドイツはとにかく寒いからしっかり厚着の準備をしてくるようにとの連絡も入っている。本人はものすごくブルー。2度目に受診したとき医者から「とにかくゆっくりと休養することです」と言われているのに、「休養できんから病気になっとんじゃあ」と天につばはいている。

それなのに、ごめん。せめて食事だけでもおいしい和食にと思っていたのだが、お米をきらしてしまっていたのだ。ちょっと混乱した食事になってしまった。

植物日記を更新。私のほうはしっかり休暇をとらせていただきました。ひさしぶりに庭の草取りをしました。これは原稿書きへの助走です。うそじゃないよ、ほんとだよう。
9月24日(土)

・グラスワイン(赤)
・ハンバーグ定食・コーヒー(私)
・天ぷら定食・りんごジュース(息子)

近所にある 間(AIDA)という食堂で息子と二人でひさびさの外食をした。子どももOKのとこなので、精神の安寧のためには、たまにはこういう日もあっていいのである。

AIDAは、小鉢3つ、味噌汁、ごはんの基本和食プレートに好きなメインを選べるシステムになっていて、健康的な食事が楽しめる。店長さんは20代のやさしそうな男の人(絵本の挿絵も書いている)。お店の人もみな感じがよい。乳児から小学生まで、子ども連れの家族もたくさんいた。

息子は、食後のコーヒータイムのあいだたたみ部屋のおもちゃや子ども用の椅子でずっと遊んでいて、最後、「いや、帰らない」とだだをこねた。

会社の同僚おすすめの店。おしえてくれてありがとう。
9月25日(日)

・冷酒
・泉仙(いづせん)の弁当「秋桜」
・にらぎょうざと玉ねぎの味噌汁

夫が留守のあいだ、実家の母に手伝いに来てもらうことにした。今日はJR京都駅・伊勢丹の地下でお弁当を買ってきてもらった。母もこういうのは楽しいようで、たまにはこういう日もあっていいよねと二人で言い合った。私は昨日も同じことを思ったけど、たまにはいいのである。

京弁当はさすが。だしが濃いのにお上品にまとまっていた。で、家でできる楽しみなことといえば、それにちょっとジャンクな汁物をつけること。お客さんに出すにはものすごく勇気がいるけど、組み合わせとしては絶妙だと思う。

息子は母(=おばあちゃん)にべったり甘えている。畳に押し倒して、すさまじい「ちゅー攻撃」も敢行。私はなんと、夜9時から一切誰にも邪魔されず丸々自分の時間に充てられている。うれしい限りである。
9月26日(月)

・ごはん
・豆腐とわかめの味噌汁
・カレイの煮付け
・鶏とオクラのゴマだれ和え
・かぼちゃと切り昆布の煮物
・きゅうりとじゃこの酢の物
・梅干
・ぶどう
・コーヒー

母に作ってもらった。しかし私は決して、アエラとかで特集を組まれそうな母親を家政婦扱いする結婚しても親離れできないバカ娘ではない。断言できる。

昨日の日記で私は嬉々として9時からは自分の時間と報告したが、10時から12時まで息子の寝かせつけと母による小言であえなく中断してしまった。小言の内容は畳んだ洗濯物の置き場所を変えるべきだとか、息子の七五三の手配はどうするのか、日程を早くフィックスしろとか、なんで今そういうこと言うかなあというものばかりだった。「仕事あるんでしょ。ゆうくんは私が寝かせるから、なるべく早く済ませてちゃんとお眠りなさい」と直前まで言っていたのに。。 家政婦は決して主人にライフスタイルの変更を迫らない。

今日も帰宅するなり、庭に草いっぱいあるなんて情けないと小言。今週末とってもきれいにしたと結構自己評価が高まっていただけに、心外であった。もし草取りしなかったら何を言われたか分からない。危ないとこだった。

したがって今日もこれからどうなるか、予断を許さない状況である。

とはいえ、非常に助かっているのも確かである。この時間帯に日記を書く元気があるんだもの。あ、やっぱり親のスネかじりか。。
9月27日(火)

・日本酒
・ごはん
・豚汁
・はまちとサーモンの刺身
・鶏とオクラのゴマだれ和え
・わかめときゅうりとじゃこの酢の物
・らっきょ
・梅干
・ぶどう
・コーヒー

母に作ってもらった。うちの家の前の街路樹だけ下草がぼうぼうに生えているからと、昼間、草取りもしてくれた。もう何も口答えできない。

今日はいいことがあった。

ひとつは、数年ぶりに手塚夏子さんと連絡がついたこと。彼女とは、桜井圭介さん(作曲家・ダンス批評)の神楽坂ダンス教室で知り合ったきり、ずっと音信不通だったのだ。手塚さんはダンサーとして私は見学者としての参加だったのだが、当時、もっとも気になっていたダンサーのひとりだった。

桜井さんは、ださいことやださいものに対する嫌悪感が普通の人より何倍も強い人だと思う。だからダンサーのみんなはとっても大変だったはずである。

彼女をひとことでいうなら、「的確な人」というのがもっとも適当だろう。これは桜井さんのいう形を的確にまねするというよりは、桜井さんの要望に対して、「へえ、こうくるか」というおもしろい回答を用意している感じ。

屈折さ加減がちょっとへなちょこなのだ。まじめに自分の屈折した部分に付き合えば付き合うほど、どんどんこちらの微笑みを誘うタイプの踊りを考え付いてしまう、あまりいないタイプの人なのだ。

来年1月に横浜でおこなわれる彼女の舞台には行こうと思う。コンセプトを聞いただけでむちゃくちゃおもしろそうなのだ。
その他にも公演情報はたくさんあるので、興味のある方は是非手塚夏子のHPをチェックしてみてください。きっとこれから何かしでかす人だと、私はふんでいます。

あともうひとつのいいことは、論文書きに進展が見られたことである。

今書いている旧プロジェクトのまとめの論文は、本来なら7月末の特集号締め切りに間に合わせる予定のものであったのだ。ところが、中途半端なものを出すよりせっかくならもっとやれるとこまでやってから出したいと私がボスにわがままを言って、一般投稿に変更してもらったのだ。

そうしてもらった以上、今度は、タイトな締め切りを言い訳にしてしょうもないものを出すことが絶対に出来なくなってしまった。かえって自分を追い込んだことになる。後悔しても仕方ないのだが、かなり後悔した(ぐじゅぐじゅ言わずに出そうと思えば出せたのよ)。すべて自分の蒔いた種。

何がことを難しくしているかというと、このプロジェクトには私は途中から参加しているので、プロジェクトのもともと持っている「思想的背景」に自分をある程度合わせないといけないということだ。同じ心理学のなかでも発達系の話はそれほど詳しくないし、そもそも工学系の雑誌に投稿を考えているし。したがってその筋の専門家の何人かの方に途中のものを読んでいただき、たくさんコメントをもらった。

そのあとは、外道の仏典あさり状態に陥った。いただいたコメントをヒントに、専門外の人々が書いた論文や本を読んでいったのだが、これがおもしろくてしょうがなくなってしまったのだ。もちろん自分の論文に引用できるようなフレーズを探すという薄汚い下心はちょっとはあったが、それよりも本読み自体に夢中になった。おりしも、同業の人からおもしろい論文をもらったりして(新プロジェクトにもろに関係する)、わき道にそれかかったりもした。

そういうインプット状態になっているときは、自分の書いた文章を読んでも、全く頭に入らなくなるという不思議な状態になる。ちょっとした精神の異常というか、自分の文章だけを対象とする失読症のような感じになってしまった。

この1ヶ月間苦しかったが、昨日あたりから晴れて自分の文章がすっと読めるようになった。これで訂正すべき箇所を見つけ出し、アウトプットに専念できる。

よし、書くぞー!! (←ほとんど、秘書さんに向かって言っている)
9月28日(水)

・日本酒
・ごはん
・たっぷりきのことうどんの味噌汁
・秋刀魚の塩焼き、大根おろし添え
・ごまだれ豚しゃぶ少々
・ブロッコリーとトマトとゆで卵のサラダ
・かぼちゃと切り昆布の煮物(一昨日のもの)
・らっきょ
・梅干
・ぶどう
・コーヒー

今日も母に作ってもらった。みてください、この品数。母も実家ではこんなには作らないという(お父さん、ごめん)。どうしよう、離れられなくなってしまいそうだ。

おかげさまで原稿のほうはぐんぐん進んでいます。何も考えなくても文章が出てくるんだもの。確実に快感物質が分泌されていると思う。今までの鬱屈はどこへ行ってしまったのか。これだからこの仕事は止められないのである。明日には書きあがる予定。ああ、もっと苦しんでいたかったのにー、どうしましょう。

論文書きの息抜きに、山内志朗の最新刊『笑いと哲学の微妙な関係』をぱらぱら眺める。「15・快楽主義者はつらいよ?」に目が留まった。

なんとエピクロス本人はまじめな哲学者で、その信奉者であるエピキュリアンは「きわめてつつましい簡素な生活を送り、1コチュレー(約200ミリリットル)のワインがあればそれで彼らは満足していた。あとは水だけが彼らの飲み物だったから」という記録があるというのだ。

山内教授がいうには、エピクロスが生きていた時代は、マケドニアのアレキサンダー大王急逝ののちギリシャがマケドニアの脅威にさらされるという最も絶望的なとき。「エピクロスにとって、快楽とは、どのような環境においても、心が乱されない落ち着いた状態のことだった。肉体の快楽を求める快楽主義者ではなくて、どこにでも快楽を感じられるという意味で快楽主義者だったのだ。」

そうか、そうだったのか。やっぱり、ギリシャ哲学っていいなあ(私がいうと、なんて安っぽくなるんだろう)。明日から堂々とエピキュリアンを名乗り、即実践しないと。

ただ一抹の不安もよぎる。本のなかの山内教授はずっと酔っ払っているのだ。ホンモノの先生が出てきて、「うっそぴょーん」とか言ってもおかしくないのである。論文書き終わってからちゃんと目を通して、真意を見極めよう。(←「真意なんてそもそもどこにもないんじゃあ」と怒られそうだが)
9月29日(木)

・赤ワイン
・ごはん
・ロールキャベツ
・ポテトサラダ(通称:いもさら)
・わかめときゅうりとじゃこの酢の物
・プチトマト
・らっきょ
・梅干
・ぶどう
・コーヒー

私の好物であるロールキャベツとポテトサラダを昨日からリクエストして、作ってもらった。

母のつくるロールキャベツはコンソメスープであっさり煮込んだタイプで、私はトマト味などよりずっとこっちのほうが好きなのだ。

ポテトサラダは、ごろごろとした粉ふきいもがベース。これにハム、きゅうり、茹でた人参を入れて、マヨネーズ少々で和える。味付けのポイントは、熱々の粉ふきいものときに酢をたっぷり振りかけて蒸発させること。これをするのとしないとでは、味の締りが全然違ってくる。マヨネーズだけではどこかぼけた味になってしまう。 で、私の好みは、しょうゆにちょっとつけてから食べる。これ、最高。

息子はこのような洋食風の食事でも、まず最初に梅干を所望する。そのあと、プチトマト、酢の物を口にしてから、ごはんとメインに移るのだ。

また来週から、自分で作らないといけなくなることを考えると、ちょっと憂鬱。一人暮らしをしている忙しいサラリーマンが専業主婦のお嫁さんを欲しがるのも、ある意味自然なこころの働きかもなあ。そのほうが圧倒的に楽だもん。
9月30日(金)

・日本酒
・刺身盛り合わせ

・赤ワイン
・ごはん
・ロールキャベツ
・ポテトサラダ(通称:いもさら)
・冷やっこ
・キムチ
・らっきょ
・梅干
・ぶどう
・コーヒー

実家から父もやってきてくれた。母も加えて総出で保育園に息子を迎えに行った。帰りしな、息子は父におんぶしてもらうなど、大喜びであった。
帰宅後、まずは奈良の地酒白鹿系の純米吟醸酒「白滴」で乾杯。次に京都の丹波ワイン「鳥居野」の赤に移った。いずれも近所のコンビニで常時売られているお酒だ。ここのコンビニは、好きだ。

昼間、ちょうど会社でおこなわれていた顔学会の講演を聴いた。内容は男の化粧について。長年POLAに勤めていた方のお話。最近では、団塊の世代の人々までもお肌のお手入れをするらしい。「女にもてない」というのが男性化粧品を売るときの脅し文句だそうだ。女性化粧品の場合、そんなストレートなフレーズは決して表立っては叫ばれない。もっと巧妙な手口が使われる。これは昔からそうだったはず。話の筋とは直接関係ないが、変なところで男女差を感じてしまった。
学会会長でもあり新プロジェクトでもこれからお世話になる原島先生にもちょっとだけご挨拶した。

そのあと、技術の人が来ることになっていたので業者さんの展示を見にいった。新プロジェクトで利用したいと考えているモーションキャプチャシステムについて、いろいろと話を伺った。本当にやりたいことをピンポイントに絞ってことにあたらないと、お金だけかけてしょうもない研究になってしまう可能性が高くなるなあと思った。スマートな研究。あこがれだ。