料理ネタ


2006年9月

9月1日(金)

・白ワイン(グラス)
・野菜天麩羅うどん
・炭焼きコーヒー

稽古収録中に、急に偏頭痛に見舞われた。床に座る姿勢が悪かったからなのかなあ。謎だ。バックアップ作業が残っていたのだが、同行者のことばに甘えて、先に帰ることにした。

帰り道に、前から気になっていたうどん屋に入ってみた。店内はおしゃれで、和食の一品物もお酒の品揃えもよい店だった。頭痛がするのにお酒が飲みたいときがありますよね? とはいえ日本酒は危険な香りがしたので、とりあえず控えめに白ワインを頼みました。

野菜天麩羅うどんは、素うどん(かけ)に天麩羅が別盛りされているスタイルで提供された。おつゆはあっさりかつおだしのすごく好きなタイプだった。天麩羅もぱりっと風味よく揚がっていた。ああそれなのに、もったいないことに残念ながら、麺が塩気が勝っていて、素人っぽかった。実家の祖母の手打ち麺のほうがおいしい。

新しくできたばかりの店のようで、見学と称して、お客さんが店内を覗いていくこともあった。「ベビーカーは入れますか?ベビーがいるもんねで、行動範囲が狭くて」という日本語を使う中年の方だった。今晩いただいた食事には感謝しているが、たぶん、もう二度と行かないと思う。味がどうこうの問題ではなく、なんとなく雰囲気が合わないというか、私にとって居心地のよくない店だったのだ。

演出家のダメだしを台本に書き付けていくというアナログなデータ処理が残っていたので、喫茶店で仕切りなおした。こちらは前回のフィールドワーク中にも何度か行ったことのあるお気に入りの場所である。あら不思議、知らぬ間に頭痛がぴたりと治まっていた。空間の好き嫌いはどこから生まれるんだろう。これを言葉で説明していくのが私たちの仕事なのだが、感じるだけでうまく言語化できないんだな、これが。

話は変わるが、夫が韓国から戻ってきた。旅行記にまとめたとのこと。激しく体調が悪く、へろへろだと聞いていたが、その状況を陰にこもらず、これだけのぼやき節でぎりぎり節操を保って展開できるのは、ひとつの才能である。見直した。韓国を相手に、むやみに賛美したり、むやみに卑屈になるのも変だし、居丈高な態度を取るのは頭のレベルを疑われるし、距離感が難しい国のはずなのに。それにしても、日本ではあんなに好きだった韓国料理を本場で楽しめなかったなんて。。オーディオ挑戦記もまとめたそうな。いつの間に作ってたのか、というか、暇なんだろうか。激務だと言ってたくせに。私のことを寝る暇惜しんで日記を書く暇人呼ばわりすることは、これでもうできないだろう。
9月2日(土)

・ビール
・パク森カレー

同行者が道玄坂上にあるカレー屋にわざわざ食べに行くというではないか。聞くと、パク森といって、横浜のカレーミュージアム(そんなものがあるんだ。。)のなかにも入っている有名店とのこと。のこのこ着いて行った。ドライカレーと普通のルーをミックスして食べるという、お得感ある趣向。うん、おいしゅうございました。

同行者は食後に一言。「うまいけど、さわぐほどのものじゃないですね。」常日ごろ温厚を絵にかいたような振る舞いをする人なのに、ごくたまにびっくりするほど、そこいらへんの皮肉屋顔負けの冷めた発言をする。かくいう私も全く同感だった。巷にあふれる情報に踊らされているうちはだめなのね。今も胃にもたれることなく、好感は持っているのだけど、たぶんもう二度と行かない。 

東京でただなんとなく外食すると、なんか性格の悪い発言が多くなって、自分でもいやだなあ。沖縄や北海道や岡山の実家など田舎に行くと、なんでもしみじみおいしく感じるのに。ギャップがありすぎて、自分でも同じ人間とは思えない。こう考えると、夫がハードな自炊派なのもうなづける。空腹を満たすためにただなんとなく外食するのは大嫌いで、ここぞという店で外食するのが大好きな人だからだ。

実家に電話して息子の声を聞いた。張りのある高い声。健康的なものをたっぷり食べて元気にやっているそうだ。今朝は、隣の幼稚園のお山の滑り台の上から父といっしょに紙飛行機を飛ばして遊んだそうだ。心から安心してまかせられる場所だ。親である私たちのほうが会いたくておセンチになっているくらいだ。ここに人知れずひっそりと夫はこの夏に撮った息子の写真を2枚アップしていた。ひとつは沖縄に行く前、空港で撮ったもの。もうひとつは、肺炎で退院するときの様子。
9月3日(日)

・ビール(ペルー産)
・豆の煮込み
・魚介のトマトクリームスパゲティ
・魚介のマリネ
・コリアンダー風味の豚の角煮
・赤ワイン(アルゼンチン産だったっけ?)

数年間の準備期間を経て、もうすぐ私も関わった本『アート/表現する身体』が東大出版会から出版される。万歳!めでたい!お世話になった方々の顔を思い浮かべながら献本リストを作成している。研究者サイドからの一方的な発表ではなく、各章ごとに芸術家との座談会での議論が付与されたことが、他にはない特徴だと思う。

このなかに書いた知見は、妊娠を機に勤めていた大学を辞めて、関東から関西に引越し、乳飲み子をかかえた主婦だった頃、自宅で暇を見つけては、ちまちま分析作業をしていったデータに基づくものだ。そして、いまおこなっているさきがけ研究プロジェクトは、ここでの知見がきっかけとなって始まったものだ。それらの事実を考えると大変感慨深い。

でも、その感慨は、今にして思えばほろ苦くも甘い過去、ノスタルジーから引き起こされているという自覚は十分ある。本に書いた内容は過去の業績。いまはそれをもとに新しいことに取り組んでいて、そっちのほうに頭がいっているから、ノスタルジーにどっぷり浸かりたくても、状況が浸らせてくれない感じなのだ。

私の頭はかなりせっかちにできていて、さらに今日は、その次のプロジェクトのことを考えていた。信頼のおける研究者の方に稽古場まで来ていただき、その後、信頼のおける俳優さんといっしょに密談。「そっちの方向」に進むのがもっとも素直かつ豊かな知見が得られるだろうと、直感のレベルではお互い合意しているのだが、果たしてそれを実現する手段は。。。ここの部分を考える際はせっかちに焦っても絶対だめ。堂々巡りになってもいいので、いまこの時期は、ひたすらブレインストーミングのときだ。大事に大事に育てなければ。

今関わっているさきがけ研究プロジェクトは、あと2年半で終了する。今年度から専任研究員になったので、なにもアクションをおこさないと2年半後には契約切れで自動的に無職になる。うおー、うかうかしているとすぐ終わってしまうじゃないかと思う反面、2年半たったら、息子はなんとぴかぴかの小学一年生になるんだ、考えられない、とてつもなく先は長いぞと思うこともある。いずれにせよ、この先どうなっていくか自分でも分からないところが、いまはとても魅力に感じている。同じところにいて停滞してしまうことへの不安のほうが大きい。うーん、でも、2年半後いったい私はどうなってるんだろう。ちゃんとごはんをおいしく食べられているのか。

さて、本日の「密談」は、駒場にある南米系の店でとりおこなわれた。南米人とおぼしきウェイターがにっこりサーブしてくれた。ここは、また行きたいと思わせる何かがあった。どの料理も丁寧に作ってあって、ちょうどいいくらいの気が行き届いている感じがした。インパクトがあるのにどこかおっとりしていて、食べる人を疲れさせない味がした。価格も魅力的。ワインをボトルで空けても、〆てひとり3000円もかからなかった。
2日分、まとめて更新!

9月4日(月)
・焼き鳥屋メニュー

稽古のない休日。

午後は、身体知研究会での3発表を聴講した。すべての発表から刺激を受けることができてよかった。(1)山田とうしさんのパントマイムの解説付き実演を目の前で見ることができた、(2)舞踏譜ラバノテーションの活用法(多分に妄想を含む自分なりのアイデア)を思いついた、(3)スポーツ科学の話で、「人間は0.24秒ほどサバを読んだ予測をしている」、「これから力をかけるぞという構えを保持できる時間はせいぜい1秒」、これらの数字の値がマジックナンバー的にひっかかった。

夜はアトリエ春風舎に二騎の会の『直線』という演劇作品を観にいった。観劇後、劇場での打ち上げの席で、知り合いの俳優さんから観客のプロ(?)の方お二人を紹介していただいた。年間に観る作品数は、それぞれ400本と150本。こちらの質問に対して、生き字引のように、いろいろな情報を提示してくださった。すごい。

その後、焼き鳥屋に場所をかえ、親しい俳優さんと飲みながらひたすらおしゃべりした。リフレッシュ!

9月5日(火)
・野菜スープ
・3種類のトマトのアラビアータスパゲティ

野菜をたっぷり採りたくなった。ビタミン不足なのかな。

明日から、稽古休みを利用して、仙台に1泊の予定で出張する。東北大学のクリーンルームと感覚ミュージアムの見学も兼ねた、さきがけメンバーとの研究会が開かれる。MEMSについての最低限の予習も、これからしなければ。
2日分、まとめて更新!

9月6日(水)
・居酒屋メニュー

仙台は寒かった。夜は20度を下回っていたのではないだろうか。居酒屋ではまず最初に熱燗で温まった。昼の牛タン屋さんも「本場の味!」がした。熱いお茶に漬物もおいしかった。和の食事。

さきがけメンバーとの集いは、私のなかで重要な位置を占めている。自分のことは自分で処理しなければならない(つまりお互い直接的には何も助けられない)ことを再確認すると同時に、それでもどうかみな各人のフィールドで華を咲かせられたらと願わずにはおれない。さびしいけどすがすがしい気持ちになれる場だからだ。

もちろん「知識」もたくさんもらえる。クリーンルームに入る前に、MEMSに関するレクチャーがあり、大変助かった。クリーンルームに入っただけでは、何がどうすごいのかピンとこなかっただろうから。自分の備忘録のため、レクチャーの内容を簡単にまとめると、、、。

半導体技術のなかには私たちの耳になじみのあるLSIがあるが、そのほかにも最近注目を集めるようになったものとして、MEMSがある。LSIが限られた平面積のなかにどれだけチップの集積率を上げるかが問われているのに対して、MEMSは層を重ねたり削ったりしてできる隙間の立体構造を利用して、微小な機械的動きを作り出すことができる。昔の宝石職人のような技術だ。文字通り繊細なアート。イメージ的に分かりやすい応用例としては、マイクロ加速度センサや、アメーバ細胞をつまむことのできるピンセットなどがある。

クリーンルームは、おっそろしい材料をふんだんに使う装置類でひしめきあっていた。やはり滅多に見学できるものではないらしい。騒音と閉塞感あふれる場所で、感化されやすい私は早いうちからめまいと頭痛がしてきた。もうひとりのメンバーもそのようだった。でも、案内してくれたNさんいわく、そんな場所で2日間こもりっきりで「作品」を作ることもあるという。心頭滅却すれば火もまた涼しい。先端技術の研究者は身を削る修行僧みたいだ。

その後、今回は参加しなかったさきがけメンバーの方(アーチスト)からおしえてもらった感覚ミュージアムというところに見学にいった。五感を研ぎ澄ます(取り戻す?)ことがテーマのようだ。精神浴という何やら怪しげな説明のあったハート型のドームスペースが一番気に入った。ドームのなかに入り、寝転んで時間を忘れてただぼけっとしただけ。疲れているのかな、いつまでもそこにいたい感じがした。他の3人も寝転んでじっとしていたけど、何を思っていたのかな。

9月7日(木)
・たぬきそばとミニカツどんセット
・赤ワインとチョコレート(ブルーベリー、ラベンダー)

仙台から帰京。今日も稽古はなし。休みを利用してふらりと温泉にでも浸かろうかと思ったが、それでは「癒されたい病」にかかったみたくなるので、やめた。その代わりといってはなんだが、バラの香りのする香水を買ってしまった。金のふたのついた、ピンクのボトルも気に入った。これからひと吹きしてうっとり眠ろう。

やたらピンク色が気になる日だった。つけすぎに注意しないと。

(自分の胸に手を当てなくても、思い当たる節大有り。フィールドワークの仕事以外に、査読の仕事もまわってきてて、そっちにはとっても取り掛かりたくない気分山盛りなのだ。現実逃避してるばかりではだめなのだが。。。)
9月8日(金)

・新さんまの塩焼き定食

8時前には稽古が終了した。データバックアップ作業のなかの、機械にまかせていればいいフェーズに入ったときに、そそくさと駒場の商店街で夕食を済ませて劇場にユーターンした。新さんまはふっくらとしておいしかった。家庭を思い出す味だなあ。秋なんだもん。庭の植物は元気なのかなあ。草ぼうぼうになってるんだろうな。

新作の稽古は遅々として進んでいる感じだ。ずっと稽古を見続けていると、自然な人情なのかもしれないが、情が移ってしまう。「よい作品に仕上がりますように」というお願いモードに入るのだ。自分がからだを動かすわけではないので、ただ願うだけ。それでひとつ困るのは、相手からデータを「取る」ことが自分の意識のなかで二の次になってしまうことなのだ。でもそれじゃあ、私の存在意義がなくなるので(≒あんな大量の機材で稽古場を占有しといてなんなのよということになるので)、クールにバランスよく対処しないといけない。いいデータがとれるかどうかは、作品の成功とはまた別の問題なので。

自分がお願いして大量の機材と助手さん込みで稽古場に乗り込んだくせに、いざ俳優さんや平田さん(演出家)が協力的に機器をつけてくださると、いまだに「え、ほんとにいいの?」と不思議に思う。だって、本番を想定した本物の稽古なんですよ。邪魔なはずなのによくオッケーしてくれたなと。次に、協力してくれたことへの感謝の念がふつふつと。つまり、毎回「え、ほんとですか、ありがとうございます」という気持ちになる。

何度稽古にいっても新鮮に驚きと感謝の気持ちが味わえるのは、私自身の人生経験としてはそれはそれはありがたいことだと思う。「退屈」がありえないから。だけど、現場に「慣れなさすぎ」なのも、やはりどうかなとも思う。ある種の学習能力が決定的に欠けている感じがする。もう少し落ち着いてどーんと構えられたら。。。うーん、結局自分でもいったい何を言いたくて書き始めたのか分からなくなったので、もう寝ます。
9月9日(土)

・居酒屋メニュー

こまばアゴラ劇場からスタジオ走り穂(演出家自邸)へと稽古場の移動に伴い、機材の引越しをした。計算してみると、3時間でバラシ、搬出、搬入、組立をおこなったことになる。搬出、搬入時には劇団の方にも手伝っていただいたおかげで、思ったより早めに片付いた。自分でいうのもなんだか、すごい。以前なら考えられないくらいのてきぱきさ加減だ。

夕飯は夜遅くやっとありつけた。神泉、円山町界隈は遅くまでやっている店がたくさんあって、このときばかりは助かった。「自分たちは偉い」と素直に認め合って、同行者と乾杯した。労働でたっぷり汗を流したあとは素直になれる。ビールもおいしかった。

10日、11日と稽古休みを利用して、岡山の息子に会いに行く。11時半に夫と岡山駅で待ち合わせしたので、7時には出ないと。今から眠ったら、寝過ごすこと必至。このまま徹夜して新幹線に乗ることにする。無理やりおしつけられた仕事だったら「これ以上吹き出物が増えたらどうしてくれようぞ」とその状況をもたらした人間を呪ってしまうこともなきにしもあらずだが、大好きな人に会えると思ったらまったく苦にならない。よろこびの徹夜だ。ゆうくん、待っててね。いっぱい遊ぼうね。
3日まとめて更新!

9月10日(日)
・ごはん
・鮎
・馬刺し
・焼きなす
・あといろいろ

夫といっしょに実家に行った。隣のおじちゃんが釣った鮎(高梁川の地鮎!)を持ってきてくれたので、焼いて食べた。熊本から取り寄せた馬刺しもあり、ごちそう度の高い夕食だった。ありがとう。ただし、馬刺しはほとんどゆういちろうが食べてしまった。私たちは大人なので、その様子をにこにこしながら見守っていました。人の親になったことを実感する瞬間でした。

9月11日(月)
・ごはん
・牛肉といとこんにゃくの甘辛煮
・筑前煮
・蒸かしかぼちゃ
・あといろいろ

実家の母が牛肉といとこんにゃくの甘辛煮を作ったら、ゆういちろうがそれはそれは気に入ったという話を聞いていたので、この日作り方を教わった。油で炒めず、最初からしょうゆとみりんで煮ていく、思ったよりさっぱりした味だった。お好みで、ごま油をたらして誤魔化すことも習った。お腹にもたれることなくいくらでも食べられる味だった。ゆういちろうもまずはそれだけ「がー」と一皿たいらげて、次にゆっくりとご飯を食べるやり方をしていた。よほど好きなんだな。奈良に帰ったら作ってあげるね。簡単なので、助かるわ。

徹夜でリズムが狂ってしまったのか、やたら眠くて、午前中も10時半ごろまで寝たし、午後もたっぷり昼寝をした、やはり母親。私の顔を見て、とにかく根菜類を食べなさいと、たくさん作ってくれた。隣のおばちゃんの作ったかぼちゃはただ蒸かしただけなのに、ほくほく甘くておいしかった。

9月12日(火)
・ラーメン

今日は昼ごろに岡山を出発し、夜からの稽古に備えた。稽古は10時半ごろ終わり、なんやかんやと作業をして、11時過ぎに稽古場を発った。小腹が空いていたので、ラーメン屋に立ち寄った。同行者が気になっていた店で、池尻にあるという。ネットの情報によれば、有名な店で、横浜の「家」系列に入るラーメン屋らしい。のこのこ着いていった。

豚骨にさらに鶏油も加えたこってりにごったスープに、平べったいふと麺がつく、かなり食べ応えのある品だった。が、いかんせん、今日の私の体調とは相性が悪かった。最後まで食べられなかった。好奇心で着いていって、こともあろうに残してしまい、自己嫌悪。

ラーメンでまだ「感動」したことがないのだけど、もしかして期待しすぎるからなのかもしれない。普通に家族でラーメン屋に入るときは普通においしいねと言いながら食べるのだが(肩の力が抜けてる)、いわゆる有名店にわざわざ連れて行ってもらうときは、普段食べるラーメンの何倍もおいしいことを期待してしまい、肩透かしをくってしまう。あと、年齢のせいか、済んだあっさりスープのほうを好むようになったのかもしれない。

それにしても深夜にご飯を食べるのは不健康だ。俳優さんたちはどうしてるのかな。夜はいさぎよく食べないのかな。
9月13日(水)

・赤ワイン(グラス)
・じゃがいもとアンチョビのグラタン
・ラム肉と野菜のクスクス
・ジントニック

あまりお腹が空いていないのに、ご覧のような高脂肪高カロリー食を採ってしまった。先日岡山に帰ったとき、夫からも実家の母からも、外食中心のこの生活を続けてたら病気になるよと言われていた。フィールドワークに出かける前より、確実に太ったというか、むくんでいる感じがするよと。自分では鏡のなかの自分を認めまいと抑圧していたが、やはり「確かにそうかも。。」と思うようになった。とくに今晩電話で二人からそれぞれ矢のような小言を言われたのが効いた。パスタばっかり食べてるんじゃないかと。だめだと。運動しないんだったらせめてご飯の前にキャベツを採れと。ゆういちろうのためにもちゃんとしろと。

からだが求めていないのに惰性で食事するのは精神衛生上もよくない。鍋でも買って、茹で野菜をたっぷり作ろうかな。

それにしてもなんでお昼にパスタばかり食べていることが分かるんだろうか。私はすぐばれる嘘しかつけないのだろうか。悪いことはできないなあ。
9月14日(木)

・赤ワイン(グラス)
・ハンバーグセット

昨日の決意はどこえやらと思うことなかれ。今日は、これは!と思える店(オールドファッションなステーキ屋)に出会えたので気分はよい。予想どおり、小細工のない素直なハンバーグだった。からだにいかにも悪そうな脂は感じられず、胃もたれがない。値段もファミレス並みの庶民的なもの。

要は、今晩のように食に対して積極的に関わり、高カロリー食も自己責任だと納得してありがたく食べていると、こころの安寧がもたらされ、昨晩のように消極的理由かつ惰性的気分で店を選ぶと、後ろめたい気持ちになり、病気になるかもしれない病にとりつかれる。それだけのことのような気がする。

昼間は、地元のサラリーマンたちに愛される感じの小料理屋でむつの煮物を食べて、幸せな気分になった。明日のお昼はそこのいわしの刺身定食にしようと思う。やはり肉も魚も大好きだ。野菜も好きだが、ベジタリアンには絶対になれないし、なろうとも思わない。将来否が応でも飢えを経験するかもしれないという茫漠とした不安があるのかなあ、いまは多少利己主義的で意地汚くても幸せな食の思い出をせっせと作っておきたいと思うのだ。たぶんそれが生きる希望につながるはずだと、これまた茫漠と信じているので。

昨日も今日も稽古は休み。稽古場が変わると、その空間に慣れるのに私自身は時間がかかるほうだ。ただその場にいて見ているだけといえば確かにそうなんだけど、パースが変わると見事に混乱する。なんでこんなに適応力がないんだろう。演出家や俳優のみなさんはどうなんだろう。生物界の掟と同じで適応力のあるものだけが生き残っているのだろうか。

だから稽古が休みだと、稽古場にすっと入りこむべく、テンションを静かに保っていられる工夫をそのあいだにしておかないと、フィールドワークを乗り切れない。さいわい、今回の作品は時代物で、いろんな角度から下調べできる。というか下調べすればするほどますます面白くもなり空恐ろしくもなる作品だと思う。表面的には今まで以上に「薄っぺらい人々」による「軽薄なおしゃべり」をしている作品なので、うっかりしていると本当に何も残らない。こわ。観客の反応が今からとても楽しみだ。

他にもいろいろなことをした。

もうすぐ弟夫婦に二人目の赤ちゃんが誕生するので、お祝いの品を選んだ。ただでさえ赤ちゃんの誕生は世界を明るくさせるのだから、身内に生まれるのは格別だ。わくわくどきどきする。(そのぶん小さい子が虐待されたニュースを聞くと、なんと不公平なと、かわいそうでじわっと涙が出る。)

デパートで、それはそれは肌触りのいい肌着様のものを見つけた。これにする!っとレジに持っていこうとして、なにげなく値札を確かめたら、なんと3万ウン千円もした。かわいい甥っ子のためにはおばちゃん一肌も二肌も脱ぐわよという意気込みでもの選びをしていたが、気勢は一気にそがれた。いくらなんでも肌着一枚3万円は高すぎ。びっくりしたあ。他のエリアで慎重に物色したら、もっとぴったりくるよいものが出てきた。結局丸く収まってよかった。

フレグラントガーデン』という本を買って、うっとりと眺めた。将来自分んちの庭は私的な桃源郷にするんだと心に決めた。しかし井上靖監修の『庭園』のなかに含まれる岡本太郎の短いエッセー「『庭の美しさ』について」を読んでその決心は簡単に揺らぎ、庭に関するもっと詳しい論考は他にないかと探したら、『日本の伝統』に収録されていたので、ばばっとそこだけ読んだ。太郎ブームで助かった。ただし、今日的全人的課題としての庭は何なのかということに関しては、他稿に譲るとだけあり、肩透かしをくらった感がある。自分で考えなさいということか。

最近、住宅や庭に関する本や雑誌を読んでも、是非とも自分んちに取り入れて真似したいとグッとくるものがなくなった。なんかピントがずれたものばかり。昔はいろいろな雑誌や本の写真を見て、ビジュアル的に憧れてたけど、今はそれがなくなった。もちろん参考にすべきものはちゃんとあるけど、人のしていることをそのまま真似ようとは思わなくなった。自分たちで作りあげなさいということか。

せちがらい世間から自分を守るために逃げ込む場所ではなく、植物をお伴にもっとケロっとしていられる居場所を作りたい。日記を書いていたら、何かヒントが見つかるかなと思ってたけど、今日はまだ無理みたい。今いえることは、すがってはだめだということ。日記を書いて、アップする行為にすら。

あ、思い出した。ついでだからこれも書いておこう。

今日、息子が選んでくれたスイカのハンドバッグ(お気に入り!)を持って渋谷の町を歩いていたら、「素敵なバッグですね」と初老の男性から声をかけられた。そこまではよかったが、そのあとがいけなかった。「ちょっとお話していきませんか。とてもさみしいんです。プレゼントもあげるから。」 びっくりしてとっとと逃げました。自分に隙があったのかなあ。すがってはだめ。すがられてもだめ。
9月15日(金)

・野菜炒め定食

駒下にある学生食堂で食事した。野菜をいっぱい食べることができて満足だった。お昼はさんまの塩焼き定食。さんまのおいしい季節になったなあ。

精密機器を扱う今日の収録は、ばっちし決まって、うれしかった。照明やら対象との位置関係やら、もろもろの要因がうまい具合に重なったようだ。急にいまの稽古場が気に入ってしまった。あと、今日はずっと立ってフィールドノートをつけていった。そうするとぱっと視界が開けて、腰や肩に違和感を覚えることがなくなった。これまで新しい場所に慣れない、慣れないとぶつくさ書いてきたが、単純である。立てばよかったのだ。
9月16日(土)

・寿司(にぎり)

稽古は休み。新作読解の下調べに費やした。時代背景の下調べをしたからといって運動解析の質と直接リンクするわけではないし、安易にリンクさせるのはとてもまずいことだと思う。しかし、かといって文脈を無視して動きしか見ない極端な形式主義に陥るのは避けたいとも思っている。いろんな「知識」を多少なりとも仕入れた上で形式主義をとるのと、新しいことを知る努力をまったくしないで自分の専門分野だけの世界で形式主義をとるのとでは、出てくる成果は違ってくるんじゃないか。信念の問題かもしれないが。

いや、あまりごちゃごちゃ言うまでもなく、ようは正直にいうと、『ソウル市民』の3部作の舞台となっている1909年、1919年、1929年が歴史的にみてどういう年だったのかに関する最低限の教科書的知識すら私は持ち合わせていないという自覚が、遅ればせながら私を下調べに向かわせているのである。研究者としてというより、「教育」を享受することのできた現代を生きる人間(日本人?)としてそれじゃあだめだろうと。ものを考えるための足腰弱すぎと。(近未来を描いた科学物シリーズでは、自分たちの住んでいる日常世界と大差ないところが舞台と選ばれていたので、その手の反省をする必要はなかった。)

昼も魚だったが、夜になってもどうしても魚が食べたくなった。思い切って鮨屋にひとりで入った。とてもおいしかったけど、長居したくなかったので、ぱぱっと食べて出て行こうとしたら、隣に座った熟年のご夫婦が、私を卓球の愛ちゃんに似ていて親しみがわくといって引きとめ、お酒とおしんこをごちそうしてくれた。というか他のものもいろいろと食べてみたらと言われたけど、さすがにそれは辞退した。話のなかで、握ってくれた店長さんは「きゅうべえ(字がわからない)」というところで修行した人だとおしえてくれた。寿司の世界のことは全く分からないが、話しぶりからきっとすごいところなんだろう。結局私たちが一番最後の客になり、なんとなくだけどディープな空間になりかけたような気がしたので(どうみてもその店の有力な大金持ちの旦那のような。。)、私は自分のお勘定を済まして一足先に店を後にした。

夫に電話でそのことを話したら、女ひとりで夜ふらふらしてはいけない、隙がありすぎる、たぶんその人たちは大丈夫だろうけど、もしやばい人でやばいことに巻き込まれたらどうすると激しく非難された。今晩は、値段の問題とかそういうことではなく、分不相応なことをしたと反省している。女一人で寿司屋に入るのは暴力的ですらある。自分ではそのつもりがなくても「構ってくれ光線」を強く発していたのか、お店の人も珍客である私にかなり気を遣っている感じがした。

将来の目標。夫と私が熟年夫婦になったとき、たまーに思い出したようにふらりと入ってつまめるお気に入りの寿司屋を見つけること。そのためには日ごろから夫婦仲をよくしておくこと(息子のためにも)。最近どこか調子にのってふわふわとしている感覚があるのは自分でもなんとなく自覚しているので、怪我しないよう改めて気を引き締めたいと思う。明日は査読の仕事を終わらせよう。
2日分まとめて更新!

9月17日(日)
・おにぎり

稽古は休み。読書の1日。夜、テレビも見た。夕食は珍しくウィークリーマンションの自分のうちで、おにぎりをもそもそ食べた。

格言の類を読んで寝るのが好きで、この日読んだのが、新潮文庫から出ている『ゲーテ格言集』。気になったものをいくつかピックアップする。

-----------以下引用------------

想像力は芸術によってのみ、特に詩によって制御される。趣味のない想像力より恐ろしいものはない。 (「格言と反省」から)

われわれは結局何を目ざすべきか。
世の中を知り、これを軽蔑しないことだ。 (「温順なクセーニエン」第1集から)

種をまくことは、取り入れほど困難ではない。 (「親和力」第二部第五章から)

生活はすべて次の二つから成り立っている。
したいけれど、できない。
できるけど、したくない。 (「格言と反省」から)

私はこう勧めたい。何も無理じいをせぬことだ。何もできない日や時には、後になって楽しめないようなものを作ろうとするより、ぶらぶらして過ごしたり、寝て過ごす方がいい、と。 (エッカーマン「ゲーテとの対話」一八二八年三月一一日、から)

半時間ぐらいでは何もできないと考えているより、世の中の一ばんつまらぬことでもする方がまさっている。 (「格言と反省」から)

-----------引用終わり-----------
後ろの二つの格言は、矛盾しているような補い合っているような、いい感じの関係で並んでいた。

9月18日(月)
・イタリアンディナー

夏のフィールドワークもいよいよ大詰めに入ってきた。今日は異例の早い時間に稽古が終わった。これから片付けやらバックアップやらで、まともな時間にご飯を食べることはないだろうから、打ち上げもかねて、最後まで稽古場に残っていた俳優さんも誘ってカジュアルな店で、カジュアルな内容のイタリアンディナーをとった。素直に普通においしかった。私たちにはちょうどよい感じだ。欲を言えば、店の人がもう少しフレンドリーな感じだったもっとよかったのに。がんばっているんだけど、ふとした瞬間に詰まらなそうにしているのがこちらにも分かってしまい、ちょっと残念に思った。お店を辞めたがっているのかなと勝手に妄想をいだく。

スターバックスで深夜5時までバイトをしている俳優さんのことを思い出した。今日も、そのお店の一本道を挟んだ前を通ったのだが、きびきび働いている様子が遠くからでも伺えた。客の立場がすると、やはり楽しそうに働いている人に接客してもらいたいぞ。

息子の声を聞くために岡山の実家に電話したら、レゴブロックで飛行機を作っている最中だったみたいで、「いまはだめ」と電話に出てくれなかった。つれないやつだ。
9月19日(火)

・野菜カレー&ナン

稽古収録帰り、10時前、駒下の定食屋はあいにく閉まっていた。ウィークリーマンションの裏手にインド人のやっているカレー屋があると同行者がおしえてくれ、さっそく行ってみた。券売機で欲しいものを買うシステムだった。千円以内でおいしいものを出してくれる店に出会えて、ラッキー。でもやっぱり夕食は8時までには食べ始めたい。1ヶ月以上台所仕事から離れていると、最初はうれしかったけど、だんだん虚しくなってくる。帰宅後は、よろこんで料理を作るわね、待っててね。

すくっと立って稽古をみることにしたら、首肩腰の調子がすこぶるよくなった。座って、首を見たいほうに曲げてものを見るのは、要所要所の関節に無理な力が入ってしまうことだったんだ。座ると楽かと思いきや、かえって集中力を欠く事態を招いていたのだ。姿勢には十二分に気をつかうべし。
9月20日(水)

・ほうれん草とマッシュルームのカレー&ターメリックライス

稽古が休みで、ひたすら部屋にこもって収録したビデオを観ていた。夕食は遠くにいく気がせず、二日目の残り物カレー感覚で、昨日と同じ店でカレーを食べた。このあとも、ビデオを観る。火がついてしまっている。
9月21日(木)

・おにぎり
・プチトマト

今日も稽古は休み。昨日の続きで、収録ビデオをひたすら観た。途中、なんでこんなに私は陰鬱な気持ちになるんだろうと不思議に思って、ハタとあることに気付いた。食事を取っていない! 時計を見ると、夜11時を回っていた。

昼間買っておいたおにぎりを部屋で食べた。じーんとしみいるおいしさ。空腹のときにものを食べるとこんなにおいしいのか。と同時に、下のスーパーで手に入れたプチトマトの大半は全く味がしないことも判明。昼間おやつに食べたとき、あまりに味がしなかったので、もしかして亜鉛不足による急性味覚障害でもおこしたかと自分の舌を心配していたが、おにぎりの味、ごはん、海苔、梅干、シャケの味はしっかり感じられて、トマトだけ全く感じないことはないだろうから、たぶんトマト側に問題があるのだ。

ごはんを食べたら、すぐさま元気がでた。うーん、危ない。単純に根詰めすぎだった。いまひとりの時間を持てている分、ほおっておくと好きなことに夢中になり時間帯がめちゃくちゃになる。それにこれから帰ってまた世話になる間借りしている研究所はスーパーフレックス制で結果さえ出せばいいという雰囲気のあるところ。私は息子の保育園のおかげで健全な社会生活を営めているのだと思う。息子が私を真人間になるよう仕向けているのかも。
9月30日(土)

・赤ワイン
・かぼちゃのポタージュスープ
・サーロインステーキ、しょうゆトマトソース
・バジル風味のスパゲティ
・ベビーリーフとマッシュルームのサラダ
・コーヒー

ひさびさの更新。今週月曜に帰宅してからというもの、夜型から朝型のリズムに変える苦労を味わい、おまけに風邪を引いたり、夫の仕事が忙しく家事全般を私がすることになったり、仕事でも事務処理に追われたりで夜寝る前に日記を書くひとときを楽しむどころではなかった。風邪を悪化させないためにも睡眠時間の確保のほうが急務だったのだ。

で、ようやく休みがきた。気合で風邪を押さえ込んだ感じだ。日中は草ぼうぼうの庭掃除をし、夕方から美容院に行き、夕食夫が作ってくれた。やはり日記ってどこか余裕がないと書けないもんなんだな。