料理ネタ


2006年11月

11月1日(水)

・白ワインのち赤ワイン
・魚介のブイヤベース
・ショートパスタ、ゴルゴンゾーラソース
・生ハムとマッシュルームとルコラのサラダ

和食が続いたので、気分を変えて洋食にしたが、「白いご飯が食べたいよお」とゆういちろうには不評だった。分かりましたがな、明日は湯豆腐でも作るよ。

るすといへ ここにはたれもおらぬといへ 
五億年たったら帰ってくる

高橋新吉という詩人の『るすの詩』の解釈をめぐって夫婦で話し合う。私は仕事で集中したいときはよく、電話がかかってきたら隣の国会図書館にこもってると言ってくれと助手さんに頼んで、喫茶店で構想を練ったりしているのだが、上の詩はこの手の居留守と関係あるのかどうか。つまり、5時間たったら帰ってくると、5億年たったら帰ってくるとは、どこまで違うかが議論の争点だった。
ひさびさの更新

11月2日(木)
・豚しゃぶや湯豆腐など

翌日からの長期出張を前にして、夫が2種類の鍋を用意してくれた。断言するが、香りの飛んでしまっている半端な安マツタケ(ただし十分にお高い)を求めるよりは、普段スーパーで買うものの2,3倍のお値段はするがしっかりしたシイタケを使って料理したほうが、びっくりするほど満足感が味わえる。湯豆腐に使った昆布とシイタケから、それはそれはおいしい出汁が出て、それにポン酢しょうゆを少量たらしたおつゆを飲みながら、「半端なマツタケの土瓶蒸しよりも絶対これおいしいよねえ」と言い合いながら食事した。コストパフォーマンスよろしすぎ。同じ頃息子は口をあけると「お肉ちょうだい」を発し、それ以外はひたすら黙々と口を動かしていた。

11月3日(金)
・懇親会メニュー

お昼前に駒場のアゴラ劇場に着き、劇団の方や手伝ってくれる人たちとの打ち合わせを済まして、市ヶ谷へ。年1回の割合で開かれるさきがけ領域会議で研究の進捗報告をおこなった。うそをついてもすぐバレてしまう人々を前にしての発表なので、変に防御せず(=やっていることを必要以上に意味ありげに見せず)、素直に進捗状況を提示した。アドヴァイザーの先生から、たくさんのコメントをいただいた。長期出張の始まるどんぴしゃのタイミングで、アドバイスをもらえたので、助かった。データを全部とり終えたあとで、「全然だめじゃん」となったら立て直すのがむちゃくちゃ難しいが、これから後半追い込みの稽古が始まる今この時期なら、なんとか持ち直せる。

領域会議やさきがけのメンバーとの研究会は通常泊り込みで、自分たちの研究状況を報告しあい、夜が耽てもおしゃべりを続ける会合である。これらの会合に出席すると、ほんとうに心地よい気分になるし、非常にためにもなる。私の研究の意義を、当の本人である私の理解を超えて、こういうところがおもしろい、こうすればいいんじゃないかと各方面からばんばん言ってもらえるのだ。自分より格段に頭の回転が速い人たちに囲まれるので、ときどき話しをしながら置いておかれることもあるのだが(悔しいことにときどきホントにきょとんとなる)、置いていかれないようにがんばってチューンしていこうとするのがなんとも心地よいのである。それにこっちで思いついたことをそのまま脊髄レベルで話しても、相手のほうで勝手に話を継いでおもしろい方向に展開されていくので、とっても楽。

11月4日(土)
・イタリアンメニュー

昼間は、領域会議の続き。前日自分の発表が終わって、ほっとして夜遅くまでおしゃべりしてしまったので、午後のセッションではときどき眠ってしまった。(コドモだ。自分勝手というかやりたい放題というか、すいません)。

会議終了後、羽田に向かう。5日の午前中に福岡で学会発表があるから、4日中に行っておきたかった。なんだかんだと時間がかかって、ホテルのチェックインが済んだのが、9時ごろ。ホテルの食堂でご飯を済ませた。

この日の稽古の収録は、助手さん2人に任せた。全部ひとりでやっていた頃とは違う感覚だ。

11月5日(日)
・焼きうどん、梅干など

午前中のポスター発表では、貴重な情報を1件いただいた。お互いの文献リストの交換ができることになった。地味にでも発表は続けるものだ。自分の勉強不足を補ってくれる人が目の前に現れてくれるから。それにしても、今回聞きに来てくださった先生もそうなのだが、「意図的なランダムな行為」というタイトルは、自分が想像した以上に人を惹き付けるようだ。名前負けしないようにしないと。

トンボ帰りで東京に戻り、稽古の現場にたちあった。これからますます面白くなる予感おおありの稽古場の雰囲気だった。

11時半にようやく、ウィークリーマンションの自分の部屋で、24時間オープンのスーパーで手に入れた焼きうどんにありつけた。
11月6日(月)

・おにぎり二つ

11時半前に帰宅。食事は稽古場で休憩時間に済ませた。真夜中に居酒屋でこってり系の食事という前回のフィールドワークの反省をもとに、今回のフィールドワークでは節約とダイエットを兼ねて、昼食は手作りし、夕食はまともな時間に少量摂ることにした。しかも若手中心の作品の稽古では、若い女優さんのきらきらオーラをたくさん浴びることができるのである。きっとこれで12月半ばのフィールドワーク終了後には、息子のゆういちろうさえ気付かない素敵な私になっていることであろう。今から楽しみである。

と、しょうもない妄想を抱いている場合ではない。今日は一日中頭がガンガンして困った。風邪でもひいたのか。ついでにいうと、右目の目頭にも前から出来物ができていて、今日はひときわ赤くなっていた。うわ、プチお岩さんになるのかと心配していると、いつのまにかカサカサ醜く皮が白くむけてきて、一時的小康状態を迎える、という不気味なサイクルをここ一ヶ月ほど繰り返している。やだなあ。

明日稽古は休みになった。前から決まっていた休みと合わせると、4連休になる。今週末は発表や移動が重なり休めなかったので、ひとまず一時帰宅してゆっくり休もう。無理やりにでもちゃんと休まないと、頭が暴走してろくなことはない。とくに新しいことを試そうとしている時期には、大事なことだと思う。

  るすといへ ここにはたれもおらぬといへ 
  五億年たったら帰ってくる
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11月7日(火)
・わかめご飯
・天ぷらうどん

東京から奈良へ一時帰宅。移動で疲れたので、夕飯は手抜きに徹した。わかめご飯:ご飯に塩わかめのふりかけをまぶすだけ。天ぷらうどん:近所のコープで出来合いの天ぷらと刻みねぎを買ってきて、冷凍さぬきうどんを解凍したものに乗せ、市販の昆布だしを薄めて暖めたものをかけるだけ。例によって例のごとく、ゆういちろうには大受けするのである。

東京は半そででもよい汗ばむ陽気だったのに、京都駅に着いたらむちゃくちゃ冷え込んでいた。自宅はさらに深々と冷え込んでおり(とくに1階の床)、ヒーターに手を出してしまった。

11月8日(水)
・キムチ鍋

朝晩ぐんと冷え込んでいる。厚手のコートを羽織ってもいいぐらい。急な気候の変化だ。

午前中は、右目が気になるので眼科を受診した。両目ともアレルギー反応を起こしているとのこと。空気中のほこりに反応しやすくなっているらしい。睡眠をたっぷりとるようにと指示が出た。これ以上たくさんとっていいのだろうかという逆の心配が。また、甘いものを控えろとの指示も出た。なんでばれたんだろう。

甘いものの反対は辛いものなので、キムチ鍋にした。夫の仕事は忙しく今日も遅いので、ゆういちろうと二人で。今日は、まともに作った。昆布だしをとって、豆板醤少々、キムチを漬け汁ごといれて、味噌で味付けした、東アジアの友好を絵に描いたような鍋だ。豚バラで出汁に深みを与えるのがポイント。

ところが、ゆういちろうはご飯ばっかり食べて、あまり鍋の中身には手を出さなかった。あくまで和風にこだわる男である。了見の狭いぞといいたい。
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11月9日(木)
・日本酒
・しゃぶしゃぶ
・ぶりの刺身
・〆うどん
・バースデーケーキ

ゆういちろうの4歳の誕生日会をおこなった。本当の誕生日は11月15日だけど、今年はその日は家族で集まれないので。4歳になったのだ。私たちにとってはあっという間だけど、赤ん坊から4歳までのあいだにずいぶん成長変化している。もう彼は、私たちにおむつを変えさせることは絶対に望まないのだ。

誕生日メニューを何にしようかいろいろ考えた結果、一般的な洋風のごちそう(ローストビーフとかローストチキン)なんかより、本人のもっとも好きなごちそうにすべきだということに話がまとまった。隣町のデパートに行き、普段手を出すことのない上等の牛肉を買って、しゃぶしゃぶにすることにした。ゆういちろうは先日の豚しゃぶ以上に「おにくちょうだい」をしつこく連発。そんなに欲しいんだったら、私の分もあげるよと、自然と優しい気分になれるのだから、不思議なものである。日本酒も「厳選」したかいあって、われわれには肉がなくても酒があると、お互い幸せな食卓を囲めた。

最近私たちの胃袋は断然和食モードだ。そのノリで和食器にもよく目がいく。私よりもエレガントな目をもつ夫が選択することが多い。私の場合、自分の目より、ブランドに頼ってしまう傾向があり、保守的でつまらない買い物になりがち。おおいやだ。自分でもそこをなんとかしたいと思っている。

ケーキは、隣町にあるガトー・ド・ボアに注文した。ここのショートケーキはうなるほどおいしいが、記念日系のケーキもじゅうぶんおいしかった。今年のクリスマスケーキはここに注文しようっと。奈良の郊外の田舎町に思い切って土地を買い、永住することに決めたのも、ここぞというおいしい店(個人でがんばっている)が近くに点在しているという理由も大きいんだよなあ。一方で、思い立ったらすぐに興福寺の阿修羅像を見に行けるのも魅力的なのよ。寺社仏閣で渇を入れてもらわないと治らないほど、奢り高ぶった気持ちになることも多々あるので。お調子ものの勘違いの芽は早め早めに摘まないとね。

11月10日(金)
・卵雑炊
・さんまの塩焼き、たっぷり大根おろし添え
・刺身盛り合わせ(少々)
・マッシュルームとルコラのサラダ

前日贅沢をした分、いろんな意味でかる〜い食事にした。さんまは脂がのっておいしかった。そういえば新幹線の電光掲示板に出たニュースによると、真いわしの漁獲量は年々減ってきていて、今年は20年前の1%の量にまで激減しているそうだ。かつてのマツタケがそうだったように、さんまやいわしが高級魚になったらどうしよう。

以前別の媒体でも触れたのだが、私は1987年に出版された長田弘の詩集『食卓一期一会』(晶文社)が好きで、そのなかでも以下に引用する、漢字、ひらがな、カタカナの視覚的効果をうまく利用している「イワシについて」という詩が好きなんだけど、

  イワシについて

 きれいな切り身というわけにはゆかない。
 いつでも弱し賤しとあだ名されてきた。
 出世魚じゃない見かけもよくない。
 赤イワシといったら切れない刀のことだ。

 海の牧草というと聞こえはいいが、
 つまりはマグロカツオサバブリのエサだ。
 海が荒れなきゃ膳にはのせない。
 風雅の人にはついぞ好かれなかった。

 けれども、イワシのことをかんがえると
 いつもおもいだすのは一つの言葉。
 おかしなことに、思想という言葉。
 思想というとおおげさなようだけれども、
 
 ぼくは思想は暮らしのわざだとおもう。
 イワシはおおげさな魚じゃないけれども、
 日々にイワシの食べかたをつくってきたのは
 どうしてどうしてたいした思想だ。

 への字の煮干しにしらす干し。
 つみれ塩焼き、タタミイワシ無名の傑作。
 それから、丸干し目刺し頬どおし。
 食えない頭だって信心の足しになるんだ。

 おいしいもの、すぐれたものとは何だろう。
 思想とはわれらの平凡さをすぐれて活用すること。
 きみはきみのイワシを、きみの
 思想をきちんと食べて暮らしているか?

いまロハスなんかいって浮かれていると、将来ゆういちろう世代の人間からは、80年代のこの詩はぱっと見意味不明で、時代背景を知った上でもバブル期に書かれた説教のひとつとして処理され「ケッ、気取ってやがらあ」ぐらいしか思われないのではないかと危惧している。私の作る食事はゆういちろうのなかにどのような記憶として残るのかなあ。明るく朗らかに、おいしくものを食べられているのかなあ。どんなことに切なさを感じているのかなあ。それは私の感覚と似ているのかなあ。

11月11日(土)
・タイ風カレーなど

右目の出来物は酢酸系の軟膏ですっかり治った。患者である私はもしや失明の恐れがある難病ではないかと心配になって受診したわけだが、医者にとってみれば、ごくごくつまらない症状に過ぎなかったわけだ。こんなにすぐ治るんだったら、さっさと診てもらっていればよかったよ。

東京に戻る。仕事ではうっかりミスが相次いだ。休み明けに新しいことを複数試そうとしたのがよくなかった。反省会と次どうするか会をかねて同行者とともに夕食をとった。大きな事故につながらないよう、気をぎゅっと引き締めないと。

みなさん、言い訳させてください。こういうときは、長めの日記を書いて、まずは気を静めるに限るのです。
11月12日(日)

・シードル(ドライ)
・コンビニのおでんとおにぎり

ウィークリーマンションの部屋でテレビをつけたままもそもそと食事をとった。15畳ほどのゆったりとした居室スペースのある部屋がとれたので(というか、それしか空いていなかった)、部屋で食事をしてもさほど侘しい気分にならない。

今日は稽古休みだった。たまりぎみだったアナログデータ処理(演出家の指示を台本に書き留める作業)と作品読解の読書に費やした。鈴木忠志さんの作品を観にひさびさに新国立劇場に行こうかとも思ったのだけど、なんかこう、今日は劇場に足を運ぶ気が起こらなかったので、やめた。鈴木忠志さんとはかつて利賀村でお会いしたことがあり、アフォーダンスの研究をしていると言ったら、「なんだ、アホのダンスか」とやりこめられたことがある。私の人生の目標だが、年をとってもこういう冗談を気軽に人から言ってもらえるような状態を保ちたいと思っている。

それにしても客として劇場に赴くということは、かなりのエネルギーを要するんだな。演劇マニアには、なれないわ。休日の私には他にたくさん誘惑があって、ふらふらふわふわそのときの直感で行動選択している気がする。気分転換の時間つぶしのつもりでとくに何にも期待せずに入った本屋で、予想以上に面白い本を見つけたのが、劇場から足を遠ざけた最大の原因だ。

『ソウルにダンスホールを:1930年代朝鮮の文化』は必読だ。著者はソウル出身の美術評論家、金振松(KIM Jinsong)という人。1959年生まれ。韓国における近代の成立を真摯に描こうとしている。韓国語の書物が日本語に翻訳されて単純にうれしい。

「『漢城新聞』に繰り返し載せられた、ビロードと中折れ帽の広告は、日本に国を蹂躙される悲憤慷慨や嘆きの中で、現代史としてはその小枝の先っぽほどにも注目されず、1930年代のモダンガールやモダンボーイは、熾烈な(そして知的虚勢に満ちた)知識人の自己苦悩にかき消され、現代に向かう当為性としては、何一つ認められなかった。」p.7

「街に自動車と人の波が押し寄せて行き交い、ネオンのきらめくショーウィンドーをしきりに覗き込む男女は、西洋のファッション雑誌を買い、映画俳優の写真を飾り、スターのスタイルを真似し、ジャズが響くカフェでカクテルを楽しんでいた。見た目や、生活の様式だけをいっているのではない。われわれが持っている考え方、思考の流れは、その底を穿ってみると、今も当時も同じ根っこを持っていたことを見出す。学問、教育、政治、行政に至るまで、根深く浸透している観念的な社会観、知識人のルンペン気質と、大言壮語し、談論風発的に社会を批判する癖、流行とスタイルに対する盲目的な執着、現実とかけ離れた女性主義と、これに対峙する保守的で日常的な視点、儒教的な封建制と結びついているにもかかわらず、近代的な思考に衣替えした文化教養主義、趣味論にとどまっている芸術に対する態度などなど。」p.9

30年代の韓国ではなく現在の日本のことをいっているんじゃないかと眩暈がするようだ。金振松氏、要チェック人物だ。韓国について、いままで自分が知ろうとしなかっただけなんだなあ。おともだちはこんなに近くにいたんだなあ。

(ああ読むべき論文や査読もたまっている。科学者モードに変奏したいのだが、あまり器用に変われない。それどころか、本屋にいったり、劇場にいこうとすらしている。前から欲しかったスズランの香水も買ってしまった。逃避行動? 今晩はバラとラベンダーとスズランの香りにうっとりと包まれることにしよう。明日の朝起きたら、きりりと変身してますように。)
11月13日(月)

・居酒屋でいろいろと

以前のフィールドワークの機材の搬出作業とき、スケジュール的に私と同行者の2人だけではどうにもならない作業内容だったので、ある俳優さんに個人的に手伝ってもらったことがある。今日はそのお礼で、稽古帰りの深夜、前から気になっていたお店にカップルで来ていただいた。

基本的に、私は俳優さんをはじめとする劇場関係者の傍にいることは大好きなのだが、今日もそのことを実感した。ぎりぎりのところで勝負している感じがすがすがしいのだ。私たち研究者は、ある程度勝算の見込みがあって初めてこの世界で生きていくことができる。裏を返せば、どこか保守的な生き方を選んでいる。しかし、芸術を生業としている人たちは、勝算の見込みが私たちの世界よりぐーんと低い。もっといえば、勝算という薄汚いことばを使うことをためらわせるだけの凄みが穏やかな表情の中にある。かっこいいし、憧れるけど、自分はああは生きられないなと思ってしまう。誤解を恐れずに言えば、動かない仏像を拝む感覚で、生きている俳優に対峙している感じだ。賢いのと愚かなのは紙一重だ。

この仕事をしていると、年齢や性の差異を超えて、すごいなあと思える人々に会える確率が高いんじゃないか。だから止められないのではないか、と思う今日このごろである。
11月14日(火)

・カキフライ定食

仕事ではきれいなデータがとれてよかった。今日でアゴラ劇場での稽古は終了した。これからは実寸大の装置で稽古するため、アトリエ春風舎へと稽古場が移動する。それに伴い、稽古後、機材のパッキングをおこなった。

自分たちの機材パッキングの前に、近くの食堂で腹ごしらえした。膨大な小道具をかかえる劇団のパッキング作業とぶつかって、ごちゃごちゃの混乱を避けるためでもある。カキフライはおいしかった。けど、油が今でもお腹にもたれていて、ここちよい眠りの妨げになる予感大である。ありがたみよりも恨めしさが強い。明日から、奈良に一時帰宅(一泊してとんぼがえり)するので、しっかり寝ておきたいのに。。

明日は息子と二人で素うどんにでもしようかな。
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11月15日(水)
・天麩羅うどん
・納豆

新しい稽古場の仕込み日を利用して、奈良に一時帰宅した。夕食は、先だってと同じく、出来合いのもので済ませた。

息子はよろこんで迎えてくれた。保育園の帰り道、ぎゅっと抱擁して、「大丈夫よ。ゆういちろうがいるから」と優しいことばまでかけてくれた。最近、とてもお世話好きで、やたら大人っぽい発言が多い。私がいないとき、父親と二人で寝る際にも、睡魔に襲われがちな父親の背中や肩をとんとん叩いて先に寝かせる術も覚えたらしい。夫いわく、うつらうつらしていたら、ゆういちろうが自分をさすってくれていてびっくりしたらしい。

保育園の教育の賜物だ。年少さん(0歳時、1歳児、2歳児クラス)の寝かせつけにはは「とんとん隊」で参加したり、あらんかぎりの知恵と力を振り絞ってお兄さん度をアピールしているそうな。そういえば先日、公演で遊んでいるときも、アスレチックジムに自分ひとりで登って降りて、「ゆういちろう、すごいでしょ!」と近くにいる初対面の女の子(よちよち歩き)に自慢していた。有能感のかたまりだ。保育士さんによれば、その手の行動は、息子だけでなく、その年代特有のものらしい。

翌朝の出発のときも、誰に言わされたわけでもなく、「がんばりや、東京で。おかあしゃん」「ゆういちろう、リブに行くから」「また迎えにきてや!」とあっさりと物分りのいい態度を見せた。リブとは、今週末から預ける岡山の実家近くにある大型スーパーのことである。おじいちゃんおばあちゃんといっしょにリブに行くと、普段できないガチャガチャを堪能できる。15日夜の電話で確認済み。

ほんとうはおかあさん行かないでと言いたいのを我慢して、私に心配かけないよう健気に演技しているのかと思うくらい、4歳児にしてはあっさりと物分りがいい。でも、単純に、ひさびさに岡山に行って、しばらく濃密にかわいがってもらうのも悪くないと思っている素振りも見え隠れする。あるいは他になにか裏があるのでは。4歳児にしてミステリアス。すっかり翻弄されている。

11月16日(木)
・食堂でいろいろと

東京に戻る。小竹向原にある新しい稽古場(アトリエ春風舎)で打ち合わせ、駒場のアゴラ劇場から機材搬出、春風舎に搬入、組立を終え、神泉のウィークリーマンションに舞い戻った。大型レンタカーを借りたのは正解だった。機材置き場用にお借りしたラックやモーションキャプチャのキャリブレーション用の立方体を全部バラさないでそのまま乗せることができるから。稽古場移動にはどんどん慣れていって、やるたびごとに作業は楽になっている。今回は、持ち込み荷物を最低限に抑えたのもよかった。前々回までは、もしかしたら使うかもしれないという程度のものまで、念のため持って行って、結局使わず、重たい思いだけすることもままあったのだが、3回目となると使うもの、使わないものの区別がさすがにはっきりする。

劇団の人たちの協力も大変ありがたかった。機材置き場の場所を明確に確保しておいてくださったおかげで、スムーズにことを運ぶことができた。ありがとうございます。いつ、どこで、誰に、どのようにこちらの要望を伝えればいいか、3回目にして、おぼろげながらこつをつかんできた。あまりに早く相談しても何も決まってないからだめだし、直前すぎても迷惑をかける。ちょうどよい頃合いがあるような気がしている。

同行者と遅めの夕食(といっても普段より全然早い)をとり、事故のないようあと2週間の稽古収録期間、気を引きしめて行こうと確認しあった。私たちにとって、楽なことはちょっと怖いので。かつて無駄に苦労していた頃のほうが、からだが疲れていた分、余計な気苦労は少なかった。
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11月17日(金)
・鱈の煮付け定食

前日からなんとなく嫌な予感がしていたのだが、危惧していたことが稽古場で起こった。機材の電源ケーブルを養生テープで処理し忘れていた箇所があり、稽古中、俳優さんがそれに足を引っかけ、こけてしまったのだ。怪我がなかったのが、せめてもの救いだった。後からじわじわと、恐怖感が沸いてきた。突き指、手首捻挫、湯のみの破損による怪我、やけど、衣装の汚れなど、あの状況だといくらでも事故は想定できる。魔が差した。油断していた。無事でよかった。

本番前の俳優に事故を負わせる事態が十分あり得たことを想像すると、背筋に冷たいものが走る。謝って済む問題ではない。今回は結果としては無事だったのだが、それは単に運がよかっただけだ。大きな事故につながらないよう、稽古後、機材置き場の位置を変え、ケーブル周りの処理をした。念には念を入れたつもりだが、毎回きちっとチェックするようにしないと意味がない。だいたい稽古収録に協力してもらっていること事態が奇跡的なのだ。

10時半ごろ稽古は終わり、その後作業を始めた。作業完了したら、終電に間に合わなくなっていた。同行者と言葉少なに稽古場最寄り駅のファミレスで食事して、タクシーで帰った。

11月18日(土)
・ホッケの塩焼き弁当

今日は事故もなく過ごせた。おとなしく部屋で弁当を食べた。深夜の食事なので、カロリー少な目のやつにした。

夫と息子は岡山の実家へ。夫は一泊して帰るが、息子はこれから3週間、めんどうをみてもらうことになっている。どうかよろしくお願いします。ゆういちろうへ、岡山でたっぷりかわいがってもらってください。傍にいれなくてごめん。
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11月19日(日)
・しょうが焼き弁当

昼間は宮沢章夫さんの『鵺/NUE』をシアタートラムにみにいった。夜は、いま関わっている青年団新作『ソウル市民・昭和望郷編』の通し稽古をみた。敗れ忘れさられてしまった人がすがるノスタルジーを愛情をもって描く宮沢さん(拗ね方がうまい)と、これから敗れんとす人々の空っぽさを愛情をもって描く平田さん(怒り方がうまい)。お二人は演劇業界のなかでは同じように分類されてしまうことがあるようだが、表現したいことが全然違うような気がするぞ。宮沢さんは現状(そうなってしまったこと)の分析・表現をしたい方で、平田さんは推移(うつりゆくもの)の分析・表現をしたい方なのでは。

宮沢さんの怒りがもっとあっけらかんと外に向かっていること(現代口語演劇を叩きのめすだけのパワーを持っていること)を期待していたが、かなわず。怒りの矛先がご自分に向けられているような、すごく鬱屈しているものを感じた。つまり鵺が他でもない自分自身を祟っている苦しさがあった。メタ演劇の舞台だったので、自己回帰するのは当然といえば当然なのかもしれないが、個人的には、それぞれの表現者の持つ怒りをそれぞれ独特のやり方で屹立昇華させたものが好きだ。

この日も、前日と同じ店でお弁当を買って、部屋で食べた。夜遅い食事が続いている。

11月20日(月)
・きのこスパゲティ

稽古休み。洗濯をしたり、直接仕事とは関係のない本を読んだり、好きなことをして過ごした。

夜、実家に電話して息子の様子をたずねると、なんと、自転車を買ってもらって大喜びの日だったそうだ。私が子どもだったころは、記念日以外にプレゼントを買ってもらったことはなかったのに(笑)。

いつのまにかゆうくんのページに、この前の誕生日会のときの写真が夫の手によりアップされていた。きゅっと引き締まった唇にぷくっとしたほっぺ。思わずぶちゅーってしたくなる。実際あまりにかわいすぎるので、そこには正面写真は載せないことにしている。誘拐が怖いし、幼児モデルにスカウトされたら大変だから(と、本気で心配するのが親心というものだ。たくさんのフィルターで覆われ曇りに曇った目を持っているとでも笑ってくれ)。
11月21日(火)

・ネギトロ丼セット

仕事でまたもや生じた問題の解決法を練るために、稽古終了後、近くのファミリーレストランに行った。仕事に対する自分自身の態度が問われている事態なので、これから粛々と判断を下していかなければならない。クール&ドライ、クール&ドライと言い聞かせないと、とんでもないことになる。なんだか、ついでに食事をした感じだ。

注文した皿が届くあいだ実家に電話した。いつもは遊びに夢中でつれない態度を取るゆういちろう。あんまりしつこく電話すると余計に嫌われるかもしれないと思いつめてしまうほど、ふだんは心ここにあらずのそっけない態度が多い。無理やり電話に出るよう仕向けても、「おかあさん、大好きよ。お父さんに代わるね」など。どこでそんな社交辞令を覚えたよ(もしかして私から?)と絶句するようなそっけなさ。ところが、今日は珍しく自ら電話口に出てくれた! 電話で話ができるだけでうれしい。ひさかたぶりに片思いのときの切ない気分を思い出したぞ。

さて、話の内容だが、

本日の夕食の献立名を挙げたり。おじいちゃん、おばあちゃんと自転車に乗ってどんぐりを拾いに行ったの。自転車が倒れて(注:本人は乗っていない)、どんぐりがかごからばらばら〜と落ちたの。サンタさんはどこから来るの?

などなどたくさん情景描写のことばがならんだ。ボキャブラリーが劇的に増えたなあ。母の補足によると、いい子にしているとサンタさんが飛行機のおもちゃをくれることになっているらしい。うらやましいなあ。ブラックサンタの話をいつか聞かせてやろう。
11月22日(水)

・イタリアンディナー

稽古休みを利用して、緊急案件の対応策をとった。稽古が休みで本当によかった。たぶん今日とった方法が現状では最適なものだと思う。できるかぎりのことはした。もうこれ以上じたばたしても無駄だ。こころを落ち着けて、与えられた条件のもとでよい結果を出せるよう、からだを動かすだけだ。と、ひとまずふっきれたことを祝うため、少し豪華目のディナーをひとりでとった。自分に甘いとはこのことを言う。

それにしても今回の件でしみじみ思ったのは、困ったとき、必ず助けようとしてくれる人々が周りにいてくれる事実だ。「実際に助かった」ことよりも、「助けようとしてくれた」ことのほうが、どれだけ支えになるか。思い起こせば、いままでの人生においてもそうだった。昨日から今日にかけて、ほうぼうに相談に乗ってもらった。急な話にも関わらず、こころよく対応してもらえて、どのように感謝すればよいのか分からないくらいだ。今日直接お会いして交渉させていただいた方は、「こちらとしても血も涙もないわけじゃないんで」と寛容な処置の提案をしてくださった。涙が出そうになった。

仕事人としての人生勉強。
11月23日(木)

・アジの蒲焼弁当

稽古がおして、いつもより遅い時間に食事となった。都会には24時間オープンの弁当屋があって助かる。おばちゃんたち、深夜労働してるんだなあと思いながら、部屋でもそもそと食べた。

我が家のメンバーのなかでもっとも健康的な食事をしているのは、ゆういちろうだ。夫の日記にも書かれてあるが、とてもいい思いをしているようだ。電話口で本人の口から聞いた彼の1日のスケジュールはだいたい次のようになっている。「朝起きたらあ、自転車に乗って、それからご飯食べて、また自転車にのってえ、(略)夕ご飯食べたらあ、おじいちゃんとおばあちゃんとお星様見にいってえ、それからお風呂に入ってえ、歯磨きしてえ、ブロックしてから寝んねするの。」 まるで竜宮城ではないか。月日のたつのも夢のまたうちって感じよ。。

仕事は、おかげさまで事態が好転しつつある。「おかげさま」は、こういうときにもっともふさわしいことばだ。気を抜かず、やり遂げよう。
11月24日(金)

・居酒屋でいろいろと

仕事の臨時手伝いにきてくれたSさんとRちゃんとで、池袋で食事した。ひさびさに鍋など、茹でた野菜をたっぷり食べることができて満足。女3人が集まって話すコトといえば、あんなことやこんなことなど決まっている。うふふふ。ひさびさに「女の子」に戻った感じだ。独特の文字使いをするギャル語の一部を習った。初めて見たら絶対びっくりしていただろう。免疫ができてよかった。

とにかくなんとか切り抜けられそうなので、助かっている。ありがとう。
11月25日(土)

・かぼちゃときのこのドリア

ファミレスで。稽古収録帰りに手伝いに来てくれたRちゃんと終電を気にしながら食べた。からだによろしくないことは分かってるんだけどね、お腹がすくのですよ。

今度の稽古休みには、美食家Oさんに恵比寿の「和」という居酒屋に連れて行ってもらう予定だった。ずっと前からそれを密かに楽しみにしていた。ところが、なんとOさんは手術前で飲酒のドクターストップがかかってしまったというではないか。どうしましょうか?と聞かれても。。。飲みたくても飲めない人を前にして自分だけおいしいお酒を飲めるほど、私は残虐非道ではない。そりゃ子どもだったら行きたかったのにいと駄々こねるけど、そうはいかないではないか。泣く泣くキャンセルのお願いをしましたよ、Oさんの健康のためにも。

信頼するOさんのお勧めの店だからおいしいに決まっているとなーんにも予習していなかったが、行けなくなってからイジキタナクもネットで検索してみたら、やっぱりとてもよさそうなところみたいだ。ここここなどでも、褒められている。くぅーー、一刻も早くよくなって、いつか必ず連れていってください。

他にいっしょに行く人がいたら、僕の名で行ってきたらとも提案されたけど、やめときました。自分だけおいしいものをたらふく楽しんだらただではおかんぜよという念が奈良方面からびしばしと飛んできているのを感じるので。抜け駆けするなということなのだ、今回の件はきっと。なんでばれたんだろう。おとなしくたまった仕事を今度の休み中には片付けろよ、ということなんだきっと。締め切りの催促が来ませんように。
11月26日(日)

・居酒屋でいろいろと

いつもより稽古が早めに終わったので、池袋で、今日で最後の手伝いとなるRちゃんと食事兼飲みにいった。言い遅れたが、Rちゃんは私の従姉妹で急な呼びかけに岡山からかけつけてくれたのだ。お礼をする立場にいるのは私なのに、Rちゃんにちゃっかりご馳走になった(←叔父ちゃんが娘のRちゃんに私とうまいものでも食べるようにとお小遣いを渡してくれたという)。しかも気付くと、ほとんど飲むことなく、お互い弾丸トークを炸裂させていて、びっくりするような時間になっていた。私のほうが年長なので、お姉さんぶりを発揮して、深夜遅く出歩かないように目を光らせておくべきだったのに、ごめんよ。

話が面白すぎた。構造的にいうと、私がこんなことがあったよと鼻息荒く報告しても、その体験などちっちゃいちっちゃいと恥ずかしくなってしまうような、今まで聞いたこともない体験をRちゃんは話してくれるのだ。あまりに荒唐無稽すぎて、かえって小説にならないのでは。人生経験豊富だなあ。私より先に死なないでね、おもしろい話を聞けなくなるから。

Rちゃんは趣味の範囲を超えて絵を描いている。血は水よりも濃いとはよく言うが、Rちゃんの才能が発掘されるよう祈るばかりだ。
11月27日(月)

・和風ハンバーグ定食

稽古終了後、いつものファミレスで。安〜いワインを飲みながら、フィールドノートと台本の内容を整合させるアナログデータ処理をしこしことこなした。この手の地味な作業は、時間を見つけては根気よく続けていくしか方法がない。日記と同じで、少しでも「ま、後からでいっか」と思って油断すると、どんどんたまっていって後で収集つかなくなってしまう。

日常業務の仕事(論文を読んだり、事務連絡をしたり)がたまってきている。ついに本日、とうとう論文査読の催促のメールが来てしまった。書く内容はもう決まっているのだが、実際に文章として書くモードに入れない(言い訳です、はい)。 フィールドワークをメインとするあまり、日常業務頭への切り替えが上手にできないのだ。仕事人としては、未熟すぎる。

フィールドワークでは、自分が何かを表現するのではなく、他人のやっていることをできるだけ漏らさないよう記録する作業をしているので、別の集中力が必要だ。相手に対する興味、外界に対する興味がなくなれば、ぼーっと時が過ぎ去るだけで、何も発見できないというか、頭のなかに残らなくなる。能天気と神経質との両極端で揺れ動く日常の気分を引き摺らないよう、静かでポジティブな精神状態になってから、稽古場に向かうようにしている。

今日は、『ソウル市民・昭和望郷編』の第3回通し稽古だった。本番を迎える体勢に入ってきた。ものすごい気迫が感じられた。ビデオのファインダーを覗きながら、ある俳優さんの顔をアップで記録していたら、泣きそうになってしまった。演劇は残酷なことをする。

ウィークリーマンションの目の前には遅くまでやっている銭湯があり、ペパーミントの薬湯にゆっくりつかった。もちろん気分転換するためだ! よい夢を見たい。昨晩の夢は最悪だった。自分の持ち込んだ機材のせいで多くの俳優に迷惑をかけ、通しがめちゃくちゃになってしまったのだ。寝汗びっしょり。こんなに単純で分かりやすい夢を見るだろうか。

実家との電話によると、ゆういちろうは誰からの助けも借りず独りでもくもくと、消防ヘリ専用のレゴブロックの一部と、普通のレゴブロックを組み合わせて、一人乗り飛行機を作り上げたそうだ。「この子にはスター性がある」といってゆういちろうのことをかわいがってくれる実家の父は、さっそく「いやあほんまに天才かもしれない」と感心していた(笑)。現物を見てみたいので、写真をとっておいてもらうことにした。
2日分、まとめて更新!

11月28日(火)
・ファミレスでいろいろと

収録の手伝いに来てくれたSさんと稽古場近くのファミレスで。Sさんはかつて劇団を主宰していた。ものすごく頼もしい。今後の私の振る舞い方の指針となるべき、どんぴしゃのコメントをもらう。なんか高校生みたいだねと言いながら歓談した。

実家に電話してゆういちろうの様子を聞いた。実家では、「サンタさんは、ゆういちろうがいい子かどうかお空の上から様子をじっと見ていて、ちゃんといい子にしていたら12月の24日におっきな飛行機のプレゼントを持ってきてくれるよ」ということになっているそうだ。それが効を奏して、一瞬だだをこねそうになっても、すぐ治まるらしい。今日は何日かと、カレンダーを前に1日に何度も確かめ、24日が近づくのを待ち望んでいるとのこと。きっときっと私が会いに行く日よりも楽しみにしているに違いない。

11月29日(水)
・ミネストローネごはん

吉祥寺入り前の最後の稽古休み。モスバーバーにノートPCを持ち込み、論文査読の仕事に取り組んだ。体感的には1時間もたっていないように感じたが、ふと気付くと、実際には入店からお茶一杯で4時間もたっていた。周囲も真っ暗だった。頭頂から湯気が出てもいいほど集中していたのだな。あともうちょっとだ。。。新商品だというごはんものを追加注文して、そそくさと食べて帰宅した。

わずかの所持金で長時間ねばってしまった。昨日よりもさらに高校生っぽい行動をとっている。これでよい。私は変身する。マイホームを手に入れるために、節約をこころがけ、貯金に励むのだ。

私信:かつよしさん、もう浪費はしないからね。
11月30日(木)

・タコライス

東京出張の夫が合流。力強い味方の登場だ。待ち合わせは、深夜のモスバーガーで。新商品のタコライスが思った以上においしくて、満足した。週明けまでこちらにいる。喧嘩せずに仲良く暮らそう。