料理ネタ


2006年12月

12月1日(金)

・カップ焼そば

仕事するのが夜に偏り、やさぐれた生活が続いている。

稽古場で誰かがカップ焼きソバを食べていた。おいしそうな匂いに惹かれ、自分の夕食(夜食?)も絶対カップ焼そばにするんだと誓う。硬い決意は揺るがず、本日の食事はカップ麺に。お湯でふやかしたものに「焼」ということばを添えるのは少し抵抗があるが、独特のおいしさがあるなあとしみじみと食べた。

焼そばを食べる前に、夫と二人でマンション向かいの銭湯に行った。12時半で銭湯が閉まってしまうので、食事前にさくっと一風呂浴びることにしたのだ。せっかくなら学生のときもっと銭湯を利用すればよかった。部屋の狭いユニットバスでシャワーを浴びるより、断然気持ちいいぞ。

実家に電話してゆういちろうの様子を聞くと、今日のゆういちろうは早く起きすぎて一日中ぐずぐず文句ったれになっていたらしい。だんだん電池が切れてきたのかな。さびしいのを我慢してるのかもしれない。
12月2日(土)

・焼肉 at 牛角

第4回通し稽古のあと、劇団のひとたちの公式焼肉パーティ(通称:「や」)に夫婦ででかけた。実は牛角は初めて。炭火でわいわい言いながら食べられる店なんだな。肉は人を高揚させる。いろいろと発見があった。肉のことを知らなさ過ぎる。(魚のことは、もっと知らない。)その後、たまたま夫と出身中学が一緒だった俳優さんも交えて、池袋で飲みなおした。長崎でも会いたいな。

あのですね、『ソウル市民・昭和望郷編』はとってもいい作品に仕上がってるのですよ。今日の通しでは、この上なくぞわぞわきました。参ったな。前日みた『ソウル市民』もいいです。『ソウル市民1919』も今回のヴァージョンはまだ見ていませんが、きっといいのでしょう。これでやっと私も韓国・北朝鮮の人々と歴史認識について話し合いの席につける感じがします。近い将来に実現するかもしれない韓国公演の反応が今から楽しみです(もちろん吉祥寺公演も)。ひとつの評価基準が自分のなかで出来たと思っています。

誤解を恐れずにいえば、ソウル市民三部作はもっとも「おもしろくない」演劇群なのです。情けないぐらいに。凡百な道徳家は自分の良心のやましさを直視することができずに激怒するでしょう。でも私たちは、絶対に逃げてはならない、目を背けてはならない。

昼間は、新宿のトップスでポツドールの『恋の渦』を観劇。よくもわるくも全面的に「感性」に頼る「ガキくさい」作品だった。裏読みしすぎて自滅しちゃった。そんなに分かりやすい構造にしちゃうのか。こっちがびっくりするわ。わざとなのかなあ。たちの悪い子どもに体よく騙された感じ。私は自分のことをガキくさいと思うこと多々あるが、ここまで性格悪くないぞ。

きっと作者は大人に対して恨みつらみがたくさんあるのだろう。日和るよりは好感がもてるけど、それがかえって優しい大人の気休めの手段になってしまいそうでもある。大人はそのときの都合に合わせて、感性のよい子どもを好むから。でも強い人ならきっと大人の思惑を乗り越えるだろう。静観あるのみ。もっともっとラディカルにばーんとはじけてほしいな。
12月3日(日)

・居酒屋でほんのちょっと

アトリエ春風舎での最後の稽古収録。いよいよ本番体勢へ。機材を梱包して、小竹向原から駒場へ移動して、劇団にお借りしたラックを返した。明日から吉祥寺シアターで仕込みが始まる。私はその期間休みなので、息子に会いに岡山に行く。
12月7日(木)

・居酒屋でいろいろと

ひさびさの更新。

岡山にいるあいだは仕事を放棄して息子とめいっぱい遊んだ。「だっこしてえ、奈良に帰る、ひとりぼっちになるからあ」と珍しく私に甘えてきた。夜もべったり布団で一緒にいた。無防備に寝息をたてている姿をみて、不思議と自然にいとしく思う。私の人生経験のなかでこれほどまで密着型のコミュニケーションをとった人はいない。この日記だって、将来息子の彼女(あるいは妻になる人)に読ませるつもりで書いているだろうとある人からずばり言い当てられたこともある。そう、私は怖い女なのだ。

仕事ではとうとう吉祥寺入りした。『ソウル市民・昭和望郷編』の場当たりと『ソウル市民1919』のゲネの様子を見学した。『ソウル市民1919』も変な作品だ。見たらすぐ分かることだが、3部作それぞれ劇構造が異なる。分裂傾向はなはだしい(一歩間違えれば病的な)作品群だ。平田さんはあれでよく正気を保っていられるな。いや戯曲を書くことでなんとか正気を保っているというのが正しいのか。

夜は、岡田利規さんの『エンジョイ』を見に新国立劇場に行った。今の若者の特徴は、人からどう思われるかものすごく気になるのに、そのくせ人のことは全く考えていないことにあると誰かが言っていたが、そんな感じの舞台だった。人から品定めされることには抵抗感を示すが、他人(自分自身のセルフも含めて)のことをつねに品定めしてばかり。そのくせ臆面もなく他人に優しさを激しく求める。

『エンジョイ』は社会状況を再確認する分にはとてもよかった。しかし私はあまり優しくない人間なので、作品のなかで描かれているような人々とわざわざコミュニケートしようとは思わず、息子の世代とどうつきあうか何を伝えるかを中心に考えている。なんてったって、ふたたび国家から愛国心を強要される世代なのだ。普通の批判精神があれば、家族が自分のことを愛しているかどうか常にチェックする恥知らずな父親を目の当たりにするのとか、学校の卒業式の練習で、先生が「仰げば尊し」を無理やり生徒に歌わせるのとかと同じ構図で、そんなことするからかえって「国」や「大人」を信じられないし、情けなく思ってしまう。子どもは自然と心から尊敬できるかっこいい大人を求めているはずなのになあ。

でもどんなことがあっても下手に拗ねたりしないようにしよう。今の私のできることは、限られた人生のなかでなるべく多くの時間をかっこいい大人たちと一緒に「無邪気に」過ごせるよう努力することだ。もしみっともない大人と過ごすはめになっても、逆上せず、反面教師にするための観察眼をもてるよう冷静でいること。そしてそのノウハウを子どもの世代に責任をもって伝えること。
12月8日(金)

・居酒屋で初日打ち上げ

『ソウル市民・昭和望郷編』の初日があけた。緊張感漂う幕開けだった。無事に終わってほっとした。仕事でお世話になっている美大のJ先生も見に来てくださった。終演後、いろいろとお話する。みる人がみれば、ぽんぽんぽんと問題点(今後私が「分析」するうえで都合のよい点わるい点の両方)を具体的に指摘することができるんだなあ。いまどっぷり現場に浸かっていて、あまり物事を客観視できていないだけに、非常にためになる。

終演後、宮沢章夫さんと平田オリザさんのトークがあり、宮沢さんは打ち上げにもいらしていた。名刺をもってご挨拶に伺おうと思っていたが、すでに周りにがっちり人がいて全然そういう雰囲気じゃなかったので早々とあきらめた(意気地なし!)。

いま私のなかで、何か価値観のレベルで変わりつつある。演劇の方法論や演劇の歴史に対する興味が前よりも薄れ、それよりもベタに作品の内容について、日本人とだけでなく韓国や北朝鮮の人も交えて、深く話し合いたいと思っているのだ。作品論をちゃんと真正面からやりたい。そうすることでかろうじてこの作品は鎮魂歌として認められるのではなかろうか。謙虚にも傲慢にもどっちともとれる両義的な作品なので、そこをさぼって曖昧にすると、かつて韓国や満州で無駄死にしたそれぞれの国の人々の怨みを買うことになる。
12月9日(土)

・居酒屋でいろいろと

夫もソウル市民3部作を観劇をしに上京。ソウルの浮かれる日本人たちをみて、あまりの情けなさに涙が出たそう。一方で、同じ場面をみて後ろのカップルはことあるごとにゲラゲラ笑っていたそう。客観的に引き気味にみれば、それこそ空恐ろしい状況だ。両者のあいだでコミュニケーションが成立するとは思えない。

ソウル市民の作品群をみて泣く人間は正しい歴史認識をしていて、ゲラゲラ笑う人間よりはオツムが高等に出来ていると少しでも思い込んでしまったら大変なことになる。どうせ彼らは社会のゴミなんだから、彼らが戦地に赴けばよい、そのなかで多少犠牲者が出ようが自業自得ってもんよ、と半端なエリート意識をいだく若者がいつ出てきてもおかしくない。いまを生きる私たちはそれぞれの立場で素で「ソウル市民」を演じているかのようだ。私は憂い顔で悲嘆にくれることに、悦に入っていないだろうか。ひどいことをもたらしていないだろうか。私はどうすればいいのだろうか。
12月10日(日)

・きのことベーコンのリゾットなど

昨日は夫がきていたので、『ソウル市民』と『ソウル市民1919』の合間には「いせや」という立ち飲み焼き鳥屋で一杯やり、『ソウル市民1919』と『ソウル市民・昭和望郷編』の合間には珈琲のおいしい喫茶店でホットワインとギネスを飲み、『昭和望郷編』が終わったら劇団の方々とプチ打ち上げに参加し、その後も3時ごろまで二人でバーで飲みなおすという、だめ〜な時の過ごし方をしてしまった。ただの飲んだくれ夫婦じゃないか。話すことといえば三部作の解釈ばかり。実は私たちはものすごーく仲がよいのかもしれない。口から先に生まれたのかも。

前日飲みすぎたせいで今日は否が応でもリハビリの日。Sさんが手伝いにきてくれて心強かった。ホットミルクを飲むなどおとなしく過ごした。

夫は本日岡山にゆういちろうを迎えに行った。いま既に二人とも奈良にいる。実家には3たび長期間世話になった。家族の全面的な協力がないとこの仕事は成立しない。感謝している。

実家の父がゆういちろうに「おじいちゃんもおばあちゃんもさびしいから帰らないで」と言ってみたところ、「おかあさんやおとうさんがさびしがっているから、奈良に帰る。また来るから。」と優しく言い返したらしい。めいっぱい自分が世話になっておきながら、なんでこんな分別くさい大人のような発言をするんだろう。うむむむ。
12月11日(月)
・居酒屋でいろいろと

フィールドワーク最終日。劇団のみなさんと打ち上げに参加。青年団は私の青春そのもので、毎回刺激をもらいすぎるくらいもらっている。ありがとうございました。かつて学生時代にお世話になった頃は、かならず1作品につき1度は飲みすぎによるひどい「そそう」をしたものだが、今回はノーミス。偉い!

12月12日(火)
・ごはん
・豆腐とたまねぎの味噌汁
・牛肉コロッケ
・茹でオクラ、しょうゆマヨネーズがけ
・きゅうりの漬け物

奈良に帰還。保育園にゆういちろうを迎えに行き、帰り道にコープで買い物をし、夕食を作るといういつものパターンに戻った。自炊の調子が出ず、思い切り手抜きの食卓に。例によって例のごとく夫の帰りが遅いので、ゆういちろうと二人で静かに食べた。

12月13日(水)
・スパゲティなど

出社する予定だったが、朝からあまりにからだが重く、嫌な予感がしたので、有給をとっておとなしく寝ることにした。気づけば、夕方6時までぶっとおしで眠っていた。自分でもすごいと思った。張り詰めていた緊張感がここにきてほどけた感じだ。

今日も夫の帰りが遅く、外で食べてから帰るということだったので、私たちも保育園帰りにイタリア系の食堂に寄ることにした。ゆういちろうのお気に入りの大きなテディベアがないので、どうしたのか聞いてみると、撮影でしばらく貸し出しているとのこと。そんなに由緒あるものだったのか。知らなかった。いくたびごとに食べ物を手づかみした子どもの手(お絞りで拭いているとはいえ)でぎゅっと抱きしめていたけど、にこにこして何にも言われなかったんだよなあ。
12月14日(木)

・ごはん
・豚汁
・生牡蠣のおろしポン酢添え
・数の子明太
・かぶの浅漬け

ひさびさに研究所に行ったが、最初浦島太郎状態を味わった。研究所での日常のペースとフィールドワーク先でのペースは全然違う。ギアチェンジして、日常業務体勢に戻していこう。

夕食は夫が作ってくれた。助かる。家事一般も最低限こなせるよう体を慣らしていかないとな。
12月15日(金)
・サラダ寿司
・昨日の残りの豚汁
・きゅうりの漬け物

とうに締め切りの過ぎていた原稿をひとつ終わらせた。すっきりさっぱり。これで波に乗れるかな。早いとこペースをつかみ始めたことを記念して、サラダ寿司を作った。(サラダ寿司とは、実家での呼び名で、酢飯にほぐした焼き塩鮭、輪切りきゅうりの塩もみを混ぜるだけの簡単な寿司である。)自分ではお祝いのつもりだが、誰も何も聞いてくれないのでここに記す。寿司を作る日はいいことがあった日だからね。

ただひとつ失敗が。サラダ寿司用のすし酢の配分は、米3合分のご飯に対して、「酢大さじ4、サラダ油大さじ1、塩小さじ1.5、砂糖小さじ2」というさっぱり目のものなのに、何を思ったか、手巻き寿司用の甘めの配分「酢半カップ、砂糖大さじ5、塩大さじ1」にしてしまったのだ。

「こんなのママンのサラダ寿司じゃないやい」とこれで私の食欲は減退したが、夫と息子の食欲は全く衰えず。それどころか、食べすぎを心配するくらいの執着ぶりだった。

12月16日(土)
・ごはん
風邪撃退鍋
・きゅうりとトマトとルコラのサラダ

ゆういちろうの通う保育園でお遊戯会が開かれた。ゆういちろうは猫のお医者さん役だった。にゃーと気合を入れてたちまちみんなの病気を治す役どころ。迫真の演技だった。

夜は邪気をはらうため、ひさびさにゆめさんの風邪撃退鍋にした。我が家では、もともとのレシピのほかに、しょうが、マイタケ、シイタケ、豆腐を入れて、ポン酢にたっぷりの大根おろしを添えて、楽しんでいる。

12月17日(日)
・ごはん
・あさりの味噌汁
・鶏の酢照り焼き
・かぼちゃとオクラとピーマンの煮物

夫が作ってくれた。感謝。

夜からぐっと冷え込んだが、昨日と同じく昼間は小春日和で、薄着のまま公園でゆういちろうとボール遊びをした。わ〜と声をあげながらどこまでも走る。子どもは犬みたい。陽気だ。賢いし。私は犬に敬意を抱いている。

ゆういちろうとのあいだで最近、拍子抜けするくらいに普通に会話が成立して、不思議な気分を味わっている。おしゃべりが楽しくてしょうがないようだ。起きている間中、大声で「あのな、○○はな、ねえ、あのな、」とずーっとしゃべっている。テレビを見ながら適当にあいづちをうっていると、「こっち向いて」と両手で私の顔をはさんで自分のほうを向けさせる。
12月21日(木)

・ちゃんこ鍋、〆うどん
・いちご(奈良のアスカ・ルビー)

4日ぶりの更新。仕事と家事をするだけで精一杯で、息子といっしょに自分もバタンキューの日々を送っていた。今晩は自宅研修の夫が掃除と夕食づくりを担当してくれたおかげで、日記を書く余裕が出た。

今日の自慢。じゃーん、なんと宮沢章夫さんの富士日記2(20日付)で私のことが触れられていた! 後のほうで出てくる「Gさん」のGは、後安のGから取られている。宮沢さんの17日の日記を読んで、「あ、そうか。そういうことか」と興奮して、思い切ってメールを出したのだ。思い切ってよかった。

応答してもらえたということは、それだけでとてもうれしいことなんだなあ。「人情」のレベルで喜びを感じ、何度も読み返した。でも、それだけでは済まなかった。少し冷静になって読み返したとき、ぞっとした。

太田省吾さんは『なにもかもなくしてみる』という著作のなかで、作者の「<目明き>ぶり<能弁>ぶりを発揮」した言葉遣いに強い違和を唱えているというではないか。今の私にはとても腑に落ちるフレーズである。

どこにぞっとしたかというと、当然ながら私は『なにもかもなくしてみる』を自分で買い求めて過去に読んでいる。にも関わらず、すっと読み飛ばして自分のなかに何も残されていないということにぞっとしたのだ。これって、一番タチの悪い「無視」の仕方だ。

つまり、何かを書くということは、少なくとも相手を無視していないことになるのだ。たとえ、さらっと触れるだけでも、否定的な内容であっても、そのときの自分のなかの何かの琴線に触れた証拠なのだ。

太田省吾さんの言いたいことを全く無視してしまっていた過去の私は、いったいどんな感受性をしていたのだろうか。宮沢さんが17日の続きを書いてくれなかったら、これから先も何も気づかないままだった。あぶない、あぶない。宮沢さん、ありがとうございました。

書くことでものを考えているタイプの人々の織り成す文章に、とにかく意識して積極的に触れるようにしておかないと、頭がすぐ濁ってしまう。富士日記2は要チェックサイトだ。
2日分まとめて更新

12月22日(金)
・赤ワイン
・ごはん
・大根、豆腐入りコーンポタージュスープ
・ビーフステーキ、トマトしょうゆソース
・ふかしたかぼちゃ
・いちご

ステーキがどうしても食べたいというリクエストが家族内であがったので、クリスマス前だというのに少し贅沢した。安ワインが以外とおいしかった。冬至なのでかぼちゃを食べたり、ゆず湯にすべくゆずも買ったりした。1個138円もしたので2個しか買わなかったが、入れるのを忘れた。

奈良に帰ってきてからしばらくぽ〜っとしていたが、1月10日の論文申し込み締め切りに向けて、ようやく仕事にエンジンがかかってきた。いただいたデータの分析にさっそく取り掛かっている。地味〜で根気のいる作業なのだが、がんばろう。

12月23日(土)
・日本酒
・ごはん
・なまねぎとわかめの味噌汁
・ぶりの照り焼き
・辛し明太子
・スモークサーモン
・プチトマト

「今日はイブイブ。よい日本酒にぶりの照り焼き(=ごちそう)にしよう。」と言いながら、夫が作ってくれた。昨日から贅沢が止まらず。私もやぶさかではないところが、こわいのだ。

幼馴染のKちゃんからゆういちろう宛にプレゼント・絵本が届いた。ありがとう! ゆういちろうもすごく喜んでた。手紙には、たまにこの日記も読んでいると書かれてあった。照れるがうれしい。

私にもいくつかお気に入りのサイトがあって、仕事の合間にちらっと見たりして、よい句読点にさせてもらっている。空元気というのではなく、どこかしらポジティブでパワーをもらえるものを厳選している。
12月24日(日)

・赤ワイン
・野菜のポタージュスープ
・ローストチキン
・マッシュポテトとクレソン
・かぶのサラダ
・マロンクリームケーキ
・コーヒー
・みかん

脂はローストチキンにまかせ、そのほかは野菜たっぷりめのクリスマスメニューにした。ローストチキンは夫、残りは私と分担制にした。年末恒例の掃除や美容院にいったりと、他にやるべきことは山盛りだったので、そんなに料理にかかりっきりというわけではなかった。我が家が高の原のグラン・シャレになる日は限りなく遠いが、よい意味で肩の力の抜けた食卓になったと思う。

金曜に職場をあとにしてから、今日までメールチェックをさぼっていたが、金曜夜にとても誠実な内容のメールを一通いただいていた。昨日のKちゃんも手紙もそうだが、最近モノよりも思いやりのあるコトバのほうが断然うれしい。心からそう思う。もしかしてこれって年を取った(≒ちゃんとおとなになった)ということなのかなあ。

夕食後、この前保育園でやったお遊戯会のビデオを家族みんなで見返したりしていて、あまりにも幸せな気分になった。いかん、幸せすぎると思ったので、〆にノルシュテイン監督のアニメーション映画『話の話』をDVDで見ることにした。バックに流れる音楽は、「疲れた太陽」というタンゴの曲で、スターリンの血の粛清時代に流行した音楽らしい。夢の世界として描かれる幸せそうな映像が今の私たちみたい。おいしいものもお腹いっぱい食べれている。ほんと、夢みたい。

ゆういちろうにこのDVDを初めて見せたとき、『話の話』は気持ち悪い、『きりのなかのはりねずみ』はこわいと言って(絵本はお気に入りでも)、父親のひざの上に乗って見ていた。今日も初めはあまり乗り気ではなかったが、最後までじっと見ていた。見た後は、毛布をシーツにくるんで大事そうにかかえるまねをして遊んでいた。台所にわざと置き忘れて、私に持って来させたりなど、両方の作品のモチーフをつかんだようだ。

そうだそうだ、さきほどどきどきしながらそーっと枕元にプレゼントも置きました。

追記:ここによればちょうど来年1月にノルシュテイン作品集の廉価版が出るらしい! 買っておいて損はないよ!!
2日分まとめて更新

12月25日(月)
・前日の残り物+ポテトグラタン

なんでこんなにこってり系を欲するんだろうと自問しつつ、欲望に負けてグラタンも作ってしまった。

12月26日(火)
・ごはんと梅干
・ねぎとしいたけの中華スープ
・焼きビーフン
・麻婆豆腐

夫が作ってくれた。

仕事が頓挫。原稿の構想を一から練り直すことにした。全然だめ。原稿の神様はまだ降りてくる気配なし。

気分転換に近くの本屋に行った。そこで「母の友」という小さな雑誌を初めて手にとった。たくさん気になる記事があった。別役実さんも「子どもづくし」という連載をもってらして、それが大変面白かった。最新号(2月号)で32回目の連載だから、そうとう息の長い仕事だ。なんでいままで目に入らなかったのだろう。

それにしても、子どもの教育関係の雑誌のほとんどが、どうしてああ「こうしたらいい子に育ちますよ」とああせえ、こうせえとうるさいものばかりなんだろう。女性誌のダイエット特集「こうしたらやせますよ」と作りがなんら変わらない。真に受けて盲目的に実践する人がいたらどう責任とるんだろう。作り手の無責任ぶりが腹立たしい。(←仕事が思い通りに進まない八つ当たりか?)

そんななかで「母の友」のひっそりぶりがかえって目立って見えたぞ。

昨日と今日はいろんな事件があった。なかでも、
・名古屋高裁が名張ぶどう酒事件の再審開始決定を取り消し(記事
・ジェームス・ブラウン急死
の知らせには心がかき乱された。このことについて書き始めると寝れなくなるので、止めておく。

明日から帰省も兼ねて長崎に行く。1月5日まで。私だけでなく夫も締め切り近い原稿を抱えているので、往生際悪くホテルで交代で仕事をするかもしれない。転地療法になればいいが。学会中とかこういうのはしょっちゅうなのだが、断言するが全然うれしいものではない。あ、、、年賀状のほうが優先順位が高かった。。。
5日分まとめて更新!(長崎滞在記)

12月27日(水)
・ホテルでフレンチディナー

昼過ぎに長崎に着いて、ホテルに荷物を置いたあと、母のいる特別養護老人センターに向かった。 30日から3日まで、今は誰も住んでいない坂の途中の家で一緒に過ごす予定でいる。家に母を迎える前に、長崎に着いたことを知らせるためだ。母はもうすぐ80歳になる。夫は随分遅く産まれた子どもなのだ。ひさしぶりにゆういちろうに会わせることができた。

施設における子どもというのは過激な存在で非常にはらはらした。ゆったりとしたタイミングで定期的にうなり声を上げる方が母の近くの部屋に入っていらっしゃるのだが、ゆういちろうはその声に応答するかのように、ふくろう風の泣きまねをするのだ。たぶんDVD「きりのなかのはりねずみ」の影響だと思う。こういうとき怒るべきかどうかかなり迷ってしまう。二人とも純粋な感じなので、聞いていて悪い気はしなかったからだ。別れ際も母に向かって、「男にはな、袋があるんやで」と丁寧な口調(いつもの大声)で話しかけ、母の爆笑をかった。これは保育園で習ったのだと思う。少なくとも我が家由来ではない。

夜は外に繰り出す気分でもなかったので、ホテルにあるレストランで食事した。

12月28日(木)

 ・佐世保でステーキサンド

 ・鯛茶漬け

母の生家のあった三川内に行った。かつて秀吉が武力で朝鮮から拉致してきた陶工が住まわされた町だ。母は窯元の娘だった。有田や伊万里と異なり三川内焼はあまり知られていないと思う。私も夫と知り合うまで全く知らなかった。

青年団のソウル市民三部作の影響もあり、ほんの少しだが日朝関係の事情を調べてみて、ここまで三川内焼が知られていなかった訳が理解できた。三川内は朝廷や大名家に献上する品を作るための御用窯の町だったそうだ。より正確にいえば、献上品以外作ってはならなかった。代々手厚く保護された代わりに、技術漏洩を防ぐために、その地に閉じ込められた人々の子孫のひとりが母である。

自分たちを保護してくれる土台がなくなった明治以降は大変だったそうだ。有田のように器用に「民」を想像することができず、「民」向けの作品を作ることができなかった。母の父親の代で「家」は絶えた。「民」にとってみても、自分たちの生活に全く関係のない、そういう人々が滅びようがどうしようがどうでもいいことだろう。格好つけた言い方をするのを許していただきたいのだが、明治以降の三川内は誰からも愛されず、誰も愛していない人々の住む、ただただ桁はずれの技術だけが残された町だと言えるのだろう。

私たちは身分社会を前提とする訳にはいかなかいので、無責任なノスタルジーや保護論は有害である。でも、繊細な技術がひっそりと消滅していくのを目撃していながら、平気な顔をしてしょうがないよねと言い合うこともできない。どうしていいかわからなくなる。

遅いお昼ごはんを三川内の隣町の佐世保でとった。最近はやりの、させぼバーガーの店でステーキサンドを食べた。ものすごくボリュームがあって半分しか食べられなかったが、「本場のもの」はおいしかった。ご存知のとおり、佐世保は米軍の町だ。させぼバーガーも米軍由来の食べ物だ。夫いわく、ステーキサンドは、かつて米軍の通訳をしていた(夫の)父の得意料理でもあったそうだ。我が家でも休みの日のお昼に、たまに出てくる一品だ。

夜になっても全然お腹がすかず、ホテルの和食・中華の店でお茶漬けを食べた。

12月29日(金)

 ・皿うどん(太麺)

 ・コンビニのおにぎり

12月29日は18年前に亡くなった(夫の2番目の)兄の月命日なので、遺骨を預かっていただいているお寺に行って、お経をあげてもらった。私たち夫婦にとって初めてのことだった。ここでもやはり青年団の『ソウル市民・昭和望郷編』の影響は大きかった。兄は精神の病にかかり、亡くなる前には入院生活をしていた。夫いわく、お兄さんの入院する前の正気なのか狂気なのか分からない雰囲気が、望郷編に出てくる松井周さん演じる真一役の姿と重なって見えたそうで、いろいろなことを強く思い出したそうだ。

お昼は遅くなってしまい、5時ごろ中華街で初めて皿うどんの太麺を食べた(ちゃんぽんや細麺皿うどんはしょっちゅう食べていたが)。夜はホテルの部屋でコンビニのおにぎりをかじった。

12月30日(土)
・ごはんと梅干
・豚汁

年末年始を家で迎えるべく、母を施設に迎えに行った。一番目の兄夫婦も途中合流した。ふだん使われていない家なので、どこに何があるかいちいち確かめながらの家事となった。夜頻繁に起きてトイレにいく母が心配なので、夕食をとったこたつを片付けて、私たちも同じ部屋に寝ることにした。この日の夜に見た夢は、自分のうちの庭に狭いテントを張ってキャンプした夢だった。

12月31日(日)
・鯛茶漬け
・かぼちゃとオクラとピーマンの煮物
・(夜食)年越しそば

28日にホテルで食べた鯛茶漬けを再現してみた。鯛の刺身にゴマだれをつけて、ごはんに乗せ、こぶ茶をかけて出来上がり。これがとてもおいしいのだ。ホテルでは、これに付け合せとして、極小あられやかぶの漬物、刻んだ青じそがあった。

半年ほど家を空けた1年だった。来年はふんばりどころだなあ。と思いながら、年の瀬を過ごしている。