料理ネタ


2007年9月

9月1日(土)

・ひき肉入りカレーライス
・ベビーリーフサラダ
・ゆで卵

9月になった。しかも最初の週末。今日は絶対に外に出ようと夫が言い出し、植物のたくさんあるところと私が答え、自宅から車でほど近いところにある、春日大社付近の林の中と万葉の植物が植えられている植物園(説明によると「神様の庭」)に行ってきた。杉の大木を何本も見て、清々しい気分になった。近くにいるととても爽やかないい匂いがする。花粉を出さない時期の杉は大好きだ。あと苔の生えている木を見るのも落ち着く。見るだけでは飽き足らずそっと触らせてもらい、ふかふか感を味わった。

帰宅後、家をきれいにしたい気分山盛りになり、椿を食い荒らしている小さい毛虫の群れを退治した。要は踏み潰すわけだが、いちいちぞっとしながら踏んだ。しかし強がりを言う癖のある私は、「死ね」と言いながら踏み潰していたらしく、「ゆういちろうも」と言って私のすることをまねるゆういちろうが「死ね」と言いながら踏んでいるのを見て、いけないことばを使ったと思った。まだ、平然と虫を潰せるほどガーデニング歴は長くない。

夕食は安くておいしいひき肉カレー。ひき肉にすると満遍なく肉の味がしてお得な気がする。
2日分まとめて更新!

9月2日(日)
・ごはん
・じゃがいもとたまねぎの味噌汁
・焼き(蒸し)餃子
・きゅうり、しょうゆマヨネーズだれ
・梅干

ごはんの進むごくごくシンプルな献立。凝ったものを作るより家族の評判がよかったりする。ゆういちろうはしょうゆマヨネーズだれの皿を舌でなめてしまった。気持ちは分かるが、人間社会のマナーとしてやってはいけないよと注意した。

6歳の子どもが車のドアを開けて転落してしまう事故のニュースがあった。好奇心旺盛かつ身体能力が高まっている4歳児のいる我が家でも、車のドア問題は懸案事項のひとつだ。私も子どもの頃から、ドアを開けたい衝動に駆られることがよくあった。チャイルドロックをかけた上、走行中絶対にドアのレバーを触ってはいけないと言い聞かせるという2重の対策をしている。ただチャイルドロックは、事故に遭ったとき、車の外から開けて助け出すことができないという欠点もある。大変悩ましいのだ。

事故のニュースを聞いたとき、ゆういちろうを呼んで、ドアのレバーを絶対触るな、お父さんがいいというまで車のドア(反対側の)を自分で開けるなと切々とお説教した。ゆういちろうは一瞬きょとんとしたあと、「どして? 蚊が入るから?」と少々ずれた受け答えをした。いとしい我が子よ。確かに、蚊の多い季節はのんびりゆったり車を開け閉めしていると2,3匹すぐ入ってきて、ぎゃおぎゃお大騒ぎになるのだった。


9月3日(月)
・ジントニック
・明太子うどん
・珈琲

学会のため東京入りした。外で食べる気が起こらず、ホテルのラウンジで適当に食事した。今回は自分の発表に集中したい。これからスライドの推敲と発表練習にいそしむことにする。
9月4日(火)

・珈琲&砂糖菓子
・居酒屋メニュー

学会2日目。ひさびさに会えた方々とそれぞれ昼食と夕食をともにした。私はおしゃべり好きなので、いつまでも心おきなく話していたいが、それ以上に明日の自分の口頭発表のことが気になってしまっていて、おしゃべり自粛傾向にあった。だって大講堂で純粋に自分の研究内容を発表するのは初めてなんだもん。ウルトラ上がり症なんだもん。そちらに意識がどうしても取られるってもんよ。もっと「大人の余裕」ある研究者になりたい。いつの日かなれるのだろうか。

質疑応答の時間も含めて一人あたりの持ち時間は20分間。ホテルに戻り、さきほど通しで発表練習したら25分もかかってしまった。スライドは削れるだけ削ってこれ以上減らせない。とするなら、一切の与太話を廃して、必要最小限のシャープな話にしなければならない。しかも早口は嫌われる。おしゃべり好きにはきついよ。とにかくもう一度練習しよう。

ああ、もう一つ心配事が。朝一のセッションなので遅刻は許されない。朝寝坊は厳禁。「いっそのこと徹夜」はもっと厳禁(体力を持て余していた20代とは訳が違う)。目覚ましアラームを3つセットした。
3日分まとめて更新!

9月5日(水)
・イタリアンディナー

発表がなんとか終わった(時間オーバーしちゃったが)。常日頃遠くから近くから好感を寄せている人々とほのぼのと旧交もあたためた。新しい人と深いディスカッションの機会、出会いはなかった。だから私の研究のことを全く知らない人がどのように感じたのか直接知るよしがない。発表を続けて分かってもらうしかないんだろうな。

最後のワークショップで長い「講演」をされる方がいて、終わりの時間が読めなかった。私は場の空気の重苦しさに耐えられず途中退席して、新幹線の出てる品川駅に向かった。駅構内にあるイタリアンレストランで食事した。予想以上においしかった。今度からここに寄ろう。


9月6日(木)
・ごはん
・じゃがいもとたまねぎの味噌汁
・秋刀魚の塩焼き、たっぷり大根おろし添え
・焼きなす
・茹でオクラのしょうゆマヨネーズ和え
・ほうれん草の白和え(昨日の残り)

電車を降り過ごすなどこまごまとしたボケが積み重なった完全に呆けた一日だった。けれども夕食を作る気は残っていて、秋を感じさせるしみじみとおいしい献立となった。さんまの季節になった。


9月7日(金)
・トマトの冷製スパゲティ
・かぼちゃのスープ
・たらのムニエル
・ベビーリーフサラダ

職場では同じ学会に出席していた先輩研究者が、大変興味深いマイク(NAMマイク)を開発されている方を紹介してくれた。学会中のランチのときその方のマイクが話題になったのだった。クイックな対応にいつもながら感謝! NAMマイクとは、聞き取り不可能な声にならないつぶやき(例えば、神社でお願いごとするときのような)まで骨伝導情報を利用して拾うことのできるマイクだ。もちろん普通の音声も収録可能で、技術開発がさらに進めば、回り込みほとんどなしで、同時多発会話時のひとりひとりの音声収録が可能になる。夢のようだ。

映画監督の佐藤真さんが亡くなった。数日前にそのことを知ったが、ボディブローのようにその事実が効いて来る。大学入りたての、まだ10代の頃、佐藤さんのドキュメンタリー映画『阿賀に生きる』を見た。新潟の水俣病がテーマだが、映像はきらきらと透明に明るい。冒頭の田植えの場面と、農家のおばあちゃんが食事中にこにこしながら性の唄(のら仕事時の唄だったかな?)を歌って聞かせる場面は今でもよく覚えている。

『阿賀に生きる』は友人に勧められてみたのだった。その友人は佐藤さんにとてもかわいがられていた。私は直接お会いする機会はなかったが、間接的に佐藤さんの話は聞くことができた。被写体となっている人々にいきなりカメラをまわすことは絶対しない人だったと聞く。カメラをまわす以前の時間を大切にする。だからあんなすばらしい映像を世に残すことができるんだ。「くれくれ」状態の卑しい態度を自分がとっていないかどうか、記録を残す立場のものは厳しく自分に問わねばならない。これは映像作家も研究者も同じだと思う。佐藤真さんの存在のおかげで私は心からそう思うことができている。

構造主義言語学の祖ヤコブソンは、友人の詩人マヤコフスキーの自壊に対し、芸術家を浪費した時代について珍しく感情的なエッセーを残している。批評家の内に秘めた激しい怒りである。優れた芸術家は、私たちの身代わりとなって狂ってしまうのだ。私たちが狂わなくて済んでいるのも芸術家の犠牲のおかげだ。

一方、芸術家自身は、死を乗り越えて、作品を作らねばならない。私の大好きなロシアのアニメーション作家ノルシュテインのことばに次のようなものがある。

「芸術家がどういう演出を使うとか、どういう装飾を使うとか、どういうふうに見せるなんてことを一切考えないで、本当に言いたいことを声を振り絞って言った時に、芸術は高貴になるのです。アニメーションはまだ誕生して百年にもなりません。先ほどの芸術史の中では少しの場所しか、占めていません。でも世界の芸術の中に、本物のアニメーションが、自分が何者であるかと理解できるような、本物の作品ができた時にはじめて、世界文化の中に組み入れられるんです。私はどんなにその日を待ち焦がれていることでしょう。そんな時に、自分の身近な人が亡くなったり、あるいはそれが力を与えたりしてくれることもあるかもしれません。でもそんなことは重要ではないのです。ですが、自分がそこに達するまでには、いろいろな人が自分のまわりにいた。それを決して忘れてはなりません。作品を必要としてくれる、その人たちのためにも作品をつくるのです。芸術史の中にあらわれた本物の作品は、簡単にできたものではないのです。本当に心血を注いで、はじめてそうした本物の作品ができるのです。自分自身であること、真実であること、だからこそできるんです。」

海外事情には疎いので何ともいえないが、少なくとも日本では、幸か不幸か、芸術家が優れた批評家を兼ねていることが多い。別役実もそういった作り手のひとりだと思うが、彼の子ども向け最新作(私は見逃した)は、とても道徳的で、一切の毒が入っていないものだったという。それって、なぜかとても陽気な幽霊を見るようで、かえって不気味で怖い。陽気な幽霊たちは、いったい今何を考えているのだろう。
9月8日(土)

・なし
・もしくは、夕方のピザ&スパゲティ

昨日に引き続き大変蒸し暑い日だった。中途半端な時間にピザとスパゲティを食べてしまい、胃もたれしている。ゆえに夕食は食べないことにした。いまだ学生気分を引きずっている感があるとはいえ、年相応の加齢現象が自分にもついに来たのかな。脂っこいものは、食べているときは幸せを感じるのだが、後からきつくなる。実家から電話があり、このことを伝えると、脂を毛嫌いする母から和食中心の食事にしないとだめだと散々諭された。

近所の高校の学園祭の〆に、花火が上げられた。ゆういちろうときれいだねえと言いながら見た。夫は今、東京にいる。
9月12日(水)

・ごはん
・昨日の残りの豚汁(肉なし)
・鯖の塩焼き
・あさりの酒蒸し
・ほうれん草のおひたし
・茹でもやしのごまだれかけ
・納豆
・きゅうり
・昨日の残りのなすのオイスター炒め

品数だけは豊富な食卓だった。ポリシーは一皿につき一材料を少量で。

ひさびさの更新だ。月曜は東京にでかけ、太田省吾さんのお別れ会に参列した。自分のなかでけじめをつけたかった。参列者のなかで、そういう方が少なくとも他にもう一人いらっしゃることが話をして判明した。その前後でたくさんのことを考えた。日記に書こうかと思ったが、でも、何を言っても気障で気取った表現になるような気がして、うまく文章にできなかった。折につけちょびっとだけ涙が出る。でも泣かない。仕事をしよう。奥さんの美津子さんには、いま『水の駅‐3』の太田さんの稽古中のことばを逐語的に書き起こしており、全部書き起こしたらお送りするとお伝えした。

本日、安倍首相が辞意を表明した。悪党がたくさんいる。太田さん、世の中はこんな感じです。太田さんはどんな新作を作りたかったのですか?
9月13日(木)

・ごはん
・しいたけとマロニー入り中華風スープ
・八宝菜
・麻婆なす
・トマト

スープは私、残りは夫が作った。彼の発案の献立だったのだ。実家からなすが大量に送られてきたので、最近なすをたくさん食べている。

仕事帰りに寄った生協の雑誌コーナーに、「おいしい塩味つまみ」というレシピ本があり、思わず買ってしまった。鶏ひき肉、ねぎ、卵黄を混ぜてつくる塩つくねがやたらおいしそうだった。今度作ってみよう。しょうゆ甘辛より断然塩の気分。猛暑で大量の汗をかき、塩分を奪われた反動なのかな。

10月からアルバイトをしてくれる方と面接した。奥ゆかしくしっかりしている方で、太田省吾さんの発言の書き起こしを手伝ってもらう人として適任だと思った。ほっとした。どうしてもこの仕事は早く形にしたい。でも、あせってはだめ。計画性と衝動のバランスが難しいけど、わくわくする仕事だ。
9月14日(金)

・ごはん
・しじみの味噌汁
・かれいの煮付け
・大根の煮付け
・焼きなす
・茹でオクラのしょうゆマヨネーズソース
・納豆

またしても「一皿につき一材料を少量で」的献立になった。要は食事のときくらい、組み合わせなど、あまり難しいことを考えたくないのだ。夫婦ふたりして別件の仕事をかかえ、緊張感漂うゾーンに突入した。夫はこれから徹夜になる予定。明日から1週間ゆういちろうを岡山の実家にあずけて、それぞれの出張地に赴く。

話は変わるが、寝る前にゆういちろうからエアギターをレゴブロックで作ってくれという要望が出た。難しすぎる課題だ。
9月15日(土)

・フレンチディナー

ゆういちろうを連れて岡山へ。その後、19日の口頭発表準備に取り組むべく奈良に戻ったが、思うように進まない。英語でしゃべるので、絶対にきれいに一本筋の通った論理でパワポを構成しないと破綻する。だが残念ながら論理構成の段階で詰まっている。この期に及んでだめじゃないかと自分にいらだつ。が、最後まであきらめず投げ出さず、粘れるだけ粘ろう。

いま夫は猛烈に怒っている。猛烈に怒る前にも微妙な段階があって、それを察知した私はまあおいしいものでも食べようやと外に連れ出したが、せっかくのレストランの食事の段階で、勤めている大学事務から携帯電話に連絡が入ったのだ。その電話の内容が怒りの直接の原因。

具体的な話はここには書かないが、私学助成金なんて税金の無駄じゃん、つぶしてまえ、と思っている頭のいい人たちが手ぐすねひいて待ち構えているなかで、この期に及んで当の大学がそんなことを続けているのだから、これからそういう私大からどんどんつぶれていくと思う。あるいは表向き生き残ったにせよ、中身はからっぽの大学がどんどん生まれるのだろう。製薬会社で研究している人が身内に自分の会社の風邪薬を飲ませようとしないように、絶対に自分の子どもを入れたくない大学が増えるだろう。

嫌な過去を思い出してしまった。私は受験勉強は得意なほうだった。でも、自分でそれがいやらしいと思っていたのだ。例えばこんな感じだ。国語の問題に対して、非常に違和感を覚えていた。こう答えりゃいいんだろうが誰がこんな問題作るのだろうと呆れることばかり。といいつつ、ちゃっかりいい点をもらっていた。

私の好きな友達はみなそれができなかった。例えば夫なんて、派手な抵抗をしめした。文学を愚弄する問題が出ると白紙で提出するのだ。国語0点。それで大学2浪。生活極貧。ど阿呆である。理数系科目や英語の成績は全国数本の指に入る人だったので、かろうじて3浪を免れた。

私は小器用で頭のいい人よりも「ど阿呆の変人」に人間として信頼をおいているので、夫の生き方を支持するし、そばにいたいと思う。きっと波乱万丈で飽きない人生になるだろう。もし大学をクビになったら、金八先生で加藤が逮捕されたシーンを想起しながら、中島みゆきの「世情」を歌ってあげるよ。

とはいえ家を建てるのに多額の借金を抱えている身だ。しかも来年度でファンドが終了する。「夫の稼ぎ」を当たり前のものとせず、自分の次の就職先を見つけてこないと。。。
9月23日(日)

・白ワイン
・トマトの冷製スパゲティ
・ミネストローネ
・カレイとじゃがいものオーブン焼き

出張から帰ってきた。ひさびさの自宅。ひさびさの一家団欒。ひさびさの更新。出張先のホテルや大学ではネット利用できてメールの送受信やネットの閲覧は可能だったが、セキュリティが厳しいのかFFFTPサーバに接続できず、この日記を更新することはできなかった。

とにかく中身の濃い出張だった。今は心地よく疲れているので、落ち着いたら回顧録としてまとめようかな。明日は植物の植え込み、植え替えをしたい。古参の鉢植え植物たちも、またもや生き残っていた。死なずにいてくれてうれしい。庭では秋明菊やメドウセージやアメジストセージが咲き始めている。
9月24日(月)

・白ワイン
・カルボナーラスパゲティ
・昨日の残りのミネストローネ
・ひらまさとじゃがいものオーブン焼き
・カプレーゼ

昨日の食事を変奏した献立だった。父の釣ったひらまさを食べた。昨日はお彼岸で、祖母の墓参りをしてきた。岡山の実家にゆういちろうを迎えに行くのとお彼岸が重なってちょうどよかった。うちのソファには祖母の作ったクッションを置いている。ここに写真をアップした。ゆういちろうがクッションの間でぐっすり眠っている写真だ。

女郎花やら撫子やらあさぎり草やらをホームセンターで手に入れたはいいものの、雨が降ってきて庭仕事することはかなわなかった。残念だが仕方ない。代わりにかつて撮った写真を厳選し、今日雨がまだ降っていないときに撮った写真とともに、ここに載せた。キラキラした白百合や紫陽花なんて随分前のことのように思えると思ったら、案の定、3ヶ月前の6月23日に撮られたものだった。暑い暑いといいつつ、季節は変わるわけだ。

6月23日は何をしていたのだろうとふと思い立ち、6月の夕食日記をチェックしてみたら、この時期も出張していた。「詩は着地しちゃいけないんです」と詩について興奮して考えている。と同時に、家にいる夫に、とにかく百合がきれいなうちに写真に残してくれと、電話口で懇願したことを思い出した。

計らずも3ヶ月後の今も、詩について考えている。9月21日(金)に見た、宮沢章夫さん作・演出の『ニュータウン入口』が詩的機能をもった演劇だったからだ。物語の構造は難解に入り組みシンボルグラウンディングを拒否する詩なんだけど、演劇である以上俳優の生身の身体は出てきて、その身体の動き方のみに着目すると、誰がニュータウンの正統な住民であるか一目でわかる非常に明白明快な構造をしていた。舞台の平面は、3×3のコンクリート様のグリッドが配置され、4角と真ん中の5つのスペースに土が入れられてある。ニュータウンの正統な住民(含む幽霊)はコンクリートの上しか歩かない。当初ニュータウンのあり方を疑問視し、縦横無尽に歩いていた人たちのなかにも、劇が進行するにつれコンクリートの上しか歩かなくなるものもいた。ただし私たちは複雑に交差した言葉のやりとりに翻弄され、その動きに陽に目がいかないような作りになっている。とりわけ子ども(障害者)がコンクリートの道の上をどんなにうろうろしても、私たちの目はそれを無視してしまっている。恐ろしい作り方だ。

たくさんのユーモアもちりばめられていた。ゴールドカードを持っている戦うアンティゴネ! しかも私は『ニュータウン入口』ほど映像の必然性を感じた舞台はかつて見たことがない。私はいたく興奮したが、そのまま発露してはアブナクなるのでそれを可能な限り抑制して、感想をまとめあげ、作者である宮沢さんご本人にメールを差し上げた。ありがたいことに、宮沢さんにも9月22日付のノートにて反応していただけた。また一人朗らかに、笑いながら怒っている人を見つけることができて、私はとてもうれしい。逆に言えば、もう笑えなくなってしまった人が、怒りのあまり、狂うか死ぬかするのだろう。。。。。
9月25日(火)

・日本酒
・ごはん
・たまねぎとワカメの澄まし汁
・ふろふき大根
・じゃがいものオーブン焼き
・納豆
・きゅうりの漬け物

今日は調理実習があるので、エプロンと三角巾とマスクを用意してくださいと、保育園から言われていた。言われたとおりのものを用意し、今朝ゆういちろうにもたせた。夕方迎えに行ったとき何を作ったのか問えば、白いお団子を作ったとのこと。そうだ、今日はお月見の日だったのだ。帰りの電車で、今日はやたら月がきれいだなあとぼーっと眺めていたが、ぼーっと見ている場合ではなかった。知ってるのとそうでないのとでは有難味が違う。まじまじとみようと、保育園帰りに目を凝らしてみたが、あいにく雲に隠れてはっきりと見えなかった。たまたま生協への道でご近所さんと一緒になったが、月見用のススキを探したけど、この辺には生えておらず他の雑草にしたと言っていた。風流なご家庭だなあ。うちでも見習わなくちゃと、雑草が揺れる庭での月見を提案したが、即刻却下された。最後の産卵期をあがいている蚊にさされるのがオチだという理由で。夕飯には、季節を先取りして、ふろふき大根を出した。

仕事では、さあ、これから解析フェーズに入るぞと意気揚々と鼻息荒く意気込んでいたが、10月のスケジュールを確認してみて驚いた。前半の予定は、1〜3日に大阪出張、3日締め切り原稿1本、10日締め切り原稿1本、12〜14日に北海道・東京出張(楽しみ!)、15日締め切り原稿1本と、かなり立て込んでいる。ふ〜。学会シーズンが終わったかと思えば、中間進捗報告シーズンに入ってしまったのだ。なんだかふらりと旅に出たくなったよ。エフォート率100%で仕事に集中できる身の私でさえ「やばっ」と思っているのに、大学に勤めながら研究を続けているみなさんは、どうやって時間をやりくりしているのだろうか。
9月26日(水)

・日本酒
・ごはん
・たまねぎとじゃがいもの味噌汁
・秋刀魚の塩焼き、たっぷり大根おろし添え
・焼きなす
・キムチ
・ちりめんじゃこ
・プチトマト

秋刀魚の季節だ。塩焼きにして食べた。なすも網焼きにした。ふと思ったが、IHのグリルって、どういう原理で作動しているんだろう。ガスの炎で焼くのは素直に想像できるんだけど、電気でどうやって焼くの?

最近じゃがいもをよく食べているのは、実家から随分前に送られてきたじゃがいもに芽が生え始めて、大変なことになりはじめたから。あともう少しで完食。それでもってもうすぐ冬もの新じゃがの季節。うれしいなあ。ますます肥えること必至。

励みになるメールをいただいた。がんばろう。丁寧な仕事をしよう。
9月27日(木)

・白ワイン
・魚介のブイヤベース、後(のち)、スープスパゲティ
・カプレーゼ

トマトをたくさん食べたくなって作った献立。近所の生協には、地元でとれたトマトだけを絞ってできたトマトジュースが売られているのだが、そろそろ買占める時期が近づいてきたようだ(品のない行動だけどね、止められないの)。

最近夕飯時の話題は、もっぱら先週金曜日にみた『ニュータウン入口』のことばかり。時がたつにつれもう一回見たくなるねえと話し込んだ。本日の夕飯前は、夫は「今日のメニューは何かな?」と不動産屋の怪しい身振りで登場し、夕飯時には神妙な顔つきで、「ねえ、マイムマイムの歌詞の意味知ってた? 50年代にシオニズム運動のときに作られたらしいんだけど、マイムが水で、ベサソンが喜びのうちにだってさ。だからあのフォークダンスは、水、水、水、水、水、喜びのうちに、水、水、水って唄ってるんだよ。怖いよねぇ」と教えてくれた。しかも会話の途中で、真昼子(まひるこ)を日向子(ひなたこ)と呼び間違えるし、すっかり作品の描く世界にはまっている。

『ニュータウン入口』をあなたも観にいくしかないよ、と私が2回目の準備講演に誘ったときには、宮沢章夫さんの「み」の字も知らなかったくせに、なんだよって感じだ。でもうれしい。それだけ演劇の持つ力は大きいのだから。反対に、ネットで劇評をチェックしていたとき、「演劇素人は見ないほうがいい。最初に見る作品としては難解だから」という内容のものを見つけたときには、おまえは何様のつもりだと罵りたい衝動にかられた。人々の生活が豊かになる機会を狭める権利は誰にもないはずだ。

私たちなりに「難解」な作品を因数分解してみるのも楽しい作業だ。誰にもその正解は分からない。観客の数だけ解が見つかるのだ。楽しいではないか。

今日は、不動産屋が途中一度だけ暗い表情を見せたのはなぜかという問題をめぐって話し合っているうちに、登場人物は3軸に分かれるのではないかということを発見した。ひとつは、不動産屋−Fの軸。世の矛盾のだいたいの仕組みは分かった上で、ちゃらんぽらんに生きてみせる人々。虚しさを表す軸だ。知らないほうがいいこともあると一生懸命隠そうとするFは善の悲劇役者で、真実を分かってもらうと困るんだよねとうそぶく不動産屋は悪の喜劇役者。もうひとつの軸は、アンティゴネ−真昼子の軸。世の矛盾に負け戦を挑もうとするアンティゴネと、すでに負けてしまったことに気付かず影となって世をさまよう真昼子。怒りと悲しみを表す軸だ。私たちはたいてい、これらの人々に自分を重ね合わせたいという欲望を持っている。

でも本当に怖いのは3軸目の、ニュータウンの正統な住民であることを信じて疑わない母−子の軸だ。選ばれた民を自認する、マジョリティの恐怖を表す軸だ。彼らには、第1の軸も、第2の軸も目に入らない。私たちが一番恐れるのは、実は自分たちもその3軸に乗っかっているのに、それに気付いていないだけの単なるアンティゴネ気取り、F気取りになっていないかということだ。日日戒めのなかで暮らそう。

さて、話はすっかり飛ぶが、先週の出張先の出来事について、記憶が残っているうちにまとめておくことにする。

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■17日(月)
・ビアホールでステーキ

松井周さんの独立初作品であるサンプル『カロリーの消費』を三鷹市芸術文化センターでみた。松井さんとは青年団の作品を通じて若い頃から知り合いで、自然と応援モードに入ってしまう(人情というもの)のだが、でも知り合いだからといって自分のなかでしっくりこなかった作品について嘘をついてまで讃えることはできない。だったら観劇後だまって寂しげににっこりと笑って去ったらいいとも思うのだが、ついおせっかいおばさん化していろいろと言いたくなってしまう。

『カロリーの消費』は母親の介護問題を軸に現代の人間関係の在り様を描いた作品で、私たち家族の個人的事情(長崎から母を迎える準備をしている)と絡んでくる作品だった。それで、要は、私は作者である松井さんにカチンときてしまったのだ。自分の表現のために他者の不幸を利用しているような気がした。自分は「現代の闇」をこのように考えています、それは介護現場で表面化しているはずなので、そこを描いてみました、というふうに。で、それは順番が逆だろうと思った。

話の長い男の人がいるが、それにつき合わされている感じがした。話自体は聞いていて面白いのだが、ひととおり聞き終わったあと疲れがとれない。おそらく作者の長話のなかに観客が自分なりの解釈を挟み込む余地がなかったからだと思う。「ごもっとも。私もそう思うわ」という拝聴姿勢を強要されている感じがした。

松井さんの最初の作・演出作品を見たことがあるが、そのときはそんなふうには感じなかった。だから、反応の違いはたぶん、社会的現実(介護)の強さに引きずられてしまっているか、それとも抽象度をあげてどこにもない場所をファンタジー(妄想)の力で構築するかの違いに由来すると思っている。私は松井さんにファンタジーを求めているんだなと、ひとりで納得してしまった。

■18日(火)
・カレーうどん

慶應義塾大学で開かれたInternational Sympojium on Skill Science (ISSS'07)に参加した。赤池情報量規準で世界的に知られる赤池弘次先生(数学者、統計学者、1927年生まれ)の講演を聴いた。ゴルフスウィングと統計の話だった。私は今まで統計のことを全く一面的にしか見ておらず、誤解してきたように思えた、インパクトのある講演だった。今まさに多くの研究者たちが力学と情報論をどう関係させるか躍起になって考えていると思うが、そのヒントが赤池先生の話に含まれていると予想する。勉強しよう。

この日の昼食は、知り合いの研究者たちと旧交を暖めた。ひっさびさの方と、9月頭の別の学会でも一緒になった方。分野の近い同性の研究者の存在はありがたい。モロモロの話題でガールズトークできるんだもん。

夕食はカレーうどんにした。田町にあるホテルに泊まったのだが、近所にカレーうどん専門店があり、飲食業界の細分化に驚いて、好奇心のおもむくまま店に入ってみた。味はごく普通だった。

■19日(水)
・懇親会メニュー

実質的には初めての英語による口頭発表をおこなった。カンニングペーパー(?)を覚えきることができなかったので、紙を見ながらのプレゼンとなった。ホテルでひとり発表練習したときは持ち時間の20分でしゃべることができていたのに、本番では15分で終わってしまった。なるべくゆっくり話すよう心がけたのになあ。。。気を利かせて、前に出て身振りつきでスライドを何度か説明したのだが、そのたびごとにどこを読んでいるか分からなくなったので、途中から読みに徹した。。。何か重要なポイントをスキップしたのか。

自分でしゃべっている最中は、長い長い早く終わってくれ〜っと思っていたので、自分で「終わりです」と宣言したときはほっとした。が、すぐに深く後悔した。そのあと待っていたのは、長〜い質疑応答の時間だった(15分以上)。う〜、あ〜、う〜っとほとんどしゃべれず、身振り手振りでごまかしてしまった。質問の意図を理解できないときもあった。発表時間が万が一余ったときのために用意していたビデオをお見せするのをすっかり忘れていた。頭が真っ白になるのはこういうことを言うのだろう。

あ、いいこともあった。きっと見るに見かねたのであろう、私の研究をサポートしてくださっているKさんからの質問をきっかけに、序破(急)モデルのスライドを提示することができた。そのおかげで、ジャック・コーエン先生をはじめとする海外の研究者にも、私の研究の大まかな方向性を理解してもらえたようだ。

英語をなんとかしたいと強く思った。普段だったらここからずど〜んと落ち込むのだが、院生の頃に、エディンバラの演劇フェスティバルで知り合ったYさん(舞踏学)と偶然再会することによって、持ち直した。とてもパワフルで暖かい方なのだ。感謝! Yさんから芸大出身の音楽学や芸術学をやっていらっしゃる方々(ご本人たちのエスプリ発言によると、芸のない芸大生だったとのこと)を紹介してもらって、ランチをご一緒した。みなさんガールズ。何かが癒えた。やっぱり女子が好き。ポスター発表でいろいろな情報をインプットし、そのノリで懇親会へ。楽しかった。

■20日(木)
・一次会(ケーキ)
・二次会(中華)

午前中は日本心理学会大会のポスター発表をしに東洋大学に向かった。ここでも旧交を温めた。いつも学問的な情報をたくさんくださる、最近独立されたシステム構築・プログラマーの方もいらしゃって、皆にランチをごちそうしてくれた。午後からふたたびISSS'07の最後のパネルディスカッションを聞きに三田に戻った。

シンポジウム終了後、たくさんの参加者の方々と長い時間その場でお話した。名残惜しく、前日ランチをともにした人々と場所を変えておしゃべりを続けた。みなさん、いろいろな経験を積まれていて、話を聞くだけで楽しかった。

■21日(金)
・居酒屋メニュー

午前中は南青山にある岡本太郎記念館に行った。庭の造り方が大変参考になった。私にしては珍しく携帯カメラで記録を残した。午後からISSS'07の続きに位置づけられるスキルサイエンスに関する研究会に出席した。ジャック・コーエン先生の話には、数学の話がたくさんでてきて、内容を正確にはフォローできなかった(たぶん日本語で話されても分からなかったと思う)。とにかく英語と数学を克服しないとと、中学生みたいなことを思った。

夕方、夫と品川駅で待ち合わせして(彼は高松出張後、その足で上京した)、『ニュータウン入口』を観に三軒茶屋のシアタートラムに向かった。天晴れ(あっぱれってこう書くんですね)とした作品だった。劇の感想は、24日(月)の日記にもすでに少しまとめてある。

■22日(土)
・ごはん
・鮎の塩焼き
・馬刺し
・焼きなす&焼きししとう
(あとなんだっけ?)

ゆういちろうを迎えに岡山の実家に行った。1泊した。夜が涼しかった。
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自分用のメモにしては長い。何のために誰に向かって書いているのか自分でも分からない。書きたい衝動にまかせて書いた。 隣の部屋でゆういちろうがおしりかじりむし〜っと鼻歌を唄っているのを聞きつつ。
9月28日(金)

・ひき肉入りカレーライス
・マッシュルームとベビーリーフのサラダ

指導教官である佐々木正人先生から、以前お願いしていた赤ちゃんムービーデータベースのDVDが届いた。7月の国際会議以来、ずっとご無沙汰していた。お元気かなあ。

カレーを食べに行った人とカレーを食べに行った人の話を聞いて社食のカレーを食べた人がいて、なんだか私の頭のなかにもカレーばかり浮かんできた。カレーの伝染力は強い。

ミャンマー(ビルマ)で、反政府デモの様子を撮影していた日本人カメラマンが昨日27日に至近距離から射殺された。本日そのときの映像がテレビニュースで流れた。だからこそ軍事政権と呼ぶのだろうが、口封じのためにカメラマンを殺すなんて、もっとも野蛮な行為だ。みながカメラ付き携帯電話を持ち歩く日本国内では、たった一人を狙い殺しても意味がないだろうが、ミャンマーでは意味を持つのだ。何かが頭のなかで静かに煮えたくる。

■追記
もちろん言うまでもなく明々白々なこと。自国の軍隊の無差別発砲によって命を落としたデモ隊参加者やその場にいただけの子どもの無念がどれほどのものか。。。毎日新聞のネットニュースによると、翌28日(まさに本日)もデモが続いているとのこと。軍事政権は29日までに徹底した弾圧で押さえ込む予定らしい。悔しくて涙が出る。
9月29日(土)

・昨日の残りのカレーライス
・マッシュルームとクレソンのサラダ
・トマトのしょうゆクミン風味のサラダ
・ゆで卵

浮き沈みの激しい一日だった。

今現在のミャンマーの様子を知ろうにも、新しい情報がなかなか手に入らない。ここによると、軍事政権が通信回線を遮断しているとの報道もある。自分の攻撃性を改めて認識した。もたもたせず国連軍が現場入りして焼き払うなりなんなりしてしまえと、悪いことをしている奴らには何をしてもいいと思ってしまっている。アブナイ。これでは軍事政権側の人間の思考方法と同じではないか。

自分が何をしたらいいのか分からず、イライラとあせってばかり。まず気持ちを落ち着かせなければと思い、植物の植え付けをおこなった。カトラリー類をこれまで大事にしていなかったと反省し、黄黒く変色してしまっていた、いただきものの大事な純銀製のフォークを化学薬品で磨いた。食洗機使用ですっかり内側が剥げてしまった汁椀の換えとして、デパートに行き、新しく漆の汁椀を買った。同じく食洗機使用で柄と金属部分の境目が痛んでしまったスプーンの換えとして、銀メッキのカトラリー一式も買った。

すっかり散財した。何をやっているのだろう。

無理矢理意味づけると、どうやら細々とした物を価値あるものとして大切に自分の手で扱いたい衝動にかられているようだ。食卓の上には観葉植物が増える傾向にある。人が全く大切にされていない映像を見ちゃったからな。完全に代償行為だ。分かりやすい。でもやっぱり、私は何をやっているのだろう。他にやるべきことがあるだろう。

かつてならここでずどんと落ち込み病気半歩手前状態になるのだが、やはり『ニュータウン入口』を観たことがひとつの救いになっている。演劇のおかげで我が家に笑いが生まれる。

いつまでも真昼子を日向子と間違える夫に対して、「おまへは馬鹿か」とイスメネ風に私が言い渡すと、それを本気にしたゆういちろうが「馬鹿って言っちゃだめ」と私を諭すのだ。家族のなかで誰かがひどいことをすると、「これはいじめね」と抗議の号令をあげる。それを合図に、「イズメネ、イズメネ、イズメネ」とビデオ屋の女の子のセリフを東北なまりに発する。かなりしょうもない。さらに最近発見したのは、料理研究家の辰巳芳子さんの家庭料理の大切さを訴える文章を、真昼子役の南波さん風に朗読すれば、かなりぐっとくるという事実。

夕食作りは、昨日の残り物を利用したので楽ちんだった。
9月30日(日)

・赤ワイン
・パン
・クラムチャウダー
・鶏のグリル
・シメジとマイタケのガーリックソテー
・トマトとバジルのサラダ

心が乱れ、「科学的思考」もできなくなったので、小雨の降るなか宇治の山寺である三室戸寺にお参りした。山のすっとする空気に触れ、少し落ち着いた。たくさんの杉が黒っぽく真っ直ぐ立っていた。濡れそぼった萩の花をたくさん見た。駐車場に帰り着くとうちの車がたった一台だけあるのみだった。どうりで参拝客がまばらだったわけだ。

昨日カトラリーも新調したので、夕食はそれっぽく少しお澄ましした料理を作ってみた。クラムチャウダーは、アサリを酒蒸しした際に出るエキス(残り汁)をスープの仕上げに加え、無駄のない濃厚な味に仕上がった。

食後、謎の頭痛と吐き気に見舞われた。しばらく横になっていたらだいぶ治まった。なんだったんだろう。夫もゆういちろうも何ともない。家族のなかでもっとも胃腸が強いのは私なのに。

日頃は不信心のくせして困ったときだけ寺に参り、南方の仏教国で僧侶がつかまったり仏像の首がはねられたり大変なことが起こっていますと「仏様への告げ口モード」になっちゃったから罰が当たったのかなあと、完全に非科学的発言をすると、夫に本気で呆れられた。しっかりしなくちゃな。