料理ネタ


2008年4月

4月1日(火)

・回転寿司



ゆういちろうは最年長のぽぱい組に進級し、新しい担任の先生たちも迎えての新学期が始まった。一年の四分の一が終わったという事実には目をそむけ、新学期が始まったことを祝いたい。写真は朝の出勤時に撮った大麦。駅前のロータリーの花壇に植わっている。大麦を花壇に植えるアイデアは誰が考えたのだろう。なかなかしゃれている。

職場では同僚に思いっきり騙された。今日はエイプリルフールだったのだ。おとなになってそんなことを本気でする人がいるとは思わなかった。瞬間風速的にムカっとしたが、怒ってはいけない日なのね。と思うと、最後結局大笑いしてしまった。

夫が研究室の花見兼バーベキューで帰りが遅くなるので、一気にダメ主婦モードになり、夕食はゆういちろうと二人で駅前の回転寿司屋・函館市場でとった。ふと気づけば、ゆういちろうにとってはものごころついて初めての回転寿司体験だった。寿司がベルトコンベヤーに乗ってやってくることに大興奮していた。近くに、徳の高そうな浮浪者風のおじさんが座っていて、ゆういちろうのことを優しい表情で何かと気にかけてくれた。ときにはお皿の選び方のテクを口頭で伝授してくれた。帰り際おじさんがゆういちろうの手に何かをそっと握らせた。見ると、くしゃくしゃの割引券だった。二人でありがたく礼を言ったら、よせやいというように手を挙げて去っていった。人の情けで生きていると思う瞬間だった。
2日分まとめて更新!

4月2日(水)
・居酒屋メニュー

大津のびわ湖ホールでピナ・バウシュ、ヴッパタール舞踊団の『フルムーン』を夫婦で見た。水と岩と体が関係しあう舞台だった。京都造形芸術大学に移籍されたばかりという浅田彰さんもいらしていた。そして私たちの座った座席の真後ろになんとピナ・バウシュご本人が座った。なんという幸運。一幕目の終わりには、非常に照れくさいことに、実作者の目の前で夫婦して泣きかぶってしまった。でもだって本当に涙が止まらないのだ。目はまっかっかである。それくらい強烈な作品だった。後日、感想文にまとめたい。

劇場内のレストランは満杯だったので、夕食は劇場の目の前の小さな居酒屋で観劇前にぱぱぱと済ませた。


4月3日(木)
・スパークリングワイン
・ごはん
・豚汁
・はまちのお造り
・温泉卵入り納豆
・きゅうりの漬け物



夫が作ってくれた。普通にうちでご飯が食べることができてうれしい。豚汁は外で出されても、なかなか「これ!」という好みの味に出会えないという事実をあらためて確認しあった。

写真は朝の陽光を浴びる窓辺に飾ったなでしこである。今借りて住んでいる家は隣家が迫っていて日当たりが悪いのだが、朝ちょうど食事する頃にだけピンポイントで光が差し込むのだ。晴れた日はとても気持ちがよい。今日は朝は晴れたが、日中はうす曇だった。
4月4日(金)

・日本酒
・ごはん
・昨日の残りの豚汁
・鶏の酢照り焼き
・ほうれん草の白和え



鶏の酢照り焼きは夫が作ってくれた。私はほうれん草の白和えを作った。昨日から和食の気分だ。食後は筍の下茹でをした。明日、あますとこなく食べ尽くす予定である。

写真は職場のデスク横の窓辺の様子である。縦横無尽に資料や本が積まれていて、自分でもどこに何があるかよく分からなくなる。なんとかしたいなあと思いつつ、一昨日見たピナ・バウシュの舞台のことを上演プログラム冊子を眺めながら思い出していたら、またしても涙腺がゆるんできた。ちょうどそのときAさんが、向こうの部屋を片付けて余った机をこちらの部屋の空いたスペースに置かしてねと、入ってきた。

変な想像をされても困るので、ピナ・バウシュの舞台があまりにも素晴らしかったのだと伝えると、Aさんはびわ湖ホールの現状をおしえてくれた。滋賀県が予算をつけないという決定をしたらしい。Aさんは反対署名簿にサインしたそうだ。びわ湖ホールは関西でヴッパタール舞踊団を昔から受け入れてきた劇場だ。青年団の公演もおこなわれた場所だ。知っていたら私もサインしたのに。

さて、以下に今回の上演プログラム冊子に載っていたピナ・バウシュのことばを一部引用しよう。芸術家のことばは私を勇気付けてくれる。
--------------------------------------

 私は特定のスタイルや新しい舞台芸術を創りだそうとした
ことは一度もありません。フォルム(形式)は私が質問したも
のから生まれてきたものです。私はいつもこれまで知らなかっ
た何かを求めています。それは絶え間なく続き、苦しい闘いです。
伝統や従来の様式からは何も当てにできません。そこから
何かをつかみとるわけではありません。人は一人で生き、経験し、
すでに知っていることや明らかなこと、少なくとも予測できる
ようなことをひとりで探さなくてはなりません。説明を必要と
しないものを探していきます。

 いつの時代も芸術家は常に来るべき時代を予感して新
しいものを求めます。多くの作品を創れば、それで救われる
わけではありません。作品を創るたびに、その探求が始まり、
今度はうまく出来ないのではないかという不安をいだきます。
最初からプランがあるわけでもなく、台本、音楽、舞台装置も
ありません。初演の日程は決まっていて、それまで少しの時間
があるだけなので恐ろしいです。初演まで私はとても出来ない
と思うことが多いのです。しかし、長い間変化させ確かなもの
になるまで、いい加減には出来ません。私一人ではとてもその
ような冒険は出来ません。初演のあとで簡単に修正すること
は容易には出来ません。しかし、そうせざるをえない時もあり、
全体的な構成を考慮して試みてみます。ある時点に到達す
るまで、毎回もう二度とやりたくないと思うのです。本当です。
では、それほど残酷なのになぜ私はそれをしているのでしょう。
しかも一つの作品を創り終えるともう次のプランに取り掛かっ
ているのです。

 質問の次には、素材(material)を集めて行きます。とにか
く多くのもの、かなりくだらないものまで。笑ってしまうものあ
りますが、それに真実があったりするのです。私は一体何を
求めているのか。一体、本当は何を言いたいのか。私達が生
きているこの時代に探し出した素材の本当に小さな部分に、
私が探しているものがあると感じられるのです。パズルのよう
にそれらを組立て、私の知らなかったことがイメージとして湧き
あがり、突然作品が出来る瞬間があります。

4月5日(土)

・ごはん
・若竹汁
・チンジャオロウスウ
・たけのこのグラタン
・たけのこの佃煮



たけのこづくしの献立にした。好きなたけのこ料理を集めた。外食ではなかなか頼めない組み合わせではないだろうか。チンジャオロウスウは夫が、それ以外は『辰巳芳子の旬を味わう』を見ながら私が作った。若竹汁は甘皮部分を、佃煮は根の部分を細切りにして食べた。いずれもだしと薄口しょうゆの控えめな味つけで、チンジャオロウスウやグラタンを優しく受け止めてくれた。

辰巳芳子さんに対しては、私は普段少々反抗的で、おおげさな物言いだなあとか、いまどきこんなめんどくさいこと誰がするんだろうとか思っている(正しい人に対する窮屈さが前面に出てしまう)のだが、わずかな期間しか食べられないおいしい食材をどうするか考えるときはこうべを垂れて教えてを乞うている。急に怒られたいモードスイッチが入るのだ。

昼間はゆういちろうの自転車の練習をした。補助輪を外した練習3日目となる。最初は、乗り始めを補助しないとだめだったが(写真)、10分もしないうちにひとりでペダルを踏み込んで乗れるようになった。やった!

今日と明日は、もし生きていればそれぞれ81回目と48回目となる、行方不明の義父と自壊した義兄の誕生日だ。大切に過ごそうと思う。
4月6日(日)

・日本酒
・たぬきうどん
・昨日の残りのたけのこの佃煮
・乱切りトマト



昼間は宇治市の植物公園にポットコーヒー、パン、チーズ、ローストビーフ、ハムやらを持ち込んでピクニックをした。最初は大きなしだれ桜の根元でサンドイッチにして食い気を満たし、陽が差し込みすぎて暑くなったので、次に桧や沼杉の林のなかに移動して眠気を満たした。写真はビニールシートの上にごろんと寝転んで撮った桧である。気持ちよかった。

夜はあっさりとうどんにした。
4月7日(月)

・日本酒
・うなぎ丼
・なめこの味噌汁
・刺身盛り合わせ
・たけのこと厚揚げの煮物
・茹でオクラ、醤油マヨネーズソース



いつもより2時間半も早くすっきりと目覚めた。ひさびさに朝早く起きた。懸案だったとれかけのボタンを5つも縫い付けた。さらに調子に乗った。

冬のあいだは加湿を兼ねて、春の始まりは花粉症対策を兼ねて、洗濯物は室内干しにしていた。でもすっかり気候もよくなり、お天道様にタオルやシャツを乾かしてもらおう!と、今年初めて外に洗濯物を干した。朝は陽が照っていたのだ。ところが午後から暗く低い雨雲がたちこめ、横殴りの強い雨が降った。軒下に干したからもしかすると難を免れているかもしれないと淡い期待を抱いて帰宅したが、洗濯物は予想以上にぐっしょり濡れていた。取り込むときの気持ち悪さは格別だった。すでに洗濯待ちをしている衣類はカゴのなかにたくさんあるなかで、結局もう一度同じものを洗濯機にかけるはめになり、ブルーマンデイは加速に加速した。

ゆういちろうのリクエストもあり、夕食はうなぎにした。刺身だってつけた。豪華メニューにしてやった。

ひとつだけよかったことは、軒下に雑草にまぎれてチューリップが咲いているのを見つけたことだ。もう散りかけだった(写真)。全く知らなかった。一昨年球根を掘り起こした後、そこに放り投げておいたのだった。新しい家のことにすっかり夢中で、今の借家の裏庭への興味がすっかり失せてしまっていた。チューリップさんへ、薄情者でごめんなさい。
4月8日(火)

・赤ワイン
スモークサーモンのクリームパスタ
・野菜のコンソメスープ
・菜の花のソテー



カタカナ献立の日になった。クリームこってり系のパスタ類が食べたくなり、ネット検索してたまたま見つけたレシピを参考に作ってみた。レシピの分量どおりに作ると我が家としてはくどく感じられることが予想され、適宜アレンジした。結果オーライの出来だった! プロの料理研究家の分量を勝手に変えると失敗することが多いが、素人のレシピはその辺は大らかだと思う。主婦どおしのコミュニケーションのよいところは、その幅のある大らかさだ。YUKAさんという方、どうもありがとう。

食後にゆういちろうが仕掛けてきた遊び:お隣さんからもらった蜜柑を使っての変身ごっこ、出目金人間。思わずふきだした。面白かったのでキャッキャッ言いながら、お互いに写真に撮っては見せあった。残念ながら私の撮ったやつもゆういちろうの撮ったやつも全部ピンボケだった。激写っという感じで興奮するとだめみたいだ。そのなかで最もましなのをここに載せる。
4月9日(水)

・赤ワイン
・ごはん
・昨日の残りの野菜スープ
・ヘレ肉とお豆のトマト煮込み



今日は先々月申し込んだ国際学会の論文不採録通知が届き、私の貴重な散歩場所であった研究所の前にある関西学研都市展示館の雑木林は更地にむけて無残にも伐採され、春なのに隙間風の吹きすさぶ1日だった。

関西学研都市館は奥村ご夫妻と私たちとを結んでくれた非常に愛すべき建物で、取り壊しが決まったとき、旧公団の方々と話をしたり手紙を書いたりして、なんとか無期延期に持ち込めないかと動いたが徒労に終わった。お二人からはせめてもの記念として、展示館の図面をいただいた。行政が大事にしないなら、図面だけでもわれわれは代々大事に伝えたい。

写真は、今日のお昼ごろの展示館前の様子である。警備のおばちゃんと仲良くなり、囲いのなかに入らせてもらって撮影した。ここはかつて林だったところだ。警備のおばちゃんには何も知らされていないようだった。

でもどこに力が残っていたのか、今日は煮込み料理が食べたくなり、ことこと時間をかけて夕飯を作った。生協で紹介されていた「ヘレ肉とお豆のトマト煮込み」というレシピを忠実に再現した。美味だった。
4月14日(月)

・赤ワイン
・残り物のビーフカレー
・トマトとモツァレラチーズのサラダ
・ベビーリーフとマッシュルームのサラダ



残り物のカレーに食べたいサラダを合わせただけの簡単な献立にした。楽でよい。

そろそろ衣替えの時期だなあと思いつつ、なかなか愛着あるセーターを手放せないでいる。夜は結構冷えるのだ。写真は、この冬部屋着として大活躍したペルー製のセーターと、幼稚園ぐらいのとき親戚のお姉さんから譲ってもらったうさぎの縫いぐるみである。どちらも一目ぼれして、うちにもって帰ったものだ。そばにあるとほっとする。

織工おきぬさん(奥村ご夫妻の娘さんでもある)の春夏の服展が東京・神楽坂であります。お近くの方はぜひどうぞ。うっとり。
4月15日(火)

・日本酒(ほんの少々)
・握り寿司
・しめじと豆腐のすまし汁
・温泉卵入り納豆



うどんのつゆパックを薄く延ばしてすまし汁を作り、生協で買ってきた握り寿司のパックを合わせた。今日も簡単献立。これでいいのだ。

これでいいのだついでに親ばかにならせてもらおう。じゃーん、今日は写真じゃなくてゆういちろうの描いた画像を載せよう。本人いわく、クマさんだそう。なんと一人で勝手に私のパソコンを立ち上げ、私はどこにあるかも分からないお絵かきソフトを開き、全然おしえてもないのに自分で試行錯誤して描いたのだ! すごいよ、私よりよっぽどデジタルメディアに通じている。一見分かりにくいが、顔の輪郭線はブルーにしてるぜ。

でも、これ、相当私のいないあいだにパソコンをいじっていると見た。普段は勝手にいじるなと言い聞かせているのに、全然守っていないと見た。今日はたまたま会心の出来だったので、怒られないと思って私たちに見せたに違いない。自衛策としてバックアップをこまめにやるのと、インターネットとの付き合い方も予想以上に早めにちゃんと教えないといけないかもしれない。私たちの子ども時代には想像もできなかったことだ。
4月16日(水)

・赤ワイン
・ごはん
・かぼちゃのポタージュスープ
・ビーフステーキ、しょうゆトマトソース
・キムチのカマンベールチーズ焼き



職場では、同僚が科研費にめでたく採択されたということで、ぱーっとお祝いをしようという企画が持ち上がっていた。人々はステーキか焼肉を食べたいというのに対し、ご本人は「俺は肉よりもどちらかというとモンドール(チーズのことらしい)に上等な赤ワインを合わせたい」と育ちのよい発言をして収拾がつかなくなった。私は今外食できる状況にはないので、ただただいいなあ、楽しそうだなあとうらやましくなるばかりだった。今日の献立はいじきたなくも話題にでてきたすべての要素を満たしたものにした。我ながら煩悩の塊りである。

先週金曜日にNHK芸術劇場で『ニュータウン入口』が放映された。昨日作者である宮沢章夫さんに感想を電子メールで送ったら、とてもとても丁寧な返事をくださった。手紙として読みたいのでプリントアウトしたらA42枚にもなった。大切な宝物だ。うれしくて何度も読み返した。メッセージはしかと受け取りました。家族にも伝えました。

今日はうす曇だった。昨日は晴れだった。昨日の朝撮った裏庭の写真を載せることにする。昨年は球根類の堀り上げ作業をおこなわずそのままにしておいたが、好き勝手に生えてきて春を楽しんでいるように見える。しかもいかにも植えましたという不自然な感じがなく、例年になく好ましい雰囲気になっている。なんだ、私がいなくても大丈夫なんだと拗ねたり、ふてくされたりしないようにしなくてはね。

ゆういちろうは腕の部分のアトピーが悪化してとびひになってしまいかわいそうなことになっている。今晩はかゆがったので、病院で処方してもらったステロイド剤を塗った。しかし親の心配をよそに本人はいたってひょうきんで陽の気を周りに振りまいている。で、たまーに、「ゆういちろうのここ、かわいそうやねん」と転んだとき出来た全然違う傷口を深刻そうに見せて、私たちの同情を買おうとする。この調子ならたぶんきっと大丈夫だ。

平城遷都1300年祭のマスコットキャラクターの愛称は「おシカさま」がいいんじゃないかという意見が私の周りにはあったが、結局「せんとくん」に決まったそうだ。しかし同じ名前が神戸でもあったとして問題視されている(ここ)。事業全体でいろいろなことを考えてしまう。なかでも、仏(白毫)と畜生(シカの角)を合体させるのが現代社会においてどれくらいタブーなことなのか知りたい。ギリシャ神話には上半身人間で下半身牛の神も出てくるけど、一方で、キリストに何か獣の要素を加えたら西欧圏ではむちゃくちゃ怒られるのかな。仏様は今回のことをどう思っているのだろう。インタビューできたらいいのにな。
4月17日(木)

・ごはん
・たまねぎとじゃがいもの味噌汁
・鮎の塩焼き
・ところてん(三杯酢)
・キムチ



そろそろ若鮎の季節だと思って、はっと気付いたことがある。去年実家の隣のおじちゃんが釣ってくれた鮎を大事に冷凍してとっておいたのだが、今の今まで大事にし過ぎていた。さっそく解凍して塩焼きにして食べた。ふだんはあまり魚を好まないゆういちろうだが、いきなり白子から食べるという、渋い、違いの分かる男振りを発揮した。故郷自慢をさせてもらえば、さすがに高梁川の地鮎、去年のものとはいえおいしかった。なんだか「周回遅れのトップランナー」に「マイナス1」をかけたような振る舞いだ。

仕事は今、外道の仏典あさり状態にあって、とても苦しい時期にある。提案書を書く時期は、それっぽくかっこいい表現を心がけないといけないので、どうしてもそうなってしまう。文献のなかにつまみ食いできる「使える表現」がないか探す行為は、自分でも卑しいものの読み方だと思う。その時期を越えて、自分のやりたいことが明確に見えたとき、やっと独自の研究提案が書けるのだろう。いつになったらそのフェーズに入ることができるのか。もしかしてその時期はずっと来ないのかもしれないという焦りや不安のほうが今は大きい。仕事でも明るい不安を持って生きていくしかないのだ。

ふと、従姉妹のRちゃんのことが頭に浮かんだ。赤ちゃんが産まれて大変だと思うが、今もイラストを描いているのだろうか。写真は、彼女がパソコンで描いた絵の一部分。
4月18日(金)

・赤ワイン
・ペンネ・アラビアータ
・野菜のポタージュスープ
・サルティンボッカ



サルティンボッカは夫が作り、その他は私が作った。ゆういちろうはイタリア語の語源どおり、サルティンボッカを口のなかに放り込んでは、もぐもぐ食べていた。ほとんどゆういちろうが食べたのではないか。その様子を見た夫は俺らの子どもの頃はこんなもの食べたことなかったぞと、とてもうれしそうにしていた。私の父もかつて子どもだった私によく言っていたセリフだ。私は実はもっと食べたかったのだが大人だから我慢した。ということは、実家の祖父母、父母たちは弟と私が食べるのを見てうれしそうにしていたが、本当はちょこっと我慢していたのかもしれないと思った。

職場では、大NGなことをしてしまった。少しでも負担が減ればとよかれと思ってした提案が、かえって面倒なことを押し付けることになっていたのだ。帰宅後、夫から指摘されてそのことに気づいた。というか指摘されるまで気づかないって、どういうことよ。キャリアが上のできる女性に甘えっぱなしの自分は、「難儀な奴」である。好きな人の助けになりたいと思っているのに、結局迷惑しかかけていない。

職場の玄関先には椿の木とつつじの植え込みがある。まだ固いつぼみのつつじの上に、椿の花がたくさん落ちていた。椿の花びらは半分枯れかけだけど、緑と赤の対比が目を引いた。きれいなのか汚いのかよく分からないものに最近惹かれる。もっと写真うまくなりたいなあ。
4月19日(土)

・日本酒
・うな重



夫が山口出張でいないため、ゆういちろうと二人で外食した。私はスパゲティを食べようと言ったのに、ゆういちろうはかたくなに回転寿司かうなぎがいいと主張し、結局こちらが根負けした。うなぎ好きのゆういちろうは私と同じものを頼み、全部ひとりでたいらげた。よほど好物なのだな。

午前中は、新築現場に差し入れに行くかどうかで、親子喧嘩した。「現場に行かない。今すぐ公園に行こう」と聞き分けのないことを言うゆういちろうに対し、「現場に行かないんだったら公園にも行かない」と強硬に反応したら、即「そんなん楽しくないやんか!」と鼻息荒く反論した。あまりの正直さに、思わず笑ってしまった。が、その後もひと悶着ふた悶着し、結局ゆういちろうのほうが根負けし、現場に行った。

午後は約束どおり、公園をはしごし、ずっといっしょに遊んだ。水遊びが一番楽しかったようだ。手でばちゃばちゃやっているだけでは飽き足らず、素足になって水路を歩き回った。その後、足が乾くまで土の上も歩道の上も素足で歩いた。本人いわく「こっちのほうが気持ちいい」らしい。その気持ちはよく分かるよ。いいなあ子ども。
4月20日(日)

・スパークリングワイン
・鯛ご飯
・なめこと豆腐の味噌汁
・焼きなす
・茹でもやし、青じそドレッシングかけ



もうそろそろ鯛の季節である。父の釣った去年の鯛を解凍して鯛ご飯にした。土鍋で作った。家族全員お気に入りのご飯となった。実家から電話があり、そのことを母に伝えたら、まだあるのかと呆れられた。地縁血縁のない土地に核家族で住み、冬に体調を崩しやすく、出張の多い家庭では、冷凍生鮮品は大事なアイテムなのだ。ちゃんと酒と塩で下ごしらえすれば、臭みは全く気にならない。冷凍ものをばかにしてはいけない。気候がよくなって近々食べ物が採れるようになってきた今、残ったものを順次解凍していっている。あと鯛がもう一匹ある。

今朝もゆういちろうと喧嘩した。一足早く起きた私は食卓で論文を読んでおり(偉い!)、にもかかわらず彼は外に遊びに連れて行けとうるさい。犬みたいなやつは知らないと無視していると、「もうそんなんだったら写真撮る」と私の携帯電話を勝手にいじって、食卓の上をパシャっと撮った(写真)。意外と絵になっていて驚いた。私の目からは食卓とは思えない惨状が広がっており、「うへ、キタナイ」と決して写真に撮ろうとは思わない場所なのだが。。。そこから絵を導き出すなんて。。。しかも大して考えもせず。。。なんだか余計に小憎たらしく思え、すっかり向学心は萎えてしまった。

昨日に引き続き、自転車乗りの練習や水遊びをした。おかげで今日もたくさん陽光を浴びることができました。健康的。
4月21日(月)

・ごはん
・大根のすまし汁
・豚の冷しゃぶ冷奴
・焼きとうもろこし



日中は日差しも照りつけ、半そで人口も急に増えた。夏っぽい献立にした。

ゆういちろうは保育園帰り、折り紙財布を大事に持って帰った。先生が広告用紙で作ってくれたそうだ。中にはお札(さつ)様の紙の切れ端がぎっしり入っている。本人はとても満足げだ。

ゆういちろうは子どもなのでいろいろな行動が制限される。第一本物のお金は持っていない。カメラもパソコンも模型もDSなど、どんなに欲しがっても、子どもにはぜいたく品だと言って買ってもらえない。彼は生協に行くと決まって、おもちゃ売り場に行き、機関車トーマスの模型セットを手にとっては「これはゆういちろうが大人になって自分でお金を稼げるようになったら買う」と呪文のように自分で自分に言い聞かせている。

禁止すればするほど欲求は高まるようで、ときどき大人のものをこっそり使ってはいろいろ試しているようだ。「秀作」に驚いたり笑ったりする一方で、無茶苦茶な扱い方をされて壊れてしまったものもある。そのときは親である私たちから無茶苦茶怒られることになる。ラジコンヘリは浮かばなくなり、プリンターなんて3代目だ。忙しいときに限ってやらかすのだ。

また、何か悪いことをするとお空からブラックサンタさんが見ていて、プレゼントされたものを持って行ってしまうということも教えてある。これで一度レゴブロックの飛行機が半年間見えないところに仕舞われた。本人はもちろん大泣きした。具体的にどんなことだったか忘れたが、すごくいいことをしたときに、ゆういちろうの目の前に戻ってきた。これは本人もうすうす人間の仕業だということに気付いているようなのだが、ブラックサンタの存在は常に気にしているようだ。

こうして書き上げてみると、親は子どもに対して絶対的な権力をもって接していることが分かる。まだことばがしゃべれなかった頃は、親の顔色を伺い、親の言いなりになる子どもに育ったらどうしようと心配していたが、全くの杞憂であった。最近やたらゆういちろうの口答えが多く、しかも結構スジが通っていたりするので、こちらも心して権力行使をしないといけない。私たちの趣味嗜好を思う存分押し付けても大丈夫だろう。嫌ならものすごい反発が帰ってくる。常に話し合い(言い合い)となる。実にめんどくさいが、相手もことばを持ってしまった以上仕方ないのだろう。

ときどきゆういちろうと私のあいだに情緒的な深い母子関係があることに気付かされる。

例えば今朝、食事していたとき、私はいつものようにぼんやりと考え事をしていたらしく、ゆういちろうの冗談に気付かなかった。突然「なんで喜ばないの、ゆういちろう、おもしろいことしたのに」と半泣きの抗議。「何したの?」と聞くと、「もう。さっき見てくれなかったんだからいい。ゆういちろうはもうご飯食べない」とハンガーストライキをしそうな勢いで怒り出した。

私は子どもの気持ちがあまりよく分からないみたいで、激しい言い合いになることもある。最後はたいてい「なんで仲良くしないの。ゆういちろう、本当は好きなのに」と泣きながら抱きついてくる。泣きたいのは私のほうだ。言いがかりをつけてきたのはそっちだろうと釈然としないことが多いのだが、自分が自分以外の人間にこんなに求められて単純に驚いてしまう。

夫からは、私は自分のことで頭がいっぱいで、ゆういちろうに対して関心がうすいと苦言を言われるのだが、どうなんだろう。私にとってゆういちろうは未来への希望となる存在だ。関心があるから日記を書いていると自分では思うのだけど。。。世のおかあさんがたは、自分の子どもにどういう関心を抱いているのだろう。

写真はゆういちろうのお絵かきの様子だ。DVDか絵本(フランダースの犬?)の影響だろうか、どこで覚えたのか謎なのだが、画用紙を立てて、イーゼルを前にした画家のような風情で描いている。写真では分からないが、耳にはもう一本色鉛筆をはさんである。好きなときにさっと別の色を足せる。これは確実に大工さんの影響だ。「かっこいい!」と褒めたらうれしそうだった。
4月22日(火)

・牛のしゃぶしゃぶ
・茹でキャベツとしいたけ
・トマトとナスのチーズ焼き
・〆うどん



昨日豚の冷しゃぶをして、しゃぶしゃぶ熱があがり、今日は温かいしゃぶしゃぶにした。今春最後の鍋料理ではなかろうか。しゃぶしゃぶにトマトとナスのチーズ焼きを合わせるところが、家庭の醍醐味である。安い牛肉を気軽に楽しんだ。

注文していた土門拳の『古窯遍歴』が届いた。写真と文章でやきものを楽しむことができる。簡単に手が届きそうで届かないものを撮っている。ああこの人はこういうふうに物事を切り取るんだという自分にはない感性を面白く思う写真ではない。そうそう私もこういうのが撮りたかったんだよな、すごくよくわかる、しかし、いざ自分がそれに近づこうものなら撥ね付けられる写真を撮っている。

古窯つながりで週末に撮った写真を載せよう。近所の音如ヶ谷公園という公園に保存されている、平城宮の瓦を焼いた窯跡である。ここ平城ニュータウン近辺では、平城宮遷都時に、全国各地からたくさん農民が集められ瓦が焼かれていたそうだ。ここここなどに様子が記されている。私たちは新参者のなかの新参者だ。
4月23日(水)

・日本酒
・まぐろの漬け丼
・玉ねぎの味噌汁
・茹でキャベツともやし、青じそドレッシング和え
・温泉卵入り納豆

Tシャツの上にトレーナーを着ていたら少し暑かった。汗ばむ陽気だった。

保育園帰り、ゆういちろうはテレビのついた友だちのうちの車に勝手に乗り込んで、エンジンをつけてテレビを見せてくれと友だちのお母さんに懇願した。私がいくら降りろと言っても降りようとしなかったら、お母さんが私も乗せてくれ、近くの生協まで送ってくれた。親子そろってお世話になりました。最近の車ではDVDも見られるんだな。初めて知った。ちょっとのあいだ「花さかじいさん」のDVDを楽しませてもらった。

今日はまぐろがとても安かったので漬け丼にした。ちゃんと節制した買い物ができると、きちんとした主婦になったようで、すぐ有頂天になって書きたくなる。そのうちオリジナルレシピを公開していくのが夢だ。これはまだずっと先のような気がする。だってまだ私オリジナルな料理など作ったことがないからだ。

昨日の日記を読み返して見て気づいたことがある。それは、今まであまり意識していなかったが、音如ヶ谷公園に行くと私はたくさん撮りたくなるということだ。そもそも3月29日の記念すべき最初の写真もそこで撮ったものだし、個人的にとても気に入っている4月19日の水の写真もそうだ。音如ヶ谷公園には何かある! ということで、週末に撮った写真のなかから他に気に入ったものを2枚厳選した。



谷の下の入口付近に生えていた草。ふさふさした草がたくさん生えていると、なんともいえない豊かな気持ちよさを感じる。



3月29日にタンポポを並べた遺跡前のベンチに、なぜかたけのこの皮が一面びっしり散乱していた。これが汚物だったら事件性があるのだろうが、たけのこの皮なので意図が不明。でもぎょっとしたのは確か。新しいアート作品に見えなくもない。
4月27日(日)

・赤ワイン
・残りものカレー
・プチトマトとルコラのサラダ
・トマトとモツァレラチーズのサラダ

昨日祖母の一周忌の法要があった。一昨日から岡山の実家にゆういちろうと行っており、本日奈良に帰ってきた。今週末はよい天気だったせいか借家の玄関に置いた鉢の植物がみなげんなりしており、急いで水をやった。たぶん大丈夫だろうと思う。夕食は作りおきしておいたカレーがあって助かった。新しくサラダを作るだけで済んだので。





祖父は法要当日の朝は喘息の発作が起きて調子が悪く、店でおこなった食事会(昼食)も途中退出したのだが、家に戻って庭の手入れを始めるとまた元気が出てきたようだった。祖母が楽しみにしていた花のことをたくさんおしえてくれた。



ゆういちろうは仲良しの従姉妹るあちゃんと一緒でとても楽しそうだった。ゆういちろうは「るあちゃん」とちゃんづけで呼び、るあちゃんのほうは「ゆういちろう」と呼び捨てにして、その対比が面白い。るあちゃんは「ゆういちろうと結婚する」とおしゃまなことを言う。





お隣さんへの挨拶にも子どもたちはついてきた。子どもたちのお目当ては、そのおうちの犬(名前チョコ)である。子どもにも寛容な優しい犬で、実家にゆういちろうをあずけていたときはほぼ毎日遊びに行っていたとのこと。私も小さい頃、お隣さんちの(何代も前の)犬の散歩を頼まれないのに買ってでて散歩していた。

親戚のうちに子犬が生まれたので、抱かせてもらった。あと2匹のもらい手募集中にあるらしい。既成事実が大事とばかり本当はこのまま奈良に連れて帰ろうかと思ったのだが、方々の大反対に遭い、結局あきらめた。
4月28日(月)

・冷天おろしうどん
・かつおのたたき
・プチトマト
・キムチのチーズ焼き



冷蔵庫の残り物を掃除するかのように食べた。

明日から長崎、にもかかわらず30日締め切りの大事な原稿がある。全然書けていない。例によって例のごとくモバイルプリンターを持って行くことにした。母を看ながらも、別文脈で、うんうんうなりながら向こうで取り組むことになると思う。こういうのって、ながら介護? ながら研究? あぶはち取らずにならないようにしなくては。

写真は、去年大阪の万博記念公園に行ったときに、背中のほうから撮った太陽の塔である。太陽の塔の永久保存が決まったとき、岡本太郎は次のように言ったそうだ。「ほとんどの施設が撤去され、あたりのざわめきが消えた今、あの平気で挑んだ姿勢と、その裏の、運命を優しくかかえたデリカシーが、一緒に浮かび出てくるようだ。」 

私はなぜか正面よりも背中が気になり、日によっては、人の背中ばかり撮っていることもある。自分でもなんか暗い人間だなと思っていたが、きっとそういうときは「運命を優しくかかえたデリカシーのある背中」を見ていたのだ。そうに違いないと思い込むことにする。太郎さん、ありがとう。
4月29日(火)

・ちゃんぽん



長崎に着いた。坂の途中にある家まで上るのに息が切れて困った。たくさん猫がいた。携帯電話のカメラを向けると、ものすごい形相でメンチをきってきて、こっちが迫力負けしてしまい写真に撮るのはあきらめた。

夕食は、いつも行っている店以外のところにも行ってみようという気分になり、さとなおさん(おいしい店を個人サイトで紹介してくれる)お勧めの「共楽園」という店でちゃんぽんを食べることにした。普通のちゃんぽん(650円!)もおいしかったが、ゆういちろうの頼んだ「そぼろ皿うどん」が今まで食べたことのないタイプのおいしさだった。

さとなおさんのLOVE度の高い店に外れなしのジンクスが更新された。グルメ評論家を毛嫌いしている夫も不思議とさとなおさんの情報は「おいしそう」と思うそうだ。庭に例えると、純和風庭園だったり、バラだらけだったり、高級度もしくはマニア度の高い庭ではなく、なんでもありだけど、あぁこの人は本当に植物が好きなんだなあ(LOVE度)というのが伝わってくる庭になっているということか。

原稿のことは聞かないで欲しい。おいしいものを食べると、知らぬ間に自然と素晴らしい原稿が書けていたら、どんなに幸せなことだろう。
4月30日(水)

・海の幸、たくさん



昼間は行政に無理を言って、くみとり式便所の中身をくみとってもらった。本当は1ヶ月前に予約しておかないといけなかったそうだが、事情を汲んでもらって即日解決できた。ありがとうございました。いつもお盆や正月など休日のときに来ていて、くみとりをお願いできなかったのだが、今度という今度は取ってもらわないと大変なことになるまでレベルが上がっていたのだ。危ないところだった。

この地区も最近下水道工事が完了して、3年以内に各家庭水洗便所にするよう行政指導が入っている。水洗便所にしない場合は、くみとりごとに比較的高額の料金を支払わなければならなくなるそうだ。年に2,3回しか使わず、母を奈良に引き取るとおそらくは当分来ないであろう家をどうするかで夫婦の意見が割れる。お金に困らない家には決して発生しない価値観の対立というやつだ。

目の前に広がる海を眺めながら食事した。ゆっくりと日没の様子を楽しんだ。その店は家から車で10分ほどのところにある。好き好き長崎。懐が深くロマンチックで多様性抜群の街だ。

原稿はちょっとだけ進んだ。でもまだ全然視界が開けない。気持ち悪い。夫も大事な原稿を抱えているが、ブレークスルーが来ないといってふて寝している。母がお世話になっている特養のケアマネージャーさんが変わって、様子がつかめない。果たして無事に家に迎えることができるのか。。。いろいろ心配するのを止めて私もそろそろ寝よう。