料理ネタ


2008年8月

8月1日(金)

・スパークリングワイン、赤ワイン
・玉ねぎのスープ(ぽったら煮)
・ビーフステーキしょうゆトマトソースとごはん
・焼きなす、すり胡麻をたっぷりかけて
・ピーマンとししとう焼き、ごま油とおかかじょうゆ



友を招いての食事。実家から届いた野菜を中心に、なるべく鬱陶しくない、単純だけど滋味深く感じられるような献立を心がけた。網焼き野菜にごま油としょうゆとおかかをたらして食べるとおいしいというのは、俳優・南波典子さんの2008/7/4付のブログの記事に教えられた。我が家でも大ヒットし、しょっちゅう作るようになった。

写真は7月初旬の空の様子である。仕事帰りのバス停で撮った。今見返しても、きれいなうろこ雲である。娘時代の延長のような安穏な生活は終わったのだと思う。

SAVE BURMA! (ミャンマーサイクロン第21報) 
8月2日(土)

・冷天おろしうどん
・昨日の残りのスープ
・焼きししとう、酢醤油で



午後から、ランチともだちがたくさん待機しているNiCTの施設一般公開へと向かった。子ども向けの展示なので、ゆういちろうも連れていった。「香りを飛ばそう」コーナーでは、ゆういちろうは知り合いの大人たちに囲まれ、楽しそうに空気砲を使っていた。私は知らない子どもたちに空気砲で狙われた。フロリダのプールでも、金髪の子どもから水鉄砲を狙い撃ちされたし、狙われやすい井出達をしているようだ。

ロボットのコーナーでは、インファノイドというロボットに目を輝かせ、お手てを愛おしそうに優しくそっと触ったら、作者の先生から優しく諭された(当たり前)。ゆういちろうのやる気はここで一挙に萎んでしまい、外に出ようと言い出した。私も展示をする側のときもあるので、本当にこういうのはジレンマなのだ。

お目当ての工作教室、虫眼鏡による望遠鏡作りは満員のため無理だった。会場近くになぜか血圧測定器があり、私たち夫婦はちゃっかり計ったが、子どもはだめなやつだったため、ゆういちろうは計りたくても計れず。かわいそう、ゆういちろうと思いきや、帰りにスーパーボールすくいをさせてもらえて、一気に機嫌が直った。さすが、主催者!

その後、ゆういちろうと私は散髪に行った。そのあいだ夫はカレーを作って待っていてくれるはずだったのだが、暑いからやる気をなくたらしく、結局私が作ることになった。冷天おろしうどんに大根おろしをいつものように添えるかどうかでしばし苦悩するほど、私も渋々感を漂わせながら作った。

写真は7月初旬の関西学研都市展示館の様子である。これを撮った翌日に、昨日載せたうろこ雲の写真を撮ったのだった。今はもう建物の跡形もない。焼却処分されてしまった。しかしこの建物の玄関扉は今うちの扉となっている。バトンタッチするように我が家にやってきた。この企てを成就させるために、いろいろな人が知恵を絞ってくださった。朝家を出るとき、夜家に帰ってきたとき、うちに来てくれてありがとう、ずっと大事にするからねといつも心のなかで話しかけている。

SAVE BURMA! (ミャンマーサイクロン第21報) 
8月7日(木)

・冷しそうめん
・卵黄ねぎ入り納豆
・冷奴
・豚の角煮(パックもの)



昨日は、固定資産税額算出のため家屋の評価額を査定しに市役所の人たちが我が家にやってきた。私が振替休日をとって対応した。休みついでに家のことをいろいろした。そのなかで生まれて初めてやったのが、次の4つ。

(1)コンポスト設置。猛暑のなか庭に穴を深く掘り、コンポストを埋めた。苦行だった。奥村先生の口からコンポストという単語が出てきたとき、コンポストって何ですかと聞き返したこともある1年前に比べて、少しはいろいろなことに興味を持つようになった。抜いた雑草(盗人萩)を敷き詰め、白カビがふわーっと一面に生えてしまったきゅうりをまずは放り込んだ。(今日蓋をあけてみても全然臭くないので、いいふうに分解されているのかなあ?)

(2)カーテンの洗濯。(奥村)まことさんの影響。35歳にもなって一度もカーテンを洗ったことがないとは、いままでどういう生活をしてきたのかといえば、気分転換という大義名分で引越しごとに古いカーテンを捨てて、新しいカーテンに取り替えていたのだった。しかし今回は、新しいカーテンも注文しているが、古いカーテンも予備(洗い換え)として大事にとっておくことにした。しかもちゃんと新居に合わせて裁断、すそ上げをする。偉い!

(3)漬け物作り。実家からたくさんのきゅうりが届いたので、カビにやられていない分を集めて、漬け物にした。液を煮立たせ、火を止め、塩もみした薄切りきゅうりを投入、しばらくしてザルにあけ、液を煮立たせ、の繰り返しで漬け込むタイプ。おいしくできるといいのだけど。

(4)ピクルス作り。実家から同じくたくさん届いたプチトマトをピクルスにした。漬け物よりずっと簡単で、これからもいつでも思い立ったときにできそう。

明日から長崎に帰省するので、せっせと保存食を作っているのだった。実家から大量に野菜が届いた日の新鮮なうちにご近所に配ればよかったのだ。しかし私の出張も重なってよいタイミングを逃してしまった。よほど親しい人にでも、この段階の古くなった野菜をおすそ分けするわけにはいかない。喧嘩を売っているようだもの。

今日は明日からの出発に備えて、帰宅後暗い中で、植物の自動水遣り準備をした。食事は全献立に刻みねぎを効かせた。明日の朝、捕獲して殺すに殺せず飼い始めたカミキリムシと、本日ゆういちろうにいただいたオジギソウをどうにかして、存命を願いながら出発するつもりだ。こうやって書き出してみると、仕事以外の生活でも盛りだくさんのアップアップの毎日だなあと思う。

写真は、最近のゆういちろうの決めのポーズ。かぶりものをかぶった上で、映画のなかのニヒルな北野武の真似をするというもの。相当研究して格好つけた表情を作っている。人を笑わせるのは大好きだけど、人から笑われるのはプライドが許さんという人間に育っております。

SAVE BURMA! (ミャンマーサイクロン第21報) 
8月17日(日)

・五島うどん
・豚の冷しゃぶ



長崎帰省を経て、奈良に帰ってきた。

今年も五島に海水浴に出かけた。きれいな海水に浸かり、さらさらの砂を踏み、火山噴火後にできた鬼岳のふかふか芝生の上を素足で歩き(写真)、温泉で汗を流す。これを3日繰り返した。真っ黒に日焼けした。魚も肉もびっくりするほどおいしかった。

長崎市に来てからは、入院中の母をほぼ毎日見舞った(ちょうど私たちがアメリカ・フロリダに行っているときに、施設で転んで足を骨折してしまい、施設近くの病院で手術、そのまま入院となっている)。市街地から車で片道1時間ほど離れた海の見える病院だった。母は弱っていた。1日だけ雲仙に遠出した日があって、そのときは見舞いに行かなかった。今年は火山と温泉に惹かれる夏休みだった。

行くまで全く知らなかったが、雲仙温泉は明治初期には外国人の避暑地だったそうで、毎夜ダンスパーティなんざが開かれていたそうだ。田舎の温泉街をイメージしていたのだが、予想に反しハイカラ風の建物がたくさんありなんでだろうと思っていたのだが、そういうことだったらしい。山の上だけあって涼しかった。

15日母を見舞った帰り道、長崎駅前を歩いていると、母のもともと入所している施設でお世話になっている若い介護士さんから肩をたたかれた。白のハッピ姿だったので一瞬誰だかわからなかった。お友だちの精霊船を流すために、この日は休みを取ったとおしえてくれた。故人の歳を聞くと、二十歳だという。若者たちが集まって、大量の爆竹に火をつけ、バンバン鳴るなかでウォーっと言いながら笑っていた。そういう送り出し方もあるのかと思った。

奈良に戻ってみると、プラスチック容器のなかでカミキリムシが死んでおり、裏庭に植えた山椒が枯れてしまったほかは、なんとか無事だった。雑草は相変わらず生き生きしている。近くの運動公園で地区の夏祭りが開かれていたので、家族で出かけた。ニュータウンでも盆踊りはやっていたが、全く人気はなかった。ゆういちろうは金魚すくいを6回もし、1匹もすくえず、でも保育園の友だちに会えてうれしそうに走り回っていた。帰宅してから五島土産のうどんを食べた。

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8月18日(月)

・トマトの冷製スパゲティ
・ミネストローネ
・きゅうりの漬け物(味噌風味)
・プチトマトのピクルス

野菜不足を実感し、野菜たっぷりの献立にした。からだが求めていたようで、どれも美味しく感じられた。長崎出発前に作っておいた漬け物類が意外といけた。古くなった野菜の活用法を見つけることができてうれしい。

今日はひさびさに出勤したが、全般的に呆けてしまい、やるべきことがまだどっさり残っている。ばかたれ、自分。「休み疲れ」ている場合じゃないだろう。明日は奮起せよ。

帰宅後、気分転換に家の写真を撮った。立派な雑木林風の庭にするには何年もの月日が必要だが、雑草園にするにはわずか2ヶ月でOK.。しかもメンテナンスフリー。手軽で安上がりでよいと思う。



緩い傾斜の坂道をのぼる途中に、突如雑草だらけの家が現れる。



門周りはこんな感じ。道路と同じ傾斜角度で玄関までのぼりつく構造になっている。人や車が通るところはコンクリートで固めてあるが、雑草ベルトも奥まですーっと伸びて気持ちよい。この草むらの気持ちよさは犬猫にも共通のようで、ある日玄関扉を開けると、首輪つきの人懐っこい白いわんちゃんが目の前にいてびっくりしたことがある。

SAVE BURMA! (ミャンマーサイクロン第22報)
8月19日(火)

・懇親会メニュー

今宵は敏腕秘書のIさんの発案で、2年半前に解散した研究所所長のS先生を囲んで、元メンバーたちが暑気払いパーティに集まった。遠方からは筑波の人もいた。それぞれの近況報告会になった。みんなS先生のことを慕っている。私も散々お世話になった身だ。他にもいいことがあったし、今日はいい日だったと思う。

SAVE BURMA! (ミャンマーサイクロン第22報)
2日分まとめて更新!

8月20日(水)
・宅配ピザ
・宅配コーンクリームスープ

夫、この日より東京出張に出かけた。私のほうはといえば、ゆういちろうと一緒に夕飯材料の買い物をし帰宅してから、米をきらしていることに気づき(かろうじて翌日のお弁当分はあった)、結局ピザを取ることにした。なにやってんだかという感じ。


8月21日(木)
・赤ワイン
・ハヤシライス
・茹でオクラ、しょうゆマヨネーズソース



米を買い足し、昨日買ってきた材料で夕飯を作った。

死んでもらっては困る方が本日大手術を受けることになっている。今頃はどうなさっているのだろうか。遠くから手術の成功を祈る。

奥様が代わりに最近の様子をネット上に綴ってくださっている。いつもは奥様独特のモンティ・パイソン風不屈の精神あふれる不思議なテンションの文章が載っていて、客観的に見れば重大疾患患者の描写のはずなのに、ついくすくす笑ってしまうのだった。今日は心臓に悪いので見ないことにする。心配と笑いのバランスが自分のなかで取れそうもないからだ。とにかく、遠くから手術の成功を祈ろうと思う。

写真は、先々月ゆういちろうが髄膜炎で入院したときに撮ったもの。子どもの気を紛らわせるため、点滴パックには看護士さんによる塗り絵が貼られている。毎回絵が違っていて、色が塗られているときとそうでないときがあった。点滴パックが交換されるごとに、塗り絵だけはがされ、ベッドのパイプに貼られていった。最初絵がたまっていくと妙にうれしくなったが、途中からはたまらないうちになるべく早く退院したいと思っていた。

日中はそこそこ蒸し暑かったが、ただいま午前1時の外気温は20度。涼しい。

SAVE BURMA! (ミャンマーサイクロン第22報)
8月22日(金)

・居酒屋メニュー



夫の東京出張と入れ替わりに、今度は私が北海道・札幌に来ている。長袖パーカを持って行って正解だった。半袖では寒い。

ホテル近くに時計台があるのでいってみた。白樺の木が植わってあるのを見た瞬間、「しらかば〜、あおぞ〜ら、みぃなぁあみぃかぁぜ」と北島三郎の歌が突如頭に浮かんできて、ほっといたらいつの間にか「届いたおふくろの小さな包み」まですらすらと出てきて、ついにあの故郷に帰ろうかなという一番ラストのサビまで頭のなかで歌えてしまった。そういえば2年ほど前に函館に行ったときも、空港に降り立った瞬間、「はぁ〜るばるきたよ、はっこだて〜」のフレーズが頭のなかに降りてきたことがあった。私の無意識にとって、どうやら北海道といえば北島三郎なのかもしれない。なんともはや渋すぎる趣味だ。

同僚と食事に行く約束をしていて、時計台は待ち合わせ場所でもあった。ぼーっと待っていたら、なんと同じ学会に参加する東京組と偶然にも再会し、一緒に食事をすることに。信頼のおけるさとなおさんのサイトで紹介されていた「しま田」という小料理屋さんに行った。うまい、そして安い。気持ちの良い酒席だった。

午後7時のライトアップされた時計台を写真に撮ったら、すっかり白飛びしていた。本物(現物)を写しているのに、妙にニセモノちっくな夜の風情が全く感じられない写真になった。

昨日心配していた手術は無事成功したそうだ。うれしい。これでまずは一安心だ。

SAVE BURMA! (ミャンマーサイクロン第22報)
8月23日(土)

・懇親会メニュー
・居酒屋メニュー

日本生態心理学会第2回大会に参加している。シングルセッションだ。朝から缶詰状態で全部聴講した。私は全部網羅するのが好きなので、シングルセッションの小さな学会は気分的に落ち着いて参加できて好きだ。知っている人も多いので、余計に落ち着いていられるのかもしれない。

懇親会ではたくさんの人と話した。ひさしぶりにS先生とも話しができてよかった。建築を専門とする人には、聞かれてもいないのにたっぷりと奈良の家のことを大いに自慢した。だって素晴らしいんだもの。カイロ、フランス、ジュネーブと海外転勤生活が長く、帰国後主婦休業宣言をして学生になったT子さんとも話しがはずんだ。だんなさんがイラン、イラク、コソボ、リビアなど各国の戦地取材に長期出かけるなか小さい子ども3人をかかえて過ごした話は凄みがあった。大学3年の娘さんと一緒に来ているとのことで、2次会で合流。現在の若者の就職状況や隠れ帰国子女としての体験話をたくさん聞けた。いろいろな人生があるのだなあと思った。

主婦休業宣言の話で思い出したことがあった。T子さんの場合は娘さんが高校2年生のときに休業宣言をして、一足早く受験勉強を始めたそうで、それはそれですごいことだと思うが、学生時代の旧友の身の上に起こったこともすごかったのだ。

小さい頃から「お母さんはあんたが小学生の間は母親をやるが、中学になったら自分の面倒は自分で見るように」と言って育てられたそうだ。子どもながらにいくらなんでもそれは大げさに言っているだけだろうと高をくくっていたら、中学生になって本当に母親が家に寄り付かなくなり、「本気」であることを思い知らされたそうだ。お母さん今頃何をやっているんだろう、また麻雀かなあと心配していたら、テレビに金魚すくい大会で金魚をすくいまくる母親の優勝姿が映し出されたそうだ。

旧友はそういう環境のなかで東大合格したんだから(ついでにいえばT子さんも娘さんも東大生)、受験勉強って自発的にするものなんだなと思った。受験勉強に限らず勉強一般に当てはまる法則のような気がする。今ごろになって気付くなよということを、また気付いてしまった。

SAVE BURMA! (ミャンマーサイクロン第22報)
8月24日(日)
・コーンバター味噌ラーメン

札幌より帰宅。午前中に私たちの発表は無事終わり、この日の午後は、学会企画によるイサムノグチ基本設計のモエレ沼公園ツアーに出かけた。久々に自転車(レンタル)に乗って気持ちよかった。まさにデザイナーズ遊具といった感じのユニークな遊び場が林のなかに点在している場所もあり、ゆういちろうを連れていくと喜ぶだろうなと思った。夕食は新千歳空港でささっと食べた。おいしそうなお土産ものもたくさん売られ、空港は活気のある市場の態をなしていた。ここだけを見ると、北海道はとっても豊かな感じがする。


8月25日(月)
・日本酒
・ごはん、カニふりかけ
・肉じゃが
・豆腐のピリ辛みそ煮(ひき肉あんあけ)

豆腐の煮込みは夫が、肉じゃがは私が作った。今日は珍しく汁物はつけなかった。空港で買った安〜い化学調味料たっぷりそうなカニふりかけをご飯にかけたところ妙においしかった。ゆういちろうもご飯大盛り大人顔向けの量をぺろりとたいらげた。しばらくはやみつきになりそうである。

仕事は複数案件を同時進行でさばいていかねばならないという全く落ち着かない状況に陥っている。なかには心躍る企画もあるが、苦手な事務処理関連のかなり気が重いものもある。おおいやだおおいやだとじたばた慌てふためいたら余計先に進まないだろうから、心を貝にして粛々と手を動かそうと思う(全くもう、言うは安し、おこなうは難し!)。早くこのフェーズを抜けて論文書きの日々に入りたいなあ。

SAVE BURMA! (ミャンマーサイクロン第22報)
8月30日(土)

・日本酒
・ごはん
・なめこと豆腐の味噌汁
・焼きさんま、たっぷり大根おろし
・オクラとピーマンとかぼちゃの煮物



日記も書かず、ぽやっとしていたらあっという間に週末になっていた。この間、にっちもさっちもいかなくなり、徹夜して有給をとってうちで仕事をしたりなど、なにやってんだかって感じだった。夏休み前は、この暑いときに休みも取らずに働くなんて信じられないとランチともだちに余裕あるところを見せつけていたのが懐かしい。というか愚か。まさにきりぎりす人間。

昨晩から今日の午前中にかけてまとまった雨が降った。自分ちの庭のことだけを考えたらとてもうれしい出来事だ。ゆういちろうはソファに寝そべって雨だれが落ちてくるのを眺めたり、父親不在の退屈な雨の休日の午前中を過ごしていた。私はといえば、本箱を開け、せっせと本棚にしまっていった。あと半分くらいでダンボールが空になる。写真は、仕事部屋の私の椅子に座って絵本を黙読しているゆうちいろうの様子を隠し撮りしたもの。そういえば最近よく黙読するようになった。もちろん声を出して読むことも多く、「むかし、あるところに、とてもまず〜いおじいさんとおばあさんがいました」など、たいていどこかで面白い間違え方をする。だから今この時期の絵本の黙読って、いったいどんなことを考えながら読んでいるのだろうと興味深々だ。

休日出勤の夫が帰宅後、手分けして夕食を作った。早稲の新米にしたし、秋を感じてからは、和食の日が多い。

SAVE BURMA! (ミャンマーサイクロン第22報)