料理ネタ


2008年12月

12月1日(月)

・日本酒
・鶏団子鍋
・〆卵雑炊



研究所の防災訓練があり、火事を想定してみんなで芝生に避難集合した(写真)。消防署の方の講演を聞くときは、席がなかったので前のほうに座ったにも関わらず、昨晩の寝不足がたたってゆらゆらと船を漕いでばかり。とても申し訳なかった。こんなことならさぼって部屋に戻っていたほうがましだった。

実家の母が手作りの鶏団子を冷凍して送ってくれた。鶏ひき肉、ねぎ、里芋、しょうが汁、塩コショウを練った団子である。さっそく鍋にして食べた。幸せでおいしかった。ママー。すっかり里心がついてしまった。

SAVE BURMA! ミャンマーサイクロン(第26報) 
12月2日(火)

・白ワイン
・魚介のブイヤベース
・〆スープスパゲティ

さきがけ研究で大変お世話になっている原島博先生の講演が研究所であった。情報通信の歴史だけでなく先生ご自身の研究もとても分かりやすく伝えてくださり、なるほどこういうことだったのかといろいろ腑に落ちることばかりだった。誠実であることと正直であることを強い意志でもって実践されてきた研究者のお一人である。私もしっかりしなくてはとエールをもらった。

最後までお話を聞いていたかったが、ゆういちろうを迎えにいかないといけないので、残念ながら質疑応答の途中で退出した。下の写真にあるようにふざけた奴なのだが、親の務めであるので仕方ない。



夕食はブイヤベース簡易版を作った。鍋が続いている。体が芯から暖まるのでこの時期必須の調理法だ。

仕事では複数案件を同時進行で処理しないといけないので、今大変である。わけが分からなくなりそう。今晩は要領が悪く、ある仕事を持ち帰ってしまった。でもなかなか取っ掛かりが見えない。思い切ってちゃんと寝て、明日に廻そうか。

話は変わるが、人に対して、この人は誠実だと感じる人と不誠実だと感じる人の差はどこにあるのだろうか。自分の傾向として、人見知り度は幼児レベルというか、嫌いな奴には笑えないというか、少しでも不誠実さを感じた人には相手がどんなに偉くて力を持っていようと自分からは絶対に近寄りたくないと思ってしまう。自分に直接火の粉は降りかかっては来なかったけど、そりゃないだろうよと思う事柄を最近目撃することが多かった。私に当事者意識があるかといえば、全然そんなことはない。けれども自分に直接関係ないんだから流せばいいじゃないと思い込もうとしても、全然きれいに流せていない感じ。許せないのではなく近寄りたくないと思ってしまう感覚。うーん、いったい結局何を言いたいのか自分でも分からなくなったので、もう寝よう。夢が心の澱をきれいに洗い流してくれればいいなあ。

SAVE BURMA! ミャンマーサイクロン(第26報) 
12月3日(水)

・日本酒
・ごはん
・惣菜いろいろ

保育園の帰り、いつも園庭をぐるぐるとともだちと何周もしてから帰るところを、今日は足が痛いから走られへんわとゆういちろうはKくんに言い、Kくんも、そうやな、ゆういちろうくん足痛かったんやなといたわりのことばをかけていた。なんのことかと思ったら、足が大きくなり運動靴が合わず靴擦れを起こしていたのだった。本人のかかとからも血がにじんでいたし、運動靴の内側も布がやぶれ血の痕がついていた。見るからに痛そうだった。

そういえばゆういちろう、しばらく前にも足が痛いと言っていたような言わなかったような。。。最近自分のことで忙しく、あまりかまってやってなかったとすっかり可哀相な気分になり、新しい靴を買いに駅前のスーパーに急遽出かけた。以前長靴の新調のときもそうで(一気に2センチアップした)、子どもは血を出さないと不具合に気づいてもらえないのかと思うと、きゅんと切ない気分になった。大人に頼らないと生きていけない子どもたちに同情する。もう決して自分はその頃へは戻れないが、どこか懐かしい未来を子どもたちに感じる。特に保育園の同級生たちに。子どもからしてみれば私は大人なので、もうありとあらゆる愛情を注ぎ込んで彼らに接したいと思う。でも、自分のことに忙しくなると、その決意をすっかり忘れてしまうのだった。毎度こんなことを繰り返している。

帰りが遅くなり、夕飯を作っている場合ではなくなったので、惣菜を買って間に合わせた。残り物ですって感じの惣菜ばかりだったが、そこから適当に選んで、たまにはこういうのもいいよねとみんなで言い訳しながら食べるのは、それはそれで幸せな時間かもしれない。だめだ、今日はおセンチだ。明日はハードボイルドに生きよう。

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12月4日(木)

・日本酒
・ごはん
・ねぎとわかめの味噌汁
・肉じゃが
・やまいもとろろ

陽光の下、若者は死ぬ
傷痕の街
汚れた夜
感傷の街角
野獣死すべし
大いなる眠り
裁くのは俺だ
人形の夜
やとわれた男
死者におくる花束はない

気分はすっかりハードボイルド。今、仕事で自分で自分を推薦するかなり恥ずかしい文章を書いていて、そういうときはタフで冷徹なもうひとりのハードボイルド的人格を呼び起こさないといけないので、大変なのだ。もうひとりの私が「ねえねえ、私のどこがステキなの?」と聞くと、それに対してハードボイルドな方の私が「レイディ、それは難しい問題だね。たくさんありすぎて答えるのに苦労するよ」と言うのだ。それくらい自己を多重に客体化して見つめない限り、自分の推薦文なんて照れてしまって書けないよ。他の人たち、どうやってこの苦境を乗り切ってきたのだろうか。

で、さらに難しいのはそんなややこしい頭の状態を俊足に冷やして、うちに帰ると普通にごはんを作らないといけないのだ。今日は、ねぎの味噌汁と肉じゃがを作りました。全くハードボイルドじゃない。で、家族が寝静まった後、またおもむろに机に向かうという毎日。上等じゃないか。

SAVE BURMA! ミャンマーサイクロン(第26報)
12月5日(金)

・スパークリングワイン
・宅配ピザ
・宅配ミネストローネ

職場では全く種類の異なる3件の事務仕事を同時進行でこなした。なぜに年末のこの時期はこんなに気ぜわしいのだ。そのうちひとつは、私がミスしたら周りに大きな迷惑をかける大事な仕事だったので、その分余計にぐったりしたり、イラっときたり、不必要に心配になったりした。慣れと諦めと平常心の境地に達するのは、どれくらいの経験が必要なのかな。

事務的手続き大好きですという研究者に今まで会ったことがないが、私もかなり苦手な部類に入る。というのもなぜこのような制約をこちらにかけてくるのか理由を考えても、これといって納得できる答えが見つからない。つまりとても不条理感を覚えながらの作業になるからだ。つい立ち止まって物事を考えてしまう癖をここで発揮などしたらドツボにはまる。ぶつぶつ文句ったれになるくらいなら、何も考えずに、言われるままに作業をこなしていったほうが、断然得策である場合が多い。それにそもそも物事すべてに理由があると想定するほうがおかしいのだ。自分には学習能力がないのかしらとがっかりするが、毎回クールに対応できず、新鮮な驚きとともに同じように躓く。

帰り道、車のなかで夫にそれを話したら、「これでもずっと楽になったほうだよ。昔の手書き時代を今のあんたが体験したら、30分で憤死するよ」とかつての涙なしでは聞けないエピソードの数々をおしえてくれた。その時代に比べたら、確かに大進歩したのだと思う。そういえば学生時代は手書きで書類を出すことが多かったな。ワープロするときも感熱紙を使っていた。電子メールやインターネットなど、ちらほら噂に聞くだけで、ほとんど利用しなかった時代だ。忘れてた、忘れてた。

ああ、でもこのぐったり感は変えようもなく、夕飯は宅配ピザに頼ってしまった。年明けは、一転して、論文作成になりふり構わず取り掛かるぞ。

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12月6日(土)

・紹興酒
・ごはん
・白菜の中華スープ
・麻婆豆腐
・大根の三杯酢和え
・紫蘇みそ



先々週末と先週末を利用して、夫が食器棚を作った。食堂の壁に設置。朝になると光が反射してとてもきれい。前面は白の化粧版、側面はシナベニヤを使用している。高級感もなければそんなに安っぽくもないちょうどいい雰囲気をかもしている。

午後から、美容院にいった。保育園の同級生のお父さんがやっているところだ。2ヶ月ぶりにすっきりさっぱりした。そんなに他の父兄と付き合いがない我が家にとって、耳寄り情報をもたらしてくれる大事な場だ。嫌な感じの噂話は一切しない方なので、信頼を寄せている。



美容院から帰って、庭を見回ると、梅の木の根元にいつのまにか生えてきてあれよあれよという間に巨大化したたんぽぽに蕾がついているのを発見した。私の足(向って左)と中央の蕾(普通の大きさ)を見れば、どれくらい大きい株であるかが分かると思う。



さらに見回りを続けると、裏のほうで夫が工作室の扉の下の踏み台を作っていた。もともと家の設計の段階では石を使う話になっていたような気もするのだが、予算の都合か単にみんな忘れていたのか、出来上がり時に何もついていなかった。で、すのこの踏み台をホームセンターで手に入れ、洗濯物を干すための通路として使っていた。しかしだんだん地面にめりこんでいってぐらぐらしてきたので、念のためホームセンターでその商品の説明書きを確認すると、耐荷重量は何と私の体重より少ないことが判明。危ないので何とかしてくれと懇願したところ、最初はダイエットすればと気のない返事だったが、結局作ってくれることになった。コンクリート板を敷いて、防腐用塗料を塗った木で棚を作ってその上に乗せるという。



実家から畑でとれた野菜がたくさん届いた。父が退職してからよく畑仕事をするようになった。ダンボールを開けると、新聞紙に小分けにして包まれたいろいろな種類の野菜が出てきた。今日は、赤い大根を使ったサラダ風の三杯酢和えにした。白い円に赤い縁取りがきれいに映えた。

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12月7日(日)

・スパークリングワイン
・ごはん
・水餃子入り白菜の中華スープ
・八宝菜
・イカ明太子
・紫蘇みそ
・大根おろし

朝方、氷点下まで冷え込んだ。しかしOMソーラーのおかげでうちは補助暖房なしで室温20度に保たれ大丈夫。起きるのがつらくない。すごいぞ、太陽パワー。ついでにいえば、今年の夏は寝るときクーラーをつけなくても大丈夫だった。確かに暑いのだけど、我慢可能な暑さで、前の家では考えられない事態に恵まれた。放射冷却のおかげ。奥村先生、パッシブソーラーシステムを考案してくださってありがとうございます。



ゆういちろうと一緒に先日どんぐり(くぬぎの実)を埋めたところの、昨日の土手の様子。何もないのはさびしいのでさくら草も植えてある。今朝霜にやられていないか確認したところ大丈夫そうだった。けど寒そうなので腐葉土を敷いてやった。



裏庭には色がなくさびしいので、昨日、紅白の葉牡丹、黄色の実の千両、リュウノヒゲ(黒竜)、黄金カズラと日本に古くからある植物を使って、お正月向けの洋風寄せ植えを作ってみた。本当は和風の鉢にしっとり決めたかったのだけど、いい鉢がなかったので、急遽予定変更して手頃な抹茶ケーキのような寄せ植えを作った。写真は、今朝のキンと冷えた空気のなかで撮ったもの。葉牡丹の葉の上で朝露が凍っていた。全部寒さや日陰に強い植物なので、この冬を元気に乗り切ってくれるだろう。



日が昇り、土手のすすきに光があたって本当にきれいだった。しばし幸せな気分で見つめた。冬のさびしさに耐え切れず、華やかな植物ばかり買い足していたが、もうそろそろ止めようと思った。



午前中はゆういちろうの保育園の学芸会「あそびの広場」を見に、夫婦で出かけた。ゆういちろうのいる年長組の出し物を見て、先生のほうが感極まって声を詰まらせるシーンもあり、そういう大人に囲まれて保育されているのかと思うと、ほのぼのと暖かい気持ちになった。

夕食はいろいろな人たちからのいただきものを出した。季節柄いただきものに恵まれている。おいしいものが集まってきて、私たちは幸せである。

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12月8日(月)

・赤ワイン
・ビーフカレーライス
・ゆで卵



以前住んでいた借家には4年ほどお世話になった。その借家に引越してからしばらくたって、お隣さんから君子蘭をいただいた。2年前大霜にあててしまってからというもの機嫌を損ねている。けれども今年の春は、君子という名にはふさわしくないが、いたいけなオレンジ色の花を小さく咲かせた。来年も花を咲かせたいので、玄関内に避難させた。ゼラニウムも数日前の初霜にやられてしまったので、同じく避難。春になるまでここで穏やかに過ごしてね。

今朝、杖をついて散歩中のおじいさんがうちの土手のほうをとても優しい表情でじーっと見つめながら歩いているのを偶然目撃した。うれしかった。私、庭造りがんばります!と、心の中で宣言した。がんばるというと語弊があるかもしれないのでもう少し言い直すと、やりすぎないように気をつけるといいましょうか、草木が私たち気持ちいいんです!と伸びやかに生を謳歌している風情が出るよう心がけるといいましょうか。。。

夕飯は、夫のリクエストもあり、カレーにした。ハウスのこくまろとSBのゴールデンカレーのルーを半々の割合で混ぜた。結婚してから夫に習ったテクである。

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12月9日(火)

・スパークリングワイン
・昨日の残りのビーフカレーライス
・ゆで卵

研究所にKさんがやって来た。みなでコーヒーとお菓子を前にしばし旧交を温めあった。が、いかんせん家庭の主婦はその場を早々と去らねばならない。ゆういちろうを迎えに退出した。 残り物を利用したので、すぐに夕食を出すことが出来た。夫の帰りが遅いのでゆういちろうと二人でいそいそと食べた。

家を建ててもらったツキデ工務店のFさんから電話があった。庭の相談に乗ってもらう。

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12月10日(水)
・水炊き風鶏団子鍋
・〆うどん

実家の母が作った鶏団子入りの鍋にした。出汁を出すために鶏のぶつ切りも入れ、先日届いた野菜も入れ、滋養たっぷりの鍋になった。

後先のことを考えず、精神衛生のため今日は論文しか読まないと決めて、一日をスタートさせた。懸案だった英語の論文を読了。二重否定とか難しい構文の出てこない親切な文体で、すっと頭に入ってきたので、いつにない至福のときだった。他にも気になっていた日本語の論文も読む。勉強になる。そう、私はこういう時間が好きなのよ。よし、明日からさくさくと終了報告書を書いていくぞと自分で気分を盛り上げた。

嫌なニュースや疑心暗鬼渦巻く空気にときどき飲まれそうになる。でもいくら自分を守るためだとはいえ、あの人は信頼できる、あの人は信頼できない、と自分のなかの評価基準で他人を品定めばかりしていたら、たぶん誰も私のことなど信頼しないだろう。

最近カレル・チャペックの『ダーシェンカ・あるいは子犬の生活』をぱらぱらと読み返している。弾圧を被るなかで示した彼の優しさと不屈のユーモア精神は私に勇気を与えるだけでなく、そもそもワイヤヘアードフォックステリアに対する私の並々ならぬ愛情を刺激する本になっている。小さい頃飼っていたのがダーシェンカと同じワイヤヘアードで、ボルという名前の犬だった。手入れの行き届かないぼさぼさの毛をしていたので、口の悪い友達からはボロと呼ばれていた。絵本のなかでチャペックがダーシェンカに言って聞かせる「人間について」という文章は、ゆういちろうに読んでやるふりをして自分に言い聞かせたいことばかりだ。


12月11日(木)
・明太子スパゲティ
・プチトマト入りコンソメスープ
・ぶりのスパイス焼き

夫のリクエストどおりに作った。いとこのKちゃんのくれたこの時期恒例の明太子を使ってスパゲティにした。ありがとう。


12月12日(金)
・白ワイン
・ごはん
・鶏団子入りクリームシチュー
・昨日の残りコンソメスープ
・しいたけとえのきの炒め物、オレガノ風味

またもや母の作った鶏団子を利用して、今度はシチューにしてみた。昨日のスープが残っていたので、ダブル汁物献立になってしまったが、おいしいのでよしとする。きのこの炒め物は火を止めるタイミングを間違え、最後水分が出てびちゃびちゃになった。失敗した。簡単なようで難しい一品だ。

あとほかにもいろいろあったけど、眠い。割愛。

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12月13日(土)
・赤ワイン
・極上喫茶店メニュー

青年団の『サンタクロース会議』を見るために、前の日から東京に家族で出かけた。ついでなので観光しようと、少し早めに家を出て、上野動物園に行った。ゆういちろうも絵本や図鑑に出てくる動物の本物を見られて大喜びだったが、一番目を輝かせたのはモルモットだった。小さくて愛玩できる動物に反応するみたいだ。



最初に見たのが、アジア象の餌やり現場だった。きゃ〜象さんよと言いながら撮ったはずなのに、写真がなんだかさびしげ。



ゴリラのコーナーでも、目を凝らしてやっと向こうにゴリラ発見!とズームで写真を撮ったら、やたらさびしげなものが撮れてしまった。気持ちが高揚していても自然に写真に反映されるわけではないのね。

駒場東大前駅を少し歩いたところにあるボラーチョという店で、よくある喫茶店メニューを最高においしく極めたような品々を食べた。夫とゆういちろうは一足早くホテルに戻り、私はタナカカツキさんの『ALTOVISION』を見に、渋谷のユーロスペースに出かけた。


12月14日(日)
・トースト
・金曜残りのホワイトシチュー

夕飯は、うちに帰って、金曜に作りおきしておいたシチューを温めて食べた。

日中は青年団の『サンタクロース会議』の子ども参加型とアダルト編の両方を見た。子ども参加型はゆういちろうも一緒に見たのだが、観劇後、「ガミガミ博士はサンタさんなんかいな〜いと言ってたけど、どう思う?」と聞いてみたら、「うれしくないやんそんなん。サンタさん、嫌いなんやな、あの人は。」と、存在することが前提で、存在を否定するのがいかにいけないことか、私たちに強く力説した。

それにしても振り返ってみるに、私たちはゆういちろうにたくさん何でも買ってやっている気がする。私たちが欲望のコントロールを知らないような。。。



帰宅後、テレビを見ている様子。テーブルの上はおもちゃだらけだ。向って左上にあるのは上野動物園で買ってやったレッサーパンダのぬいぐるみである。というか親の私が我慢できず欲しくなったのだ。なぜ我慢できない自分。ゆういちろうの「本当に待ち遠しいごちそう」と同様、「本当にもらってうれしいプレゼント」の機会をどんどん奪っているような気がする。

ゆういちろうが、「この子はお母さんのことも好きなんだって。しばらく貸してあげるよ」と寛大なことを言う。歯の浮くセリフを言うときは標準語なのだ。日記を書いている今も、レッサーパンダは机の上にいる。たまにからだをなでている。なんだか落ち着く。今晩は枕元において眠ろうと思う。子どもがある程度大きくなって自分から離れたので、犬でも飼いたい気分なのか。大丈夫か自分。

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12月15日(月)
・いちご
・りんご

ヴィクトリア大学の野呂先生と来年3月のカナダである学会の打ち合わせをした。パネラーとしてしゃべることになった。日本語でしゃべってもいいとのこと。やった!

喜ぶのもつかのま、夕方になって激しい全身の倦怠感を感じ、早退した。夜になると、それにプラスして激しい悪寒と発熱、関節痛に見舞われ、完全にノックダウンした。吐き気もあったので、食事は果物だけに。


12月16日(火)
・昨日の残りの豚汁
・天ぷらそば

インフルエンザかと思っていたけど、朝起きると熱はすっかり下がっていた。全身の倦怠感と関節痛、軽い頭痛がまだ残っている。なんなんだ、この風邪は。突然のことなので、こっちがびっくりしたよ。仕事を休んで、おとなしくうちで過ごした。夫が作ってくれた夕食を食べた。

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12月17日(水)

・ごはん
・大根とわかめの味噌汁
・牛肉のしぐれ煮
・山椒味噌
・辛子明太子



一応職場に向ったが、午後からだんだん体がだるくなってきて困った。本日とうとう同じ部屋の同僚も休んだし(5人中4人目)、風邪が周りで大流行している。夫は今大変忙しく、なんでこんなときに風邪なんかひくんだよと一昨日から迷惑がられて肩身が狭かった。まあ、しゃれにならない病気だと悪態をつくこともできないだろうし、私もそんな病気には罹りたくないので、悪態をつかれるくらいがちょうどいいのである。今日ぐらいから家事復活。でもご飯を炊いて、味噌汁を作る以上のことはしたくなかった。ゆえに、おかずはいただきもののおつまみをメインに据えた。ありがとうMさんとKちゃん! 明太子の赤がきれい。ゆういちろうの大好物なのだ。渋い趣味をしている。

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12月18日(木)

・ごはん
・白菜の味噌汁
・まぐろの山かけ
・牛肉のしぐれ煮
・山椒味噌

体がかなりだるかったので、無理をせずに休んだ。まだ頭の芯が痛いのだけど、明日からは普通に出勤できるのではないかと思う。夕飯は、夫が山芋をすりおりして、まぐろの切り落としの上に乗せた他は、昨日とあまり変わり映えしない。

昨日書こうと思ってたことだけど、奥村昭雄、まことご夫妻からひさびさに手紙が届いた。OMがうまく作動しているかという質問(答え、イエス)。奈良の気象に関するOMの最新シミュレーション結果も同封されていた。奥村先生はいち早く計算機技術を取り入れた建築家のひとりとして知られている。この夏には、98時代に作った紙芝居風の昔話(登場人物がとてもおしゃれ!)の復活プログラムを送ってくださったこともある。もともとはまだ小さかったお孫さんのために作られたものだ。この研究熱心さはずっと続くのだろうなあ。この前お会いしたときは、生きている豚を仕留めて、丸焼きにするためのテクの一部をおしえてくださったし、この調子だと、まだどこにも発表していない面白いデータをきっといくつかお持ちになっているに違いない。

手紙の最後には、「おしまいになりましたが、みんな元気ですか。元気ですよね。うちは二人とも元気です。着々と年をとっています。でわ皆さん、風邪をひかないようにして(みかんをいっぱい食べて)よいお正月をお迎えください。」と書かれてあった。前触れなく突然熱が出てびっくりしていたときに、どんぴしゃのタイミングで手紙が届いて、まことさんの勘の鋭さに驚いてしまった。

OMソーラーの住みやすさと、奥村ご夫妻の人を元気にする面白さを余すことなく多くの人に伝えたいのだが、どんな方法が適切かなあと、みかんといちごを頬張りながらつらつら考えている。(今年中に仕上げないといけない仕事のことももちろん考えています。業務連絡風言い訳)

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12月19日(金)

・ウチワハゲの鍋、おろしポン酢で
・〆うどん

鍋用に切られたウチワハゲという魚を初めて食べた。きゅっと味が締まっていて、おいしかった。身が崩れやすい鱈より私は好きだ。

だいぶ日常のペースが戻ってきた。洗い物も終わったし、ゆういちろうも寝かせつけたし(危うく一緒に寝てしまうところだった)、これから大人の時間、報告書作成タイムに従事しようと思う。この時期、風邪で2日休んだのは痛かった。でも、病んでいるときに文章を書くことは少なくとも自分はできないので、しょうがないのだった。隣の机では、夫が今うなりながら論文を書いている。なにやらつぶやいている。帰宅してからずっと頭は論文モードのようで心ここにあらずだった。英語のもよう。大変だなあ。と、人のことに気をとられている場合ではない。自分のことに集中しよう。夫婦仲良く別件併走である。

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12月20日(土)
・ごはん
・キャベツの味噌汁
・うおぜの塩焼き、ポン酢を少々
・かぼちゃとオクラとピーマンの煮物
・山椒味噌





さっぱりして正月を迎えるため、すすきを刈った。そんなに大量ではなかったのに、陽気も手伝ってか、全部刈り終わる頃には大粒の汗が額から滴り落ちた。芽だしから枯れすすきになるまで存分に楽しんだ。来年も元気に生えてきてね。



初めての魚シリーズ第2日目。うおぜ。写真は、塩を振ってしばらく置いている時のもの。きらきらひかっていた。塩焼きにして、ポン酢を少しかけて食べたら、おいしかった。


12月21日(日)
・日本酒
・牡蠣と蟹の鍋
・〆卵雑炊



春に庭の工事をお願いした植木屋さんに、半年たった庭の気になるところをきれいにしてもらった。親子でコンビを組んでいる植木屋さんである。とても感じのいいやりとりをしながら作業を進めていて、朝からほのぼのとした気持ちになった。

植物に関するたくさんためになる話を聞けた。自分の経験や本に書いてある内容だけでは追いつけない話ばかり。そもそも私が当初お願いしていた梅と山椒バラの剪定は今年はまだ必要なく、トキワマンサクやカツラのほうをスパスパっと切っていた。剪定はお父さんのほうの仕事だった。梅については、試しに一枝だけ切って、紅梅だから切り口が赤いことを指し示し、染料にもなるということをおしえてくれた。

私と同世代くらいの息子さんからもワンポイントアドバイスの数々をもらえた。梅は虫にほとんど全部葉っぱを食べられても枯れないので、虫がついても騒がず羽化して去るまでほって置けばいいそうだ。下手に触ると、射されて痛い目に遭うタイプの虫が多いとのこと。あと、来年はもっともっと雑草が生えてくるはずだから、定期的に刈ってふかふかの芝生のようにしてみるという手もある、とのこと。

竹、バナナ、ソテツの植わった長崎風民家計画も本格始動した。プロに相談にのってもらうと本当に心強い。だいたい私の目から見て弱っている感じの木を見て、大丈夫、枯れてませんと保証されると安心ではないか。庭の隅に積み上げていた刈った後の雑草も全部引き取ってもらったので、さっぱりして気持ちよい。

外にずっといると、お隣さんが匂いのいいカリンと一緒に、冬至だから柚子湯にすればと、庭の柚子を切ってもってきてくださった。田舎に生まれたのにそんなことも知らなかったのかと言われそうだが、柚子の木に鋭い棘があることを初めて知った。棘のある柚子の木には実はそれほど成らないけど、棘のないなんとかという種類の柚子そっくりの実のなる木には若木のうちからたわわに実るそうだ(お父さん情報)。いろいろな方から植物を通じて情操教育を受けている。ありがたいことだ。

夕食は今夜も魚にポン酢。そういう気分が続いている。日本酒を熱燗にしたらおいしかった。今は雨。午前中はよく晴れてよかった。

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12月22日(月)

・塩ふりかけごはん
・赤ワイン
・宅配ピザ

幼馴染のKちゃんからひさびさに連絡があった。うれしかった!私も会いたいと思っていた。あとでゆっくり返事を出そう。

夫が忘年会で遅いので、夕飯は冷凍しておいたカレーを袋ごと温めなおして、ゆういちろうと二人簡便に済ませようと思っていたのに、フリーザーパックの袋が熱い鍋にあたって破れてしまい中身がお湯のなかへ。あ〜あ。がっくり。茹で立てのスパゲティを間違えてお湯と一緒に流しに捨ててしまった感じの落胆感。レトルトパックと同等の扱いをしたらだめだったのだ。馬鹿か、おまえは。すっかりやる気をなくしてしまい、結局宅配ピザにお世話になった。

宅配ピザの若い配達員のお兄さんはサンタクロースの衣装を着ていた。一緒に玄関まで出たゆういちろうはその姿を見てはしゃいだ。何気なく「子どもが喜びまして」と言うと、お兄さんの顔がぱっとうれしそうな顔に変わって、その表情の変化にこっちがびっくりした。なんだか、私、すごくいいことをした人みたい。そんなんで人に喜んでもらえるならこれからもいくらでも一言二言付け足すつもりだが、そういう下心を持ったコトバは、きっとだめなんだろうな。



最近ゆういちろうは鏡の前で真剣にポーズをキメながら、自作の詩を自作メロディーにのせて、ギターの弾き語りをしている。歌い終わった後はかならずかっこよかったかどうか私に聞く。毎回異なる歌が聞けて面白いので、すっごくかっこよかったと判を押したように毎回同じように答えている。

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12月23日(火)

・赤ワイン、白ワイン
・ごはん
・キャベツとベーコンのスープ
・ブリのスパイス焼き
・大根とプチトマトのサラダ
・山椒味噌

かなり前に実家から届いた野菜のうちキャベツがたくさん余っていたので、スープを作った。時間をたっぷりかけたせいかおいしかった。



昼間はお気に入りの宇治市の花屋に出かけた。店を守る老ブルドッグは、とうとう立てなくなったみたいで、カゴに入っていた。結局何も買わなかった。

夫が思い出したように語ったことに、ちょうど20年前のこの日は、2番目の兄が病院の屋上から飛び降りた日であるそうだ。29日に亡くなるまでの数日間のことをおしえてくれた。一度だけ意識が戻ったこともあるとのこと。今度の29日は長崎のお寺でお経をあげてもらうことにした。そして明日のクリスマスイブは楽しもうということを話し合った。、

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12月27日(土)

・ごはん
・いろいろ野菜入り水餃子スープ
・牛肉のしぐれ煮
・山椒味噌
・納豆

締め切りのある仕事はとりあえず終えた。あとはうちのことを済ませて、長崎と岡山に帰省する。今日は主に、散らかしに散らかしていた部屋の片付けと床掃除をした。明日、早く起きて、風呂場とトイレとガスレンジ台を掃除して、空港へ向かう予定。パッキングは瞬く間におこなえる自信あり。それにしても非日常の掃除と平行して、ごはんを作ったり普通の家事をするのは結構難しいんだな。あと、炊事場以外の水周りの掃除は夜にしたくないというのは、私だけなのかな、それとも他の人たちもそうなのかな。



写真は、研究室の窓辺に置いた人参の切れ端である。実家の畑で採れたのと、スーパーで買ったのと、何気なしに並べて置いたらびっくりした。スーパーの野菜からは何日待っても葉がほとんど出てこないのだ。日本ではジャガイモ以外の野菜に放射線をあてるのは禁じられているはずだから、この人参の芽の出にくさの原因は何に由来しているのだろうか。

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3日分まとめて更新

12月28日(日)
・炉端焼きいろいろ

猛スピードで家のことを済ませ、長崎に出発した。魚介が食べたかったので、思案橋近くの炉端焼きの店に行った。うちではめんどくさいのでガスで焼き物をするが、炭で焼くとやっぱりおいしいのねえ。。。


12月29日(月)
・ロシア料理いろいろ

母に会いにお世話になっている特養施設に行った。ちょうど1時間後に昼食を控え、食事をする大部屋に皆さん集まって、テレビを見るなど思い思いに過ごされているときだった。母と話をする傍ら、同席のおばあさんから話しかけられた。短気は損気なのは分かっているのだけどと自分で断ったうえで、ほんと年寄りをばかにしているわ、他の施設のほうがいい、ボケもいないし、一番最後にお風呂に入るなんて自分は絶対に嫌よ、と不平不満を訴えられた。その話にも同情したが、献身的にお世話をしている職員の方を前にしてのことだったので、本当にどう反応していいか困った。母は顔色はよさそうだったけど、一緒に長崎市内の家に泊まれないと分かって、かなり不機嫌だった。

2番目の兄の遺骨をあずかってもらっているお寺に行った。跡取りの若いお坊さんが対応してくださった。前日交通事故に遭って足が痛いそうで、そんななかで仕事をして大丈夫かと思ったのだけど、椅子に座ってお経をあげてもらった。



帰り道、金魚屋さんに寄った。うわ〜かわいい金魚だなあと思った金魚の名前が「顔デカオランダ」という名前がつけられていることを知り、もうちょっと配慮ある名前にすればいいのにと思った。



50年前からやっているハルビンという老舗のロシア料理店に行った。たぶん昔、長崎の父も通っていたと思われる。生クリームやサワークリームの代わりに、ヨーグルトを素材にした何とかというクリームが料理に使われていて、あっさりと不思議にほっとする味つけとなっていた。今まで食べたロシア料理店のなかで一番好み。また行きたい。北海道から月いちの割合で通っているロシア人の常連さんもいるとのこと。ロシアと長崎のつながりがよく分からなかったのだけど、長崎は放射線研究の最先端を行く都市だそうで、チェルノブイリの事故のときは、かの地からたくさんの医師を迎えていたとのこと。世の中、知らないことだらけだ。


12月30日(火)
・日本酒
・からすみ
・鯛茶漬け

母に会いに施設に行った。私たちが着いたとき、ぐっすり眠っていた。介護士さんがおしえてくれたことに、昨晩は朝方5時ごろまで起きて、何度もナースコールで呼んだり、専門用語でいうと「不穏行動」をとっていたそうである。家に帰れると思っていたのに帰れなかったので、機嫌がとにかく悪かったそうだ。今年の6月、がんばってリハビリをすればもっとよく歩けるようになると思って、誰にも頼らずひとりで起きようとして転び、骨折をしてしまった。そのことがもとで、今回は帰れなかった。がんばれ、がんばれと応援するだけではダメだったのだ。私たちは親の気持ちを何も知らなかった。ケアマネージャーさんからは終末のときの計画を今から立てておいてくださいと言われた。調子を崩して病院に入院した場合、入院3ヶ月を超えると、施設の部屋使用権がなくなり、その後の居場所をどうするかというのが家族の最大の問題となる。



屋上に観覧車のついた大型ショッピングセンターが市内に完成した。ビル屋上の観覧車は長崎初のことらしい。記念に乗ってみた。長崎はすり鉢型の街だということがよく分かった。写真を撮ろうとしたら、山の中腹にたくさん墓地があることに気付いた。夫に聞くと、原爆が投下されたとき、その辺一帯は山を超えようとして息絶えた人たちのおびただしい遺体の作るベルト地帯となっていたとのこと。どうひっくり返っても、楽しい気分にならなかった。

ホテルの部屋に戻り、外に出たくなかったので、地下の和食屋に行った。それぞれ好きなものを頼んだ。ごまだれにつけた鯛の刺身をご飯にのせ昆布茶をかける、大好物の鯛茶漬け。おいしかった。

SAVE BURMA! ミャンマーサイクロン(第26報)