料理ネタ


2010年

12月30日(木)

・赤ワイン
・カップスープ(ポタージュ)
・スパゲティ・トマトソース
・牛肉のたたき
・かぶの温サラダ
・日の菜漬け

家族総出で手分けして掃除をした。窓拭き、玄関、トイレ、お風呂場、台所の非日常部分(換気扇や天井の油汚れまで)、などなど。個人的にもっとも気持ちよかったのは、玄関をきっちり掃除できたことである。靴を棚から全部出し、いるものといらないものとに分別し、棚のなかをぞうきんがけし、靴をきれいにして入れた。石畳を濡れ拭きするスペインのおばあさんみたいに、玄関のたたきもぞうきんがけし、泥汚れを落とした。

ゆういちろうの今月の通信添削課題(作文)は、ちょうど「家じゅうぴかぴか大さくせん」だし、一石二鳥である。ただ本人は始めから掃除にやる気まんまんだったわけでは決してなく、こっそりテレビゲームをしようとしてこっぴどく両親から怒られたことで、「これはなんだかいつもと違うようだ」と空気を読み、、、という展開だった。親の気迫を見せつけてやったら、子どもは身の振り方を変えてくる!

明日は、午前中は、出した物をあるべきところにしまい、網戸、窓のさん、家のなか全体の日常的な掃除をし、午後からお節の準備をする予定である。

夕飯では賞味期限の迫った非常食用のカップスープを飲んだ。ちなみに今朝は、お湯をそそぐだけのわかめスープを飲んだ。
12月29日(水)

・ごはん
・長ねぎとわかめの味噌汁
・秋刀魚の塩焼き
・しめじとキャベツの炒めもの
・納豆
・プチトマト

今晩も家にある食材でまかなった。秋刀魚は冷凍ものだけど、じゅうぶんにおいしかった。大根おろしがメインじゃないかというくらいたっぷり添えて一緒に食べるのが好きである。

大片づけがほぼ終わった。車一台分のゴミが出た。たしか去年より少ないんじゃないかな。去年は2,3往復したような気がする。今年は6月にも家じゅうの片づけをしたから、その影響だと思う。

ゆういちろう部屋のレイアウトを抜本的に変えた。入ってすぐにランドセルを置ける場所を作った。中途半端な大きさのカラーボックスを屋根裏部屋に上げ、その代わりに、新しいレイアウトにあったちょうどいい形の棚を新しく制作することにした。もちろん発案は夫である。居間にある棚を作ったときに出た残りものの資材でまかなえるようで、夕方電動ねじまわしの音がしたかと思えば、もうほとんど出来ていた。素早い。

明日はようやく大掃除に取り掛かれる。なんと年賀状はですね、今朝6時前に起きて、みんなが寝静まっているあいだにほとんど書き終えた。私にしては大変素早い展開である。偉い!(もう少し詳しく言うと、そこしか時間がとれないことを知って、逆算して行動できた自分が偉い!ということです。ああこの計画性とてきぱきとした実行力を仕事にも活かせればなあ。。。)
12月28日(火)

・カニちり
・〆卵雑炊

実家から父の釣った鯛とカニ(こちらは冷凍市販品)が届いた。我が家の経済状況を心配して、ちゃんと食べているのか心配して、いろいろなものを頻繁に送ってくれてありがたいのだが、実際は大丈夫なのだ。でも大丈夫だからとやたら強調すると、かえって心配かつ不憫になるようで、普通にしている。夫からは、ホント娘に甘いよなあ、あんたのどこが不憫なんだよと笑われる。

今日はゆずポン酢を手作りした。お正月のお節に、ゆずの外皮を利用した器(柚子窯)を使う予定で、少し早目に中身のほうを絞ってお腹に入れた。でも本当のことを言うと、ゆずよりもすだちを使ったポン酢のほうが好みである。「食い気」を出してすだちの木を土手に植えてあるが、あまり元気がないんだよなあ。
12月27日(月)

・ごはん
・韓国海苔
・いろいろ野菜のポタージュスープ
・鶏のソテー、グレービーソース
・納豆
・プチトマト

夫忘年会のため、夜はゆういちろうと二人で過ごした。国籍不明の食事のようだが、ひとつだけ共通点あって、(プチトマト以外)すべてごはんに合うおかずばかりなのだった。ローストチキンを作ったときのグレービーソース(超美味!)が余っていて、このままでは年が越せないと、あらためて鶏を買い、フライパンでバターで焼き、ソースをかけて食べた。肉を食べた後も、お皿に微妙に余ったので、白いごはんを少々乗せて、ごはんに絡めて最後まで楽しんだ。

韓国海苔は、先日、ぱくきょんみさんからご自身の詩を寄稿された同人誌とともに贈られたものである。ゆういちろうがこんなに韓国海苔を好きだとは知らなかった。一口食べるなり、「これ、どこで買ったの?」と常備するようリクエスト。ぱくさんからもらったんだよと答えると、「おかあさん、ちゃんとお返しした?」と私よりもよほど大人な気遣いを見せていた。

ごま油の風味と塩が効いており、ポテトチップス感覚でついぱりぱりといくらでも口に入れたくなる。止められない味である。おつまみとして最初から食卓に出していたら、いつのまにか半分以上なくなっていた。二人で競争のようにして食べた。味付け海苔は、日本の甘い味付けよりも、韓国のしょっぱい味付けのほうが好きである。ぱくさん、どうもありがとうございました。ごちそうさまでした。

家を設計していただいた奥村まことさんからハキダメ菊の手描きイラストの入ったハガキが届いた。昨日娘のまきさんのことを書いたばかりなので、想いが通じたのかな。まことさんの書く文章は、人をうきうきした元気な気分にさせる効果がある。例えば、こんな感じなのだ。一部引用しよう。

「うちの雑草生(ザッソウフ)に、今、緑で元気なのは花ニラとハキダメ菊と蕗です。かきどおしもモクモクと大きくなってきました。なんだかジャズを演奏しているみたいです。けっこう元気で賑やか。三人とも元気ですか。美紀ちゃんは仕分けられて以後どうしてますか。」

そうなんですよ、まことさん、聞いてくださいよと、うきうきと話を続けたくなる。決して、決して、うきうきするような内容の話ではないのに、つい元気な気分に(笑)。



今朝起きるとあたりに雪がうっすら積もっていた。写真は午前七時ごろの庭の様子である。10時を過ぎたころには雪はすっかり溶けてなくなった。



高校生のときに母が編んでくれたセーターを久しぶりに着てみた。もの持ちがいいことの証拠写真として。大事にしているでしょう? 高校の制服は無理だけど(!)、セーターだったらいつでも平気。違和感なし。

私が高校生のときは、手編みのセーターを男の子にあげるのは、ださくて重くてうざったい女の子がすることだというような風潮がどこかにあって、密かに悲しんでいたのだった。だってそういうことをしたくなってしまうほうだったから。嫌われるのは嫌だから自粛はしていたが、なんだか釈然としないものが思春期に残った。

まことさんやぱくさんと出会って、その手の自粛があまり意味のないことのように思えてきた。想いをこめてものを作ったり、想いがこめられたものをずっと大事にしたりすることは、とても自然な感情のように思えてきた。礼儀にもかなっていると思う。

自分が何を大事にするかということは、世間で言われる「上質」かどうかとは直接的には関係なく、直交するような価値観で決められているように思われる。個人の尊厳にかかわる、簡単に他人に言えるようなものでもないし、本当はよく分かっているくせに自分でもうまく自分に説明がつかないような価値を相手にしているような気がする。

さて、夜中の1時を過ぎた。そろそろ就寝しようと思う。寝ずに待っていて、ださくて重くてうざったい女だと思われてもタイヘンだからね。
12月26日(日)

・熱燗
・湯豆腐
・白菜の漬物
・〆うどん

あぶらっこい主菜に対して昨日は酸味を足し、今日はあぶら自体を抜いた。湯豆腐のだしスープも昆布と塩のみで構成し、豆、野菜、海藻と、動物系の要素を排した。間食も昨日はクリスマスケーキの残りのいちごムース入りレアチーズケーキだったのに対し、今日は生のいちごにした。今日はまさにそういう気分だった。豆腐もパックから出してしばらく冷水につけて臭みを消した。いつもよりひと手間かけるとは、自分でもちょっと潔癖かなと思った。

大掃除をする前に、大片づけをする必要がある。今日は家族全員分の衣類関係にとりかかった。不要なものを整理し、必要に応じてタンスや引き出しの中をふき、防虫剤、除湿剤を全部取り替えた。洋服に関してはあまり捨てられないほうである。親戚からのお下がりが多いので、思い出も一緒に出てくる。

自分でいうのもなんだが、かなり着るものを大事にしていると思う。非常にけちだから新しいものを自分であまり買いたくない(笑)。だって高いんだもの。あなたの洋服の趣味が一貫してなくてよく分からないと言われたこともあるが、それもそのはず、祖母、母、叔母たちをはじめたくさんの人の趣味が関わっているから。2、30年前の洋服を平気で着ていることを知った知り合いは、もの持ちがいいねえと驚いていた。ほんと、ケチだわ。無駄だと思うものに、お金は一銭もかけたくないというこの心意気。洋服に関しては、貫き通すべき強い自分の主義主張もなければ、流行も完全無視。おばあちゃんたちと気が合うわけだ。

最近はよく、母の紺色のセーターを着て、まきさん(織工おきぬ。奥村ご夫妻の娘さん)の織ったマフラーを巻き、祖母の紺色のコートを羽織っている。外出しても、守られている感じがして、とても落ち着くのである。
12月25日(土)
・赤ワイン
・ごはん
・トマトのスープ
・昨日の残りのローストチキン
・かぶのサラダ
・白菜の漬物



今日の花。庭に咲いている花を集めた。この寒空の下、よく花をつけるなあと思う。健気である。それぞれの花はどれも小さく、点在し、少々いじけ気味に咲いているように見えるのだが、近くでよく見るとどれも繊細で華やかである。



夕飯は、口のなかをさっぱりさせたく、ローストチキン以外は酸味のあるものを出した。本日届いた、実家の畑で採れたかぶをサラダにして食べた。薄くいちょう切りにしたかぶに塩を振ってしんなりさせ、水気を絞り、オリーブオイル、酢、塩、胡椒、各少々で調味したもの。いくらでも食べられる。

幼馴染のKちゃんからクリスマスプレゼントが心あたたまる手紙とともに届いた。Kちゃんの息子Uくんからは、ゆういちろう宛に朝顔の種が贈られた。今年学校で育てた朝顔の種を大切な人にあげてねと言われて、ゆういちろうのことを思い出したそうだ。とてもうれしい。ありがとね、Uくん!!

■追記
最近、花の写真や食べ物の写真を多く載せているが、たいていは夫から、少女趣味、バランスが悪い、なんか野暮ったいと酷評されたものなのである。(人から褒められたものをここに載せるのは、性格上、気恥かしくてできない。)家庭は社交の場でないので、感じたことをそのまま言ってくれたほうが自分の勉強になるからありがたい。これらのどういうところが彼の目にはださく写ったのか知りたい。というのも、遠い将来の話になると思うが、もし私のほうが先だったときは私の好みの花とか線香の匂いとか知っているはずだから安心なのだけど、逆の場合、つまり彼に先立たれた場合、彼の好きな花や活け方について何も知らないのはよくないことだと思うのだ。

今年は身近に死を感じることが多かった。花には随分助けられた。花は死者にも生者にもやさしいから。ある特定の花を見て、亡き祖父母のことを思い出すこともしばしばであった。だから私は花にまつわる思い出をできるだけたくさん作っておきたい。そうすると生きているあいだも必要以上にさみしさを感じなくて済むから。


12月24日(金)
・スパークリングワインのち赤ワイン
・クラムチャウダー
・ローストチキン

今年のクリスマスイブも去年と同じく牡蠣とパン粉の詰め物を装ったローストチキンを夫が焼いてくれた。スープは初めてのレシピに挑戦してみようと、熊谷喜八さんの『スーパー・カレー』のなかに出てくるカレー風味のクラムチャウダーを作ってみた。予想どおりおいしかった。どうやら貝類をたくさん食べたかったようである。『スーパー・カレー』を開いたのは何年ぶりかなあ。ふとそのレシピ本の存在を思い出したのだった。

この日のお昼はゆういちろうの同級生のおばあちゃんがサッカー教室の納会をしようとご馳走を用意してくれた。我が家は場所を提供しただけ。おばあちゃん手作りの手鞠寿司にナン・カレーパーティとなった。子どもたちはもう大喜びで、大騒ぎで食卓を囲んだ後は、夕方暗くなるまで公園で遊んだ。
12月23日(木)

・白ワイン
・明太子スパゲティ
・昨日の残りのミネストローネ
・昨日の残りの焼きにんじん
・れんこんの明太子和え
・生春菊とプチトマト



お互い好物ゆえそれぞれの出張のあいだにてっきり食べたと思っていた辛子明太子が2腹冷蔵庫の隅に残っていた。発見が遅すぎなくてよかった。明太子をオリーブオイルで伸ばしたソースを基に、刻みのりたっぷりのスパゲティとれんこんの和えものを作った。生の春菊とプチトマトであぶらっぽさを緩和した。和洋折衷の食事となった。



午前中は幼馴染のKちゃんに手紙を書いた。ゆういちろうはKちゃんの一人息子のUくんに手紙を書いた。写真は、書きあげた便箋を封筒に入れ、せんとくんシールで封をし、とてもご満悦のゆういちろうの様子である。ゆういちろうが生まれたとき、お祝いに叔母が縫ってくれたおくるみキルトの上に腰かけている。



家の掃除をしたのち、長崎から贈られたゆういちろうの五月人形を箱に収納した。困ったときの神頼みと言われそうだが、この一年はゆういちろうを守ってくれそうなものならば、仕舞い込まずに外に出し、ずっと頼っていた。本当にきれいな顔をしているねえと、ゆういちろうと一緒によく眺めた。けどもう大丈夫。来年の5月に向けて、そろそろ休んでもらわなければね。
12月22日(水)

・スパゲティ・ペペロンチーノ
・ミネストローネ
・ポークソテー、マッシュポテト添え
・トマトと春菊のサラダ

肥えそうな食事。夫が食べたいものを全部作ったらこうなった。私は当初健康のことを考えてせめてスパゲティではなく白ご飯にしたらと反対したが、自分が作るから好きにさせてということで、それならとお願いしたのだった。スパゲティはおいしかったけど、私には量的に多すぎて、結局残りを夫に食べてもらった。相手の健康のことを考えていたはずが、残す(捨てる)のがもったいないにスライドした。作ることや食べることのジレンマである。

件のアプライシートは全部揃えるのに結局午後3時ぐらいまでかかってしまった。いそいそと郵便局に向かい、速達書留で送った。こういうのって、どうせだめだと思いつつも、もしかしたらと淡い期待を密かに寄せており(じゃなかったら応募しない)、忘れた頃にそれが裏切られ現実の厳しさを知るというパターンを繰り返している。そしていつものように今回も提出した後は、妙な充足感に浸ってしまった。その後呆けて本来の仕事に集中できなくなるのだった。日の入りまでのわずかな時間、植物の植え替えをして、気持ちを落ち着かせた。(植物を落ち着かない目に合わせている?)
12月21日(火)

・ごはん
・昨日の残りのおでん
・平あじのお造り
・いろいろきのこの炒め物
・納豆
・プチトマト

昨日のおでんは、具は大根と卵だけ残った。幸いだしスープはまだたっぷりあった。今晩はおでんというより汁ものとしてスープ皿でいただいた。夫は研究室の忘年会で帰りが遅くなるので、ゆういちろうと二人で静かに食べた。私たち二人だけの食事のときは、いつもとても静かなのである。あまり話すことがないというか、とくに話す必要もなく深く結びついているというか。お互い全くしゃべらないなかで、たまにゆういちろうがそっと私の手を握ったり、手の甲をさすったりする。まるで恋人どおしみたいではないか(笑)。



研究所で先輩研究者から必読論文ファイルをどーんとたくさんいただいた(写真中央のファイルの山がそれ)。読みますよ。博士論文執筆のためにもとことん読むぞ。私のデスク周りは、写真に撮ってみてあらためてよくわかったが、これでも女子なの?ってくらい殺風景である。仕事をするときは映像分析等もあるのでなるべく深く集中したく、情緒的なもの、つい気が散ってしまうものが邪魔でしょうがないから、自然とこのようになってしまうみたいなのだ。

それとは反対に、自宅のデスク周りには仕事道具以外に、写真やハガキや人形を散りばめ、お気に入りの随筆や詩集なども積み上げており、いつでも情緒的なるものにアクセスできるようにしている。そのときどきの状態で、自宅じゃないと仕事できないモードと、研究所じゃないとだめなときとがあり、人格が入れ替わっているのではないかと自分でも疑うぐらいだ。おしゃべりなのか無口なのか自分でもよくわからないのと同じくらいに。

これからある大学の公募のアプライシートを完成させようと思う。いいかげん就職活動もまじめにやらないとね。各大学のフォーマットに合わせてほとんど同じ内容の書類を細かく書き換える必要があり、時間だけたっぷりかかるのがたまにきず。器用に気分の持ちようを変えられるほうではないので、論文執筆との兼ね合いが本当に難しい。

■追記1
教員公募のアプライシートの「教育への抱負」のところを半分まで書いて頓挫。今ここで絞り出すようにしてヘンなことを書くより、明日の朝に回したほうがいいような気がしてきた。たった1200字なのになんでこうも気が進まないのだろう。よく知らない人相手に自分の売り込みをしないといけないのは頭では分かるのだが、こういうのって照れとか恥ずかしさが先にたってかなり苦手なのだ。この期に及んで恥ずかしがっている場合ではないのに。何やっているんだろう自分って感じである。

■追記2
ただいま午前1時過ぎ。この時間になるまで連絡がないとなると今晩夫は泊まりのようだ。昨日は大学にコートを忘れてきたというし、まったく何やってんだか。激務続きだからなあ。無茶をしてからだを壊さないように。寝入りばなに起こされるのは嫌なので起きていたが、そろそろ私も寝ようと思う。明日の朝、さわやかな気分で「教育への抱負」をさらさらと書き上げよう。
12月20日(月)
・ごはん
・おでん
・れんこんとごぼうのきんぴら
・納豆
・白菜の漬物

夫の指定通りにおでんにした。我が家のおでんは、何度も言うが、自分でとった天然だしと市販のおでんパックの化学調味料系のだし汁を混ぜた、聖俗併せのんだ得も言われぬおいしさのだし(自分で言うなって感じですが)をベースにして作る。今晩はぶつ切りの鶏がなかったので、昆布、かつおの他に、とんかつ用の豚からだしをとった。しかも和辛子を切らせていたので、洋辛子を利用することになり、ちょっとポトフみたいな味になった。


12月19日(日)
・おばんざい弁当

足利事件関連の科研の打ち合わせの後、いつもの懇親会というか忘年会のようなものがあったのだが、ゆういちろうの様子が気になったのでお暇した。道すがらの絵本・童話屋さんで、子どもたちのクリスマスプレゼントを選んだのち、新幹線に乗ったら、なんと! 同じく早引き組みの方と同じ車両だった。奇遇。この日の夕飯は品川駅で買った京のおばんざい弁当であった。新幹線のなかで急いで食べた。東京まで来て京都のお弁当を食べるなんてとからかわれた。
12月18日(土)

・すき焼き

実家からすき焼き肉が届いた。お礼の電話をかけると、父いわく、私が夢に出てきて心配していたとのこと。その内容は、私が父に電話をかけて、聞こえるか聞こえないかの声で、「お父さん、もうダメかもしれない」と言ったというもの。夫婦仲が破局してしまったのではないかと思ったそうだ。妄想だ。こっちがびっくりした(前科持ちの身としては余計な心配をかけて申し訳ないのだが)。けれど一食分助かったのはラッキーだった。

とはいえ、確かに、ここのところ心細かったのである。夫の留守中、ゆういちろうはサッカー教室から霜焼けが痛いと泣いてかえるわ、学校に行きたくないと言いだすわ、不登校になったかと思って心配していたら、どうやら風邪(かインフルエンザかノロウィルスか)にかかっていたようで、発熱と激しい嘔吐が始まり、今日は一日中吐しゃ物の処理をしていたようなものだった。毛布も、最近新しく買った洗濯機の洗濯・乾燥コースで6時間かけてきれいにした。

中国・天津から韓国経由で夫が無事に帰宅できるかどうかも気がかりだった。中国の情報統制(ネット規制)が入ったのか、天津のホテルで昨晩から各社検索エンジンが見られない状態になっていて、いったい何が世間で起こっているのか知らせてくれという連絡があった。韓国の軍事演習に対する北朝鮮の警告のことを電話で伝えると、げんなりしていた。本日ほぼ予定どおり、大した遅れもなく関空到着して、一緒に夕飯を食べることができたので、とてもよかった。



思いがけず韓国のお土産をもらった。足止めをくった韓国の空港でたまたま見つけたという螺鈿の小箱。留め具まで繊細な蝶々の彫りが入っている。私が今個人的に朝鮮ブームであることを思い出したそうだ。ありがとう! 寝室にあるお気に入りの中国製の棚の上に置いた。東アジア友好の証。



ゆういちろうへのお土産は、パンダの筆入れである。wiiのぬんちゃくを入れたらいいじゃなかろうかと思って、天津で買い求めたそうだ。

さて、明日は10時からの東京での会議参加に向けて、5時起きである。準備不足は否めない。あまり言い訳せずに、素直に謝るしかない。
12月14日(火)
・ごはん
・昨日の残りの豚汁(肉あり)
・昨日の残りのきんめの煮つけ(ゆういちろうのみ)
・辛子明太子
・卵焼き
・プチトマト



先々週の休みの日に作った寄せ植えがなじんできた。門扉付近の、巨大葉牡丹(白)の隣に置いてある。もし私に娘がいたら着せてみたい洋服の雰囲気をイメージしながら作ってみた。子どもの幸せを願うなら、シュガー&スウィーティな服を自然と着せたくなると思う。子どもにどくろマークのついた洋服を着せる親がいるが、その神経が全く分からない。

この寄せ植えにはさらに仕掛けがあって、ピンク、白、紫、黄、赤い縁取りの入るクリーム色といった色とりどりのチューリップの球根を仕込んである。同じ時期に一斉に咲くはず。春が待ち遠しいなあ。植物のことを考えていると本当にいい気分になる♪

今日から夫は海外出張で、しばらく不在である。ゆういちろうと二人でなんとかやっていかないといけない。今晩は、昨日の残りものを中心にした手間いらずの夕飯となった。


12月13日(月)
・ごはん
・豚汁(肉なし)
・きんめの煮つけ
・辛子明太子



やっぱり旬はいいな。今週もきんめ鯛に出会えた。頭と尾っぽの二つにぶった切られ小さいトレーにパックされていたが、それでも私の求めていたきんめ鯛であった。先週末からなぜか「赤いおととが食べたい」モードにとり付かれていたもの。願いがかなってうれしかった。



魚の煮つけは基本的に私の実家の母から習った味を再現するようにしている。しょうゆは少なめ、砂糖は入れずにみりんのほんのりとした甘みが特徴の煮汁で作る。夫の実家ではもう少ししょうゆで煮しめた照りのある煮魚が出たらしいが、結婚後しばらくして、煮魚に関しては私のやり方をさせてもらうことで落ち着いた。

クレソンを付け合わせにすると、ちょっとお浸しみたいになっておいしい。ゆういちろうもきんめの煮つけは大好物。クレソンもむしゃむしゃ食べて、最後皿に口をつけて煮汁も飲み干し(行儀が悪いが許そう)、気持ちのよい食べっぷりであった。
12月12日(日)
・赤ワイン
・前菜
 ・数の子明太子
 ・生ハムと熟し柿
・焼きビーフン
・生ハム入りスパニッシュオムレツ



この前手に入った上等な生ハムがそろそろ賞味期限を迎えようとしていた。また、日曜は焼きビーフンが食べたいという夫の強い願いもあり、それに合わせて何を作ろうかしばし悩んだが、先日熊本の伯母からたくさん卵が届いたのと(従兄のやっている福祉施設で飼われた鶏が産んだもの)、本日従姉から博多の料亭が出している辛子明太子セットが届いたのと、柿が十分に熟したのとで、あまり選択の余地なく献立が決まった。

ありがたいことにどれもおいしかったが、ちょっと贅沢すぎる気がする(なんて贅沢な悩みなんだ!)。しつこいようだが、明日はきんめの煮つけと具だくさんの豚汁(豚のほとんど入っていないやつ)にしよう。とにかく野菜をたくさん食べたい。

本屋でターシャ・テューダーの『喜びの泉』という絵本を偶然見つけ、思わず買ってしまった。ターシャの座右の銘の言葉に、彼女自身の絵が添えられている詩画集のような絵本である。よい言葉がたくさん引用してあった。毎晩寝る前に読もう。落ち着いた気分で眠りにつけそうだもの。夜ぐらい理想の世界に遊んでいいでしょう? 


 私たちは、夢と同じものでできている。
    ウィリアム・シェークスピア 
    テンペスト


 それでも美しい夢は生きている
 夢ははかないものだなどと言うのはもうよそう
 この世界でこわれずにいるのは、夢くらいなものではないか
    作者不詳


 人生のしあわせは、ささいなことの積み重ねでできている−−−
 小さな、すぐに忘れてしまうような、あたたかいキス、
 ほほえみ、優しいまなざし、心からのほめ言葉、
 そして数えきれない、ちょっとした楽しい考えや
 うれしい気持ちといったものだ。
    サミュエル・テイラー・コールリッジ
    即興芸人


 夢を見るときひとりのように、
 人生もひとりで生きるもの。
    ジョーゼフ・コンラッド
    闇の奥


 親愛なる牧神パン、そしてこの地に現れる他の神々よ。
 われに内なる魂の美を与えたまえ。
 そして、外面と内面とを一致させたまえ。
    ソクラテス
    プラトン対話編 ファイドロス


 私たちが生きるよりどころにする
 人間らしい心のおかげで
 優しさ、喜び、恐怖心があるおかげで
 名もない小さな花を見てさえ、
 感情を超えた深い思いがしばしば浮かぶ
    ウィリアム・ワーズワース
    不滅の賦



12月11日(土)
・ごはん
・キャベツと豆腐の味噌汁
・肉じゃが
・茶碗蒸し
・白菜の漬物
・プチトマト

本当はきんめの煮つけが食べたくてしょうがなかったのだが、冷蔵庫に宅配で届いた牛肉があったので、肉じゃがにした。茶碗蒸しは夫が担当した。きんめ鯛は週明けに再度出会えたらいいな。



球根の植え付けや苗木の植え替えなど、この時期にやっておかなければならない庭仕事をすべて終わらせた。玄関内の三角コーナーに寒さに弱い植物の鉢を避難させた。あとは春が来るのをじっと待つだけ。
12月10日(金)

・軍鶏鍋
・〆うどん

研究所の忘年会に参加した。おいしい軍鶏鍋をいただいた。7時から始めて11時までずっとおしゃべりした。一次会で長居してしまった。よくまあこんなに話すことがあるものだとお互い思ったに違いない。

帰宅したら家族は寝静まっていた。夕食後放置していたと思われる、食卓と流しに散乱した皿と鍋を食洗機に放り込み、流しの生ごみを処理し、ぴかぴかにしてからひとりでコーヒーを飲んだ。私が帰りが遅くなるとだいたいこんな感じ。みんながしーんと寝ている間に、静かにごそごそするのが好きである(ちょっとゴキブリっぽい?)。

逆の場合は、たいてい起こされ、コーヒーをいれるように言われ、話を一通り聞いて、夫は先に寝て、私は洗い物をしてから少し雑誌でもぱらぱらめくってから寝るというパターンが多い。別にそれがそんなに苦ではないから続いている。それまでたくさんしゃべった分帰宅後は何もしゃべりたくない派と、その日あったことはその日のうちにしゃべりたい派に分かれ、お互いの好みの違いを理解し、自分の好きなようにしている。

明日と明後日は、土曜朝の空手の稽古以外に、ひさびさに何の予定も入っていない休日となる。のんびりと過ごそう。
12月9日(木)

・秋刀魚鍋
・〆うどん

朝すべき家事をこなした後、仕事モードに切り替えるべくまずはおもむろにメールをチェックをすると、お笑い爆弾メールが連弾で落とされていた。ひさびさに椅子から転げ落ちて、お腹を抱えて笑ってしまった。なんなんでしょうか、やっぱり頭がおかしいんじゃないかな(とってもいい意味で)。ともあれ陰鬱な冬の空気がすっかりぶっ飛んでいった。



駅前には馬(ポニー)を連れた人がいた。いろいろおかしなことが起こるものである。好奇心に駆られ、何しにここに来たのですかと聞いてみると、新しくできた乗馬クラブの宣伝のためだそうだ。

夕飯は比較的さっぱりした秋刀魚鍋にした。しょうがの風味を効かせたいわしのつみれ汁の秋刀魚版の味といった感じで、澄まし汁を飲んでいるような鍋である。この鍋の〆はうどんだと思う。ごはんは合わない。
12月8日(水)

・2日目のチキンカレーライス(夫とゆういちろう)
・ごはん(私)
・焼き牡蠣
・昨日の残りのごぼうとれんこんの塩きんぴら
・もやし炒め
・納豆(ゆういちろうと私)
・プチトマト



午前中早くもパソコンを前にぱんぱんに肩が凝ったので気分転換に外に出た。庭に咲いた小さな花たちを蓮の実の形をした小さな花器に集めてみた。ひとつひとつの花はそれぞれ地味に散らばって咲いているのだけど、集めてみるととても華やかになる。ノコンギクの紫、ヒメツルソバのピンク、ヒメジオンの白、カラミントの薄紫、ランタナの赤、そしてカタバミのかわいいらしいハート型の葉。おかげで穏やかな優しい気分になった。

東京日帰り出張の夫の帰宅時間に合わせて、あつあつではない少し膜の張った彼好みのカレーになるべく、少し早目に皿によそって食卓に置いた。この気の遣いよう、偉い! 私はというと、あいにくカレーの油分が勘弁という体調だった。私だけ白いごはんに納豆をつけたら、ゆういちろうが自分も納豆が欲しいと言いだし、カレーと納豆はあまり合わないような気がするがおいしそうに食べていた。
12月7日(火)

・チキンカレーライス
・ごぼうとれんこんの塩きんぴら
・茹で卵
・プチトマト



裏庭に植えたオトコヨウゾメ(ガマズミの仲間)の紅葉がとてもきれい。仕事部屋の窓からすぐ目の前にそれが見えるので、この時期は(も)外を眺めるのがとても楽しみである。でも、春には可憐な白い花を咲かせるこの植物の葉は、赤いバラの花びらを乾燥させると黒くなってしまうように、ちりちりの真っ黒に変って落ちて行くのだ。独特の紅葉の仕方。凄味すら感じてしまう。

夕飯はゆういちろうの大好物の市販の固形ルーを使ったカレーにした。最近、本格(!?)手作りカレーを作ることが多く、大人は大喜びだったが(絶対に固形ルーよりもおいしいと断固として思う)、ゆういちろうは今いちお気に召さないものばかりだった。そして案の定、今晩のカレーは絶賛してくれた。そのうち大人の味に目覚めることと思う。
12月6日(月)

・海鮮鍋
・〆卵雑炊

昨日とはうってかわって今朝は冷え込んだ。季節の変わり目なのか、からだがついていかない。今日は熱っぽかったので在宅にして、おとな〜しく過ごした。朝は、昨晩取り分けておいた鴨から出たスープを利用して卵雑炊を作り(超美味)、夜は、魚介から出た優しいスープを最後まで余すことなくいただいた。ごぼうも入れたので、味に深みが出たと思う。このように味が分かるので、まだ大丈夫だと思う。風邪引きにならないよう、あまり無茶をせずに暮らそう。
12月5日(日)

・鴨鍋
・〆うどん

今日は日中とても暖かった。たしか午後2時ごろの気温は18度だったように記憶している。これ幸いとばかりに、チューリップや水仙など、この時期にしておかねばならない植物の植え付けをほとんど済ませた。あとは笹百合と九条ねぎを残すのみ。笹百合をなかなか植えられないのは、どこに咲かしたらいいか自分のなかでまだ迷っているからである。それだけ思い入れの深い大事にしたい花ともいえる。九条ねぎはもう随分前に買い求めたのだが(関西で普通に売られているのはたいていこの青ねぎ)、今は亡き畑にはびこるミントやクローバーを梳き込み畑を復活させる気力もなく、ましてや畑を新たに開墾する元気は毛頭なく、今の今まで放置されてきたのだった。いい加減植え付けないと発根率が悲惨なことになりそうだから、気合いが出たときにがっとやってしまおう。←いつになることやら



午後から自治会の防犯パトロール行事があった。夫とゆういちろうに参加してもらった。写真は自治会からゆういちろうへのお土産の品々である。チョコレートにクッキーにゆきだるまの置物(灯りもつく)まである。子どもの参加率がもともと低いせいで、参加した子どもは非常に優遇されるようだ。これはもう、お子様道まっしぐらではないか。

夕飯は夫の発案で鴨鍋にした。解凍品ではなくフレッシュな肉で、さっと煮ただけで十分スープにもこくが出た。鍋にすると洗い物が少ないので食後比較的ゆっくりできるのがうれしい。
12月4日(土)

・ごはん
・昨日の残りのにらとたまねぎのかき卵汁
・うなぎのかば焼き
・納豆
・キムチ

土曜朝は8時半より、ゆういちろうの空手の稽古が始まる。今日は稽古の後、午後1時からの芝居を観に、尼崎のピッコロシアターに家族で出かけ、いったん全員帰宅し、夫はすぐさま宴会へ。ゆういちろうと私は簡単に夕飯をすませ、ゆういちろうをご近所のお宅にあずけたのち、私は自治会の役員・班長会へ。目まぐるしい一日だった。

そんなこんなもあって夕飯はいちいち作っていられなかった。ありあわせのもの+買ってきたうなぎのかば焼きで済ませた。手抜きもいいところ。かき卵汁はその日のうちに賞味すべきもののように思えるが、顆粒の鶏ガラスープの素を入れたものだったので、よくも悪くも味が安定していて、色合いは悪いが2日目でも全然平気だった。

そして自治会の役員・班長会では、あろうことか来年うちは副会長をすることにくじ引きで決まった。会長に決まった人もさぞかしショックだったことだろう。ひとつだけ救いがあって、押しつけ合いの空気に耐えられなかったのか、義侠心にかられたのか、もう一人の副会長枠に「だったら僕がやります」と立候補者があったことである。おそらくこの方のおかげで来年はさくさく物事が決まるだろう。
12月3日(金)

・ごはん
・にらとたまねぎのかき卵汁
・ビーフステーキ、和風ソース
・いろいろ根菜グラタン

私が夕飯の支度を始めた当初、メインとなる肉も魚も冷蔵庫になかった。だったら卵を使った汁ものと乳製品を使ってボリュームアップした一品で一汁一菜にしようと決め、作業に取り組んだ。ところが、だいたい出来上がった頃に帰宅した夫から手渡されたのが、3枚のステーキ肉であった。今晩どうしても肉が食べたいから、これを焼くようにとのこと。グラタンとステーキを合わせるなんて、フランス人みたいで、私たちには高カロリーすぎてますます肥えてしまうぞと脅しをかけたが、是が非でも食べたいという。

で、結局私が折れて、ステーキにすることにした。かき卵汁との相性を考え、和風を心がけた。ポイントは、しょうがオイルにしたことだ。(1)スライスしたしょうがをサラダ油で揚げ、しょうがチップスとしょうがオイルを作る。(2)肉を焼いて取り出したフライパンに、しょうゆ2、酒2、みりん1を加え、ちょっとだけ煮詰めてソースにする。(3)肉の上にソースをかけ、しょうがチップスを散らす。

日本とフランスの相性はとてもよいのか、このしょうゆソースとグラタンのホワイトソースを皿の上で一緒にして食べると、ステーキに反対していた身としては悔しいことに、まことにおいしいのだった。確実に肥ゆる冬となっている。食べ過ぎに用心しよう。
12月2日(木)

・蒸し牡蠣キムチ(おつまみ)
・ごはん
・豆腐とわかめの味噌汁
・鶏の塩焼き
・きのこのマリネ
・納豆
・プチトマト

思い煩うことなく短時間で夕飯の支度をした。2日前に作り置きしておいたきのこのマリネを食べた。冷蔵庫で2,3日はもつお助け献立で、昨晩ちょっと味見したときより、案の定おいしくなっていた。

洗面所の石鹸を「豆腐石鹸」に変えた。夫の実家のある長崎に帰省した際には立ち寄ることにしている嬉野温泉で以前買い求めたものである。泡立ちたっぷりクリーミーな使い心地であった。白色無臭であるところも気に入った。大変好みの石鹸である。いわゆる石鹸や洗剤の匂いは、ケミカル系、自然派系問わず、嫌いでしょうがないという訳でもないが、特に好きでもないので、できたら何も匂わないのがよいのだ。さすが豆腐由来の石鹸である。
12月1日(水)

・ごはん
・ミネストローネ(残り物)
・ゆで豚キムチ(残り物)・・・ゆういちろうのみ
・ごぼうとれんこんのきんぴら(残り物)
・生牡蠣、ポン酢で・・・夫と私
・チーズオムレツ
・もやし炒め
・大根の漬物、ゆず風味

残り物を温め直しただけの食事で満足すべきだったのかもしれないが、どれも少量ずつしか残っていなかったので、ゆういちろうの大好物のチーズオムレツともやし炒めを添えることにした。チーズオムレツは私の分も所望した。食べかけだったが皿ごとあげた。人情である。ちまちまと小鉢を並べた食卓はちょっとおままごと感が出るが、結構好きである。

トイ・ストーリー3漬けのゆういちろうはとうとう「アミーゴ!」と絶叫するようになった。そのくせ後からアミーゴってどういう意味かと聞いてくるので可笑しかった。親友のKくんに言ってみなとアドバイスした。

食事まえにNHKのニュースを見ていたら、今年の流行語に「イクメン」ということばが入っていることを知った。最初イケメンの聞き間違いかと思ったが、確かにイクメンだった。育児をする男の人という意味だそうだ。違和感無限大。コトバ的にも、ものすごく頭のわるそうな造語に思える。夫に聞いてみると、そのことばを知っていた。彼は流行に敏感なようだ。
11月30日(火)

・赤ワイン
・ごはん
・昨日の残りのミネストローネ
・昨日の残りの卯の花
・ゆで豚キムチ
・ごぼうとれんこんのきんぴら
・大根の漬物、ゆず風味

今日は生協の宅配便のある日だった。毎週注文している、きのこ類と根菜類が大分だぶつきはじめた。明日のお弁当のおかずにもすべく、大量にきんぴらにしたり、作り置きのできるきのこのマリネを作ったり、いそいそと台所仕事をした。私の作るきんぴらは、サラダ油で炒めた根菜にヤマサの昆布つゆをかけて味を絡めるだけのものすごく簡単なものである。白ごまをふりかけると風味がアップしてよい(これすらときどき忘れる)。いろいろ試したが、結局これに落ち着いた。
11月29日(月)

・卯の花(食前のおつまみ)
・ひき肉と大豆のカレー
・ミネストローネ
・生ハムと熟し柿

昨日は、「とうふを作ろう」という、ゆういちろうの通信添削で出された問題に父子で取り組んだ。サイエンティフィックな展開であった。おいしい豆腐が出来たので、たらちりにして食べた。もちろん豆腐はさっと湯どうししただけである。さて、その残骸として、大量のおからと余りの大豆(もどしたもの)が今日の私の前にあった。その上難しいことに、ミネストローネと生ハムで一品作るようにと夫からの指定もあった。すでに材料の買い出しを済ませた上での話だったので無視するわけにはいかない。

まずはおからのほう。インターネットで調べて、生まれて初めて自分で卯の花を作ってみた。とてもおいしくできた! ただし他が出来るまでのあいだ、つまんだだけで、残りは明日に回すことにした。

もどした大豆は、カレーにした。汁気の少ないタイプのカレーである。大庭英子さんの『しあわせ豆料理』を見て決めた。甘く炊いた豆以外のレシピもたくさんあって、この本はとてもためになる。この前作った、大根と大豆のピリ辛炒めもとても気に入った味に仕上がった。とにかく今日は野菜や豆を大量に食べたかったので、カレーとスープの性質の異なる2種類の煮込み料理にして目的を果たした。

以下は最近の庭の様子である。紅葉も最終段階に入ってきた。今は黄色がきれい。今年も球根をたくさん仕込んだし、写真ではよく分からないかもしれないが、菜の花もびっちり発芽している(2番目)。冬は決してさびしくない。







11月23日(火)

・赤ワイン
・きのこのリゾット
・鶏肉のソテー、バルサミコソース
・トマトのサラダ



薄紫色の小菊にピンクのマーガレットを合わせることは、私だったら絶対に思い付かないのだけど、合わせてみれば意外といい。いただきものならではの発見。とても勉強になる。私の場合、ほっておくとかなり保守的になってしまい、つい小菊だったら小菊単体で土器っぽい器におとなしめに活けたくなってしまうからなあ。そういう意味でプレゼントは風通しをよくしてくれるので、贈るのも贈られるのも大好きである。

午後から、近くの特養にお世話になっている長崎の母(夫の母)のお見舞いに行った。私自身は本当に久しぶりの訪問なのに、周りのおばあちゃんから「あなたは偉いわね、うちの嫁は全然来てくれない」と愚痴を聞かされた。こういうときどっちの味方をしたらいいのか本当に迷う。

特養までの車での道すがら、ゆういちろうがおもむろに「お父さん、スペイン語でお嬢さんって何て言うの?」と質問した。一瞬絶句したのち「・・・確か、セニョリータかなあ」と父親が答えるやいなや、ゆういちろうは「おー、セニョリータ!!」と絶叫した。ここはやはり親として根本的なことを聞いておこうと思い、つまり、答えに困ったというよりは、そもそもそのような質問文をどうして彼が思い付いたのか疑問だったので、「なんでそんなことを聞いたの?」と聞いてみると、DVDで見た「トイ・ストーリー3」のなかのキャラクターがどうやらスペイン語をしゃべるらしい。親の知らないところでメディアから大きく影響を受けていることが分かった。

夕飯は夫のリクエストどおりのものにした。きのこのリゾットはさっと炒めた米をコンソメスープで炊いただけの、比較的あっさりしたものである。仕上げに、クリームやチーズやバターやオリーブオイルをたっぷり入れるタイプのレシピもあるが、個人的にはちょっと苦手である。米料理に関する趣味嗜好、固定概念が強いのかな。

夫は最近洋風の気分らしい。食卓にろうそくを灯し、ろうそくだけの光で食べようと提案もした。とてもロマンチックできれいだったが、いったいどうしたのだろうかと思って聞いてみたら、昔を思い出したそうだ。小さい頃家にお金がなくて電気を止められたことが何度かあり、そのときろうそくの光で食事をしたそうだ。「西洋みたいだ」と言いながら快活におしゃべりしていた父親を思い出したとのこと。
11月22日(月)

・ごはん
・昨日の残りのコンソメスープ
・さんまの塩焼き
・イタリア風目玉焼き
・プチトマトとベビーリーフのサラダ
・納豆

冷蔵庫の余りもので作ったなんでもありの献立となった。昨日スパゲティを作った際に微妙に余ったトマトソースを耐熱皿に敷き、卵を割り入れ、チーズをかけてオーブンで焼いた目玉焼きが、ゆういちろうに大受けした。残り物復活メニューが褒められると、主婦として自信がわいてくる。

今日は土曜参観の振り替え休日のため、在宅にして、ゆういちろうと一緒に過ごした。午後から隣のクラスのKくんが遊びに来た。途中からKくんのおばあちゃんも3種類の手作りおやつを持ってきてくださり、茶飲み話に花を咲かせた。のんびりとした午後であった。おそらくKくんのおばあちゃんの中では、女学校時代に戻った感覚なのかなあ。料理、裁縫、植物の世話、幼馴染の男の子のことなど、乙女の話題が中心であった。私は、どうしちゃったんだろうというくらい、自然と聞き役になっていることが最近多い。
11月21日(日)

・白ワイン
・白菜と春菊のコンソメスープ
・スパゲティボンゴレロッソ
・牛フィレ肉のプチステーキ
・マッシュポテト

ひれ肉だったら食べられるでしょと材料は夫が買い出しに行き、スパゲティとステーキは夫が、スープとマッシュポテトは私が作った。いろいろと気を遣っていただきすみません。

ゆういちろうの空手昇級試験が尼崎であり、朝5時半に起きて、現地に向かった。お昼過ぎには全部終ったのだが、その時点で一日が終った感があるほど、長かった。眠かった。無事に合格した。

とはいえ午後から、庭に穴を掘ってチューリップや水仙の球根を植え、ついでに、誤って踏まないよう石ころで囲って簡易花壇風にした。うちには庭を掘ったときに出てきた、大量の石ころコレクションがあって、どれにしようか悩んだなあ(笑)。瓦礫の山かと思われる痩せた土地でも、掘って腐葉土や培養土等を継ぎ足し、雑草を生やし放題にしてだましだましやっていると、少しずつ肥えてきたようだ。甲虫の幼虫もよく出てくるようになった。

植物は人を元気にさせる。実際に植物に触ることはもちろん効果てきめんだが、メディアを通じて植物のことを感じても、心の深いところで何かが立ち直っていく感じがする。最近、ある方々からそれぞれよい情報をおしえてもらった。一つは、韓国伝統刺繍の作家による植物日誌、「Kの庭」というサイト。とてもいい色彩レッスンになる。もう一つは、湖水詩人ワーズワースの「水仙」という詩。裏庭にある小さな築山に毎年少しずつ水仙を植えて行って、将来的には水仙の咲き誇る景色を作ってみようかなあ。
11月20日(土)

・鰤すき
・〆うどん

ぶりをすき焼きにして食べた。夫は牛肉のすき焼きが食べたいと言ったのだが、最近私が肉を受け付けないモードで、ぶりで我慢してもらった。(←こう書くと、ぶりにはなはだ失礼な表現になっているが)

午前中は、小学校の音楽会(土曜参観)に夫婦で出かけた。1年生から6年生までの子どもたちの歌声や演奏に満足した。みんな一生懸命なんだもの。何度かぐっときた。音楽会の後は、市役所の少年指導課の方による子どものしつけに関する講演会があった。以前、子どもたちのあいだのいじめの問題の相談をしたことがある方で、どんなお話が伺えるのか期待していたが、敢えて当たり障りのない話にされたのかしらと思われる内容だった。

禍々しいことがどうか起こらないようにと、最近折に触れ願わずにはいられない。頼れるものにいろいろ頼っている。音楽もそのなかのひとつ。今晩は、カッチーニのアヴェ・マリアを聴いた。いわゆる偽作だそうで、ソ連の音楽家が1970年に作曲したと言われている作品である。アヴェ・マリアをひたすら連呼する歌で、確かにアレンジ次第で歌謡曲にもなりそうな感じでもある。

今日は生で小学生の歌声を聞いたせいか、女の人の声もいいが、少年の声もよいなあと思う。イギリスの少年ボーカルグループの歌声でどうぞ。http://www.youtube.com/watch?v=JKtqYYg3ZZs&feature=player_embedded
11月19日(金)

・秋刀魚鍋
・〆ちゃんこ麺

冷蔵庫のなかには肉、魚類がなにもなし。冷凍庫に冷凍さんまがあるのみ。塩焼きの気分でもなかったので、どうしようかと迷ってレシピ本をいくつか眺めていたら、秋刀魚鍋なるものがあることを発見した。秋刀魚を鍋に入れたのは初めてであったが、あっさりしていておいしかった。たれも薬味もなし。昆布出汁としょうが汁をベースにした鍋であった。最後は、生活クラブ生協の宅配で届いたちゃんこ麺を入れて、スープも全部たいらげた。

思いがけず花をたくさんもらった。6つの花瓶に分けて活けた。夕方、白熱灯の元だと、色がちゃんと出ないのだけど、記念撮影として写真に残した。ピンボケだけど食卓の上が華やいでいるのがよく分かる。



11月15日(月)

・ロゼのスパークリングワイン
・はまぐりの潮汁
・手巻き寿司

11月15日はゆういちろうの誕生日である。とうとう8歳になった。手巻き寿司でお祝いした。どうか残りの人生を有意義なものにしていってください。私も出来る限り応援するから。

まだおむつをしていた頃のゆういちろうの写真を載せる。親ばかを爆裂させて言うけど、かわいいでしょう。本気で誘拐を心配していたもの。面影は残っているけど、今のゆういちろうとは違う。今はもうお兄ちゃん(少年初期)って感じがするもの。生きる喜びに満ち溢れているのは今も昔も変わらないけど。







11月14日(日)
・カニすき
・〆うどん

午前中は自治会の防災訓練に母子で出た。役員・班長は借り出されるのであった。2本の竿と毛布で作る簡易タンカの作り方やえのきだけが天ぷら火災の消火に効果的であるということが実演で示され、これはためになった。女性防犯委員による炊き出し用の豚汁を最後いただいて、帰宅した。おひるごはん。

実家からカニが届いた。夕飯、カニすきにして食べた。いつまでも実家に頼った娘気分でいてはいけないと思うのだが、いまだに甘えている。

この前などは、母からいきなり昼間電話で、「この前電話の声があまりに暗かったけど大丈夫? まつたけでも食べて元気でも出したら。明日買いに行こうと思うけど何本いる?」と一気にたたみこまれ、驚いたことがあった。「暗い声???」など思い当たる節がないので、ひとつひとつを確認していくと、どうやら夜更かしした翌日(こっそり)昼寝をしていたときの寝入りばなにかかってきたときの電話の応対だったようで、「心配する必要なし。まつたけは特に欲しくない。お金がもったいないから大事にとっておいて」と私にしては珍しく殊勝なことを言ったら、ますます何かあったのではないかと心配され、結局その分のお小遣いをもらうことになった。甘ったれにもほどがあるでしょう?

この甘ったれているところが夫をときどきイライラさせるようで、喧嘩の火種のひとつ。ただし、まつたけを断った件に関しては、「俺食べたかったのに、なんてことを、もったいない」と非難轟々であった。怒るポイントがいまだよく分からない。


11月13日(土)
・ごはん
・しじみの味噌汁
・鯖の塩焼き
・豆腐とトマトのサラダ
・ひじきと大豆の煮物

前日に、なぜ私たち夫婦がその問題で激しい言い争いにならないといけないのか、考えてみると不条理極まりない理由で喧嘩をしてしまった。夫のことばは、それは邪推ではなく事実に近い推論だと思うので彼を責めるのは筋違いにあたるのだけど、けれどもそのことばは、ひどく私を落ち込ませた。やましいことはしていないのに自分の身が一方的にみじめに傷つけられた感じがした。急にこの時点で優しくなり、土曜はピクニックに行こうと夫が提案。少し遠出して竹取公園という初めて行く公園に行ってみた。紅葉がきれいだった。お寺のきれいに剪定され設計された紅葉の美を見るのも好きだけど、のびのびと枝を伸ばした公園の木の紅葉を見るのも好きである。夕飯は魚介と大豆製品を中心に組み立てた。




11月10日(水)

・赤ワイン
・ごはん
・鶏のクリームシチュー
・トマトのチーズ焼き
・日の菜漬け

昨日のミルクスープに続き、今晩はクリームシチューにするのは、間違って牛乳を重ね買いしてしまい、昨日の段階で3リットルの牛乳を前に途方に暮れたのを解消したいからである。

庭に植えたバジルがまだ比較的元気なので、今のうちにと、トマトのチーズ焼きに利用した。今年の夏は特に畑を作らず、薬味用に、バジルと青紫蘇と赤紫蘇の苗を適当に植えただけであった。最近になってパーマカルチャーということばを知ったが、雑草に混じってたくましく育った紫蘇たちは図らずもそれを体現していたことになる!? アリエッティの庭にも描かれたように、赤紫蘇が緑の庭に混じるときれいだから、来年も植えようと思う。

気分転換にひさびさに芥川の短編を読み返している。確か10代の終わりごろ読んだきりだと思う。『蜜柑』や『河童』など、もうストレートに心に効いてきて、どうしてこんなことばの組み合わせを思い付くのだろうと、感嘆のため息が出た。

  木がらしや目刺にのこる海のいろ

という句などにも、そう思う。これからは目刺をよく見て、食べようと思う。河童の国の詩もいい感じである。『河童』の最後に次のような詩が挿入されていることは、読んだはずなのにすっかり忘れていた。「しかし我々は休まなければならぬ」を前に、10代の頃は何とも感じていなかったようだ。「しかし」でつなぐなんて。。。


  ――椰子の花や竹の中に
  仏陀はとうに眠っている。
  
  路ばたに枯れた無花果と一しょに
  基督ももう死んだらしい。 
  
  しかし我々は休まなければならぬ
  たとい芝居の背景の前にも。 

  (そのまた背景の裏を見れば、継ぎはぎだらけのカンヴァスばかりだ?)


『或阿呆の一生』つながりで食後の音楽は十戒を破ったモーツァルトの、『魔笛』にした。そのなかの私の好きな曲は、「夜の女王のアリア」である。「復讐の心は地獄のように燃え」という副題付き。いまどき週刊誌にだってこんな物騒なコピーを載せることはないと思う。
11月9日(火)
・ごはん
・白菜とマッシュルームの中華風ミルクスープ
・ゆで豚キムチ
・目玉焼き
・ピーマンともやし炒め

夫が風邪を引きかけたので、にんにく、ねぎ、しょうがを効かせた中華風のミルクスープを作った。喉の奥の痛みは軽くなったそうだ。急に寒くなったからね。風邪などとっとと撃退して欲しい。

バラ肉で作ったゆで豚に、半熟目玉焼きの黄身を絡ませ、キムチ(鶴橋製)を巻いて食べたら、おいしかった。前にも書いたかもしれないが、個人的には、豚とキムチを最初から炒め合わせるよりも、バラバラに調味したものを皿で合わせるほうが好きである。茹でたほうが比較的さっぱりするし、その都度、好みの割合でキムチを巻いて、辛さを調節できるから。


11月8日(月)
・魚介の鍋
・〆卵雑炊

東京より帰還。前日とはうってかわって、魚の出汁がおだやかに効いた優しい魚介の鍋にした。ほっとする味。


11月7日(日)
・居酒屋メニュー

青山学院大学で科研の打ち合わせ会議。10時開始のため朝5時起きして東京に向かった。中身は濃い分、消耗する会議である。体力勝負。懇親会は、ゲテモノ食いというほどでもないが、珍しい肉類を中心に出す居酒屋でおこなわれた。味付けがかなり濃かった。お酒が進むようにということもあるだろうが、きっと肉の臭み消し効果もあるのだろうと思う。


11月6日(土)
・ごはん
・しじみの味噌汁
・鯖の塩焼き
・れんこんのきんぴら(残り物)
・きゅうりのサラダ

翌日朝10時から東京で会議に出席するために、本当ならこの日前泊したかったのだが、自治会のお仕事が入っており、断念した。

午後2時から自治会バザーの品(班内で取りまとめたもの)を体育館に搬入した。夫が休日出勤で車がなかったので、タクシーを利用した。とほほである。夜7時から9時まで自治会の役員・班長会があった。来年はニュータウンが出来て30周年記念にあたる年らしく、30周年記念企画・行事をやるかどうかで意見が分かれた。次回が来年度の役員を決める超重要会議日となる。もし万が一、会長や副会長にあたってしまったら、本職の片手間にという訳にもいかず、自治会の仕事に忙殺されることは間違いなし。私にくじ運があることを祈る。
11月5日(金)

・ごはん
・えのきと豆腐の味噌汁
・鶏の酢照り焼き
・れんこんのきんぴら
・納豆
・プチトマト
・大根の柿漬け(柿汁に浸したちょっと甘めの漬物)

夫が宴会で遅くなる日だったので、ゆういちろうと二人でしみじみ系の和食にした。ゆういちろうから「今日お父さんいなかったら、ピザにしようよ」とおねだりされたが、断固和食にすると主張した。明日も和食にしよう。

テレビやネットを通じていや〜な感じのするニュースがいくつも飛び込んできて、気分がふさぎかけたので、リフレッシュ目当てに午前中思いきってちょこっとだけ唐招提寺に行ってきた。お堂の奥から冷んやり清潔な空気が木のいい香りとともに立ち込めてきて、おかげさまで落ち込まずに済んだ。唐招提寺の植栽も落ち着いていて好きなんだなあ。



学会とかで油断してつい口走ってしまったら「とうとう彼女もあっちの世界に行ってしまったのね」とか言われそうだから、用心して黙っているのだが、本当のこと言うと「音は光で出来ているの♪」とか言いたいのよね。苔蒸した地面に写る木漏れ日を見ながら、うつらうつら考え事をした。

午後からは仕事がはかどったので、本当にいい気分転換になった。



土手に植えたスダチ(鋭い棘付き)が最近元気ないなあと思ってよく見てみると、アゲハ蝶の幼虫に食害されていた。でもここまで育っているなら最後蝶にしてやりたいと思ってそのままにした。鳥にやられないといいのだが。
11月4日(木)

・赤ワイン
・豚キムチ鍋
・〆卵雑炊

私の作る豚キムチ鍋のベースは、昆布出汁、豆板醤、キムチの漬け汁、味噌で構成している。日中韓友好の証のような鍋になる。もう少し普通の言い方をすれば、サッポロ一番味噌ラーメンのスープのような味になる。〆の雑炊もおいしいよ。これを作ると家族に絶賛されるので気分がよい。

食後の音楽は何にしようかと夫に言われたので、チック・コリアかカーペンターズだと答えたら、「なんかおっさん臭くないか」と失礼なことを言い返された。だけど、あまり反論できなかった。というのも、昨日の親睦会の傷(?)を引きずっているからだ。お年寄りと団塊の世代間の仲の悪さといいましょうか。。。文化委員のおばさまのおかげで、今回はバーカウンターのようなものが設けられ、お酌文化撲滅ってな感じになったのだが、バーカウンターの周りで談笑する人々の姿はなく、結局は年配の女性が同年代の男性を気遣って、痛い足をひきずってお酒を取りに行くという構図が出来上がり。。。

もっとみんなお互いに思いやりを持とうよとか、若い世代の私たちは考えるわけです。
11月3日(水)

・白ワイン
・生牡蠣
・ごはん
・しいたけと春雨のスープ
・八宝菜
・チンジャオロース

今日は、64年前の日本国憲法交付を記念して、自由と平和を愛し、文化を進めることを趣旨として制定された国民の休日であるところの文化の日である。自治会の親睦会にふさわしい日である。親睦会本番では、強烈にわがままなおばさまが文化委員として場を仕切っていらっしゃって、その方が名案珍案を展開してくださったおかげで、お酌をして回るとかそんなことは吹っ飛んでしまった会となった。男尊女卑の考え方は古いのかしらね。そういう分かりやすい対立項で物事を捉えていてはいけないことがよーく分かった。具体的なことはいちいち書きませんが、とにかく強烈すぎた。。。

やはり、差し障りのないことをひとつだけ書いておこう。出たゴミは自分たちで持ち帰らなければならない決まりがありました。例えばですね、その方が提案するのは、いったん集めたゴミを役員班長みんなで小分けして平等に持って帰りましょうというような類のことを、要所要所で連発されると思ってください。さすがにいい加減帰りたかった人たちが、特に相談することなくここは「いい人」になろうとみな同時多発的に思ったのか、「生ゴミを分けるの大変だし、私、この袋ごと持って帰りますね」、「そうよね、明日はちょうど収集日だし」てな感じで、ぱぱっと手分けして一瞬にして問題解決を図った。最初からそれを狙っていたのかしらと勘繰りたくなるくらいに、素早い連携プレーが最後のほうは自然に出来た。

帰宅後、うちで仕事や家事にいそしんでいた夫からこまごました報告を受けそうになったとき、「偉そうなお父さん」になった感覚で、「お願いだから、しばらく静かな時間を与えてもらえないか」と私言いましたもん。ひさびさに無性にロバート・フランクの写真集“The Americans”をめくってみたくなった。ロバート・フランクが写した50年前のアメリカの雰囲気と、現代の日本のニュータウンの雰囲気ってどこかよく似ている。

今晩の夕食も夫が作ってくれた。家のなかもぴかぴかに磨かれていた。ソファまでクリーナーとつや出しワックスをかけられていた。本棚も工作室もきれいに整理整頓。査読するくらいだったら家事をしたほうがマシとのこと。
11月2日(火)

・魚介の鍋
・〆卵雑炊

昨日手帳を確認したら、本日午後1時半から、明日の町内親睦会の準備(会場設営)のために現地集合となっていた。自治会の班長のお仕事。あぶなかった、すっかり忘れていた。ということで、午前中だけ研究所にいき、午後には帰宅し、サンタマリア(特別養護老人施設の一角)へ出向いた。

明日の会は、地元の有力議員さんが中心となった万年青年会のメンバーの方々のカラオケなどの発表会のニュアンスが強く、まあ言って見れば私たち主婦は機嫌良くお酌をしてまわるのが役目なわけです。せっかくの休日なのにとか考え始めるとからだに悪いので、気持ちを強く持つためにも、社会勉強になると思って、現代社会の参与観察のいい機会だと言い聞かせて、参加するわけである。だって私が不参加だと、他の誰かに代役を頼まないといけないので、それはそれで面倒だから。

いいことも当然あって、女同士の連帯が生まれるというか、今日なども設営後お茶を飲みながらいつ終るとも分からない世間話タイムになっていたところ、ご近所の奥さんが「いこ」といい感じで合図を出してくれ、首尾よくフケることができた。私はフケるのが大好き。で、結局はうちの前で、結構長い時間園芸談義に花を咲かせ(ちゃんと先生についてバラを育てていらっしゃる方だから、いろいろとお詳しい)、楽しいひとときを過ごすことができた。ご近所の連帯はそういうところから生まれると思う。

学童保育から帰宅したゆういちろうが、開口一番、公園でドッジボールの練習相手をしてくれと言ってきたので、ははん学校で何かあったなと思い、早目に帰宅していた夫にお願いしたら、夕飯は自分が作るから私に行ってほしいとのこと。しかも、明日の夕飯の献立もすでに立てており、自分が作るとのこと。望むところだ!と暗くなるまでドッジボールをして遊んだ。意外とからだを動かすことになり、しっかり汗をかいた。

夫にもいったいどしたの?と聞いてみると、査読の締め切りを抱えており、やりたくないモードに突入してしまったらしく、買い物も含めて夕飯を作るのが気分転換になってよいそうだ。その気持ち、ものすごくよく分かる。
11月1日(月)
・スパゲティ・トマトソース
・昨日の残りのスープ
・鯛のムニエル、レモンバター醤油ソース
・ツナのサラダ

今晩も夫が作ってくれた。イタリアンな気分が爆走中のメニューである。ありがとう。今日のヒットはツナサラダについてきたドレッシングだった。くせになるおいしさだったので、何を混ぜたか聞いてみると、椿油に酢と胡椒、しょうゆ少々に、レモン汁を加えて出来たドレッシングとのこと。夏休みに長崎・五島のホテルで食べたサラダがおいしくて、聞くと椿油を使っているというから、勢いに乗って自分のうち用の土産に一本買って帰ってきたものが、今頃ようやく日の目を見た。



庭のダリアが雨に濡れて自分の重さで倒れ、かわいそうだったので、うちの中に活けた。なんて華やかで清潔感あふれるピンクなんでしょう♪ ウェディングマーチという品種名にぴったりの容姿をしている。緑の絵の隣に活けたら、カッキーンと決まって、私のなかではあるご夫妻を想起させる組み合わせとなった。これまでも何度もこの絵の隣に花を活けようとしたけど、決まって花のほうが野暮ったく見えてしまい、葉っぱの絵なのにものすごい気難しがり屋だなあと思っていたが、やっぱり合う花はちゃんとあったのだ。一日を明るくさせる発見である。


10月31日(日)
・赤ワイン
・スパゲティ・カルボナーラ
・いろいろ野菜ときのこのミルクスープ
・いちじくと生ハム

夫がカルボナーラが食べたいと言いだし、生ベーコンとパルメザンチーズ(塊)を買い込み、ベーコンをかりかりになるまで炒めたチーズたっぷり本格派のスパゲティを作ってくれた。あいにくの雨だったので庭いじりは無理だったが、私はこの日は完全オフ宣言して、前から読みたかった植物系の雑誌を寝転んで読んだり(至福の時間)、ゆっくりと過ごした。こういうときにご飯を作ってくれるのは非常に助かる。ありがとう。



いちじくの季節が今年も到来した。見た目はちょっとグロテスクだけど、生ハムと合わせるとおいしい。上のダリアのピンクと生ハムやいちじくのピンクとでは、カテゴリー上ピンクに分類されてしまって本当にいいの?というくらい、質感が全く異なる。
10月30日(土)

・回転ずし

詩人のぱくきょんみさんよりお誘いいただいて、「張智恵の韓国舞踊と韓国伝統音楽の世界」を見に、ゆういちろうと二人で大阪の大槻能楽堂に出かけた。「秋の風流」と名付けられた、たった一日の演目だったのだけど、張智恵さんの最後の白い布の踊りのときは、頭のてっぺんや太ももや腕のあたりに鳥肌のようなものが立つほど、何かが「来てた」舞台だった。こういう瞬間があるから舞台を見るのが止められない。最後は満場の拍手だった。

白い布の踊りは、サルプリ舞(ルは小文字)というそうで、パンフレットにはサルプリとは、「災厄を祓い、どうすることもできない生の葛藤、苦悩、深い哀しみを白い布に託し、宙に振り放ち、投げ捨てて、それらから解き放たれようとする姿を表しています。しかし、ただ捨てて終わるのではなく、そういう哀しみ、苦しみさえもまた愛おしく抱き寄せて前に向かって歩み出そうとする姿へと変化していきます」とある。

おそらくだけど、私が(いい意味で)ぞーっとした瞬間というのが、いったん捨てた布をもう一度持って、それまでとは違うテンポで踊り(狂い?)始めたときだったと思う。あのシーンはすごかった!

仕事帰りの夫に車で迎えに来てもらい、少し遅くなったので、回転ずし屋で外食した。断然魚が食べたかった。(私のなかの韓国の食のイメージは肉よりもイカなど魚介のダシが効いた保存食のイメージが強い。)鯖がおいしかった。生で食べたり、しめたものを食べたりして、楽しんだ。

あぁ、今日はいい一日だったと言って、眠ることが出来たらどんなにいいだろう。

その後待っていたものは、夫の研究提案書の手伝いである。今晩こそ手伝えよという、激しいプレッシャーをかけられ、今もなお起きている。得意の添削の手伝いは済んだが(厳しい赤ペン先生。辛辣なことをつい言ってしまい一瞬嫌われるのだが、必ず最後は感謝される)、あとは向こうがポンチ絵を完成させるまで、隣で起きていて、ぶつぶつ言うことばに合の手を打つのが手伝い。

これは変な手伝いだと思う。私の場合は、みんなが寝静まったあと、しーんとした中で一人静かに書きものをしたい。隣で起きていられたら気が散って仕方ないから、早く寝てほしいと思うほうなのに。。。人それぞれ好みの執筆スタイルがあるものだと、結婚してよく分かった。

明日の消印有効の原稿なので、最後の追い込みというやつだ。夫は明日も休日出勤なので、大変なことだと思う。働き過ぎ。けれども申し訳ないが、私は明日こそ存分に休むぞ。こちとら昨日まで怒濤の日々だったのだ。チューリップや水仙やアイリスの球根を庭のあちこちに埋めよう。来年の春の楽しみは、「アイスクリーム」という八重咲きチューリップの新品種が実際にどんな花を咲かせるか見られることである。

っと、どうでもいいことを書いていたら、終ったみたい。万歳。これでゆっくり眠れる。おやすみなさい。
10月28日(木)

・日本酒
・ごはん
・おでん

寒いのでおでんにした。明日は鶏の水炊きの予定である。主婦の味方、鍋の季節がやってきてうれしい。

10月末締め切りの原稿が思うようにはかどらず、うっ屈している。先方が文字に起こしてくださった自分の講演原稿を直すのが役目なのだが、自分が嫌いというか、私、全然しゃべりがダメ。過去の自分を腹立たしく思う。こんなんだったら最初から書いていったほうが楽。というかこんなのでお金をもらってよかったのかと落ち込んだり。あまりにはかどらないので、いっそ一晩寝かせて明日の朝、一気に取り組もうかと、逃げてみたり。

で、ひとつのことが滞り始めると、他にもしわ寄せが来て、自治会の班長の仕事として今月中に自治会の会費(半期分)を集金して回らないといけないのに、なんか朗らかな気持ちで「こんにちは。集金です」と他所のお宅のピンポンを鳴らせない気分になっていて、出渋っている。冷たい雨も降っているし、余計に。セールスレディの仕事は私には無理のような。。。

もうひとつの10月末締め切りの夫婦共著の原稿(英語の本のチャプター)があって、こちらのほうは夫が主導で取り組んでいて、すでに英語のネイティブチェックは終わっていて、あとは新たに一つ、計算機をがんがんまわしてシミュレーション実験をやった結果を載せればいいところまで来ている。こちらは、がんばれ、がんばれとお茶やコーヒーを入れているくらい。

今日の発見は、子どもが集まってwii partyをするときは、ゲーム音をオフにして、BGMをビートルズの青盤にすればいいということだった。ビートルズはゲームに合う。個人的にはゲーム音は大嫌いなので、これでお互いご機嫌ないい気分で過ごせることが分かった。子どもたちのきゃっきゃっ言う笑い声の向こうに、Let it be なんて偶然聴こえてきたときには、結構ぐっとくるよ。words of wisdom... Shine until tommorow...とかねえ。

ゆういちろうが学校の音楽の授業でベートーベンの喜びの歌を習っていた頃、教育ママなもので友達が来たときでも一時期その曲をかけてゲーム(スーパーマリオブラザーズ)をやらせてみたことがあったが、そういえばあの頃は喧嘩が絶えなかった。音楽のせいかもしれない。

■追記
シミュレーション実験が深夜ようやく、うまくいった! 這い這いの状態から学習によってかろうじて立ち上がろうとする。まだふらふらだけど。起き上がろうとする。やらせで無理やり立ち上がらせることはできるけど、そうでない状態から自発的に立とうとするのとでは全然意味が違う。めでたい。
10月26日(火)

・フレンチディナー

急に寒くなった。セーターを着ようか迷ったもの。なぜかやせ我慢して毛糸系の衣類を出していない。けどいい加減そろそろ出そうかな。

ゆういちろうの授業参観があり学校に出かけた。親の私が不登校症状を起こしがちなので、しっかりせねばなと思いつつ、出かけた。道徳の授業だった。なんで女の子は泣いたのか、泣いた女の子を一瞬うっとおしく思ったけど、後からもしかして好きなのかもしれないと思ったのはなぜかと、「僕」の気持ちを考える授業だった。難しいね! 夕飯はひさびさにレストランで食べた。



庭に、今は亡き畑があって、その片隅にダリアの種芋(球根?)を植えていた。夏につぼみが出たけど酷暑で自然消滅し、秋になって改めて咲いた。寒いのにご苦労なことだ。品種名はウェディングマーチという。同じ芋から咲いた花でも個体差があって、ピンクが強いのと、白が強いのとがある。白いほうを摘んで食卓に飾った。キュートでふわふわ。かわいい♪ 周りのせいにするわけではないけど、最近口からは苦み走った言葉ばかり出てきがちだから、せめて身の回りは幸せな少女趣味で充たしたい。



23日(土)に遊園地再生事業団の新作『ジャパニーズ・スリーピング』を家族で観に行った。夫いわく、「決して絶賛するような作品ではないけれど、絶対に忘れてはいけない作品」。御意。作者の宮沢章夫さんを信頼しているからこそ、このやり場のない違和感をご本人にもお伝えした。とても丁寧なお返事をくださり心が温まった。状況は非常に寒い分の裏返しとして、余計に温まった。
10月22日(金)

・白ワイン
・ごはん
・えのきの味噌汁
・ぶりの梅のり焼き
・山芋とろろ
・きゅうりのサラダ
・納豆
・大根のぬか漬け

混ぜ合わせたくない日の食卓となった。ちょっと潔癖系。

大学教員の公募の不採択通知が届いた。厳しい状況である。夫が、僕と結婚して子どもを産んだりしたからキャリアの邪魔になったのではないかと、僕のせいだと、心底驚くことを言い出したので、自分が落ち込んでいる場合ではなくなり、「あの、私、そんなに不平いっぱいの不幸な女に見えるの?」と聞いてみると、「うん、少し不幸に見える。不遇といっていいかも」とのこと。「えぇーーっ、そうだったの」と思ったが、コーヒーなど飲みながらそうこうしているうちにお互い普通の雰囲気に戻り(呑気なほうなので)、何事もなかったかのように博士論文をがんばって書こうという話に落ち着いた。何か「努力」していないと気が済まないのだった。

自分のせいで相手が不幸になったかもという発想は、逆も含めて、今まで全く考えたこともなかったので、なんかまあ本当にびっくりした。男の人特有の発想なのかなあ。それとも私がどこか変なのかなあ。



庭の木も一部紅葉が始まった。写真は現在のツリバナ(マユミの仲間)の様子である。白い小さな花の時期もかわいらしいが、赤い実が吊り下がっている時が一番かわいい。食卓の窓から風に揺れるのを見ると、自然と心が和む
10月21日(木)

・カレーうどん
・きゅうりとトマトのサラダ
・絹あげの煮物
・納豆

昨日の残りのカレーを利用して、カレーうどんを作った。簡単な食事。



ここのところ忙しかったり雨が降ったりで裏庭に出ていなかった。久々に歩いてみたら、以前借家の庭から掘り上げて持ってきた秋明菊が咲いていた。去年まで咲かなかったから、こちらに越して、株がようやく充実してきたみたい。周りにホトトギスも咲いている。去年苗を買ってきて植えたものである。こちらのほうも株の充実が見られる。このエリアの下草には他にスズランやシャガや斑入りどくだみが植わっていて、おとなしいほっとする感じの場所である。
10月20日(水)

・ビーフカレー
・もやしの椿油炒め
・茹で卵

お昼は研究所の先輩ご夫婦と薬膳スープカレーの店「アジャンタ」に出かけた。アジャンタに行くと、スパイスのおかげでいい汗をかく。で、夕飯もカレーにしようと思った。最近の食欲の源はカレーである。

職場では10月1日付けでデスクの移動命令があり、本日ようやく引っ越しが完了した。移動が決まった時はぶつぶつ言いたい気分山盛りだったが、新しい受け入れ先の雰囲気が大変よく、むしろいい場所に移動できてラッキーかも。椅子の質が上がったのがうれしい。

ここのところ日記を毎晩書く余裕がないなあ。この間、集中して原稿を書いたり、学会に出かけたり、地元のサロン(地域の勉強会)に出かけたり、要は立て続けに私にしては非常に活発に夜も活動しているためである。もう少しして落ち着いたら規則正しい生活に戻れると思う。

ずっと前にタキイに注文しておいたチューリップの球根が今晩届いた。今年も来るべき華やかな春に向けて大量に植えるぞ。裏庭用にいい匂いのする水仙の球根も買い足したい。庭いじりの季節がようやく戻ってきた。

庭の花も秋仕様になってきた。赤い実もなり、紅葉も若干進んでいる。夏の疲れを残しながら、最後のあだ花を咲かせている姿に健気だなあと涙ぐむこともしばしば。秋だから。



もうこれで今季最後だろうと思う。バラ、ヒストリー。



土手ではセイタカアワダチ草が満開を迎えた。クマツヅラ科の園芸種(ランタナ)との相性もよい。



ほとんど雨の当たらない駐車場の隅にひょろひょろの蔓が出ているな、はて何だろうと思っていたが、本日夕方帰宅してみると深みのある大きな白い花が咲いていて、夕顔だと判明した。去年この辺りでつるを整理したときに、種がこぼれたのだろう。
10月14日(木)

・昨日の残りのチキンカレー
・茹で卵入りサラダ
・たけのこのきんぴら

今日はゆういちろうの遠足の日。朝早くからお弁当や持ち物の準備に大忙しだった。その前に大きな原稿をひとつ挙げて気分は高揚していたから、勢いで乗り切った。

遠足から帰宅したゆういちろうが次に向かったのは、サッカー教室。お友達のおばあちゃんおじいちゃんの車に乗せていただいて現地へゴー。お友達から誘われ、先週見学に行ったら大いに気に入り、入会すると言いだした。いわゆるスポーツスパルタ系ではなく、保護者のお茶当番などない、ゆるく楽しもうというクラブなので、私たちでも大丈夫そうかなと思う。ゆういちろうの習いごとは空手にサッカーと、からだを動かすものばかりだ。非スポーツ系の親からこんな活発な子どもが生まれるとは。私はピアノを習わせたいのだがどうなることやら。

5時に私は髪を短く切りに美容院に行き、7時過ぎに帰宅、作り置きしておいたカレーを温めて食べた。熊本の伯母から大きな梨が届いた。実家からも最近葡萄が届き、果物いっぱいの我が家である。果物がうちにあると本当に気分がいい。たぶん太古より木の実を一生懸命集めてた女子の本能かも。

新しいことが始まる前は、わくわくどきどきうれしたのし♪だけ感じていたいのだけど、そうは問屋がおろさない。いろいろなことをクリアしていかないといけないのだろうなあ。それが人間ってもんよ。まだ始まっていないのだから、直観を信じるしかないのよ。
10月11日(月)

・スパゲティ、トマトソース
・チーズ入りオムレツ
・キャベツとしめじ炒め

連休最終日。紙皿で円盤(フリスビー)を作ったり、思う存分好きなことをしてゆっくり休んだのはゆういちろうで、夫は1限より授業のため早朝家を発ち(月曜コマ数確保のための休日出勤)、私は試験問題の採点をおこなうなど、意外とヘビーデューティだった。

夕飯は家にある材料でちゃかちゃかと作って食べた。

普段はクラシックなんざ聴くような家庭ではないのだが、なぜか今晩はベートーベンが聴きたくなり、人気のピアノソナタ曲「月光」「悲愴」「熱情」が録音されたCDを食後にかけた。誰もが一度は聴いたことのある「熱情」の第2楽章が始まったとき、夫も私もなんだか泣けてくるねえと涙した。もうすでに死んだ自分らが、若いころの自分たちの姿を見に、そっと舞い降りてきて、部屋の中を穏やかな気持ちで懐かしく眺めている感じがしたのだ。とても不思議な感じだった。今がふんばりどころだから、がんばれ、ということなのかなあ。

演奏は、旧東ドイツのペーター・レーゼルという人のもの。力まかせにがんがん弾いている人は個人的にちょっと苦手で、かといって抑制を効かせすぎている人にはわざとらしさを感じ、ペーター・レーゼルという人の演奏はちょうどいいところにちょうどいい強さで丁寧に音を置いていってくれて、好きなタイプの演奏である。(←ものすごく知ったかぶりして書いてみました。)
10月10日(日)

・白ワイン
・ごはん
・豆腐とわかめの味噌汁
・さんまの塩焼き
・れんこんのきんぴら
・さやいんげんのしょうゆバター炒め
・絹あげの煮物
・納豆

冷蔵庫を見れば、大豆製品がたくさん余っていた。火曜には生活クラブ生協の宅配が届くので、今のうちに消費しないといけないと思って、豆腐、味噌、絹あげ、納豆とオンパレードで食べた。さやいんげんのしょうゆバター炒めはゆういちろうのお気に入りの味のようだ。食べたものを書きだしてみると、今日は材料を混ぜあわせたくない日のようだ。

新しい洗濯機と炊飯器を買った。こんな大事なものが壊れるなんてどうかしてる。洗濯機の排水口からホースが外れて、洗面所、トイレ、居間、工作室、寝室の一部が水浸しになってしまったときにはもう、どうしようかと思った。これからは水漏れの心配なし。安心。炊飯器は新しくなって大正解。ご飯のおいしさが全然違う。損した気分が全くしない。買ってよかった。家電メーカさん、技術開発ありがとございます。

仕事のほうは連日正念場続きで、この一週間無我夢中でやってきた。面白いことが始まる前の生みの苦しみ段階にいる。ものを書くというのは、動物として痛い思いして産み落とすのと産婆役をやるのと一人二役しないといけないので、そもそも大変なのだけど、さらに共同でひとつのものを書くとなると、いろいろな要素が複雑に絡み合って団体スポーツをやっている感じがする(サッカーみたいな)。敵の姿ははっきり見えているのだが、だからこそ勢い余って、オウンゴールを誤って決めてしまっては泣くに泣けないので、冷静に慎重にことを進めないといけない。



以前公民会の勉強会で作った寄せ植えのリンドウが花を咲かせた。秋の花は控え目なのが多く、春とはまた全然違った風情があって、この季節はこの季節で澄んでいて楽しい。庭の土手には薄の穂が立ち上がり、色とりどりの小さな花が咲き始めた。
10月3日(日)

・魚介の鍋、ポン酢大根おろしで
・〆うどん

少し肌寒く、季節の変化を直に感じた。今季初の鍋にした。父の釣った鯛(冷凍して送られてきたもの)を解凍して入れた。こっくりと鯛特有の脂がのっており、おいしかった。ちなみに昼間は夫が急にお好み焼きが食べたいと言いだし、豚バラとキャベツのシンプルなお好み焼きにした。「どしたの急に」と思っていたら、どうやらNHKの朝の連ドラがお好み焼きをテーマにしたものらしく、その情報にサブリミナルにつられたとのこと。非常にその気持ちは分かる。

仕事は正念場、この一年でもっとも頭を使っているのではないだろうか。論理の筋道を立てるのは、見えないときはとても苦しいのだけど、苦しみぬいたあげく一条の光が通ったときの快感はものすごいから、この仕事は止められないのだ。きっとサッカーでいうと、キラーパスが通った!みたいな感覚であると思う。体力勝負のところがある。

論文系の文章において、だらだらと筋道が通らない文章を書いている(という自覚がある)ときほど、気持ち悪く無能感にさいなまれるときはない。いっそ消えてなくなってしまいたいと思う。でも、この日記に、好きなことを好きな順序でだらだらと書くのは大好き。ものすごくリラックスした気分が得られ、よい気分転換になっている。
10月2日(土)
・赤ワイン
・ごはん
・豆腐とたまねぎの味噌汁
・いわしのほうれん草&チーズ巻き
・冷や奴少々とほうれん草のお浸し

夫から、あんた今頭から白い湯気出してるよと言われるくらい、考えを組み立てる作業をおこなっている。考えるのが仕事なので、職務を全うしていて気分良し。気分転換にちょっと散歩に出かけたら、金木犀の匂いがふうわり漂っていた。少し離れたところまで歩いても、よい香りが。この地域で一斉に花がほころび始めたようである。風がそよぐ気持ちのいい日だった。

夕方5時から夕飯を作り始め、急いで食べ、7時から自治会の班長役員会に出席した。自治会の親睦会(11/3)やバザー(11/7)や自主防災訓練(11/14)やらのお世話をしないといけない。あと、後期の自治会費を徴収して廻るお仕事も今月に入っている。ちょんぼをしないよう気をつけよう。

下の写真は9月29日に研究打ち合わせのため東京出張に出かけた折に、打ち合わせ会場の窓から見えた光景を写したものである。写真にははっきりと映っていないが、大きく「胃腸病院」という看板がかかった病院のビル2棟である。聞くところによると、漱石も入院した由緒正しい病院だそうだ。油絵にしたい色味である。




10月1日(金)
・ごはん
・しじみの味噌汁
・あじ(天日干し)の炙り
・たまねぎのオーブン焼き
・大根おろし
・納豆



買い出しにもいけず、冷蔵庫(冷凍庫)のなかにあるもので間に合わせようとした。ところが野菜が全然足りない。そうだ! 家の外に実家の畑で採れたたまねぎを吊り下げているのだった。たまねぎを利用したシンプルな一品を作ろうと、上の写真のような料理を作った。塩を振り、丁子を刺し、オリーブオイルをかけて、180度のオーブンで40分焼いたものである。幸いゆういちろうにも受け、大ヒットだった。形をとどめながらも、なかは甘くやわらかく変成している。たまねぎの筋にうっとり。

急に食器に対する物欲が復活した。新しいスリップウェアが欲しい。馬の目模様のついたやつがいいなあ。最近のテーマは「筋」である。(なんのこっちゃな話しですいません)
9月30日(木)

・ごはん
・豆腐とわかめの味噌汁
・鶏の酢照り焼き
・いろいろきのこ炒め
・もやし炒め
・きゅうりとトマト

夫が飲み会参加のため、夕飯はゆういちろうと二人で食べた。秋と夏の両方を感じる食事となった。

  何事のおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる

およよ、およよと泣きましょう。そして書くのです。
9月25日(土)

・白ワイン
・トマトクリームソースのスパゲティ
・お弁当のおかず(詰め切れず余ったものいろいろ)

去年の運動会は炎天下のもと気分が悪くなってしまったが、今年は格段に涼しく、お日様が出ても木陰にさえいれば全く問題がなかった。帰り際は、秋晴れのとても澄んだ空色を見ることができた。団地の白い壁によく映えていた。





昨晩懸案だった風呂敷問題は、小さいテーブル用のクロスを代用することで事なきを得た。ビニールクロスと重箱のあいだには、絹の風呂敷より木綿のギンガムチェックの布のほうがかえっておさまりがいいような気がしてきた。今後の課題としては、巻きずしをうまく巻けるようになることである。今朝は、私ははなから諦め、夫も四苦八苦してようやく形になった。

運動場が広いので、子どもたちの競技を見ても、どこにゆういちろうがいるのか分からない場面が多々あった。だから必死になって我が子の様子を追いかけるのは諦め、のんびり芝居見物をしているような気持ちで眺めていた。

夕飯は、お弁当に詰め切れなかったおかずを中心にした。楽ちん。
9月24日(金)

・ごはん
・しじみの味噌汁
・豚の生姜焼き
・茹でオクラ、しょうゆマヨネーズソース
・冷や奴
・きゅうりの漬物

いそいそと夕飯を作り、ゆういちろうを早目に寝かせつけ、夜遅く何をやったかというと、明日の運動会のお弁当の仕込みである。いなりずし用のおあげを煮て味付けをしたり、巻きずし用のかんぴょう、しいたけを戻したり、豚をローストしたり、きんぴらごぼうやピーマンの煮込みを作り置きしたり、などなど。

私はこういうのはどちらかというと後手後手に回るほうなのだが、なぜか夫は数か月前から運動会のお弁当に対して激しく燃えていて、すべての献立の立案、買い出しを彼が担当した。昨日から豚肉の塊をシードルに漬けておいたりと準備に余念がない。「お弁当を作るの、好きなの?」と聞いてみると、普通に「うん」と返事がきた。

そして、私はどちらかというと雑なほうなので、おいなりさんや巻きずし、その他のおかずは、大き目のタッパ、もしくは竹で編んだお弁当箱ににかわいらしく詰めればいいじゃないと思っていた。そして去年そうした。タッパをバンダナで包むというカジュアルスタイル。ところが夫はそれが恥ずかしかったらしく、今年はお重じゃなきゃいやだと言い張り、そうじゃないとゆういちろうが悲しむと主張し、うちにお重がないので新しく買おう!といろいろ調べ始めた。我が家の経済状況を鑑み、そんなことをしてもらっては困るので、この夏、実家に帰ったとき使わないでいたものをもらってきた。(どれだけ前から運動会の心づもりをしていたというのか!)

明日はそのお重に詰めるのだが、考えてみれば、それを包む適当な大きさの布がない。我が家は風呂敷のない家だったのだ。日本文化の衰退、由々しきことである。この夏、実家で、そこまで気が回らなかった(田舎なので、言えばたくさん出てきたはず)。というか、明日どうしよう。。。
9月23日(木)
・ごはん
・鶏の塩焼き
・もやし炒め
・納豆
・きゅうりの漬物

秋分の日。休日。昼間はゆういちろうのともだち二人が遊びに来て、うちのなかでゲームをしたり公園でボール遊びをしたようだ。「ようだ」というのは私は読書をしていて間接的にしか分からなかったからだ。

名古屋出張のため夫不在。そういう日の夕食はとても手抜きになってしまう。ということは夫中心に考えて料理を作っているということ? 人からとやかく文句を言われるのが心底嫌なので、文句が出ないように先回りしているということなのかな。今晩はゆういちろうから味噌汁ないの?と文句を言われたけど、「出汁パックを切らせていたから今日はなし!」と毅然とした態度で応答した。親の威厳を見せつけてやった。  


9月22日(水)
・居酒屋スカイで食事

大阪梅田で研究会があった。普段は東京で開かれることが多いのだけど、今回は別の学会に合わせて関西開催となった。研究者冥利に尽きる非常に有意義な話し合いとなった。帰りはいつものメンバーと梅田の地下街でサラリーマンのおじさんたちに混じってお酒を飲んだ。もちろんたしなむ程度に。帰宅後は、スカイプを通じて重要別件の打ち合わせをした。覚醒。


9月21日(火)
・スパゲティ・ミートソース
・茹で卵
・プチトマト

これまでスカイプでの会議に末席参加したことはあるが、自宅のPCを使って個人的に使用したことはなかった。この日は故あって実質的なスカイプデビューとなった。電話以外にもチャットを使った会議となったが、最初はどうしたらいいか戸惑うばかり。間の取り方が全然わからなかった。でも、お話ができてラッキーだった。思いを形にするにはどうしたらいいか自分にできることをひたすら考えた。

この日生活クラブ生協の宅配で届いた牛ひき肉を使って、ミートソースを作った。前回Kくんのお母さんに習ったレシピを再現してみたけど、前回ほどうまくできなかった。いろいろ思い当たる節あり。そもそも「目分量」の幅が広すぎるのだ。
9月20日(月)
・チーズ&バゲット(キャンプの余り物)
・プチトマト

9月19日(日)
・白ワイン
・魚介のブイヤベース
・トマトとモツァレラチーズのサラダ
・豆腐(キャンプ場のおじさんのサービス)

奈良県吉野郡の天川村・洞川温泉に家族でキャンプに行ってきた。初日のお昼に現地で食べたあまごの塩焼き定食が予想以上にボリュームがあって、夜になっても全然お腹が空かなかった。(副菜に鹿肉の串揚げや猪肉の唐揚げもついているなんて。。。)メインとして用意していたビーフステーキサンドは翌朝に回すことに。おかげで20日は非常に豪華な朝食となった。

天川村は性に合うのか、夜深い眠りが得られる。何かと忙しい初日の夜は材料を放り込んでことこと煮込むだけの鍋料理にして、ぐっすり寝て起きた朝に、肉を焼いて食べるのもいいような気がしてきた。次からのことをこんなに積極的に考えているということは、2回目にしてようやくキャンプに慣れてきたということだ。無理やり連れて行かれてじょじょに自分も好きになるケースなのかもしれない。

薄手のパーカしか持って行かなかったのが悔やまれたくらい、朝晩はけっこう冷えた。木の枝に吊り下げたランプのもとで、食後のコーヒーのときは、湯気だけでなく息も白くなった。キャンプ場の草花は私たちの住んでいる辺りのよりもずっと秋めいていた。写真は、20日朝の様子である。








9月18日(土)

・白ワイン
・ごはん
・たまねぎと椎茸の味噌汁
・ひき肉入りチーズオムレツ
・がんもの煮物
・プチトマト

冷蔵庫にある有り合わせのもので作った。肩の力が抜けた料理。自分でいうのもなんだが、おいしくできた。

遅めの朝食後にメールをチェックしたら、なんと(!)全く思いがけず、今後の研究につながる素晴らしい話が舞い込んでおり、私はすっかり舞い上がってしまった。どれくらい舞い上がったかというと、二つ返事で承諾の返事を書き始めるつもりがもっと先走って送信ボタンを押してしまい、先方に謎の空メールを送ってしまうぐらい舞い上がったのである。でもことは慎重に運ぶ必要がある。ふわふわしていたら危険なので、まずは落ち着いて、図に乗らないように心がけなければ。

自分の住む平城ニュータウンの成り立ちについて知っておきたいことが山ほどある。けどどこからアプローチしていいか今まで分からなかった。最近、縁あって地元の公民館の活動について知る機会が増えた。今日の午後は、公民館で開かれた、地域の山野草同好会会長さんの講座を聞きにいった。お話のあとは、山野草の寄せ植えの体験学習の時間も用意されていた。



ロウヤ柿とリンドウとチガヤの寄せ植えを作った。材料代は1500円だった。鉢もついており、非常にお得感あり。公民館の助成システムを賢く利用して、うまくすれば老後は趣味三昧に生きることもできる?



山野草同好会は、奈良でエイブルアートを推進しているたんぽぽの家という福祉団体ともつながりがあり、そこから鉢を入手することがあるそうである。上の写真はたんぽぽの家で作られた作品である。目の前に美しい鉢が置かれ、手に取ると非常にしっくりとなじみ、持ったままぼーっとしていると、周りの方からの後押しもあり、いただけることになった。なんだか今日はとてもついている。秋になるときれいに黄変する、黄緑色の葉っぱをしたマメ科の植物などを植えると映えるような気がする。
9月17日(金)

・白ワイン
・昨日の残りのチキンカレー
・手作りピザ(いただきもの)
・プチトマト

今日は二人の友達(どちらもKくん)が遊びに来た。お母さんお父さんの帰宅が遅く、おじいちゃんおばあちゃんのお家でご飯を食べることが多いKくんのおばあちゃんが、3連休の前だし、3人一緒に食べると楽しいでしょと、手作りのナンとカレーを持ってきてくれた。もちろんうちは大助かり♪ 

それがまあ、「世界一おいしいカレー」とか、「一生で一番楽しい時」とか、ものすごい形容の褒め言葉を連発しながら、子どもたちが本当においしそうに食べるわけです。見ていてなんだか胸がきゅんとした。私のいれた麦茶まで「おいしい。世界一の味だね〜」と褒めてくれたときは笑ったけど。

私は、子どもが好きというよりは、幸せな子どもを見るのが好きなんだと思う。おいしいものを食べて、汗だくながらこざっぱりした格好をしていて。要はちゃんと誰かにかまってもらっていて、飢餓感のない感じのする子ども。

Kくんのおばあちゃんが、大人には、余ったナンの生地を利用したピザ(絶品)をつけてくれた。子どもたちが帰ったあと、ご相伴にあずかった大人も幸せな食卓となった。愛情を食べている感じがした。

■追記
朝からいきなり大問題発生。土曜朝この日記を読んだ夫から、あんただから人から嫌われるんだよ、あなたのこの文章だけなら「じゃ貧しいみすぼらしい子どもは嫌いなのね」と受け取る人も出てくるよと忠告された。私の本意は全くそこにはないのだけど(ときっぱり言い切れるのか自分?)、しかもじゃあその本意は何なのと聞かれたらすぐには答えられないのだけど、言われてみれば確かにそう受け取られても文句は言えない書き方になってる。。。難しいなあ、気持ちをことばにするのは。幸せを書くこということは、幸せでない人を作ることになるのかどうか。
9月16日(木)

・白ワイン
・チキンカレーライス
・茹で卵
・冷や奴

午前中に書評原稿を校正して出版社に提出した(偉い!)。午後は、このまま勢いにのって論文書きに突入できるかと思ったのだが、それは甘かった。気分が呆けてしまった。一日のうち3時間ほど深く連続集中してしまったら、後がもたないようなのだ。集中力の波が確実に存在している。大学の教員だったら、授業がぽこぽこと入っているから、外部的制約を利用して波をうまく分散させることができるのかなあ。

今日はこの他に、家のなかの床掃除をしたり、自治会のゴミ当番が当たっている週なので雨のなかビニールシートを片づけに出かけたりした。あとほかにやらないといけないのは、自治会の持ち回り班長の役目として、20日までに、70歳以上の方に敬老の日のお祝いの品を配って廻ることである。この地域は高齢化が進んでおり、思ったより多くの方に配ることになった。受領印をいただいた紙を、担当役員さん宅のポストに入れて本件に関してはお役目完了となるのだが、今日はあいにくの雨だったので廻るのは止めた。

こういうこまごまとしたお仕事を文句を言わず黙って爽やかにこなすのが、できた主婦の勤めなんだと思う。私は文句はとくにないけれど「できてない主婦」であるので、こういうこまごまとした用事もやっているんだよと、鬼の首でも取ったかのように、ここで世間に向かってぶつぶつとわざわざ書き留めている。

あいにくの雨とさきほど書いたけど、庭の草木にとっては恵みの雨である。葉っぱがしっとりといきいきと盛り返してきた。カラカラの地面にホースでどんなに水をやってもお湿り程度だったから本当に助かる。夕飯は完全安易モード。難しいことを一切考えず、家にある材料で明日も食べられるカレーにした。
9月15日(水)
・ごはん
・えのきと豆腐の味噌汁
・豚の生姜焼き
・ほうれん草のバター炒め
・山芋のサラダ
・納豆

原稿の校正依頼がなぜか一日に2件も舞い込んだ。忘れた頃にとはまさにこのこと。重なるときは重なるものである。ひとつは書評原稿で、明後日、17日締め切りという大変タイトなスケジュールである。過去の自分が大嫌いと泣きながら修正しているが(だってなんか変な文章なんだもの)、さすがに今晩は意味飽和してきたので、明日の朝、新鮮な気分で読み返そうと思う。

そんなこんなで夕食は1時間くらいでぱぱっと作った。食後に、しっとりとおいしいバウムクーヘン(Kくんのお母さんからのいただきもの♪)を食べた。


9月14日(火)
・ビール&お好み焼き

今年度下半期の目標のひとつは、「私は奈良市民です」と堂々と胸を張って言えるような心的基盤を作ることである。これがあるのとないのとでは、2,30年後の精神安定度、幸福度が全然違うような気がして、今から地道にこつこつと柔軟体操を心がけようと思っている。

この日は奈良にある、あるサロンにお誘いいただき、これまでの生活では普段直接的に接することのなかった方々とお話することができた。お好み屋さんでの懇親会にも参加した。自分が何を代表しているのかはよく分からないが、ちょっとした外交官気分を味わった。公と私の中間にある社交ゾーンでの交流だったように思う。

そうだそうだ、この日の午前中は小学校に行って、運動会に向けてのPTA草引き作業に参加したのだった。ちなみに前日はPTAの下校当番で学校に出向いた。ママ業(修行)を忘れるわけにはいかない。
9月13日(月)

・ごはん
・大根の味噌汁
・鯖の塩焼き
・ひじきと大豆の煮物(いただきもの)
・山芋とろろ
・オクラ、しょうゆマヨネーズソース

しみじみとした食事になった。最近は和食や中華が好みである。そういえば学会中のランチはインドカレー屋に通ったから、「アジアン料理(?)」が好みといえるのかも。



夕食後、何やら真剣に書きものをしていたゆういちろうがおもむろに立ちあがり、「おかあさん、これを毎回よく読んでから手を洗うように」と洗面所のシンクに張り紙を貼った。ちなみに彼が自発的に自ら進んで手を洗った姿を私は見たことがない。私の場合、たまに机の周りに張り紙はするけどあまり何かに役立った試しがなく、、、というところが親子で似たのだろうか。

先日、玄関にもセロテープで張り紙を貼ったのだった。文面は、


   ともだちはみんなきてください
   どなたでもどうぞサンタさんは、
   こっそりきてください。

   つじたより

というもの。おそらく「ないたあかおに」を読んだ影響だと思われる。冷蔵庫にも親に感謝を伝える張り紙をしている。これは大きな夫婦げんかをした後に、子どもなりに大いに気を遣って書いてくれたものである。

  
   いつもありがとう
   おとうさんもありがとう

        つじ田からより


こうしてみると、ゆういちろう、いいやつだなあ。大好き(溺愛)。子どもは一所懸命に健気だ。
9月12日(日)
・皿うどん(細麺)
・きんぴらごぼう

学会2日目。終了後はそのまま帰宅し、家族で夕飯をともにした。家に帰るとごはんが出来ているのはうれしい。ありがとう。

学会シーズン学校行事シーズンに突入した。手帳を見ると、9月10月で予定のない週末は10月9日&10日だけだった。この日はのんびり過ごせるよう白紙のままにしておくぞ。いずれにせよここしばらくは体力勝負だわね。漢方の先生に、血圧を上げる薬を処方してもらおうかな。先日測ったときは上93、下54だったし、血圧が低いのがよろしくない気がしてきた。昼食後1,2時間は、やたらだるく眠くなって、まったく使いものにならないもの。学会や研究会でこれ続けてたらダメでしょう。


9月11日(土)
・懇親会メニュー(中華)

生態心理学会初日。京都ノートルダム女子大学にて。会場のある建物玄関で、靴を脱いでスリッパに履き替えるよう指示する看板が出ていた。靴を脱がなければならない学会なんて初めてで、新鮮な気分だった。懇親会では旧交を温めたと同時に、新しく出会った方々もいて、人の流れというものを感じた。佐々木(正人)先生からは、早く博士論文を書けと、念を押された。今度こそがんばります。
9月10日(金)
・ごはん
・キャベツの味噌汁
・さんまのかば焼き
・オクラとトマトと卵のふんわり炒め物(いただきもの)
・切り昆布といろいろ大豆の煮物(いただきもの)
・かぼちゃの煮物(いただきもの)
・きゅうりとわかめとオレンジの酢の物(いただきもの)
・日の菜漬け

Kくんのおばあちゃんから夕飯のおかずのお裾分けをいただいた。思いがけず贅沢な食卓となった。大豆の煮物をよくよく眼をこらしてみてみると、隠し味として、ちいさな赤ちゃん海老のしらす干しが入っていた! 卵が「卵とじ」や「炒り卵」っぽくならず、オクラとトマトと同じ強度で存在できているのはなぜだろう? などなど、たくさんの種類の食材を混ぜて、どうしたらこんなに上品な味になるのか毎度のことながら驚いている。

そういえば先週の金曜日はKくんのおかあさんがうちに遊びに来て、ミートソースを作るのを手伝ってくれたのだった。手元にあったレシピでは、トマトの水煮缶と缶詰のデミグラスソースを利用して煮込むシンプルな作り方だったのだが、あいにく市販のデミグラスソースがうちにはなかった。とりあえず代わりに飲み残しの赤ワインと固形スープの素を加え、そのあとどうしようかなあと言っていたら、Kくんのおかあさんが、それだったらウスターソースとケチャップとバター、しょうゆもほんのちょっと入れてみたらとアドバイスをくれた。その通りに作ったら、これがまあ、缶詰を利用するより断然おいしく仕上がった。ゆういちろうの食いつき方もいつもより激しかった。


9月9日(木)
・ごはん
・白色ポタージュスープ(残り物)
・鶏の塩焼き
・青梗菜炒め
・プチトマト
・日の菜漬け

午前中美容院にいって髪を短くした。夫が知人女性と外で食事をしてくる予定が入っていたため、この日の夕食はゆういちろうと二人で簡単なものにした。そして!なんと飲み過ぎて帰れなくなったから泊まってくると深夜に電話。いいなあいいなあ、私も帰りの時間を気にせずに、誰かと思いっきりおしゃべりしたいよ。でも翌朝からの生活リズムが崩れることを考えたらやっぱりできない。というか最近夜はすぐ眠たくなってしまう。眠れなかったときのことを思えば、この事態は自分のなかでは何にも変えられないほど幸せなことで、絶対にこのリズムを厳守したいと思っている。ちゃんと夜眠るために昼がんばる。
9月8日(水)

・ごはん
・白色ポタージュスープ
・ポークソテー、きのこソース
・もやし炒め

最近私は昼に魚、夜に肉を食べている。そういうときがある一方で、毎食肉しか食べない肉モード、反対に肉を全く受け付けない魚モードに支配される時期もあり、何が食の嗜好を決めているのか自分でもよく分からない。別人みたい。考えてみると不思議である。こんなことを考えられるのも、自分で食べたいものを決められる主婦(大人)になったからである。子どもの頃は出されたものを食べるのが当たり前だったからなあ。

今晩はスープがうまくいった。ごぼう、れんこん、じゃがいも、たまねぎの根菜類をバターで炒め、コンソメブイヨンで煮込み、ミキサーでつぶしたあと牛乳を入れたもの。栄養満点、繊維質たっぷりのスープである。れんこんの歯触りが残ったのがかえってよかった。味は全然違うけど、氷のしゃりしゃり感が残ったおいしいミルクセーキのような感覚。

午前中にここのところ根をつめてブツブツ言いながら書いていた書類を書きあげ、無事提出した。午後は論文をいくつか読んだ。人のものを読んでいると自分もなんだか書きたくなってきたから、今は書くモードなのかなあ。読むのと書くのも、私のなかで不思議な関係を結んでいる。失読症のようなときや、まったく書けないときもあれば、私って天才かもというほどすごい量を一気に書いたり読んだりすることもある(質は問わないでね)。

目の前にある課題が大きすぎて、たじろいでいる。どれも腹をくくってこつこつやらなければ、先に進めないものばかり。。。腹をくくってはみ出た脂肪がなくなるならば、いくらでもくくるわよと、おやじギャグ地獄に進んではまってしまいそうだ。やだなあ自滅。
9月6日(月)

・ビーフカレーライス
・茹で卵
・きゅうりのサラダ

いつもよりいい牛肉を使ってカレーにしてみた。いつもの安い塊肉の倍の値段はするのだけど、おいしさは倍どころか4倍にも8倍にもはね返った結果が得られた。つまりとてもおいしかった。ゆういちろうはいつものビーフカレーなら肉だけ残すくせに(固くて噛み切れないから)、今日は難なく積極的に口に運んでいた。使える予算が限られているのだから、カレーの機会を半分にしていい肉を使うという選択肢のほうが賢明な気がする。

ひき肉にするという手もあるのだけど、ひき肉はどちらかというとカレーよりもミートソースにしたほうが好き、もしカレーに入れるとするなら肉団子(プチハンバーグ?)にしたほうが好き、というよりいっそのこと汁気を飛ばしてポロポロのドライカレーにしたほうが好きだから、我が家においては結構手間のかかる料理になってしまうのだ。ゆえにあまり登場しない。

なんだかここのところ肉を食べた日の夜に限って日記をつけている気がする。ヴァイタリティーがでるのだろうか(笑)。

幼馴染のKちゃんから手紙が届いた。心が温まった。そしてなぜか集まるときは好きなものが集まる。葡萄やマンゴーも叔父や知り合いのおばあちゃんからいただいた。いえのなかに果物がいっぱいあると、豊かな気分がしてよい。生き物として当然の反応だと思う。
9月5日(日)

・ごはん
・えのきとプチトマトの中華風スープ
・回鍋肉
・焼きししゃも

夫が作ってくれた。ありがとう。夜の疲れ度合いが違う。助かるわ〜

昨日、ゆういちろうの通う小学校の校長先生が場をセッティングしてくださり、他の保護者も交えて校長室で子どもたちのあいだの問題について話し合いがあった。結果的にはうまくいったのだと思うけど、とにかくぐったり疲れた。

今日ゆっくり休めたから、ここのところの体調不良(咳がいつまでも残ってヤナ感じ)も快方に向かうと思う。いくらなんでもこれからじょじょに涼しくなるはずだから、それに合わせてゆっくり養生してゆけば自然治癒するはず。
9月2日(木)

・赤ワイン
・たまねぎのぽったら煮
・鶏肉のトマト煮込み、ライス添え

生協の注文票に載っていたレシピを見て、トマトの煮込み料理を作ってみた。ただしレシピ通りではなく、トマトピューレとマッシュルームがなかったのでそれぞれトマト水煮缶としめじを、セロリもなかったので全然趣向を変えいんげん豆を入れてみたが、「まずくはないけど、うーんちょっと」という惜しい味になった。以前レシピ通りに作ったときは「おいしい!」と感じたから、やっぱりこのレシピを考えた人は偉いのだなあ。

8月27日、28日、9月1日と、ここのところ連続して3組のお客さんが我が家にお見えになり、今現在、室内は近年まれにみるきれいさ。もう1週間もきれいなのが持続している。いつまでもつのだろうか。あっというまに崩壊してしまうであろう予感大。

記憶が新しいうちに記録しておく。(夏休み中の岡山での出来事も記録しておきたいのだけど、それは後日あらためて)

■8月27日。奈良の文化事業や起業のお世話をしている方とご縁ができ、その方の紹介で作庭家、樹木医の正岡明先生が庭を見にいらした。正岡先生は正岡子規の妹、律のお孫さんで、詳しいことはよく存じ上げないが戸籍上子規の孫にあたり、俳句と植物をつなげる活動をしていらっしゃる。我が家の草ぼうぼうの庭に対しては、前代未聞の実験庭園だと評され、うまくいけば今後実験に関わってくださるかもしれない。

■8月28日。学生の頃さんざん一緒に遊んだ友人のさっちゃんが旦那様といっしょに初めて我が家にやって来た。私の学生時代の悪事の数々はほとんどすべて彼女に知られているので、そりゃあもう精一杯おもてなしいたしました(笑)。連絡をとったのも会うのも本当に久しぶりだったけど、ともだちとはそういうもの。ゆういちろうにとっては二人とも初対面だというのに、前からの知り合いのように打ち解けて懐いていた。しかも素晴らしいことに、研究者である旦那さんからの世界や宇宙に対する短期間の薫陶により、ゆういちろうはすっかり「ぼくはちゃんと勉強するよ」と勉学に意欲を燃やし始めた。

■9月1日。カナダから日本文化(文学や演劇)を研究していらっしゃるコディ・ポールトン先生が研究の打ち合わせのためにお見えになった。平田オリザさんの戯曲の英訳を手掛けている方であり、共通の話題もたくさんあって楽しいひとときを過ごすことができた。打ち合わせ後、新薬師寺と鏡神社と薬師寺とを廻った。お若いころは修験道の聖地大峯山に入ったりしたこともあるそうで、天川村とこちらが言えば洞川(どろかわ)とお答えになるなど、吉野のことも大変詳しい。人種や性別や年の差などを超え、話していて大変楽な気分になれる人が確実にこの世に存在することを信じられるのは、愉快でもあり、ありがたいことだと思う。
8月30日(月)

・缶ビール&まい泉のかつサンド

ここのところぎゅっといろいろなこと(珍しい非日常的な出来事がいっぱい)があったのだけど、まずは直近のことを書こう。

本日、夜遅く東京出張から帰ってきた。新幹線のなかで食事した。食事内容はかなり投げやりなセレクトだ。ちなみに会議は青山学院大学であった。通用門近くに、ものすごーく客層を選ぶ食べ物屋さんがあった。奈良だとこの手の看板は冗談にしかならないような気がするが、きっと東京では本気のお店なんだと思う。文化の違いを感じた。



8月19日(木)

・冷天おろしうどん

暑い〜。駐車場のアスファルトから湯気が出ていた。実家のある岡山県高梁市は本日の全国暑さランキングで3位だったか7位だったか素晴らしい結果を出したそうだ。素敵。

懸案だったゆういちろうの夏休みの宿題に、「夏休み新聞」の作成というものがある。まだ全然手をつけていない。不穏な空気がここのところ漂っていた。だが、本日、新聞に載せたいと思う素晴らしい詩を本人自ら発見した。我が子ながら、いかした奴だぜ。



 おれはかまきり
              かまきりりゅうじ 工藤直子

  おう なつだぜ
  おれは げんきだぜ
  あまり ちかよるな
  おれの こころも かまも
  どきどきするほど
  ひかってるぜ

  おう あついぜ
  おれは がんばるぜ
  もえる ひをあびて
  かまを ふりかざす すがた
  わくわくするほど
  きまってるぜ


8月15日(日)

・ごはん
・刺身の盛り合わせ
・鮎の塩焼き
・オクラとかぼちゃの煮物
・焼きなす、焼きししとう

お盆が終わろうとしている。なのに暑い。昼はそうめん、夜もさっぱりしたものを食べている。

夫も岡山に来た。13日は姪っ子も連れて家族でジブリの映画『仮りぐらしのアリエッティ』を見に行った。

14日は地元の夏祭りがあり、打ち上げ花火でいつもより夜更かしした。ゆういちろうは従姉弟たちと大はしゃぎだった。



来客中の応接間で、弟家族、昼寝でもてなす。男三人大中小。平和。



打ち上げ花火の前に庭で手持ち花火をした。怖がっていた甥っ子も、ひとりでしっかり持てるようになった。成長が目に見える。
8月11日(水)

・ごはん
・刺身(メジロ、鯛、シマアジ)
・焼きなす
・ごまだれ豆腐
・きゅうり&プチトマト

ゆういちろうと私は長崎からふたたび岡山の実家に戻ってきた。台風前だったのでとくに移動には苦労しなかった。



この日は父が海に魚釣りに出かけ、たくさんの魚を持って帰った。子どもたちは魚を見て大喜びだったが、手に持つのはこわがっていた。夕飯は弟家族も合流。さっそく刺身にさばいて食べた。

父の釣った魚の写真を弟に見せていると、自分もこんなん釣ったよと携帯にある写真(下↓)を見せられた。



なんじゃこれ?!、外国にでも釣りに出かけたのかと聞くと、地元の川にいた緋鯉だという。緋鯉が泳いでいるのを見つけ、しっぽに針をひっかけて釣りあげたそうだ。身近にこんなワンダーな世界が広がっていたとは。。。。
8月6日(金)

・居酒屋メニュー

家族3人で長崎・五島に来ている。海も山も空もきれいだし、食べ物もおいしい。透明感大。日中の気温は関西ほどには上がらない。夕方になると涼しい風がふき、南の島に避暑にきている感じである。







8月1日(日)

・回転寿司

しばらく日記の間があいた。この間、よい出会いに恵まれ、これからの奈良の生活がとても楽しみになってきた。

とはいえ大人ばかり楽しんでいてはダメだ、ゆういちろうを田舎で思う存分遊ばせたいと思い、先週から実家に帰っている。今晩は外食しようと母が発起し、近所の回転寿司屋に出かけた。よくぞ子連れにこんなにありがたいシステムを発明してくれたと思う。4人で18皿。これでじゅうぶん。



祖父の初盆を迎える準備をした。南無阿弥陀仏。



今日は、地元のイベント、鮎のつかみ取りに出かけた。姪っ子甥っ子たちも合流して楽しく過ごした。



川から上がると、炭火で塩焼きにした鮎が待っていた。子どもたちは肩のところをがぶりとかぶりついたのち、大人にまわしてくれた。ふふふ、大人はですね、内臓やしっぽだっておいしく食べられることを知っているもんね。
7月23日(金)

・チキンカレー
・じゃがいもの冷製ポタージュスープ(昨日の残り物)
・ラタテュイユ(昨日の残り物)

大量の野菜をそれぞれ煮込んだ献立にした。野菜をたくさん食べたくて食べたくてしょうがない。からだの中の何かがきっと足りないのだ。今朝は寝起きに両足ともこむらがえりを起こし、素晴らしい目覚めだと皮肉を言う元気もないくらい大変痛かった。聞くところによると、この時期のこむらがえりは、熱中症の前兆の場合もあるというではないか。気をつけよう。

裏庭には、ジューンベリーやライラック、イチイなど、どちらかというと北方系の植物を多く植えているが、ジューンべりーにイラガが大発生して、株立ちの半分以上の枝が丸裸にされてしまった。勢いが収まりそうもない。けれども前に植木屋さんから、イラガは下手につつくと刺されて大変痛い思いをするので、全部葉っぱを食べられても樹は枯れないから、そっとほっておくに限るとアドバイスをもらったことを思い出した。触らぬ神に祟りなし、である。

昨日に引き続き、今日も、日中の外気温が38度にもなっていた。なのに、なのに、この期に及んで、我が家のエアコンのファンが動かないことが最近判明した。昨日業者さんに診てもらったところ、室外機のなかにアシナガバチが巣を造っている可能性が大きい(おそらく巨大な)とのことで、対策グッヅを揃えて明日の土曜日にもう一度来てくれることになっている。そりゃあ虫たちのほうが種としては先輩だろうけど、なんだか相当ヤナ感じである。人間や植物が暑さでばてているのに、自分らだけやたら元気いっぱいにしているのだから。

日中、つい水回りの掃除など敢行してしまい、洗面所の鏡でふと汗だくになった自分の顔を見たら、目がキラキラしていた。自分自身に対して目をキラキラさせてもしょうがないのに、変にキラキラしているところを見ると、やっぱり暑さで参っているのだろう。その後は無理せず安静にして、日中の暑さをやり過ごしました。夜はOMソーラーのおかげでエアコンなしでも涼しく眠れるところが救いでもあるが、、

避暑地にいきたいなあ。
7月21日(水)

・トマトの冷製スパゲティ
・野菜のポタージュスープ(昨日の残り物)
・牛フィレステーキ、もやし炒め添え

スープ以外で昨日何を夕飯に食べたか思い出せない。暑さのせいだろうか。今日は駅からの帰り、迷いに迷ったがとうとうタクシーを利用してしまった。日差しが照りつける中、アップダウンのある徒歩20分の道のりを前にして、観念した。

今朝夫は出かけに、今晩はどうしてもステーキが食べたい、帰りに肉屋に寄って買って来るからと念を押して出勤した。ちなみに塩こしょうだけの味付けを強く求めていたそうだ。肉を焼いた後のフライパンで、もやしを炒めたらいつも以上においしかった。逆だったら、つまり、もやしを炒めた後に肉を焼いてもやし風味のステーキにしたら、全くおいしくなかっただろうと思う。料理は順番が大事だと思った。

庭に夏植え球根の代表格リコリスを植えたいのだが、その前に草を刈る必要があり、猛暑を前に足踏みしている。彼岸花と同じ形をして、色は白、「真夏のクリスマス」という名前がつけられている品種のもの。8月には咲くらしい。群生したら涼しそうできれいだろうなあ。
7月19日(月)

・白ワイン
・辛子明太子スパゲティ
・トマトのサラダ、クミン風味
・茹でいんげん豆
・冷や奴

従姉のKちゃんから、博多の料亭が出している辛子明太子が届いた。ここの明太子は旨味抜群で、ゆういちろうも大好物である。今晩はスパゲティにして食べた。

この3連休はびっちり詰まっていた。

土曜は、吾妻橋ダンスクロッシング 2010 を見に、東京・浅草へ日帰りで出かけた。いい舞台を見せてもらった。「人間の数の数え方は1ではない」という飴屋法水さんのセリフが耳から離れず、しばらく大変だった。



吾妻橋からの眺めである。奈良にはない、変わったビルだらけである。スカイツリーが見える。

日曜と月曜は、学童保育所の夏のキャンプに参加した。廃校になった田舎の小学校を改装した宿泊施設にお世話になった。元学校の塀にはずらっとあじさいが植えられていて、心が和んだ。

2日ともお天気に恵まれた。川遊び、バーベキュー、キャンプファイヤー、花火、肝試し、川遊び、スイカ割り、お餅つきと、イベント盛りだくさん、さらにイベントの合間も校庭でフリスビーやボール遊びに興じ、男子部屋の2段ベッドではごっこ遊びに興じ、子どもたちは大喜びだった。







7月15日(木)

・赤ワイン
・ごはん
・トマトのクリームスープ
・鶏の塩焼き
・焼きアスパラの目玉焼きソース
・もやし炒め

絵が届いたり、講演会でいいアイデアをもらったり、8年ほど会っていない友達から突然会いたいと連絡があったり、この間、電撃的にいいことがたくさん起こった。けど、いいことについては詳しく書かない。もったいないから♪

夏休み前で給食が終了し、明日からゆういちろうに学童保育所でお昼を食べる分のお弁当が必要になった。今晩網焼きした鶏の塩焼きをお弁当用に一部残しておいたので、あとは明日の朝、卵焼きとプチトマトと、いんげん豆で何かこしらえようかと思う。早起きをがんばるぞ。
7月12日(月)

・韓国風カルビ焼肉丼
・長ねぎとわかめの味噌汁
・ごぼうの塩きんぴら
・卵焼き

以前実家から鯛の冷凍とともに届いた焼肉丼用の冷凍パックを解凍して食べた。メイン料理を考えたくないときだったので助かった。個人的には、しょうゆとみりんの代わりに、塩、粗挽き黒胡椒、いり白ごまで味付けした、ごぼうの塩きんぴらが気に入った。

最近我が家で尊敬を集めているのは、NHK教育番組に出てくるキャラクター「オフロスキー」である。インタラクティブな芸の細かさに脱帽する。朝の忙しいとき他に何かやっていたとしても、オフロスキーが出てくるとつい彼を見てしまう。夫は、授業で学生さんにこれぞというビデオを見せるときなどは、オフロスキーになりきってみんなの注目を集める努力をしているとのこと。

私はといえば、、、お風呂に入ると、湯船に浸かって気持ちよくぼーっとしてくるときがよくある。髪や体を洗うために一念発起して湯船から出ねばならない。そういうときはオフロスキーに倣い、「呼んだ?」と言いながら洗い場に躍り出て、「こんなことできるかな? ンラララン」と勢いよくシャワーを頭に浴びせかけたりする。後半は嘘だけど、お風呂に入ると気分はすっかりオフロスキー。
7月11日(日)

・まぐろの漬け丼
・豆腐となめこの味噌汁
・いろいろきのこのマリネ

日曜夜の食事は簡単なものにした。きのこをたくさん食べた。

気分を入れ替えるべくこの土日休みは、奈良県吉野郡天川村のオートキャンプ場にテントを張って泊まってきた。梅雨真っ盛りだから無理かなと思っていたが、なぜか私たちの行ったときだけ晴れて、無事にキャンプを敢行できた。関西でキャンプといえば天川村だそうで、何も考えずに出かけたが、水が冷たくきれいで蚊もおらずとても気持ちいい場所だったので帰宅後ネットで調べてみたら、なんと世界遺産にも登録されている山合いの村で修験道の聖地でもあるそうだ。知らなかった!

キャンプ場のすぐ近くには洞川温泉があり、カレーを作って食べた後、散歩がてら温泉街に出向き、雰囲気のいい宿でお湯だけいただいた。その後、夕涼みがてら蛍の見える川に行った。水墨画のような世界のなかにたくさんの蛍が光っていた。浮世離れした光景だった。

近くには鍾乳洞がいくつかあるらしい(例えばここ)。もっと気候がよくなってから行ってみよう。









7月8日(木)

・ごはん
・トマトクリームスープ
・じゃがいものグラタン
・大根の漬物

出張などをはさみ計画的なごはん作りから遠ざかっていた。そのせいで宅配生協から自動的に毎回届くトマトと牛乳がそれぞれ大量に余っていた。で、今晩一気に消費できる献立にした。昨日のピザに引き続き、かなり高カロリーな食事となったが、いたしかたないと思う。

応募していた公募の審査結果が届いた。不採択。涙で前が見えない(嘘)。
7月7日(水)

・白ワイン
・宅配ピザ&かぼちゃの冷製スープ

夫の帰りが遅い日なので、夕飯作りをさぼろうかどうか思いっきり迷ったあげく、ゆういちろうに「今日の夕ご飯なんだけど、おかあさんの素敵な手作り料理とピザのどっちがいい?」と質問してみた。すると一瞬の迷いもなく「ピザ!!」と即答だったので、宅配ピザに頼った。

日曜と月曜は、東京出張だった。まったく思いがけず素晴らしい出来事があり、ここのところ続いていた鬱陶しい気分がぱーっと晴れた。人生の要所要所で、ここぞというタイミングで助けてくれる人が現れるのだもの、私はなんと幸せものなんでしょう。Kさん、ありがとうございます。



食堂から見た表庭の様子である。草に埋もれて生活しているというと格好がいいが、ぎゃーとかひぃーとか言いたくなる事もまま起きる。特に虫関係で。もともと虫が好きだったはずの私が言うのだから、事態の深刻さは察してもらえるのではなかろうか。人の通り道だけでも最低限確保しないと。。。ガス点検のおばさんにもこれ以上迷惑をかけるわけにいかない。
7月2日(金)

・赤ワイン
・昨日の残りのチキンカレー
・茹で卵
・茹でアスパラ
・プチトマト

昨日はハイテンションで非常勤講師の仕事をまっとうし(学生さんは思ったよりシーンと話を聞いてくれた。やばい感じの人に思われたのかも!)、日常生活に戻った今日は、髪を切り、本読みにいそしんだ。昨日はゆういちろうのリクエストに応え、カレーにした。今日、帰宅の道すがら今晩もカレーよと言うと、「えー、ぼくは寿司が食べたい。夏だから」と憎たらしいことを言った。むろん断固としてカレーである。



学童保育所からの帰宅途中の公園で、「おかあさん、見てみて。俺の必殺技、サバク!!」とおもむろにポーズを決めた。何度も決めた。途中からすべて写真に撮るように指示。パラパラまんがのようなシリーズ写真が撮れた。男の子って、こういうものなのだろうか。
6月30日(水)

・ごはん
・たまねぎとわかめの味噌汁
・豚のしょうが焼き
・卵焼き
・根野菜ときのこのオーブン焼き
・プチトマト

ちょこまかとした献立にした。いろいろな品が少量ずつ入っているお弁当のような夕飯になった。明日は近くの大学で、非常勤の講義が入っている。身体論、とくに、演じる身体について話さないといけない。各講師1回限りのオムニバス形式の科目である。受講生は300名を超えるそうで、準備が大変である。

息抜きに携帯電話のメモリに入っている写真をぱらぱらと眺めていたら、昔撮った食べ物の写真のなかにきれいな色合いのものがあったので、ここに載せる。喜んでもらえるだろうか。



野菜をたっぷり食べたかった日の食卓の様子である。確かこの日は、焼いたさつまいもにキリ(クリームチーズ)を塗って食べるとおいしいことに気づいた日である。我が家のキリブームは瞬間風速的に盛り上がり、今はその影もない。



端午の節句を祝った日の様子である。ちまきや柏餅の葉っぱが爽やかで、白い皿によく映えるなあと、うっとりとした気分になったことをよく覚えている。

宮沢賢治の『注文の多い料理店』の序の文章が大好きで、たまに文庫本を取りだしては読み返している。それはこんなふうに始まる。

 「わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。/またわたくしは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、いちばんすばらしいびろうどや羅紗や、宝石いりのきものに、かわっているのをたびたび見ました。/わたくしは、そういうきれいなたべものやきものをすきです。」
6月27日(日)

・白ワイン
・鶏肉のトマト煮込み(前日の残り物、私のみ)
・鯛の塩焼き、ポン酢で
・大豆とひじきの煮物
・厚揚げの煮物

鶏肉の煮込みが中途半端に残っていたばかりに、他の家族が冷麦でさっぱり食事しているそばで、私自身はヘンな組み合わせの食事となった。



今日は法隆寺と金剛山寺(通称矢田寺)にお参りした。法隆寺では百済観音像を拝観できて大変よかった。矢田寺はあじさいが満開だった。上の写真がその様子である。きれいでしょう? 最近のマイブームは、それぞれのお寺が出しているお香を買い求めることである。これがとてもよいストレス発散となっている。私は経済においても感情においても節約とか節制とかが大嫌いなのだ。同じ伽羅でも金峯山寺と法隆寺のものとでは全然雰囲気が違って面白い。進んで抹香くさいうちになってきている。
6月25日(金)

・じゃこと沢庵のチャーハン
・トマトスープ
・刺身盛り合わせ

沢庵のチャーハンを食べた夜に堀口大學の詩を合わせるのはいかがなものかと思うが、そういう日もあってよいと思う。『幸福のパン種』 (1993)よりいくつか載せる。


  こけし


   こけしは
   なんで
   かわいいか

   思う
   おもいを
   言わぬから



  小学生


   先生
   植物学はうそですね
   樹木もやはり笑うのです
   梅が一輪さきました



  毛虫


   精励刻苦が富のもと、
   貧乏な詩人よ、働こう!
   毛虫は休みなく苦労して
   豊麗な蝶になる。
   (ギヨーム・アポリネール作)



  愛すとは


   愛すとは少し死ぬこと
   愛する者のためゆえに
   少し死ぬこと
   (フランス歌謡)



  死後


   私の死んだ後に
   一人が私の歌を歌うかも知れぬ
   私の知らぬ一人が……

   一人がこれ等の歌の中に
   彼みずからの愁(さび)しさを見出で
   やさしく小声に
   私の名をつぶやくかも知れぬ
   私の知らぬ一人が……

   敗者であり
   弱者であり 
   そして私の知らぬ一人が
   私の死んだ後に
   これ等の悲しい歌によって
   私を愛してくれるかも知れぬ
   私の知らぬ一人が……


明日は学校で集まりがある。私は小心者だが怖いものも特にないので、届くべき人に私の思いがそっと届くよう、思うところを小さな声で晴れ晴れと述べようと思う。不健康な顔色の人間の話など誰も聞きたくないだろうから、今晩はぐっすりと眠って、明日の朝バラ色に輝く肌つやを取り戻し、いざ参ろうと思う。
6月24日(木)

・ごはん
・トマトスープ
・ひき肉&チーズ入りオムレツ
・アスパラガスの炒め物
・たくあん漬け

買い出しに行かずに、家にある材料で作った。ゆういちろうも手伝ってくれた。食事中彼はたまにどきっとすることを言い出すことがある。最近のものでは、「おかあさん、僕は大きくなって、かわいくて優しい女の子を発見できるだろうか」と言いだしたことである。

あなた、それよりも目の前に心配すべき事が他にもいろいろあるんじゃない? それになぜ文語体でしゃべるの? などなど言いたいことは山ほどあったが、遠くを見据えて生活することはとても大切なことだと思いなおし、「あぁその問題はねぇ、かまじいが言っていたように、グッドラックと言うしかないわ。どうなるかは誰にもわからない。でもきっと大丈夫だと思うよ」と私もかなり芝居がかったことばでエールを贈った。

2年生になって、日増しにいっぱしのことを言うようになったけど、描く絵といえば、彼の年齢にふさわしい愛らしいものが多い。親ばかついでに、この前風邪で休んだときに描いた絵を載せる。鳥と白黒卵の絵と自画像である。




6月21日(月)

・ごはん
・しじみの味噌汁
・焼き塩鮭
・卵焼き
・和風きのこ炒め
・きゅうりとトマトのサラダ
・茹でオクラ

今日は夏至だったのだ。だけど曇り空だった上に、ゆういちろうが風邪をひき、学校を休んだため、私も家のなかにずっといたため、昼間が最も長い日には思えなかった。夕飯は和食にした。食欲があまりないときは、ちまちまと皿に分けて盛り、見た目で誤魔化すと、健康的かつ文化的にたくさん食べた気になる。



表庭に小輪のバラが咲いた。実のなるタイプ、つまり秋のローズヒップを楽しむために植えたバラだけど、素朴な花も気に入っている。
6月20日(日)

・白ワイン
・ボンゴレ・スパゲティ
・鶏の塩焼き
・トマトのオーブン焼き

週末を利用して1泊2日の小旅行をした。場所は奈良の吉野山である。世俗から離れた山の空気を吸ってリフレッシュした。車で1時間半ほどの場所なので、移動疲れもほとんどなく、今晩の夕飯準備くらいから日常生活感覚に戻った。

吉野で行ったところは、如意輪寺、竹林院群芳園(宿泊した)、吉水神社、金峯山寺である。あれもこれもと欲張って疲れてしまうぐらいだったら行かないほうがましという、いささか消極的な旅行プランをそのまま実行した。



宿の部屋からは、もみじが間近によく見えた。



吉水神社の一目千本という場所からの眺めである。吉野の中千本・上千本一帯が展望できる場所とのこと。桜の花が実際に咲いていなくても、心の目でみればいつでもそこに花がある!



自宅に帰ると、庭のあじさいの花の色が微妙に変化していた。前どんな色だったかうまく言えないのだけど、変化したことだけはよく分かる。
6月17日(木)

・ごはん
・根野菜のポタージュスープ
・かれいの煮つけ
・焼きアスパラガスの目玉焼きソース
・絹あげの煮物

真夏日。当たり前だが暑かった。

山本麗子さんのレシピに、アスパラガスを網焼きし、半熟の目玉焼きを乗せ、しょうゆとオリーブ油をたらして食べるというものがあり、今晩はそれを試した。ゆういちろうと私にはヒット。夫は普通の反応だった。

目玉焼きのはしっこのちょっと焦げた部分と絹あげのはしっこの部分の味が思いのほか似ていて、しょうゆと油のせいかと思っていたら、もう一つ大切な共通点を思い出した。卵も大豆も、動物性と植物性の違いはあるが、どちらもタンパク質でできている! おとといの日記に、「なんか調子が出ないときはタンパク質に手を出さないのは賢明のような気がする」と書いたが、不正確な表現だった。正しくは「動物性タンパク質」である。

明日は学校の参観日である。図工の時間を参観することになっている。持ち物はティッシュペーパーの箱。「何するの?」とゆういちろうに聞いたら、「先生だけが知っている」と即答した。今日は少し贅沢をして日本酒風呂にした。汗もきれいに流れたし、気分よし。明日はすべすべの健康的な肌で、いざ参ろう。
6月16日(水)

・ごはん
・豆腐とたまねぎの味噌汁
・鯖の味噌煮
・卵焼き
・もやし炒め
・塩ずりきゅうり
・昨日の残りのきのこのマリネ

品数は多いけど、ひとつの素材で一品出しているので、食べる量的には全体的に少ない。今晩は混ぜあわせたくない気分だった。

明朝激しい雨が降った。せっかく咲いた花菖蒲が雨に打たれ、自身の重さに耐えきれず花首が折れてしまっていた。しょうがないので折れたところで切り取り、食卓に飾った。園芸種の極みというか、遠目からははっと目を引く美しい花だが、ごく間近で見れば華美に過ぎる花である。紫のおべべのお化けみたい。存在が濃すぎる。普通の民家にベルサイユのバラの人たちが間違って入ってきたみたいに、うちの食卓には場違いだった。男性陣は「何これ」と引いていた。



裏庭ではクチナシの花も開花した。独特の深い白。実は漢方薬にもなるという、一重のもっともシンプルな品種にした(ちなみに八重咲き品種には実がならない)。この選択は正解だった。八重咲きの花も、町で見かけたらはっとするほどきれいなのだけど、どこか濃厚すぎる愛人の風情があり、家で咲かせるのは躊躇してしまうのだ。
6月15日(火)

・ごはん
・豆腐と青さのりの味噌汁
・さばの塩焼き(父子のみ)
・きびなごの刺身(父子のみ)
・大根と人参のコンソメ煮
・きのこのマリネ
・ほうれん草の胡麻和え

ひさびさに食欲というか食に対する興味が戻って来た。私自身に限っていえば、素直に自分の胃袋と相談し、肉や魚を避けたのがよかったのかな。今日はとにかく豆と野菜と海藻が食べたくなり、いろいろに調理して食べた。青さのりの磯の風味は大好きである。「明日からマクロビオティックにゴー!」という極端なことにはおそらくならないだろうが、なんか調子が出ないときはタンパク質に手を出さないのは賢明のような気がする。

ある詩人がある本で、もったいぶった俳句を嫌い、次のような「写生句」を詠んだ。


  母の日にバラの鉢植えもらったよ


「はい?」とつい合の手を入れたくなる俳句である。だけどもそこには幸せに対する照れもちゃんと含まれている。この手の俳句が自分にも詠めないかと、ちょびっとだけ頭をひねってみた。


  海の日にザリガニ釣って遊んだよ


  ザリガニが掴んだ先は竹輪の輪


自分の釣ったザリガニを学校に持ってきた友達をうらやましがったゆういちろうが、今度自分も竹輪でザリガニを釣りたいと言いだしたことにヒントを得て、想像で作ってみました。

2句目には、自分の子どもの頃の思い出も込めた。小学生の頃、近所の生活用のため池(今はない。とっくの昔に危険だからということで埋め立てられた)によくザリガニ釣りに出かけていた。今でもたまに思い出す、そのとき強く印象に残ったことといえば、引き上げられているときはさみを放せば人間に捕まらなくて済むのに、どうしてザリガニはそれが分からないのだろうという感慨である。

適当に句を詠んでみて分かったことは、どうやら私は、自分で望んで釣り上げておきながら、相手に対してかすかな憐憫を抱くという、人間のわがままに対する省察を、すでに子どもの頃からおこなっていたのではないかということである。いかん、また哀しくなってしまったではないか。止めよう。
6月14日(月)

はやぶさ満身創痍で無事に地球に帰還した。昨晩は家族総出でインターネット中継の大気圏突入シーンをかたずを飲んで見守った。夫は惑星の岩石を集めるサンプラー部分の概念設計に携わった。15年前のこと。20代の頃の仕事。日中は相模原の研究所にこもり、夜は、ジョリーパスタとロッジの往復の日々だったそうだ。めでたいねと祝杯をあげた。

庭はお花畑と化している。庭を歩くといい気分になる。ハルジオンの季節が終ったら、草を間引いてもう少しすっきりさせよう。雑草園も以外と手間がかかるのである。





6月11日(金)



お客さんがお見えになるということで、昨日急きょ玄関に花を活けた。庭に咲いた白妙菊(しろたえぎく)である。居間の花瓶には明日にでも若い薄の葉を刈って投げ入れ、薄の絵の隣にでも置こうかと思う。風流風流。

今晩は、軽い詩を詠もう。こんなさらさらとした訓示が人にも自分にもできるとよいな。



  桃の節句に次女に訓示


   なくときは
   くちあいて
   はんかちもって
   なきなさい
   こどもながらによういがいいと
   ほめるおじさん
   いるかもしれない
   ぼくはべつだん
   ほめないけどね


   ねむるときは
   めをとじて
   ちゃんといきして
   ねむりなさい
   こどもながらによくねていると
   ほめるおじさん
   いるわけないけど
   とにかくよるは
   ねむりなさい



  かぜのひきかた

   こころぼそい ときは
   こころが とおく
   うすくたなびいていて
   びふうにも
   みだれて
   きえてしまいそうになっている
   こころぼそい ひとはだから
   まどをしめて あたたかく
   していて
   これはかぜを
   ひいているひととおなじだから
   ひとは かるく
   かぜかい?
   とたずねる

   それはかぜではないのだが
   とにかくかぜではないのだが
   こころぼそい ときの
   こころぼそい ひとは
   ひとにあらがう
   げんきもなく
   かぜです
   と
   つぶやいてしまう

   すると ごらん
   さびしさと
   かなしさがいっしゅんに
   さようして
   こころぼそい
   ひとのにくたいは
   すでにたかいねつをはっしている
   りっぱに きちんと
   かぜをひいたのである


   (二編とも辻征夫 『かぜのひきかた』 (1987) より) 

  

6月9日(水)

今晩は伊藤比呂美さんの、記憶(記録)と身体について書かれた詩を詠む。

  
  アウシュビッツ ミーハー


   そこには
   ヨーロッパ人の一般的な偏見とか
   ヨーロッパ人の一般的な攻撃性
   ヨーロッパ人の一般的な切迫感
   一般的な生活の手段とか感情とかが
   髪の毛や靴の山のようなかたちをして
   積みあげてあって
   ガラスケースの中で色が褪せていた
   それらは適温適湿で保存されているので
   外見は変色しても材質は変わらないのだ
   一般的である
   けっして特殊なのではない
   ヨーロッパ人の伝統的な偏見
   伝統的な攻撃性
   伝統的な切迫感
   わたしは一つの作品を見るようにして
   積んであるものを見たのだ
   それはとてもいやらしい
   夥しい
   一つ一つが累積して
   集合して
   一つの
   作品
   ヨーロッパ文化がつくりあげた
   グロテスク
   わたしは絵を見るように
   積みあげられたものを見た

   (略)

   ブラシ、歯ブラシ
   洗面器、水差し
   身体に近いほど
   直視できない
   直視したい
   いやらしさが増大する
   個々の身体的なものが
   夥しい数に
   集合する
   この集合した身体的なものは
   巨大ないやらしさ
   人類の一般的な欲求、快感
   そして集合した身体的なものは眼前に存在して
   わたしは凝視する
   それは隠蔽されていない
   ナチスが意図をもって採取したものが
   積みあげられ
   顕われている
   隠蔽されない犯罪は犯罪でない
   ような気がする
   戦争が終わった時点で
   第三者(ヨーロッパ人)が加害者(ヨーロッパ人)を裁き
   意図をもって採取し所有した髪の毛
   義足、靴、鞄を
   押収して積みあげた
   所有者が次々に移りそしていなくなったモノが
   積みあげられ
   むしろ
   加害者のグロテスク
   むしろ
   第三者のグロテスク
   を表現する

   (略)

   ばらまかれた写真に個人差を見る
   個人の日常、苦痛、希望を見る
   でもあとからあとからまきちらされる写真は
   夥しい数になり観客席を埋め
   集合して
   個をけしさってしまうのだ
   わたしは積んであるものを見たくて見に行った
   ポーランドではアウシュビッツでなく
   オシフェンチムと言う
   オシフェンチム行きのバスに乗って行く
   バスはオシフェンチムの町を外れた博物館の前にも停まる
   そこに展示されているものは
   ナチスが採取したくて採取したものであり
   第三者が展示したくて展示したものだ

   (伊藤比呂美 『テリトリー論2』 (1985) より)

   
6月8日(火)

今晩は魚つながりで覚和歌子さんの詩を。確かこの詩は映画「崖の上のポニョ」の主題歌の素となっているはずである。子どもたちよ、今はゆっくりおやすみなさい。

  
  さかな


   おぼえているよ
   ずっとむかし
   わたしは うみに
   くらしていた
   きがつくと
   たまごのかずの
   かぞえきれない
   きょうだいたちがいた
   むなびれの
   ふれあうきょりで
   こえのないことばを
   かわしながら
   かいりゅうにのって
   しおのみちひきに
   さからわず
   あおい うみのみずに
   ほしいだけ
   せぼねを たわめて
   のばして
   どこまでも
   どこまでも
   およいだ


   しんぱいごとは
   ひとつもなかった
   たべたぶんだけ
   およいであそび
   おなかがすいたら
   またたべて
   てんぐさのふとんに
   ゆらゆらねむった
   まぶたのないめで
   みたゆめは
   うまれかわった
   らいせのけしき
   そこでは わたし
   みつりんのひろいかわにすむ
   ちいさなわにで
   わたしのような
   ちいさなさかなを
   えさにして
   こずるく えばって
   くらしていた

   
   そのつぎに
   みたゆめは
   さばくのゆめ
   わたしは こしょうをはこぶ
   はたらきもののらくだだった
   ごしゅじんさまは
   わかいおとこで
   たたかいのまちを
   えらんで たびした
   ほのおのあつさと
   つるぎのぶつかりあうおと
   おおぜいのひとの
   ぜっきょうするこえを
   とおざかるせなかで
   なんどもきいた


   こんなゆめも みたことがある
   わたしは みどりのばっただった
   うるしのむしかごのなかに かわれて
   ちいさなおうじさまを
   なぐさめた
   わぎりのうりのうえに
   のっかって
   じまんのありあを
   おきかせするたび
   おうじさまは めそめそなかれ
   ねえさまをよぶ
   おうじさまのねえさまは
   とつがれたばかり
   それがせいりゃくけっこんだと
   ばったがしぬまで
   しらないまんま


   いくつものゆめ
   いくつものなみがしら
   みなものすれすれから
   みあげる
   よぞらのとばりを
   くりぬいた
   ぎんのつき
   つよくて
   うつくしくて
   きょうだいたち
   みんなして
   あこがれた
   さみしいのか
   せいせいしているのか
   たずねてみても
   こたえはなかった
   つきもわたしたちに
   なにかをたずねたりはしなかった
   それでいつまでも
   わたしたちは つきをみあげて
   うっとりしていることができた


   そんなよるにみるのが
   いちばん いいゆめ
   わたし にんげんの
   おんなのこで
   しりとりあそびが
   とくいだった
   おかあさんのことが
   だいすきだった
   ゆうごはんで
   さかなをたべたひは
   こっそりあとで
   おなかをさすって
   あんたのぶんまで
   あそぶからねと
   わたしのちやにくになっていくさかなに
   やくそくした


   そのゆめが
   いまのわたしだった
   まっていることを
   わすれるくらい
   ながいながいじかんをまちつづけて
   ようやく さかなは
   わたしになった
   なんまいかいも
   うまれかわって
   ようやく わたし
   こうして うまれた
   わたしはぜんぶ
   わすれていない
   そらのたかさ
   かぜのにおい
   ピアノソナタ
   えんぜつ
   ひこうきのばくおん
   しんでいくたくさんのひと
   おとむらいの ぎょうれつ
   わたしはぜんぶ
   わすれていない
   わたしも いっしょに
   なんどもしんで
   なんども こりずに
   また うまれた
   さかなのころから もうずっと
   わたしは わたしになりたかった
   ゆめでない しりとりあそびをしたかった
   ゆめでない おかあさんのくびに
   しがみつきたかった
   はやく ここにきたかった
   ここで わたしをやりたかった
   そして
   あなたに
   とても あいたかった

   (覚和歌子 『海のような大人になる』 (2007) より)

   
6月7日(月)

今晩は記憶についてかかれた詩を引用する。


  芝生

    そして私はいつか
    どこかから来て
    不意にこの芝生の上に立っていた
    なすべきことはすべて
    私の細胞が記憶していた
    だから私は人間の形をし
    幸せについて語りさえしたのだ

    (谷川俊太郎 『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』 (1975) より)



   思い出さないでほしいのです

   思い出されるためには
   忘れられなければならないのが
   いやなのです

    (寺山修司 『思いださないで』 (1994) より)



   護岸工事の歌なきひとり逝きしこととタンポポ咲きしことを記さん

    (寺山修司 『血と麦』 (1962) より)



  魚

    あるところで
    魚が泳いでいた
    
    それは海でも川でも
    その他の水の中でもなかった

    そこは石の中であった

    化石した魚は石もろとも泳いでいた
    
    背骨だけ残って
    肉は消えていた

    億年のあいだ
    石の平面は保たれたが
    やがてその線も失せるだろう

    現象は至るところで
    ビシビシ切り放せる

    われらの記憶の中でだけ
    魚は鰭をうごかして
    泳いでいる

    (高橋新吉 『残像』 (1976) より)

6月6日(日)

この世の生臭さを消臭してくれる何かを一生懸命探している。今晩は、谷川俊太郎さんの詩集『六十二のソネット』 (1953) から2つ詩を引用しよう。おやすみなさい。真心をこめて。


  30

    私は言葉を休ませない
    時折言葉は自ら恥じ
    私の中で死のうとする
    その時私は愛している

    何も喋らないものたちの間で
    人だけが饒舌だ
    しかも陽も樹も雲も
    自らの美貌に気づきもしない

    速い飛行機が人の情熱の形で飛んでゆく
    青空は背景のような顔をして
    その実何も無い

    私は小さく呼んでみる
    世界は答えない
    私の言葉は小鳥の声と変らない



  34

    風のおかげで樹も動く喜びを知つている
    太陽は産婆ぶつているので 
    若いくせにえらがつている
    私は太陽を嗅いでみる

    音楽が終る
    私に生の重みが滲み透る
    私がうつむくと
    ふと幸せが私の顔をのぞきこむ

    私は生に用事がないので
    いつも歌つてばかりいる
    だが私は頌(ほ)めることを知つている
    
    空の青いところへたどり着くと
    きつと誰もいない
    あれは恵み深い嘘なのだ


6月になった。鳩山首相辞任のニュースが飛び込んできて、ちょこっとだけテレビやネットニュースを見て以来すっかりアテラレテしまい、とてもげんなりとした気分が続いている。ただこのまま自分が病気になってしまっては元も子もないので、心をニュートラルな状態に戻すために、詩の力を借りようと思う。

こういうときに効き目があるのは谷川俊太郎さんの詩集『二十億光年の孤独』 (1952) である。5月28日に37回目の誕生日を迎えたし、私は今、中年の思春期にさしかかっているのかなあ。


  生長

    三才
    私に過去はなかった

    五才
    私の過去は昨日まで

    七才
    私の過去はちょんまげまで

    十一才
    私の過去は恐竜まで

    十四才
    私の過去は教科書どおり

    十六才
    私は過去の無限をこわごわみつめ

    十八才
    私は時の何かを知らない



  わたくしは

    わたくしの生命は
    一冊のノート
    価格不定の一冊のノート
    (無機物からの連続と
    宇宙大の空白と)

    わたくしの勉強は
    ノートへのかきこみ
    美しく熱心なノートへのかきこみ
    (充たされぬ整理癖と
    くずれがちな筆蹟と)

    わたくしのおしゃれは
    ノートの装幀
    趣味よく明るいノートの装幀
    (稚い不器用と
    よごれがちな絵具の色と)

    えへん わたくしはあるいている
    ノートをかかえ 二十世紀の原始時代を
    とことこ てくてく あるいている
    はにかみながら あるいている
  


  祈り

    一つの大きな主張が
    無限の時の突端に始まり
    今もそれが続いているのに
    僕等は無数の提案をもって
    その主張にむかおうとする
    (ああ 傲慢すぎる ホモ・サピエンス 傲慢すぎる)

    主張の解明のためにこそ
    僕等は学んできたのではなかつたのか 
    主張の歓喜のためにこそ
    僕等は営んできたのではなかつたのか

    稚い僕の心に
    (こわれかけた複雑な機械の鋲の一つ)
    今は祈りのみが信じられる
    (宇宙の中の無限小から
    宇宙の中の無限大への)

    人々の祈りの部分がもつとつよくあるように
    人々が地球のさびしさをもつとひしひし感じるように
    ねむりのまえに僕は祈ろう

    (ところはすべて地球上の一点だし
    みんなはすべて人間のひとり)
    さびしさをたえて僕は祈ろう

    一つの大きな主張が
    無限の時の突端に始まり
    今もなお続いている
    そして
    一つの小さな祈りは
    暗くて巨きな時の中に
    かすかながらもしつかり燃え続けようと
    今 炎をあげる

5月30日(日)

・白ワイン
・トマトのスパゲティ
・新たまねぎのぽってり煮
・ラタテュイユ

夫が作ってくれた。ありがとう。

私はその間裏庭の草取りをした。まずは背が高くて抜きやすいセイタカアワダチソウとハルジオンとギシギシ(正式名称忘れた)を選択的に除去していった。この作業だけでもずいぶんすっきりした。足元の風通しがよくなった感じがする。最近いたるところでアシナガバチが巣をつくる場所を探している素振りだったので、鬱蒼とした茂みを作らないよう定期的に間引いていこうと思う。葦は残す予定でいる。1本の葦に仙人草が絡みついて山椒の木に倒れ掛かっていた。しばらくは様子見である。

タキイから2010年夏秋号のカタログが届いた。大変気が早いことではあるが、今年の秋はどこにどんな球根を植えようか、もう一年先の春のことを思い描きながら庭作業をしている。笹百合を植えてみたいけど、1球1200円もするのだ。どうしようかなあ。
5月29日(土)

・ごはん
・新たまねぎのぽってり煮
・ぶりの梅のり焼き
・トマトのチーズ焼き
・オクラ、しょうゆマヨネーズソース
・白菜の漬物

肌寒いと感じた翌日は、照りつけるように暑かったり、よく分からない気候がここのところ続いている。今日は、今年初めての蚊に刺された。庭のバラの一番花が終わりに近づいたので切り戻しをした。四季咲き性なので今年もうまくいけば秋口まで二番花、三番花と楽しめるはずである。



こういうのをひいきの引き倒しというのだろうけど、自分のうちに咲いた花は多少欠点があっても、いやむしろ欠点があったほうが、売り物ではない自分だけの花という感じがして美しく好感がもてる。

実家から畑でとれた新たまねぎが届いた。さっそく丸のままやわらかく煮込んでスープにした。『和食のシンプルレシピ』のなかに載っていた「ぶりの梅のり焼き」を作ってみた。たたいた梅肉に酒みりんしょうゆを加え、ぶりをしばらく漬けこむ。のりを小さくちぎって表面にまぶし、網焼きにする。好みの味に仕上がった。ゆういちろうも全部食べた。面白かったのは、トマトのチーズ焼きが付け合わせとして妙に合うということだった。
5月26日(水)

・トマトとしめじのタリアテレ
・トマトのスープ
・チーズ入りオムレツ
・もやし炒め

竜巻が来るんじゃないかと思うほど、夕方のいっとき暗雲が立ち込めていた。自宅待機の夫に、車で研究所まで迎えに来てもらい、その足で学童保育までゆういちろうを迎えに行った。結局それほど強くは降らなかったが、昨日からややこしい天気が続いている。夕飯は宅配生協の品で乗り切った。チーズをいつもより入れ過ぎて(袋からボールにどばっと入ってしまった)、オムレツが少々しょっぱかった。庭の草をなんとかしたい。
5月25日(火)

・赤ワイン
・ごはん
・トマトのスープ
・アジの南蛮漬け(いただきもの)
・まぐろのレアステーキ、しょうゆオリーブ油ソース(残り物、少々)
・茹で卵
・長芋の漬物、わさび風味

親しくお付き合いをさせていただいている方から、またもやおいしい料理をいただいた。魚の南蛮漬けは好物だけど、いったん揚げて、漬けてと、手間がかかるので、自分でつくったことはない。助かるわ〜。

PTAの下校当番が当たっている日だった。子どもの集団下校時刻に合わせて学校に行き、子どもたちを見守りながら一緒に帰宅するというのが当番の役割である。非常勤の講義を勤めたあと、指定された時間より遅れて学校に到着。学童保育にあずけてあるゆういちろうをピックアップして一緒に帰った。みなが同じタイミングで見回るより、ゲリラ的に誰かが目を光らせているほうが、きっと不審者にとって悪いことがしにくいことだろう。



バラの季節が本格的に到来した。このバラはヒストリーと名付けられた品種で、ぽってりした形と素直なピンク色が気に入っている。数年前、現実世界では非常に疲れてしまっていた頃、好みのバラたちに取り囲まれてうっとりと庭のテラスに座っているという夢のような夢を見たことがある。さっそく翌日夢に見たバラを探して近くの花屋さんを巡り、夢で見たのとそっくりのバラ・ヒストリーを買い求めたのであった。

借家に住んでいるときは鉢植えにしていた。あまり元気がなかった。小さい花がワンシーズンひとつ咲くか咲かないかであった。今の家に引っ越してから、庭に地植えしてやると、一気に勢いをつけ、大輪の花をいくつも見せるようになった。土地との相性がよかったようだ。つぼみの時もとてもきれいだが、開ききった花の姿にも風情がある。
5月24日(月)

・ごはん
・昨日の残りのミネストローネスープ
・まぐろのレアステーキ、しょうゆオリーブ油ソース
・えのきとマッシュルーム炒め
・スナップえんどう(塩ゆで)
・プチトマト

22(土)23(日)は足利事件の心理学的解明に関する科研の打ち合わせがみっちりとあった。ひとりあたり2時間かけて(発表時間1時間、質疑応答1時間)、ああでもないこうでもないと議論した。

土曜東京朝10時開催だったので、6時の電車に乗らないと間に合わない。けれども朝3時までレジュメ作りがずれこみ、ほとんど眠らないまま渋谷の青山学院大学へ。午後6時ごろまで打ち合わせ。翌日曜は開始時間が一時間早まり9時開催となった。それから夜7時まで打ち合わせ。奈良のうちへの帰宅は午前様をぎりぎり免れた。これからしばらくこんな感じだろうから、体力をつけないとな。



今日の日中は一時的に雨が止んだ時間帯があり、庭を確認してみると。。。裏庭がすごいことになっていた。たった2日間いなかっただけで、庭の様相はすっかり変わってしまっていた。通り道がなくなっている。確かにせめて自分のうちだけは俗世界から距離をおいた市中の山居のようにしたいなあと思っているが、だからといって自然に溶け込んだ暮らしができるとは思っていない。それができるのはたぶん死んだときくらいじゃないかなあ。今週末は適宜草を間引くつもりである。

今晩は冷凍庫にしまってあったマグロの塊を解凍して、レアステーキにした。美味。スナップえんどうは鮮度が劇的に落ちていて、初期のころのおいしさはなくなった。当たり前である。
5月20日(木)

・ごはん
・コーンクリームスープ
・鶏のきじ焼き
・チーズ入りオムレツ
・スナップえんどう(塩ゆで)
・しめじ炒め
・アスパラガスの漬け物

ゆういちろうが帰宅、自分のうちの玄関インターホンを鳴らし、「あのさ、おかあさん、明日の遠足のおやつを生協に買いに行かなあかんねんで」と告げられた。ごめん、忘れてたと、一緒に買い出しに出かけた。

生協に向かう前に、自治会班長の配布物ポスティングのお仕事もこなした(偉い!)。雨降りだったので、ゆういちろうと協力して紙が濡れないようにポストに入れていった。子どもと一緒に自治会の作業をすると、ご近所さんの名前だけでも覚えることができるので、情操教育上大変よろしいのではないかと思う。

おやつは200円までと決まっている。ゆういちろうは同じお菓子を2つ買った。1つが78円もする。それで大半を使ってしまい、残りは30円のお菓子になった。同じものを2つ買うという選択肢はこれまでの自分史のなかにはなかったので(いろいろとごちゃごちゃ買いたい私にとって、全く意味不明の選択)、それぞれの人間に個性というものがあるのだなと思った。お弁当に入れるいちごも買って、帰宅した。

山椒を利かしたものが食べたくて、鶏のきじ焼きにした。好評だった。明日のお弁当にはいちごのほかには、牛肉のごぼう巻きと卵焼き、プチトマトにアスパラガスの漬物かスナップえんどうを添えようと思う。本人も特に望まないので、いわゆるキャラ弁は作ったことがない。見た目より実質を尊ぶようだ。

一度お弁当として卵サンドイッチを持たせたときがあるが、帰宅後、非難轟々だった。家族でピクニックに出かけるときは好きなくせに、お弁当ではダメだそうだ。そういえば自分も幼稚園のとき、母が気合いをいれて作ってくれた2色そぼろ弁当に、食べにくいと文句をつけた記憶がある。どんぶり碗で食べるのは好きだけど、お弁当ではぽろぽろこぼしてしまい、嫌だったのだな、きっと。
5月19日(水)

・ごはん
・トマトのスープ
・かじきマグロのスパイス焼き
・スナップえんどう(塩ゆで)
・もやし炒め
・日の菜漬け

実家から畑でとれたスナップえんどうが大量に送られてきた。さっと塩で湯がいて食卓の上にどーんと置いておいたら、おもにゆういちろうと私がおつまみとしてついパクパクと口に入れてしまい、実際の夕食時にはかさが半分ほどに減っていた。青いものが通ることで食道がきれいになっていく気がする。実は密かにえんどうの筋を取る作業が、全く苦になるどころか、好きであることに気づいた。ぱちっと端を折り、ぴーっと筋を剥いていき、最後に引っ張って切るのが、指や手首を通じてアクティブタッチ的な快楽をもたらしてくれる。

今晩のかじきマグロはぱさぱさして失敗だった。食後の洗い物は楽だけど、昨日の鯖の塩焼きのほうが断然家族からは好意的に受け入れられた。

今玄関から一歩外に出ると、風向きによっては、ふうわりといちごの甘い匂いがする。どれくらい甘いかというと、いちごの飴玉に使われる香料ぐらいの甘ったるさ。全然嫌な感じがしない雑味のない純粋な甘ったるさである。いちごの苗にいちごが出来たのはいいが、白くカビが生えてしまったので自然にまかせていたところ貴腐ワインのように発酵したようだ。

以下、玄関脇の現在の植栽の様子である。いただきもの天国である。大切にします。ありがとうございます。








5月18日(火)

・ごはん
・えのきの味噌汁
・鯖の塩焼き、たっぷり大根おろし
・トマトとアボガドのサラダ
・納豆
・日の菜漬け

ひさびさに鯖の塩焼きにした。家庭の台所で魚を網で焼いているときの匂いって、幸せな生活を送っています!というのを対外的に大アピールしているような気がする。さあこれから飲むぞおという、炉端焼き系の居酒屋の匂いとはちょっと違っている。純粋に魚の匂いだけがする。

足利事件の供述分析に向けて、今週末、東京で打ち合わせ会議がある。ひとり持ち時間1時間で研究計画を述べることになっている。頭のなかがもやもやいがいがしているので、たぶん今の計画ではダメだ。破たんする。My Broken Head をどうにかしろ。
5月17日(月)

・ごはん
・しめじと豆腐の味噌汁
・鶏の酢照り焼き
・オクラのしょうゆマヨネーズソース
・冷や奴
・納豆
・白菜のぬか漬け

和食復活。ようやく和食が食べたくなった。「どうしたんだろう、私の体は?」というくらい、ここのところ和から遠ざかっていた。冷蔵庫を見ると豆腐や納豆がたくさんあった。せっせと消費した。豆腐は大好きだけど、大量に大豆製品を食べると思ったよりお腹がいっぱいになってしまう。さすが畑の肉と言われるだけある。

普段の食生活と庭の好みは似ているのではないかと思っている。純和風の庭のおうちはたいてい和食中心なんじゃないかなあ。うちの庭は和のきまりをたくさん使っているので、見る人が見たら和を感じるみたいなのだけど、西洋由来の木もたくさん植えているし、雑草いっぱいだし、雑食系の庭になっていると思う。

明日の「人間関係論」という看護学校の非常勤講義の準備をした。アヴェロンの野性児について紹介したのち、明日以降は比較的時間をかけてアイデンティティについて講義する予定である。あらためてエリクソンを読み返すと、面白い発見がたくさんある。学生時代に分からなかった箇所(書き込み履歴に「?」とある)が、すーっと分かるのであった。たぶんこの15年ものあいだに、フロイトの理解が自分なりに進んだからなのかも。。。おっと、自信をもちかけているこの時がたいていアブナイのだ。丁寧に読みこむように。

最近は寝る前に、中田勝康さんの『重森三玲 庭園の全貌』をちょっとずつ読んでいる。至福の時間。勉強にもなるし、いい夢がみられるし、こういう中身がぎゅっと詰まった誠実な本は本当にありがたい。
5月16日(日)

・フレンチディナー

ゆういちろう初めての空手昇級試験があった。朝6時に起きて、夫がずしんとくる大き目の握り飯(おにぎりよりも握り飯と呼ぶべし!)を作り、7時半にSくん親子と集合して、一緒に車で会場である伊丹の武道館まで出かけた。そして無事白帯を卒業した。

帰りの車のなかでSくんとゆういちろうはある友達の話題でもちきり。私が「○○くんって人気者なのねえ」と言うと、すかさずSくんは「僕も人気者やで〜」と返した。みんなが「おー」と感心していると、「人気者っていうよりな、僕はどちらかというとお笑い者や!」と得意満面で宣言した。ゆういちろうも映えあるお笑い者の一人だそうだ。大人は大笑いした。それを見た子どもたちはもっと得意そうになった。なぜなら気のきいたことを言ってみんなを笑わすのが真のお笑い者だからである。笑われるのではなく、あくまで笑わすのだという気概と誇りを我が子どもたちは持っているのだ。

初昇級記念や入籍記念日などなど口実をつけて、今晩はフレンチディナーをいただいた。
5月15日(土)
・前日の残りのビーフカレー
・ゆで卵
・ほうれん草炒め
・トマトのサラダ、クミン風味

今週は鍋料理に頼っている。昨日宴会に出る前に早めに帰宅して、夫とゆういちろうのためにカレーを作っておいたのだった。偉い! 今週は、お返事をくださるとは思っていなかった先生(多忙を極めていらっしゃる)から心温まるうれしいお便りをいただいたり、面白い本や論文を読んだり、多幸感あふれる可笑しい夢を見たり、ここに詳しく記録を残したいことがたくさんあった。でも眠気のほうが勝ってしまった。



いつものことですが、今晩も、ものすごい格好で熟睡している子どものすぐ隣で寝ます。


5月14日(金)
・居酒屋メニュー

研究所の新歓飲み会に参加した。デヴィ夫人そっくりのチャイナドレスを着たマダムがやっている中華と和風をミックスしたようなお店だった。私は例によって例のごとく道に迷いすっかり花冷えした状態で店に到着した。とにかくからだを温めたいと思い、ビールではなく最初からひれ酒をいただいた。その様子がおいしそうに映ったのか、その後はみなさんじゃんじゃんひれ酒を何倍もお代り、注文されていた。トレンドセッターになった気分であった。


5月13日(木)
・フランスパン&クリームチーズ
・前日の残りのシュークルート
・トマトのサラダ、クミン風味

前の日にたっぷり大鍋でシュークルートスープを作ったので、主婦としてはこの日は大助かり。普段夕飯はごはんを食べることが多いのに、最近はなぜかパンを強く欲してばかりだった。なんでだろう?


5月12日(水)
・ごはん(残り物)
・シュークルート
・揚げ春巻き(いただきもの)
・揚げバナナ(いただきもの)

夕方から俳優をやっている友人(家が近い)が遊びにきた。演劇のこと以外にもいろいろなことを話しこんだ。面白かった! 近所に住む彼女のお母さんが差し入れに揚げたての春巻きとバナナを持ってきてくださった。幸せ感大。私たちだけで独り占めしてはいけないと思い、ちょっとした用事でやってきた斜めお向かいのKくんのお母さんもどうぞとお呼びして、不思議なお茶の時間になった。途中から夫も話に加わった。

夕飯もよかったら一緒にどうかと思っていたが、旦那さんが珍しく早く帰宅する日で、すき焼きにする予定だからということで家路へ。うちの夕飯の時間は、遊び疲れたゆういちろうと、スープに揚げものもついて静かに過ぎて行った。



シュークルートに入れるじゃがいもを切らしていることに気づき、急きょ立ち寄った駅前のスーパーで、「ふだん草」という名の野菜があることを知った。
5月11日(火)

・フランスパン
・トマトのスープ
・ビーフステーキ(肩)の残りとローストビーフ
・焼きしいたけ、オレガノ風味
・トマトとモツァレラチーズのサラダ
・温やっこ

昨日の続きのような食事になった。残ったステーキ(どれだけの量を焼いたのか!)を電子レンジで温め、宅配生協の冷凍ローストビーフ(スライス)を解凍して、付属のソースを両方にかけて食べた。最近存在を発見した練りチューブのホースラディッシュが大活躍した。

宅配生協でトマトを定期注文しており、これから毎週1キロほどの完熟トマトが届くことになった。家族全員トマト好きなのでいそいそと喜んで食べることと思う。といいつつ、まだ始まったばかりで夫との連携がうまくいかず先週誤ってついスーパーでもトマトを買ってしまい、本日宅配で届いた分と合わせると3キロほどのトマトに囲まれてしまった。よって今晩はスープとサラダにして大量消費した。スープにするといくらでもおいしく食べられる! 全員がおかわりをした。

午前中は本当にからだが尋常でないくらいだるく、ベッドから出られなかった。午後から非常勤の講義がある日で、よっぽど仮病をつかって休んでしまおうか、いやいやこれは仮病ではなくれっきとした病気だから休んじゃえとか思ったが、いやそんなに自分を甘やかしてはいけないと思い歯を食いしばって起き上がり、なんとか仕事をこなした。

簡単な夕飯にして、トマトをいっぱい食べたら、なんだか元気が出た。たぶん明日ぐらいから普段通りの研究生活に戻れるのではないかな。人の書いた論文をむさぼるように読みたい! 何度でもしつこく言うが、昨日提出した原稿はそれくらい全力を傾けて書いたものだった。しばらく呆けても許してもらえるはず、とまたまた自分を甘やかして今晩の眠りにつこう。
5月10日(月)
・赤ワイン
・フランスパン&クリームチーズ
・ビーフステーキ(ヒレと肩)
・ポテトサラダ
・ラタトゥイユ

懸案の締め切り厳守の原稿を提出した。午後どっと疲れが出てずっと昼寝をしてしまった。夜、ステーキ肉が霧消に食べたいことに気づき、仕事帰りの夫に買ってきてもらった。肉を食べたら元気が出た。日中あんなに寝たのに、夜12時になってまた眠たくなった。よほど疲れているのだ。この原稿のために長期間緊張して集中して取りかかったのだ。


5月9日(日)
・冷そうめん

昼間ゆういちろうは友達のうちにお世話になった。車で送迎までしてくれて本当にありがたかった。なぜなら原稿のファインチューニングに集中したかったから! 夕飯はそうめんでごく軽く済ませた。

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前日の土曜は不思議にめまぐるしい一日だったので記録しておく。

朝9時にゆういちろうの友達から遊びに行ってもいいかと電話がかかってきた。「今から来る?」と聞いたら、「ううん、まだ着替えてないから、もう少ししてから行く」とのこと。朝起きてとにかく遊び場を最初にキープしたかったようだ。しばらくしてから6年生のお兄ちゃんから電話がかかってきて、午後一緒に遊ぼうとのこと。約束を交わす。

午前中私は、空手道支部代表代理として運動場・体育館の使用に関する年一回の集まりに小学校に出かけた。いろいろな団体さんが休日利用していることが分かった。空手道は個人で向かい合う「道」だけあって譲り合いの精神が基調になっていて、他と特にもめることはないのだが、団体競技のクラブは大会の日と練習の日がバッティングするとお互いがそれは困ると言ってガチンコになる。

お昼を食べてお兄ちゃんのうちに行く準備をしていると、午前中遊んだ友達が自転車でさっそうと登場。自分もお兄ちゃんと遊びたいから、一緒に行こうぜと迎えにきた。二人で仲良く自転車で遠出していった。

鬼の居ぬ間に原稿に取りかかっていたら、今度は別の友達から電話。第一声が、「僕だけどな。Kな、一緒に遊びたいねん」というから、てっきりゆういちろうからの電話だと思い、最初しばらく混乱した。自分の子どもの声を聞き分けられないのね。。。オレオレ詐欺にひっかかるタイプかもしれない。

で結局、夫が諸々調整して、Kくんをお兄ちゃんのところに届けることになった。Kくんはお兄ちゃんの家の場所を知らないからいったんうちまで自転車でやってきて、そこから夫が車で家まで送り届ける。Kくんは5時にピアノの先生がやってくるのでそれまでには家に帰らないといけないから、最後は車に自転車をつんでおうちまで連れていくという段取り。で、どうやらKくんはおうちの人にちゃんと伝えないまま家を出たのか(ゆういちろうもしょっちゅう仕出かす)、送りに行ったとき心配そうにご両親が出てこられたそうだ。
5月8日(土)
・カレーうどん
・厚揚げ
・茹でオクラ、マヨネーズ
・一昨日の残りのかぼちゃとピーマンの煮物

夫が作ってくれた。ありがとう。庭は今本当にきれい。






5月7日(金)
・ひき肉入りカレーライス
・茹で卵

ピッコロ劇団オフシアター、チェーホフ原作『ワーニャ伯父さん』を観に行った。ゆういちろうの同級生Kくんのお母さんが重要な役(教授の後妻)で出ている。貴族の役が本当によく似合う人である。

帰り際の車中で、登場人物のなかに自分に似ていると思う人が出てきたがどうかおしゃべりしていて、夫は自分の性格はワーニャに似ていると言い、私は教授に似ていると言い、そのお互いの自己分析をお互いその通りだと認め合ったのであった。夫婦喧嘩するときはものすごく激しいものになってしまうのも、ワーニャと教授の関係にあったからだと思うと、妙に納得した。

夕飯は困ったときのカレー頼みであった。5時前、家を出る直前に学校帰りのゆういちろうと二人で10分で食べた。観劇後、10時過ぎに帰宅してから小腹が空いたので、クラッカーにクリームチーズ(Kiri)を乗せ、木苺のジャムをつけて食べた。赤ワインも開けてしまった。お芝居の影響がここにも表れたようだ。
5月6日(木)

・ごはん
・しじみの味噌汁
・さんまチーズロール、柚子胡椒風味
・かぼちゃとピーマンの煮物
・えのきのさっと煮
・グリーンボールの浅漬け
・アスパラガスの漬物



通常の洗濯以外に、布団干し竿を利用して冬物の洗濯も始めた。もうセーターを着ることもないだろう。こうやって写真に撮ると「とっておきの日常」って感じがしてくるから、なんだか素人のいやらしさというか、欺瞞ぽくて、いやあねぇ。でも毛糸の色ってきれいだなあと思う。これは本当のこと。

創作意欲にかられ、さんまの3枚おろしフィレに塩こしょうを振り、薄く柚子胡椒も塗り、チーズを置いて、くるくる巻いて爪楊枝で止めたものをオリーブ油で焼いてみた。想定以上にしょっぱかった。惜しい! 塩加減をもうひと工夫すれば、立派なメインディッシュになるぞ。青紫蘇を入れてみたりソースを工夫すればお客さんにだって出せるはずだと、孤独に自画自賛した。(家族にはイマイチ不評だった)

ひさびさにゆういちろうのページに写真をアップしました。長崎で撮った写真です。
5月5日(水)

・ごはん
・しじみの味噌汁
・ごぼ天
・茹でもやし、ポン酢で
・グリーンボールの浅漬け
・アスパラガスの漬物

今日も暑かった。真夏は好きだけど、今日みたいに予想外に暑いのは苦手である。外に出たら、気づくと眉間にしわを寄せ、イライラしていたりする。夕飯は完全に夏バテ仕様である。宅配生協で珍しい漬物が売りに出されていたので、試しに買ってみたところ、正解だった。アスパラガスもグリーンボールもさっぱり系の漬物にとてもよく合う。グリーンボールが何かを知らないまま注文したのだが、届いてみるとキャベツそっくりだった。どう違うのかネット検索したら、ここによると、キャベツの一品種のようだ。大きさが普通に売られているキャベツより小玉とのことである。



放置している裏の畑にきれいな黄色の花が咲いて何かと思ったら春菊だった。水に挿したパンジーのつぼみが開花したら、先祖返りを起こして普通の人面模様があらわれた。もともとは4月24日付けの日記に貼りつけた一番下の写真の白縁取り模様だったのに。



シーツを洗濯した。そのほかの寝具類も陰干しした。今晩は気持ちよく眠れるだろう。



昨日がんばって植えた野菜の苗の様子である。梅の木の根元もすっきりさせた。
5月4日(火)

・トマトとしめじのリングイネ
・昨日の残りのポタージュスープ(冷製仕立て)
・さわらのムニエル
・ルコラとベビーリーフのサラダ

暑かった。日中庭で草むしりをしていると汗だくになり暑さで気分が悪くなり、部屋のなかに退散した。変だなと思っていたら、なんと夏日だったのね。変でもなんでもなく体が当たり前に生理的反応をしただけだった。

大繁茂しているカラスノエンドウを部分的に処理し、なんちゃって畑スペースを間に合わせ的に作った。今年の野菜作りは去年と比べて大幅に規模縮小し、プチトマトに紫蘇やバジルの葉ものを合わせるシンプルな構成にした。去年作った畑のほとんどが休耕地化した。全然働いていないのに、いきなりサバティカルをとった人みたいだとある人から嫌味を言われたが、気にしない。

今日からまた生協宅配が復活した。今晩もスパゲティが食べたいと夫が言いだし、ちょうど生リングイネが届いたので、その要求を飲んだ。
5月3日(月)

・白ワイン
・トマトの冷製スパゲティ
・じゃがいもと長ネギのポタージュスープ
・鶏の塩焼き

ひさびさの手料理である。本日長崎から奈良に帰ってきた。伊丹空港から車を利用したが、奈良に入ってからのほうが道が混んでいた。平城宮跡にずらーっと人の行列ができていて驚いた。長崎は思ったほど混んでいなかった。長崎市内に至るところ貼られたポスターを見て思ったこと。私は本物の龍馬の写真より龍馬に扮した福山雅治の写真が欲しいことがよく分かった。



長崎初日はグラバー園近くのホテルに泊まった。ゆういちろうはお掃除のおばさんに向けて自筆メッセージを残して部屋を出た。丁寧な人間である。



母の住んでいた坂の家に本当に久々に行ってみた。一年以上間があいているので一体どうなっているやら恐る恐る扉を開けてみると、、、ぎゃーっとなるものは何もなかったが、全体に湿気ている気がした。以前にも増して近隣は猫天国になっていた。

沖縄、普天間基地移転の候補地に佐世保も入っていると夫がどこかから聞きつけてきて、いろいろなことを考えた。今日のテレビニュースを見ると、男女のキャスター二人とも、「さあ、今月末期限の公約守れるか。首相のお手並み拝見」てな感じで、明日の首相の沖縄入りに関してなんだかうれしそうな感じで報道していて、ものすごく不思議な感じがした。奇異。どうしてこんなに他人事のように報道できるのだろうか。客観的にもほどがある。

明日は自治会の班長の仕事として、朝7時から8時にかけて、資源ごみの収集のお手伝いをしないといけない。私にとって「早朝」にあたる時間なので、ちゃんと起きれるかどうか今から緊張して眠れなくなってしまった。
4月28日(水)

・白ワイン
・昨日の残りのカレーライス
・茹で卵
・プチトマト

荒挽きウィンナーが冷蔵庫にあり、昨日それをカレーに入れた。考えてみればウィンナーカレーは作るのも食べるのも初めての試みだった。ありそうでなかった組み合わせだった。カレーは二日目のものがおいしいとよく思うが、ウィンナーカレーは初日も二日目も味に変わりがないように思えた。つまり何が言いたいかというと、ウィンナーはカレーに入れても十分おいしいが、せっかく鍋にするのだったらポトフやザワークラウトにして食べたいということだ。

「あんたも懲りないねぇ」と悪態をつかれつつ、研究提案書を執念で一通り書きあげて、今現在、研究所内の査読チームに回してもらっているところである。私自身はもう意味飽和しているのでまずはいったん休み(果報は寝て待て。明日から長崎なのでちょうどよかった)、全員の査読コメントをいただいてから、連休後半に最終チューニングをおこなう予定である。緩急をつけて取り組もうと思う。それくらい提案書をまとめるのは集中力が必要な作業である。

カナダに学会発表に行っていた同僚から、“50 High-Impact, Low-Care Garden Plants”という美しい写真いっぱいのガーデンニングの本をお土産にもらった。紫式部はPurple beautyberryと言うんだな、などなど英語の豆知識的勉強にもなるし、そしてなによりも西洋人は銅葉(英語では銅色と言わずにpurpleと表現する)と黄色の葉っぱ(黄色と言わずにgoldという)が好きなんだなと思った。ハイコントラストを求めるようだ。
4月25日(日)

・ごはん
・しじみの味噌汁
・鶏の酢照り焼き
・冷や奴
・トマトと茹で卵のサラダ
・大根のぬか漬け

たんぱく質過多の食事になっている気がする。ゴールデンウィークを利用して長崎に行くので、冷蔵庫の生鮮食品を空っぽにするよう努めているのだった。仕方がないといえば仕方がない。それにそもそもたんぱく質が多いかもしれないなんて、贅沢な悩み以外の何物でもない。



球根を太らせるため、満開を過ぎた庭のチューリップを切って、白の琺瑯の花瓶に活けた。この琺瑯の花瓶は割れる心配も盗まれる心配もないので外で使うのにとても便利。大きさや形も気に入っている。自分のなかの少女趣味を抑圧することなく、外に向かって表現するのは気持ちいい。
4月24日(土)

・懇親会メニュー

お昼に自治会班長として上半期の会費を集めに町内を2回に分けてまわった(あと残りお一人)。午後6時から学童保育の父母会総会があり、その後の懇親会にも参加した。この地に引っ越してきて以来、コミュニティの集まりに積極的に参加しようとしているのは、ただでさえ謎めいている家族だと思われていそうな雰囲気なので、自ら積極的に「私たち不審者ではありません! 悪いことは一切考えていません!!」アピールをしようと思ってのことである。こうなったら地域の防犯パトロールにも積極的に参加してやるというくらいの勢いである。

時間をかけてゆっくりと育てている庭が花の時期を迎えた。幾種類もの花々が私を優しくなぐさめてくれる。












4月23日(金)

・ごはん
・野菜のコンソメスープ
・なすとトマトの重ね焼き、ミートソース
・マッシュルームとベビーリーフのサラダ

担任の先生の家庭訪問のために、朝から片づけと掃除にいそしんだ。普段からきちんとしているお宅だと、普段どおりの掃除機がけで済むのだろうけど、、、、だらしなく生活しているぶん、マイナスからのスタートという感じでやたら時間がかかった。



庭の石楠花が咲いた。この色合いは花嫁のブーケにこそふさわしい気がするけど、石楠花を使った話はあまり聞かない。切り花で見ることもほとんどない。よほど水揚げが悪いのかな。



牡丹の足元に都忘れの苗を植えた。早春のことである。今朝、白い花をひっそりと咲かせていることに気づいた。赤い牡丹との対比的組み合わせが予想以上に気に入っている。

昨日多目に作ったミートソースをなすとトマトのオーブン焼きに展開利用した。ミートソースは手作りに限る、缶詰のミートソースはなんであんなにおいしくないのか、夫はひどく力説した。私も同意した。
4月22日(木)

・赤ワイン
・スパゲティ・ミートソース
・トマトときゅうりのサラダ
・長芋のオーブン焼き
・もやし炒め

夕方、今度出そうと思っている研究提案書の社内プレゼンがあった。初めてのことで言われるままにプレゼン資料を用意し、実際どういうものか全然把握していなかったのだが、社長をはじめとする重役の方々を前にしてのプレゼンであった。会場に着いてびっくりしました。ここでO.K.が出たら、提案書を書きあげ、社内査読を通してさらに洗練させて、実際に書類提出をするという段取りを踏むことになっている。今日は本質的なアドバイスを3点もいただいた。その線で提案書の論理を組みなおそうと思う。

そういえば午前中、ご近所さんから自治会費徴収はまだですかと電話があり、班長のくせにすっかりのんびりしてしまっていたことに気づいた。20日過ぎぐらいから集めるようにと、この前の自治会総会のとき言われていたのだった。あぶない、あぶない。明日から徴収に繰り出さないといけない。

明日はこの他に、ゆういちろうの担任の先生の家庭訪問がある。家のなかを片づけて掃除しないといけない。コーヒーやお菓子の準備もしないと。ぷ〜。先生、来ないでくださいと言ったら、びっくりされるかなあ。
4月21日(水)

・ごはん
・なめことわかめの赤だし
・かつおのごまみそ煮
・たことわけぎの酢味噌和え
・ほうれん草の白和え
・納豆
・昨日の残りのしめじとえのきの炒め物



庭のカラスノエンドウがあまりに傍若無人に振る舞い、バラやパンジーや麦やら、人間の手によって持ち込まれた植物をなぎ倒していったので部分的に草取りをした。その際、誤ってパンジーも摘んでしまった。間引き剪定をした月桂樹の枝(うまくいけば指し穂にする予定)とともに活けた。とりあえず台所でパチリ、メタルな感じ。暮らしを彩るアートな感じ。

午後から細馬宏通さんの発表「高齢者はいかにして立ち上がるか−グループホームでの事例分析−」を聞きに京都大学へ。パッケージ化された課題をこなすのが困難な方に、下位タスクに分割、順番並べ替えしておこなうよう指示を出しても、課題が分割されたこと自体を認識していないためにかえって混乱をきたしている事例を見せていただいた。身体配置の転換を含むあるきっかけでその問題は解決されるのだが、それにしてもロボットと人間の違いをまざまざと見せつけられた。自発的に立っているように見えて、私たち「大人の健常者」は立たされているのだな。つまりアンドロイド化している。子どもや老人のほうがよほど正直に抵抗している。

以下の関連論文をおしえてくださった。サイエンスの最新号に載ったものだそうだ。要チェック。
"Divided Representation of Concurrent Goals in the Human Frontal Lobes," S. Charron and E. Koechlin, Science, Vol. 328, no. 5976, pp. 360-363. abstract.

夕食は自宅で食べると約束していた。帰宅してみると上のような和食の献立が小鉢に並んでいた。こういうのは幸せである。専業主婦のお嫁さんをもらって結婚の喜びに浸っている男の人のような気持ちになった。
4月20日(火)

・ごはん
・昨日の残りの野菜のポタージュスープ
・さんまのかば焼き
・冷や奴
・しめじとえのきの炒め物
・トマトときゅうりのサラダ
・昨日の残りの長芋のオーブン焼き(ほんの少々)

今日から半期で、看護学校の非常勤講師の仕事が始まった。何の科目をおしえているかというと、その名もじゃーん、「人間関係論」(必修)である。私自身の人生においても必修科目のような気がする。

1時間以上も長風呂をしてしまった。提案書の論理構成をあれこれ考えていたのだった。骨子は決まっているのだが、細部の詰めが甘すぎ。その細部に関するだいたいの方針がうっすらと見えてきた。

最近、トマトときゅうりのマヨネーズ和えサラダを好んで作っている。というのもマヨネーズを宅配生協の瓶詰めのものに変えて、今までのキューピーのより酸味がよりきつくなり、賽の目切りのきゅうりやトマトと和えても水っぽい感じがしなくなったからである。サラダには酢をきつめに効かせるのが好みだったのだということにあらためて気づいた次第である。



昨晩からの雨で茎が折れたり倒れたりした庭の花を摘んできて、お気に入りの花瓶に活けた。水仙、八重咲きチューリップ、原種グラジオラスの組み合わせである。原種グラジオラスは庭で咲いても全く目立たないが、活けるとなかなかきれいである。夜に香る花として植えたのだが、雑草の勢いに飲まれて全然分からない。そういえば今年は梅の花の香り(去年はふうわり漂ってきた)も、近くに植えた菜の花の香り(蜂が喜びそうな)にマスキングされて全然分からなかった。
4月19日(月)

・野菜のポタージュスープ
・焼きプチトマトのタリアテッレ
・長芋のオーブン焼き





エンドウ豆など野菜の花や、ホトケノザやぺんぺん草など雑草の花も庭のあちこちで咲いている。しみじみとかわいなあと思う。

今晩はとにかく野菜がいっぱい食べたくて、野菜づくしの献立にした。野菜のポタージュスープには決まってごぼうを入れるようにしている。風味が断然よくなるから。
4月18日(日)
・居酒屋メニュー

4月17日(土)
・居酒屋メニュー

両日とも京都で研究会があり両日とも懇親会にも参加した。ためになった。どうためになったかは、すぐには言えないのだけど。。。私はこういうとき異常に鈍い。理解に遅延がある。すぐに言葉にできたらもっといろいろな事柄をコミュニケーションできるのだけどなあ。

以下は今朝の庭の様子である。花の季節が本格的に到来した。






4月16日(金)

・赤ワイン
・ビーフカレーライス
・トマトときゅうりのサラダ、マヨネーズソース
・ゆで卵

私はさわらの煮つけが食べたかったのだが、夫はビーフカレーが食べたいといい、結局カレーに軍配があがった。こういう選択を迫られたときカレーは魔力的な力を発揮する。ただ、ほっておくと肉ばかり食べてしまうので、魚モードにしたいのだ。岡山の実家にいるときは普通に魚モードになるのに、奈良にいると肉にひきずられる。

2年生に進級して初めての参観日だった。その後、PTAのクラス役員決めをする懇談会があり、去年なりゆきでクラス代表をやった関係で、その司会役をおおせつかっていた。本部役員さんいわく、例年たいてい後から文句タラタラ混ぜ返す人が出るそうで、前日までどうぢようどうぢようとうじうじ考えていたが(気が弱いので台本まで用意した)、なんとか雰囲気よく新しい役員さんを決められたのではないだろうか。

今、午前四時。いったんベッドに入ったものの、興奮して眠れず、これを書いている。
4月15日(木)

・ごはん
・なめこと豆腐の味噌汁
・豚キムチ炒め
・一口がんもの煮物
・もずく

4月なのに寒かった。気温10度を下回っていた。牡丹のつぼみが早もう開きかけたのに、この寒さでびっくりしているんじゃないだろうか。開くべきか待つべきか迷っているに違いない。

夕飯は、家にある材料でささっと作った。なんていったって家庭の主婦だもんね、いい響きである。

新規の提案書書きのモチベーションがあがらない。生活の糧を稼ぐためには提案が必要なことなのに、(自分の労務費は出せないタイプとはいえ)研究費がこの度確保されたので、すっかり気が緩んでしまっている。狩猟者的気分を取り戻さなくては。
4月14日(水)

・ごはん
・しじみの味噌汁
・かれいの煮つけ、わけぎ添え
・きんぴらごぼう
・キャベツとしめじ炒め(残り物)

今晩の発見は、キャベツとしめじの炒め物は前日の残り物でも十分においしいということだった。もう少しいえば、電子レンジで温めなおすより、冷蔵庫から出してしばらく置いて室温まで戻したもののほうがおいしいということだった。刺身も、釣ってさばいたものをすぐにその場で食べるより、2、3日おいたほうがぐんとおいしくなるから、その間何かがうまい塩梅に熟成しているのだろうな。



ゆういちろうは、この前食べたアイスの棒を捨てることなく後生大事にとっておいて、何にするんだろうと思っていたら、こういうことだった。当たり棒を自作したかったようである。
2日分まとめて更新!

4月13日(火)
・ごはん
・昨日の残りのスープ
・ひき肉とチーズ入りオムレツ
・キャベツとしめじ炒め
・納豆

4月12日(月)
・ごはん
・キャベツとベーコンのスープ
・ハンバーグ
・焼き野菜
・2種類のサラダ

月曜日、ゆういちろうの同級生Kくんのおばあちゃんがハンバーグをお裾分けしてくださった。お世辞抜きで、今まで食べたハンバーグのなかで一番おいしかった。家族満場一致。本当である。中はふんわりふっくらしていて、バターの香りのする定番赤茶色のソースが絡み、ほんのりにんにくの風味が効いていた。

火曜日。庭の鈴蘭を掘り上げたから持っていくわねと、Kくんのおばあちゃんから午前中電話連絡が入った。50年前に亡くなったお母さんが生前北海道から持ち帰った原種の鈴蘭が毎年殖えて現在に至っているそうだ。命の重みを感じる。我が家の庭でもどんどん好きなだけ殖えていってほしい。お向かいの旦那さんからも去年鈴蘭をいただいたのだった。こうなったら鈴蘭屋敷という美名がいただけるようがんばります!

その前の晩にいただいたハンバーグが本当においしかったと伝えると、肉は福寿館のもので、つなぎに山芋やチーズも入っていることをおしえてくださった。誰か先生に習ったのかのと伺うと、そうではなくご自分でレシピを考えたそうだ。

ハンバーグは娘さんや孫のために作って、自分たちは昨晩は魚にしたとのこと。レストランや老舗洋食屋のハンバーグよりも断然おいしかったのは、素材と技術の高さ以外にも、「儲け」「採算」という考えが一切入っていない気持ち(愛情)がこめられているからなのだと思った。それは普遍的なもので、お裾分けされた人間にも確実に伝わるものなのだ。

(ややこしい話だが、採算ばかり考える人も苦手だが、採算を度外視した贅沢というのも私は苦手である。例えば、究極のハンバーグを求めて、日本中、世界中から最高の素材を集めるなどという発想は、なんだかとてもださい気がする。それができる人でそういうのがやりたいのであればこっそりやればいいが、あまり自慢できる発想ではない気がする。)
4月11日(日)
・お茶と堂島ロール



ゆういちろうの友達家族と一緒にバーベキューをした。もともとは公園で花見ということだったのだけど、場所取りに失敗して、うちですることになったのだ。

普段は車を置いている奥のスペースを空け、つまり玄関付近まで車を出し、屋根とお隣の柵にビニールシートをかぶせ簡易日よけをし、机と椅子を並べた。写真は会場設営中の夫の様子である。

一応裏庭ではシデザクラが満開となっていて(株自体はまだひょろひょろだけど)、花見と言い張れば花見と言えなくもなかった。あとね、自分で今回もっとも格好つけた点といえば、テーブルに、庭で偶然見つけた四つ葉のクローバー1輪のみを活けたというところである。

今回は場所を提供するくらいで、買い出し班は別のご家族に頼んだ。おかげでお肉は贅沢なものがとびきり安く揃った! お昼にたくさんおいしい肉を食べたので、夕飯は食べる気がしなかった。

お土産にいただいた堂島ロールが遠慮の塊で一切れ余っていたので、夕飯として私はそれをマリー・アントワネットのように食べて、夫とゆういちろうはカップラーメンを食べた。

それにしても奥村ご夫妻の設計力には感謝してもしきれないくらいである。車を前に出すことで通りからの程よい目隠しとなり、これ見よがしなところが全くない感じで安心してバーベキューを楽しめた。庭のなかでもコンクリートで固めたエリアなので、足元が汚れないで済むし、大切にしている雑草たちも無闇に踏まれないで済むし。

夜になって井上ひさしさんの訃報を知った。


4月10日(土)
・ごはん
・豆腐とえのきとオクラの味噌汁
・鶏の塩焼き
・キムチ&チーズ入りオムレツ
・トマトとモツァレラチーズのサラダ

冷蔵庫にあるもので鼻歌交じりで適当にごはんを作った。土曜中に読んでしまいたかった本があって、食卓の上にお茶といっしょに置いていたのに、ゆういちろうを寝かせるついでに自分までぐっすりと眠ってしまった。朝起きて、健康的といえば健康的なので、よしとした。
4月9日(金)
・白ワイン
・トマトソースのリングイネ

放課後他所のお宅で一緒に遊んでいたゆういちろうの友達が、今日はたまたま両親が仕事で忙しく、おじいちゃんおばあちゃんの家で食事をすることになっていたのだが、ゆういちろうともうひとりの友達の3人でオムライスが食べたい!と強く希望し、紆余曲折を経て、料理の得意なおばあちゃんが作り、我が家で食べるということに相成った。

子どもたちはオムライスに加え、手作りのいちごがたっぷり入ったアイスクリーム(本物のジェラート)もいただき、Wiiも楽しみ、大満足のようだった。日曜も一緒に遊ぶ約束をしているのに、今日も長いことずっと一緒にいたいと泣いて主張するなんて、男の子どうしの結びつきってこんなに強いものだったのか。非常に確実な情報筋によると、親には言わない男どおしの固い約束もすでに交わしているみたいなのだ。

子どもにいいものを食べさせたあとの親の夕飯はごく簡単に、パスタだけにした。


4月8日(木)
・ごはん
・豆腐とえのきの味噌汁
・えぼ鯛の開き、おろしポン酢で
・たことわけぎの酢味噌和え
・納豆
・白麹づけ沢庵

もうひとつの科研のほうも採択されたという知らせが入った。これで3年間は公的にも研究を続けることができる。ほっとした。科研にはこれまで一度も採択されたことはなく、相性が悪いのだな縁がないのだなと思っていたが、重なるときは重なるのだ。

夕飯は魚中心の和食にした。今年はなぜか筍に触手がそれほど伸びない。毎年この時期になると大鍋で茹でたくなるものなのに。どうしたのかな。


4月7日(水)
・赤ワイン
・ごはん
・残り物のミネストローネ
・ひき肉&チーズ入りオムレツ
・キャベツともやし炒め
・納豆
・白麹づけ沢庵

科研の審査結果が速報された。ひとつは無事に採択された。クビの皮がかろうじてつながった気がする。残りの審査結果はどうだったんだろうか。どきどきしながら連絡を待っている。

夕飯は冷蔵庫にある材料でちゃかちゃかっと作った。


4月6日(火)
・フレンチディナー

学校の新学期が始まった。ゆういちろうは2年生になった。担任の先生は今度は男の先生。ゆういちろういわく、とっても優しい先生だそうだ。進級祝いというわけでもないが、私たちと同世代のご夫婦が切り盛りしている優しい味のするレストランに出かけた。基本は押さえつつ、毎回少しずつ味を変えてきて、飽きることがない。
4月5日(月)

・トマトソース・スパゲティ
・ミネストローネ
・かじきマグロのソテー

夫が指定した献立を作った。トマトソースのスパゲティは味がほぼ安定し、みんながしょっちゅうリクエストするようになった。味が安定した理由は簡単で、たまねぎを一切使わず、にんにく、オリーブオイル、乾燥ハーブ、塩こしょうで水煮缶に入ったトマトを15分煮込んだものをソースにすることだった。つまり今までたまねぎを入れていたのが、甘くなりすぎたり、水っぽくなったり、味が不安定になる要因だったのだ。







上の写真は現在の庭の様子である。人間の手で植えられた草花も、勝手に生えてきた雑草のなかに紛れて気持ちよさそうにしている。下草は準備万端。あとは木の芽吹きが全部済むのを待つだけである。
4月4日(日)

・焼き肉

桜の咲くこの時期は夫の大学同期の友人たちとその家族が集まり、毎年恒例花見をすることになっていて、今年は本日、尼崎にある公園に集まった。なんと今年から尼崎市の方針が変わり、公園でのバーベキューが禁止となってしまった。そこで急きょ、惣菜を持ち込んでのお花見となった。我が家は去年と一昨年都合が合わず、しばらくのあいだ会えず仕舞いで、今年は久しぶりの参加であった。それぞれの子どもたちが大きくなっていてびっくりした。







バーベキュー禁止となっていても、知らずに材料を買い込んできたグループが何組かいて、その人たちは看板を無視して火を起こしていた。昼間、そのかぐわしい匂いを吸いこんでしまったので、夜は近所の焼き肉屋さんにいって初志貫徹した。
4月3日(土)

・ごはん
・なめこの味噌汁
・さんまのかば焼き
・筍とひろうすの煮物
・日の菜漬け

昨晩とはうってかわり、今度はしみじみとした和食が食べたくなった。刺身用のさんまのフィレ・冷凍物があることに気づき(宅配生協でいつ頼んだのか? すっかり忘れていた!)、刺身の気分ではなかったので、フライパンでかば焼きにした。これが大好評。今度から注文するようにとのこと。定番が増えるのは楽なので、合点承知である。

地元公民館で開かれた、自治会の総会、役員・班長会に出席してきた。2時から5時までびっちりと。班長の仕事は、なんだかいろいろこまごまと地域のために奉仕しないといけないみたい。忘れたら大変である。でも、いきなり次回の役員・班長会は欠席することになった。だってその日にやるとは知らなかったものだから、すでに予定を入れていたのよ。

こういう日だからだろうか、会合を挟んだ午前中も夕方も、やたら植樹熱に取り付かれ、8種類もの苗を地面に穴をほって植え付けた。勤勉!
4月2日(金)

・ひき肉入りカレーライス
・プチトマトとベビーリーフのサラダ
・茹で卵

冷蔵庫にある材料で間に合わせた。夫は、筍とひろうすの煮物が食べたかったそうだが、私がどうしてもカレーが食べたい!という気分だったので我を通した。

毎年恒例、春の研究提案書作成の時期に突入した。気分を高めて提案書書きモードにしていかないといけない。今年も競争的研究資金を何も獲得できなかったら、進退がかなり「ヤバい」ことになるのは必至。かなり憂鬱である。とはいえ毎年こんなことをやるのが本当に研究にとっていいことなのか、つい余計なことを考えてしまう。(←全然気分が高まっていない)

今年度は持ち回りの自治会の班長をやる年にあたってしまい、明日はその初顔合わせがある。知らない人とコミュニケーションするためには、それはそれで相当気分を高める必要があり、主婦業の大変さをしみじみ思い知っている。がんばれ、自分。
4月1日(木)

・あさりのスパゲティ
・鶏の網焼き
・トマトとモツァレラチーズのサラダ

冷蔵庫にある材料で、夫の指定どおりに作った。野菜が足りない気がするが、今晩は多目に見よう。明日から本格始動である。というのも、ゆういちろうの春休みを利用し、27日(土)から岡山の実家に行っており、本日夕方に奈良に帰ってきたからだ。

途中28日(日)は夫婦で日帰りで、岡ア乾二郎さんの研究発表会を見に東京・四谷に行った。とてもためになった!! 自分で言うのもなんだが私は勘が働くほうで、おそらくこれからの「スタンダード」となる考え方が披露されていたと思う。でもその全貌はいまのところ誰も分かっていない。新しいことが始まるときの嵐の前の静けさ、このひっそり感がたまらない。

岡山では、ゆういちろうの小さないとこ達3人も集まって楽しそうだった。座敷に籠城し、障子の雪見窓を開け外部の大人たちの様子をうかがい、たまにダンスを見せに台所にやってくるのだ。うれしくてうれしくてたまらないときに人は踊りだすのだろう。

もともと高かった園芸熱がさらに高まっている。実家の庭を細かく見ていき、奈良の家にもあったらいいなあと思う植物があれば父に掘り上げてもらい、ちゃっかり持って帰った。桃太郎という品種の椿の苗(実生)、ちぢれた葉のツワブキ、白の紫陽花、ハナニラなどなどである。お隣さんからいただいたシラユキゲシも少し分けてもらった。



桃太郎椿のつぼみを母が洋風にアレンジして洗面所に置いていた。ピンボケが惜しいが、とてもきれいだった。咲くとほんのりピンクの花となる。





春蘭や万年青(おもと)は祖父母がこよなく愛していた草である。私は小さい頃からその様子を見て育った。個人的にも思い入れのある草なのでうちでも育てたいと思うのだが、30代の女が自分ちの庭作りにあたって春蘭や万年青(おもと)を下草に植えるのはさすがに渋すぎていかがなものかと自分でも思い、今回は我慢した。でももしかしたら私が変に文化的制約を受けて特別扱いしているだけで、それらの草も雑草生(ざっそうふ)の一員として暮らせる日がいつかやって来るかもしれない。いいアイデアが降りるまで待とう。来るべき時が来るまでの我慢である。
3月24日(水)

・ごはん
・牡蠣のチャウダー
・キムチ&チーズ入りオムレツ
・スナップエンドウともやし炒め
・納豆(夫とゆういちろうのみ)

先週金曜に岡ア乾二郎さんの絵を見て以来、子どもたちを尊敬している。われわれ大人が読みとれない世界(大人はそれを抽象絵画と言って誤魔化す)をいとも簡単に正確に読み取っているからだ。子どもたちは、あの絵具の染みの構造から、それが何であるか、何をしているか、見てすぐに分かるのだ。不思議で不思議でしょうがない。

今日だって、放課後うちにやってきたゲームに夢中の子どもたちの活動を遮り、ハガキサイズに印刷された絵をゆういちろうのお友達に見せて何が描かれているか質問すると、「川から落ちている感じ」と即答。ちなみにその絵のタイトルは、

「淡水水産物つまりおサカナ、といっても人の放流したアユやニジマスを獲って暮らしている。水面から水の裏を見透す(背後に食客三千)。水を飲み、氷を食べる暮らしと違わない(水は凍って大きく膨らむ)、だからサカナたちから税を奪う。」

というもの。川であること、そして、水中から水面を見ながら落ちて行っている様子をKくんは感じたようだ。印刷物からそこまで読みとれたのだから、本物を見たらもっといろいろと細かい発見をするに違いない。ゆういちろうも金曜は現場で大変面白い発言を連発したのだった。

そんなこんなで、すごいなあ子どもは、すごいなあ子どもはと思っていたら、夕飯を作り始めるのが遅くなった。ごめん。今日の午前中は、大人のけじめとして頭を丸める必要を感じ、けれども坊主にする勇気はなかったのでせめてショートカットにしてきた。
3月23日(火)

・ごはん
・しじみの味噌汁
・豚のぬるしゃぶ  ごまだれで
・おから(いただきもの♪)
・いかなごのくぎ煮(いただきもの♪)
・プチトマト
・白菜のぬか漬け

ゆういちろうのお友達のおばあちゃんがおからをくださった。いんげん豆、しいたけ、人参、こんにゃくの他に、ひよこ豆と鶏肉が入っていたような気がする。栄養たっぷり、愛情いっぱいで、おいしかった! こういう手間のかかった料理は普段自分では全くやらないからなあ。揚げ物も自宅では一切やらないしなあ。茹でただけとか、シンプルすぎる料理ばかりというのもいかがなものか。

ゆういちろうにとってお袋の味とは、どのようなものが記憶に残るのだろう。彼がもっと小さい頃はよく私の実家にあずけていたが、そのときはあれが食べたいこれが食べたいとリクエストしていたそうだし、私よりも実家の母の作った料理名をよく覚えているような気がする。

料理作りはちょっとしたコンプレックスとの闘いである。全然うまくなっていないもの。そういえば実家の母も、恥ずかしいからといって自分の普段の手料理を他所様に食べさせることはあまりなかった。分かる気がする。こうなったら長期的視野をもって生活しよう。私も歳をとってお友達のおばあちゃんくらいになったら、若いお母さんに手料理をおすそ分けできるくらいに腕を上げることを人生の目標とする。何でも先延ばし作戦である。
3月22日(月)

・なめこと豆腐の味噌汁
・手巻き寿司

連休最終日。手巻き寿司にした。普段は家族3人で一度の食事お米2合のご飯を炊いているが、カレーと手巻き寿司のときは話は別で、そのときは3合炊きとなる。それでもあっという間になくなった。

近所のお子さんも連れて、ゆういちろうと一緒に公園で遊んだ。周囲を眺めるに、本格的にお花の季節に突入したようだ。私を鬼にして、子どもたちは勝手にかくれんぼを始めるのだが、肝心の鬼が花ばかり見ているので、わざわざ見つかりにやって来たりしてかわいかった。



近所の公園には、早もう山つつじが咲いていた。山つつじは山の斜面など奥行きがあるところにあれば枯れ模様のなかに映えてとてもきれいなのだが、庭に咲かすとなるととたんに難しい花木となってしまう気がする。山では上品に見える色が、庭では???となっている例が多数。



水仙も満開だった。水仙はどんなに咲き誇っても、品種改良が進んでも、度が過ぎている感じがしない。



我が家の土手の庭の様子。葉牡丹中心の地味な寄せ植えに映えるよう赤いチューリップの球根を昨秋仕込んでおいた。待つこと数カ月。春を喜ぶ。また最近は個人的に卵の殻ブームで、鉢の土の上だけでなく、地面にも置いて楽しんでいる。
3月21日(日)
・トマトソースのタリアテレ
・鶏の網焼き
・しめじ炒めとグリーンサラダ



昨晩、夫の大学で卒業記念パーティーがあり、学生さんから花束をもらって帰って来た。八重咲きチューリップは華やかできれいだなあと思う。白モッコウバラを土手に植えた。5月に壁面をうっとりと飾ってくれることを祈る。夕飯は、賞味期限の迫った冷蔵庫の残り物で簡単な食事にした。

昨晩は春の嵐が吹き荒れた。ものすごい量の黄砂が飛んで来たようで、門の黒い鉄の部分が雨だれて白く汚れていた。


3月20日(土)
・握り寿司
・いなり寿司(ゆういちろうのみ)



午後からゆういちろうと二人で散歩に出かけた。駅前団地の遊具でしばし遊んだ。卒業式があり夫不在だったので、夕飯はスーパーで買ってきた握り寿司パックで簡単に済ませた。


3月19日(金)
・ビール&カツサンド

東京で、美術館に行ったり、奥村ご夫妻にお会いしたり、充実した一日だった。書きたいことがたくさんありすぎて書けない。帰りの新幹線のなかでカツサンドを食べた。ゆういちろうはうなぎ弁当にしたのだが、ひもを引っ張って温めるやつで、私は危うく湯気でやけどしそうになった。


3月18日(木)
・天ぷら定食



1時にゆういちろうを学童保育に迎えに行き、身支度をしたのち、東京に向かった。写真は小学校の門近くにある椿の様子である。確か乙女椿という品種だと思う。大変かわいらしかった。

山の上ホテルで夫と落ち合い、ホテルの名物のひとつである天ぷら屋さんに入った。ヴォーリズの建築を見るという目的は2番手で、本当は天ぷらを食べたかったんだろうと夫に言われた(笑)。そう言われても文句がないくらい堪能、おいしゅうございました。ゆういちろうも満腹大満足のようだった。
3月17日(水)

・ごはん
・牡蠣のチャウダー
・トマトとチーズ入りオムレツ
・もやし炒め

宅配生協のプチトマトはこの時期でも甘くておいしい。スーパーにおいてあるプチトマトは冬のあいだは味が確実に落ちておいしくないのでこれまであまり買わなかったが、宅配生協のトマトの品質が落ちないのはなんでだろうと不思議に思う。

ところが今晩そのプチトマト(縦4つ割にしたもの)を初めてチーズオムレツに加えてみると、、、なんと甘すぎてお菓子みたいな味になって家族には不評だった。ゆういちろうにいたっては残すありさまだった。生でそのまま食べるのがいいみたいである。

夫の出張にかこつけて明日から家族で上京する。ミッションは二つ。アナグラムが施されているという岡ア乾二郎さんの特集展示のアナグラムを解読すべく東京都現代美術館にもう一度行くことと、奥村昭雄・まことご夫妻に阿佐ヶ谷住宅のテラスハウスを設計した建築家前川國男さんとそのお弟子さんの大高正人さんと面識があるかどうかお伺いすること、である。

レーモンドの弟子に、前川國男と吉村順三の両氏がおられ、大高さんと奥村ご夫妻はそれぞれのお弟子筋にあたっているので、もしかしたら交流があったかもしれないと思ってのことである。で、そもそもなぜ阿佐ヶ谷住宅にこだわるかというと、日本の建築の近代のことについて知りたいからである。

『奇跡の団地 阿佐ヶ谷住宅』がとても参考になった。戦後の近代建築といえば、団地、ニュータウン、公団(現・都市再生機構)の営みを無視して語ることはできないだろう。奥村ご夫妻と私たちを結びつけた縁も、そのライン上にある。

ホテルは、山の上ホテルにした。設計はアメリカ生まれの建築家ヴォーリズ(1880〜1964年)である。近代建築について急に勉強したくなったのだ。勉強したい病にとりつかれると、例によって例のごとく、まずは大騒ぎしてしまう。自分でも呆れるほど健康で文化的な生活を享受している(笑)。
3月16日(火)

・ひき肉カレーとナン
・大根と八朔のピクルス(いただきもの)
・茹でオクラ、マヨネーズ添え
・茹でエンドウ豆

冷凍庫を確認すると冷凍ナンが場所を占めているのが分かったので、たくさんスパイスを利かせたひき肉カレーを作った。煮込み時間がそんなにとれずあまりにしゃばしゃばだったので、仕上げに、固形のカレールーを2かけだけ入れてとろみも出した。いつもより優しい味になった。固形ルーだけで作ると油分が多すぎて体調によっては胃もたれすることがあるけど、とろみづけに少量入れる分には、胃もたれが防げていいかもしれない。

ゆういちろうと一緒に風呂に入り、足の爪を切り、寝かせつけ、食事の後片付けをして、、、などしていると、あっという間に11時になってしまった。夜の「勉強時間」が思うようにとれない。もっと効率よくできないかとも思うが、ここを効率化すると子どもと他愛のない話しをする時間を削るしかなくなるから、長い目で見たら非効率的だと世の中では言われる時間の使い方をしていたほうが「得策」のような気がする。思春期に手がつけられなくなるのは困るから。←あくまで損得勘定をしてしまう、自分のさもしさよ。

風呂場でからだについた石鹸を洗い落としながら、おもむろにゆういちろうが、「お母さん、罪って何?」と聞いてきたことには驚いた。まず情報源を聞いてから(どうやらアニメか漫画のキャラクターらしい)、罪(悪いことをすること)と罰(それに対してお仕置きされること)の関係について説明した。分かってくれたらいいのだけど。
3月15日(月)
・ごはん
・しじみの味噌汁
・回鍋肉
・たっぷり野菜のきんぴら風炒め物
・プチトマト
・納豆(ゆういちろうのみ)

ゆういちろうのまた別のお友達のおばあちゃんが、回鍋肉と野菜のきんぴら風炒め物を差し入れしてくださいました。今晩は、ちょうど夫が宴会で不在のため、おかずを作らないで済み、大変助かりました。回鍋肉はあれよあれよという間にゆういちろうがほとんど食べてしまいました。

野菜のきんぴら風炒め物は、いままで食べた野菜炒めのなかで一番おいしかったです。きんぴらほど辛くなく、ほんのり八角かなにかのスパイスが効いていて、いくらでも食べたくなる味でした。ごぼう、れんこん、人参、かぼちゃ、カラーピーマンとたくさんの種類の野菜が入っていました。少し大き目に切ってあり、これくらいの大きさのほうがしゃきしゃきしておいしいんだ!と思いました。勉強になりました。


3月14日(日)
・スパゲティ・ペスカトーレ

ゆういちろうのお友達のうちにお呼ばれして、家族で乱入させてもらいました。昼間お邪魔したのはもしかして初めてだったかも。気持ちのいい明るいお部屋で、私はすっかり気分よくなり、いつになく饒舌に話しこみました。建築は、場の雰囲気を作り出し、人間の在りようを規定する本当に大事な営みだと思いました。

話し込みすぎて帰りが少し遅くなったので、夕飯は駅前のイーオン内の店で簡単に済ませました。
3月13日(土)

・日本酒
・ごはん
・豆腐とたまねぎの味噌汁
・鶏の酢照り焼き
・まぐろ山かけ
・ほうれん草のおひたし
・いかなごのくぎ煮

夫が作ってくれた。ありがとう。和食が食べたかったのでうれしかった。



いかなごのくぎ煮は、同じ研究所に勤めるランチともだちである先輩研究者の旦那さんのお母さんによるお手製である。瓶に貼ったシールも手作り。すごいなあ。お味のほうは、ものすごい好みの味で、ご飯が進む進む。最近いただきものに恵まれている。

午後からツキデ工務店の現場監督のFさんがお見えになり、アフターサービスの一環として、ほぼ2年ぶりに我が家の「一年点検」をしてくださった。不具合をいろいろ見て、直せるものはその場で直し、専門的な手助けが必要なものは後日対応してくださることになった。来週奥村ご夫妻にお会いできることになったので、私はてっきりまことさんより指令が飛んで、慌ててFさんがやって来たとばかり思っていたが、全然そんなことはなく偶然の一致だった。奇遇である。

以下は、庭の鉢植えの最近の様子である。



路地でトロ箱園芸をやっているおばちゃんが、よく卵の殻を乗せている。単植にしたアスナロの足元がさびしかったので、それをまねしてみた。一個だとバランスが悪かったので、一周ぐるりと置いてみた。カルシウム過多にならなきゃいいのだが、見てくれのほうを優先した。



葉牡丹とパンジーのこんもりしている中から、チューリップが芽を出している。土手の下に置いた。優しい色合いになることに留意した。散歩する人がこれを見て心が和んだらどんなにいいだろうかと思う。



ゆういちろうが選んだレッドアイという渋いパンジーをどうすれば活かせるか考え、赤白黒という私の好きな組み合わせにすればいいんだとあるとき思い付いた。結果はご覧の通り。パンジーのひらひら感もちゃんと出て、渋さとかわいさが共存、しかも78円×2株と大変経済的で、自分では気に入っている。門のところに置いた。
3月12日(金)

・トマトとしめじのタリアテレ
・昨日の残りのミネストローネ
・鮭の燻製&春菊

奥村ご夫妻の贈り物の中から、今晩は鮭の燻製をいただいた。いやあ、本当においしいのよ。ハムレークン作ってくれないかなあ。ほとんど機能していない北側の庭のなんちゃって畑をつぶせば十分置けるはずだし。夫も、習いに行こうかと少し乗り気になっている。

金スマというテレビ番組で、勝間和代の特集がなされていた。ゆういちろうがテレビをつけっぱなしにしておいて、その特集を知ったのだが、風呂上りのゆういちろうと私がそれを本腰を入れて見ようとすると、つまりソファに座って本格的に見ようとすると、夫は「そんな番組を見るんじゃない。俺はこいつの顔を見たくない」と怒って寝室に行ってしまった。ちょっとぐらい見たっていいのにねえと、私とゆういちろうがまだ見続けていると、「ゆういちろうにそんなもの見せるなんて、それでも親か」と寝室より本格的に激怒した声が届いたので止めた。反対を押し切ってまで、どうしても見たいという訳でも全然なかったから止める分には全然問題なし。

「どしたの?」と二人で理由を聞きに行くと、彼女の言う三毒追放スローガン「妬まない、怒らない、愚痴らない」が気に食わないという。もう少し詳しく聞くと次のような応えがかえってきた。スローガン自体は正しいし、神様、仏様に仕える人たちが一生懸命実践して苦労されていることは理解している。問題は、、、人より金を稼ぎたい、人より幸せになりたいと考えている人が「妬まない、怒らない、愚痴らない」というのはありえない。人より金を稼ぎたいという発想は、妬みの感情がないと始まらない。だから彼女は、平気でうそをつける人なのだ。

それに対してゆういちろうは、お父さんそんなこと言ったらだめだよ、僕はあの女の人のこと好きだよ。だって悪いことした人に勇気をもってちゃんと怒っていたし(注:彼はまだ番組の趣旨を理解していない)、病気(注:メニエール病)にだってなったんだよ。うそつきなんて言ったらかわいそうだよ。

それに対して父親は、「あいつはなあ、人のことを馬鹿だと思っているから、馬鹿が自分の思い通りにならないからって勝手にイライラして病気になったんだよ。ああいうのを自業自得っていうんだ。しかもそういう病気になった自分が偉いって思ってて、可哀想な自分って感じで私生活を電波で売りやがって、とんでもない奴なんだよ」。ゆういちろうは気押されて、「ふーん、そうなの」と言って、とくに反論もせず父親の隣にもぐりこみ、一緒に眠りについた。

私はといえば、、、すぐ反省モードになるのだが、、、、自分の胸に手をあてて振り返ってみると、、、、正直にいうと勝間和代のことを馬鹿にしている。で、その馬鹿が、自分が世間から嘲笑されているのも気づかずに、テレビでどんなふうにしたり顔で自説を展開しているかいっちょ見てみようではないかと、もっといえば、あの人不細工なくせに自分のこと美人だと思っている節があるから哀れで滑稽で不幸な人よねと、イジワルな気持ちで番組を眺めようとしていたことは確かだ。こう反省してみると、夫のほうが人間としてよっぽど上等な気がしてくる。私ってなんてレベルの低い底意地の悪い人間なんだろうと思う。(心がきれいになりたいのに、全然ダメだ。こんなんじゃ天罰がくだってしまう。ごめんなさい、もうしません。)

あともう一つ言えば、「妬まない、怒らない、愚痴らない」については、全然実践できていないということもある。人に対してというより、神様、仏様に対して、妬んだり、怒ったり、愚痴ったりしている。こんなめちゃくちゃなことがまかり通っている世の中で、なぜそんなに平静な表情でいられるんですか(妬み)、悪いことしている奴らをなんで今すぐ止めさせないんですか天罰を下さないんですか(怒り)、問題解決のために手を差しのべてほしいし知恵を授けてほしいのになんでそうしてくださらないのですか(愚痴)、というふうに。だから、とてもじゃないけど人様に対して三毒追放を実践せよというふうに命令できない。実践したいのは山々だけど、まったく自分が出来ていないので。

でも、こういうのって、どうかとも思うのよ。つまり自分ができていないから、人にはとてもじゃないけど言えないという発想をしていたら、例えば、「差別はいけません」と言える人など誰もいないということになって、結局は社会にとってよろしくないような気がする。

まあ勝間和代問題については、「あんたにだけは言われたくないよ」ということが根本問題としてあるから、つい逆上してしまうというか、彼女を見ると平静な気分でいられなくなるのであった。自分の「成功体験」をよくそこまで人に押し付けられるもんだという、要はデリカシーのなさ。とにかく心を掻き毟られる人のひとりである。
3月11日(木)

・ごはん
・ミネストローネ
・生ハム&春菊
・マッシュルームとチーズ入りオムレツ
・大根のぬか漬け

我が家を設計してくださった奥村昭雄・まことご夫妻より、1976年から続いている生ハムづくりの歴史がびっしりと綴られた手紙とともに、ハムレークンによる自家製生ハム(バラとモモ)と鮭の燻製が届いた。本日バラのほうを春菊と一緒に食べたが、美味!! 

手紙には、初期の平窯と現在のハムレークンの詳細図面も添付されていた。よし、いっちょ我が家でもハムレークン建設に挑戦してみるかと、夫がその気になるかといえば、そうでもないようだった。つまり、気晴らしで適当に作れるような装置ではないということだ。

一方で、「誕生日がくると(二人とも10月)80才と82才になる老夫婦の顔を見に行ってみようかな、という方は、来てくださる日をお知らせください。」とも書かれてあって、これに関しては善は急げ、来週家族3人で会いに行こうかという計画が浮上中である。私もちょうどお会いしたいなあと思っていたところだったので願ってもないこと。やりたくないこと、気が進まないことに関しては、なんだかんだといって先延ばしするくせに、こういうことに関しては、私はフットワークがとても軽いのだ。
3月10日(水)

・ごはん
・長ねぎとわかめの味噌汁
・牡蠣のグラタン
・大根のぬか漬け
・納豆(父子のみ)

宅配生協で毎週頼んでいる牡蠣は、相生の海で育って、広島でパック詰めされたものだそうだ。大粒で非常に濃厚な味がする。スーパーで売っているのと格段に違う。生食用だけど、最近は火を通して食べることが多い。牡蠣の季節が終わるまで毎週楽しもうと思う。

原稿もひとまず出し終えた。対外的な仕事はここしばらくまたなくなるので、しばらくご無沙汰していた読書や論文読みにあたろうと思う。晴耕雨読。幸せな時間である。今なぜか頭がいい時期みたいで、人の書いた文章を読んで、その人が何が言いたいかすっと分かる気がすることが多い。私はたまに、失読症を発症しているのではないかと自分でも疑ってしまうような、全く活字が頭に入ってこない時もあり、本や論文が読めるときとそうでないときとの落差が激しい。そういう不遇のときは無理をせず、絵や写真や♪や建物や植物など、字と関係なさそうなものを見聞きして、よからぬ妄想を膨らませることにしている。
3月9日(火)

・ごはん
・しじみの味噌汁
・ひき肉&チーズ入りオムレツ
・もやし炒め
・山芋とろろ
・大根のぬか漬け

上の献立に加え、ゆういちろうは父親の帰りを待つ間にお腹がすいてしまい、昨日の残りのポタージュスープをお椀まるまる一杯と、納豆を一パック食べた。その前におやつとして、遊びに来た友達3人と一緒にポテトチップスやりんごやネーブルオレンジもぱくぱくと。学童保育でもおやつは出たはずである。今からものすごい食欲である。思春期になるともっと食べるんだろうなあ。

宅配生協で、木成りのネーブルオレンジと清見オレンジをそれぞれ「1袋ずつ」注文したつもりが、ネーブルオレンジを「1袋」と「1箱」分注文していたらしく(春らしくボケてた)、今うちには大量のネーブルがある。明日は絞ってジュースにして飲もう。果物に囲まれると、わけもなく気分が高揚するのであった。お猿さんみたいだ。

明日〆切りの原稿の骨格が決まった。今晩は眠いので、明日の朝、一気に書きあげよう。4月からの非常勤の講義の日程表が届いた。どんな学生さんと出会えるのかな。
3月8日(月)

・白ワイン
・かぼちゃのポタージュスープ
・あさりとトマトのスパゲティ
・トマトとモツツァレラチーズのサラダ

夫に指定された通りの献立にした。特にこれが食べたい!というものがないときは、献立を力強く指定してくれたほうがむしろ助かる。

6日(土)〜7日(日)は、学童保育の父母会主催の親子お泊まり会が開かれた。例年30〜40人の参加のところ、今年はなぜか80人近く人が集まった。役員にあたっていたので場を切り盛りする責任を感じていたが、事故もなく無事盛況のうちに終了してほっとしている。直前にリーダー役のご親族にご不幸があって、最新出席者情報等を握っていた方が急きょ来られなくなり、「うわ、たいへんだ!!」というところからイベントが始まった。共同作業をすると、お互いの人となりが自然と分かるものである。このイベントでは、誰ひとりパニックやヒステリーを起こさず、全然嫌な思いをすることなく、気持ちよく、お互い助け合って前代未聞の状況に対処することができた。

終わってみればあっという間であった。楽しかった。これまで話したことのない人ともゆっくり話ができ、人の輪が広がったこともうれしい限りである。子どもたちが大興奮して楽しんだのは言うまでもない。晴れやかな顔を見れば分かる。

ちなみに今日はPTAの最後の下校当番があたっている日だった。これで今年度のPTA関連の義務的なお仕事は終わりとなった。昨日は最後のPTA代表委員会があった。お泊まり会終了後、二日酔い気味の寝不足状態で参加。話の長い方がいて、途中ついうとうとしてしまった。最後の最後まで「態度の悪い奴」として認知されたに違いない。確かにそんな態度じゃダメだろう。ともあれようやく解放されて万々歳である。
3月4日(木)

・ごはん
・しじみの味噌汁
・ひき肉&チーズ入りオムレツ
・きのことキャベツの炒め物
・白菜のぬか漬け

ちゃっちゃっと作ろうとしたつもりが、なんやかんやと中断したことにより、出来上がるまでに1時間半も時間がかかってしまった。結果的にはしみじみとおいしい食事となったのでよかったけど、上の献立の内容でそんなに時間をかけるなんて、主婦としての集中力が足りない。

中断のひとつに、ゆういちろうがつけたテレビに、井本(ゆういちろうと私の好きな女の芸人さん。珍獣ハンター・イモト)が出ていて、つい見てしまったからだ。人の悪口を言うことなく、体当たりのけなげでまじめな芸人さんだと思う。日常生活において、自分でもときどき井本のまねをしているときがある。ゴーグルをつけて「やべ、やべ、やべ、やべーよ」と言いながら、庭の草むらのなかにできた蜂の巣に殺虫剤を撒いたりなど。夫が虫系に弱いので、だいたい私が井本役になるのだ。私だけ外にいて、家の窓越しから他の家族に見られながらの作業。
3月3日(水)

・白ワイン
・ごはん
・昨日の残りの野菜のポタージュスープ
・かじきのソテー、カレー風味
・山芋のフライパン焼き
・もやし炒め

かじきのソテーには、ほんのり風味付け程度にカレー粉を振りかければよかったものを、なんか多いなあと思いつつレシピどおりの分量にしたら、やっぱり多すぎた。しかもゆういちろうのところに集中したみたいで、辛い辛いといって残してしまった。失敗。

ある公募に応募していたのだけど、全然結果が通知されないなあと思って、インターネットで確認したらすでに2月1日の段階で採用内定者がプレスリリースされていたことが判明した(もっと早く自分で調べろ)。20人にも満たない枠に600人以上もの応募者が殺到したそうだ。もちろん私は不採用である。どんな方が採用内定したのかなあと思って見てみると、知り合いはいないが、みなさん「出来る」って感じの方々ばかりで、なるべくそういうモードに入らないよう常日頃心を鍛えているはずなのに、つい

  友がみな われよりえらく 見ゆる日よ 花を買ひ来て 妻としたしむ 

気分になってしまった。したしむべき夫は昼間仕事で不在なので、自分で庭に穴を掘り、前から植えようと準備だけはしていた8つの植物を植えた。そのなかのひとつが、ハシバミである。ヘーゼルナッツがなる木といったほうがいいかしら。ケルトの言い伝えでは、その実を食べると知恵が授かるそうだ。縁起をかついでまで知恵を欲しがるとは、負けず嫌いも甚だしい。だけど本当に今、知恵が欲しい。

ラズベリーも植えた。これは以前ご近所さんが「フランボワーズジャム」を下さり、今まで食べたジャムのなかで一番おいしかった。そこで初めて、フランボワーズとラズベリーと木苺が同じ植物を指していることを知ったのだった。わざわざ自分からジャム追求などしないので、自分がラズベリーのジャムを最も好むということなど知らなかった。何気ない不意の贈り物によって、人生は変わっていくのである。ご近所さんの存在がなければ、自分ちの庭にラズベリーなど植えることはなかったはずだ。

散歩にも出かけた(笑)。比較的近所に素敵な雰囲気の木造のおうちがあることを知った。遠目にも風情ある植栽がなされている感じだったので、参考にさせてもらおうと思って近づいてみたら。。。なんと、「花壇に犬の大便小便させないでください」だの、隣のアパートとの境の柵に「赤ちゃん、子どもの大声、迷惑です!!」だの、看板好きのお宅だった。家や庭の雰囲気は特に神経質というわけでもなく優しげなのに、一体どうしたんだろう。その家の前を散歩する人の気持ちまで落胆させてしまう看板なんて、本当にもったいない。

論文査読のお仕事もしましたよ。コメントの方針が決まって、まずはよし。自分が落とされたからって人を落としてはいけないと、いつになく、甘あまである。
3月2日(火)

・ごはん
・野菜のポタージュスープ
・牛肉のたたき風ステーキ、しょうゆ半生トマトソース
・しめじのソテー

昨晩は、脳を絞るかのように、学童保育の保護者会主催のお泊まり会で子どもたちが歌う思い出の歌の間奏部分に入れる散文詩を考えた。今週末開催なので、ほとんどぶっつけ本番状態である。一年生でも一週間で覚えられるようにしないといけないため、考えすぎた末に、素朴になりすぎたかもしれない。「○○してうれしかったです。**も楽しかったです。」とかね。

夕飯は、生協宅配で届いたたたき用牛肉を分厚めにスライスして、ステーキにしてみた。これでおいしくないと言ったら罰があたる。だけど、費用対効果を計算してみると、普段の食卓では豚肉や鶏肉のほうに軍配があがる。主婦としては牛肉はあまりうちで食べないようにしようと思う。昔はそれがごく普通だったのだから、できないわけがない。そして、ごくごくたまーに奮発して、おいしい牛肉を外食すればいいや。

明日はカジキマグロの切り身(冷凍)で何かこしらえよう。宅配にすると計画性というものが身についてよいわ。家事に采配をふっている感じがするもんね。お天道様にちゃんと顔向けできるような「生活者」であるという感じもするし。

この家に住み始めて1年以上たった頃、お隣のご主人から「ここには住んでいるんですか?」と質問されたことがあり、非常にショックを受けたことがある。本宅はどこか余所にあって、遊びでここにやって来ていると思われていたみたい。そんなにちゃらちゃらしていた覚えはないんだけどな。。。 ということもあり、「日々の生活を大切に生きるのが幸せだと感じます」とか一度でいいから言ってみたいということもあり、せめて食事だけでも意識的に記録し続けようと思うのだ。

この日記は三日坊主で終わると思っていたけど、よく続いている。感心。
3月1日(月)

・ごはん
・たまねぎとじゃがいもの味噌汁
・アジの開き
・温泉卵入り納豆
・大根のぬか漬け
・キムチ

旅館の朝ごはんのような献立にした。ご飯が進んで、おいしかった。それにしてももう3月になってしまった。時が流れるのが早すぎる。

まさかこの日記を読んでくださっているとは思っていなかった方から、女子フィギュアスケート結果に関する私の感想(26日付)と同じようなことを武道家の日野晃先生も書いておられるよと、おしえてくださった(ここのなかの27日付「銀メダル」)。なんだかものすごくうれしい♪

おりしも本日は、3.1独立運動(万歳運動)のあった日である。韓国からの攻撃で、キム・ヨナ選手に対する誹謗中傷が大量に書き込まれた2チャンネルのサーバがダウンしたそうだ。キム・ヨナ選手の誹謗中傷のほかには、浅田選手の点数が低すぎるという書き込みも多数あったそうだ。なんだか非常にヤナ感じだ。

私が言いたかったことは、点数が低かろうが高かろうが、浅田選手のあの演技が見られてうれしかった、幸福感を感じた、ということである。選手として幸せそうに見えるのは、確実に浅田選手のほうだと思うし。だから私は、浅田選手の点数が低いのが許せんという感想は全然持たなかった。そういう問題じゃないんだもん。

じゃあどういう問題かというと、逆だったらどうかということだ。つまり、浅田選手がキム・ヨナ選手のような演技をして、キム・ヨナ選手が浅田選手のような演技をしたとします。浅田選手がぶっちぎりの堂々の金メダルを取ったとき、あまりうれしいとは思わずに、キム・ヨナ選手のほうに共感を寄せることができるのかということだ。もしそうだったら、私は純粋に演技の質だけを見ていることになる。だけど、やっぱり心のどこかで、浅田選手がぶっちぎり金メダルをとれたことのほうをきっと喜ぶと思うのよ。そういう意味でのナショナリズムを問題にしているのです。
2月28日(日)
・白ワイン
・トマトソーススパゲティ
・グリルチキン
・グリーンサラダ

30分で夕食を作って、急いで食べた。NHKの大河ドラマ『龍馬伝』に間に合わせるためである。福山雅治の顔が好きなので、初回は彼の顔を見るためだけにテレビをつけたが、あっという間に番組自体に引き込まれた。舞台でしか見たことのなかった俳優さんも出演されていたり、「お!」と思うことが要所要所で入ってきて、テンポよく乗せられている感じがする。

迅速な津波情報のニュースを見ると思いだすのは、日本のこのシステムが世界中で整備されていたらスマトラ沖地震の被害を劇的に抑えることができたのにという、情報格差のことである。


2月27日(土)
・ごはん
・豚バラと白菜の鍋
・キムチ&チーズ入りオムレツ

小学校の体育館のワックスがけに参加してきた。ゆういちろうの空手の稽古で毎週土曜体育館を使わせてもらっていて、空手クラブは地区のスポーツクラブ連合会に加盟していて、その連合会主催のボランティア活動の一環として卒業式前に体育館をきれいにするために毎年この時期ワックスがけをすることになっている(そうだ)。この手の地味でひっそりとしたボランティア活動があることに喜びを感じる。

庭で2匹のテントウムシを発見した。興奮して撮ったら見事にピンボケ。寒さが戻ってこなければいいけど。庭は今、草が芽吹き、春の気配に満ち満ちている。梅の花も散り始めた。





2月26日(金)

・ごはん
・じゃがいもと豆腐の味噌汁
・ひき肉&チーズ入りオムレツ
・茹でもやし
・大根のぬか漬け

家にあるありあわせのものでちゃっちゃっと作った。7時からのテレビ、フィギュアスケートの女子フリーを見るために。

私はキムヨナより浅田真央の演技のほうが点数が低くても好きなのだけど、スポ根嫌い、バレエ好きということなのかなあ。それとも単に日本人選手を応援したいからなのかなあ。表現の好き嫌いはどこからやってくるのか。哲学的問題に頭を悩ませる今日このごろである。
2月23日(火)

・赤ワイン
・ごはん
・しいたけとたまねぎの中華スープ
・チンジャオロウスー
・青梗菜の塩炒め

夫が本当に久々に夕飯を作ってくれた。ありがとう。ここのところ卒業論文や修士論文の指導で忙しかったからな。少し余裕が出てきたみたいで、よかった、よかった。そして我が家にとっても久々の中華。そういえば最近全然中華を食べてなかった。

ここ1週間ほど岡ア乾二郎さんと建築をめぐってメールのやり取りをしていて、何度かの危機を乗り越え、ようやく最後に岡アさんが素晴らしいまとめをしてくださり、事態は一件落着した。すっきりさっぱり!! ものすごく頭のいい人としゃべっていると、自分もすごく頭がよくなっていくという、あの何とも言えない感覚に浸れて幸せだった。真剣勝負のあとのぐったり感も取れ、これでまた日常生活に戻れる。
2月17日(水)

・牡蠣のチャウダー
・えのきとトマトのタリアテレ

生協の品で作る定番第2弾は、生でもおいしい牡蠣と生タリアテレをそれぞれ使った料理である。ふと我に返るとなぜ日本人なのにこんな料理を作ってるんだろうと思う。だって例えばイタリア人が今日はごはんに味噌汁と肉じゃがよと言っている姿は想像できないもん。

最近では学校給食においてカレーとナンの組み合わせがあるようだ。ゆういちろうが食事中におもむろに、「ナンって知ってる?インドの粉を使ったやつ」と聞いてきて、「どしたの? 給食に出たの? 今日はカレーだったの?」と聞き返したところ、「うん」とのこと。おいしかったかどうか聞くと、すごくおいしかったそうだ。私の子どもの頃はそんなものは出なかったぞ。驚いた。インターナショナル!

ゆういちろうは今日ナンというものを初めて食べて印象に残ったみたい。「○○君は食べたことあるねんて」と尊敬のまなざしで報告してくれた。「ナンもいいかもしれないけど、じゃあこんどの休みの日の朝パンケーキ焼こうか」と言ったら、「ケーキなんていらんわ」と断られた。
2月16日(火)
・ごはん
・しじみの味噌汁
・ひき肉&チーズ入りオムレツ
・茹でもやし
・プチトマト
・白菜のぬか漬け

生協の宅配便のある日だった。定番のひき肉料理にした。定番があると1週間の献立の組み立てが楽だ。主婦業8年目にしてようやく気づいた。やっぱり私は愚鈍なのかなあ。まあ気づいただけいいや。


2月15日(月)
・金目鯛の鍋

休肝日。前日の鍋で余ったカット野菜に冷凍の金目鯛をプラスして、簡単な鍋にした。


2月14日(日)
・お酒いろいろ
・俵おにぎり、いろいろ
・唐揚げ
・マカロニサラダ
・豆腐とトマトのサラダ
・2種類の馬刺し(和風とカルパッチョ風)
・しゃぶしゃぶ

ゆういちろうの同級生のご家族8組を招いて、持ち寄り会費制の気軽な宴会を開いた。大人数の場合は、全部こちらで用意して、さぁどうだ!ってするよりも、持ち寄り会費制のほうがみんな集まりやすいようだ。ちょっとずつコツがわかってきたぞ。

バレンタインデーに開催しても大丈夫かどうか、家族で何か企画していたら申し訳ないと、お誘いの電話のとき最初心配して何人かの方に伺ってみたが、「いまどきそんなことする夫婦はいません」と一蹴されるのが基本反応だった。どこも同じようだ。

おいしいお酒と料理に囲まれ、おとなも子どももそれぞれのペースで楽しんでもらえたかなあ。
2月13日(土)

・赤ワイン
・ごはん
・昨日の残りの野菜スープ
・鶏手羽元の酢照焼き
・昨日の残りのポークソテー、きのこソース(ほんの少々)
・山芋とろろ

生協の宅配便の手羽元が残っていたので照焼きにしたほかは、料理らしい料理もせず、残り物で簡単に済ませた。明日は学童関係者総勢30名近いパーティを企画していて、他にやることがたくさんあり、こういうときスープの作り置きがあると助かる。
2月12日(金)

・赤ワイン
・ごはん
・野菜スープ
・ポークソテー、きのこソース
・昨日の残りの牡蠣のグラタン(ほんの少々)
・クミン風味のトマトサラダ

先月買ったばかりの新しいフライパン(ステンレス製)で厚切りの豚肉を焼いたところ、外はこんがり中はしっとりふっくらと焼きあがった。焼いた後の肉汁の旨味もほぼ100%ソースに移すことができるし、いい買い物だったと思う。結婚してから料理をするようになったが、いまだ、ままごと感覚が抜けず、ぴかぴかの調理器具を見たらやたら欲しくなってしまう。この前はついうっかりサラダドライヤー(セール品)を買おうとして、すんでのところで止めた。もう少し落ち着いた生活者になりたいのに、全然落ち着かない。

あと、魚は和風の味付けが一番好きだから、和食を上手に作れるようになりたい。魚の煮つけや塩焼きがさりげなく食卓にあったら感じがいいではないか。ゆういちろうは長崎では大の魚大好きになる癖に、奈良ではあまり箸が進まない。私はそれを奈良の魚の鮮度に落ち度があるせいにしていたが、たぶんそれは言い訳で、私自身の料理の腕がいまいちで、魚料理に対するコンプレックスがあるからだと思う。つまり私自身、箸が進まないのだ。

魚の料理法として、冬は鍋という大きな味方がある。それが唯一の例外である。けれど最近鍋の気分にならないのは、寒い寒いと言っても春がやってきたからなのかな。
2月11日(木)

・白ワイン
・ごはん
・牡蠣のグラタン
・昨日の残りのマグロのたたき
・クミン風味のトマトサラダ

旗日。夕方ちょっと眠気がさしてベッドでうとうとしていたら、そのまま7時過ぎまで寝てしまった。夫と息子はまだ夢のなかだったが、私は急いで飛び起き、夕飯の支度をした。夫がごぼうが食べたいと言っていたので、ごぼうも入れた野菜ポタージュスープも作り始めたが、出来上がりを待つと夜遅くなるので、スープは翌日に回すことにした。鍋を火にかけたまま食事をした。

次の企画の骨子も思い付き、仕事は面白くてたまらない。お金をもらわないと、こんなに自由に動けるのだなあ。そりゃあお金は欲しいけど、本当にお金って何だろうと思う。もちろん夫の後ろ盾があって行動できていることはしっかりと理解している。もしそれがなかったら、「食べるため」には、今のような自由な身分でいられるわけがない。ただしずっとこの身分を続けるわけにはいかないことも承知している。これから私はどのようになっていくのだろうか。
2月10日(水)

・しめじとトマトのタリアテレ
・マグロの洋風たたき
・れんこんとしいたけのフライパン焼き

今晩も生協宅配で届いた食材で夕飯を作った。生タリアテレはもっちりしておいしかった。帰宅後すぐに下ごしらえだけ済ませた。プチトマトを縦半分に切って天板に並べ、140度のオーブンで40分焼いて水分を飛ばしたのだ。これをパスタソースに加えるとこくが出る。今回のソースは、ガーリックオイルでしめじとプチトマトを炒め、酒を加え煮詰め、しょうゆ一たらしで味付けしたものである。適当に目分量で作った割には、ばっちり味がまとまった。気分良し。

修士論文、卒業論文の季節で、夫の帰りがここのところいつも遅い。大学で外食すると気分がすさむそうで、普段はどんなに遅くても自宅で食べる主義の人なのだが、夜食続きで大丈夫だろうか。

研究所では、いいニュースあり。仲良くしている学生研究者が、たった5人しか採用されないポストに世界中から130人ほど集まったなかでの競争を勝ち抜き、十分な生活費付の留学先が決まったのだ。すごい! おめでとう!! お礼まいりをしなくてはね。でも実を言うと、彼女が落ちる気が前から全くしなかったので、準備で大変そうなときでも「きっと大丈夫でしょう♪」と呑気なことを言い続けていたのよ。自分でもいい勘していると思う。
2月9日(火)

・ごはん
・しじみの味噌汁
・ひき肉&チーズ入りオムレツ
・もやしの昆布つゆ和え
・プチトマト
・白菜の漬物

毎週火曜は生協宅配で精肉を始め食料品が届く日である。今晩は最近定番になりつつあるゆういちろうの好物のひき肉料理を作った。

今回の東京出張は大変充実していた。金曜昼は足利事件の供述分析検討会、夜は原島博先生の別邸でさきがけメンバーの新年会に参加し、土曜は岡ア乾二郎さんをお招きしてのシンポジウムを主催した。いずれも未来へ希望をつなぐ会合となった。たくさんの人々に助けられていると思う。

仕事中はアドレナリンがばんばん放出されていたのか風邪の症状が気にならなかったが、奈良に帰宅後、またもやぐずぐずと再発した。風邪もひけない忙しすぎるからだが一番危険だという説もあり、気が緩んだのはいいことかも。養生しよう。



写真は日曜日に遊びに行ったアメリカ人の友人宅の玄関の様子である。そうか! 鰯の頭の代わりに煮干しを使えばいいのだ。立春である。そうだそうだ! 喪中のため年賀状を出さなかったので、立春大福ハガキを代わりに早く書かないと。。。
2月4日(木)

・ごはん
・昨日の残りのミネストローネ
・ひき肉&チーズ入りオムレツ
・えのき入り温やっこ
・白菜の漬物

このところな〜んか調子が変だと思っていたが、とうとう昼間激しい悪寒がし、水のような鼻水、風邪の症状が出た。食間にいちごとりんごを食べ、食前にねぎ・にんにく・しょうが湯を飲み、食後にはちみつしょうが入り紅茶を飲んだ。もちろん風邪薬も服用。食事は大事だ。からだは温まった。この半年間準備をしてきた重要な企画の本番を迎えるため、明日から東京出張に出かけるので、気合いで症状を抑えてやる。
2月1日(月)

・昨日の残りのビーフカレーライス

このところ雨がよく降る。今晩は特に冷え込んでいる。昨日作り置きしておいたカレーを温めなおして食べた。

どっと気分が沈むに違いない資料にまたもやあたることになった。もちろんそれは研究者にとって得難い経験をもたらすものであるのだが、強靭な精神を必要とすることは間違いなく、今私はピーンと張り詰めた怖い表情をしているそうだ。残りの家族からそう指摘され、仕事を家のなかに思いっきり持ち込んでいることを自覚した。

家事をするときは、意図的ににへらにへらして気を紛らわせたり(夫いわくその意図が見え透いて返って恐怖を覚えるそうだ)、苗木を植えたり、今度の宴会のことを考えたり、楽しいことを想像して仕事内容を忘れるよう努めている。しかも危うくインターネットで仔犬を注文するところだった。アブナイ!

クールにワークライフバランスを保っていられる人って本当にいるんだろうか。私はなぜバランスが崩れそうになるとぎゃおぎゃお大騒ぎしてしまうのだろうか。落ち着け、自分。
1月28日(木)

・ごはん&沢庵
・味噌煮込みうどん

消費期限間近の豚バラ肉をはじめとして、冷蔵庫にある有り合わせのもので、鼻歌交じりにささっと夕飯を作った。かつお昆布だしをとった上で、豚バラやきのこ類からもおいしいだしが出て、今まで作った味噌煮込みうどんのなかで一番おいしくできた。特に新しい工夫を試みていないので、もしかして宅配生協の肉や野菜類の質が本当に高いのかもしれない。いいご縁に恵まれた。

気の早い日本水仙はもう花を咲かせているが、それ以外にも昨秋庭に埋めたクロッカス、ムスカリ、ヒヤシンス、チューリップといった球根類も地面から芽を出した。かすかな春の気配をいたるところで感じる。お花の季節に備えて、花粉症対策のお茶も飲み始めた。待ち遠しい気持ちと、来ないで欲しい気持ちのどっちが強いかといえば、そりゃあ次々と花が咲きほころぶ春本番を心待ちにしている。今年はどんな美しいメルヘンの世界が展開されるのだろうか。植物をいたいけにねじ伏せることなく、庭を通るとき草木一本一本から「あの人が来た!」と祝福されるような質朴な庭でありたいと願っている。
1月27日(水)

・赤ワイン
・ごはん
・昨日のポトフの残り
・キムチ&じゃがいものグラタン
・プチトマト
・生牡蠣

今晩はゆういちろうの好物であるじゃがいものグラタンを作った。上の部分、すなわちいい焼き色のついたとろけたチーズの部分がことのほか好きで、おいしいところをほとんど取っていった。いいなあ子どもは、そんなことをしても怒られるどころか、みんなにこにこしてその行為を見守っているんだもの。子どもの特権だ。同じことを今の私がしたら、人格が疑われてしまうというのに。

禍々しい資料にあたるための武器(文献)を新たに見つけた。丸腰より断然心強い。

おとといその資料を読みながら気分が悪くなったのを心気症的に気に病んでぶつぶつ言っていたら、「どうせあんたは読んでてムカムカしてコーヒーでもがぶ飲みしたんだろう」と夫から言われ、はたと気づいた。半分当たっている。つまり、朝から読み始めその内容にげんなりしてすっかり食欲をなくし、トースト一枚が気づけば朝昼兼用の食事となり、家に独りでいると気がふさぐので外出し、胃が字義通りにムカムカしているからいつものコーヒーではなくカフェオレを頼み、余計に気持ち悪くなって吐き気やめまいを感じたのではないかということだ。

食事は適度な分量を規則正しく摂るようにしないと、仕事の作業効率が結局は悪くなるようだ。徹夜ができなくなったのと時期ほぼ同じくして、昔は単なるおせっかいなお説教としか思われなかった「規則正しい食事」というスローガンがリアルに納得できるようになってしまった。

忌々しい資料にあたっていることの反作用として、いいこともある。それは、友人知人との他愛のない立ち話がとても貴重な出来事のように思えたり、そこかしこどこにでもある植物の芽だしを見つけては幸福感を紡いだり、自分が自由に息を吸いながら生きていることを逐一確かめながら歩いているような感覚を覚えることである。
1月26日(火)

・赤ワイン
・ごはん
・ポトフ
・茹でもやし、ポン酢和え
・コーヒー&いちごのショートケーキ

昨年度までお世話になっていたファンドで購入した物品確認のため、東京から「査察団」がお見えになった。とくに何事もなく和やかに終了した。ほっとした。



今日は夫の誕生日である。好物の生ソーセージと骨付きチキンを使ったポトフを作った。しばらく前にグラタンを作ったときに余った「パン粉と粉チーズと乾燥パセリを混ぜたもの」も鍋に投入した。こくが出たと自画自賛している。もやしはゆういちろうがほとんど食べた。ここまで好きかというくらい、もやし好きである。

日曜の平城宮跡で凧揚げした写真をアップするのを忘れていた。ここに載せよう。A Beautiful Day!! と何度も原っぱで叫んだほど、ぱきっとした快晴だった。



1月25日(月)

・平麺パスタ入り魚介のスープ
・ひき肉&チーズ入りスクランブルエッグ
・プチトマト
・大根のキムチ

明日生協の宅配品が届くので、冷蔵庫や冷凍庫の残り物を整理した。平麺はほうれん草を練り込んだ生タリアテッレ(というんだったっけ?)で、先週宅配で届いたものである。しゃれたもの好きとして飛びついて注文したはいいが、分量が2人前しかないことに困っていた。トマトベースのスープに入れたら分量的にも色彩的にもちょうどよかった。

研究者としてもう「研修医レベル」は卒業したかなと思っていたが、どうやらそれはうぬぼれだったようだ。禍々しい資料にあたることに少しは慣れていたつもりが、今回のは毒っ気がありすぎて、途中から耳鳴り、めまい、吐き気がしてきて往生した。全然ダメである。こんなんで大丈夫か。一時の心身症状は治まったが、鏡で自分の顔を見ても、いまだ目が血走っている。目つきが悪い。まずい。

まずはいったんぐっすりと休息して、英気を養い、明日ふたたび取り掛かろう。
1月24日(日)

・鴨鍋
・〆卵雑炊

奈良の休日を満喫した。

凧を買うために何軒か店をはしごした(まさか売り切れるほど人気とは!)。ようやく100円ショップで今すぐにも壊れそうなペロペロな凧を買い求め、平城宮跡で揚げた。ゆういちろうはほとんど初めてにしてはすぐにこつをつかんで、楽しそうに揚げていた。けれども案の定しばらくして重心が不安定となり、取りやめ。その後はサッカーをして遊んだ。平城宮跡は一面の原っぱで人口密度がとても低く、家族で気持ちよく遊べることを再確認した。

西大寺に出かけたら、たまたま秘仏の愛染明王像が御開帳されていてとてもラッキーだった。「私たちの企てが、もし本当にみんなのためになるのなら、どうか力をお貸しください」とお願いした。条件付きのお願いをするのは、余りいいことのように思えないが、自らの無知のために、一部の利益しかならない独善的な企てを最も妥当な方法であると信じている事態も想定したうえで、そうであるならばむしろ企ては失敗したほうがいいので、回りくどいお願いの仕方になってしまった。

昨晩は、新春の恒例行事である若草山の山焼きだった。今年は平城遷都1300年祭にあたる年で花火が盛大に上がるとのことで、ご近所さんも家族総出でお出かけになっていたが、寒いのが苦手な我が家のメンバーは自宅で過ごした。幸い台所の窓から遠くのほうの山の稜線が炎に包まれているのが見えた。

日が昇るのが遅い冬のあいだ、おかげさまで晴れた日は、台所や食堂の窓から日の出を拝むことができる。これまでてっきり春日山のほうから昇ってきていると思っていたが、お隣の若草山からだったのだということが昨晩の出来事で分かった。設計の奥村ご夫妻は設計意図をほとんど何もおっしゃらなかったが、住んでみて細やかな配慮があちらこちらにあることにちょっとずつ気づかされる。たっぷり注いでいただいた無言の愛情をほとんど無自覚のままたっぷり享受しているのが現状だ。
1月21日(木)

・潮鍋
・〆卵雑炊

ある事件の解明に向けて「いよいよ決戦です」というメールをいただくなかで、私も心構えを作る行為の一環として、美容院で髪をきれいにしてもらった。

夕方子どもたちがうちに遊びに来た。目的はテレビゲームである。私には何がなんだかさっぱり分からないのだが、「ようこんなんやるね〜」と悪態をつきながらしばらく一緒に観戦していた。しかしすぐに飽きてしまい、台所に立った。

ゆういちろうも相当癖が強いが、他の子どもたちもそれぞれ独特の癖を持っていて、ぶつかるぶつかる。それでも一緒に遊びたいとお互い強く思っているところが、見ていて胸がきゅんとなるポイントだ。子どもは可愛い。みんな、無事少年時代を乗り切ってくれ! 誰かの心に一生の傷を残すような陰湿ないじめの加害者被害者傍観者に将来くれぐれもならないように。お互い切磋琢磨して心を鍛えるべし。私も大人としてやるべきことはやるから。

夕飯は生協の宅配便で届いた潮鍋セットを利用した。いわしのつみれの具(生)をスプンですくって沸騰したスープに落としていく作業が面白かった。
1月20日(水)

・昨日の残りのチキンカレー
・キムチチーズオムレツ
・春菊とマッシュルームのサラダ

作り置きしておいたカレーがあったので簡単な準備で済んだ。夜半から雨が本格的に降り始めた。地面がしっとりしてくれれば、土手に苗木も植えやすいというもの。暖冬をいいことに、「真冬」なのに植樹熱が止まらない。
1月19日(火)
・チキンカレー
・昨日の残りのれんこんとしいたけのフライパン焼き

生協は何種類もあるということを最近知った。奈良にも6種類の生協があるらしい。宅配をお願いするようになった生協は、流通の過程で肉を一度も凍らせず冷蔵のまま届けるというのが売りのところで、そう言われるとすぐその気になるから私は訪問販売に弱いのだ。夕方信州味噌の販売員もやって来たが、こちらのほうは断った。

自分でするのは甚だめんどくさかったので、自宅の土手と駐車場のグリーンベルトの草刈りを昨日いつもの業者さんに頼んだところ、さっそく本日やってくれるとの連絡が入った。家を建ててから初めて頼んだ草刈りで、そこの職人さんに実際に遭うのは初めて。どんな人が来るのかなあと思っていたら、お二人ともかなりお年を召しているであろう老夫婦がやってきて、最初は戸惑った。だって十分動ける若いもんがお年寄りをこき使っているみたいで、ものすごく自分が悪いことをしている気持ちになったから。

ところが話を伺うと昔からここの宅地の世話をしてきた人たちで、今後も自分たちに草を刈らせてくれとストレートに表現されたので、それだったらこれからもずっとお願いしようという気になった。「お年寄りに悪いかも」と思うほうが、失礼な話かもしれないからだ。

ご近所のなかには、「え〜刈っちゃうの」という意見の方もいて、私以外にも枯れ草の風情を楽しんでおられた方がいてほっとした。とはいえすっきりと草を刈りつめたのは、美しい新緑を期待してのことである。もう私の頭は春のことでいっぱいなのだ。過去に未練はない。阿蘇の草原のように野焼きできたらいいのにと思うが、住宅地でそんなことをしたらど顰蹙なのでもちろんやらない。自分で植えた草花がいくつも手違いで刈られたが、まったく悪びれる様子もなく「根があるから大丈夫やわ」と楽観的なおばあさん、そのことばを信じることにした。

生協の宅配で届いた鶏ぶつ切り肉を使って安直カレーにした。


1月18日(月)
・ごはん
・大根とひろうすの味噌汁
・肉じゃが
・れんこんとしいたけのフライパン焼き

最近のマイブームがれんこん。フライパンでいい色がつくまでじっくり焼いたら、和風ポテトチップスのようになる。これはいける。先週いきおいで多目に買って余らせた少量のすき焼き肉を解凍し、肉じゃがを作ったら、たとえいつもより少量でも非常においしくできた。質である。
1月17日(日)

・フレンチディナー

今日は明日香村の亀石を見て石の力をもらおうと夫が言いだし、私は賛成、ゆういちろうは大反対と意見が割れた。そうこうしていると運良く、学校のお友達から遊びの誘いの電話が入った。ゆういちろうをそのお友達のお宅にあずけ、私たち夫婦だけで明日香村へ出かけた。自宅から車で1時間ほど走ったところにあった。もっと遠いかと思ったが、意外と近かった。



田んぼのある風景。懐かしい。



亀石。顔の部分だけきりりと細工して、他は素のまんまの巨石だった。



造り酒屋の裏側の様子である。表はしっとりとした和風の庭であった。美酒、右近橘を購入した。明日香村、かっこいいぞ。自然の風景や家々の佇まいに、庭のヒントがいっぱい詰まっていた。また来よう。

すっかりいい気分になった夫が、夜はフレンチに行こうと言いだし、普段はタクシーを使うところを行きも帰りも歩いて行った。ここでもゆういちろうはタクシーに乗るとへたれなことを言ったが、おんぶしたり両側から手をつないでびゅーっとしたりして歩いたら、みんな機嫌よくあっという間に着いた。私たち、元気パワーをいただいたようだ。
1月14日(木)

・ごはん
・おでん(少々)
・キムチとチーズの炒り卵

あんなに鍋いっぱいに作ったはずのおでんが昨日の段階でほとんどなくなってしまった。2日連続おでんにする予定を微修正して、おかずに炒り卵を添えた。うちで作るオムレツ崩れのような卵料理を炒り卵と呼ぶかスクランブルエッグと呼ぶかについては、その日の気分で決めている。実家ではそれは「ぐちゃぐちゃ卵」と呼ばれていた。これは市民権を得た呼び方ではないので、この日記では使わない。

おっと、夫が帰宅した。夜10時過ぎまで会議があるなんて、大学も大変だ。
1月13日(水)
・ごはん
・おでん

非常に寒い一日だった。OMソーラー万々歳の日々で、自宅にいる限り寒い思いをすることはないが、研究所の建物内は底冷えしていてからだに堪えた。今晩はとにかくあたたかいおでんが食べたかったし、熱い湯船に浸かりたかった。昆布、かつお、鶏肉からおいしいおでんだしを取った。今は願いがかなって何よりの気分である。外は風がぴゅーぴゅー鳴っている。今晩凍死する人のことが一瞬頭に浮かぶが、自分の安眠のためにその手の想念を退ける。


1月12日(火)
・白ワイン
・ごはん
・豆腐とたまねぎの味噌汁
・さばの塩焼き
・スモークサーモン
・春菊とプチトマトとマッシュルームのサラダ

久しぶりに塩さばを焼いて、たっぷり大根おろしを添えたら、夫にもゆういちろうにも好評だった。焼き鮭や塩さばを朝食兼弁当のおかずにすることはあっても、夕飯に出すことはあまりなかったが、今度から夕飯にも積極的に取り入れよう。物事を単純にしていこう。
1月11日(月)
・日本酒
・すき焼き
・〆うどん

三連休最終日の今日、うちから車で10分ほどのところにある唐招提寺に初めて出かけた。とてもすっきりとした空気の流れる気持ちのいい場所だった。



夫、ある場所でいきなり号泣。びっくりしてどうしたのか聞くと、芭蕉の句
 「若葉して 御目の雫拭ばや」
を前に、民を救うために尽力した鑑真の苦労が偲ばれて目頭が熱くなったそうだ。私はといえば、率直に美しい植栽の仕方に感嘆してばかりだった。自分の庭作りにどう活かそうかと煩悩の塊。



鑑真廟の前の林床には、一面に苔が生えていて一瞬緑の水の中にいるかのような錯覚を覚えた。



鬼瓦の迫力ある表情に圧倒された。鬼や龍を見てやたらに怖いと思う時があるが、それって私の心のなかに邪鬼が棲んでいるということかなあ。

帰りがけに境内のお土産物売り場で、瓊花(けいか)という中国原産の花の香りを再現した線香「天平香」を購入した。すっきりと渋い甘みのある香りがとても気に入った。さっそくうちに帰って焚いて楽しんだ。祖母や祖父が亡くなって、必然線香の匂いを嗅ぐ機会が多くなったのだけど、線香の落ち着いた香りが実は好きであることに気付いた。

ゆういちろうも線香がどこかで焚かれると、「いい匂いがする!」と言ってすりすり近寄っていく。私たちから特に何も言われなくても実家に帰って真っ先にするのは、仏壇に線香を上げに行くことである。これにはもちろん故人を偲ぶ気持ちやまわりの大人から偉いねと褒められたい気持ちもあるのかもしれないが、本来的にろうそくの光を見たり線香の匂いが好きだからではないかと私は思っている。

夕食は、本当に牛肉が苦手になったのか確かめようと夫が発案し、上等な肉を奮発して、すき焼きにした。前回とはうってかわって幸せにおいしかった! 牛肉そのものが苦手になっている訳ではないことが分かった。今年はなぜこんなに牛肉に対してムキになっているのか、自分でも謎である。もしかして去年の夏を境に肉断ちを意識しすぎた反動なのか? 

食後、窓を全開して空気を入れ替え、お香を焚いて肉の匂いを消したつもりだったのに、風呂上がり後のバスタオルにまですき焼きの匂いが染みついていた。


1月10日(日)
・日本酒
・たら鍋、白子付き
・〆卵雑炊

この日は魚と決めて、さっぱり系のたら鍋にした。白子も手に入ったので入れたけど、夫とゆういちろうには不評だった。

午前中はPTAの代表委員会に出席した。お母さん同士のお付き合いに関しては、まったくもって修行中の身、ミステリアスゾーンである。
1月9日(土)

・赤ワイン
・ごはん
・コンソメ野菜スープ
・ビーフステーキ、トマトしょうゆソース
・マッシュポテト

レストランって気分でもないけど、なにかしら「おもい」食事がしたいということになり、ステーキにした。筋の多い安い肉でも半生のトマトソースをかけるとおいしく感じられるので結婚して家事をするようになって以来よくこのソースで作ってきたが、今日は途中からお腹がいっぱいになった。特に脂身がだめだった。そういえば子どものときは脂身が苦手で、成人してから「あれ、おいしいかも」と思うようになったのだった。大好きだったはずの牛肉がこうやってまた縁遠いものになっていくのかなあ。

私が物心ついたときから祖母は肉が苦手でほとんど口をつけなかったのだけど、70歳か80歳のある年、病気を克服して退院してからというもの人が変わったかのように肉が食べたいと言うようになった。私もかなり年を取るまで牛肉とは控え目なお付き合いをするようになる気がする。晴れの日に、ほんの少し上等なお肉をいただければ、それで十分。

バーベキュー用の炉を庭に作るのを半永久的に諦めた代わりに、七輪を買おうかという話も出ている。近い将来それで魚を焼くようになるかもしれない。あんまり大きな声で言えないけど、焼き肉パーティで一番おいしかったのは網焼きしたししゃもというときもあったくらいだから。
1月8日(金)

・昨日の残りのチキンカレー
・長芋のサラダ

カレー三日目。大鍋にたっぷりと作ったので今晩までもった。最小限の夕飯準備で済んで楽だし、おいしいけど、さすがに飽きた。

今日はPTAの下校当番があたっている日だった。12時10分で学校は終わるのだが、その後ゆういちろうを学童保育にあずけず、一緒に帰ってきた。昼食後同級生の男の子がうちに遊びに来て、部屋でゲームをしたり公園でサッカーをしたり、夕方まで一緒に遊んだ。昨日も別の男の子が遊びに来たし、ゆういちろうは生活を楽しんでいる。いいなあ小学一年生は。

私はといえば気の重くなる仕事をかかえ、いろいろと言い訳しては気分転換ばかりしている。今日は日中暖かったので庭の枯れ草刈りをした。鎌を使ってざくざく刈っていくと、取り掛かる前はめんどくさがっていたのに、思いのほか気分がよくなってきた。無心になれるのがよい。庭に植えた草木リストを見ても、よくまあこれだけ植えてきたなと思う。私の想念の大半を庭はやさしく受け止めてくれているのではないか。なんでこんなに植物が好きなんだろう。
1月7日(木)

・昨日の残りのチキンカレー
・長芋のサラダ
・茹でオクラのしょうゆマヨネーズソース

昨日ルーから手作りしたカレーは昨日よりおいしくなっていた。しゃばしゃばしているのにコクがある。この味は誰かに食べてもらいたいなあ。カレーパーティを企画しようかなあと本気で考え始めたほど、気にいる味に仕上がった。

付け合わせに短冊切りにした長芋にオリーブオイルをたらして塩コショウで味付けしたものを出した。これは作った直後が塩が効いて断然おいしいので、タイミングに注意。もともとは素揚げした長芋(和風フライドポテト)にカレー塩をつけて食べるという居酒屋メニューに由来するのだけど、カレーに合わせるので、揚げるのではなくちょびっとだけ油を垂らし、シンプルに塩コショウするというやり方を採った。こちらも簡単でおいしいよ。
1月6日(水)

・インド風チキンカレー
・プチトマト
・ゆで卵

今晩のカレーは市販の固形ルーを使わず、たまねぎをじっくり炒めるところから始めた。自分で言うのもなんだが、今年は料理上手になれる年かもしれない。こういう味を求めていたんだよな!というものが出来上がる確率が心なしか高いような気がする。

明日から小学校の新学期が始まる。昼間はゆういちろうと二人きりで過ごした。宿題の追い込みを3回ほど大声をあげながら手伝った後、公園に行って二人でサッカーボールの蹴りあいをした。

宿題をめぐるゆういちろうのぶつぶつ文句言いは質量ともに天下一品ではなかろうか。たいていはやりたくない言い訳をうんざりするほど言い続けるのだが、たまに、確かにそれはそうだなということも言うので侮れない。たとえば平仮名の表記法で、「はなぢ」と「はなじ」はどっちが正しいかという問題を間違ったとき、ち(血)に点々がついたら「ぢ」でしょうがとガミガミ諭したら、じゃあなんで「じめん」は「ぢ」じゃないの、土地の地(ち)なのにと日ごろの疑問をぶつけてきたりする。

面白かったのは、「お母さんな、こっそり悪いことをしても地獄へ行くねんで。よう覚えとき」と、どきりとすることを言い始めたときだった。「地獄には7つの種類があってな。血の池地獄と、針山地獄と、○○地獄と、あとー、おやじギャク地獄」、本人はずっと神妙な面持ちで私に説いていたのだが、その瞬間私のほうが「なに!!」と話を遮ってしまった。

誰がそんなことを教えたのか、まさか**先生(担任の先生)じゃないでしょうねえと聞いてみると、普段はたいてい「自分で」と言って本当のことは教えてくれないのだが、こちらの真剣な眼差しが効いたのか「かいけつゾロリだよ」と教えてくれた。かいけつゾロリシリーズは、図書の授業の際、学校の図書館でよく借りてくる本なのだが、もうすでに親の知らないところでいろいろな知識を得ているのを実感した。ただしまだ「おやじギャグ地獄」が冗談であるということは理解できていないみたい。本気でそういう地獄があると信じていたから。確かに地獄といえば地獄。絶対に行きたくない。
1月5日(火)
・かにしゃぶ
・〆うどん

正月休み最後の晩餐はカニにした。出かけずにうちで好きなものを作って食べるのも、いいものだと思った。

家の片づけの続きをしたら、またもや車一台分のゴミが出た。我ながらすごいぞ、いろいろな意味で。家のなかが片づき始めたら、片づいていないところがどんどん気になってきて、この調子じゃ本当にすっきりさっぱりするかもしれない。次なる難関は、仕事部屋の机と棚と本棚の整理整頓(本の並び変え)と、洗面所の棚を整理整頓してタオル類を全部収納してしまえるようにすることである。

年末の大掃除の際、夫が窓と台所全般をぴかぴかにしてくれたのが、私の気分の良さ、片づけ熱につながっている。こうなったら家の内と外をすっきりさっぱりぴかぴかにしよう! 枯れた雑草もきれいに刈って、春の新緑を迎える準備をしよう。


1月4日(月)
・ごはん
・ビーフシチュー
・トマトとモツァレラチーズのサラダ
・2色なます
・牛肉のたたきとローストビーフ各々少々

新婚以来愛用してきた鉄のフライパンが焦げ付いてしょうがなくなったので、新しいフライパンを買った。テフロン、鉄と続いたので、今度はステンレスのフライパンにしてみた。使いごごちはどうなんだろう。オムレツがうまく焼けるようになりたいなあ。

ついでに地下におりて、牛肉のたたきとローストビーフをちょっとだけ買った。前日久々に牛肉を食べたらすっかり舌が牛肉を求めてしまったのだ。ゆういちろうがその大半をさらっていった。
1月3日(日)

・赤ワイン
・ごはん
・ビーフシチュー
・トマトとモツァレラチーズのサラダ
・2色なます



庭は全般的に冬枯れているが、菜の花の咲いたところだけ温かい日溜まりができているような錯覚にしばしば陥る。この季節に鮮やかな黄色はとにかく目立つ。全くの異空間を作り上げている。さりげなく菜の花なんてありえない。こんなにも人工的な匂いがするとは思わなかった。いっそのこと来年は表の庭全体を使って菜の花畑風にするか、それともすぱっと止めるか、どちらかにしよう。

前日から赤ワインに付け込んでおいた牛肉をじっくり煮込んだら、とてもおいしいシチューが出来た。ひさびさの牛肉である。鍋を火にかけている間、庭の見回りをしたら、外にもいい匂いが漂っていた。自分のうちなのに、このうちの子になりたい、早く家に帰りたいと思ったくらいである。
1月2日(土)

・ごはん
・おせち数種

2日間朝夕とおせちを食べ続けて、だいぶ飽きてきた。市販のおせちはあまり好きでないものが含まれているからすぐに飽きるのだと今まで思っていたが、自分たちの食べたいものだけ作ったはずのおせちでも飽きたのだから、好き嫌いとは別の問題だということが分かった。あとは温度の問題か。ぶりや鴨を温めなおして食べたら、冷たいままより断然おいしく感じた。



器を変えて楽しんだ。久々に古いお猪口も使った。私は向かって左二つ、はっきりと濃く筍の図案が描かれているものが好みで、夫は右のにじんだ葡萄の絵が好みである。今年は集めるのではなく、ちゃんと器を使おう。

祖父の喪中のため初詣には行かない代わりに、近くにある平城宮跡(原っぱ)を散歩した。ここは観光地というより地元の人間の散歩道となっていて、お正月ということもあり凧揚げをしている人が多かった。
1月1日(金)

・鍋雑煮
・おせち数種

今年は節約のため正月は外出せず、おせちも外注せず自分たちで作った。重箱も巻き簀も持っていないため、あるもので何とかそれらしくしようと知恵を絞った。2色なますも非常に簡単な割には、柚子の器に入れると見た目も味も非常によいものになった。







あれれ海老を反対向きに並べたみたいである。写真にして初めて気づいた。伊達巻は初挑戦だった。父の釣った鯛をすり身にして入れた。

下に敷いた笹の葉がいい感じでしょう? お隣さんの庭に生えているものがうちにも侵入してきたのだけど、笹は好きな植物なのでそのまま生えたいようにさせている。それが役に立った。そういえば、(奥村)まことさんが料理に使うため北側の庭の隅に南天を植えてくれたのだった。来年は南天の葉もどこかに利用しよう。

最後になりましたが、お世話になっている方々へ。どうぞ引き続き今年もよろしくお願い申し上げます。