料理ネタ


過去ログ


2011年


Let it be to me according to your word
とても難しい道ですが、これで行きます。

2011.12.31



以前誤って茎を折ってしまったマリーゴールドの枝を水差しにしておいたら、あれよあれよという間に根が生えてきて、蕾がつき、花まで咲いた。葉牡丹と一緒に寄せ植えの鉢に使われ、玄関先に置かれた本家本元の株のほうは、ここのところの寒さのせいででどす黒く変色し枯れてしまったのだから、生き延びるために何が幸いするか分からないなあ。折ってしまったときはこの世の終わりのようなことをしたと植物に謝ったのに、かえってそちらのほうがよかったみたいなのだ。

片づけ、ゴミ捨て、大掃除、年賀状書き、お節料理の準備と、この時期にやるべきことを家族全員で手分けして取り組んで、本日ようやく大方の目処がたった。ほっと一息。明日は、タンスの防虫剤と乾燥剤を入れ替え、お節を完成させ、最後台所をきれいにして終わり、となる予定である。てきぱきてきぱき。

昨日と今日の食事は、冷凍食品や缶詰を処理していくような間に合わせ的なものが多かった。でもね、昨日の冷凍牛肉コロッケや今日の冷凍秋刀魚も、揚げたて焼きたてを食べればとてもおいしいかった。来年を先取りして龍の絵柄の皿にあつあつのコロッケを乗せ、ドライパック缶詰のひじきや大豆を使った煮物と合わせたら、十分満足した。龍とコロッケは意外とよく合うのよ。どちらもどこかひょうきんだからかなあ。(下の写真は盛り付け前のものです。)



書こうか書くまいか迷ったけど、やっぱり書いておこう。一昨日なんとまた植木の盗難に遭ったのだった。前回と同じく盗まれたのはスダチの苗。値段からするとよっぽど鉢のほうが高価なのに、全く前回と同じパターンで、苗だけ忽然と消えていた。よっぽどスダチが好きなのかしらね。マニアックな手口からしておそらく同一人物によるものだろうけど、これ以上変に気に入られても大変なので、念のため警察に被害届を出しました。スダチが捨てられていなければよいのだけど。

この年末は、人生史上初、第九に涙するかも知れない。今晩から聴いてしまった。喜多尾道冬さんの日本語訳を書き写そうと思う。



 ≪歓喜に寄す≫

  ああ友よ、そんな調べではだめなのだ!
  声を合わせてもっと楽しく歌おうではないか、
  もっとよろこびにあふれる調べで!

  よろこび、それは神の発する美しい花火、
  楽園の遣わす美しい娘、
  わたしたちは熱い感動の思いに突き動かされて、
  気高いよろこびよ、おまえの国へ歩み入る!
  おまえは世のしきたりがつめたく引き裂いたものを、
  不思議な力でふたたびとけ合わせる。
  おまえのやさしいつばさに懐かれると、
  すべてのものは同胞(はらから)となる。

  心の通じ合える親友を得るという
  むずかしい望みのかなったものも、
  気だてのやさしい妻をめとることができたものも、
  よろこびの気持ちを声に出して合わせよ!
  そうだ、この広い世のなかでたったひとりでも
  心をわかち合える相手がいると言えるものも和すのだ!
  だがそれさえできぬものは、よろこびの仲間から
  ひと知れずみじめに去って行くがよい。

  すべてのものは自然の胸にいだかれ、
  その乳房からよろこびをいっぱいに飲んでいる。
  操正しいひとも邪(よこしま)なものもみなすべて
  ばらの香りに誘われて自然のふところへ入って行く。
  自然はわたしたちにくちづけとぶどうと
  死の試練をくぐりぬけた友を与えてくれた。
  快楽などはうじ虫に投げ与えてしまうと、
  知と正を司る天使が神のまえに姿をあらわす!

  よろこびにあふれて、ちょうど満天の星々が
  壮大な天の夜空を悠然とめぐるように、
  同胞よ、おまえたちも与えられた道を歩むのだ、
  よろこびに勇み、勝利の大道を歩む英雄のように。

  たがいにいだき合うのだ、もろびとよ。
  全世界のひとたちとくちづけをかわし合うのだ!
  同胞よ! 満天の星々のかなたには
  父なる神はかならずやおわしますのだ。
  そうすればおまえたちはひれ伏すか、もろびとよ。
  この世のものたちよ、おまえを創造した神がわかるか。
  満天の星々のかなたに神を求めよ!
  星々のかなたに神はかならずやおわしますのだ。


2011.12.30



東京で大事な仕事があるために、ゆういちろうを岡山の実家にあずけていた。仕事のほうはおかげさまで無事というか大成功に終わり(やりましたよ!!)、昨日その足で迎えに行き、今日ゆういちろうと一緒に奈良に帰って来た。

今朝は良く晴れて、庭に出てみると、たくさんの木の実が成っていた。祖父は、小さな赤い実のなる木を好んでいたことを思い出した。一番上の写真は、老爺柿(ろうやがき)である。父によると最も色鮮やかだった時期は過ぎたそうである。

下の3枚の写真は、上から順番にそれぞれ、美男蔓(びなんかずら)、真弓、バラの実である。母が台所の花瓶に無造作な感じで、バラの実と黄色の家菊と紅葉したカシワバアジサイを一緒に活けていた。和風とも洋風ともつかないとてもいい不思議な雰囲気を醸し出していた。







冬に赤い木の実が成っているのを見ると、どんなに寒くても、やっぱりどこか豊かでうれしい気分になる。

小さい頃は洋風のお姫様風ベッドルームに憧れ、うちが洋館だったらなあとか、今から思えば不届きなことを本気で思っていた。「美紀にもそのうち和風のよさが分かる」と祖父は言っていたけど、確かに少しずつ分かってきた気がする。(とにかく諸事にわたり、物事をきちんと理解するまでにやたら時間がかかることに自分でも呆れる。よくこんなんで今まで世間を渡ってこれたものである。自分ひとりで大きくなったような顔をしているが、おそらくは、いつも誰かが気づかない間に根気よくフォローしてくれていたのだ。)

今晩は夫がスパゲティを作ってくれた。調理中に、私はダッシュで切らした白ワインを買い出しに出かけた。 2011.12.27





すでにある程度形の整えられた葉牡丹の苗を買ってきて、なんちゃって寄せ植えに仕立てて、お正月の準備をしたり、一足早くクリスマス用ショートケーキを食べてクリスマス気分を盛り上げたり、慌ただしい中にも季節を感じる工夫を施した。

今晩は夫が作ってくれた。ピザやミネストローネをささっと手作りできるなんて、すごいなあと思う。私の場合は、ピザを自分で作ろうものなら、鬼の首を取ったかのように大騒ぎして恩着せがましく作ると思う。

今年度最大の研究成果となるであろうワークショップを開くために、明日から東京出張に出かける。各方面のご協力があって初めて成立するとても贅沢な企画であり、まずはご厚意に対して粗相のないようにしなくてはと、気合が入る。いくら勘違いしやすい私とはいえ、これを当たり前と思うほど、鈍くはないもの。(ワークショップの成功に尽力するのは当然のことなのでここではごちゃごちゃ言いません。)詳細については、ご報告できる範囲で、ここにもおいおい書いていきたい。

明日が楽しみで神経が昂ぶってきたので、これからゆっくりお風呂にでも浸かって、ちゃんと眠りを取ろうと思う。 2011.12.23

昔ごく普通にあったような炬燵布団に簡単にお目にかかれなくなったことが分かり、柄にもなく、これから日本はどうなっていくんだろうという思いにふけっている。

そういえば最近、ゆういちろうの学校の宿題で、子どもの頃どんな遊びをして育ったかを親に聞く、昔の子どもの遊びを調べるという宿題があったのだった。自分は年をとっていないつもりでいたが、私の子ども時代のことは「昔の」になるんだな、と妙に感慨深かった。

アルバムを開いてみると、本当にまあ、「今は昔」って感じの風景だった。確かに、いまどきの子どもはあまり見たことのない風景だと思う。

お店で服を買うのはとても贅沢だった時代のことだ。多くの人が家族の着るものを手作りしていた。すごいなあと思う。(単純に裁縫する機会があまりないので、私は自分が裁縫が得意とか苦手とか判断つきかねる。私もやればできるのかなあ。それとも若い頃から訓練されていないので、全然ダメなのかなあ。)



上の写真は、1976年1月2日に親戚のうちで撮られたもの。おねえさん、若い!! 私は、晴れ着姿のおねえさんの傍で、とてもうきうきした表情で写っている。間違って思いっきり写ってしまった座敷わらしのよう(笑)。

うーん、昔のものはすべて良いとか言いたいわけでないので、こんなことはあまり言いたくないのだけど、とはいえ、どうしても言いたいので言うけど、最近の子ども向けの着ものは万事派手すぎやしないだろうか。やたらケバいというのか。縞模様でも、上の写真にあるよう子どもっぽい明るいオレンジ色とかにしたら、今でもじゅうぶん女の子の外出着になると思うんだけどなあ。



母がかぎ針で編んでくれた洋服を着ている。これまたとってもご機嫌な表情で写っている。この時期、ズボン姿が多いのはパンタロンが流行っていたせい?



なんかうれしいことがあったのだな。まだおむつをしている頃かもしれない。襟付きのブラウスは祖母が作ったものだと思われる。自分の昔の写真とはいえ、もう自分で自分とは思えないので、客観的に見て、やっぱり女の子がにこっとしている姿はいいなあと思う。自分に娘がいたら、男の子とはまた別のかわいさを身近に発見できたのだろうなあ。

今晩は煮込み料理にした。にんにくとしょうがを効かせた紹興酒とオイスターソースのタレにしばらく漬け込んだ豚バラブロック肉を、白菜、ねぎと一緒に時間をかけてやわらかくなるまで煮込んだ。おいしかったけど、もっと改善できそうに思えた。夫に好評だったのは、よかった。いわゆる男性好みの味だったのかな。 2011.12.22

スパイスのよく効いたカレーとミルクティーをいただきたく、今晩は、去年の今頃隣町の駅前に出来たというインド料理屋で外食した。そんなに辛くないのに食後はちゃんと汗が出て、効果あり!って感じだった。

気分転換に、コロコロコミックに載っていた炬燵の風景を手に入れるにはどうしたらいいかなと考えていた。

今どきの家具調こたつについてくる布団が、私はどうも苦手で(だって無理矢理自分をよく見せようとしているから。なんかとことん無理があるのよ)、昔ながらの普通の絣柄(もんぺ柄?)のこたつ布団がないかなあと思ってネット検索をかけてみても、なかなか見つからなかった。こりゃ自分で生地を探してきてパッチワークでもするしかないのかなと思った。

ところが、ですね、絣をパッチワークするほうがよっぽど高くつくみたいなのだ。炬燵にみかんとくれば半纏でしょう、と少し趣向を変えて、検索してみたところ、コートが変えるようなお値段のついたパッチワークの半纏が売られていた。室内着にもお金をかけるなんて、本物のお洒落ってやつね(笑)。早々と諦めがついた。

結論を言うと、コロコロコミックの世界は、私たちの手にはもう入らない夢の風景を描いているといえる。そうか、ゆういちろうの言うとおり、確かに憧れの世界かもしれない。

あ、あと今日は、ぱく(きょんみ)さんが以前おしえてくれたKの庭というブログで、葉牡丹は一年草ではなく多年草だということを知って驚いた。これまで、春に黄色い花が咲いた後は枯れたと思って、ひっこ抜いて捨てていた。悪いことをしたなあ。無知は罪である。ここを見る限り、生命力の強い植物みたいですね。今度から地植えにして試してみよう。

ここのところ朝晩ぐっと冷え込みますね。就寝前にあったかいお風呂に入って、体の芯まで温めてから眠りにつくことを夢見て、あともう一仕事を終わらせよう。仕事が立て込んでくると、つい外食に頼りがちなんだな。ダメ女モードに開き直るわけでもなく、自分をちゃんと受け入れつつ、この時期を乗り切ろう♪ 2011.12.20



この前の空手昇級試験に合格し、晴れて緑帯になってご満悦のゆういちろうに、さらに昨日の稽古では、手、足、胴の防具類まで届いた。うちに帰ってから私にも、防具類をフル装備したサイボーグのようなカッコいい雄姿を見せてくれた。とはいえ、ソファに腰掛けて足の防具を着けている様は、まるで西洋人の踊り子さんのよう。家具によって人間の所作が変わってくるいい例である。

そして彼は、OMソーラでほんのり温まった部屋のダイニングテーブルで、私とみかんを食べているとき、「うちになんで炬燵がないの。僕は炬燵でみかんを食べるのに憧れているんだよね。炬燵を買おうよ」としみじみとした口調で切々と訴えた。炬燵にみかんの組み合わせをどこで習ったのか聞いてみると、コロコロコミックのなかのギャグ漫画の頁のなかにあったと、現物を持ってきて説明してくれた。

貧乏はもういやだと、豊かな暮らしにあこがれる日本国民の支持のもと、数十年かけて原発依存体質に変えていった老政治家たちは、ゆういちろうのような今どきの子どもの存在が出てくるのは決して予想していなかったと思う。私たちはいつでもどこでもないものねだりしているのかもしれない。

ついでにいえば、「なんで僕のうちには二階がないの?」と、二階のある家にも彼は憧れているからね。きっとそのほうが大きくて立派に見えるのだろう。今のところ私たちは彼に対して、○○のほうがいいとか、悪いとか、建造物に対して先入観を与えるような言説をあまりしていないから、周りからの影響をそのまま受けるのだと思う。「木の家」というのは彼の中ではとてもいいみたいだし。テレビのCMでも、本当にそれを木の家って言っていいの?と思うものまで、木の家はいいというイメージを発信しているからなあ。

今はとにかく現物や現場を通していろいろな物事を経験するほうが大切だと思っている。彼の成長に合わせておいおい、「木造建築」や「日本文化」や「近代文明の輸入」のことやら、私たちの知りうる範囲で教えられることは教えていこうと思う。

今晩は実家の両親が(ゆういちろうを喜ばせるために)送ってくれた九州産の牛肉ですき焼きにする予定である。無くなって初めてありがたみが分かるのだろうが、ゆういちろうよ、今の生活を当たり前と思うなよ。 2011.12.18

今日はこまごまと公私にわたって事務的なお仕事をしました。師走ですね。必要以上に気ぜわしくならないようにしたいなあ。ということで途中気分転換に庭に出て横長ワイド版で花の写真を試してみました。







白椿は苗を植えて3年目にして枝びっしりと花が咲くようになりました。まだ小さいくせに迫力があります。バラは寒さが増すにつれ花の色に凄味が出てきました。マゼンダピンクってかわいいだけじゃないんですね。玄関先の寒咲き水仙はとてもいい匂いがします。お花はそれぞれ個性があります。もしかしたら個の強さは生身の人間以上かもしれません。なんだか三人姉妹を前にしているみたいです。人間が花を手なずけようなんてもってのほかです。

ゆういちろうのお友達が久々にうちにやってきて、4人でテレビゲームに興じています。みかんジュースでも出しましょうか。そのあと、もう一仕事してから、夕飯の準備といきましょう。昨日言ったとおり、今晩はたらこスパゲティにします。 2011.12.16

回覧物の仕分けという自治会のお仕事がさきほど一段落してふ〜っと一息ついた。明日の朝、ご近所の班長さん宅に配って歩こうと思う。1週間に4度に分けてそれぞれ一部ずつ回覧物が回ってきたのだった。その都度真面目に仕分けして班長さん宅に配っていたら目が回っていたとこだが、忙しさを言い訳に少しほっておいたせいで、月曜と明日金曜の2回の配布で済んだ(笑)。特に急ぎのものもなかったので、よしとする。

ここのところ妙に頭が論理的になっていて、夕飯づくりの際も、「おいしいものを食べると幸せになる、ということの裏を返せば、幸せでないときは食事をおいしく感じられないということだな」とか、ざっくりと野菜を食べたいと思うのではなく、根菜類と葉ものをそれぞれたっぷり食べたいのだな、今の私は」とか、いちいち理屈を確認しながら行動していた。

鶏肉とれんこん、人参、ごぼうを酒、塩、しょうゆで薄く味をつけた昆布出汁でじっくり煮込み(途中からとってもいい匂いが立ち上ってきた)、白菜、ほうれん草も投入した鍋は、考えて作っただけあってしっかりと味がまとまった。ゆずポンも手作りしたら大好評だった。「めんどくさ」と思って適当に作ったら私の場合はやっぱりダメみたい。



写真に写っている鍋は、私が大学一年生のとき親元を離れて1人暮らしを始めた頃、下宿先の隣町の駅近くにあった瀬戸物屋で買ったものである。自分でいうのもなんだが、19歳の女の子とは思えない渋い選択の買い物である。安くて渋い安渋路線のこの鍋に対する愛着はひとしおで、大事に使っている。気づけば長い付き合いだな。間違って割ってしまったらたぶん泣くと思う。

福岡に住む従姉から明太子の詰め合わせが届いた。ありがたい!! 今晩は「数の子明太」をほとんどゆういちろうと夫でたいらげた。明日は通常の明太子を使って、たらこスパゲティにでもしようかな。ここで紹介されているレシピで作ったものが一番好き。簡単でおいしいのでお試しあれ。うちでは、2倍の4人前の分量で作って、3人でぺろっと食べてしまう。1年にこの時期だけだもの、たまにはスーパー高カロリー食もよしとしましょう♪ 2011.12.15

先週はいろいろなことがぎゅっとあった日々だった。備忘録として写真を載せる。以下2枚の写真は、12月6日(火)に岡アさんと木原さんと夫と一緒に建築の勉強のために見学したお寺の写真である。上が浄瑠璃寺で、下が岩船寺である。唐招提寺にも行き、端正なプロポーションについて確認した。娑婆との差異がありすぎて困ってしまうくらい、すべてが絵葉書みたいにきれいであった。






12月7日(水)から11日(日)まで学会参加のためタイのプーケット島に行ってきた。学会に出た収穫についてはおいおい研究のほうに反映していくとして(楽しみ!)、ここには学会会場でもあった滞在ホテルの様子を残しておこうと思う。

一口にアジアといっても、世界は広いんだなあと思った(非常に子どもっぽい感想ですが)。列強の直接の支配下にはおかれなかったというタイの歴史的経緯はあるにせよ、南国の島で、ヨーロッパ系の資本(スイス)によって作られたホテルは、熱帯植物を上手にフランス庭園風にアレンジしていて、いかにもコロニアルな雰囲気が漂っていた。正直に告白すると、とても快適に気持ち良く過ごすことができた。

プールサイドにあった、葉の表側は多色の斑入り模様で、裏が銅葉色をした美しい植物の名前を確認しておくべきだった。うっとりするだけでなくもっと詳細に植栽の写真を撮っておくべきだったと今になって後悔しているが、様々な種類の植物を遣い、すべてにおいて細かい技が行き届いていて、日本のお寺の植栽とはまた違った意味で、お見事!というしかなかった。

亜熱帯化が進んでいるので、そのうち日本の庭師たちも真似をし始めるのではないかなあ。将来今よりも経済的格差がぐんと広がり、「金持ちの家の庭はコロニアルスタイル」が定番になるかもね。その流れにどう文化的に抵抗するか、今のうちに考えておかなくてはと、誰にも頼まれていないのに使命感を新たにしたのであった(笑)。

(で、下世話な話題で恐縮ですが、私が全くの世間知らずで知らなかっただけなのだろうけど、)東南アジアのホテルはかなり高級なホテルでも日本に比べたら格段に価格が低く設定されているようなのだ。もうびっくりでした。東京のビジネスホテルに素泊まりするのと同じくらいかそれよりも安いくらいのお値段で、私たちが家族3人で泊まったゴージャスな部屋というか家に泊まれるのであった。おまけにビーチもプールもこれまで泊まったホテルのなかでもっともおいしい朝ごはんまでついているのであった。バブルの頃、なんでお姉さんたちはみんなタイに行くのだろうかと謎に思っていたけど、そういうことだったのか。今頃になってようやく意味が分かった。



私たちが泊まっていたところ。色とりどりのお花も咲いており、外観もとてもきれいだった。見切れているけど、広いテラスには2人用のベッドもついている。



バスルーム。ヘラクレスオオカブトムシの浮き道具を干してあるところは、砂を落とすためか何かのための外用のシャワールーム。写真には映っていないが、もう一つ洗面台が対についていて、ガラス張りの内用のシャワールームがある。室内はこの他に、寝室、リビング、子ども室までついていた。どれもゆったりとしたつくりだった。他にオプションで、屋上にスパのついたヴィラもあったみたいなのだけど、もうこれで私たちには十分すぎるくらい十分だった。



部屋から一番近いプール(その名もココナッツプール)。他にそれぞれ趣向の異なる二つのプールがあって、学会のセッションの合間に好きなだけ泳ぐことができた。広いので、他の学会参加者のご家族と会っても平気でいられた。レモングラスの香り漂うスパもあったのだけど、どうも私は知らない人にマッサージしてもらうのを恐れてしまう性質で、結局行かなかった(夫は行きたがっていたが)。



ホテルのビーチ用の出口を出ると、見られる光景である。波が思いの外、高かった。大人にはちょうどいいくらいの高さで、波乗り感を楽しめるのだけど、ゆういちろうにはとても怖いらしく、「津波だ」と主張して、ほんの少し入っただけで切り上げた。



夜の食事は、ビーチのそばのレストランで夕日が沈むのを見ながらいただけるようになっていた。ゆういちろう用にマイルドに辛さをアレンジしてくれて、ありがたいことでした。セッション終了後すぐの時間帯なので、若い学会参加者はビーチを楽しんでいたことだと思う。

まるで天国のような南島滞在だった。娑婆との落差がありすぎて、少々混乱している。私たちはこのあとどうなっていくのかなあと漠然と不安を抱えながら、でもがんばって自分のやるべき仕事をやろうと決意を新たにして昨日帰国した。しっかり楽しみつつも、こんなに格差があっていいのかなあとやっぱり思ってしまうもの。特にゆういちろうはこれから多感な時期を迎えることになり、私たち以上に世界の在り方について一生懸命考えることになると思う。

おっと長く書きすぎた(笑)。いそいでごはんを作らねば。今日はスパイスつながりで日本風カレーにする予定である。 2011.12.12

学会参加のため7日からタイのプーケット島に来ている。明日には帰国しないといけない。あっという間の滞在であった。えーっと、書きたいことはたくさんあるのだけど、どういうふうにまとめたらいいのかなあ。南国リゾートホテルでの宿泊付き学会参加は初めての経験で、世界はこんなふうになっていたのか、と驚くことばかり。「知識」としては知っていたが、老後は日本を脱出して東南アジアに移住を考えているシニアの層が出てくるのも、じゅうぶんにうなづけた。ごはんはとてもおいしかった。続きは帰国してからにします。 2011.12.10





劇場や美術館がつぶれてしまったらどうしようとか、その他いろいろと、悪い方向にばかり物事を考えていたけど、最近ふっと、何かがふっきれた感じがする。もしも箱ものがなくなったとしても、演劇や美術は残るでしょう、自らの力で生き延びるというかそもそも死なないというか。

11月26日に名古屋で岡ア乾二郎展とポロック展を見てきた。夫とゆういちろうですが、岡アさんの新作タイルを前にして、自分自身のからだに流れる焼き物屋の血が静かに煮えたぎっておりました! 感動的だったなあ。上のゆういちろうの写った写真は、ポロック展のなかで唯一撮影の許されたアトリエを再現した場所である。彼はそこで思う存分踊って楽しそうだった(走らないでくださいと学芸員さんから最後怒られたけど)。これでいいのである。

明日、明後日にかけて、岡アさんと木原さんと研究打ち合わせをする。明日の夕ごはんは我が家にお招きしてご一緒する予定である。ぱくさんがお見えにならないのは残念だけど、高の原会談第一弾としていろいろなことをお話したいなあ。今一番欲しいのは智慧である。

今晩は実家からかなり前に送られてきた大玉のキャベツを食べつくすべく、回鍋肉、スープなど、キャベツづくしの夕食にした。スープには、国分寺の新居でいただいたぱくさんお手製のスパイシーなごはんを思い出しながら、仕上げにカレー粉を入れてみた。ばっちり味が決まって気分がよかった。 2011.12.4



ぐんと秋深まり冬支度が始まりましたね。裏庭はいろとりどりの紅葉で賑やかな雰囲気です。家を建てる際削って出てきた土を全部捨てずに裏庭になんちゃって築山を作ってくださったので、そこにたくさんの木を植えてなんちゃって森になるよう計画しています。剪定をよくすれば、ジャイアント盆栽の要領で、近いうちに森っぽくなるんじゃないかなあ。ほら、ケヤキとかの寄せ植えの盆栽ってきれいじゃありませんか。

写真向かって右は、ジューンべりー(別名シデザクラ、アメリカザイフリボク)です。家の設計段階で桜の木を植えたいなあと言ったら、奥村(昭雄)先生が桜は虫が大量につくから止めたほうがいいよといい、まことさんが「だったらシデザクラを植えたら。赤い実もかわいいし紅葉もきれいよ」ということで裏庭にやってきた木です。

向かって左の赤い幹をした木は、おそらくアカメガシワだと思われます。種が飛んできたのか、ある日、ジューンべりーの根元からにょきにょき苗木が生えてきているのを見つけ、ほっておいたらぐんぐん大きく育ちました。西日よけになるので、そのままにしています。

(表庭は一転して、木を疎に植えています。いつの日か、気持ちよさそうに枝を思いっきり広げた桂の木や柿の木の姿を見せてくれることでしょう。そのときを夢見て、今はやせがまんです。)

休日の朝、少しゆっくりめに起きて、庭をぐるりと1周見回ると気分爽快でした。今日はいろいろとやることがありますが、がんばろうと思います。夜は自治会の定例会議があるので、夕飯は簡単スピーディに済ませることと思います。何にするかはまだ決めていません。 2011.12.3



ちょっと奥さん、もう師走ですよ、びっくりですね〜。庭の木々も次々に色づくってもんです。今うちは、クロバナロウバイの黄葉が見ごろですよ。向かって左下に見える、ご近所さんからのいただきもののクリスマスローズの葉っぱは逆に青々としてきて、今年もたくさんの花が咲きそうです。

この世の終わりのような顔をしてゆういちろうを眺めたのか、一昨日の夕飯時、私の顔を見たゆういちろうは、「探し物は何ですか? うふっふ〜って感じよね。お母さん、井上陽水の1枚目でも聞いたら」と思いっきりからかわれた。合の手のうふっふ〜ってところは、口をとんがらがせて、おしりぺんぺんみたいな憎たらしい表情で、ですよ。まったくもうと思いつつ、実際にアルバムを聞いてみたら、思わず笑ってしまうくらい心が軽くなりました。「夢の中へ」は1973年に作られた曲なんですね。


 夢の中へ    

  探しものは何ですか
  見つけにくいものですか
  カバンの中もつくえの中も
  探したけれど見つからないのに
  まだまだ探す気ですか
  それより僕と踊りませんか
  夢の中へ 夢の中へ
  行ってみたいと思いませんか

  休む事も許されず
  笑う事は止められて
  はいつくばって はいつくばって
  いったい何を探しているのか
  探すのをやめた時
  見つかる事もよくある話で
  踊りましょう 夢の中へ
  行ってみたいと思いませんか

  探しものは何ですか
  まだまだ探す気ですか
  夢の中へ 夢の中へ
  行ってみたいと思いませんか


ついでに GOLDEN BEST の1枚目のCDを最後まで聞いたら、最後の「長い坂の絵のフレーム」という1998年の曲が、それまでの私の極度にメランコリックな気持ち(!)にばっちりフィットする内容であることに気づいた。勝手にしろ自分って感じですね、目が覚めました。ふわふわせずに、ちゃんと地面にたって生きないと。


 長い坂の絵のフレーム

  この頃は友達に 手紙ばかりを書いている
  ありふれた想い出と 言葉ばかりを並べてる
  夢見がちな子どもたちに 笑われても

  時々はデパートで 孤独な人のふりをして
  満ち足りた人々の 思い上がりを眺めてる
  昼下がりは 美術館で考えたり

  誰よりも幸せな人
  訳もなく悲しみの人
  長い坂の絵のフレーム

  生まれつき僕たちは 悩み上手に出来ている
  暗闇で映画まで 涙ながらに眺めてる
  たそがれたら 街灯りに溶け込んだり

  これからも働いて 遊びながらも生きて行く
  様々な気がかりが 途切れもなくついてくる
  振り向いたら 嫌われたり愛されたり

  誰よりも幸せな人
  訳もなく悲しみの人
  長い坂の絵のフレーム

  誰よりも幸せだから
  意味もなく悲しみまでが
  長い坂の絵のフレーム


施設で倒れ、頭を打って入院した長崎の母も本日無事退院し、ほっとしている。ひどくならなくてよかった。さて、今晩は、ミートソースを作る予定である。肉を喰うぞ。 2011.12.1

夜間冷え込みますね。昨日の晩か一昨日の晩、冷えるなあと思って外気温を確認すると、摂氏2度まで下がっていて驚いた。秋を通り越して冬になってしまったみたい。コートに手袋とマフラーをする季節がやってきた。今日は絵を観に出かけた。とてもよい体験だった。



休みの朝、気持ちよく晴れたのでうれしかった。去年はアゲハ蝶の幼虫に葉をすっかり食い荒らされて実が成らなかった金柑だったが、今年は無事であり、実もだいぶ色づいてきた。



玄関のバラの花、おそらく本当にこれが今季最後だと思われる。寒いので果たして蕾が開くかどうか。ともあれまあご覧ください、なんてきれいな色をしているんでしょう。花の色は本当に感動的である。うっとりと見とれてしまう。



急に寒くなってきたものだから、先日慌ててチューリップの寄せ植え鉢を作った。すっかりからだが冷えたものだから、これが風邪を引き起こす直接の原因だったのかもと、自分勝手に推測している。でも球根をそのままにしておくほうが精神衛生上もっとよろしくないので、体調が上向きになった今では結果オーライでよしとする。

明日は朝から自治会の防災訓練があるので、ゆっくり眠って英気を養おう。さぶいんだもの、本音をいえば、みんなさぼりたいはず(笑)。風邪をぶり返さぬよう、厚めのタイツに靴下を重ね、毛糸の帽子をかぶって暖かくして出かけよう。 2011.11.26



夫宴会で遅くなるためゆういちろうと二人で夕食。れんこんのきんぴらとゆず大根(漬物)を食卓に出しておいたらいつの間にか半分近くなくなっていた。不思議だなあ(笑)。

ちなみに私の考案した(!)れんこんのきんぴらのレシピは、お助けサイドメニューになること請け合いの超簡単なものである。スライスしたれんこんをサラダ油で炒め、火が通ったら市販の昆布つゆをまわしかけて味を絡ませ、最後に白ごまをふりかけて出来上がり。れんこんチップス和風味のようなスナック菓子的なおいしさになります。

先日、実家より畑で採れた段ボール一箱分の野菜が届き、最近せっせと野菜ばっかり食べている。からだの中がきれいになる感じ。元気が出る。

さらに前田京子さんに倣って野菜や果実をお風呂にも利用している。昨晩に引き続き今晩も、鍋のポン酢用に汁を絞った残りの柚子の皮(1個分)と春菊(2枝分)をざくざく刻んでネットに入れて、入浴剤として楽しむ予定である。昨日はこれに日本酒カップ1杯を加えて入ったところ、ものすごく効いた。自分が鍋のなかのお肉になった気分であった。体の芯から温まった。ぽかぽか温かいまま布団にもぐることができてうれしかった。

ポン酢を手作りしたのも風邪の功名というやつである。いつもは市販のポン酢を利用しているが、ついうっかり切らしてしまった。でも風邪気味だったのでポン酢だけ買いに外に出かけるのが億劫だった。で、そうだ!うちには柚子があるじゃないかと気がついたのだった。果汁、だし汁、しょうゆを1:1:1で混ぜればいいだけなので、簡単と言えば簡単だし、何よりも手作りしたほうが断然おいしい。うちは柚子3個で鍋1回分ぐらいである。

柚子は買うと意外と高いので、庭木として育てるのが一番いいのだろうなあ。ご近所づきあいをしていると、この時期、急にどっさり分けてもらえることもある。あるところには本当に困るほど有り余るほどあって、ないところには全然ないのが旬の果実なんだろうなあ。 2011.11.25



ゆういちろうの夏休みの観察日記用に学校から持ち帰ったプラスチック鉢入りマリーゴールドだが、手入れが悪くいったん枯れかけたかと思ったところ、秋になって再び盛り返した。徒長した茎の先に咲く二番花は、大きさは控え目になった分、数は増した感があり、かえって私好みの花姿になったような。ところが、昨日、朝顔の鉢の整理をした際、そのマリーゴールドの茎を誤って何本も折ってしまった。そんなに繊細な茎の形をしているとは思わず、がばっと雑にぷら鉢を持ち上げたのがよくなかったみたいなのだ。ごめんなさいとお詫びして、食卓に活けた。現在卓上の花は、誤って折ってしまった植物か切り取られたひこばえの先端枝物で構成されている。

それにしても、なんと澄んだ黄色でしょう♪ 休日の朝。ゆっくりと起きて、カーテンを開けると、とても爽やかな気分になった。

ところが......

午前中は光が射していたのに午後からどんよりしてしまった。これから冷たい雨になるのかなあ。いやだな。低気圧きらい。ゆういちろう、夫と、風邪をリレーしてきたが、とうとう私も風邪をうつされたようだ。からだがだるいし頭は重いしこむら返りまで起きるし。風邪をひく予感は前々からあったので(思考がネガティブに偏る偏る)、むしろ実際に症状が出てくれてありがたいくらいである。風邪が治ると同時に、きっとふさぎ虫も治るであろう。

ともあれ今晩は昆布出汁に、にんにく、ねぎ、しょうが、ほうれん草、白菜、豆腐、豚バラを放り込んだ簡単お鍋にして、邪気を吹き飛ばそうと思う。折しも、週明けから出かけていた東京出張より夫も帰宅する。土産話が楽しみである。 2011.11.23



今朝はぐんと冷え込んだが、よく晴れた。庭を散歩してから玄関からうちに入ると、なんだか家のなかが明るく清潔になっている感じがした。たぶん朝のやわらかい光がちょうどいい感じに射してきたからだと思う。柚子、柿、青リンゴの色も爽やかな気分にさせてくれる。近くを通るとかすかにいい匂いがするのも果物ならではの贈り物である。

食べられる実ばかりではない。サンシュユの赤やコムラサキシキブの紫など、庭の木の実がそれぞれ色づいており、その様子を見るだけでうれしくなってくる。なんなんでしょうね、実が成ると気分がいいのは。太古からの記憶がからだのなかに残っているのかなあ。





おっと、我が家のプリンス、ゆういちろうが学校から帰宅した。「ただいまマンボ!」に「おかえリンゴ!」と応えるのが、帰宅の挨拶(我が家の合言葉)である。ただいまマンボの声のトーンによって、学校でだいたい何があったかが分かる(笑)。最近はほとんど上機嫌で帰ってくるので、学校は面白いのだろう。ちなみに機嫌がすこぶる悪いときは、マンボを外すことすらある。まあ、そういうときは、マンボ!って言いたくないんだろうな。

おっと、こうやってごちゃごちゃ書いているうちにお友達が遊びに来た。これからおやつに、リンゴの皮を剥いて出してあげよう。彼らにとっては私は「お母さん」なので、なるべくよい思い出になるよう留意している。子どもを前にしているときが一番、気を遣っているかな。だって誰にとっても、「お母さん」に優しくしてもらった記憶が大切に残っていると思うのよ。そしてそれがその人の一生を支える記憶になるかもしれないのよ。責任重大だわよ。今の子どもたちに、いい大人もたくさんいたと思ってほしいもの。大女優目指してがんばるわよ、私。

ここのところ魚介が続いたので、今晩は鶏のトマト煮込みにする予定である。トマトは風味がなくなったのでトマトペーストと水煮缶を利用します。 2011.11.22



さーっと晴れ間が広がったかと思えば、今にも雨が降りそうなくらいに曇ったり、忙しいお天気の日だった。写真は、午前の陽の光を浴びる庭の草木の様子である。私の目にはきらきらとそれはそれは美しく紅葉した姿が映ったのだが、写真には光がまぶしすぎるくらいに撮れてしまった。カメラの機械的調整は難しいわ。

手前のひらひらしている緑の葉っぱの植物ははしばみである。雑木万歳って感じの、この蝶々みたいな葉っぱを見ると、気持ちがすっと軽くなる。昔論文執筆に苦しんでいた時(つまり、あったまわるいなじぶんと落ち込んでいた時)、藁をもすがる思いで、その実のなかに知恵の精霊が封じ込められていると言われるはしばみを植えた。まだ実がならないせいか、私の頭はよくなってくれない(笑)。

ついでにいえば、私の収入がとだえてお金にとても困っていたとき、裏庭に黄色い花の咲くミツマタを植えて金運アップを図ったこともある。しかも日本のよりも一回り大きい中国産のミツマタを植えてみた。舌切雀の欲深ばあさん的行動が咎められたのか、そう簡単に一気に願いが届くわけにはいかなかったみたいである。足りないものを欲しい、ください、と浅ましいことばかり考えていたら、何事もダメみたいね。

今晩は鱈とイカの鍋にする予定。ポン酢でいただき、〆はうどんかな。 2011.11.21



上の写真は、食後のコーヒーを飲み終わり、家族それぞれが傍にいながらも好きなことをして過ごしている様子を写したものである。自分でいうのもなんだが、今晩のコーヒーはおいしく淹れることができた。

今週(先週っていうのかな?)は多忙だった。16日は非常勤講師のお仕事。TAさんがとても優秀で、エクセルについて講師である私のほうが勉強させてもらった感のある演習だった。 17,18日と東京出張。2軒のお宅におしかけごはん。優しい女の人の作るごはんを食べて元気をもらった。ありがとうございました! 19日はゆういちろうの学校の土曜参観(音楽発表会)に出かけた。

今日20日は、本当は日帰り東京出張の予定が入っていたが、昨晩から少し体調を崩していたので、大事をとってキャンセルした。人と会う約束をしていなかったから出来たことである(人との約束は這ってでも行くタイプなのだ)。ゆっくり休んだら持ち直した。よかった、よかった。

私自身はここのところ心ここにあらずの手抜きごはんばかり作っていたなあと反省。明日は心をこめて作ろう。 2011.11.20



11月15日を指折り数えて待ち望んでいたゆういちろうは、朝起きるなり、「今日は僕の誕生日だね、学校休まなくていいの?」と質問。頭の中で、どれだけ盛大なパーティを期待していたのだろうかと苦笑しつつ、「休まないで行ってちょうだい」と答えた。

夜、家族だけで小さなお祝いをした。心はたっぷりこめましたよ。手巻きずしに、お客さんのときは出さない納豆をつけたら、イクラと一緒にしておいしそうに食べてくれた。子どもの誕生日ケーキを手作りするのは友人、知人たちのあいだで流行っているのだけど(すごいね!)、私は横着してお店のものにした。甘いものの苦手な夫とゆういちろうなのに、ここのいちごのケーキだけは好きみたいで、私よりも素早くあっという間にたいらげた。ゆえによしとする。

9歳、おめでとう。あなたの人生が善いものになるよう、かあちゃんはあらんかぎりの祝福を捧げるつもりだからね。がんばってね。 2011.11.15

前の日記更新日から、とっても濃厚なときを過ごして、あっという間に本日14日を迎えた気がする。光陰矢のごとし。大丈夫かな、気づけばおばあちゃんになっていないかな自分って感じのめまぐるしさであった。

今日はひさびさにのんびりして、おいしいものを作って、家族全員揃って食べた。ちょ〜っと忙しくすると、休みがない、休みがないと、これだけぶ〜すか文句が出てくる自分って何者かとも思いましたね。忙中閑を求めすぎ。本当に忙しい人からしてみれば、十分休養とってるじゃないかと叱られてもしょうがない。



昨晩はあまりにロックな気分だったので、夕飯作りを放棄して、近所の映画館でローリング・ストーンズのライブをレイトショーで見てきた。若かりし頃のミック・ジャガーの繊細な顔の表情にうっとりした。



本日午前中の裏庭の様子。何という草か知らないがびっしりとこぼれ種から発芽している姿に感銘を受けた。光っている。生命力が目に見える。

明日はゆういちろうの誕生日である。早いもので9歳になる。昨日のゆういちろうの空手昇級試験合格おめでとうの意味も込めて、心をこめてお祝いしたいと思う。 2011.11.14



9月の終わりに植えたサフランの球根から、芽が出て、いつの間にか糸のように細い葉っぱが茂ったかと思えば、とうとう花まで咲いた。オレンジ色の雄しべを乾燥させれば、サフランライスやパエリア等に使う高価なスパイスとして知られる「あのもの」が出来るのだろうが、我が家の生活のなかにそれらの料理を必要とする文化的土壌はないので、きっと乾燥スパイスにしても持て余すだろうという予感のほうが大きく、結局自然のまま放置しておくことにした。 ←要はめんどくさがり屋の言い訳です。来年は気が変わってせっせとスパイス作りに励んでいるかもしれない。



玄関から内に入ると、柿が出迎えてくれる。柿のオレンジ色も好き。サフランの雄しべのオレンジ色とはまた違った色をしている。

午前中非常勤講師の仕事をした後、研究所に移動し、ブースの引っ越しをひとまず完了させた。非日常続きでばたばたしているなか、しばし、ほっと一息ついた。土曜は、またもや4時起き東京日帰り出張があるし、翌週も2回東京出張が入っているし、体力勝負のところがあるわねえ。新幹線のおかげで日帰りできちゃうから、主婦の立場からすればありがたいといえばありがたいのだけど、余計忙しく詰め込みできてしまうというジレンマ。優雅さとは程遠く、なんとかは暇なしって感じで、悲しい。ポカミスしないよう気を落ちつけて行動しよう。

今晩は鶏と牡蠣の鍋にする予定である。ポン酢でいただこうと思う。牡蠣の季節到来でうれしい限りである。瀬戸内の海は今どんな感じなのかなあ。 2011.11.9

『砂の駅』エピソードの続きで、記録に残しておかなければならないことがもう一つあった。先月、前田司郎さんらの『四つ子の宇宙』を見に行ったとき配られたチラシの束のなかから、ゆういちろうがすっと一枚取り出してじーっと熱心に読み始めたのが、『砂の駅』の公演パンフレットであった。

それだけでもおーっという感じなのだが、さらに驚いたことに、そのときから随分たった5日、観劇日前日に、「明日は『砂の駅』を観にいくよ」とゆういちろうに伝えたら、「あー、あれね、砂の駅。キム・ジソン、オ・バンソク」と言いだした。ぎょっとしてパンフレットを見返してみると、確かにキム・ジソンさんはいらっしゃった!! (残念ながらオ・バンソクさんはいらっしゃらなかったが。オ・ソンテクさんかクォン・ソンドクさんの見間違いか?) なんという記憶力。

で、キム・ジソンさんは、最後の名シーン、品川徹さんの相手役として登場し、まるで天女のような美しさを醸し出していた方であったのだ。パンフレットに「幼い頃から俳優を夢見て、舞台でもっとも輝く俳優と評価されている」と紹介されているのも当然だと思った。ゆういちろうはもしかして、観る前から、そのことが分かっていたのかな。彼の美女好きは本物である。

今回の『砂の駅』は、演出にかなり疑問が残ったのだが、このように個々の俳優の素晴らしさは十分に伝わってきたのだった。印象に残っているシーン多数だもの。

あ、あと、昨日の私の感想だけでは、なんだかドロドロした芝居のように思われた方もいらっしゃるかもしれない。だけど実際は、そんなでもなかったのだ。ゆういちろうに感想を聞いたら「砂遊びのお芝居だね!」と明るく答えたぐらいだから、ドロドロって感じではなかったのよ。ま、だからといって、サラサラでもなかったの(笑)。観たらすぐに分かるのだけど、言葉だけで「空気」を伝えようとしたら難しいわ〜。

今晩はこれから奈良の起業家の方々による月1回の集まりに参加する。会合後は、会場近くのお店で、ビールとお好み焼きをいただいて帰るのが定例である。それでは行って参りまーす。 2011.11.8

研究所でブースの引っ越しの続き、こまごまとした事務手続きなどを済ませて帰宅。夕飯には、えのきの赤出汁、さわらとレンコンの煮付け、グリーンサラダなどを出した。さわらなんて一体いつ冷凍したの?という品だったが、思い出したかのように冷凍庫の魚を食べている。

昨日6日(日)は、早朝4時に起床し、始発にて東京に向かった。とてもお会いしたかった方々と実際に会えるので、いそいそとうきうきした気分で。最近超慎重派になっているので、具体的なことは書きませんが、とても幸せな気分になり、元気100倍パワーアップしました。

6日の午後は、世田谷パブリックシアターで太田省吾さん原作の『砂の駅』をキム・アラさんの演出で観た。日韓合同作品。ある方にメールで送った感想文をここにも備忘録として載せようと思う。勢いに乗って一気にだぁーっと書いたので、日本語として変な文章になっているところもあるが、ご愛嬌ということでそのまま載せます。


  6日(日)のキム・アラさんの『砂の駅』ですが、正直な感想を
  いえば、演出に不満が残った作品でした。最後は涙が出まし
  たが(ここで「泣かしたろう」という演出が入ったので)、でも
  それは、舞台に砂がなくても成り立つ世界であり、『砂の駅』
  にはなっていなかったように感じました。

  肉体が分かりやすく記号化したといいますか、太田さんが
  概念化による物事の理解をあんなに拒んだというのに、
  キム・アラ作品では、当の大事な肉体が図式的に分類され、
  文学的に(?!)理解しやすい話になっていたということです。

  ぴちぴちした若い肉体を持つ男女が暴力的なセックスをし、
  中年女がどんなに誘っても中年男性は不能、老人の
  肉体をさらした男(品川徹さん)は美しく若い女と抱き合う
  ことを夢見るが、最後の最後で逃げられる(幻?)という。

  仲良くしたいよ〜と言ってそれぞれみんなが近付くのだけど、
  結局は傷つけあい分かりあえない、最後はひとりひとりの
  孤独な背中を見せて、終わるという。

  背中を見せられたら、やっぱり泣かざるをえない。自動的
  に私は涙が出てくるのですが、けど、だまされた感がある
  のですよね、悔しいというか(笑い)。

  (後略)


太田省吾さんの存在は人生における大切な人々とのつながりを私にもたらし、感謝してもしきれないぐらいに感謝している。亡くなった後に、一度夢にも出てきて、近代文学についてものすごく詳しくレクチャーしてくれたのだった。鮮明に覚えている。 2011.11.7



晩秋のローズヒップを観賞するために植えたバラだったが、花もきれいで言うことなし。暖かいせいなのか、それともシーズン最後の炎を燃やしているのか、バラが再び勢いを増した気がする。

6時半から自治会の班長・役員会があるので、早目に晩ごはんをいただくつもり。なので5時前から作り始めないと。今晩は、しじみの味噌汁にさんまのかば焼きをメインにして組み立てる予定である。生野菜をたっぷり食べたいという夫のリクエストにも応えねば。 2011.11.5





ご近所さんからいただいたノコンギクと実家から分けてもらったツワブキが咲き始めた。日中は汗ばむほどの陽気だったが、庭では確実に秋が深まっている。

うちのツワブキは縮れ葉の比較的珍しいタイプだが、もともとは実家のご近所さんからいただいたもので、実家の庭でも、好きに持っていっていいよというくらいたくさん殖えて、遠慮なく掘り起こして我が家に持ってきたのであった。「ガーデニング」の一番楽しいところは、植物を愛する人たちの贈与の精神で各々の庭が成り立っているところである。みんながお互いの植物を分け与えれば、暖かいご近所どうしのつながりにより街並みは自然と整い、美しいものになっていくのは必定だと思う。うちの土手だって何軒か分のご近所さん由来の植物が人知れずたくさん植わっているので、車に疵がつくから植栽が道路にはみ出るのは許さんという雰囲気ではなく、車に轢かれたらかわいそうだから短く刈っておけばという気分になっていると信じている。

ときどき他者を排する形の「自己表現」になってしまった庭や、ご近所どうしで張り合っているんじゃないかと思われるような殺伐とした雰囲気の街並みを見かけることがあるが、そういうのは見ていてとても疲れる。見ていてこれだけ疲れるということは、やっている人たちもあまり楽しんでいないんじゃないのかなあと邪推してしまう。花こそというか花ぐらいは分かち合いたいというのが、たっての希望である。

今朝はゆういちろうの遠足のためのお弁当づくりで早起きしたので、ちと眠い。日中は研究所で、ブースの引っ越しと会議があった。クレタ島出身のあの方の近くにまた引っ越すことになった。夜は、夫宴会により不在のため、とうとう3日目カレーに突入した超手抜きごはんでしのいだ。とはいえ2日目より3日目のほうがおいしいのだから、カレーってやつは、いいやつだ。 2011.11.4

毎年恒例、文化の日に開催される自治会の親睦会に参加した。今年はバス旅行。役員の当たり年でもあり、点呼確認や挨拶をしたり、人前に出る必要があったので少しだけ緊張したが(内弁慶なもので...)、夫がカバーしてくれ助かった。私はバスの運転手さんに心付けをお渡しする役目だけで済んだ。バス旅行の行き先は、キリンビアパーク神戸(工場見学)と神戸市立フルーツ・フラワーパークであった。

ビール工場では、ホップを直接手でもんで香りを嗅ぐことができ、結構強烈な香りに驚いた。来週新発売される仙台産「一番搾り とれたてホップ生ビール」(ニュース記事)の試飲もあった。工場敷地内では、ビオトープが形成され、地域の絶滅危惧種の魚などが保護されているそうである。

フルーツ・フラワーパークは、もしかしたら神戸イルミナージュ2011の会場としてのほうが知られているかもしれない。昼間は比較的閑散としていた。果樹園や花壇がメインかと思いきや、オランダ国立美術館を模した建物があったり、英国グッツの雑貨屋があったり、神戸牛を賞味するバーベキューテラスがあったり、温泉もあったり、港町神戸らしくなんでもありの感のするテーマパークだった。下の写真は中央広場の様子である。



一番楽しかったのは、多目的広場(グラウンド)でKくんのお母さんとバドミントンに汗を流したことである。バドミントンだったら、うちの近くの公園でも出来そうなものなので、今度一緒にしようと思っていたら、近くの公園はいろいろとうるさく禁止されていることが判明。世知辛いことである。

夜は、前日の残り物カレーを温めなおして食べた。最近、材料を放り込んでぐつぐつ系の、カレーか鍋かばっかりである。 2011.11.3

ここのところまた冷え込みましたね。今晩は何にしようかまだ全然決められません。主婦モードになかなかなれない。というのも、私の頭の中は、季節の移り変わり目のせいか、庭に関するアイデアが次から次に思い浮かんできて大変だから。

庭の植木が少しずつ色づき始めている。食堂からは桂の木がよく見える。まだまだひょろひょろだが、そのうち力強く太り始めるだろう。

私にとって思い入れ深い桂の木といえば、何といっても、勤め先の研究所の食堂の窓からよく見える、寄り添って立つ2本の桂の大木である。他の木々がまだ青々としているなか、真っ先に黄色く染まり、はらはらと散っていく姿が何ともいえず好きだったのだ。沼地の近くに生えているので活き活きと瑞々しい姿をしており、研究所前の街路樹に使われた桂の木の、乾燥に喘いでいるかのようなかわいそうな様子とは全然違っている。

自分のうちを建てることができたら、食堂から桂の木が見えるようにしたかった。折しも世間での雑木ブームとマイブームとがちょうどうまい具合に重なり、桂の木が比較的安価に手に入った。なるべく庭にお金をかけたくなかった身としてはうれしかった。うちの桂は、研究所のほど瑞々しくもなければ、街路樹ほど無残な姿もしておらず、中庸路線を進んでいる。木の個性を把握すべく、しばらく様子見を続けたいと思う。

もう一つ、研究所由来で植えた思い入れのある木は、ベニスモモである。駐車場脇の並木道に植えられている。ベニスモモは、桜よりも一足早く桜によく似た花を咲かせ、その後、特徴ある銅葉が生えてくる。銅葉好きのヨーロッパでは、街路樹や庭木などでよく見られるとてもありふれた木である。知人はベニスモモのことをずっとベニスの桃だと思っていたそうだが、ベニ色(銅葉)の李が正しい解釈である。虫がつきやすいのが玉に疵。我が家では、庭の土手部分に苗木を植えた。まだ全然目立たないが、いずれ成長して、食堂から見ると桂の木越しにベニスモモが透けて見えるようになってほしいと願っている。

あと他に特に大事にしているのは、実家から移植してきた草や木である。今は亡き祖父母からもらった植物が元気にしているのを見ると、自然と故人が偲ばれる。ものすごくロマンチックなことをいえば、死んでお空のお星様になった人たちを地上に迎えた感じである。

植物の配置でいえば、かなり星座を意識して植えるようにしてきた。例えば、北斗七星とか。そうすればとても自然にテンポよく植物が並ぶことになると思われるためである。でもそのうち、いろいろと自分で植え過ぎて、なにがなんだか訳が分からなくなり、「星屑のステージ」のような庭にしましょう♪と、都合良く解釈し直して、今日に至っている。

きっと古今東西の庭園史を紐解けば、それぞれの文化体系に合致した、天文学と幾何学をうまく組み合わせたような庭づくりがなされてきたように素人目には映るのだが、この辺のところは如何なものなのだろう。専門家の意見を伺いたいところである。庭の秘密が分かれば、宗教の秘密も少しは分かるような気がする。とくに密教曼陀羅なんて、天文学や幾何学の知識がないと到底太刀打ちできそうもなく、すぐに挫けてしまいそうになる。だけど、もしかしたら思想の実践の場として、ちゃんと作られた「庭」を見れば、たくさんのヒントがその辺にごろごろ転がっているような気もするのだ。

おいそれとたやすく動かすことのできない木については、上のように、初めからちゃんと考えて配置しなければいけないのではないかという倫理観が働くのだが、草に対しては、もう少し、人間的に、柔軟な姿勢で付き合えそうな気がしている。ほら、人間のことを、考える葦に喩えた哲学者もいるではないですか。

ここの、今年8月3日付けの日記に、業者さんとのコミュニケーション不足により、庭の土手部分がモヒカン刈りのように刈り上げられて、恥ずかしくて恥ずかしくて困っているという愚痴を書いた。けれども3か月たった今では、「毛」がふさふさと生えており、過去に何もなかったかのような表情をしている。ということはですね、雑草生(ざっそうふ)の部分に関しては、ヘアメイクアーチストのように相当アヴァンギャルドに遊べるということである。こうなったら、まともな大人なら眉をひそめるようなパンクロックな庭だって実現可能かもしれない、ということだ。おいたが過ぎれば、頭を丸めて謝れば済むし(3ヶ月後にはふさふさだし)。

そんなことを思い付いたのも、従弟のKazu (ya) くんの存在が大きいかな。ヨージ、川久保玲、ヴィヴィアン、プラダなど、Kazu くん の周りには普通にあったんだものね。ファッションやヘアメイクの写真の分野で、今、ニューヨークで少しずつ仕事を任されているみたい(ここここ)。昨年は仕事で横浜に来てたようで(ここ)、言ってくれればショーを見に行ったのに。ヘアメイクのショーは、尖鋭的な生け花作品を見るかのように、痛ましくも滑稽な人間の姿を露呈するものだと思う。その人のこれまで生きてきた「生活」というものをまずは徹底的に否定することで、存在の何かが浮かばれる仕組み。自然大好きって歌いながら平気で自然破壊している女の子を増産させるような「自然派」の欺瞞ぶりより、よっぽど誠実で、デリカシーある心を持っている人たちが取り組んでいる世界だと思う。

実をいうと、私もそういうファッションをホントはしてみたくて仕方がなかったんだけど、勇気がなくてできなかった。モヒカン刈りもねえ、なかなか勇気がなくて、やっぱり自分ではできない。なのでその代償行為として、建築の、建物を衣服、庭をヘアメイクに見立てて、その筋のお客さんをお迎えするときには思い切ったことをしてみたいのだった。雑草生(ざっそうふ)は、人間の抱えるその手の破壊衝動すら、優しく受け入れてくれそうな気がする。たくさんの抑圧のなかで生きている人間にとって、こういうことを自由に想像(妄想)するだけでも楽しいじゃない。

建築や庭のことを考えるのは、本当に楽しい。頭がすっきりする。Tさん、Mさん、これからもいろいろと相談に乗ってくださいませ。こんな世の中ですもの、面白いことをやってしまいましょう。 2011.11.1  

ゆういちろうが学校から帰宅するなり、「今日は、マニアックな日だったよ〜」とうれしそうに私に言ってきた。意味が分からなかったので、マニアックな日ってどういうこと?と詳しく聞いてみると、「いいことと悪いことが両方起こったゴージャスな日ってことだよ」と説明してくれました。学校で不思議な横文字遣いが流行っているみたいです。

今晩は豚バラキムチ鍋にしました。何度もここに書いている気がしますが、ベースとなるスープは、昆布出汁に白菜キムチを漬け汁ごと入れ、豆板醤と(日本の)味噌で味付けした、日中韓友好の証しとなるものです。簡単でおいしくできます。〆は卵雑炊が合います。お試しあれ。 2011.10.31  



昨日のお天気のよさとはうってかわり、本日は朝から雨。庭に咲いたせっかくのダリアが倒れてしまった。ぽん、ぽんと大きい花がテンポよく咲いているダリアのある庭の風情が好きだったのだが、倒れてしまっては仕方がない。そのままではかわいそうなので、切って、うちの中に活けた。



ホトトギスやランタナなど、この時期咲いている他の庭の花も摘んで、食卓に活けた。先住の赤トウガラシを飾った花瓶にダリアを投げ入れると、妙にマッチして、面白かった。雨降りの日曜の朝の花遊びの楽しいことといったら。

昨日は大切なお客さんをお迎えして宴会を開いた。幸せなことはあまり具体的に書かないようにしよう。逃げてしまっては困るので。と、がらにもなく、殊勝な気分になるほど、とてもよい時間を共有できたと思っています。どうかこれからもお付き合いしてくださいね。どうぞよろしくお願いします。昨日は爽やかに晴れ渡った天気に恵まれて、よかったですね!

今晩のごはんは夫が作ってくれた。出来たよの合図が今入った。それでは心していただこうと思う。 2011.10.30  



上の写真は昨日の夜の食卓である。一昨日ゆういちろうが「おかあさん、僕はね、牛肉のステーキが食べたいんだ」と言ったことをきっかけに、そういえば最近、牛肉もほとんど食べず、家族でレストランに行く機会も激減してしまったことに気づき、だったら景気づけに本当にひさびさに自宅でごちそうディナーにしましょう♪と相成ったのだった。私には脂の多い肉だったが、ゆういちろうはそれはそれはおいしそうにぺろりとたいらげた。男の子だなあと思った。

昨日とは打って変わって今晩はぐんと質素にするつもり。何にしようかな。冷凍した魚の切り身でも解凍して食べようかな。冷蔵庫の中を見てからパッとひらめいたものにしよう、っと思っていたら、なんとつい先程夫より電話があり、食材を自分で適当に見繕って買って帰るから、一緒に作ろうとのこと。ナイスハズバンド♪ 果ては職場で何かあったか。きっとごはんを作ることで、気分転換したいのだと思う。  2011.10.27  

(前略)

一方的に自分の意見をまくしたてるのは、アンフェアな感じもするので、昨日読んだ川上未映子さんの新作小説のなかから、石川聖(まるで他人とは思えないタイプの女の人)に対する世間の評判というやつを引用して、今日の、まったく夕食と関係ない日記を締めくくろうと思う。

小説のなかの状況としては、石川聖が心を許す数少ない友達である主人公の「わたし」に対して、女上司にあたる人が、彼女には気をつけなさいよと忠告しているところ。私の人生もそんなことの繰り返しだったような.... 諫言耳が痛いが、自らをかえりみる、律するためのよすがとして受け取ろうと思う、けれども心ない噂だけは、私も私の周りにいる人も傷つけることになるから、お願いだから、流さないでねという感想を、以下に引用する女上司の発言に対して持った。


「石川さんって、けっこうもめごとが多いのよね」

「彼女が担当してたりする外部の人間ともうちはけっこうかかわりがあるのよ。それでけっこう耳にするのよね、まあ、もめごとというよりは、けっこうな数の人たちが彼女とは仕事ができない、もう仕事したくないって、そう思ってしまうってことなんだけど」

「まあ、キツいのよね、あの人。自分にできることは他人もできて当り前だって思ってるところあるのよ、基本的に。だからそれができていない人がまわりにいてそれをみると、単に手抜きをしてるってふうに思っちゃうのよ。仕事相手には自分とおなじかそれ以上のものを求めてるところがあるから。――でもそんなのたまらないわよね。みんな個人差あるんだし、仕事に対するモチベーションだってそれぞれ違うんだし、なんかね、そういうところがものすごく疲れるし、いつも緊張してなきゃいけないのがつらいっていうような、まあ愚痴というか、陳情されるのよね」

「あなたはどうなの?」

「ひと言でいうと、あなたみたいな人はああいうタイプの人に、自分を正当化するための道具にされちゃうのよね。彼女みたいな人は自分の生きかたや考えかたをまわりの人に認めさせるだけじゃ満足できなくて、それを日々強化しつづけないと気が済まない人なのよ。ほら、そうじゃなくても人って自分の考えとかさ、言葉にするとさ、なんだかいっきにその気になっちゃうことってあるじゃない。相談ってさ、あるじゃない。みんな相談するじゃない、よく。でもあれって何か誰かの意見をきいたり参考にしたいわけじゃ全然なくて、自分の思ってることとか状況とかをさ、とりあえず言葉にしたいだけなのよね。だから何にも解決しないでしょ、人に相談したところで。解決した人生相談なんてあなたみたことがある? 言葉にしちゃったせいで自分のなかで問題がひとつ増えるかよけいに複雑になるか、そんなのどっちかしかないじゃない。だからね、石川さんはスポンジみたいにものを言わない、ただ黙って色々と吸いとってくれる人をうまく使って自分のある部分を補強しつづけているの。彼女はそういう種類の人間の典型で、単に自分の立派な理想とか考えかたを人にきかせることによって、それを日々逞しくして、悦に入っているのよ。でもみんなそんなのに付きあってられないじゃない。忙しいんだし、いい大人なんだし。石川さんの野心とか都合とか、そんなの知らないし。だからみんな離れていっちゃうのよね。――でもね、彼女からみんなが離れていっちゃうのは彼女の性格の問題だけなんじゃなくてね、なんていうのかな、彼女は自分が恵まれているってことに気がついていないせいなのよ。みんな自分と同じ条件でスタートしてるってそう思ってんの。彼女は自分の努力や向上心だけでうまくやれてるってそう思ってるのよ。でもね、わたしからしたら冗談じゃないと思うところもあるわね。はっきりものを言える子もいれば言えない子もいるわよ。そんなの当然じゃないよ。これは石川さんに限ったことじゃないけどね、ああいう上機嫌な女の人たちが、ある意味で女を追いこんでいるのよ」

「そうよ。男にも同僚にも、みんな石川さんくらい仕事もしながら外見だって女おんなして、そうすることも仕事のうち、みたいな感じに思わせちゃってるのよ。あんなふうにまわりに媚びてないって思いこんでいる彼女みたいなタイプこそが、じつは結果的に媚びてることになってるってことに、気がつかないの」

「いやね、これはべつに悪口でもなんでもないのよ。ただ公正にっていうか、彼女の評判の話ね。ほら、あなたにも関係あることだし」

「それにね」「まあこれは余談も余談だけどね。彼女、男癖のこともあるのよね。それもひとつ、あるわね」「とにかく見境がないのよ。誰とでもほいほい寝ちゃうのよ。それが仕事相手の男でも、今日知りあった相手でも、かまわず寝ちゃうのよ。そういう噂。っていうか、噂じゃなくて事実。わたしの知人だって――」「被害にあってるんだもの」

「(略)そりゃ友達がいないはずよねえ」

「そうよ。いつもひとりよ。男といる以外はそうなんじゃないの。だからけっこう楽しそうにちゃきちゃきやってるようにみえるけど、ぜんぜん幸せそうにみえないものね」「まあ、あなたも気をつけてよ」

「今日ね、あたしに会ってさ、色々話したことは石川さんにはいちいち言わないでね。わたしとあなたの話だし、なんていうか、紹介しておいてあれなんだけど、ほんとうのこというとわたしあんまりあの人とかかわりあいになりたくないのよね。よろしくね」


2011.10.25  

川上未映子さんの新作『すべて真夜中の恋人たち』を読んでいる。35ページ以降で展開される、出版社で校閲の仕事をしている石川聖の発言に、とても他人とは思えないものを感じてしまった。彼女の発言部分だけ抜粋する。

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「入江さんはお化粧まったくしてないの? それ?」

「普段からまったく?」

「自然派ってわけじゃなくて?」

「あるじゃん」「ほら『自然なわたしが大好き』志向のことよ」

「がんばらないわたし、あるがままに年をとってくわたし、なるようになってくわたし、自然に優しいものを愛するゆえに、自然に愛されているわたし。何が起きてもそれ必要なことなんだから、すべてを前向きに受け止めてゆく素敵なわたし。ぜんぶが自分にとって意味があることで満ちているわたし。――こんなの数えあげたらきりがないわよ」

「まあね、べつに誰だって何だって自分の生きたいように生きればいいんだけど」「でもさ、常識的に考えてそんなわけないじゃない。どう思う?」

「スピリチュアルでもエコでも何でもいいけどさ、ああいう考えかたって、ひたすらにさもしいと思わない? 神さまでも摂理でも自然でも超エネルギーでも宇宙でもなんでもいいけどさ、なんでそういうものがこのちっぽけな人間の、そのまたちっぽけな個人の日常のこまごました、ほんとうにどうでもいいような問題にまでいちいち絡んでくれるようなそんな話があるって思えるのかって話よ」

「あんなの、単に自分が幸せになるための、そして自分が人から幸せだって思われて安心していたいだけの、ただの現世御利益信者でしかないじゃない。そのくせにわたしたち何かおおきなものをみています、おおきなものを感じて、それについて考えているんですってふれてまわる、あの感じ。それでその幸せな感じをおすそわけしたいんですっていう、あの感じ。ほんとは自分が幸せになることしか興味がないくせにね。まったく自分たちだけでひっそりとやっていてほしいわよ――だいじょうぶよ、けっこう飲んでるけどまったく酔ってないから。っていうか、わたしはざるだから」

「なんか、わたしたちくらいの年の女が集まると、わりと最近そういう話になっちゃうんだよね。幸せ系っていうか、満たし系っていうのかな、なんかそういうのがみんな好きなわけ。でもわたしはわりになんでも言うほうだから、今あなたに言ったようなことをそのまま言うわけ。もちろん何もきかれてもないのに自分から地雷を踏んでいくってそういう話じゃないわよ。勧められたり、相手が気持ちよさそうな顔してこっちを諭す感じになったときしか言わないけど、まあ、馬鹿馬鹿しいことは馬鹿馬鹿しいってはっきり言ってやりたいじゃない。そしたらね、あの人たちはわたしのことをほんとに哀れむような目でみるのよ。仕事に取り憑かれて、大事なことを見失っていて、求めるべき真理を知らないまことに可哀想な人間であるっていうふうな目で、ほんとうに不憫なものをみる目つきでわたしをみるのよ。それで『わたしも石川さんと同じように考えているときがあったからわかる・・・・・・でも、いつか気づくんだよね。でもこればっかりは自然のタイミングで呼ばれるときに呼ばれるものだから』みたいな、なんかいつのまにかそういう話になってんの。誰に誰が呼ばれるの? 何の話してるのかわたしまったくわからないわよ」

「まあ、でも、みんな占いとか徹底的に好きだしね」

「本質的にはさ、当るとか当らないとかの問題じゃないんだと思うな」「そう言われればそうだなってことしか書いてないし。ただ自分について何かが書かれてあるって思えることが、重要なんだよね」

「信じるとか信じないとかなじゃなくて、なんていうんだろうな、つまり・・・・・・何であれそういうものに頼るのがいやなのよ。どんな答えをだすにせよ、それは自分の頭で考えたものじゃないと厭なのよ。自分で決めて、それで行動したいのよ」

「そう。あらゆる意味において人まかせというものを受けつけられない人間なの」

「自分でやるのがいいじゃん。まあそういうと、ああいう人たちは『人はひとりで生きられないし、生きてないのよ』って言うんだろうけど、もちろんそんなのわかってるわよ。当然じゃない。そんなの承知で、だからこそ自分でなんとかやってくことに意味があるんじゃない」

「――いいのよべつに。わたしも含めて、みんな好きにやれば。でもね、普通に話をしていていきなりそういうのを押しつけられるのはたまらないわよ。気分悪くなるもの。でもあの人たちは自分たちのことを『気づいた側』の人間だって自負していて、それが唯一のアイデンティティだから、それを黙ってられないのよ。声高にアピールして、自分たちが幸せだってことを知ってもらわなきゃいけないのよ。そしてその極意みたいなものを惜しげもなくみんなにシェアできるわたしって大きいよね、うっとり、みたいな話なわけよ。まあとにかく、単に優位にたってたいってことでしょ。安っぽい精神的セレブみたいなもんね」

「昔からの癖で、わたしは思ってることをずいぶんはっきり言ってしまうところがあるの。もちろん我慢することもあるわよ、社会人だし。自分の理屈が通らないことがあることもちゃんとわかってるし、そんなの生きてればほとんど当然のことだもの。入社した当時はよく言われたわよ、可愛げがないだの反抗的だの、疲れるだの使いにくいだのなんだのって。まあ、でも、そういうのってある意味では伝統的っていってもいいくらいのベタな反応だから、男に言われるぶんには馬鹿馬鹿しいけど、まだあきらめもつくわよ。この期に及んで男に期待することなんてなんにもないもの。でもね、女性社員だって一皮剥けば、きれいさっぱり似たようなのばっかりなのよ」

「いつだったかな、例によって飲み会みたいなのがあってさ、そこで男の上司と仕事以外のことでね、意見の食い違いっていうか、まあ口論になったの。いつもの感じ。あまりにあまりな物言いをするし、これは今後の仕事にかかわるなって判断したから、引き下がらなかったの。でね、わたしも弁がたつほうだから、結果的にその上司に恥をかかせたみたいな雰囲気になって、けっこう最悪な感じになって、けっきょくその会はそのままお開きになったの。でも仕方ないわよね。そう思ったんだもの。今までに誰にもそういうこと言われたことないから女を相手にあんな失礼なこと言えるわけで、これはがつんとやんなきゃいけなかったわけなのよ。これからも働いていかなきゃいけないんだからさ。環境は自分でつくらなきゃ、しょうがないじゃない。でね、駅でみんなと別れるときに、ひとつ年下の後輩が石川さんってこっちに向かって走ってきたから、さっきははっきり言ってくれてありがとうぐらいのこと言われるんじゃないかと思ってたのよ。そもそもその女の子の発言をめぐってのあれこれだったから、まあお礼言われるんだろうなぐらいに思ってたのよ。そしたら『石川さん、嫌われるのこわくないんですか。あんなのさらにこわいイメージついちゃうますよ。ゆくゆく損しちゃいますよ』って言うの。わたしだってべつに代弁したつもりはなかったけど、それでもびっくりしちゃったわよ。はあ、って返事して、五秒くらいその女の子の顔じっとみつめちゃったわよ」

「すすんで嫌われる必要もないけど、無理に好かれる必要もないじゃない。もちろん好かれるに越したことないんでしょうけど、でも、好かれるために生きてるわけじゃないじゃない」

「石川さんって今さらフェミなの? とか、強い女とかがんばる女とかもう流行らないとか、今までそんなことについてろくに考えたこともないくせにいいかげんなことを平気で言われるわけよ。石川さんだからできるのよねとかね。あなたみたいにみんなが強いわけじゃないのよ、ほとんどの人は弱いんだから、とか。でもね、そういうのは弱いっていうんじゃなくて、鈍いっていうのよ。わたしのは強さっていうんじゃないわよ。正直っていうのよ。流行りって何よ。そんなの気にして生きたことはないわよ。ただこういう性格なだけよ」

「ある鈍さからくる発言とか考えかたには、ときどきぞっとするほど気持ちが悪くて凶暴なものが潜んでることがあるのよ。わたしはその鈍さにたいしてどうにも我慢できなくなることがあるの。どうしても我慢できない。それにね、その後輩はまだ素直でよかったわよ。根っから素直なのはいいことだわよ。心がなごむもの。それで生きていけるんならそれでいいわよ。でもね、ほんとうに質が悪いのは、そういうことをぜんぶわかっているくせに、保身のために粛々と演技してるやつらなのよ。権力とか名誉とかそういうのがほんとは大好きで大好きで欲しくて欲しくてたまらないくせに、そんなこと考えたこともないって顔して、そういうの、ほんとうにわからないんですって態度で、男の自尊心や優越感をぜったいに脅かさないように用心深く立ち回ってるやつらなのよ。それで、自分だけはぜったいに損しないように注意深く生きてるの。ぼおっと生きてるふりして、そのじつこれ以上はないってくらい目を光らせてね。もちろん自分に似た感じの、自分のポジションをちょっとでも脅かす可能性のある若い女の子なんか入ってきた日には徹底的に潰すわよ。即座にね。そういうのは容赦ないのよ。わたしそんなの厭っていうほどみてきたんだから。でもね、それもいいわよ、生き方だもの。でもわたしが厭なのはね、その自分のちゃちい演技が誰にもばれてないって信じこんでる、そのあまりにもナイーブなところなのよ。女が『女ってこういう感じでいればいいんでしょ』って男を舐めてるつもりで女を舐めてるそういうとこよ。そういうのぜんぶひっくるめて『大丈夫、うまくやれてる』って信じきって安心していられる――わたしがどうしても許せないのは、そういう鈍さなの」

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(中略)

今晩は夫の帰りが遅くなりそうとのことで、ゆういちろうの二人の食事をどう組み立てようか、ただいま思案中。一つのことに集中するわけにはいかないので、頭のなかをご飯モードに切り替えないとね。そのおかげで健やかに生きていられると思うので、ありがたく主婦業を楽しみましょう。 2011.10.24  

午前中、ドイツの衛星ROSATの日本通過時間が過ぎるまで、おとなしく家で過ごした。その後、鮭の切り身を焼いたり、温泉卵を自分で作ったり、いつもよりちゃんとした朝ごはんを食べた。

『琉球布紀行』読了。要所要所で落涙。私はこれまで個人旅行として沖縄に5回行ったことがある。リゾートなんかしないぜと粋がってはいたが、「観光」の域を超えるような旅はいまだしたことがない。あらためてもう一度沖縄に行きたいと思った。

昨日参加した奈良市母親大会のことについて、書きたいことがたくさんある。けど、なかなか書き出す気になれない。無意識の抑圧というやつが邪魔しているのだろうか。こういうときは無理せずひとまず寝かせておこう。書かずにはおられないという時機が必ず来るであろうという予感はぷんぷんしているので、そのときまで想いを溜めておくことにする。

今晩は鯛の鍋にする。〆は卵雑炊にする予定である。季節は秋に移ったと思うのだが、いまだ庭に蚊が出てくる。熱帯地方みたいじゃないかと、呆れる。 2011.10.23  



昨晩眠っているあいだに大雨が降ったようだ。朝起きて庭の草木を確認すると、バラや秋明菊が自分自身の頭の重みに耐えかねて地面すれすれまで倒れていた。こういうときは思い悩むことなく切り花にできる。食卓に飾ったら、卓上が華やぐこと、華やぐこと。今日の写真のバラは昨日のと同じものである。昨日開きかけた蕾のなかにこれだけたくさんの花びらをたくわえていたのだ。神秘的である。とても同一のものとは思えない。そして香りも相変わらず強いままであった。居間に入るだけでいい匂いがする。花の魅力を惜しげもなく全開してくれてありがとう!

上のバラはその佇まいからオールドローズかイングリッシュローズの一種だと思う。ガーデニングブームのおかげで私たちは世界にはいろいろな花があることを知ることができた。お店でよく売られている、あまり香りのしないタイプのバラは、ほころびかけの状態のまま姿を保つことのできるよう改良されたバラなのかなあ。その辺のことは全然くわしくないけど、調べていくといろいろな世界が開けてきそうである。それにここの説明によると、バラの香りにはありがたい効能がたくさんあるみたい。星の王子様になった気分で、一鉢からでも育ててみてはいかが。

今晩は夫がイタリア料理を作ってくれた。ボンゴレロッソスパゲティになすのチーズ焼きに、グリーンサラダ。おいしかったです。ありがとう。他にも今日あったことをいろいろ書きたいけど、またの機会に。眠いのでこの辺で。おやすみなさい。 2011.10.22 

■追記
そうだそうだ、明日はドイツの衛星ROSATが地上に落下してくるのだった(ここここを参照のこと)。大惨事にならないよう祈りを捧げて、明日を迎えようと思う。  



今朝、庭を散歩すると、以前ご近所さんがくださったバラがきれいに咲きほころんでいた。なんて気品あるバラなんだろう。周りの雑草たちも、たった一輪咲く花の美しさを喜び勇んで引き立てていた。引き込まれて近くに寄ってみると、とてもいい匂いがした。バラ特有の甘い香り。幸せな時間だった。

授業参観後、子どもたちがうちに遊びに来てテレビゲームに興じているあいだ、子どものお母さんの一人と食卓でおしゃべりを楽しんだ。たまたまおいしい和菓子(餡子系)が手に入ったので、コーヒーと一緒にいただいた。餡子とコーヒーの組み合わせは実は結構好きなのである。

夕飯はゆういちろうと二人で残り物ポークカレー。夫は宴会で遅くなるという。 2011.10.21   

東京、西巣鴨にて10月16日(日)のお昼にみた宮沢章夫さんの演劇作品 『トータル・リビング 1986-2011』の余韻にずーっと浸っている。我が家の会話もほとんどそれに関することばかり。

人間の誠実と根気の証しであるかのような、織物が丁寧に織られていくのを間近で見ているかのような舞台であった。同じモチーフが何度も繰り返される。最初は退屈でしかないのだが、じょじょにその意味(模様)が現れてきて、ああこれはそういうことだったのか!と合点がいった瞬間の歓びといったらなかった。(ここのところの詳細については、すでに宮沢さんご本人に感想をお伝えしました。)

いまだ頭がぼーっとぽやーんとしていたところ、本日、がつんと我に返ってしまった。なんと明日はゆういちろうの授業参観日だったのだ。しまった。すっかり忘れていた。どうかしてる。もう今期着ることはないだろうと、一重の綿のジャケットをあろうことかクリーニングに出してしまった。女子としてあるまじき、微妙なこの季節の一張羅ですよ、まったくもう。着ていく適当な服がない! 新品を買うお金もない! ないならないなりにどうやってお出かけ風にごまかすか。頭を絞って考えよう。

というか明日21日の翌日は22日じゃないですか。月日がたつのは早いよ。びっくり。

今週は夫と私に交互に夜のお出かけが入り、食事的にはまったく落ち着かない日々だった。今晩ひさびさに家族3人揃って食卓を囲む予定である。何にしようかな。全然方向性が絞れない。参ったな。頭を主婦モードに戻さないとね。 2011.10.20


■追記

沖縄(琉球)に関する勉強を少しずつ始めている。今読んでいるのは、新潮文庫から出ている澤地久枝さんの『琉球布紀行』である。沖縄の布は素朴だが目が飛び出るほど高価であるという、とても貧弱な先行情報からの出発だった。少し読み進めて、この本の作者の澤地さんは、ただの「布好き・着物好きの奥様」ではないということが分かった。織り手の生活や技能伝承の紹介に頁が割かれているが、それはすなわち沖縄戦の記述にどうしてもつながることを意味していた。

例えば、久米島紬の歴史は、次のように紹介されている。あまりに当たり前すぎる情報量0の言明だが、サイテーだよ戦争は、と言わずにはおれない。最近は隣り合う島に米軍により劣化ウラン弾まで打ち込まれているそうだ。これほどまでに凌辱された土地であるとは知らなかった。自分のこれまでの不勉強を恥じている。

  p. 113~
   久米島ではまず蚕を買い繭をとる技術がおそらく中国から伝わり、絹の糸を
  得る道がひらかれる。五百年ほど前といわれる。
   絣の手法が伝わって久米島紬が生れるとともに、琉球王府によって貢納布
  として拘束されるのは十七世紀ごろ。
   久米島の島民は、御絵図(デザイン図)で指定された模様をどれだけ見事に
  織りあげても、織り手もその親も子も、身につけることを許されない。絹は禁制
  の糸であった。
   他の島の貢納布同様、この禁制は明治三十六年(一九〇三)年までつづく。
  きびしく監視されて織られることで、技術はすすむという皮肉な一面はあっても、
  久米島紬が島の人びとをふくむすべての人のものになって、やっと百年になろう
  かという現在なのだ。
  

  p. 126~
   昭和十八年十二月以降、久米島には電波探信隊(最終的には三十人余)が
  駐留、「久米島防衛隊」を自称して、島民を支配下においていた。
   第三十二軍司令官牛島満大将以下の自決、沖縄戦の終結も、八月十五日の
  ポツダム宣言受諾、無条件降伏の「玉音放送」も軍人たちは知っていた。
   だが、最初の犠牲者が出るのは、六月二十六日。米軍の捕虜となったのち
  「降伏勧告状」をたずさえてきた郵便局の技師が、隊長の鹿山兵曹長によって
  射殺される。
   つづいて六月二十九日、妊娠中の女性や子供をふくむ九人が射殺され、家に
  放火される。
   八月十八日、沖縄だけでなく日本の敗戦で戦争が終熄(しゅうそく)したあと、
  夫婦と一歳二ヵ月の長男が射殺され、ここでも遺体ぐるみ家は焼失させられた。
   八月二十日、生後二、三ヶ月の赤児(あかご)をふくむ五人の子と両親の七人
  が殺害される。この一家の場合は、夫が朝鮮人であることが虐殺対象となる要因
  になったと思われる。
   いずれも鹿山隊長の命令のもとでの犯行であり、その理由は「スパイ行為」の
  防止だった。
   島の人たちは山をおりること(米軍に降伏することと同義)を禁止されたままで
  ある。米軍上陸、敗戦という事態におかれた一下士官の恐怖心が、虐殺という
  蛮行に走らせ、さらには民族的偏見と沖縄県民に対する差別感が男たちの
  判断力を狂わせたのだとわたしは思う。
   すでに終わった戦争である。ましてや「スパイ」など出来ようもない小さな子供
  まで殺す理由などあるはずもなかった。
   二十人の島民の命を奪った鹿山隊長以下は、九月八日に降伏、郷里へ帰って
  いった。
   島の多くの男たちが県内外の戦場で命を落としただけでなく、戦争終結後の
  島内で、味方の軍人によって幼児をふくむ二十人の虐殺がなされたところに、
  「久米島と戦争」の歪められかつ陰惨な傷痕はある。
   無残というべき日々をはさんだ時期、久米島紬もまた死んだ。


  p. 128~
   現在、久米島に米軍基地はない。しかしこの島ととなりあう鳥島に、米軍の
  射爆場がある。一九五一年以後、一日も解放されたことなく、島民の出入りの
  許されない鳥島は、人の住む島へ回復する未来のない米軍の「標的」となった。
  空からあるいは海から、砲撃、爆撃をくわえるが、人間は島には近づかない。
  かつては漁業でさかえたという鳥島は無残に射たれつづけている。
   米軍はこの島で劣化ウラン弾を使用したといわれる。だが射爆の内容を沖縄の
  人たちが知る道はとざされている。「標的」の島はいつか飽和点に近づき、残存
  放射能をふくむ深刻な公害物質の、海へと溶けこむ日が来よう。
   一見平和そのものの久米島紬の島は、その美しい海のつづきに、「死の島」を
  かかえているのだ。


   



玄関付近に植えたヒストリーという名前のバラが、おそらくは今期最後の大輪の花を咲かせた。たくさんの蕾から次々と咲きこぼれていく春の花の美しさも格別だが、すすきの穂と一緒に一輪咲きする秋の立ち姿も同じくらい好きである。この花が朽ちたら、たっぷりお礼肥えを与えて、来年に備えようと思う。バラを前にすると、よろこんで下僕化してしまうので、自分でもおかしい。

金曜から日曜にかけて東京出張。二つの素晴らしい観劇体験があった。これまで生きてきてよかった〜。まだ余韻に浸っている。おいおい感想をまとめていこうと思う。

今晩は、実家から送られてきた牛肉でしゃぶしゃぶにする予定である。甘やかされているなあと自分でも思うが、ありがたく受け入れて、おいしくいただこうと思う。 2011.10.17.

■追記

ゆういちろうが学校から以下のようなチラシを持って帰った。奈良市・奈良市教育委員会・奈良市教職員組合が足並みをそろえ、放射能汚染から子どもたちを守ることを公式に宣言してくれて私はとてもうれしいし力強く感じている。奈良市民として私もできるかぎりのことはするつもりである。




ただいま夜中の2時。今の今まで試験採点に時間がかかってしまった。疲れた〜。採点表に点数を記入する作業は明日にまわすことにした。ミスがあってはならないから。

試験というのはするのもされるのも大嫌い。採点などはもっと嫌い。とにかく私は競争が嫌い。でも、人からとやかく言われたり、負けたりするのが、もっともっと心の底から大嫌いなので、これでなんか文句あるって感じで、しょうがなくこれまで頑張ってきたのだ。だいたい「頑張る」って漢字からして醜くて嫌い(あるデザイナの先生の受け売り)。

じゃあ本当はいったい何がやりたいのかといえば、時間のことを忘れて何かに集中したい。フロー体験をもっともっと持ちたいのである。だけど社会のなかで生かされている身としては、誰かの都合に合わせて時間が細切れにされていくのは当たり前で、自分のわがままばかり主張するわけにはいかない。とすると、細切れの時間ひとつひとつを大事にして、短い時間でもふっとトリップできるような心身鍛練が必要となってくると思うのだ。

夜中にいったい私は何をつぶやいているのか(笑)。

東電さんよ、やってくれるじゃねえかよ〜とかも、思いっきり言いたいが、我慢しよう。あと世田谷放射能の件、ラジウム鉱石ってどうやって入手したんだろうとか、謎だらけですね。今晩は餃子を焼きました。2種類のたれでいただきました。おいしかったです。おやすみなさい。 2011.10.13.

秋学期は水曜1限に演習の授業が入っている(非常勤講師のお仕事)。大学に着いて非常勤の教員が集まるフロアのトイレに入ると、同じく非常勤をしている先輩研究者にばったり。考えることは同じで、ここで顔を整える(お化粧する)つもりであったのだ。朝は忙しいからね〜とお互い言い訳しつつ(笑)。授業開始時間までしばし時間があったので、コーヒーを飲みながら歓談。スティーブ・ジョブズのいろいろエピソードをおしえてもらった。そりゃアップルを放逐されちゃうわねという内容。天才の傍にいる歓びと苦しみはたいてい同じ分量だけありそうだね、と。そうこうしているうちに授業開始時間ぎりぎりになりお互い別々の教室へダッシュした。

夫の採る行動はときどき凡人の私には理解しにくいことがあり、どうしたらいいんだろうと途方に暮れることもしばしばだが、彼のことを天才だと思えば何でもないことかもしれないと思うようになった。ジョブズの話がそれくらいとても強烈だったのだ。Pity is akin to love. 私が優しくしないと誰が彼に優しくしてくれるの?と思いながら、天才とはお付き合いすることにしよう。



写真は日曜日に公園で電動バギーを走らせるための準備をしているところ。男同士機械いじりに興じていました。個人的な希望として、ゆういちろうを植物主義的な男の子に育てようとしているのだが、どうやら彼は機械系を好むようだ。親としては植物機械の折衷案を考えているところ。

今晩はこれから昨日の残り物(2日目カレー)をいただく。手抜きもいいところ。夜は、春学期の講義の試験の採点をおこなう予定である。なんで締め切りぎりぎりにならないとエンジンがかからないのかと自分を呪いつつ。 2011.10.12.

ある方に何年かぶりに連絡をとっていた。本日ようやくお返事をいただけてうれしくなった。お会いしましょう!! 会うと泣いちゃうかも、ですが、会いたいです。ニュアンスがうまく伝わったかしら。これまで離れていた間にあったいろいろなことを思い出しちゃうだろうなあ。

今日から夫は国内である国際会議出席のためしばらく不在。ゆういちろうと二人で静かに食事した。私たち二人だけだと会話がないことに気づいた。 2011.10.11.



昨日宇治市の植物公園に行って発見したのが、どうやら世間では「(栄養系)コリウス」というカラフルな葉物の植物の寄せ植えが流行っているということであった。きれいだなあ、私も真似してみようと思って、その近くのお花屋さんに立ち寄ると、少し徒長気味とはいえタッパのある立派な寄せ植えがセールにかけられ、なんと、持ってけ泥棒価格のたったの1050円で売られていた。自分で一から組み立てるより買ったほうが早いとばかりに飛びついた。

今朝、明るい陽光のもとで、土手下の、盗まれた植木の跡地にその寄せ植えの鉢を置いてみた。リンダ、ベッキー、エリカという名前の3種類のコリウスが使われている。思いの外雑草のなかにしっくりと収まり、よい気分になった。草に紛れて鉢の姿が見えないが、丸いころんとしたかわいらしい素焼きの鉢で、後でいくらでも再利用できそう。これで千円とは、とてもお買い得だと思う(自画自賛)。たまに娑婆に出てみると浦島太郎気分で面白いわ。どうやら園芸界では今期コリウスの流行は終わったみたいで、はかない話ではあるのだけど。

この三連休はひさびさに仕事モードを完全オフにして、ゆっくりと過ごした。庭仕事もかなり進んだ。水仙の球根を大量に植え込んだ。表庭には寒咲き日本水仙を植え、裏庭には黄水仙を各種とり混ぜて植えた。来年の春になるとよい香りが漂う庭になるだろう。楽しみである。

今晩は夫のリクエストにより、チンジャオロースと餃子をメインにしたごはんが進むタイプの中華料理を出す予定である。そろそろ支度にかからなくては。いつまでもごはんがおいしく食べられますように。 2011.10.10.



昨日子どもたちが遊びに来て、庭でごはんを食べたり、うちのなかでゲームをしたり、また庭に出て虫取りをしたりと、それはまあにぎやかに玄関を出入りしていた。写真は昨日の玄関の様子である。うきうきした気分が現れて、なんだかとても可愛らしい靴たちである。もっともお行儀の悪い青い靴の持ち主は、我が家のプリンス、ゆういちろうである。よほどはしゃいでいたと思われる。きっと他所のお宅でもこんなんだろうな。しつけがなってない(笑)。

今日はおいしいパンを買って宇治市の植物公園に行って食べ、秋の植物状況と、寄せ植えのアイデアなどを確認しながらゆっくりと散策した。その後、お隣の太陽が丘公園に寄り、バドミントンをしたり、電動バギーを走らせたり、芝生の上で昼寝したりと、お天道様のもとでのんびりと過ごした。リフレッシュ♪

夜は昨日のバーベキューの残りもののカット野菜を、野菜中心のイタリアン、スープにパスタにオーブン焼きにとそれぞれ再利用して、全部たいらげた。冷蔵庫の中がきれいになって気持ちよかった。玄関で靴を脱ぐ暮らしは死守しながら、食事やら公園で休日を過ごしたりする生活は西洋風に偏っている。私たちの生活って面白いね。 2011.10.9.



庭が少しずつ秋めいてきた。木の実も色づきはじめ、愛らしいことこのうえない。写真はツリバナという名前の木である。マユミの一種で、花や実が吊り下がるタイプなのでツリバナと呼ばれるそうだ。昨今の雑木ブームのおかげで庭にもいろいろな木を植えることができるようになり、とてもありがたく思う。

今日は、ひさしぶりにのんびりと過ごした休日だった。午前中にゆういちろうの友だちが遊びに来て、お昼ごはん食べてく?と聞いたら、うん!!ということだったので、急きょ外でバーベキューをした。みんなお肉大好きで、おいしそうに食べるのを見ていたら、もうそれだけで満足。ほとんど子どもたちにあげてしまった。ヤバいぞ、これっておばあちゃんの気分じゃないの?、すっかり歳をとってしまった感がある。

先週からいろいろなことがあったなあ。ひさびさに学会で口頭発表したし、翌日は工務店さん主催の家の見学会があり、大勢の方々を前にたくさんしゃべった。そして忘れもしない植木盗難事件、警察沙汰。被害体質にならないよう、さらに自分なりに美しく庭を整えて、気持ちを落ちつけた。身近にとてもいい人たちに囲まれ、一方で邪険な人間の砥石にも磨かれ、カラフルな生活だわね。

今晩は坦々麺にする予定。どちらが作るかでいつものように夫婦間で水面下の争いをしている。 2011.10.8.

ごはんにたまねぎとわかめの味噌汁、鮭の塩焼き、オクラのサラダ、山芋とろろ、プチトマトと、朝食っぽい夕食にした。それだけで結構、もう十分な感じがした。私には肉を食べたくない日というのがあって、そういう日は決まって小食となる。これからゆっくり時間をかけて全般的に小食にしていきたいと思う。もちろん肉と魚のバランスを考えながら。

本日、夫は、奈良市役所にメールを出し、給食の産地情報の継続的な開示をお願いした。役所の担当者の方から丁寧な返信メールがすぐに届き、奈良市ホームページにも10月分の産地情報が即刻載せらていたそうである(ここ)。「超」がつくほど迅速に対応してくださり、ありがたい限りである。

放射能問題は「みんな」の問題である。よって本問題に「みんな」で取り組むにあたって市民が気をつけるべきことは、「役所の方のやる気を削いでしまったら元も子もない」ということを肝に銘じておくことだろう。「市民の健康を守るために働いておられるあなたがたを頼りにしています、どうかこれからもよろしくお願いします」という態度が大事なような気がする。「あんたら、ほんまにちゃんとしてるんでしょうね、変なことしたらただじゃおかねえからな、はよ10月も情報公開せんかい!」という態度はご法度だろう。そんなことを自分が言われたら面白くないもん。自分が役所の人間だったらこの手の「クレーム」は後回しにするもん。

こういう私たちの態度について、パターナリズムを逆手にとってと批判する人もいるかもしれない。だけど、もうこの期に及んでそんな「大人の都合」でしかないお子様的内輪もめのようなことをしている暇はなく、お互いにてきぱきさくさくと気持ちよく仕事ができる「空気」づくりのほうがよっぽど大事だと思う。

以下に夫の書いたメールの文面を載せます。何かのお役に立てれば幸いです。

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Subject: 給食の食材産地情報の開示について

奈良市 保健給食課 御中

奈良市 ** 在住の **** と申します.

いつもお世話になっております.

小学 * 年の息子を ** 小学校に通わせております.
先の震災によって,放射性物質が各地に拡散し,医学的に
もっとも被害を受けやすい子供の食の安全が大変危惧されております.

先日,貴組織が早急な対応にて,様々な情報が錯綜する中で
9月の学校給食の食材の産地をいちはやく明示していただき,
放射線の影響が考えにくい産地からのみ食材を調達しておられることに
関しては,我々小さな子供をかかえる親としましては,まことに深く感謝
いたしております.
よい街に住めますことを有り難く,誇りに思っておる次第です.

今後とも影響が収まるまで,継続的にこのような情報公開と
子供たちを危険な可能性からできるだけ遠ざけるための努力を
是非とも我々市民とともに協力して行っていただきたいと存じます.

卑近ではございますが,10月以降の給食の産地情報も早急に提示のほど
何卒よろしくお願い申し上げます.


2011.9.29.

27日(火)は、家を建ててくださったツキデ工務店さんの仲立ちで、秋山東一先生率いる勉強会の一環で、全国各地より集まった工務店の方々が我が家にお見えになった(秋山先生のお仕事については例えばここで紹介されています)。かつて(奥村)まことさんが、勉強する工務店は貴重な存在だからね〜とおっしゃっていたことを思い出した。何か善いことのお役に立てればと思う。今必要なのは「善」だと思うのよ。

私の考える、(神仏の仮住まいである寺社仏閣とは異なる)人間の住む家の理想を擬人化していえば、自分のなかの俗気を真摯に見つめ、微量に野暮ったいところのある、人のよさが剥き出しになった感じの安心できる家なのである。善に向かおうとする強い意志、うぶで切実な爽やかさが家中に漂っているのが理想中の理想。といいますか、奥村夫妻とツキデさんの作った家自体が住民である私たちに、そのようであれ!と命じている気がする。木の精たちが私たちを教育しているような気がする。

なんでこんなことをつらつらと考えているかといえば、やっぱり私の中に潜むどうしようもない悪の部分、イヤラシイ差別意識を最近とみに自覚させられ、いやになっちゃうなあと思うことがしばしばであるからだ。ここに正直に懺悔すれば、原発を擁護する人たち(自分が第三者的客観的立場に立てるとでも思って反原発脱原発派の動きを「評論・評価」している人たちのことも含む)のことを私は、たとえ「高学歴」であっても教育水準に問題のある、頭の悪い人たちであると、心底軽蔑し、差別し、馬鹿にしている。正直に言って、相手のことを憎むに値しない馬鹿だと思っているから、憎むことができないのだ。

憎むというのは対等な者どうしのあいだで生まれる感情だと思うから、だから本気で怒っている人に対して、憧れの気持ちを抱き、ときには自分も「怒ろう!」とがんばるのだが、無理がある。なかなか怒れない。しょうがないじゃん、相手は理屈の通用しない馬鹿なんだもん、となってしまう。人を馬鹿って言う者が馬鹿だと習ったのにね、ホント難しいわ〜。

この手の差別意識をどうにかしない限り、脱原発、反原発運動は成功しないという気がしている。一世代前の運動家の失敗の原因はいくらでも指摘できると思うが、一つの要因として、この手の「蔑視」にまみれ、多くの人たちからそっぽを向かれても、さらに冷笑的な蔑視を募らせて負のスパイラルに陥ったからだと思う。

幸いこの家に住んでいると、奥村夫妻や腕のいい職人の世界の持つ、善に向かおうとする清潔な意志に囲まれるので、おかげさまで、負のスパイラルに落ち込んでにっちもさっちもいかなくなることは防ぐことができそうなのだ。大恩を感じる。自分のなかの俗気を真摯に見つめ、強い意志を持って善を見つめようと思う。

本日28日(水)は、秋学期最初の非常勤講師のお仕事があった。今日は仕事をしたというより顔合わせに行った感じなのだが、後期も仕事があるのは大変ありがたいので、心して働こうと思う。

今晩は今期初の鍋にした。ちゃんこ鍋。味付けは微妙に失敗した。まだ先は長いので、鍋の勘を取り戻していこうと思う。 2011.9.28.



ここ数日めっきり涼しくなり、夏用の肌掛けだけでは眠るとき心もとなくなってきた。あれ、涼しいぞと思ったら、土手に薄の穂がお目見えしていた。自然の的確な同期にはいつも感心する。晴れの日にお団子を供えてお月見しようねとゆういちろうと相談した。どうやら明日は暑さがぶり返すらしいが、確実に季節は変化している。

今晩は、ごはんにしじみの味噌汁、ぶりの塩焼き、ほうれん草の胡麻和え、山芋とろろ、トマトのサラダと、一つの素材で一品作る献立にした。混ぜたくない気分。ちょびっとだけ誇らしいのは、胡麻和えの胡麻には、いつものすりおろしパックのものではなく、ちゃんと空炒りして粗めにすり潰したものを使ったところ。やっぱりひと手間かけると、家族に大好評で、ゆういちろうからは「お母さん、将来の夢はお花屋さんじゃなくてシェフにしたら」と褒められました。やっぱり私は褒められて伸びるタイプなのかもしれません、褒め上手な男の子に育っています(笑)。

裏庭の通り道には雨でじゅるじゅるにならないよう週末に砂利を撒いた。眼の錯覚でぐんと奥行き感が出た気がする。じゃりじゃり言わせながら裏庭を歩くのは本当に好きである。人目を気にすることなくぼーっとできるし、ミントや青じそを思わず踏んでしまったらいい匂いが立ち上ってきてすぐ分かるし、実家の庭から持ってきた植物もたくさんあり望郷の念を飛ばせるし(トリップ好き)。もう少し秋が深まれば、かなり派手な紅葉をそれぞれの木が見せてくれる。とりたてて抑制を効かせる必要のない、裏庭ならではの楽しみがいっぱい詰まっている。

熊本の伯母から梨が届いた。梨は水分がいっぱい含まれた日本の梨が一番好きである。先週までは岡山から届いた葡萄があった。食後に果物があるととても気分がよい。しあわせ〜って思う。遠い遠い祖先、おサルさんだった大昔の頃からきっとそうだったに違いない。太古の人間の祖先が、現代日本の果物農家の作るびっくりするほど甘くてみずみずしい透明な木の実を口にしたら、泣いてしまうくらい感激するんじゃないかな。



2011.9.26.


ゆういちろうのリクエストに応えて、おやつにパンケーキを焼いたり、今日こそミートソースを作ったり、お母さんって感じの休日だった。明日は空手道稽古があるため胴着にアイロンをかけた。シーツやまくらカバーも交換した。さらさらのきれいな寝床でぐっすり眠ろうと思う。やるべきことはやった。静かに明日の朝を待つ。

最近の我が家の合言葉は、「マジすか、先輩!」である。先人の築いた文化的風土の恩恵をたっぷり浴びて生活をしていることに日頃から感謝して暮らしているので、先輩のことを少しでも悪く云うのは後輩の風上にもおけない態度だと思って、結構これまでいろいろなことを胸に呑み込んで生きてきたつもりである。

でもなあ、最近ちょっと愚痴っぽくなってきて、「マジすか、先輩、これ、マジ先輩がやったんすか。どうすんすか、めっちゃやばいっすよ」という言葉がつい口に出てきてしまうのだ。世の中の常として、後はおまえらで何とかやっておけとなるのは必定なので、「マジ、勘弁してくださいっすよ。」の時代が到来、生き残った者ひとりひとりにメガトン級の重荷が課せらるのである。基礎体力をつけとかないとなあ。 2011.9.23.


原発なみにサイテーなのが、制御できないくせに無責任にあげている人工衛星で、とくに軍事目的のものなどは秘密裏にあげられているので、本当のところを知る人がほとんどいないという恐ろしい状況のもと私たちは暮らしている。大事故が起こって悲惨な犠牲者を目の当たりにしない限り、見直しを求める声が大きくならないのも原発と一緒。

日本時間23日深夜から24日未明にかけて、NASAが打ち上げた衛星UARSが大気圏に再突入するとのこと。原子力電池が積まれていないのがせめてもの救いであるとはいえ、他の生物には申し訳ないが、少なくとも人間の上には直接落ちてこないよう、祈りを捧げている。そしてなるべく多くの部分が燃え尽きて、落下物の地球に与える衝撃がなるべく少なくなるよう、地面にクレーターができたり、近海におちて津波を引き起こしたりするほどの大きさのものが落ちてこないよう、祈らなければ。文科省がNASAが発する最新情報を逐次日本語に訳しているので、ここをたまにご覧になってみてください。

とにかく我が家は23日夜はおとなしくしていようと思います。家族3人小さくひとまとまりになって眠ろうかと。

ただいま工務店の方がお掃除をしに来てくれています。窓拭きをお願いしました。窓がぴかぴかだと家に清潔感が出てくると思うので、助かります♪ 昨日は腕のいい植木屋さんが来て、雨風のなか庭を丁寧に美しく整え、今朝は庭木の消毒までしてくれました。こんな世の中だから何しても無駄だと考え、やる気をなくしてしまったら、ますます悪いことが起こりそうなので、不断の努力(人間的抵抗)により身の回りは整えておこうと思います。

今晩は実家から送られてきた焼き鶏セットを利用して、簡単ごはんにしようと思います。ありがたくゆっくり噛みしめていただこうと思います。 2011.9.22.


前期の非常勤講師の仕事が本日終わった(正確には、採点が残っているが)。ブラジル行きで2回、台風警報で1回、合計3回も休講になったため、9月に詰め込み講義となったのだった。今日は同じ科目を2限と3限連続で担当した。来週からは、今度は別のところで、新しく演習を担当することになる。いったいどうなることやら。

近いうちに我が家を建ててくださった工務店主催の見学会(おうち紹介)が開かれる予定で、サービスの一貫として、明日は台風の影響がなければ、工務店の方がきて、家のなかの掃除や破れた障子の張り替え、庭の草刈りをしてもらうことになっている。そんなサービスがあるのだったら、定期的に見学会を企画してもらいたいぐらいである。我が家は常にきれいでぴかぴかでいられる。今、ふと思ったのだが、先日の、切迫した片づけしなきゃ病は、この見学会のことが頭の片隅にあって、地震不安にかこつけて一気に勃発したのかもしれない(笑)。今までどれだけぐちゃぐちゃだったのかという。。。

先週末は東京出張があった。一番心に残ったのが、ぱくさん、前嵩西一馬さんの講義を受講したことだ。課題図書が、目取真俊 作 『眼の奥の森』だった。凄惨な性暴力シーンがあったり、全般的に読むのがとても辛かったが、それでも読んでよかった。私は沖縄のことを知らなすぎる。琉球新報の書評に、「十分に小説の深さと人間へのいとおしさを味わわされた。余韻のままに摩周湖にでもおぼれたい心境だ。」と評されているが、私も同意する。

もちろん講義では、小説を読んで感動ということで終わるわけなく、フォークナーや崎山多美などの文学作品との関係や、羽仁進の映画、ベンヤミンの文章、その他、忘れ去られそうになった人たちの言葉、チビチリガマの沖縄戦生き残りの方たちの語りや、アリス・ウォーカーに再発見されたといわれるゾラ・ニール・ハーストンの『驢馬とひと』の記述法などなど、たくさんの表現者たちの表現が、考察の対象になった。途中から岡アさんや木原さんも合流し、みんなでビールを飲みに行った。四谷の人たちといると、なぜかほっと安心する。

今日は夫が日帰り東京出張で、帰りが遅くなる模様。とにかく地震や水害で壊滅的被害がもたらされないよう今後も祈るしかない。今晩は何にしようかな。昨日の晩と今朝はおでんだったから(自分でいうのもなんだが、おいしくできた)、今日は趣向を変えてゆういちろうの大好物ミートソースでも作ろうかな。 2011.9.20.


最近、本を読む前から本の内容が分かったり(より正確には、分かっていたことが当の時点では分からなくてもあとから確認されたり)、普段全くコンタクトのない方にメールを出そうと思っていたら当のご本人から(間接的に)連絡が入ったり、不思議なことがよく起こる。勘がよくなっているのかなあ。それとも私が無意識に強い念を発しているのかなあ。ある方の表現を借りれば、頭がおかしくなったのではなく、頭がネットワークになっているそうである。

昨日は、私のなかで急に地震が心配になって慌てて部屋の片づけをした。頭上にあるものを中心に片づけた。本以外でいえば、特に、焼き物関係が片づけの対象となった。高価なものや美術的に価値のあるものはなくても、家族の思い出がつまった、割れると取り返しのつかないものを丁寧に箱のなかに仕舞い、紐で結わい、ベッドの下に入れた。また、棚の上に、つい格好つけて飾って置いた重たい焼き物も片づけた。地震のときにフライングソーサとなれば凶器以外の何物でもないから、今のうちに飾りは止めようと、どうしても飾りたくなったら、籠とか軽いものにしようと決意をあらたにした。

でも、そうこうしているうちに、あんなに心配し、不安発作に襲われていたのが嘘のように霧消し、そこつ者の私がこんなに大慌てになって焼き物を全部片付けているのだから、どう考えてもこれは地震が起こらないに違いない、と思うようになった。家族みんなで大笑いした。「備えあれば憂いなし」をそのまま地でいくような心境の変化だった。単純だなあ。

とはいえ皆さんも、それぞれのタイミングでふと心配になったときに、片づけを済ませておいたらいかがでしょうか。安心感が全然違いますよ〜。特にですね、自分が応援するとサッカー負けるというジンクスを信じている方なんて、自分が片付けたら地震が起こらないと信じて、お守り代わりに片づけをしたらいかがでしょう(笑)。

今晩は昨日の残りのチキンカレーを温め直して食べる予定。らくちんです。 2011.9.15.




夫は朝、開口一番「腹が立つ」といって起き上がった。朝からかなり感じが悪い。とにかく最近すこぶる機嫌が悪い。何かに常にいらだっている。

近いうちに西でも大地震が起こるといって、最近また食糧、水、そのほか生活必需品の買い占めに走っている。取り出しやすいところに避難グッヅを分散させるなど、ものすごい勢いで家や外の納屋を整理している。ここ1,2週間の我が家の行動である。

3.11前、去年の暮れも、そんな感じだった。寒い、凍えるといって夜中に急に私に抱きついてきたり、もう日本はおしまいなので海外移住をすると宣言したり、私はてっきり乱心かと思って心を痛めていた。実際に大震災が起こった後は、本人はけろっとして、もしかしてこれが原因だったの?と、彼の勘の鋭さに驚いたのだった。

その彼がまたここのところ不穏行動をとっている。今度は私は心を痛めるどころか、もしかして本当に近いうちに起こるのかもと思うようになった。それに上の写真にあるよう、昨日私は会社帰りに地震雲のようなものを見てしまったのだ。真横一文字に伸びる帯状の雲と、そこから放射する何本もの筋雲。どこかでプレートが割れたのかもしれない。

備えるべし。何事もなければ後からな〜んだとにっこり照れ笑いすればいいので(そうであることを祈る)、今はとにかく落ち着いて備えるべし。頭上にある本などはこれからすべて下に降ろそうと思う。 2011.9.14.


今日はとてもたてこんでいた。午前中は研究所で会議のためひさびさに出社。だけど会議自体が流れてしまい、ちょこちょこっと事務仕事を済ませて、午後からの講義のため非常勤先へと移動。帰宅後、夫とゆういちろうの食事の準備を半分ほど整え、夜は奈良の起業家の方たちの集まる会合へ。奈良で畳屋を営んでおられる塚本益広さんのお話を聞いた(お店のHPはここ)。お寺(東大寺、西大寺、法華寺、唐招提寺、法隆寺、矢田寺など)から一般家庭にいたるまで、地元で畳づくりに真摯に取り組まれていることが伝わった。

ゆういちろうの学校の宿題に詩の音読があり、その詩のすごさに感動した。まどみちおさんのイナゴという詩である。


    イナゴ
            まど・みちお

 はっぱにとまった
 イナゴの目に
 一てん
 もえている 夕やけ

 でも イナゴは
 ぼくしか見ていないのだ
 エンジンをかけたまま
 いつでもにげられるしせいで……

 ああ 強い生きものと
 よわい生きもののあいだを
 川のように流れる 
 イネのにおい!


2011.9.13.




先日自ら土を耕し自分の手で植えたねぎを祝福するかのように陽の光が当たっていた。おいしいねぎに育ちますように。

今現在の私の願いはただひとつ。「私は二人が結ばれて幸福に生きたものと信じることにしています。それが自分を慰めるための方便にすぎないと分かっていても、そう願わずにはいられないのです。」 神様、どうか私の願いをかなえてください。 2011.9.12.

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『存在の一義性を求めて』  写経の続き

p. 261
 「超越」といえば、上方に向かって飛躍するようなイメージがありますが、中世哲学での「超越概念」は、そういうこととは少し違うのかもしれません。超越概念をめぐっては、「超越」ということにばかり心を奪われてしまうと問題を見失う場合があります。カントの超越的統覚という場合もそうですが、「超越」は、それほど本質的なことではないのです。確かに「超越」には「越えている」という意味合いはありますが、「越えている」とは、力や高さや勢威においてではなく、序列を越えているということです。

 さらに、超越概念では、「越えている」ということより、超越概念が群としてのあり方をしていることの方が重要であると思います。これをもう少し正確に説明すれば、超越概念とは、相互に「互換される(converteri)」ものであり、代入しても命題の真理を損なわないようなものなのです。現代的に言えば、外延が等しく、内包が異なるものといえるでしょう。こういう内包的な観点から、超越概念を中世哲学の議論の中に取り入れたのが、大学総長フィリップ(1160−1236年)でした。当初は、「存在」「一」「真」「善」の四つが超越概念と考えられていましたが、フィリップは1225年頃の著書『善に関する大全』で超越概念を定式化し、そこでは存在と善とが互換的であると述べています。これは、存在するものはすべて善だという、おめでたい楽天主義ではなく、被造物の目的因に向かう可能性としてのあり方と、現実態(現実作用)が切り離されないことを主張するものでした。現実的に善なのではなく、可能性の現実化を目指して善=完全性に向かいつつあるあり方が、存在者の中に見出されるということを述べているのです。アリストテレスは、生きていることはエネルゲイアであり、そのつど生きることは完全性に達しているといいましたが、それと似たことがここで告げられているのです。シンプルでありながら、深く豊かな思想がここにも見られます。自己関係性を備えた生成のプロセスがそこにある、といってもよいでしょう。

 超越概念の理論は、中世哲学において重要な特徴となるもので、豊かな内実を備えていますが、話が先に進みすぎたようです。

 「存在、事物、一、あるもの、真、善」といったものは、カテゴリーに分割される以前のもので、まとめて超越概念(transcendentia, transcendentalia)といわれます。カテゴリーは、「実体、量、質、能動、受動」というように、事物の分類する項目です。「範疇」という言葉もあります。手で書くのが憚られるほど難しい漢字を使いますが、要は分類方法のことです。アリストテレスはカテゴリーを10に分けましたが、10でなければならない必然性はないという指摘がいろいろとあり、3個で十分だとか、カントのように12の方がよいとしたり、いろいろな考え方が提起されました。近世以降では、物事を大きく二つずつに分けていく二項分割が流行するようになり、そうなるとカテゴリーは大きな意味を持たなくなってきます。このダイコトミーの元祖が、ペトルス・ラムスです。ラムスは、アリストテレス論理学を攻撃し、アリストテレスが語ったことはすべてでっち上げだと語ったほどです。


p. 265
 形而上学(引用者注:英語でいうところのMetaphysics)とは、言葉の由来としては「自然学の後の本」という、平板な意味しか持っていませんでしたが、スコトゥスは形而上学を「超越的な学知(transcendens scientia)」として説明し、なぜ「超越的」かということについては、超越概念を扱うからであると説明しています。

 スコトゥスにおいても、超越概念はすべての事物に共通に該当するというような外延的な捉え方ではなく、いかなる類にも下属しないもの、と捉えられています。この規定と、有限と無限に中立なものというのが、超越概念の説明に用いられますが、これはとても重要なことです。これによって超越概念の拡張が可能となります。

 スコトゥスは、超越概念に離散的様態も、さらには純粋可能性をも加えました。超越概念は元来、存在、事物、あるもの、真、善、一という六つでした。ときにはそこに「美」も加えられて七つになったりしましたが、いずれにしても比較的少数のものから構成されていたのです。

 離接的様態とは、「無限か有限か」「一か多か」「必然か偶然か」といったものです。またこの離接的様態の一方は、存在論的に上位にあり、神にのみ帰属するとはいえないとしても、神学的な概念です。たとえば、「無限存在」というのはカテゴリーに包摂されるようなものではありません。


p. 267
 さて、無限存在としての神は単純な存在です。なぜ単純なのかはここでは踏み込みませんが、無限であることは存在に何も概念規定を加えないということです。無限は存在に概念規定を加えないがゆえに、無限存在は単純なままなのです。

 ところで、この無限は概念規定を加えないのに、限定を行います。これをスコトゥスは「内在的様態(modus intrinsecus)」と呼びます。スコトゥスは新しい概念装置を次々と提出します。新しいものが好きというよりも、自分の有する存在論的枠組みを表現せずにはいられない、強烈な表現衝迫を有していたのではないでしょうか。スコトゥスを、私が「表現者」と考えるのはそのゆえなのです。

 内在的様態をスコトゥスはしばしば「白さ」で説明します。純白から、三日目のワイシャツの白さまでと、白さにも幅があります。「白」ということでは違いがありませんから、概念規定では何も変化はありません。

 そこで、スコトゥスは内在的様態を「強度(gradus)」とも呼びます。gradusというのは「程度」や「内包量」とも訳せますが、無限の幅を持った階梯を意味してもいます。この階梯には、ここまでが白でここから白でなくなるといえるような境界がありません。

 こうして離接的様態には、さまざまな概念が関わってきます。そういったいわば背後に置かれた枠組みの細部に、スコトゥスのオリジナリティが宿っているのですが、中でも一番大事だと思われるのは、無限と有限の両者を包含するということです。


p. 272
 (略) スコトゥスの場合、離接的様態こそ、神と被造物を媒介する絆なのです。概念における絆であり、自然的な絆なのです。(略)

 離接的様態とは、両項が矛盾対立関係にあって両立することなく、必ずいずれか一方であって、その中間は存在しないということです。事物が分節化する場合の根源的な相を表現しています。その場合、系統樹のように、二つずつに枝分かれしてくように表象されてはならず、むしろ強度のスペクトルとして表象されるべきなのでしょう。一方の項は、強度の階梯の一方の極に位置し、もう一方は、その極から最小の強度に向かって延び広がっているのです。


p. 274
 存在の一義性を基礎として展開される、スコトゥス哲学に特徴的な思想として、ここでは愛の問題を取り上げておきます。愛が神と被造物の絆であることは大前提となりますが、スコトゥスにおいて、愛は少なくとも二つの大きな働きを持っていると考えられます。その一つは、神の愛とは内包的無限性の一つの典型例だということです。もう一つは、自己愛が神への愛に継ぐ基本的な位置を占め、そして倫理の基本にあることを示している点です。


p. 275
 神への愛と隣人愛とが結びつくことには、それほど長い説明を必要としないでしょう。いろいろなところで何度も語られてきましたから。問題となってくるのは、神への愛と、隣人愛と、自己愛との関連です。スコトゥスの場合、興味深いのは、神への愛から直接自己への愛が導出されるというのです。しかもそれが正当である、とスコトゥスは考えます。「人は自分自身が神を愛するように欲するとき、自らを愛ゆえに愛する(In volendo se diligere Deum, diligit se ex caritate)」(『オルディナチオ』 第三巻第二九篇)とスコトゥスは記します。神を愛する者は、正確に述べれば自分が神を愛するように望むという自己関係的な欲望を持つとき、神の次に自己を愛するというのです。これは、とても重要なことが語られていると思います。

 この論拠を、スコトゥスは次のように説明します。善性と一性(bonitas et unitas)こそが愛の基礎となるのです。善性の最も完全なあり方である限りで、第一義的に無限に善なる神を愛する場合に、自らの内に別の最高度のあり方(alia ratio maxima)、つまり一性が現れるが、これは完全な同一性(perfecta identitas)なのです。

 また、スコトゥスは「愛ゆえに愛するものはすべて、無限の善へと秩序づけられて自らを愛する。というのも、善に向かう所以となる作用ないしハビトゥスを愛するからである」(『オルディナチオ』 第三巻第二九篇)とも述べます。スコトゥスが愛において注目するのは、「私が神を愛する」という直接的な作用ばかりでなく、「私は、神を愛すべき者としてあなたを愛する」というように、「媒介的対象」が関わる反省的な作用として捉えられるということです。

 繰り返しになりますが、ここには重要な論点がいくつも含まれています。<私>もまた隣人の一人であるということです。既に触れられていますが、自己愛こそ隣人愛の根源的・本来的姿なのです。自己愛を前提しない倫理はありえません。自己愛はエゴイズムとは異なっています。自己愛は、ある大きなものへの捧げ物なのです。


p. 278
 自己愛といっても、対象への愛なのか、自己の作用への愛なのか、を区別することは重要です。そして、神への愛はどうなるのでしょう。神の似姿としての三位一体が人間の内にある場合、自分そのものが神を映し出す鏡になるわけですが、そこでの神と自己とは、対象というべきなのでしょうか。それ自体で(ex se)ということも、おそらく対象として愛することではないのでしょう。

 自然的認識は愛が発動するための条件です。そして、存在の一義性も愛が発動するための条件なのです。その際、愛は対向作用というのではなく、反省作用なのです。それ以上の具体的な構成は、スコトゥスにおける愛の思想の専門書に任せるしかありません。ここでは、存在の一義性がスコトゥスの愛の思想と密接に結びついていることを示すことができれば十分なのです。





3年前に植えた仙人草の苗が今年初めて花を咲かせた。しかも、裏庭に自然に実生で生えてきて、今年急激に背丈を伸ばした木に絡まり、大変好もしい姿をしている。つる性植物はつるの誘因が何かと面倒だが、自分で木に絡まってくれる分には手間が省けてよい。

じゅくじゅくに熟してしまいそのままでは食べる気がしなくなったバナナを利用して、バナナのパウンドケーキを焼いた。お菓子作りは、比較的気分に余裕のある日曜日に許された特権的行動である。材料を計ったり混ぜ合わせたりするときの雑念のない何かに集中した時間は貴重だと思う。家じゅう甘いいい匂いがしている。早く切り分けて味を確かめてみたいが、冷めてしまうまで我慢、我慢である。

あ、あとね、写経も大事。尊敬する人の書いた、好きな文章を一心不乱にキーボードに叩きつけていけば、あら不思議、そちらのほうに気持ちが流れ、頭の中がすっきりする。放っておくと口から毒が出てきてしまいそうなときなどは特に威力を発揮すると思う。お勧め。

今晩のおかずを何にするか誰が作るかをめぐって夫婦間で水面下の闘いが繰り広げられている。そろそろ決断の時期である。 2011.9.11.

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『存在の一義性を求めて』  写経の続き

p. 226
 スコトゥスの存在論を考える上では、やはりヘンリクスの存在論について、その外見だけでも見ておく必要があります。既に何度もガンのヘンリクスに登場してもらいました。それは、アナロギア説、照明説などにおいてでした。しかしまた、ヘンリクスの存在論についても少し触れておく必要があるかと思います。ヘンリクスの思想には、実は私自身触れたいわけではないのです。しかし、スコトゥスはヘンリクス批判に基づいて自分の思想を築いていったので避けて通ることはできないのです。もし、ヘンリクスを避けて、スコトゥスに至ることができれば、どんなに楽でしょう。そうすれば、私ももっと早くスコトゥスの内実を理解できたはずです。しかし、ともかくヘンリクスの存在論についてです。


p. 233
 ヘンリクスの言葉遣いは必ずしも一貫していません。しかし、基本的にアヴィセンナが語った「馬性はそれ自体では馬性でしかない」という存在論的事態を取り込もうとしていることは事実です。ヘンリクス自身、馬性の格率を何度も引用し、それに続いて議論しているのですからこれは確かです。しかし、使われている概念の対応関係が明瞭には見えにくいということがあります。

 まず、偶有性は、とても重要な契機で、馬性の格率の核心にある事態です。それについては別のところで説明しますが、一でも多でも、精神の外にも事物の中にもない、つまり「ないないづくし」の事象が<もの>といえるのはなぜか、それはどういうリアリティを持っているのかが語られているのです。「ないないづくし」の事象が、周辺にある些末なことではなく、中心的位置にあるとすれば、放っておくことはできないのです。

 「ないないづくし」とは、空虚ということではありません。固有名は内包を持ちませんが、しかし「あなた」という代名詞で指示される事物が「名なし」であるとしても、規定性を欠いた空虚なものではありません。すべてのものは「ないないづくし」の規定相を有しています。それは一つのあり方なのです。そしてこの「ないないづくし」は、語りにくいながらもさまざまな現れを持ちます。ヘンリクスとスコトゥスの対立も、この「ないないづくし」をいかに捉えるかをめぐるものでした。「ない」という否定辞を使うのは人間だけであり、「ないないづくし」は言葉の中では分かりにくくなってしまいますが、河原の小石のようにありふれたものです。

 いったん話を戻しましょう。事物を三つの層に分けたのは、存在と本質の関係を示すためでした。本質と<本質存在>と<現実存在>とを分けた理由を考える必要があります。<本質存在>が「・・・である」と捉えられ、<現実存在>が「・・・がある」で捉えられるというのがシンプルな説明ですが、本質と<本質存在>との違いや、事物を三つの層に分けたこととの関連が見えにくくなります。


p. 235
 <本質存在>という「ないないづくし」の分かりにくいものが、何度も説明に登場するのは理解しにくいことですが、それは未分化で未規定的なものが、生成の過程の中で具体性を帯び、そして最後に具体的な姿として完成して獲得されるということを考えれば分かりやすくなると思います。

 本質と<本質存在>が区別されたのは、<本質存在>が端緒にある未規定相を表し、本質が規定を表すからでしょう。<本質存在>は本質の一つのありかでもありますから、区別しにくいのは当然です。数学の比喩を使うのは、そこに何か勘違いがある場合には、混乱を引き起こすだけですが、<本質存在>は初期状態、本質は方程式、<現実存在>は具体的数値によって限定された現実の状態に喩えてよいかと思います。まだ生まれ出ていない状態は「未生」といわれます。自然言語が、生成の相や端緒となるこの「未生」ということをうまく表現できないのは、退けられるべき害悪ではなく、そうした不完全な道具であることを前提として、その中にうまく始末して取り込まなければならないのでしょう。


p. 237
 馬性すなわち<本質存在>にすべてのものは偶有的に生じます。この偶有的に生じるということは、生成展開を意味します。<現実存在>とは、ここの具体的な事物の姿ですが、その際に、存在は偶有的であるということは、右に記した事柄の言い替えでしかないのです。存在が偶有性であるというのは、存在は生成の相にあることの言い替えです。


p. 239
 重要な点なので、しつこいくらいに考えておきます。偶有性とは、「自体的に和解された、何性の外部にあるもの」であり、その際、外部にあるということは、何性のうちに「現実的に含まれていない」ということではなく、何性を「いわば自然的に予め前提している」ものだというのです。本質が概念把握され、分節的に捉えられたものが何性ですが、ここで大事なのは、何性の外部にあるとは、何性に含まれていないことではなくて、何性を前提していることだ、という点です。何かを待ち望んでいるといってもよいでしょう。これは何を意味しているのでしょうか。馬性は、一でも多でもなく、一とか多の外部にあります。ですから、馬性は一でも多でもないのですが、それは一や多を前提している、あるいは渾然一体となって(unitive)含んでいるのです。

 この渾然一体となって含んでいること(unitive continere)を、「統一的包含」とスコトゥスはいうのです。これは、ヨハネス・ダマスケヌスが語った「無限なる実体の海」と重なることです。


p. 240
 ヘンリクスの存在論は、<もの>の存在論と名づけることもできるでしょう。彼ほど中世において<もの>にこだわった人はいませんから。しかしその際、<もの>は必ずしも物質的事物のことではありませんでした。<もの>こそ、実在性(リアリティ)の基礎ですが、<もの>は現代人が考えるよりも、手応えのないものなのです。人間は、手応え、重さ、固さ、暑さ、痛さといった物理的なものを基礎にしてしまいます。<もの>を感覚や物理的なものを範型にして捉えてしまいます。中世においては、<もの>の範型は神の知性にありましたが、現代ではそれは硬い物質か、指でいじれるものか、になってしまっています。かつては樹や石や虫が話しかけてくるような世界がありました。日本でも思いの外最近まであったように思います。<もの>とは抽象的なものでありながら、きわめて具体的なものなのです。中世哲学において、res(=<もの>)に代表されるような超越概念は、身近なものであったはずです。そういう感覚が失われてしまえば、存在論の世界は空虚であり、そこは概念の砂漠でしかありません。

 <もの>の存在論の課題はどこにあるのかといえば、それは目に見える世界からいかに離れるかということであるはずです。このようなことにこだわるのも、普遍論争において、普遍の実在論が論じられる場合に、実在論とは普遍が<もの>のごとく存在し、その場合の<もの>としては物理的な事物が考えられてしまうことが多いことを見てきたからです。「実在する」ことと「世界の中の事物として存在する」こととは同じなのでしょうか。実在論を語る場合、両者が同じではないことは語るまでもないこと、と私は思っていました。普遍が事物として存在すると考える人は、たとえ実在論者であろうが、存在しません。事物としては存在していないとしても、事物以上に実在性を有するものは存在します。


p. 244
 さて、普遍が存在するとはどういうことでしょうか。いや、それよりも先に「普遍」とは何かが知られるべきでしょう。普遍が一種類ではなく、何種類も存在するとなると、普遍が存在するということも一通りで語れることではなくなります。

 いろいろな考え方がありますが、普遍には最低三酒類あるというのが中世の標準的見解でした。事物の前にある、事物の中にある、事物の後にある普遍というようにです。それぞれが、プラトン的普遍、形而上学的普遍、論理学的普遍などと呼ばれました。事物にある普遍とは、概念としてある普遍です。(略)


p. 245
 基本的に、普遍は概念としてあります。しかし概念が知性によって形成されるのに対して、概念に関するさまざまな規則・法則は決して知性によって構成されたものとは思えません。形式的な推理の体系だけでなく、実質的な推理の体系は、客観的に成立しているはずです。いわゆる実在論の立場は、その辺りに着目することで成り立っています。

 こんなことをくどくど並べているのも、普遍実在論とは、普遍が実在すると述べる立場だとしても、事物と同じような仕方で存在する、と主張されているわけではないといいたいためです。普遍実在論には、普遍がどこかに事物のようなあり方をして存在すると考える人々がいます。もし、普遍をそのように時間空間に拘束されるものと考えてしまうのであれば、普遍はどこにも存在しない、この世に存在はしない、そしてそれこそ普遍実在論だといいたくなります。

 普遍の実在性は、<もの>としてのあり方に拘束されないのです。先程<もの>のあり方を自由なものにしました。その場面での語り方を踏まえれば、普遍はまさに<もの>と言えます。ただここでは<もの>に事物のごとき姿をとってもらいます。スコトゥスは実在論とされますし、それは何ら奇妙なことではないのですが、普遍が客観的に存在するというような立場ではないのです。


p. 248
 さて、「実在論」についてまとめておきましょう。実在論とは、普遍が事物として実在することを主張するものではありません。スコトゥスは実在論者といわれますが、その特徴を無理矢理ひねり出そうとして、個物のそれぞれに見出される「このもの性」――たとえば「ソクラテス性や「坂本龍馬性」など――がそれぞれ普遍であり、したがってスコトゥスは普遍を無数に増やしたとか、共通本性には数的一性より小さな一性があり、したがって一種の普遍であって、普遍実在論を主張するのだといったようにまとめられます。スコトゥスは、実在論者として整理されるべきですが、くりかえし述べてきたように普遍の実在をナイーブに主張したのではありません。チャールズ・サンダー・パースは、未限定なものが先にあって、それが分節化して個物が現れる、と考えるのが実在論であると規定しました。未分化のものの先行性こそが実在論の本質だというのです。これは重要な指摘で、アヴィセンナの存在論にも当てはまりますし、スコトゥスの実在論にも当てはまります。<もの>として実在するから実在論ということではないのです。

 パースは、分節化の過程に実在論のメルクマールを見出しましたが、中世ではそれは、個体性の理論や区別の問題に見出されます。固体化の問題は、共通本性にどのような固体化の原理が付加されることで固体が成立するのかを問うものですが、その際重要なのは、固体化の原理が何であるかということよりも、固体化というプロセスをいかに捉えるかということであり、それぞれの契機の定義を求めることではないのです。それは、必ずしも定性的・定量的に設定できることではないのかもしれません。

 よい塩加減とは、100グラムのお湯に何グラムの塩を加えるかということではなく、出汁の加減、水の質、温度、湿度、塩の種類、体調などを総合的に吟味することで決まってくるものです。決してア・プリオリに決まっているのではありませんし、そこに規則やマニュアルは存在しません。人間が用いる自然言語はそういったプロセスを表現するのが得意ではないので、そのつどの主語と状態を記述した言葉を用いがちだということなのです。

 実在性の範型は<もの>としてのあり方にあるのではなく、ライプニッツが実在的定義(definitio realis)で示したように、プロセスにあります。スコトゥスは、実在性ということを形相的区別に求めました。この形相的区別の現れが、固体化の問題だったり、統一的包含だったり、内包的無限だったり、存在の一義性だったりするのです。これらの論点の内には、まだ説明していないこともありますから、とりあえずの説明はこれくらいにしておきますが、スコトゥスの実在論は大きな体系的ヴィジョンを備えたものであることに注視してもらえればと思います。





快晴が続いている。二度目のバラの季節になった。秋のバラは同じ株でも春に咲いたときとはまた違った趣になる。光のかげんの違いもきっと大きな要因の一つだろうと思う。写真は、マジカルミラクルという名の、何かすごいことが起こりそうな予感のするバラ。原種に近い品種で、どちらかというと花よりも晩秋に成る赤い実のほうを楽しみにして買い求めたのだが、花の色もきれいなのだから言うことなしね。

夕方涼しくなったら、裏庭のわずかばかりの畑を耕し(はびこったミントを整理し)、青ねぎを植え付ける予定である。ねぎは畑にあると本当に便利である。薬味でほんの少しだけ必要なとき、必要な分だけ取ってくればいいので助かる。根を残しておけば、すぐに再生し、春までもってくれるしね。

今晩はじゃがいものグラタンにキムチを合わせることは決まっていて、あと、何にしようかなという感じでいる。いつか韓国に行ってみたいなあ。もしかしたら現地にいっても、私の思い描いている憧れの朝鮮文化の世界はないのかもしれないけど、山内志朗先生の言明に勇気づけられている今となっては、それはそれでいいのだという気になっている。中国、とくに特に旧満州のあった東北地方も、しかり。 2011.9.10.

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『存在の一義性を求めて』  写経の続き

p. 167
 一義性とは、名称もその内実も同じということです。ラテン語ではcanis(犬)という言葉があります。空にいるcanis, つまり「天の犬」はCanisと大文字で書き始めますが、これは「犬座」です。また「海の犬(canis maris)」とは「ひとで」のことです。ラテン語でcanisは、「地上の犬」「海の犬」「天の犬」を表します。「地上の犬」はワンワン吠えますが、「海の犬」は吠えません。したがって「canis(犬)は吠えるけれど、吠えない」と述べても矛盾は起きません。こういうのが同名異義(多義的)ですが、名前も意味も同じものが一義的(同名同義)です。

 「存在」が一義的だというのは当たり前すぎて、いうまでもないことのように見えます。しかし、アリストテレス以来、存在は一義的ではないというのが大前提とされて話が進んできました。存在は一義的なはずがない、というのが当時の常識だったのです。

 存在が一義的ではないということは、存在者の領野の中に、大きな亀裂があるということを含意していると思われます。そして同時に、存在が一義的でないということが、存在は類ではないという発想と結びついて、存在には外部がないということを意味していました。

 亀裂があるとは、無限的存在と有限的存在との間に越えられない落差があることを例として考えればよいでしょう。私はこれを「共約不可能性」と考えてきました。これは理解しにくいことではないでしょう。


p. 168
 すると、問題はこうなります。一義性が、論理学で扱える領域に適用されるのは、当然のことであり、アリストテレスの論理学で前提され、それを踏まえた中世の論理学においても、哲学においても大前提でした。

 問題は、最も普遍的なものである「存在」が限界事例であるが故に、論理学をはみ出し、そして一義性が適用されることもないという点です。ですから、アナロギアという、通常の論理学を逸脱する推理が適用される場合もあったのです。

 さて、「存在」に関する限界状況は、神と被造物ないし無限存在と有限存在において、両者に一義的なものはあるかどうかと問われる場合に、両者に一義的なものがあるとすれば、それは「存在」ぐらいしかない、という答えとして現れます。

 「存在」が一義的であるとすると、一義性の領野と論理学が扱える領野は重なりますから、神を論理学が扱うこともできるようになっています。「神学」も「形而上学」も学ぶ必要はないということになりかねないのです。


p. 170
 このことは、次のように言い換えることもできるでしょう。スコトゥスの存在の一義性とは、本来「最高類」を限界事例としていた「一義性」を、その限界事例を越えてまで使用することなのであり、無限者と有限者との間の「共通の基体」の捉え方の変更をともなうものなのです。しかもそれは、紐帯としての<第三者>を概念(conceptus)に設定するものなのです。その概念は一にもあらず二にもあらず、という鵺的なものではありません。神と被造物は、事象においても(in re)事象成分においても(in realitate)、何ら一致することはないものなのですが、概念においては一致するものなのです。だからこそ、「一義的(同名同義)」と「多義的(同名異義)は、本来名称(nomen)」を修飾するものであったにもかかわらず、概念(conceptus)を修飾するようになり、「一義的な概念」ということが問題とされるようになったというわけです。

 しかし、概念も合理性も挫かれねばなりません。ここで概念が無限者と有限者、つまり神と被造物の間に設定されたということは、問題を平板化してしまうように見えます。概念が神と人間の絆であるというのであれば、キリスト・マリア・聖霊・聖人・奇蹟・聖書・教皇・教会といったさまざまな媒介、異端の危険を冒しながらも無限に多様化されるしかなかった媒介はどうなってしまうでしょう。無限の落差と最大の近み、相互浸透といった、理性では捉えにくい事態が問題になっていたのでなかったでしょうか。


p. 174
 馬性の格率とは、本質というのは、Aか〜Aのどちらかのあり方しかできないが、それ自体で捉えればどちらでもないというのです。人間は男か女か、どちらか一方でしかありませんが、人間それ自体は男でも女でもない、ということも同じです。その際、それ自体で捉える見方は、人間が頭の中で考えるだけのことではなく、事物に備わったものであり、客観的な論理的空間である、ということです。それ自体で捉えられる領域というのは、排中律が適用される以前の領域のことであり、事実に先行する世界であり、可能性の領域であり、可能性の条件を示す領域とされています。事実的にどこかに見出されるようなものではないのですが、フィクションとしてあるものでもありません。馬性の格率とは、可能性の領野において、二項対立の両項を媒介する領域の存在することを述べる原理だったのです。

 存在の一義性は、可能性の領域をどのように捉えるかに関わります。排中律の両項のどちらかに疑っていても、それらのいずれかであることを確信しているということは、トリビアルなことに見えます。可能性の領域は事実の中に現れることはありませんし、事実を支える条件であるにもかかわらず、現実にしか目のいかない人々には、存在していないようにしか思えない領域です。

 そうではないのです。この議論において、神が何であるかを問う前に、神が存在であることを確認することはとても重要なことです。実はその時点で、形而上学の可能性が示されているのです。


p. 185
 一義性は、自然的な認識可能性を担保します。そして、認識の拡張を行うものが、アナロギアでした。純粋な多義性という、認識以前のものでもなく、一義性のように厳密性はないとしても、認識の拡張原理としてのアナロギアは、その理念において、守られるべきところがあるでしょう。一三世紀の神学者が、神学を基礎づける場合に、アナロギアにその原理を求めたことは理解できます。そして、スコトゥスも若い頃は、このアナロギア取り入れていました。一義性と自然的な認識可能性とが相携えて進むべき原理であって、そして、これは神の自然的認識が、神との至福直観=対面的認識の成立する条件でしょうが、対面的認識を追い求める限り、一義性は保持されるべきでしょうし、この一義性を重視することこそ、アリストテレスの論理学の原理の学問的厳密性を神学に移植することにもなるはずなのです。

 スコトゥスは、おそらく一義性に「神学上の希望」を見出したのです。しかし、それは長い逡巡と迷いを通ってのものだったのです。次の章では、若い頃の逡巡を見てみましょう。というのも、この逡巡と迷いにつき合わない限り、スコトゥスの一義性の意味は見えにくいと思うからです。


p. 213
 一義性の思想が完成を見る『オルディナチオ』においては、現世の人間知性は神を自然的に認識可能か否か、という問題との関連で存在の一義性は論じられています。現世の人間と神の間には、無限の距離が介在しています。存在の一義性説は、その距離を照明や恩寵を借りずに、自然的に到達可能かどうか、と問うのです。そんなことは可能でない、というのがこの時代の普通の人々の反応でしょう。そして、もしそれが可能だとすれば、アリストテレスの哲学書だけを読むことで、神の認識に到達できることになりかねませんから、それはキリスト教を蔑ろにする、哲学的宗教の可能性を示しているようにも見えてしまいます。

 神と被造物の間には無限の距離があるというのがキリスト教の基本であり、自力ではその距離を踏破できないからこそ、中保者(キリストやマリア)や媒介となる教会に頼って、その落差を渡してもらおうという発想があったはずです。もし、自然的に神が認識可能であるとすれば、人間は神と直接に向き合うことが可能になってしまいます。

 いや、こうして単独者として神と直接に向き合うというヴィジョンをスコトゥスは持っていたのかもしれません。だからこそ、新婦が新郎と初めて出会う場面に準えられる至福直観(visio beatifica)を理論化した直観的認識に、スコトゥスはこだわったのかもしれません。

 自然的認識とは、神と人間の無限の落差を前提して初めて成り立つ緊張を含んだ状態です。アリストテレス以来の伝統と常識にも反して、スコトゥスがこのようにもハレンチなことを述べるのは、かなり強烈な意図を持っていたからだと考えるべきなのです。スコトゥスは、狙いも定めず、闇雲に新奇な思想を垂れ流す人ではありません。

 無限の落差を自然的に媒介すること、ここにスコトゥスの狙いの半ばが込められていると思います。「無限の落差を媒介すること」、これは簡単なことではありません。そして、『形而上学問題集』第四巻第一問においては、その落差を媒介する概念装置が決定的に欠如していました。

 この問いに向けられた新たな装置は、第四巻第二問「存在と一は同じ本性を表すのか」を論じるに際して少しずつ登場してくるように思われます。「存在」と「一」とは超越概念ですが、ここにおいて超越概念をめぐる考察に、スコトゥスは独自の論点を少なくとも二つ付け加えます。一つは、統合的包含(continentia unitiva)ということ、もう一つは、超越概念に数多くの離接的様態を付け加えるということです。特に、離接的様態を見出したこと、これによって途方もなく、新しい地平が開けてしまいます。それは絶望的な広大さなのです。スコトゥスは、自分が切り開いてしまった、この広大で荒涼とした地平、哲学上の「荒れ野」に戦慄を感じたことでしょう。真理とは常に恐ろしいものです。見ずに済ませることができるならば、見ない方が幸せなのかもしれません。スコトゥスもまた、そういった地平を切り開いてしまわなければ、もっと長生きができたはずだ、と私は思います。もちろん、「表現者」スコトゥスはそれに沈黙したままではいられなかったのでしょうが。





庭の様相が変わり始めている。裏庭はアメジストセージとカラミントによる、ちょっとした秋の始まりのお花畑と化している。こちらはとくに邪魔する気はないので、あなたたちの好きなようにどんどん殖えていってね。

ぱくさんより紹介いただいた勁草書房から出たアンソロジー『ろうそくの炎がささやく言葉』を先日読んだ。ぽーん ぽーん ぽーん と まりをける おんなのこ のことが、ぱくさんもおっしゃるよう、それはもう気になるところ。他に心に残った言葉をひとつ挙げるとするなら、ドリアン助川こと明川哲也さんの「箱のはなし」である。優しくて礼儀正しい方だと思った。

明川哲也さんつながりで、河瀬直美さんの新作『朱花の月』を先日観た。実をいうと、これまで河瀬さんの映画は見たことがなかった。気になってはいたが、「怖い」感じが先に立ってしまっていたので。『朱花の月』の舞台は奈良の飛鳥地方であり、ミーハーなことをいえば、あの店知ってる! 買い物したことある!というような映像も出てくる。けれども全般的にいって、幸せな人は見ないほうがいいんじゃないかなと思う映画だった。余計なお世話かもしれないが、恋人どうしでは行かないほうがいいと思う。迷惑な女が出てくるのだ。そして「哲也」さんがね、いたましいのだ。でも彼が自分でそのいたましさを呼んでいる気もする。主人公「加代子」の迷惑度合いといったら、まるで寝起きのときの私みたいな気もするが、彼女の大問題は起きているあいだもずっと寝惚けているところ。  

今晩は何にしようかな。なんか食べるのも作るのもめんどくさいから、仕事帰りの夫に買い物にいってもらって、何か作ってもらおうかな。などと、ついうっかりすると昼間の生活のなかに「加夜子」がすっと入りこんでしまう。あぶない映画である。『コクリコ坂から』の海ちゃんみたく、しっかりしなくてはね。たぶんだけど、女の日常生活は、加夜子と海とのあいだを行きつ戻りつしながら成り立っているような気がする。 2011.9.9.




台風明けの快晴の昨日、ふと気づけば、雨後の筍みたいに白ヒガンバナの茎がにょきにょきと生えていた。そして気の早いことに、今朝もう花が咲いた。すっかり秋だなあ。田んぼのあぜ道には赤い彼岸花が咲いているのだろうか。まだ早い気がする。刈り入れ間近のお彼岸の時期に、一斉に朱赤の花が咲いた田んぼの光景は独特の美しさがあって、それはもう田んぼのものって感じがして、庭に咲かせるのはどうも憚れる。白い花はその代償。白だったら植えてもいい感じがする。比較的値が張る球根なので(1球300円くらい)、少しずつ植えていって、いずれは大群生させるつもり。ちなみに今年は新しく3球植え付ける予定です。

完熟トマトが大量に送られてきたから、今晩はまたもや鶏のトマト煮込みかな。お手軽お助けトマトレシピ♪  2011.9.8.

■追記 
『存在の一義性を求めて』を読了。自分の理解したことをのちのち思いだすために、専門用語の説明や定義がなされているところを書き写そうとは思うが、その前に、山内志朗さんの心のこもった後書きを写そうと思う。残念ながら人の力では人の魂を救うことはできないが、心をこめて弔うことぐらいは人間にだってできると思うし、せめても、そうしたいのだ。

中世は暗黒時代だと教科書で習った。けれどもそのなかで人々は物を思い、考えてきた。今の時代も後の人々から見たら十分に暗黒に写り、そう記述されるかもしれない。だけど、そのなかで私たちはたくさんのことを思い、いろいろなことを考えている。今も昔も人間の営みは変わらないので、それを続けるだけのことである。


pp. 303-308

ヨハネスへの手紙
  ――後書きに代えて――


 あなたにどう呼びかけたらよいのでしょうか。綴り通りであればヨハネスでしょうが、あなたが生きていた中世では、ヨアニス、ヨアン、ジョアン、ヨハンなどと、行く先々でさまざまに呼ばれていたのでしょう。どう呼びかけるかを考えるときは、初めて恋人の名前を呼ぶときのように、ためらいととまどいを感じます。声の名残りを与えられていない私たちにとっては、文字に従って呼びかけるのが正しい道でしょう。


 ヨハネス、この本はあなたへの大きな花束とたくさんの線香です。


 私はあなたによって中世哲学に導かれ、中世哲学に入り込んでしまいました。中世哲学、いやヨハネスの哲学から抜け出ることのないまま一生を終えそうです。何度読んでもよく分からないテキストに嫌気がさし、そこから何度も何度も離れてしまいました。でも、やっとここまできて、あなたの心に少しは近づいたような気になれました。

 あなたの生地スコットランドを訪れました。あなたのお墓にも行きました。そこに思想を理解するための鍵があるのでは、と淡い期待を持っていたのです。胸をときめかせながら私は訪れました。そこには何もありませんでした。あなたはそこにいませんでした。

 それはとてもよいことでした。本当によいことでした。不在は思い違いを正してくれたのです。存在していることが、教えることに結びつくとは限りません。存在よりも非存在が、生よりも死が多くのことを教えてくれました。ある人間の思想の理解に役立つような哲学的な風土や環境というものはどこにもないのです。確かに、哲学とは思索、しかも身体に根ざした、未来に向いた思索です。身体に根ざしているとすれば、何かしら名残りを感じることができるのではと思ったのです。しかし、追憶と理解とは異なります。哲学の抽象性は、理解しやすさに逃避しようとする人間の怠惰への棘なのです。そして哲学は、人間の思惟への棘であり続けるべきです。

 ツイード川の小石にも、ドゥンスの荒野に転がる小石にも、パリの大聖堂の敷石にも、オックスフォードの敷石にも、あなたの名残りはありませんでした。それは喜ぶべきことです。哲学は物や本の中に宿るものではありません。思索の中に一時的に宿ります。そして、思索は人とともに、その人の生命とともに消えていきます。頭蓋骨の中にも思想の片鱗も残りません。しかし、その痕跡がテキストとして残ります。テキストは痕跡なのです。とはいえ、痕跡は痕跡でしかないのも事実です。そして、痕跡はあなたそのものではありません。哲学において求められるのは、思想であって、その人であってはならない、ということは真理なのでしょうか。

 人間は死んでしまえば、何も残らないのでしょうか。生まれた場所、住んだ場所、亡くなった場所、何も残っていないといえば、そうなのかもしれません。確かに何も残ってはいません。しかし、私は血の中で感じずにはいられないのです。人が死んでも、ハビトゥスが残り、漂います。今もここに思想として漂っていると感じます。それこそ、思想ということの普遍性、伝播性、恐ろしさ、戦慄ということでしょう。あなたが生きていなくても、あなたの思想は<今・ここ>に生きています。私はそれを確認したかっただけなのです。哲学は、思想でも理論でもなく、ハビトゥスなのでしょうが、それは<今・ここ>に受肉するものなのです。ハビトゥスとは潜在性のことなのです。


 あなたの緻密な思想を、どこまで正確に理解しているか私には分かりません。誤解しているところも多いでしょう。何度読んでも愚かにも理解し損ねているのです。私はあなたの前では愚か者です。そしてそれは何も恥ずかしいこととは思いません。死すべき存在とは愚か者と同義ではなかったでしょうか。この本は、あなたを理解した上で記した本ではありません。理解するための準備の本なのです。私自身のためのヨハネス・ドゥンス・スコトゥス入門なのです。そして、それと同時に、あなたが「表現者」であったということは、伝えておきたいと思ったのです。それが私の務めなのです。誤りを広めるだけであっても、それは務めなのです。

 あなたに出会って、中世哲学への彷徨が始まりました。ずいぶんと長い時間がかかってしまいました。読み始めたばかりの頃は、不遜にも四、五年かかれば分かるのではないかと思っていました。愚かでした。本当に私は愚かでした。『普遍戦争』を書いたときも、中世哲学は通過地点だと思っていました。だが、終の棲家だったのです。あなたがいなければ中世哲学を通り過ぎたはずです。

 通り過ぎられると思ったのは、越えなければならない峠の存在を見落としていたためです。しかし、そういう道は、熊野古道のようにいくつもの峠を越えていく道にも似て、半ば修行であり、半ば楽しいものでもありました。そして、旅の終わりは享受そのものです。いまだ遠くから逍遥することしかできませんが、ヨハネスよ、あなたの哲学が、夏のドゥンス城を覆っていた霧のように曖昧な哲学ではなくて、澄み切った透明な哲学であるように見えてきました。山路を越えて、やっと峠からはるばる熊野本宮を拝んだときのような歓びがありました。

 ずいぶんと回り道をして、やっと出会えた感じがします。回りくどい表現ですが、長い時間の後であなたに出会うために、最初にあなたに出会ったということでしょうか。鏡を通して見ていた者に直接出会うためには時間がかかるように、回り道は無駄ではなかったと考えます。


 ここで坂部恵先生の『ヨーロッパ精神史入門』を想起せずにはいられません。アヴィセンナ、スコトゥス、ライプニッツ、パースへと至る実在論の系譜、坂部先生が描きだした系譜は、私自身予想だにしないものでした。

 東の島国で、中世哲学に生を捧げた人々をここで思い出さずにはいられません。山田晶先生(合掌)、中川純男さん(合掌)、長倉久子さん(合掌)、渋谷克美さん(合掌)、花井一典さん(合掌)。最近相伴うかのように続けてお亡くなりになりました。そして、中野幹隆さん(合掌)、坂部恵先生(合掌)。

 「器」は、時間と空間を隔てても、共有可能である場合に、その大きさが測られます。ヨハネス、あなたが立てた存在の一義性という思想は、二〇世紀になっても共有する人々を見出しました。その意味で、とても大きな器なのだと思います。しかし、もっと大事なのは、存在の一義性ということ自体が、そういった「器」の無限の広がりを主張したもののように思えることです。生きている「器」のことを、私はハビトゥスと呼びたいのです。そして、ハビトゥスこそ、思想の生育する大地なのです。


 七〇〇年を隔てて、遠い東の国から問いかけます。ヨハネス・ドゥンス・スコトゥス、「哲学とは何か」、あなただったらどう答えますか。哲学も人生も事実に絡め取られてはならないと思います。事実を越えていけるハビトゥスが与えられなければ、人生には人生の価値がありません。

 あなたをこのような大胆な試みに駆り立てたのは、知識(scientia)ではなく、燃え立つ魂の熱気(aestuantis amini ardor)だったのでしょう。あなたを「精妙博士」と呼んだ人々は、あなたの本質を見極めていなかったのではないかと思います。精妙さ、それはあなたの特徴であっても、本質ではないはずです。違いますか?

 あなたが、dico(私は述べる)やrespondeo(私は次のように答える)という言葉に続いて述べることは、遠くまで鳴り響くような鋭さを持っています。決してあなたは多弁ではありません。豊穣に語る思想家は中世でもたくさん存在します。躊躇しながら、一歩一歩確かめるかのように進む論述は、破壊的なものや新奇なものを予想させません。しかし、dicoやresupondeoに続いて語られる思想は、強い響きを有しています。オッカムやビュリダンといった人々の思想は、鋭く響き近代的な装いを持っていることが見て取りやすいのですが、ヨハネス、あなたの思想は、一見すると伝統的なもののようにも見えます。しかし、今回あなたのテキストを旅しながら、その進取の心性に、近代的なものを感じました。あなたはジョット(1266 -1337年)やダンテ(1265 -1321年)と同時代人なのですから、奇妙なことではありません。

 スコラ哲学の用語で語ることは、重い鎧を着て歩くことに似ています。決して軽やかなものにはならないでしょう。しかし、鎧の下に生きている人間は、やはり血と涙を流す人間なのです。スコラ哲学の文章は、冷たくて、硬い巨岩であるように見えて、叩きどころを知る人には蜜と乳の溢れ出る泉のはずです。存在の一義性の背後には激しい情念が、フランシスコ会らしい激情とリリシズムが隠れていました。そのことが確認できただけでも、私は満足です。

 そういった思想の泉は人類の文化の中に数多くありながら、誰も訪れることなく、気づかれないまま枯れていく、いや昔のまま溢れ続けているものがたくさんあるように思います。

 あなたが、dicoやrespondeoの後に続けて述べる言葉は、大きな響きではなくても、遠くまで、いや現代、そして遠く東の島国にまで届いているように思います。そうでなければ、あなたの思想を私がこれだけ長い間追い求めるはずもないのです。

 哲学というのは、声の名残りを越えて、遠くにまで届くものだと私は感じます。私はその思想を分からなくてもよいのです。声を感じ取りたいのです。その声の響きが思い違いであっても、それはそれでかまわないことなのです。遍在性は天使にのみ許された特権ではないのです。いかにかすかであっても、その声に耳を傾け、それを聴こうとする者は必ず存在し続けるはずです。そうでなければ、哲学とはどういう営みなのでしょう。天使に哲学をすることはできません。断じてできません。この人間にしか哲学をすることはできないのです。


 存在は小さなものに宿ります。哲学もまた小さな声に宿ります。



岩波書店より最近刊行された山内志朗さんの『存在の一義性を求めて』を読んでいる。副題は、「ドゥンス・スコトゥスと13世紀の<知>の革命」とある。何が書かれてあるのかは正確には分からないのだけど読んでいてなんだか楽しい。とても大事なことが書かれているような気がする。哲学書にしては珍しく一気に半分ほど読んでしまった。本題といっていい後半の、「U 存在の一義性 ――ドゥンス・スコトゥスの知的革命」に入りこむ前に、備忘録を兼ねて、前半部から一部抜粋して「写経」しておく。

本を読んでいるあいだはあまり食欲がなくなるのだが、気分転換だと割り切って、「おいしい食事を作ろう♪」となるのは、いい読書体験のとき。今晩もたぶんそうなる予定である。


p. 131
   スコトゥスは「究極的事象性」という概念をここで呈示し、説明は他のところで
  行っているに違いありません。すると必要なのは、「究極的事象性」についての
  スコトゥスの説明を発見することなのです。目標地点はもう少しです、ということに
  なりそうです。私自身、長い間そう考えてきました。「究極的事象性」の説明を
  探せばよいのだ、と探求を続けました。しかし、どこを探しても説明は出てきません。
  私は、鏡の後ろに自分の姿を探そうとするサルでした。

   ところがある日、それを探しても無駄なのだということが分かりました。「この世の
  人間知性は個的存在性を認識することはできない」というスコトゥスのテキストに
  出くわしてしまったのです。信じられない思いでした。「このもの性」を探して三千里
  訪ねてきたのに、それを知ることはできない、とスコトゥスが宣言しているのです。
  これはありえないことです。悟りを求めて、一生を費やしながら、悟りを求めないこと
  が悟りだということに気づくことと、これは似ているのでしょうか。

   しかし、実は「このもの性」とは何かを知ろうとすることそれ自体に、落とし穴があり
  そうです。たとえば、右にある鉛筆と左にある鉛筆とを比較して、その左の鉛筆を
  探求して「左性」とは何かを考えることはあまり賢明なことではありません。
  「このもの性」についても似ているところがあるのかもしれません。指先で示され
  ながら、指先だけを見ているといった事態にこれは似ているのでしょうか。


p. 138
   実は、哲学的難題の多くは、白か黒かを決められるものというよりは、白と黒の
  中間にその問いと答えが成り立つというべきものです。人間は、難しく考えることが
  嫌いなので、白か黒かに決めてしまいがちです。その場合、間違いは大きく分けて
  二つ起きます。一つは、白か黒かどちらか一方が正しいと考える立場です。敵か
  味方か、有害か有益か、人間は瞬時に判断することを動物のときから強いられて
  きたのですから、それは仕方ないのですが、ここに人間の間違いの一つの類型が
  あります。真理はほとんどの場合、両極の一方というよりも、その中間にあるのです。
  どれが真理であるかよりも、真理を見つける道筋・方法が大事なのです。さらにまた、
  もう一つ大きな誤りの類型があります。それは、中間状態を一つに考えがちだという
  ことです。そして、中間は滑りやすい傾斜をなしています。

   傾斜、いやグラデーションこそ、スコトゥスの存在論がその特徴を発揮するところ
  です。たとえば、スコトゥスは神に見られる無限性を内包的無限と見なしました。
  内包的無限とは、内包量=度(gradus)なのです。その構造は別のところで述べ
  ますが、単純性を損なうことなく、無限に多様な程度の階梯を設定することこそ、
  スコトゥスの意図するところだったのです。

   太陽の白色の光の中には、赤や青や緑が同時に含まれています。一つの色が
  同時に顕在的に赤であり緑であることはできませんが、光の中には両者が同時に
  成立しています。一人の人が、特定の一人の人に対して、父であり息子であることは
  難しいが、別々の人に対してそうであるのは同時にごくありふれた事態です。存在と
  超越概念についても、ほぼ同じことが当てはまります。なぜこういったグラデーションを
  形相的区別と呼び習わして、予想以上に複雑な体系を構成せざるをえなかったかが
  一つの焦点となります。


p. 144
   光の中では、さまざまな色は渾然一体として、一つのものとしてあります。それが
  七色に分光され、無数のグラデーションをもって映し出されるとき、その色の階梯は
  知性によって生み出された虚構のものではなく、事物の中に根拠を持った(cum
   fundamento in re)ものです。

   事物においては一つでありながら、知性認識を通すことで、多様なそして秩序を
  持ったものとして現れるという事態こそ、形相的区分の本質ですが、それは志向的
  区分と重なるものでもあります。


p. 147
   事象(res)を知性によって加工し、事象性(realitas)に仕上げていくことこそ、
  学知(scientia)の営みです。事象(res)が事象性(realitas)の源泉であるとしても、
  事象のままで放置しておくことは、水も火もないまま、山をなす小麦粉の前で餓死
  することに似ています。

   概念を形成し、言葉を与えることは、事象を縮小し、汚染してしまうことなのかも
  しれませんが、そうでなければ事象は流通しません。人間的世界の一要素とは
  なりえないのです。人間は光なしには物が見えないのに、太陽そのものは光が
  強すぎて見えないことと、これは似ているのでしょうか。 ens-entitas,
  forma-formalitas, res-realitas, これらの対比は何を意味するのでしょうか。


pp. 161-162 
【引用者注】 以下の「ヨハネス」とは、哲学者ヨハネス・ドゥンス・スコトゥス(1266-1308)に対して著者山内が「私」として人間的呼びかけをする際に用いられた呼称である。

   ヨハネスが属していたフランシスコ会は、「小さい兄弟の会」が正式名称です。
  創始者フランシスコは世俗のすべての権威から離れて、魚や鳥にまで説教を
  した人物です。フランシスコの目は、小さいもの、卑しいもの、忘れ去られている
  ものに向けられていました。

   ヨハネスはフランシスコの精神を汲んだ、忠実なフランシスコ会士であったの
  ですから――私は「このもの性」という概念も、フランシスコの小さいものへの
  眼差しを哲学的に表現したものだと思っています――、ヨハネスの語る「石」は、
  ちっぽけな石であったと考えることに奇妙さはないはずです。

   ツイード川の河原(メルローズあたり)に行って、私も大人気なく河原の石と
  戯れたのですが、そうしながら、ありふれた河原、日本でも至るところにあるような
  河原だったからこそ、私は妙に感心し感動もしました。「小さいもの、卑しいもの、
  忘れ去られたもの」の楽園が拡がっていたからなのです。スコトゥスの小石が
  何であるかを示す証拠も傍証も何もありませんでした。何一つありませんでした。
  ありきたりの河原で感動している日本人は、スコットランドでは奇妙な存在者なの
  でしょうが、ヨハネスのいう「石」がこの河原の石であることを得心してしまいました。
  私はそのことを確認するために、スコットランドの辺境の片田舎に行ったのだと
  いっても過言ではありません。しかし、存在が小石の中で響いていたのです。
  ドゥンスに、ヨハネスを偲ばせるものは何もなかったといってもよいのですが、
  もともとその非存在を確認しに行ったというところもあって、初めから「小石」
  ――ヨハネスの小石――を探しに行っただけなのです。

   ありきたりで、小さく卑しいものは、何か偉大なるものが身をやつした姿なのかも
  しれません。ヨハネスの小石はどこにでもあります。ヨハネスの有していた存在論
  の中心は、その辺にあるのではないでしょうか。

   哲学の風景、哲学が宿る風景とは、決して哲学然としたものではなく、散文的で、
  だらけたもので、見るべきものなど何もない風景のことだ、と私は思います。
  今・ここ(hic et nunc)とは、常にそのままで奇蹟が連続創造的に生成している
  境域なのです。存在は、奇蹟でありながら、耐えられないぐらい、凡庸で退屈で
  散漫で下品で卑しく、月並みな姿をして登場します。「ありきたりなありがたさ」と
  言ってもよいでしょう。


2011.9.6.




台風明けの今日、玄関脇の萩が咲き始めた。もう秋なのね。これは江戸絞りという品種。赤と白の萩、どちらを植えようか悩んだとき、ちょうどタイミングよくその中間の(?)、どちらの色も楽しめるこの萩が近所のホームセンターに入荷し、さっそく購入した。ポット苗に入ったひょろひょろのものが、今では思う存分に大暴れしている。思い起こしてみれば、年に4回くらい切り戻ししているぞ。満開になってもほとんど誰からも気づかれず、それほど花は目立たない。絞りって近くでみると派手なようでいて、遠目には地味みたい。

ゆういちろうは午後から登校した。朝7時の段階ではまだ警報が発令されていて自宅待機だったが、午前中に解除されたから。大雨のなか登校して、警報発令ですぐ帰ってきた、金曜日の反対のパターンである。フルタイムで働くお母さんって、子どもが小学校低学年のこの時期、どうやって乗り切っているんだろうかというくらい、お天気に振り回されている。まあ振り回されてぶうぶう言っているうちが花かな。命までとられるのはめっぽうごめんです。

今晩のおかずは夫のリクエストにより牛肉のごぼう巻きにする予定である。昨日大量に作った豚汁がまだ余っているし(ただし豚肉のほうはもうない)、比較的簡単に準備できそう。 2011.9.5.


昨日はそれほど雨は降らなかったが、夜半から今日にかけてまたたっぷり雨が降っている。気のせいかな、心なしか庭の木の枝が伸び草の茂みも濃くなった気がする。モヒカン刈りに泣かされた土手もすでに草がぼうぼうに生え、あんなに悩んだのが嘘みたいである。台風を恵みの雨にするとは、夏草ってやつは、ホントにまあ、呆れる。





今週末は家のなかに閉じ込められた感が大で、もちろん直接台風被害に遭わなかっただけにありがたい話ではあるが、8歳児のパワーの行き場をどこに向けさせたらいいのかが難しい問題であった。いろいろ試したうちのひとつが理科の実験。糸電話をつかって音の伝播について勉強した。吊るしたスプンを別のスプンで叩くといい音がする。ところが糸の途中をつまむと、あら不思議、音は聞こえない。このあと、実験の規模が拡大していき、お父さんはタイヘンだった。

私はといえば、家族三人朝昼晩顔を突き合わせているときに当然起こる、家事全般に追われていたような気がする。台所にいる時間が長かったような。食洗機をまわすより自分の手を動かしたほうが早い気がして、皿洗い率が高かったような。



夏休みに帰省した折、母からオリヅルランの子株をもらった。水に挿してトイレに置いた。すでに根がもじゃもじゃ生えている。強いなあ。岡山の実家も台風被害はなかったとのこと (なぜか台風が来る前に畑のきゅうりが支柱ごと倒れたそうだが)。 ひとまずよかった。

今晩はごはんに豚汁の予定。明日こそ晴れますように。 2011.9.4.


やっぱり台風は低気圧の親玉なのか、昨晩からなんとなく息苦しく、今朝はあからさまにからだがだるく感じられた。わかりやすいからだだこと。お天気と体調は連動しているんだなあと妙に感心してしまう。ひさびさに血圧も測ってみた。上90、下55。きっと低血圧に低気圧が重なったもんだから論文が書けないんだな(笑)。そうにちがいない、そういうことにしよう。

今日の夕飯は、豚のしょうが焼きにとうもろこしのバター焼きと刻みキャベツを合わせた。おいしかった。暴風雨で嫌でも家にこもっていないといけないときは、食べられるありがたみが特によくわかる。

低気圧のとき調子を崩して不穏行動をとる方が多くなるそうですが、みなさん、大丈夫ですか。台風一過の清々しさを予期しながら乗り切りましょう♪ どうか諸々、最小限の被害に抑えられますように。 2011.9.2.


夏休みも終わり、新学期が始まった。放課後Rくんがうちに遊びに来た。ひさびさに会った気がする。ひさしぶりだね〜と声をかけたら、にこっと笑った。寿命が伸びましたね。その後、Sくんも合流して、ゆういちろうは夕方Sくんと二人で、台風迫るなか自転車にのって隣町のサッカー教室まで出かけていった。みんながいなくなってから私は急いでチキンカレーを作り、雨合羽を来て迎えに行った。徒歩で30〜40分かかる場所、辺りが薄暗くなり雨のなか子どもたちだけにしておくのは心配になったからである。そしたら大阪は大雨でこちらは大丈夫かと心配した夫が早目に帰宅したとあり、途中で夫の車に私が合流して、グラウンド入りした。なんだか、ゆういちろう命って感じの生活をしている気がする。

ゆういちろうが寝る前に出しっぱなしにしてベッドに広げた図鑑をしょうがないので私が片づけようと、「これは本棚のどこにあったのだっけ?」と整理魔の夫に聞くつもりが、間違って、図鑑を手に持ったまま「ここはどこ?」と真顔で聞いてしまった。おかげで頭のほうを心配されたが、大丈夫。省略しすぎただけです。

今晩は平家物語の冒頭「祇園精舎」を写すことにする。私が子どもの頃、叔母がクリスマスか誕生日にくれた「まんが日本昔ばなし」シリーズを隅々まで何度も読んだ。そのなかで私がいちばんよく覚えているのがそういえば「耳なし芳一」だった。直に恐怖を覚えた。それと同じくらい何度も読み返して印象に残っているのが「そこつ惣兵衛」。彼にはとても他人とは思えない親近感を覚えたものである。


  祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり
  沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらはす
  おごれる人も久しからず ただ春の夜の夢のごとし
  たけき者もつひには滅びぬ ひとへに風の前の塵に同じ

  遠く異朝をとぶらへば 
  秦の趙高 漢の王莽 梁の朱イ 唐の禄山
  これらは皆旧主先皇の政にしたがはず
  楽しみをきはめ 諌めをも思ひ入れず
  天下の乱れん事を悟らずして
  民間の愁ふるところを知らずしかば
  久しからずして 亡じにし者どもなり
  
  近く本朝をうかがふに 
  承平の将門 天慶の純友 康和の義親 平治の信頼
  おごれる心もたけき事も 皆とりどりにこそありしかども
  まぢかくは六波羅の入道前太政大臣平朝臣清盛公と
  申しし人のありさま 伝へ承るこそ心もことばも及ばれね


 2011.9.1.




28日、ふと思い立って奈良県宇陀市にある室生寺に行った。室生寺は女人高野とも呼ばれ、古くから女の参拝を許した深い山のなかにある古刹である。とても趣深かった。

30〜31日は東京出張。宿題の残っているゆういちろうを置いての出発は後ろ髪を引かれる思いだったが、帰宅してみると、最後の難関「人権ポスター」が仕上がっていて感無量だった。お父さんと二人でああでもないこうでもないと頑張ったんだね。偉い!



上の写真は、30日、私が出張に出かける前に撮ったもの。丁寧にレタリングをしているところ。下の写真は今日帰ってみたら出来上がっていた作品を写したもの。題名は魂ポスター。



ろうそくの炎とも火の玉とも涙のしずくともとれる黄色い玉の中に、間違って指を針で刺してしまったときに出る血みたいな赤い点がぽつっとあり、近寄ってようーく見てみるとそれは天使の心臓(赤いハートマーク)であることがわかる仕組みとのこと。うっすらと描かれた天使はクレーの描いた「忘れっぽい天使」を真似てあり、目のところには、オリジナルにはない、黄色いしずくの涙のモチーフを繰り返している。遠目でもぱっと分かることと、よく見ないと分からない部分を併存させた。ポスターだからといって全部が目立っている必要はないという判断で。

「みみをすまして きいてください」のキャッチコピーは、谷川俊太郎さんの「みみをすます」という詩から着想を得たとのこと。子どもはプロテストソングを歌えないし、おそらく歌おうとも思わないんじゃないかと思う。虐待された子どもですら、「ぼくが悪いからいけないんだ」と親を懸命にかばおうとするではないか。なので、もし大人に言いたいことがあるとするならば、きっと「みみをすまして きいてください」だと思う。「私の言うことを聞け」ではなく、大人の非を糾弾することなく、どうかきいてくださいとお願いしている。

天使の目に涙をつけたが、子どもが悲しくてしくしく泣いている姿は見たくないのか、とりようによっては「きいてくれて ありがとう」とうれし涙ともとれるような涙になった。見るときの気分によって涙の意味が変わる。

今晩は福音館書店より出ている谷川俊太郎さんの詩「みみをすます」を写そうと思う。



  みみをすます
  きのうのあまだれに
  みみをすます

  みみをすます
  いつから
  つづいてきたともしれぬ
  ひとびとの
  あしおとに
  みみをすます
  めをつむり
  みみをすます
  ハイヒールのこつこつ
  ながぐつのどたどた
  ぽっくりのぽくぽく
  みみをすます
  ほうばのからんころん
  あみあげのざっくざっく
  ぞうりのぺたぺた
  みみをすます
  わらぐつのさくさく
  きぐつのことこと
  モカシンのすたすた
  わらじのてくてく
  そうして
  はだしのひたひた・・・・・
  にまじる
  へびのするする
  このはのかさこそ
  きえかかる
  ひのくすぶり
  くらやみのおくの
  みみなり

  みみをすます
  しんでゆくきょうりゅうの
  うめきに
  みみをすます
  かみなりにうたれ
  もえあがるきの
  さけびに
  なりやまぬ
  しおざいに
  おともなく
  ふりつもる
  プランクトンに
  みみをすます
  なにがだれを
  よんでいるのか
  じぶんの
  うぶごえに
  みみをすます

  そのよるの
  みずおと
  とびらのきしみ
  ささやきと
  わらいに
  みみをすます
  こだまする
  おかあさんの
  こもりうたに
  おとうさんの
  しんぞうのおとに
  みみをすます

  おじいさんの
  とおいせき
  おばあさんの
  はたのひびき
  たけやぶをわたるかぜと
  そのかぜにのる
  ああめんと
  なんまいだ
  しょうがっこうの
  あしぶみおるがん
  うみをわたってきた
  みしらぬくにの
  ふるいうたに
  みみをすます
  くさをかるおと
  てつをうつおと
  きをけずるおと
  ふえをふくおと
  にくのにえるおと
  さけをつぐおと
  とをたたくおと
  ひとりごと

  うったえるこえ
  おしえるこえ
  めいれいするこえ
  こばむこえ
  あざけるこえ
  ねこなでごえ
  ときのこえ
  そして
  おし
  ・・・・・・
  みみをすます

  うまのいななきと
  ゆみのつるおと
  やりがよろいを
  つらぬくおと
  みみもとにうなる
  たまおと
  ひきずられるくさり
  ふりおろされるむち
  ののしりと
  のろい
  くびつりだい
  きのこぐも
  つきることのない
  あらそいの
  かんだかい
  ものおとにまじる
  たかいびきと
  やがて
  すずめのさえずり
  かわらぬあさの
  しずけさに
  みみをすます

  (ひとつのおとに
  ひとつのこえに
  みみをすますことが
  もうひとつのおとに
  もうひとつのこえに
  みみをふさぐことに
  ならないように)

  みみをすます
  じゅうねんまえの
  むすめの
  すすりなきに
  みみをすます

  みみをすます
  ひやくねんまえのひゃくしょうの
  しゃっくりに
  みみをすます

  みみをすます
  せんねんまえの
  いざりの
  いのりに
  みみをすます

  みみをすます
  いちまんねんまえの
  あかんぼの
  あくびに
  みみをすます

  みみをすます
  じゅうまんねんまえの
  こじかのなきごえに
  ひゃくまんねんまえの
  しだのそよぎに
  せんまんねんまえの
  なだれに
  いちおくねんまえの
  ほしのささやきに
  いっちょうねんまえの
  うちゅうのとどろきに
  みみをすます

  みみをすます
  みちばたの
  いしころに
  みみをすます
  かすかにうなる
  コンピュータに
  みみをすます
  くちごもる
  となりのひとに
  みみをすます
  どこかでギターのつまびき
  どこかでさらがわれる
  どこかであいうえお
  ざわめきのそこの
  いまに
  みみをすます

  みみをすます
  きょうへとながれこむ
  あしたの
  まだきこえない
  おがわのせせらぎに
  みみをすます



 2011.8.31.






今晩は、夫とゆういちろうがスパゲティが食べたいといい、私はごはんが食べたいといい、多数決によって押し切られスパゲティにすることになった。そこで夕飯づくりを放棄してはダメだと思い、私ひとり率先して夕飯を作った。そんな日に夫にまかせると、こってこてのカロリーたっぷりの献立が並ぶことになるのは必定、よってこういう場合は、私が作ったほうがよいのである。

植物関連のものを中心に組み立てた。トマトのスパゲティととうもろこしのバター焼きと生ハムのいちじく乗せときゅうりの塩ずり。動物系のものは少量のバターと生ハム、あとは植物由来の食べ物を使った。

とうもろこしのバター焼きはゆういちろうの大好物で、彼がほとんど食べてしまった。とうもろこしは保育園のときに与えられた彼のマークで(文字が読めない時に、とうもろこしシールが本人の持ち物やロッカーの場所を指し示すインデックスとして機能した)、大きくなった今でも、スーパーにとうもろこしが並ぶ季節になると必ず自分で見つけ出し、カゴに入れてしまう。とうもろこしの皮を何枚も剥いた後に、たくさんの透明なひげが出てくる。この一本一本が黄色の一粒一粒と結びついていると思うと、とても大事なもののように思える。このひげを使って織物を織った人はいるのかなあ。きれいなのが出来そうなのだけど。

そして、桃も食べた。一口に桃色(ピンク)といっても、いろんな色味があるなあと感心しながら食べた。

8月27日は宮沢賢治の誕生日だそうだ。せっかくなので記念に『春と修羅』の序の詩を載せようと思う。この詩は、とても気になることばの一つ。わっけわかんない〜と思うマトモな時と、こんな普通のことを書いても詩になるんだからいいわねと思うヘンな時とが私の頭のなかに交互にやってきて、この詩を前にするとけっこう忙しいのである。


わたくしといふ現象は
假定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといっしょに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち、その電燈は失はれ)

これらは二十二箇月の
過去とかんずる方角から
紙と鑛質インクをつらね
(すべてわたくしと明滅し
 みんなが同時に感ずるもの)
ここまでたもちつゞけられた
かげとひかりのひとくさりづつ
そのとほりの心象スケッチです

これらについて人や銀河や修羅や海膽は
宇宙塵をたべ、または空気や塩水を呼吸しながら
それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが
それらも畢竟こゝろのひとつの風物です
たゞたしかに記録されたこれらのけしきは
記録されたそのとほりのこのけしきで
それが虚無ならば虚無自身がこのとほりで
ある程度まではみんなに共通いたします
(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
 みんなのおのおののなかのすべてですから)

けれどもこれら新世代沖積世の
巨大に明るい時間の集積のなかで
正しくうつされた筈のこれらのことばが
わづかその一點にも均しい明暗のうちに
   (あるひは修羅の十億年)
すでにはやくもその組立や質を變じ
しかもわたくしも印刷者も
それを変らないとして感ずることは
傾向としてはあり得ます
けだしわれわれがわれわれの感官や
風景や人物をかんずるやうに
そしてたゞ共通に感ずるだけであるやうに
記録や歴史、あるひは地史といふものも
それのいろいろの論料といっしょに
(因果の時空的制約のもとに)
われわれがかんじてゐるのに過ぎません
おそらくこれから二千年もたったころは
それ相當のちがった地質學が流用され
相當した證據もまた次次過去から現出し
みんなは二千年ぐらゐ前には
青ぞらいっぱいの無色な孔雀が居たとおもひ
新進の大學士たちは気圏のいちばんの上層
きらびやかな氷窒素のあたりから
すてきな化石を發堀したり
あるひは白堊紀砂岩の層面に
透明な人類の巨大な足跡を
発見するかもしれません

すべてこれらの命題は
心象や時間それ自身の性質として
第四次延長のなかで主張されます


 2011.8.27.


心を落ち着けるために、これからたまに写経っぽいことをする日を設けようと思います。第1回目の今日は、建築資料研究社より2007年発行の『ケンチクカ 芸大建築家100年建築家1100人』のなかから、奥村まことさんのエッセー「一人目の女学生」 pp.371-375 を抜粋します。著作権侵害じゃないかとご本人から怒られたら、素直に悪気はなかったけどごめんなさいと言って、全文を写すのは止すなり(一部削除したり)、そのときに対応を考えたいと思います。

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一人目の女学生  奥村まこと


敗戦まもない、「もの」に乏しい時間でした。一八歳。やりたいことはいくつもあったが、学力がないので美校に行こう、と決めたときに芸大になってしまい、一年だけ新入生をとらなかったので、小学校卒業の資格しかない私は、あわてて普通高校の三年生に編入して受験しました。

今まで女がいなかった、なんてまったく思いもせず、入ってみたら男ばかりでしたが、あまりそのことは重要でなく、不都合でもありませんでした。先生もまったく気にする気配がなく、まだ全体が「美校」でしたから気楽でした。金工科には女がいなかったので、用があって訪ねると、「女がきた、きた」と、今の学長の兄貴が大声を出しました。図案科の部屋に入るには、なにか動物の鳴き声で叫ばねばならず、孔雀の声を練習しました。とてもよい花壇があって、そこで、いろんな科の友だちと昼の弁当をたべました。体操の野口先生に「ぶらぶら体操」を教わりました。

四年たって、建築科は木造平屋のサナトリウムの卒業制作も出し卒業したのですが、「お前はまだ教養科目の単位が二ツ取れていない」と言われて卒業させてもらえませんでした。「そんなことはもっと早く教えてくれなくっちゃ」と言ったら、「油絵科の廊下に張り出してあったよ」と言われ、・・・・・・見るわけないですよね。

そのうちに吉村先生が「うちの事務所にこないか」と言ってくださり、週一日は上野に行きながら就職しました。月給は七五〇〇円でした。ほらね、とってものんびりした時代だったでしょう。今のような「競争」という雰囲気はまったくありませんでした。もっとも、反米闘争はあり、皇居前で起こったメーデー事件ではとっつかまったりしました。刑務所からでてきて教師室に挨拶に行ったら、岡田捷五郎先生は「よかったね」とおっしゃり、吉田五十八先生は「どんなメニューだった?」と質問され、吉村先生は「天井高は? 廊下の巾は? 部屋の大きさは?」と言われました。

先生というものはいつもはあまり学校に来ないので、四年上の稲田さんたちが「学生会議」を開いて、そこで決議されたことのなかに、「先生はもう少し学校に出てきてほしい」という意見があったのを覚えています。石川永耀先生は「おーい、お茶が入ったよ」と言ってわれわれ学生を教室におびきよせておられました。「ある町を歩いて観察し、数的に分析し、その町の将来について考えたことを書け」などという、面白い課題を出されました。もっぱら「製図」を教えて下さったのが中村登一先生でした。すばらしい笑顔が忘れられません。吉田五十八先生は、図面をみて「この線はもっと太く書け」とか「ここんところを持って振り回すとこっちの部屋が取れちゃうぞ」とか言われ、吉村先生は「自分が図面と同じ縮尺になった図面の中を歩いてみなさい」と言われ、・・・・・・そのほかに習ったことはあまり覚えていません。

一年生の一〇人は毎日学校にきますが、先輩というのはほとんど現れません。課題の提出日となると三々五々と現れます。なかには、方角が悪かったから、といってビハインドする人もいたり、どの先輩が何年生なのかよくわからず・・・・・・まい、いいか。

夏休みや春休みには、ほかの科の友だちと奈良や京都によく行きました。芸術祭なるものがあって(今でもあるが)、必ず仮装をしましたが、建築科は参加しないのでやっぱりほかの科の友だちと個人的に参加しました。梅林食堂は連絡場所であり、日吉館のおばさんが、年に一ぺん未払いの宿賃を回収にくるのも梅林食堂のテラス。「じゃあ、僕がこの人とこの人を探してくるよ」などと言ってみんなが手分けして探してくる。お金のない人に貸してくれる人も見つけてくる。日吉館といえば、この間、前を通ったら戸板が閉まっていた。われわれが泊まっている間に小塚学長が来たら、その晩のおかずはすき焼きだった。もちろんおばさんがその分は学長につけたのです。自然にそういうふうでした。

今は動物園と都美館と博物館の入場料はタダでしょうか。美校が芸大に昇格したとき、動物園などの入場料が有料になり、それに抗議すべくプラカードを立てて動物園の園長のところにデモをかけたことがありましたが、ダメでした。仕方がないので塀を乗り越えて入ることにしました。美術館は七人ぐらいで行って、入り口から走って入ると受付の人が追っかけてきますが、バラバラになってほかの観客に紛れるという手があり、博物館は出口から忘れ物をしたようなそぶりで入ると大丈夫でした。ろくなことはしません。上野の森はいいなァ、動物園も隣だし、いろんな変わった人がいておもしろいし、勉強はしなくてもいいし、お金がなくても平気だし。と、楽しい五年間でした。

吉村先生は、新米でも住宅一軒まるごと渡されて、図面いろいろ・原寸・見積り・現場・家具やカーテン・庭・精算までやりました。なにもわからないのでものすごくおもしろく、美校の先輩三人、他校の先輩四人をつかまえて質問ぜめ。右腕手首から肘まで真っ黒にして、真っ黒な図面を描いていると先生が「おう、いい図面になったな」と、人を乗り気にさせる名人でした。マネージャーも美校の先輩で「何故おんなの身で設計事務所に勤めたりするのか」と聞かれたので「離婚権を得るためです」と言ったらものすごく理解されたのが、丁度その先輩が遭遇している難問題に関連があったためでした。美校の先輩は先生がいないときは猥談ばかりしているが、先生があらわれるとサッとひるがえって良い子になるのが見事でした。先生は、あらゆる意味で弟子に平等。一九年間お世話になりました。

さて、卒業後五二年もたって、今の私はなにをしているかというと、亭主と娘とその連れ合いおよび孫二人、猫六匹とともに住み、一六.五坪の家の現場監督、二七.五坪の現場が始まったところ、二二年前に設計した家の改造がもうすぐ終わるところ、といった具合で、村の建築家、かな。吉村先生にたくさんのことを教えていただいたにもかかわらず、まだまだわからないことがいっぱいあり、発見することがいっぱいあり、まずまず元気で、人間、生きている限り楽しく仕事ができればこれ以上よいことはない、という具合です。この地震の巣である日本列島に危険な原発がなくなるように、という力は出したい七六歳です。
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最終段落の「二七.五坪の現場」とは時期的に我が家のことだと思われる。あの時まことさんたちとああでもないこうでもないとやりとりできて本当に楽しかった。よい勉強にもなった。とてもいい思い出である。

でも私は、この本が出版された当時、まことさんの最後の一文を完全にスルーしていた。「またまた、急に全然違う話を持ち出しちゃって、もう、まことさんらしいや」と。まさか本当に今日の日本で原発事故が起こるとはそのときは夢にも思っていなかった。ごめんなさい、まことさん、私が物事を甘く考えていました。放射能をなめてかかってはいけなかったのですね。

最近まことさんからの便りでは、東京は今かなりセシウムにおびやかされていて、長野や山梨に買い出しに出かけているそう。チェルノブイリのときも、ヨーロッパの人たちの対応は大きく二分され、より安全な食材を求めて多少高くついても信頼できる店でものを買う(買える)人たちと、そうでない人たちとに分かれた。今の日本でも、まさしくそんな感じなんだと思う。まったく嫌になる。これは自己責任の問題ではないと思う。

そして、かわいそうに思うことと、汚染されたものを引きうけるのとは、切り離して考えないとダメだと思っている。私たちは新型インフルエンザや鳥インフルエンザなどウィルスの脅威に対しては、必要以上に防御的になったではないか。けれども、放射性物質はウィルスなんかよりもっとひどい被害を私たちにもたらすことになるのである。

乱暴に例えるなら、悪性ウィルス被害は、自分の家が強姦強盗魔に侵され、そいつの子どもをどんどん産ませられることになったり、家のなかに蓄えていた食糧をそいつらにごそっともっていかれたりなどと、それはそれでとっても災難なことなのだが、そんな極悪非道なことをする輩には、さすがにご近所の底力(免疫力)が発揮され、たいていは排除機能が働くものである。つまり我々は、まだたいていのウィルスには水際作戦でふんばることができる。

けれども放射線による細胞への被害はそれよりもっと甚大で、焼夷弾によって家が燃やされたり、場合によっては、巨大隕石によってそこらじゅう一気につぶされたりするぐらいの破壊力(プルトニウムからのα線などがそう)を持つものなのである。汚染瓦礫が人間の生活圏近くに来るということは、それくらいの覚悟が必要で、北朝鮮のテポドン怖いとか言っているレベルではない。

人間の思考とは不思議なもので、身近に潜む強姦強盗魔の恐怖はリアリティをもって迎えられても、いつ降ってくるかわからない隕石に対しては、心配しても仕方がないじゃないかという諦めがついて回るようなのだ。けれども私は、分かち合いという美談のもとに、空から焼夷弾や隕石が降ってくる確率を人為的にを高めたことのほうに怒りと恐怖を覚える派である。自然よりも他人の振る舞いのほうがよほど理解不能、予測不能である。

少々嫌味を言わせてもらえば、東京電力が東京に近い福島で起こした事故なので瓦礫を全国にばらまくという方策が今回「自然」と採られたのであって、これがもし地方の、とくに「辺境」とされる北海道や九州で事故が起こってしまった場合は、宮崎の立派な牛でも全頭殺傷処分されたように、その場に封じ込める作戦がとられ、全国のお金に困った自治体に汚染をばらまくような措置は採られないような気がするのだ。あるいは採られそうになったとしても、京都五山の被災地汚染松明拒否問題から推測するに、大都市圏の人たちが、自分の近くを瓦礫を積んだトラックが通るだけで「あぶないじゃないか」と反対するに違いないと思われるのである。

かえすがえすも嫌な感じである。いよいよ今後の対応を考えざるをえない。誰に向かっていっているのかよく分からないながらも言わずにはおれない、「覚えておけよ」というセリフを何度でも言いたい。ものすごく負けず嫌いなことを言えば、最近昔よりいろいろなことが判って、頭のなかが発火して、むしろ昔より元気が出てきたくらいである。でもまあとりあえず今晩は、鶏のトマト煮込みでも作って、ごはんと一緒に食べたいと思う。 2011.8.23.

みなさん、お元気ですか。私は少し夏バテのようです。ここのところ自ら進んで落ち着きのない生活をしていたので自業自得です。昨日人に会うのを億劫がっていましたが、やはり体調が悪くなる前兆だったみたいです。夜から左目が痛み、目元がぷくっと膨れ(免疫が落ちてきた証拠のひとつ)、今朝だるだる星人となっておりました。で、午前中、午後とゆっくりベッドでときおりうとうとしながら休んでいたら、夕方から元気が戻ってきました。あれ、おかしいぞ、と思うときに休むことができて、私は幸せものだと思います。買い物に行けなかったので夕飯は冷凍した魚介類を解凍してしのぎました。ごはんにしじみの味噌汁、ぶりの梅のり焼き、れんこんにんじんトマトのオーブン焼きに、キムチ(大阪鶴橋のおいしいやつ)をつけました。食後はコーヒー紅茶ではなく、ゆういちろうの好みで、煎茶をいれました。渋い子どもです。

放射能汚染されたがれきを全国にバラまく処理の仕方について、思うところ多く、言いたいこと山盛りなのですが、自分が元気がないときに文句をいうとその毒に自分がヤラレテしまうので、今晩は止めておきます。誰に向かっていっているのか自分でも分かりませんが、「覚えておけよ」という感じです。 2011.8.22.



じめじめしてうっとおしい気分を吹き飛ばすべく、小雨となった頃を見計らって庭に出て、ミントとバーベナの花とアイビーの葉を摘んできた。どんなに雑草的な植物でも、切るべき花を選び実際にハサミを入れるときは、いつでもその時間、頭のなかが真っ白すっきりとする。ほとんど何も考えず花瓶の水に挿し、いつもの携帯電話のカメラで記録に残した。フラワーアレンジメントの先生や写真の先生からぷっと笑われそうなヘタな出来ですが(笑)、愛嬌はあると思う。これもお花の精たちのおかげである。ミントの花って庭に咲くよりも意外とアレンジに向いているなあと。 

昨日、今日と地元自治連合会主催の夏祭りがあり、役員として動員されていた。今日はあいにく(というのは嘘で、雨乞いするほど願っていた)雨のため中止となった。4時間以上みっちりと店番と、合間にゴミ当番があり、浮かない気分だったのだ。ほら、いわゆる、当たり障りのない社交をする気分じゃないときってあるでしょう。当たり障りのある会話ならいくらでもしたいですよ。被災地は今どうなってるんだなどなど。

ぽっかり空いた夜をどう過ごそうか。夕飯の献立を考えていなかったし、ゆういちろうの宿題は溜まっているし(本人の言い訳もたっぷり溜まっているし)、やるべきことはたくさんある。本日の予言前夕食日記でした。 2011.8.21.

ひさびさの更新である。落ち着きがないと言われればそれまで。あちこち動き回ったお盆生活だった。しばらく電子機器から遠ざかっていた。簡単に日々の記録をしておく。

■10日の夕食。茹で豚にキムチを合わせた。伊賀焼きにキムチの赤はよく映えると思う。



■11日。東京浅草出張。アサヒアートスクエア(下の写真、右側の黄色い物体の乗っている建物)で浅草アートステュディウム(第2回)に参加した。天啓を得る。



■12日。ぱく(きょんみ)さんから招待券をいただき駒場の日本民藝館の特別展(芹沢_介と柳悦孝 −染と織のしごと−)を見に行った。夏だというのにウールのショールやマフラーにうっとり。さらに午後はぱくさんご本人に連れられ、神楽坂のお蕎麦屋さんでお昼をご一緒し、さらに春日のギャラリー兼茶房を紹介してもらった。オーナーのCさんは一度お話すると忘れらない方。本当によいものばかり集まっていた。目の保養〜。保養チャージが必要になったら、また寄せてもらおうっと。

倉敷の当時最新の化学繊維(溶け糸)も織りこまれたウールのマフラーの件、後にぱくさんに聞くところによれば、選ばれた人しか手にすることのできない美術工芸品ではなく、商品として作られたものらしい。こういう商品だったら買いたい!! 最近浴衣でもなんでもぎょっとするデザインのものが街にあふれ、いかがなものかと思うことが多く、やっぱりこういう可愛らしく愛情あふれるものを、特に多感な年代の女の子には、自分を大切にするためにも身につけてほしいと切に願っていたところ。もし私に娘がいたらもちろん、「少年少女」と呼ばれる子どもたちみんなにプレゼントしたいと思った。街の雰囲気がぱっと晴れやかに明るくなると思うのよ。

■13日。最近顔見知りになったSさんご一家に夫婦でお呼ばれした日。Sさんの手料理と奥さんの手作りケーキを堪能した(贅沢!)。ご馳走さまでした。話せば話すほどに抱く、この不思議な親近感は何事だろう。もう他人とは思えませんね。

■14日。ふだんわがままを言うことはあまりないのだけど、私のたっての願いで、この日は奈良県葛城市にある當麻寺に出かけた。いつも思うことだがお寺の庭はたいていどこもとてもお洒落である。写真に写した庭はおそらく近年の作だと思うが、苔と砂利でこんなに素敵な道が作れるんだなあと感心した。



■15日。車で岡山の実家に帰省した。車を利用するときはいつも、出雲街道の傍の高速道路(中国自動車道)を通ることにしている。大和と出雲を結ぶ出雲街道は古くからの交通の要路のひとつ。ここはひとつ出雲大社に行ってみたいという夫の意見を汲み取り、翌16日に車を飛ばして家族で出かけた(元気ですね)。あいにく25年の遷宮に向けて工事期間に入っており、大社の傍にも近づけず、遠くから屋根も見ることができなかった。代わりに大国の主の尊の銅像の前に可愛らしい仔猫がいたのには慰められた。暑いからここで寝るわとポーズをとるかのようにくたっと寝転んだところを撮影。



■17日〜18日。姪っ子甥っ子たちも実家に集まり、にぎやかに過ごした。子どもたちは録画した「イッテQ」の映像を何度も真剣に見ていた。よっぽど面白いみたい。



姪っ子甥っ子が泊まっていった日は、私が子どもたちを風呂にいれ、2つ布団を敷いたのに、暑いのに1つの布団でくっついて寝た。「美紀ちゃんがいい〜」そうである。人生史上最高のモテ期のようである。それにしても驚くべき寝相の悪さであった。最初横一列で寝ていたはずなのに縦一列に並ばれたときには、どうしてくれようかと。

■19日。ゆういちろうを連れて奈良に帰宅。先に帰っていた夫と合流し、ひさびさに自宅で食事した。 2011.8.19.

8月9日。長崎市長の平和宣言をテレビで聴いた。長崎は、前任、前々任の市長とも射殺された町である。命懸けの穏やかさが感じられた演説であった。



Uくんの朝顔の種から今度は別の色の花が咲いた。2種類の種が混じっていたのかな。着物にしたらきれいだろうなあという渋く華やかな色。何色と呼べばいいのだろう。



8月6日は、夫のたっての願いで、伊勢神宮にお参りにいった。参拝後、すっきり爽やかな気分で歩いている姿を写真に収めた。この道をさらに先に歩いていくと五十鈴川の河原に出る。



帰り際に、参道にある甘味屋さんでかき氷を食べた。ゆういちろうのはみぞれで、私のは黒蜜。氷のなかにわらび餅やあんこ、黒蜜寒天も入っていて、とーーってもおいしかった。なのになのにゆういちろうは、僕はブルーハワイが食べたかったのに、とのこと。大人になったらこの有難味がわかることであろう。



8月7日。岡山の実家にゆうちいろうを連れていった。仕事でしばらく忙しくなるので預かってもらうためである。子ども3人かかえる弟家族も合流して賑やかな夕食となった。

最近実家ではお面をかぶることがブームになっているようである。食後の皿洗いをしているとき、ふと背後に気配を感じ振り返ると弟がお面をかぶって立っていた。ぎゃ〜っと悲鳴をあげてしまった。聞くと、もうすぐ2才になる末の甥っ子は、上の3人のせいで恐怖のどん底にたたき落とされたこともあったらしい。塗りのものより白木のお面のほうが、怒っているのより笑っているお面のほうが、よっぽど怖いことが判った。

これでデモに行けば効果てきめんなのではないかと。悪人も心底後悔してごめんなさいとなるのでは!! だって本当に怖いのよ。

デモに子どもを連れていくかどうかは悩ましい事案だが、(要は、「社会問題」に対してまだ怒ったり悲しんだりすることのない子どもに対して、無理矢理やらせ的に大人の気に入るようなセリフ「戦争(原発、原爆 etc)はいけないと思います」などと言わせるのはいかがなものかと思い)、だけど、笑顔の翁や媼のお面をかぶってきゃっきゃっきゃっきゃと念仏踊りだったら、老若男女、死者も生者も盆踊り感覚で楽しめるような気がしてきた。子どもはアイデアの宝庫だわ。ありがとう。 2011.8.9.

暑いので簡単にトマトときゅうりを中心とした食事にした。赤ワインとチーズもつけた。

以前、ここでもお知らせした仙台の荒巻配水所の存亡の問題ですが、7月29日付けの記事によれば、7月中に予定されていた解体工事はとりあえずお盆明けに延期されたということです。ひとまずよかった!

家を設計してくださった奥村まことさんも関わっている愛知県立芸術大学の建て替え問題ですが、7月31日付けのまことさんのブログによれば、星座の形に配置された天井のライトが印象的な旧女子寮は解体され、すでにもう新しい建物が立っているそうです。

いろいろと思うところ大ありで、気持ちがネガティブに振れるのを避けたかったので、建物解体阻止の話も盛り込まれているという、ジブリの新作『コクリコ坂から』に微かな望みを託して観に行ったところ、これが思いのほか大ヒット、気分がすっきりした。

「生徒諸君に寄せる」という題の宮沢賢治の詩が映画のなかに引用されていたみたいである。最後のテロップで気づいた。うちに帰って本棚を調べてみると、詩集『永訣の朝』(岩崎書店)のなかに収録されていることが判明。檄文に励まされるときというのは、いろいろと気をつけないといけないのだとは思うのだが、やっぱり気分が昂揚して気持ちがよくなる麻薬成分が詩のなかには入っていると思う。 なお本詩は、遺族の手により草稿が発見されたもののようで、いろいろなヴァージョンで出版されているようである(例えば、ここなど)。


 生徒諸君に寄せる  抄


 ・断章一
 この四ヶ年が
       わたくしにどんなに楽しかったか
 わたくしは毎日を
      鳥のように教室でうたってくらした
 誓って云うが
       わたくしはこの仕事で
       疲れをおぼえたことはない


 ・断章四
 諸君よ 紺いろの地平線が膨らみ高まるときに
 諸君はその中に没することを欲するか
 じつに諸君はその地平線に於る
 あらゆる形の山岳でなければならぬ


 ・断章六
 新らしい時代のコペルニクスよ
 余りに重苦しい重力の法則から
 この銀河系統を解き放て

 新らしい時代のダーウィンよ
 更に東洋風静観のキャレンジャーに載って
 銀河系空間の外にも至って
 更にも透明に深く正しい地史と
 増訂された生物学をわれらに示せ


 ・断章七
 新たな詩人よ
 嵐から雲から光から
 新たな透明なエネルギーを得て
 人と地球にとるべき形を暗示せよ

 新たな時代のマルクスよ
 これらの盲目な衝動から動く世界を
 素晴しく美しい構成に変えよ
 
 諸君はこの颯爽たる
 諸君の未来圏から吹いて来る
 透明な清潔な風を感じないのか


映画『コクリコ坂から』に出てきた1963年の高校生は、今の高校生よりも随分大人びているなあと思いながら観ていた。ふとあることに気づいた。以下の写真は、叔父と叔母と一緒に写った私の七五三のときのものだが、年を計算してみると叔父夫婦は当時まだ二〇代のはず。つまり、映画の主人公の男の子と女の子が10年後大人になったらこんな感じになっているのではないかなあ。今は東京に住んでいるけど、おじちゃんとおばちゃん、元気かなあ。



写真を見てもお分かりのように、私は山育ちで、幼少時の記憶がからだに深く刻まれているのか、とりわけ山間に住む人たちが震災や原発事故で避難を余儀なくされる映像や写真を見ると、本当に陰鬱で嫌な気持ちになる。ましてや自分の故郷にもう二度と足を踏み入れてはダメだということになったらと思うと、「美しい日本」ということを急に意識し始めている自分があり、いわゆる保守派と呼ばれる人たちが国土を全然守ってくれていないような気がして、「保守的」ということばの意味がなんだかよく分からなくなっている。 2011.8.4.

想定外の出来事が周りでいろいろ起こり、それぞれ対応に右往左往している。今現在の私の頭を悩ませる問題のひとつに、10日以上も前に頼んでおいた草刈り業者が一昨日やっと来てくれたはいいが、我が家の土手をモヒカン刈りにしてしまったことが挙げられる。



確かに、道路に草がはみ出さないよう下だけすっきりさせてくれと頼んだのは私だが、その依頼が意味しているのは、襟足はすっきりしているけどふうわりと髪が風になびくような、昔の南果歩さんのような女らしい髪型(ボブ)であって、誰もそこまで刈り上げてくれとお願いしたつもりはみじんもなかった。

7月にブラジルにいっているあいだ実家の両親に来てもらっていたが、折しも父が、土手上部の平面部分の庭の草刈りをしてくれていた。もともと家は土地に対して斜めにふってあるので、正面玄関を中心に考えると、本当にモヒカン頭のような庭に見えるのだ。(上の写真は、ちょうど横からモヒカン刈りの頭を眺めた感じの構図となっていると思ってくださればよい。)

夫はみっともないからいっそのこと上の草も刈るよう、もう一度業者を呼べというが、一度こちらがオッケーを出してお引き取り願った手前、お願いしにくいことこの上ないし、それにそんなことしたらますますご近所さんから好奇の目で見られるではないか。

早くまた草が伸びてくれればいいのだが、しばらくの間、道往く人たちは、いったいどのような意図をもってこのような庭にしているのか、持ち主である私たちの趣味についていろいろと考えることだろう(だってものすごく意味ありげなカットの仕方だもん)。浅学のため断定できないが、庭園史においてモヒカン刈り雑草園を提案したアーチストはおそらくいないのではないか。図らずも、神様は私にパンクであれと命じたみたいである。

今晩は、ミートソーススパゲティにした。肉の量に対してたまねぎの割合が高かったみたいで、いつもより甘みが勝ってしまい、ちょっと惜しい味になってしまった。 2011.8.3.

何がびっくりかって、今日から8月が始まったことである。今朝外交のクリーニング屋さんと、「今日も蝉がうるさいですよね」「いや、ほんと、こっちにも元気を分けてほしい〜」「わははは」と時候の挨拶をしたついでにこの話をしたところ、「ほんとに、もうすぐお盆ですよ。そしたらじきにお正月が来ますね〜」と満面の笑みで私の相手をしてくれた。真面目なことを言うと、それはちょっと困るんですけど。



幼馴染のKちゃんの一人息子 Uくんよりゆういちろうに贈られた朝顔の種から、ほんのりピンク色の花が咲いた。風にそよいでいるところを撮影。早起きして花を見つけた時は本当に爽やかな気分になる。明日はどこの蔓から花が咲くかなあ。葉っぱは知らぬ間にカナブンに食べられており、あっちいけ〜とその場からほっぽり出した。

今日からゆういちろうは夏休み限定5日間の水泳教室に参加している。今朝、教室に出かける前、「プールで僕のできないのは、クロールとバタフライと、あと、ふしうき」と言うので、「じゃあ、平泳ぎはできるんだ♪」と聞くと、「あ、いや、平泳ぎもできない」というではないか。「できるのはなあに?」と優しく(気を遣って)聞いてみると、「バタ足!!」とのこと。教室に入れてよかったよ、これを機にがんばってほしい。

夕飯の献立。ごはんとしじみの味噌汁、鯖の塩焼き、冷や奴、にんじんとごぼうのきんぴら、きゅうりの塩ずり。鯖の塩焼きには大根おろしをたっぷりと添えた。呑気な夜であった。

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という気分に浸るのもつかの間、福島原発の原子炉建屋外で1万ミリシーベルト(10シーベルト)超の放射線量を記録したという驚くべきニュースを知った(ここ)。致死量を余裕で超えている。計測した作業員の方はもちろん、その付近にいる人たちは、本当に大丈夫なのだろうか。不謹慎なことかもしれないが、硫黄島に取り残され最後まで戦った日本兵のことを想起した。やっぱり、もう、原発止めようよ。もういいかげんいいじゃない。現実を認めようよ。戦後処理を本気で考えようよ。 2011.8.1.



28日の出来事。カナダよりお客さん(仲の良いご夫婦)来る。また楽しからずや。お土産にいただいたお饅頭や最中の入っていた菓子箱がとてもきれいで、ついうっとり見入ってしまった。中身もとてもおいしかった、箱までこんなにいい感じだなんてうれしいと思いませんか。







29日から2泊3日で奈良・吉野の天川村に家族でキャンプに行ってきた。関西の軽井沢と呼ばれる地だけあって、涼しかった〜。(個人的には、軽井沢のイメージと全然違うのだけど、涼しいのは本当にありがたい。) 子どもたちの遊びのメインは、もちろん川遊び。川の水がとても透き通っていて、驚くほど冷たかった。スイカやジュースを冷やしている人たちもちらほらと。私たちがテントを広げた場所の近くには、リョウブが白い花を見事に咲かせていて、あたりに甘い香りが漂っていた。蜂や蝶々がそれはそれはうれしそうに蜜を夢中で吸っていたが、人間である私たちも幸せを感じたぞ。

キャンプに繰り出すようになって、他の人たちが持っている便利そうな物をつい欲しがってしまい、回を追うごとにグッヅが充実というか贅沢化していくのが玉に疵。この流れは今のところ食い止められない気配で、次回はダッチオーブンとか揃えたりするんじゃないかと。きりがないからそれだけは止めようとは思うだが。。。

今晩は、従姉からのお中元の明太子茶漬けをこれからさらさらといただく予定である。Kちゃん、いつもありがとう。 2011.7.31.

前回の日記について、「あれじゃあ俺が原発推進派みたいに思われるじゃないか」と夫よりクレームがあった。日記くらい好きに書かせろとも思うのだが、「まあそれもそうだな」とも思うので、まず最初に補足説明から。

夫は決して原発推進派ではない。だけど、工学者の性として、自分の意に反したことでも国家から命令された場合、その枠組みのなかで最善を尽くさなければならない立場に立たされた人間の心情に対する想像力は働く人である。高い専門的技能を持てば持つほど、職業的責任感のほうが先に立ち、嫌だから止めますとは言えなくなるのが工学者だからだ。なので前回の日記で言いたかったことのメッセージのひとつは、これ以上のウラン採掘はもう止めましょうよ、ということである。



昨晩のおかず。熊本産牛肉をたたきにして食べた。宅配で届いた実家の畑産きゅうりとご近所さんの庭の畑で採れたゴーヤは、酢の物にした。西のほうのものを中心に食卓に上げるようにしてきたが、どこでも危ないとなると、とたんに無頼派になってしまった。牛肉はめったに食べないので、多少何かあっても健康にはただちに影響がないと考えたり。要は食べたいのである(きっぱり!)。大好物の金目鯛も、水銀がたまりやすいから妊婦は食べないほうがいいと言われたりするが、妊婦のときは節約のため食べたくても食べられなかったという記憶のほうが強く残っている。

食の安全性については、私はどちらかというと、私たちぐらいの年代の日本人の体は死んでもなかなか腐りにくいという、防腐剤をめぐる都市伝説のほうを冗談半分に半ば結構信じている(占いを信じる感覚で)。真夏に、1か月以上車のダッシュボードにコンビニのおにぎりを置き忘れていたことに気づき、おそるおそる確かめてみると、今食べても大丈夫そうなぴかぴかの銀シャリのままの姿で発見され、かえってぞっとしたという、知り合いのお友達の身の上に起こった話を聞くにつけても、どれだけきつい薬が使われているのだろうかと。。。

油断しすぎてもいけないし、神経質すぎてもいけないし、とかく現代主婦のごはん作りは難しいわ。



上の写真に写っているのは、今現在食卓の上に置かれている、自治会員向けの配布物である。12種類に分かれている。これを個々班長さん宅用に仕分けていくのが副会長の役目。多種大量の書類を前にすっかりやる気をなくしている。暑いし。配るの重いし。

あと溜まっているのが、400人分の小レポートを読んで採点する非常勤講師のお仕事。これも気が重い。なんだかんだいってのらりくらいと逃げている。明日はカナダからのお客さんがあり、国際間でやりとりすることになった研究プランについて話し合いをする予定である。再会はとてもうれしい! だけど、お迎えするためには、たとえ最低限でも家のなかを掃除しないといけない。これから夕飯の支度も始めないといけないし。ああどうしましょう。

ここでぶつぶつ言う間にとっととひとつずつ片づけていけばいいのだけど、暑いのでね、こまごまとしたことを優先順位をつけててきぱきとこなしていくのが、結構大変なのである。ああぶつぶつぶつぶつ。 2011.7.27.

土日の東京出張。いったん奈良の自宅に戻ったが、夕方から京都で打ち合わせのためまた出かけた。そこでピザとケーキ。食事的にみても、なんだか私とっても落ち着きのない人みたい。実際そうだし、ま、いいか(笑)。

ここ数日来、トリウムという放射性物質の話を書きたくてしょうがなかった。他の家族みんなが寝静まり、ぽっかり時間ができたので、今晩はその話を。

先日夫がおもむろに、「どうしても原子力発電したいんだったら、トリウムによる発電だったら推進してもいいと思う」と言いだした。「トリウム? 何それ?」と私。「原発の燃料に使う放射性物質をどれにするかで昔もめたことがあって、結局、ウランに決まって、トリウムは開発中止になっちゃったんだよ」と、初耳のことを言い出した。「え、なんで? トリウムってそんなにヤバイやつなの?」と聞くと、「逆だよ、安全だから止めさせられたんだよ」と。

まったく聞き捨てならなかったので、いろいろ聞き出したことを要約すると、次のとおり。

地球に埋蔵されているトリウムの量はウランの3倍以上もあるといわれ、採掘もしやすいし、遮蔽もしやすい、比較的扱いやすい物質。熱変換効率はウランのほうが上だけど、もともとの量がたくさんあるというのと、何よりもトリウムの最大の利点は、出てきたゴミは最終的には鉛となる点。つまり、炭鉱におけるボタ山みたく、ただのゴミにしかならないという点において、ウランを燃やしたときに出てくる超やっかいなゴミ、プルトニウムなどと比べてよっぽど安全な物質といえる。

でもその安全性がネックになった。ウランから出てくるゴミ、プルトニウムは核兵器に再利用することができる。ゴミこそが高く売れることにより、ある種の人々にとってとても効率のよいリサイクルが形成される。ご家庭で使うだけなら(民生用に話を限れば)トリウムを使うはずなのだけど、そこに軍事も絡むと、非常に不安定な物質ウランに軍配があがった。米ソ対立のときは、危険だからこそますますその使用価値が高まった。

オッペンハイマーにウランによる核兵器開発を勧めたのがアインシュタインであるというのは歴史的事実。当初の目的は、ナチスドイツを殲滅するため。歴史的には、ユダヤ人虐殺を続けるナチスの横暴を止めるためには「仕方のなかった」選択とされている。ただ後に「日本の暴走を止める」ことを名目に実際に原爆が落とされたのは広島と長崎であり、アインシュタインが激しく後悔したというのはよく知られた話。だがそこに物質選択の話が絡んでいたことは、私は全く知らなかった。

トリウムによる原発はすぐできるのかといえば、そうは言えないそうだ。いったん途絶えた技術開発を復活させるのは並大抵のことではなく、基礎技術研究からふたたび始めて、実用化はずいぶん先になることが予想されるとのこと。

今回の一連の話は私にとって大変ショックだったのだが、いろいろショックだった事象のうち、ショック度の大きいものとして、工学系の人間にとっては、トリウム開発中止の歴史的経緯の話は常識的なことらしく、当然私も耳学問的に聞きかじっていて常識として知っていると、夫は思っていたという事象がある。自分が無知であることがショックだったのではなく(これは日々実感して恥ずかしく思うが、よくあることゆえショックではない)、知識格差を気づきにくいようにするコミュニケーションギャップがあることに大きな衝撃を感じたのである。

さっそく夏休みの勉強用に買った『世界一美しい元素図鑑』のトリウムのところを開いて内容をチェックしてみると、「かつてトリウムを使う原子炉の開発に巨額(数十億ドル)の研究費が投じられたのも、ひとつには原料として豊富だからでした。開発は頓挫しましたが、・・・」、「第2次世界大戦のさなか、ドイツの軍需企業であるアウアーゲゼルシャフト社が占領下のパリで大量のトリウムを押収してドイツへ運んだという情報を知って、連合軍の諜報部は青ざめました。連合国で爆弾開発に従事していた核科学者たちも、トリウムが必要だとしたらドイツの核兵器計画はかなり進んでいる、と考えました。しかし実際には、ドイツの核開発はほとんど進んでいませんでした。アウアーゲゼルシャフト社は、戦争が終わったらトリウム入り歯磨きを売り出す計画を密かに立てており、ラジウム歯磨き並みの人気商品になるに違いないと期待して、トリウムを確保したのです。」などと書かれてあった。

トリウムに関する情報を集めようと思えば、いくらでもオープンに散らばってあることが判った。つまり、隠蔽された恐るべき歴史的事実が今ここに発覚!というセンセーショナリズムは、今回の話には一切なし。でも私がトリウムという物質の存在を知ることができたのは、多くの偶然が重なったからであって、もし福島の原発事故が起こらなかったら一生知らなかったかもしれない物質だったのだ。

この、情報は公開されているけど遭遇しにくい状況にあるというのは、とても嫌な感じがする。原発はウランでおこなうものという固定概念にがっちがちに縛られていたことによって被る不利益はとても大きかったように思う。状況判断を誤ったり行動選択の幅を狭めてしまっていたではないか。反原発、脱原発、原発推進の単純な三者択一問題にするのはいかがなものかとうすうすは思っていたが、また別のレイヤーが出てきて、また一から自分の頭のなかで問題を整理整頓する必要性が生じた。片づけは苦手なほうなので、歴史的にみて仕方なかったなどと片付けることなど到底できず、たくさんの痛ましい犠牲者を前に、いったいどう説明すればいいんだと途方に暮れている。 2011.7.24.

ぱく(きょんみ)さんからメールが届いた。内容を要約すると、ぱくさんがかつて働いていたお惣菜屋やさん「パテ屋」を主宰する林のり子さんが、<まち遺産ネット仙台>の代表でもある西大立目祥子さんから、仙台の文化財(近代建築)の取り壊しが急に決まってしまい困っているとの相談を受け、実際に話を伺うと本当に困っていることが分かったそうで、それを受けたぱくさんもよかったら協力してね、と、以下のアドレスをおしえてくださった。

http://machi-isan.cocolog-nifty.com/

普段のんびりされている女の人が珍しく急いでいる、とのこと。これはよっぽどのことだと思う。サイトを隈なく読んだわけではないけど、7月末解体開始はさすがに早すぎると思う。次のようなことを私は思った。

(1)中途半端にいわくつきの建物が残っているよりは、全壊して更地にしたほうが土地の価値が上がるような仕組みにしている、建物を解体したほうがお金になるという私たちの社会の仕組みは、「滅びのまじない」をかけられているようで本当に嫌だということ。だってそれは、エントロピーの増大した、誰もかもいなくなってしまえ〜という社会を究極目標にしているということでしょう。

(2)古い建物の維持にお金をかけるよりは、人々の生活復興のためにお金を回したいから、解体は当然だという意見も、もちろんあると思う。だけどその手の言説を私はあまり信じることができない。物の命を大切にしない人が、人間の命を大切にするとは、私にはどうしても思えないのだ。どちらもセットで生きてくる話だと思うから。

(3)何者かに荒らされて亡くなった人の部屋は、荒らされた部分だけ直して、しばらく生前のままにして故人を偲びたいと思うのが人間的振る舞いにおける筋であるように、震災からの復興を考えた際、あるがままの復興をまずは目指したいというのが人情ではなかろうか。つまり何が言いたいかというと、取り壊し沙汰になっている荒巻配水所が「文化財」だから保存してくださいというよりは、これまでそこに在ったのだから遺してくださいというのが「街の人の心」に近いのではないだろうか。(壊滅的被害を受けた地域の方々の心はまた別のものだと思いますが)

言葉で正確に指し示すことができないのがもどかしいのだが、この仙台の動きを知って、何か非常に大切なものがないがしろにされている気がして、心がざわついてしまっている。いやだよ、いやだよ。(←前の日記に引き続き)

さて、今晩は夫の帰りが遅いので、ゆういちろうと二人で食事をする予定である。先日、秋刀魚のかば焼きに、ぱくさんからいただいた韓国の岩海苔(ゆういちろうはそれを「ぱくさんのり」と命名し、私がひとりで勝手に内緒で食べると怒る)を刻んでたっぷりかけて食べたら、塩キャラメルのような甘じょっぱさの妙味が家族に受けたのだった。今晩も何か組み合わせを考えてみよう。 2011.7.22.



いよいよ明日からゆういちろうの夏休みが始まる。台風にもめげず学校から持ち帰ったのが、上の写真の空き箱ロボット(図工作品)である。足はトイレットペーパーの芯、腕はペットボトル、アイスの棒で表情もつけてある。悪いものを通せんぼするかのような、この迫力! いかがでしょうか。

この空き箱には奥深いエピソードがある。先の7月3日(日)、放射能汚染を避けるべく関東から関西に引っ越し(疎開)されたご家族をお昼ごはんにお招きした際、お土産にくださったお菓子の空き箱(二つとも)なのだった。ブランデーたっぷりの高級うなぎパイと、「くるみの木」特製の塩最中、どれも初めて食べたものばかりでとてもおいしかった。夫婦でブラジルにいっているあいだ、ゆういちろうの世話をしてもらうため実家の両親に奈良に来てもらったが、その間、工作課題があったようで、偶然ちょうど空き箱が手に入る形となり、全面的にとても助かったのであった。

それにしても、そのご家族から話を伺うに、状況はひどいものだと感じた。放射能汚染からの疎開の意思を公言した人間に対しては、「それは公的に口にしてはいけないコトバでしょうが」というようなあからさまな差別的言説を直に投げかけても、ほとんど誰も不思議がらない状況が作られているようなのだ。いやだよ、いやだよ。断固ごめんである。

かつての私であるならば、「話は分かった。悲しくなるからそれ以上詳しく言う必要はない。その悪人の名前だけを言え」と、その手の差別的発言を平気でする人をぎゃふんと言わせてやりたい義侠心山盛りになるはずだが、3.11以降は人格が変わったようで、ずいぶんと大人しくなりました。放射能を前に、大人しくならざるをえないといいましょうか。。。

つまり、代わりに何を思うかというと、そういう人たちもすべからくいずれ死んでしまう、もしかしたら原発事故が起こらなかったら体験せずにすんだはずの悲惨な最期を確率上迎えることになるかもしれない、10年後20年後以降に否が応でも、私たちはあのときもっと声高に他のみんなにも疎開を勧めるべきだったと(たとえどんなにひどい差別的待遇に遭っても)、後悔や無念や自責の念に多かれ少なかれかられるはず。そのときに心を強くして、お互いに助け合って鬱的気分を退け、生きやすい社会になるよう力を尽くしましょうということ、ただ一点である。

誤解があってはならないので念のため補足するが、私は、この期におよんで疎開しない人間は愚かである、などと言いたいわけでは決してない。それぞれの人生のかかえる事情でもって、覚悟をもって原発周辺に住み続けると決めた方々もいらっしゃると思う。あるいは諸事情により現段階では疎開したくてもできないと断念された方々もいらっしゃると思う。私が言いたいことは、全人口のうち悲劇的状況に見舞われる人の数が少しでも少なくなるよう祈っており、疎開は、そのための有効な手段のひとつだと思うので、意思決定のひとつとして尊重してほしいということである。

奈良市北部はおかげさまで台風の被害はほとんどなかった。買い物には行かなかったので、今晩は回転寿司で済ませた。夏休みはゆういちろうと一緒に理科の勉強をする予定である。 2011.7.20.

ひさびさの更新である。7月3日(日)の記念すべきお昼ごはんのこともおいおい書き記していくとして、まずは直近のブラジル学会ツアーで撮った写真を紹介しようと思う。5日(火)に出発して、本日13日(水)の朝に帰国した。うちに着いたとたん長旅の疲れがでて、お昼ごろから夜7時まで寝てしまい、肝心の夜に目が冴えて困っている。



サンパウロからさらに1時間ほど飛行したところにあるベロ・オリゾンテ空港の梁と柱。ブラジルのコンクリートは全般的に黄色味を帯びていて、美しく華奢な雰囲気を醸し出しているものが多かった。ベニヤ板を貼り付けたような片持ち梁をウエハースのような柱が支えていて、地震の国から来た人間としては耐震強度が非常に気になるところ。

学会開催地であるオーロ・プレットという町へは、ベロ・オリゾンテ空港からさらにバスで2時間半かけてようやく到着した。現地の気候は冬とはいえ、寒いというより、涼しいと呼ぶにふさわしいものであった。



滞在したホテルの正面玄関の様子。石造りのコロニアルスタイル。学会会場も兼ねており非常に快適であった。



部屋の様子。写真には全部が写っていないが、窓はアーチ型をしていて上部にステンドグラスがはめらていた。



学会のコーヒーブレイクのためのテーブルセッティング。赤いバラと熱帯植物を組み合わせたお花がきれいだった。華やいでいるくせに質朴。中南米の空気だからきれいに見えるんだろうなあと思う。そして並べられた焼き菓子のどれもがとてもおいしそうに見えた。



オーロ・プレットのダウンタウンの様子。急斜面に家が立ち並んでいて圧倒された。そこを車やバイクが平気で通り過ぎていくので余計に驚いた。中世から引き継ぐ石畳、教会をはじめとするバロック建築群の作る街並みが、街並みごとそのまま現在にぽっかり遺されている感じがした。がんばって保存しているというより、「遺された」感大! まさに世界遺産にぴったり。



カルモ教会の正面。いくつもの教会がダウンタウンのなかにぽつぽつと突如あらわれ、不思議な感覚を味わった。ガイドブックによると、カルモ教会は1762年から1772年にかけて、ブラジルを代表する彫刻家アレイジャジーニョとそのよきパートナーであった画家マノエル・フェルナンデス・ダ・コスタら、同時代を代表する芸術家たちの共同作業によって建てられたものらしい。

さて、上の写真はいわゆる「きれいなもの」ばかりを選んで載せました。この土地に来られてよかったなあ〜と、とてもいい気分がした時間にとったものばかり。期せずしてこの学会の次回開催地はリスボンに決まったし、気分はすっかりポルトガル人に同化しているのではなかろうか。

でも、ほんのちょこっとだけ滞在しただけで感じた全般的な街の感想としては、ある「守られた」環境のなかにいれば、とことん快適に過ごせる場所。ほんの少しピントをずらせば、あっからさまな「格差」が剥き出しになっている場所。この剥き出し感と、カメラにそれとははっきりと写らないタイプの格差(存在しないものとして存在する感じ)とでは、いやらしさが全然違うといいましょうか。。。ものすごく日本に帰りたいのに、帰るのを面倒に感じる感じ。

帰国後初のお昼は白菜の浅漬けに握り寿司、夜はそうめん。さっぱりと。やっぱり日本食は好き♪ 2011.7.13.



玄関を出てなんだかいい匂いがするなあとふと振り返ってみると、ご近所さんがくださった挿し木で殖えたバラが一輪咲いていた。バラらしい本当にいい匂いがするのだ。ほんのりとしたピンク色もとても愛らしい。うちにあるバラは全然匂わないものばかりなので、とても新鮮な気分になった。香りもやっぱり花の魅力のうちの、一つの大きな要素だわ〜。



裏庭の一部が今、ミント畑のようになっている。せっかく植えた木苺がどこにいっちゃったんだろうと思っていたのだが、ミントの葉に埋もれつつ、ひっそりと控え目に実が成っていた。周りのミントはむしりとってお茶かなにかにして、木苺の株をもっと大きくしてやろうと思う。

植物のことを思うとどうしてこんなに心が和むのだろう。テレビからは刺々しいニュース、痛々しいニュースがふんだんに流れてくるが、一歩外に出ると、緑の別世界が広がっていて、別人格になったかのようにすっきりとした気分になる。

今晩も夫の帰りが遅く、ゆういちろうと二人で食事した。2日目カレー。おいしかった。夫が不在な分、ルーの減り具合がいつもより少なく、3日目カレーに突入することに。この時期は食中毒が恐ろしいので、昨晩も今晩も、食後鍋ごと冷蔵庫に入れ、食べる直前に冷蔵庫から出し、がんがんに火を通すようにしている。 2011.7.1.

今日もすこぶる暑かった。駅からの帰り道、20分間歩いただけで、家につく頃には全身汗だく、即シャワー行きだった。

そうだそうだ、昨日は自治会の「お仕事」で、7月号の市民だより県民だよりなどの配布物を6人の班長さん宅に仕分けして配っていく役目があったのだった。いつもならだいたい45分ほどかけて、2人分の荷物をかかえて徒歩3往復して済ませるのだが(重たいので分散しないと持っていけない)、炎天下のもとで、そんなことをしたら本当に倒れてしまうと思い、夫の帰宅を待って、夕方車を使って一遍に済ませた。運転手つきの手配って、何て楽なんだろうかと思った。

今日は、帰り道の十字路でたまたま合流して私の後ろを歩くことになった、日傘を差したワンピース姿の上品な女性が、急に、何かの歌曲のフレーズをソプラノのオペラ歌手のように歌い出し、本当にぎょっとした。追いかけてこられても困るので、足早に逃げたので、余計に汗だくになったのかもしれない。いやあ、怖かった。暑いといろいろな人が出てくる。

暑さに打ち勝つために、今晩はチキンカレーにした。カレーの日は元気が出る。ブラジルで発表する懸案のポスターもあともう少しで完成するし、気分上々である。 2011.6.30.



暑かった〜。上の写真は今朝9時ごろの裏庭の様子である。タチアオイの今年最後の花姿をやっぱり写真に収めようと思い、洗濯物を干すついでに撮影した。真夏の日差しに近いのではなかろうか。

先日、思いがけない方から、人を思う心の優しさに打たれるメールが届き、まだじんと感動している。私にできることがあったら何だってしようと思う。

今晩は、家や自分たちの火照った熱を下げるため、トマトの冷製スパゲティにした。ゆういちろうのクラスでは、急きょ明日もプールに入ることになった。いいなあ、私も水浴びしたいぞ。 2011.6.29.





白百合をどっさりいただいた。うれしい♪ 居間に一枝を挿し、残りを玄関にたっぷり活けた。いい香りが漂っている。夜になると一層、香りが強くなった気がする。

百合の季節だというのに、うちの庭には百合が一本も咲いていない。種はたくさん播いているから、忘れた頃に群生するのだろうか。それとも庭土との相性が悪く、絶えてしまったのかな。タチアオイやウスベニアオイやラベンダーがせっかく美しく咲いたのに、今年はあまり見てやれなかった。写真にも残していない。理由は単純で、雨が降ったり、異様に暑かったり、蚊が大発生したりと、庭でゆっくりする気がしなかったから。近いうちに、切り戻しをして再生を図ろう。

この一週間は、いろいろなことがあった。ゲストスピーカを務めた同志社大学の講義には、詩人の八柳李花さんが聴講されていて、講義後、出版前の詩のコピーをくださったりなどなど、予想外の出会い、展開が多数起こった。うーん、一体どうしちゃったんだろう。

今晩も夫の帰りが遅く、「お肉ないの?」とゆういちろうに憎まれ口をたたかれながら、質素な夕飯を二人でいただきました。肉よりも豆腐な気分なのです。 2011.6.28.

予想はしていたが、やっぱりそうだったかと思うことがあって、それは、最近の複合的体調不良、頭痛、発熱、尋常じゃないだるさ、喉の渇き、口のなか全部じゃないかというくらいのひどい口内炎(歯肉炎?)、注射痕の腫れ、熱、赤み、痒み等々は、きっと8日に受けた黄熱病の予防接種(生ワクチン)の副作用だったんじゃないかということである。接種を証明するイエローカードをもらったとき、抗体は接種後10日後くらいから出来て、10年間有効と言われたのだが、昨日一昨日あたりから嘘のように不快症状が順番にすーっと消えていったもの。からだって、わかりやすく出来ているのね。これでまた一つ強くなったわ(笑)。

口内炎により食欲減退した影響がまだ残っていて、今晩は握りずしを少しつまんだ程度の食事となった。ダイエット効果ありと、無理やり前向きに考えることにした。

本日、夫は、北欧のエストニアに向けて出発した。中世の風景が残るタリンという美しい世界遺産の街で、学会があるとのこと。お金と時間の余裕があったら家族で行きたかったな。この時期のヨーロッパはきれいだろうな。

今週はとにかく忙しいぞ。明日月曜は諸々のたまった事務処理を片づけ、火曜は午前中に看護学校の非常勤の授業1コマ、午後からはゆういちろうの授業参観。木曜はゲストスピーカとして同志社大学の身体論の講義。300人(400人だったっけ?)の受講生を前にしゃべるので、気力を充実させて臨まないと跳ね飛ばされそう。金曜はゆういちろうの小学校の創立記念日のため学校がお休み、代わりにうちで子どもたちをあずかりがてらパーティを企画(料理は持ってきてもらうから楽ちん)。土曜はママ友の出る『セイムタイム ネクストイヤー』を尼崎のピッコロシアターで観てから、家族で上京。日曜は東京国立近代美術館のパウル・クレー展の関連イベントである谷川俊太郎さんと岡ア乾二郎さんとの対談・朗読会を聴講、岡アさんらと一緒にクレーを見ることになっている。

7月初旬にはブラジル行きも控えているし、体力勝負のところが出てきた。学校の夏休みが始まるまで、ノンストップでかけぬけそうな予感。博士論文の準備も折りを見てこつこつ取り組まないとね。規則正しい生活リズムの死守、体調管理に万全を期そう。 2011.6.19.

週末東京出張に出かけた。11日(土)は、本郷で開かれた原島博先生(twitter)の私塾を受講した後、先生には新宿のデモに出かけてきます!とお断りして、原発事故に関しては思うところ大ありゆえ、6時からのアルタ前の反原発脱原発デモに参加した。



「デモ」という名のつくものに参加するのは初めて。いったいどうなるんだろうとどきどきしながら新宿駅に着いた。地下から地上にあがる階段はお巡りさんが警備していて、いつもだったら御苦労さまですと言ってすれ違うことができるのにこのたびは通してもらえず。自分の知っている2つの出口が封鎖されていたので、途方に暮れ、地下道のトイレでまずはいったん気持ちを落ちつけようと列に並んでいたら、デモに参加している親切なお二人とそこで偶然に出会い、デモの中心の場所まで道案内をしてくださった。その方たちがいらっしゃらなかったら、警備の輪をかいくぐって中に入ることは、気が弱いので、途中で諦めてたかも。

何をするでもなくただ演説を聞いていたころ、会えたらお会いしましょうと約束していた岡崎乾二郎さんや木原進さんと無事合流できた。しばらく歌を聞いたりした後、四谷アートスティディウムの学生さんたちも一緒に、飲み屋街に流れ、屋外でビールを飲んで遅くまでたくさんいろいろな話をした。面白かった! うーん、でも、いちご白書(古!)やフォークソング的な匂いは全然感じられなかった。今回初めてデモに参加してみて感じた感想。私が勝手に頭のなかで想像していただけだったみたい。

12日は、科研費をいただいている足利事件の供述分析の会議に参加。こちらも少しずつ前進しています。そして深夜、奈良の自宅に帰ると、なんと我が家のカーテンを制作してくださったまきさん(織工おきぬさん)から、包みが届いていた。開けてみると、心温まる手紙とともに趣味で作っているという空吹き(そらぶき)ガラスが入っていた。サプライズのプレゼント。とてもうれしかった。本日、朝起きて、パチリと撮影。きれいでしょう。



今晩は、簡単カレーにした。明日も手抜きいたします(笑)。 2011.6.13.



トマトのおいしい季節がとうとう始まった。トマトを切り、プチトマトと瓜の浅漬けとを合わせてガラスの器に盛ったら、とってもおいしそうな一品になった。ドレッシングで和えることはせず、瓜の塩気だけでいただくのがポイント。胃も心もきれいになる感じがした。

7月に学会参加のためブラジルに行くので、今日は黄熱病の予防接種をしに大阪の検疫所に出向いた。予約時間は午後2時半。帰りの時間が読めなかったので、学校を早引きさせてゆういちろうを一緒に連れていった。給食の終わる時間を見計らって教室に迎えに行ったとき、先生は少し困惑されていた。ゆういちろうが給食のとき急に「ブラジルに行くから帰ります」と言いだしたそうだ。朝、ちゃんと先生宛のメッセージを書いた連絡帳と一緒に先生に早引きのことを伝えるようにと念を押したのに、本人はすっかり忘れていたそうだ。で、私が、「すいません、注射が必要だったもので」と謝ると、一瞬怪訝な顔をされたが、お互い急いでいたので、宿題とか持ち物の用件を確認して退出した。

例によって例のごとく今朝も忙しかったので、夫に先生宛てのメッセージを連絡帳に書いてもらった。後から確認すると、そこには「両親二人とも午後から仕事のため家を不在にするので、1時頃ゆういちろうを迎えにいきます」という内容が書かれてあった。そりゃ先生は意味不明だったと思う。ごめんなさい。完全にコミュニケーション不足でした。

「人生は十分に長い。礼儀を尽くす時間は、いつだってたっぷりある。」というエマーソンのことば、ターシャ・テューダーの好きな格言を集めたイラスト集に紹介されているこのことばが突き刺さる。いかんいかん。明日はもう少し丁寧に過ごすことを心がけよう。 2011.6.8.

梅雨の季節となり、庭はしっとり落ち着いた雰囲気を醸すようになった。裏庭の花の主役は、あじさいに移った。あじさい大好き。好きな花が多すぎて困ってしまう(笑)。



母が挿し木で殖やしたカシワバアジサイも3年目にしてこんなに大きく育った(上の写真、右)。その左には、借家のとき鉢植えで育てていた青あじさいが植わっている。色づき始めたばかり。買ってきた当初の花の色は目にも鮮やかな青だったのに、写真で見て分かるように、ここの土地に地植えにしたら紫に変化した。裏庭は酸性土なのかな。



大変地味な山あじさい。時間がたつと紅色に変化する小さめのかわいらしいあじさいである。こちらは熊本の伯母が妹である実家の母に渡した苗から、さらに挿し木で殖えたものである。斑入りのドクダミと合わせたら、ぱっと見は洋風にも見えなくもない。この付近は日本の洋食のような庭となっている。いいとこどり♪

昨日は公園の花壇をボランティアで管理されている斜めお向かいの奥さんから、今春公園を黄色く彩ったアブラナの種をいただいた。来年の春、うちの庭も黄色いっぱいになるよう、秋に種を播く予定。今日は今日で、駅前でばったり出会った、また別のお向かいの奥さんから、バラの挿し木を今度あげるからね〜と言ってもらえた。玄関先に植わっている美しい薄いピンクのバラのことを以前私が褒めたことを覚えていただいていたみたい。とってもありがたいことである。うちも玄関先に植えると、美しいバラが共鳴しあって、通りの雰囲気がいいものになるのでなかろうか。同じ植物をそれぞれのうちが好きなように植えると、ご近所づきあいが存在する証にもなるし、街並みがよりきれいになると思う。

そして今晩は、Kくんのおばあちゃんが手作りハンバーグを持ってきてくれ、Kくんとゆういちろうと一緒に食べる予定である。Kくんのお父さんとお母さんは今晩は仕事で帰りが遅いので、独りで食べるより友達と一緒に食べたいとのこと。うちとしてはメインを考えなくていいので、願ってもないこと(笑)。なんだかいろいろといただいてばかりの、ありがたい今日この頃である。 2011.6.7.

いつもの鶏の酢照焼きを作ったつもりが、あれ〜いつもよりおいしいぞと思ったら、なんとレシピのポイント中のポイント、最後の仕上げの酢を入れるのをすっかり忘れて、ただの照り焼きになっていたのだった。もちろん酢を入れると健康によさそうで、いつもおいしく感じていたが(「さっぱりしてていいね♪」とか)、からだの本音を言うと、ないほうが好きだったのか、ということがよく分かった。

自分が人からがみがみ言われて、行程表なるものを掲げて論文執筆に苦しみながら取り組んでいたストレスの矛先が、先月ついにゆういちろうに向かい、ゲームばっかりして遊んでいないでちゃんと勉強しなさいときつく叱ったことがある。宿題は遊ぶ前にきちんと済ませなさいと。反省も兼ねて、ちゃんと学校から帰った後の予定を自分で決めて、規則正しい生活をしなさいと。で、ゆういちろうが裏紙を利用して作成したのが以下のスケジュールである。こけました(笑)。



まず、いきなりゲームから始める予定を立てたので、宿題が先でしょうがと、がみがみがみがみ。それで一応宿題を先に済ませる予定に変えたのだが、なんだかんだいって結局ゲームに1時間半もの時間を割くスケジュールに。

夜9時就寝など、守った試しがないのだが、理想を高く掲げるのも悪くないかな。一番笑ったのは、朝7時15分起床にしたところ。7時半過ぎにはお友達が迎えに来るのに、15分まで寝ていて、大丈夫なの?というと、7時起床に訂正した。でも、実は15分起きというのは、現実をよく反映している。いつも朝はばたばたと慌ただしく過ぎていくのだ。

本日、冷蔵庫に貼ってある、いまだかつて一回も実現したことのない、この予定表をしみじみと眺め、似なくていいところが似るなあと、親子して何をやってるんだかと。。。このノリで大人の世界も進行していたら、エライこっちゃ。そうでないことをひたすら祈っているのだけど、もしかして、、、と思うことが最近多々あり、自分の中の「責任ある大人」イメージがヒビだらけになっているのを感じている。 2011.6.3.



本日午前中もまだ、台風の影響で警報が発令されており、ゆういちろうは自宅待機。ゆえに私も家におらねばならず、研究所の月末事務処理関係に少し迷惑がかかったが、幸い、午後からは警報が解除され、雨空に向かって「おっれは、ジャイアーン、がっき大将〜」と叫ぶほど暇を持て余していたゆういちろう本人は、いたくご満悦にお友達と一緒に1時過ぎに登校していった。そして、3時には帰宅。ほとんどその足で、今度は駅前のお友達のうちへ遊びに行った。いいなあ、子どもは。

写真は、授業参観のとき教室に貼られていたゆういちろうの最近の絵である。クレーの影響が感じられる(笑)。この絵のなかには、餌を食べている4匹の恐竜がいて、それぞれすべて専門的な名前がついているそうだ。図鑑でもって一匹ずつ説明してくれた。「いいじゃん、この絵」と私が褒めると、「でも僕は絵は上手じゃないから」と顔を曇らせ、珍しく、いたく控え目な発言をした。学校でへたくそって笑われたのかな。気にすることはないよ。「お母さん、この絵好きだなあ」と心から褒めた。色もいい感じだと思う。親ばかですね。

今晩の献立は決まった。大庭英子さんの『ひき肉ストックレシピ』を参考に、「そぼろとねぎのチヂミ風お焼き」を作る予定である。チヂミ初挑戦♪ おいしくなりますように。 2011.5.30.

ひさびさの更新である。5月22日(日)に、念願の(いやむしろ悲願の)博士論文初稿を書き上げ、指導教官の佐々木正人先生に連絡を取ったのちに、精根尽き果て風邪を引いてしまった。本日、完全オフ宣言して、朝からゆっくりだらだら過ごしたら、体調が復活。もう大丈夫。なんともまあ分かりやすいからだをしている。



庭はバラの季節を迎えている。この春、二番目の花いっぱいの波が到来。論文を書きながら、ただただうっとりと慰められた。お花さんありがとう。



お隣さんとの境には、白万重(しろまんえ)というクレマチスが咲き誇り、色とりどりのセキチクと薄紫色のバーベナが続き、ちょっとしたお花畑になっている。表庭のほうに歩を進めると、ラベンダー、斑入り野葡萄や、ローズマリー、タイムといった乾いた感じの植物が、崖の上から下へぶわ〜と元気よく張り出している。ローズマリーとタイムの花の季節は終わり、今はラベンダーの花や斑入り野葡萄の葉が本当にきれい。

思い起こしても、忙しい毎日だった。備忘録として、日々の家事と論文以外に取り組んだことを書いておく。非常勤講師の仕事、ゆういちろうの授業参観、遠足(お弁当づくり)、空手昇級試験、自治会のゴミ当番、回覧物仕分け&配布。あ〜忙しかった。

昨晩は、しろぐちの煮付けを用意していたら、Kくんのおばあちゃんがおいしいカツオの刺身をくださったので、旬の魚のダブルメインの思いがけない贅沢な夕飯となった。おいしかった!! 今にして思えば、この段階で、きっと風邪の邪気が飛んでいったのだと思う。食事は大事。今晩は何にしようかな。 2011.5.25.

14日(土)は夫が休日出勤で不在で、ゆういちろうと二人で過ごした。おやつにパンケーキが食べたいということでいそいそと作った。私はなぜかパンケーキを焼くのがとても好きなのだ。私ははちみつレモンで食べるのが好みなのだが、ゆういちろうは辛党で、マヨネーズとケチャップ、もしくは何もつけずにそのまま食べるのが彼のやり方である。



ゆういちろうが自分でマヨネーズを絞り出すと偶然ハート型に。かわいいね!と言いあっていたら、さらに彼は、中にケチャップを入れて、赤いハートマークにすることを思い付いた。きゃ〜かわいい!!とますます言いあっていたところ、Tシャツまで偶然ハートマークがついているではないか。LOVE BUG の、てんとう虫♪ ここまで来ると、パンケーキの焼き模様もハート型に見えてくるから不思議。すべての存在のらぶらぶ連鎖を祈念しながら記念写真を撮った。

15日(日)は、夫が急に信貴山に行きたくなり、「農業公園・信貴山のどか村」というところにピクニックに出かけた。アスレチック、草スキーなど遊ぶところも充実していたけど、全般的にのどかでいいところだった。畑の野菜を自分たちで引っこ抜いて、その分の代金を支払ってから、帰路についた。昨晩も今晩も野菜たっぷりの食卓になってうれしいわ〜。 2011.5.16.



論文執筆にいそしんでいた仕事部屋に、ゆういちろうがぬいぐるみルルちゃんとやってきて、むぎゅーとポーズ。その様子を撮ってこの日記に載せろという(笑)。自作自演の写真が上のものである。平和な午後であった。

昨晩は奈良の面白い企業家さんたちの集まるサロンにひさびさに出席した。とてもためになる情報を得た。お好み焼きと糸こんにゃく入り焼きそばをいただいた。

今晩はひき肉入りカレーにした。カレー大好き。カレーの日は日記を書きたくなる。 2011.5.11.



先日、月ヶ瀬村の市場で露地栽培のしいたけを買った。さっそくしょうゆをたらして網焼きにしたり、油で炒めてしょうゆ、オイスターソース、砂糖で味付けしたり。写真は後者の一品である。おつまみにも最高だった。

少しずつだけど食べ物とのうまいぐあいの距離感がつかめてきた。震災以後も、もちろんいろいろとおいしくいただいてきたが、でもまあなんというか震災前のようにあっけらかんと「いっただっきまーす」という雰囲気じゃなくなってしまった。現にこの2カ月ほど食事の写真を全然撮ってなかったもの。食欲がないわけではないけど、記録する気が全くしないというか。。。他のみなさんはこの2カ月間はどんな感じだったのかなあ。



本日は、京都国立近代美術館にパウル・クレー展を見に行った。大収穫。面白かった〜。来週末までなので、まだご覧になってない方はぜひこの機会にお出かけください。この後、東京でも展示があるそうなので、見逃した方はこのために上京してでも、見てみてください。私たちも含め、自分の発見をついいろいろと指差ししながらしゃべりたくなる絵ばかりで、「もう少しだけ離れてみてください」と学芸員さんから優しく注意される人が続出していました(笑)。

美術館の窓から平安神宮の大鳥居をばっちり見ることできる。合成写真に見紛うほど、インパクトある「浮き出た存在」の鳥居であった。 

博士論文は毎日少しずつだけど確実に前進している。苦しいけど楽しい。今晩はもう寝ます。書き上げたら絶対に泣きますね、私は。 2011.5.8.



昨晩は、紫キャベツを刻んでお湯につけもみもみして抽出した紫色の液を使って、酸性、アルカリ性、中性、そして中和反応の理科の実験をした。写真は、向かって手前より、酢、重曹、食塩を溶かした水を順次入れていって反応を見ているところ。面白いね!



5月4日はドライブがてら月ヶ瀬村まで出かけて、新緑萌ゆるなかを散歩した。同じ奈良市といっても月ヶ瀬付近まで来ると私たちの住んでいるニュータウンとは全然雰囲気が違う。国破れて山河あり!って感じがする場所で、怖がらなくても大丈夫って言ってくれている気がする村である。

月ヶ瀬村はお茶と梅の産地でもあり、社会科の授業で畑や果樹園の地図記号を習ったばかりのゆういちろうの「学習」も兼ねての散歩でもあった。教育ママここに極まれり♪ 田植えの時期とも重なり、早苗の清々しい並びも見られたので、とてもよかった。町育ちのゆういちろうに山育ちの私ができることを少しずつでもしていきたいと思っている。世間へのモノ申し方のもっとも穏便で平和的な方法として、多少時間がかかってもそのほうが一番手っ取り早い気がする。

今晩は昨日に引き続きビーフカレーにする予定。食欲増進のためにはカレーが一番である。 2011.5.6.



4月30日から5月1日にかけて、奈良県吉野郡にある天川村に家族でキャンプにでかけました。雨が降るかもしれないという天気予報だったため、出発前にゆういちろうがティッシュペーパーを丸めて家族3人銘々のテルテル坊主を作ってくれました。テントを張り夕飯を作って食べてまでは大丈夫だったのですが、夜中から早朝にかけて暴風雨に見舞われ、テントが吹き飛んでしまうのではないかと心配しました。車に一時避難したりしてなんとか切りぬけました。怪我もなく無事に帰ってこれたので、きっとテルテル坊主さんたちが守ってくれたのでしょう。



本日はうってかわって、きらきら眩しいまでにお天気はよくなりました。奈良市内でも雨はたっぷり降ったようで、庭の雰囲気もますます瑞々しくなっています。柿の若葉の下で、アイリスが咲き始めました。もうすぐしたらバラの女王様のお成りでしょう。たくさん蕾がついています。

これから夕飯を作ろうと思います。誰が主導権を握るか、夫婦間で水面下の争いを繰り広げています。誰も責任をとりたくないようです(笑)。 2011.5.2.

もう全然夕食とは関係ないのですが、花がとてもきれいだったので載せます!



花が咲くのを心待ちにしていたアイスクリームという名前のチューリップ。なんて愛らしいんでしょう。食べてしまいたいけど、食べるのがもったいない、透き通った食べ物みたいです。



物干し台の近くには、たんぽぽの花が元気いっぱいたくさん咲くようになりました。見た目は同じように見えますが、葉っぱの形はいろいろ違っているので、たぶん種類が違うはず。たんぽぽは大好きな花の一つなので、抜かないようにしています。 2011.4.29.



牡丹の花が満開になった。と〜ってもインパクトのある姿形をしている。一つの花が手を二つ合わせたくらい、つまり顔くらいの大きさがある。食卓に飾っても存在感ばっちり。一切出し惜しみなく魅力全開の様に感動を覚える。

先週末は科研の打ち合わせが2つあり、東京へ出かけた。初日の夜は、打ち合わせ後、四谷でフランス料理をいただいた。幸せ♪ 2日目の夜は、帰りの新幹線のなかでサンドイッチをつまみながら缶ビール。こちらは間に合わせ的だった。

今日は非常勤講師の仕事の後、担任の先生を自宅にお迎えした(家庭訪問)。日頃のツケが回って掃除にてんてこ舞いしたが、終ってみたらうちのなかがきれいになって気分よし。次々と花が咲くもっとも気候のいい季節がやってきたし、自分の身の回りのことだけを考えたら、なんて幸せなんだろうと思う。

一方で、嫌なニュースを見て、昨日などは半日寝込んでしまうほど陰鬱なモードに取りつかれてしまうことがあり(うーん、それともただの風邪だったのかな?)、体調管理によほど気をつけていないと大変なことになるなと思う今日この頃である。博士論文のテーマが、人間の集団行動の制御の問題であり、間接的とはいえ時事問題と否が応でも絡んでくるので、心を強くして取り組まないといけない。負けないわよって感じ。強気でいく。 

今晩はゆういちろうと二人で食卓を囲むことに。かれいの煮付けをささっと作って、簡単ヘルシーな食事にする予定である。 2011.4.26.



門扉周りに置いてある寄せ植えの鉢に、色とりどりのチューリップが咲いた。陽光をたっぷり浴びてのびのびと気持ちよさそうにしている。花の色はそんなに色合わせを難しく考えなくても自分たちの力で勝手に調和してくれるので、助かるというか頼もしく感じる。

ゆういちろうが3年生に進級して初めての授業参観に出かけてきた。社会科の授業であった。8方位や地図記号を習って、地図が読めるようになる勉強をした。ゆういちろうと一緒に帰宅してから、サッカー教室に送り届けるまでに、あと1時間ほどある。この微妙な時間を利用して、今のうちに予言夕食日記を書いておこうかなと。今晩は、夜もしっかり仕事をしたいので。(←締め切り前で、焦っているともいう)

今晩の夕食は、Kくんのおばあちゃんお手製のアジの南蛮漬けと鶏の唐揚げをメインに組み立てる予定。ついこのあいだも絶品ラザニアをいただいたばかり。いつもありがとうございます!! 2011.4.21.





2時間、本当に深く集中して原稿に取りかかったら、その後は腑抜け状態で、ぽやんとしてしまった。つくづく体力勝負のところがあるなあと思う。集中してものを考えているとき、頭がものすごく気持ちよく、この快感がこのままずっと続いてくれたらと思うのだけど、でも実際にハイテンションのまま集中し続けると、身体にガタがきて結局は碌なことがないからね。また目が見えなくなったらヤだもんね。しばし休憩!! おそらくこのまま夕飯作りに突入すると思うけど。。。今晩は何にしようかな。予言夕食日記にすらならない。腑抜けだわね。

今の季節、庭を歩くととてもいい気分になる。春の喜びで胸がいっぱいになる。裏庭は誰に見せるわけでもなく私だけの秘密の花園状態になっていて、来年は黄水仙の花がもっとたくさん咲いたらいいなとか、早くも今秋の植栽計画を立てている。表庭の牡丹の木についた蕾の数をついこないだ数えたばかりだというのに、あれよあれよという間にほころび始めた。咲くのも時間の問題。最初はたった3つの花しか咲かなかったのに、この場所が気に入ってくれたみたいで、毎年ぐんぐん大きくなっている。うれしい。ありがとう。 2011.4.20.

論文執筆作業が切りのいいところまで進んだ(というか頓挫した)ので、夕飯に取り掛かる前の中途半端な時間を利用して、予言夕食日記を書こうと思う。





今朝、ご近所の方から新鮮なたけのこをいただいた。うれしかった♪ この時期のたけのこ大好きなのだ。実は昨日もスーパーで買ってきたたけのこを茹でて、ミートソースとホワイトソースを重ねたグラタンにしたのだが、今晩もメインはグラタンにしよう。昨日と趣向をほんの少し変えて、トマトソースとホワイトソースの組み合わせにする予定。トマト水煮缶が余っているからね。そうしましょう。明日は吸い物、若竹煮、佃煮とたけのこづくしの和食にするつもり。

ゆういちろうは学校から帰宅するなり、「おかあさん、パンケーキ焼いて!」と、珍しくおやつのリクエスト。しょうがないなあと口では言いながらも結構機嫌良くいそいそと用意して、生地を寝かせている最中に、友達から電話があり、今度は「言ってきま〜す」と自転車で出かけていった。なんだかなあ。

日増しに緑が濃くなってきている。ありがたいことだと思う。最近のお気に入りの庭の花は八重のチューリップである。華やかでかわいらしく、ついうっとりと見つめてしまう。

そういえば一か月前の今頃は、右目が見えにくくなって大変だった。光がちかちかして、白い円のようなものが視界にいつもあり、眩しくて他のものがうまく見えなかった。どんどん悪くなっていったので、このまま目が見えなくなるのかと思ったもの。怖かった。3月18日、意を決して眼科に電話して症状を伝えると、網膜が剥離してたらその場でレーザーで焼くから、すぐに来るようにとのこと。さすがに、えぇーーーと思いました。受診してみると、網膜は剥離していないが、目の組織(どこだったっけ?)が少し薄くなっているそうで、治療して治すようなものでなく、重いものを持ったりあんまりぎーっとものを見たりせず、安静に暮らしなさいと、お医者さんから言われた。どれだけテレビやネットニュースを歯を食いしばるかのように目を酷使して見つめていたのかってことでしょ。自業自得、あほやでって感じ。大いに反省し、ゆったりした気分で遠くや近くの緑を見るようにしたら、大分症状はやわらぎ、今ではほとんど日常生活に支障はなくなった。

1カ月後、念のため再受診するように言われたのだが、また薬で瞳孔を開いていろいろ検査されるのがなあ、ちょっと嫌なのだなあ。喉元過ぎればって感じになっているのであった。でもね、今でもパソコンのモニタを夜見つめるのはつらいものがあり(ものすごく眩しい)、なるべく昼間に仕事をするようにしている。だからこれからもしばらくは予言夕食日記を書くことが多いかもしれない。

さて、明日からまた非常勤講師の仕事が始まる。がんばろうっと。 2011.4.18.



おととい玄関に2種類の水仙を活けた。少量でも、ケミカル系の水仙独特の香りが充満。特に朝は香りが強い。植物の生命力はすごいなあと思う。玄関にはそのほかにも、思い切りガンを飛ばしているシーサーもいれば、その足元には石化したかたつむりもいて、ときどき思い出したようになでたりさすったりすることがある。かたつむりは、まるで、本人はとても頭がよくいつも真面目なんだけど、どこかひょうきんな風情を漂わせている人みたいで、そういう人に私はなりたい。それにかたつむりは怒ると怖いぞ〜。目玉から、つのだって槍だって出すんだぞ。巨大化すれば見た目十分に怪獣だし、怖いぞ〜。

魚中心の和食が続いている。今晩は花椒、陳皮、レモン、ゆずの粉末がブレンドされたいただきもののお塩で、鯖を塩焼きにした。海と植物の恵み。トレビアン。 2011.4.15.





朝の光のなかの花と緑たち。今日はよく晴れて、庭に出るととても気持ちのいい一日だった。ニュース映像のなかの世界と身の回りの世界との乖離が激しく、もしかして私たちのほうがあのとき死んでしまって今天国にいるのかな?と妙な気分に襲われるときがある。参ったな。論文執筆で頭が少しおかしくなっているのかもしれない。

今晩は、かれいの煮付けにごはんとしじみの味噌汁、大豆とひじきの煮物、にらともやし炒め、プチトマトを付けた。どれも味付けを控え目にし、おとなしめのお気に入りの皿に盛り付け、食卓がおだかやかで優しい雰囲気になるようにした。 2011.4.14.



ほとんどの鉢植えの土がからからに乾いていることに気づき、夕方に水やりをした。写真のビオラは2月4日(金)にも登場したビオラと同じものである。あれから2カ月以上たち、ますますこんもりと茂っております。しかも、なんだかたくさんの顔にじっと見つめられているような気がするのは私だけではないはず。なるほど、パンジー/ビオラが江戸時代に渡来したとき、人面草と呼ばれたわけだ。

夕食は中華にした。中華のときには珍しく、今晩は私がひとりで全部作った。中華鍋に対して苦手意識があったけど、結構うまくいった。 2011.4.13.

3月11日の震災後、しばらくして、このままでは死ぬに死ねないと急にやる気が出て、博士論文を一気に70ページ近く、6万字ほど、ざっと一通り書きあげた。どう考えてもあのときは躁状態だったな。で、その後、チューニング作業をだましだまししながらどうにか終わらせ、さあこれから2稿を調整しようというところで、完全にストップ。鬱屈したまま現在に至る。

昨晩の選挙結果速報後は、スカイプでずっと今後の科研研究打ち合わせをしたので、まだ気分が紛れてよかったのだが、一晩明けてやっぱりどうにも気分が落ち着かないので、今日もまた、前倒しで予言夕食日記を書いて、気分を落ち着かせようと思う。今晩のおかずは、じゃーん、私の大好物、金目鯛の煮付けにする予定である。

今、私の頭にあるのは、名工ダイダロス、迷宮ラビリンスとミノタウルス、イカロスの翼、ミノス王との関係、そして神話の世界を離れたとしても、一説には地震と津波で滅んだとされる、クレタ島ミノス文明の最期のことだ。

先日この日記でも、ミノス王のことをミロス王と書き間違えたが、私はしょっちゅうその手の間違いを犯してしまう。「ミノ」よりも「ミロ」のほうを選んでしまいがち。例えば、みのもんた、尾張美濃のイメージよりも、ミロス島(ミロのヴィーナス)、メロス、エロス、弥勒のイメージのほうが、ギリシャに近い感じがする。ニコスにはあまりいいイメージを持っていない。全然、話は飛ぶけど。

ついでにいえば、演劇に関わる研究をさせてもらいながら、いつもよく間違うのが、スタニスラフスキーをスタニ「フ」ラフスキーと呼んでしまうことだ。間違わないようにしよう、間違わないようにしようと思うのが、かえってプレッシャーなのか、本当によく言い間違ってしまう。ラフマニノフとごっちゃになっているのだろうか。自分でもよくわからない。

フロイトによれば言い間違いには無意識に抑圧した事象が現れているのだそうだが、そんな高尚な話にしなくても、長年の経験による惰性で物事を選んでしまっている(選び間違っている)ことはよくあるような気がする。人間とはそういうものだと達観できるほどまだ自分は成熟していないので(だって青春ド真ん中なんだもの)、とかくこの世は棲みづらくてしょうがない。ウランよりも隣人の心のほうがよっぽど予測不能、制御不能。私は、旅の恥はかき捨てで生きていくのは、どうしても嫌なのよ。

以上、愚痴でした。でも愚痴を言い続けて何かが好転するとは思えないから、棲み方を工夫していくしかない。ダイダロスは王さまを変えながら波乱万丈生き延びたはず。ダイダロスにあやかるためにも、最低限、まずは目の前の博士論文に集中して取り組もう。 2011.4.11.

今晩は、夫が元気が出る赤色のパワーをもらおうと、トマトソースづくしのイタリア料理を作ってくれた。どうもありがとう。で、ついでに写真も、赤いチューリップシリーズで。



庭のいろいろなところで、植えたはずのない赤いチューリップが生えてきた! なんでかと思い、根元を見てみたら、一昨年の寄せ植えの鉢の土をひっくりかえしたところ(球根があることをすっかり忘れていた)から出ていた。すごいなあ、植物の生命力は。



日中は開ききってこれまた元気いっぱい。奥のほうでゆういちろうと夫は猛勉強中。勉強あるのみ、がんばろう。その後、選挙に出かけた。



おまけ。あでやかな夜の様子。秘めたる情熱の赤。真っ赤に燃える太陽の赤。 2011.4.10.

今朝ゆういちろうを空手の稽古場となる体育館に連れていったところ、あまりに桜がきれいだったものだから、記憶が鮮明なうちに前倒しで日記を書こうと思う。(ちなみに今晩の夕飯は、ぶりの照り焼きにする予定。予言夕食日記!)



薄曇りのなかで見る桜は、見慣れたソメイヨシノでも薄墨桜に見えてしまう。ずらっと幾本も並んだ美しい立ち姿に圧倒されてしまった。



体育館からの帰り際、少し遠回りして、運動公園内を散策した。山の斜面には山つつじが色を添えていた。写真にはちゃんと撮れていないけど、手前の桜との相性も良く、しばしうっとり眺めた。



ピクニックできる広場でも、桜は満開だった。「幻想的」という形容のことばはこういうときに使うのではないだろうか。素直にそのことばを使わせてください。雨が上がったばかりの朝の桜がこんなにきれいだったなんて、知らなかった。残りの人生で、後何回くらい、今朝みたいな桜が見れるのだろう。

帰りの道すがら、現在の私たちの置かれた状況って、どこかで知っている気がすると思ったが、ギリシャ神話のダイダロスの話じゃないかとふと思った(概要はここ)。技術者は王様やお妃の欲望をかなえるためにいろいろなものを作って差し上げるのだが、それがめぐりめぐって結局は自分自身を苦しめたり、そこから脱出することはどうにかできるのだが、その際に伴うのは、大事な人を失う痛みであったり。。。そしてそもそもダイダロスは自分より技術が上の弟子を崖から突き落として殺してしまうなど、優れた技術者自身もまた罪深い存在なのだ。半獣半人の怪物ミノタウルスは出生からして憐れな運命を持っていた。現代の世俗の王様が、いつまで君臨できるか分からないが、少なくともミロス王(■追記参照)の最期は憐れなものであった。少なくとも、これ以上ポセイドンを怒らせるような真似はしないでほしい。 2011.4.9.

■追記:いい間違い発見。ミロス王ではなく、ミノタウルスなんだからミノス王! ミロス島、メロスやエロス、ミロ(のヴィーナス)、弥勒(みろく)などといつもごっちゃになる。

毎日ごはんはおいしくいただいている。今晩は春キャベツをだし汁でくたくたになるまで茹でて味噌汁にした。美味。最近の大ヒットは、職場の先輩研究者のお母さんが毎年作ってみんなに配ってくださる、「明石沿岸で獲れる春の味覚 いかなごのくぎ煮 山椒味」である。ご飯がことのほか進む。ありがとうございます!

昨日のお昼は、新しい場所に移られる同僚Yさんの送別会(壮行会?)があった。始業式帰りのゆういちろうも連れて参加した。彼がまだ小さい頃、病後保育先がないときお守してくれたり、たくさんお世話になったのだ。予約なしでは入れないフランス料理屋さんでおいしいコース料理を堪能した。最後のバラ風味の紅茶がとても印象に残った。砂糖にも乾燥させて細かく砕いたバラの花びらが混ぜられており、ふわっと香りが立ち上る仕掛け。企画者のFさんから、Nさんと私まで激励され(私の場合は、D論激励と科研内定おめでとうと)、結局サプライズで親子ともどもご馳走になった。これからいいことあるかも。





去年、春を夢見ながら仕込んだ寄せ植えの鉢が次々と見ごろを迎えている。今年は、シュガーピンクやクリーム色など優しい色合いを中心に組み立てた。それがよかったみたい。甘い気持ちになり、心は慰められ、目にも穏やかで優しい。

現在避難場所になっている東北地方の学校も、用務員さんや先生方がきっと美しい植栽計画を立てていたはずだから、今ごろ、花が少しずつ咲き始めているのではないだろうか。どうかみんなの心が少しでも慰められますように。オカルトは苦手なので、あんまり大きな声で言うつもりはなかったのだが、私は花の精の存在を信じている。この際なので言っておこうと思う。 2011.4.7.





奈良の家の庭でも、昨秋仕込んでおいた球根から花がいろいろと咲き始めた。この時期はどちらかというと庭の雰囲気は洋風かなあ。なんでもありえる庭になっていったらいいなあ。本当に春が来るんだろうかと思いながら初冬に近い晩秋かじかむ手で球根を土に埋めたものだが、まさかこのような春を迎えようとはそのときは予想だにしていなかった。

放射性物質を大量に含んだ水が連日海に流れ出ている。ごめんなさい、ごめんなさいと何度でも謝りながら、地球の自浄作用にすがるしかない事態になってしまった。あらゆる遺伝子において、放射線によって傷つけられる機会ができるだけ少なく抑えられるよう、「自然としてのウラン」にひざまずいてお願いするしかない。もともとウランは地球上に平和裏に散らばっていたのだ。

なんだかんだいって私は制御の幻想にとりつかれていた。3月20日の段階でもまだ、もしかしたらこのままおとなしく冷却されるのではないかと、日本の技術力は世界一、捨てたもんじゃないから大丈夫だと、どこか本気で楽観視していた。もともと制御できないものを制御しようとするのが原子力工学だということは頭では知っていたつもりであるが、それでも事態の早期収束をどこかで無条件に信じた。

私たちは学校で、科学的予測は予測できる条件が揃って初めて成立するものだということをしっかりと習ってきたはずだ。しっかりと習ったことは事実であるが、経験として何も分かっていなかったことを、今ほど思い知らされている時はない。ウランを人為的にかき集め狭い場所に閉じ込めたつけがこんなに大きいものだったとは。。。何が起こるか精度のよい予想が立たない事態に、正直茫然としている。

原発事故のことを考えると、気分が乱高下して、研究者として(もっといえば人間として?)強気になったり弱気になったり忙しく、精神の安寧を保つのが難しい。現実に翻弄される技術というか、上手な振り回され方に関する技術が必要となってくるのだろうか。ああどうしてくれよう。こうなったらお風呂に入って、ひとまず寝てしまおう。 2011.4.5.







昨日岡山の実家にゆういちろうを迎えに行って、一泊し、本日奈良に帰ってきた。田舎の在来線は震災の影響で間引き運転され、ただでさえ少ない本数がさらに減らされ、ここは東京?ってくらい車内が混雑していた。こんなのは初めてであった。新幹線も自由席は混みあい、特に大阪に着くまでデッキはもちろん通路にも人がずらっと立っていて、身動きがとりにくい状況であった。平日を選んで移動したのだが、甘かったようだ。

実家の庭の一角は色とりどりのビオラで縁どられているが、すべて実生のものだと聞いて驚いた。こぼれ種で自然とふえたり、去年の株から種をとっておいてぱらぱらと播いて増やしたもののばかりだそうである。車庫の脇のがれきの下からもあちこちと花を咲かせ、スミレ科の植物の強さを思い知った。毎年うちではビオラやパンジーはその年のお気に入りの色の苗を買ってきて植え、春の終わり株が弱り見苦しくなる前に抜いて処分していたが、今年はうちでも種をとろうかな。

母はクリスマスローズも種から増やしている。ポット苗に仕立てて、直射日光の当たらない明るい日陰にずらっと並べてあった。来年か再来年花が咲いたらもらえることに。クリスマスローズは親株と同じ花が咲くとは限らず、どんな花が咲くか咲いてみないと分からない分、今から楽しみである。

素人の園芸家が自宅の庭で密かに楽しんでいる品種改良のレベルとは全然違った規模で、いま、東日本の海や陸を中心に生態系が変化しようとしている。特に、小さな動植物は変異の仕方が大きいだろうから、その行く末を目をそむけずにしっかりと見ないといけない。考えただけで心拍数は上がる。

研究費に関する朗報が入った。涙が出るほど、うれしかった! こんな時だからこそ研究するぞ!! 去年の10月の追い込みの時期は、今ではもうすばらしくも懐かしい思い出に。  2011.4.4.







奈良の家の庭の花たち。雑草も園芸種もみんななかよし。あなたたち、きれいねえと、心のなかで声をかけながら歩いて回るのが日課となっている。

明日、一週間ぶりに岡山に行って、先週行ってあずけたままのゆういちろうを連れて帰る予定。毎晩電話したのだが、「いいことばっかり♪」とはずんだ声でその日あった楽しいことを報告してくれた。今日は弟家族が遊園地に連れていってくれ、3人のいとこたちと一緒にそのまま弟の家にお泊まりするとのこと。よかったね、ゆういちろう。  2011.4.2.

今晩は覚和歌子さんの気分。3つの詩を書き写して気分を落ちつけようと思う。今の私には、眠りにつく前は、やっぱり3番目のあの歌が必要ね。周りに誰もいないから木村弓さんの気分で思いっきり歌いましょう。

   

   走り水


 その小さな身体のどこに ためていたんだろうね
 あとから あとから あふれるような
 そんなにたくさんの涙を
 大切に可愛がっていたタンゴが
 車に轢かれた雨の夜
 そのむくろを小さな両手にかかえて
 おまえは 手放しで
 そんなにも泣く

 寂しさでこわれてしまうおまえでは きっとないよ

 いつか もっと年をとって
 その身体のサイズで 引き受けきれそうもない悲しみが
 やさしい言葉でも音楽でも癒されずに
 おまえの中で暴れるとき
 誰かの無言のてのひらが
 おまえの背中に そっと当てられるといいね
 さわらないでくれよ ほっといてくれよ と言いながらでもいいから
 おまえの中心を流れる河から
 走り水のように
 何かがその腕の方向へ逃げていくのにまかせなさい
 てのひらは耳になって じっとその水音だけを聞いてくれるだろう
 だまってその水音に 身をまかせるおまえを
 だれも甘ったれとは 呼ばないよ
 ほんとうは甘ったれじゃないというひとを
 おとうさんは 知らないよ

 おまえだけの悲しみを奪わないよ

 それを覚えておいてほしいから
 そのやわらかい皮膚の下で
 息をする細胞の一つ一つに
 刻みこんでほしいから

 いつか 大人になった
 おまえの手が
 誰かの走り水を
 そっと逃がせる手であってほしいから
 


   アプローズ


 毎日の晩ごはんのごちそうに 拍手
 食うや食わずの暮らしは ごはんとおしんこだけでもおいしくて 拍手

 道端の犬のうんこに よくもまあこんなに出たもんだと 拍手
 それをデートのときしかも 新しい革靴で踏んづけて
 めったにできない経験だから 拍手

 生まれてくる あかんぼうに 拍手
 生まれてすぐ死んだ弟に
 わざわざ苦労しなくってすんでよかったと 拍手

 九十で死んだおじいちゃんに
 こんな世の中に九十年もよく生きたと 拍手

 大天才の芸術作品に おおブラボーと 拍手
 迷いの尽きない芸術家には 長い旅の楽しみに 拍手

 できたお方だと 拍手
 みえっぱりの 見栄を切る男気に 拍手
 ぐちのこぼしやには 見栄をはらない素直さに 拍手

 結婚の決まった娘に 拍手
 行かず後家の娘には その気高い誇りに 拍手

 ぴちぴちと健康な身体に 拍手
 抱え込んだ病気には 乗り越えられる力を試されていて 拍手
 不治の病には たった今生きているという そのことの眩しさに 拍手

 善人は そのまんまで救われて 拍手
 悪人は その罪深さのせいで なおのこと救われる余地があって 拍手
 
 垣根に咲いた赤い寒椿の その赤さに 拍手
 枯れ落ちた赤い寒椿から 地面にその種がこぼれて 拍手



   いつも何度でも


 呼んでいる 胸のどこか奥で
 いつも心踊る 夢を見たい

 かなしみは 数えきれないけれど
 その向こうできっと あなたに会える

 繰り返すあやまちの そのたび ひとは
 ただ青い空の 青さを知る
 果てしなく 道は続いて見えるけれど
 この両手は 光を抱ける

 さよならのときの 静かな胸
 ゼロになるからだが 耳をすませる

 生きている不思議 死んでいく不思議
 花も風も街も みんなおなじ


 呼んでいる 胸のどこか奥で
 いつも何度でも 夢を描こう

 かなしみの数を言い尽くすより
 同じくちびるで そっとうたおう

 閉じていく思い出の そのなかにいつも
 忘れたくない ささやきを聞く
 こなごなに砕かれた 鏡の上にも
 新しい景色が 映される

 はじまりの朝の 静かな窓
 ゼロになるからだ 充たされてゆけ

 海の彼方には もう探さない
 輝くものは いつもここに
 わたしのなかに 見つけられたから


2011.4.1.







岡山の実家はとても平和である。たくさん花が咲いている。どの花もきれいだなあ。

私は現実を直視できていないというか、受け入れられないというか、東日本で起こっていることがいまだ悪い夢のなかの出来事のように、つまりいつかは覚めて元の生活にみんな戻れるんじゃないかと、夢の中のお話のように感じている節がある。要は、失いたくないものがたくさんありすぎるのだと思う。自分や大切な人が死ぬのはとても怖いことだし、寒い中ひもじい思いをするなんて考えただけでそら恐ろしいことだし、まして原発事故で被ばくだなんてまっぴらごめんだし、正直どうしてくれようというくらい動揺している。それがたくさんの人たちの身の上に現実に降りかかっているのだ。嫌に決まっている。(←情報量0の文章ですね)

人のことをどうこうという前に、まずは自分が落ち着かなければ話にならない。昼間は幸い仕事に集中できる環境にあるのでいいのだけど、夜は悪いことを想像しがちでダメだ。明日の朝はパンケーキを焼こう。はちみつレモンバターでいただこう。そして、日中、しっかり働こう。2011.3.29.
3月25日(金)

・チキンカレーライス
・ベビーリーフサラダ
・茹でオクラ



昨日も今日も元気の出るカレーにした。今晩は夫の帰りが遅くなる日だが、元気の出るカレーがあるので大丈夫なのである。いい歳をした大人なのだから、たくさん仕事を抱えている人に、なんか怖いので早く帰ってきてと言ってばかりもいられないでしょう。

福島原発の作業員の方に関する報道のことで、非常に頭に来るものがあり、かなり感情的になっていたが、ここに思ったままに書くと、不謹慎極まりない内容になるのは必定だったので止めた。でもこの借りは必ず返す。薄情な世の中に情愛でもって返す。

最近赤ちゃんを産んだばかりの従妹のりょうこちゃんから内祝いが届いた。いちご、レモン、さくら風味のしょうがシロップ。さっそくお勧めのレシピどおり、いちごのシロップをミルクで割って飲んだら、おいしかった。好きな味♪ ありがとう。瓶もすっきりとしたきれいな形で、3本並べると、写真にあるよう、台所がおしゃれなカフェ風に変身した(笑)。りょうこちゃんには、「飲み終わった後は3本並べて花瓶にしてみようかなと、乙女なことを考えています。 乙女でいきましょ!」とお礼のメールを出した。そして、、、

もうね、乙女ついでに、田舎の父母の家に帰りたくなり、子どもの春休みを利用して今週末から岡山に発つことにした。ここは私がしっかりせねばと無理にがんばるよりは、いったん甘えん坊将軍ぶりを存分に発揮してから、その反動でシャキーンとなることを目指そうと思う。
3月23日(水)

・スパゲティ、トマトソース
・ビーフステーキもやし炒め添え
・いんげんとマッシュルームのサラダ

夫が作ってくれた。ありがとう。牛肉をステーキにして食べると元気が出る。ただし量は控え目にしたほうが身のためである。明日の朝と家族3人分のお昼のお弁当用に4合のお米を炊飯器にセットした。お弁当というよりこれぞ握り飯って感じのお昼にしたいと思う。

東京の水道水が放射能汚染され、乳児は摂取を控えるようにとの報道があった。悲嘆にくれている人がたくさんいるのではないかと、とても心配である。それと同時に、当たり前の疑問が湧き上がる。その他の地域、とくに東北の被災地は今どうなっているんだろう。関東と同じかそれ以上に雨や雪がたくさん降ったはずだから、きっと汚染されているはずである。それでも水は生きていくために毎日飲まなくてはならないものだから、選択の余地がないものだから、ライフラインの復旧は急務である。ペットボトルの水は足りているのだろうか。人体への影響が可能なかぎり少ないレベルで抑えられますようにと、祈りを捧げることぐらいしか思いつかない。

一生のうち飲む水の量が決まっていて、それを背負い水と呼ぶのだそうだ。でも、いくらもらっても水は足りない気がする。なかなか消えて行かない炎を自分のなかのどこかに燃やしているのだろうか。洗い流さねばならない面倒な何かをそれだけたくさん身につけているのだろうか。それとも私を世話してくれる誰かの分まであとからあとから奪った水で、それこそみずみずしく暮らしてもかまわないのだろうか。...............

中途半端な悪人なので正直に告白するが、前の表現は、ある詩人の詩を盗用し無断改変したものである。確かに、数え切れない星々のうち、今のところ私たちが自信をもって水の惑星だと言えるのは、この星だけであった。いつかこの詩人の詩を、他の好きな詩も含めて、ちゃんとここに記したいと思う。でもまだ詩を歌う気になれない。全然そんな気分になれない。
3月22日(火)

・ごはん
・新たまねぎとわかめの味噌汁
・焼き餃子
・ほうれん草とチーズ入りオムレツ
・納豆
・プチトマトときゅうりのサラダ

夫の帰りが遅いのでゆういちろうと二人で食事した。オムレツには刻み海苔も最後にたっぷりふりかけ(実を言うと昨日の秋刀魚のかば焼きのために用意しすぎてたくさん余ったのだ)、栄養満点の卵料理となった。最近のゆういちろうはとにかく食欲旺盛で、家族のなかで一番たくさん食べるときだってある。私の作った料理をおいしそうに食べるのを見ると、俄然うれしくなる。ここのところACの広告に知らぬ間に影響されたのか、私たち二人は恋人どおしみたいに親密だ。ぎゅうして〜というのがお互いの口癖で、眠るときもどちらかが暑いというまでくっついて放さないでいる。子どもってホント湯たんぽみたいにアッタカイのよ。冷え症には、助かるわ〜。

今日は研究所の創立記念日で、特別休暇の日だった。私たちだけ4連休。駅前のショッピングセンター内の喫茶店をはしごして原稿に取り組んだ。途中気分転換にペットショップに立ち寄ったら、珍しくワイヤーヘアードフォックステリアの仔犬がいた。子どもの頃ボルという名前のフォックステリアを飼っていて、懐かしさの余り、買う気満々のふりをして、しばらく抱っこさせてもらった。怖がりなのかずっと震えていた。普段こんなことをしないのに、私、今寂しいのかな。

帰宅後鼻の効く夫から、なんか寝室のなかが臭いぞ、犬か猫の動物の匂いがする、と見事に、仮眠したことまでばれてしまった。おそるべし。

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14日:震災4日目。この日は、週明けの月曜日で、研究所の上長と会談があった日だった。「結局あなたは誰かが見張っていないとだめなんでしょ(論文書かないでしょ)」と、私の特徴をずばりと突く一言をいただき、もう後がない状況であることを認識した。事務的にも、出張が取り止めになったため、年度末の予算処理のことで諸々相談事項が出てきた。何を食べたかは記憶にない。
3月21日(月)

・ごはん
・餃子入り中華風スープ(復活版)
・さんまのかば焼き
・しめじの炒め物
・納豆
・白麹漬け大根

今回の震災のことで今晩は夫が感極まって泣き出した。原発事故の最前線で作業にあたっている人たちの行く末を案じてのことであった。周りにいた私やゆういちろうは慰めるわけでもなく無視するわけでもなくなんとなく傍にいた。この前、実家の母と電話していたときは、津波のことを話していたら、母が急に言葉に詰まってしばらくしゃべれなくなった。実を言うと私は私で、金曜にひとりでうちで昼ごはんを食べているときに、亡くなった人たちの、いろいろなことが急に無性に悔しくなり、号泣してしまった。だってその人たちである必然性が全然見当たらないのだもの。

どうやら安全な場所にいて、直接被害に遭っていない人間にとって、誰かと一緒に同じことで泣くということはないのかもしれない。それぞれ個人のなかの思いがそれぞれのタイミングで噴きだす感じなのではないだろうか。

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13日:震災3日目。この日は、近くのホームセンターに災害対策グッヅを買いにいった。みな考えることは同じようで、ほとんど売り切れだった。残り物の、テレビやスピーカの下に貼る粘着テープを買った。気休めにはなった。さらに私はほとんど意味不明なのだが、今買わなくてもいいだろうという、球根を太らすための肥料を何かにとりつかれたように探し求め、実際に購入した。これも一種の買い占めになるのかなあ。そして、少し前に届いた枝垂れ猫柳を庭に植えた。食堂からよく見えるところに植えた。あまり流通していない珍しい樹木が手に入り、大喜びしていたのだが、この手の「いい気な気分」はへしゃぎこみ、代わりに全然違う意味が出てきた。テレビやインターネットにかじりつき、大いに不安な気分になり、疲れたら庭の草取りをして気分を紛らわせた。この日も何を食べたかは覚えていない。
3月20日(日)

・ごはん
・白菜と人参の中華風スープ
・麻婆豆腐
・バンバンジー



表庭の菜の花が満開になった。この黄色を見て気分を落ち込ませることは、したくでもできないくらい、元気いっぱいの色である。さすが利休が愛した花と言われているだけある。言い伝えでは、秀吉の命で切腹する際、最後に活けた花も菜の花であったとか。自分の最後を覚悟して迎えられる者は、確かに利休の言うように、果報者であるのかもしれない。

ひさびさの更新である。11日の大震災以来、テレビやインターネット報道を前に、おろおろして落ち着かない日々を過ごしていた。この日記を書こうという気になかなかなれなかった。美味しいものを食べていたから自粛していたのではなく、何を書いていいか分からずに書けなかった。

今晩ようやく書く気が起こってきたので、まだ記憶が新しいうちに、思いだせるだけ記述を試みる。

11日:震災当日。駅前大型ショッピングセンター内のスターバックスで博士論文に怪しくうなりながら取り組んでいたところ、これまで体験したことのない長周期の揺れに比較的長い間見舞われ、酔いが回ったような気持ち悪さを覚えた。吊り看板もかなり揺れ、これはただ事ではないと、周りのお客さんと目が合ったくらいであった。しばらくしてニュースを確認すると、東北地方で大地震が起こったとの情報が入ってきた。テレビで津波の映像を見て「これは嘘じゃないの」ってくらい驚いた。翌日からの泊付き東京出張の予定であったが、夜になって、地震のため延期という知らせが入った。このときになって関東地方も大きな被害にあっていることを知る。

12日:震災2日目。福島原発からセシウムやヨウ素が漏れ出しているという報道があり、慌てふためく。心配が高じて、関東の知人に、もし避難の必要性が出たら、こちらで受け入れ可能だから、いつでも連絡してくださいと、メールを出す。何を食べたか全く覚えていない。

ちょっと疲れた。無理しないで今晩はこれまでにしておこう。みなさん、おやすみなさい。
3月9日(水)

・ごはん
・豆腐とたまねぎの味噌汁
・鯖の塩焼き
・人参ともやし炒め
・いろいろきのこマリネ(残り物)
・納豆
・プチトマト

ひさびさに平穏な日が戻ってきた。この一週間は、あ〜、忙しかった。それぞれスケジュールがつまり、予定どおりに夫と夕飯を共にした日はたったの一日ですよ。規則正しい生活にこれからゆっくりと戻そう。ヘンな時間の外食続きだと肌つやが悪くなりそうでイヤだもの。

夕方ともだちのお父さんに散髪してもらい、かっこよくなったゆういちろう。今晩は、夫の帰りが遅くなるので、男前のゆういちろうと二人で食事した。私はごはんと魚が食べたい気分だったが、ゆういちろうはパンが食べたいという。もちろん作り手の意思を尊重した。

以下は、今晩のではなく、月曜夜の食卓の写真である。この日は私に仕事関係のお別れ会が入っていたのだけど、夫がどうしても予定時刻に帰れなくなり、急きょ平謝りキャンセルして、結局私が夕飯を作ることになったのだった。冷蔵庫にありあわせのもので完全間に合わせの食事だけど、小鉢に銘々盛り付けることで気分を盛り上げた日だった。





裏庭のサンシュユの花が咲いた。去年は3つしか花が咲かなかったのに、今年はこんなにたくさん! 我が家を気に入ってくれたみたい。ありがとね。
3月2日(水)

・白ワイン&前菜生ハム
・チキンカレーライス(続)
・牡蠣のチャウダー
・もやしとセロリの炒め物
・プチトマト

明日から東京出張のため、ぜひとも今日中に牡蠣とセロリ(どちらも宅配便)を消費せねばならなかった。カレーと合わせるのは血管が詰まるほど濃い組み合わせなのではないかと一瞬躊躇したが、生クリームを使わずに牛乳だけにとどめたのでそれほどでもなかった。

冬に戻ったかのように冷え込んだ。とはいえ、庭の梅の花は散り始め、代わりにサンシュユやトサミズキの黄色のつぼみがほころび始めた。チューリップや黄水仙の芽も勢いよく伸びている。玄関先の足元を見ると、宿根すみれがびっちりつぼみをつけており、ちらほら薄紫色の花を咲かせ始めた。やっぱり春は確実に近づいている。

タキイに注文していた絞りの入った椿(絵日傘)と紫のクレマチス(カシス)の苗が届いた。植える場所はずっと前から決めている。頭のなかはお花でいっぱい、メデタイ構造をしている。散髪もしたし、発表資料のアイデアもまとまったし、きりりとすっきり気分よし。自分ちの庭や頭のなかくらいはある程度統御して、桃源郷の境地を目指そうと思う。それが最近の、せめてもの思いである。
3月1日(火)

・昨日の残りのチキンカレーライス
・いんげんとしめじの温サラダ
・ゆで卵
・プチトマト

前日作り置きしておいたものがあれば、夕飯づくりは本当に楽である。賢い奥さんは冷蔵庫にいろいろと下ごしらえしてストックしておいた材料を組み合わせて、ヴァリエーション豊富な食卓を実現しているんだろうけど、私の場合、作り置きはスープとかカレーくらいしか思いつかず、「作り置きテク」を持っているとは到底言えない。私、賢い奥さんにあこがれるけど、道遠し。

今年の岸田戯曲賞に知り合いの松井周さん(青年団の俳優でもある)の作品が選ばれた。すごい。おめでとうございます。他にもいろいろ書きたいことがあるのだが、これから仕事に取り掛かりたいので(夫もゆういちろうも首尾よく眠ってくれた!)、この辺で。今晩は静かな夜を独り占めできそう。あともう少しで分析枠組みが見えてきそうなのだ。
2月28日(月)

・赤ワイン
・チキンカレーライス
・マッシュルームとベビーリーフのサラダ
・ゆで卵



仕事で暗くて重たい資料にあたっており、かなり意識して気をつけないと、気分が沈み込むわ、肩がばりばりに凝るわ、大変である。あたりはつけているのだが、これぞというアイデアが降りてこない。集中と拡散を交互にやって分析の神様が微笑んでくれるのを待つのみ。

小雨の降るなか庭に咲いたクリスマスローズの花を摘んで食卓に飾った。古参の水仙とも仲良くやっている。健気な花たち。。。どうもありがとう。

2月も終わり。明日手抜きができるよう大鍋でカレーを作った。
2月27日(日)

・惣菜いろいろ
 ・握り寿司
 ・焼き鶏 などなど

ピッコロ劇団第39回公演、井上ひさし作・松本祐子演出の『天保一二年のシェイクスピア』を家族で観に行った。ゆういちろうの同級生Kくんのお母さん、木全晶子さんも出演しており、Kくん父子と劇場で一緒になった。シェイクスピア全戯曲37作品の要素が盛り込まれているという3時間以上の大作だったが、大人も子どもも最後まで集中して楽しめた。よくもまあここまでクライマックスが断続的に訪れる作品を作れるものだと思う。

観劇後はよくもわるくもぐったり疲れていることに気づき、夕飯は近所の生協でお惣菜を買ってきて済ませた。

手帳を確認すると、今週は意外とハードスケジュールだった。3,4日は東京出張。5,6日は学童保育の6年生を送る会(お泊まり行事)。5日は自治会の班長・役員会も重なり、送る会を途中抜け出さないといけない。

6年生を送る会は前代未聞の多数の参加人数となった。例年30名で計画されてきた会だというのに、去年は80名集まりびっくりしたのだが、今年はさらに増え110名ほど。いったいどしたのだろうか。私は役員の仕事として、部屋割り(高度な組み合わせ問題を解く必要あり!)、日程表の作成がまかされているので、印刷のことを考えると、週明けから心づもりしておく必要があるではないか。東京出張のための資料作りもあるし、睡眠時間に影響を与えないためには、てきぱきと物事をさばいていかないと。。。エライことになってしまうなあ。。。心を落ち着かせるために、まずは寝よう。寝ている間にいろいろな物事が解決すればいいのにと、ただ今、のび太くんのような気持ちになっている。
2月26日(土)

・前菜:生ハム
・魚介の寄せ鍋

暖かい日だった。念願の草刈りを業者さんに頼んで敢行した。大雪のあと、土手の枯れ草の凄味があまりに増し(濡れ落ち葉などはまだまだ甘ちゃんねというくらい)、なんとかせねばと思っていたのだ。本日、すっきりさっぱりして実に気分がよい。これで厄もきれいに落ちようぞ。さっそく生まれ変わった土手下に昨秋仕込んでおいたチューリップとビオラの鉢植え6つをテンポよく並べた。春本番になると6色のチューリップが一斉に咲く予定である。楽しみだなあ。

奥村昭雄・まことご夫妻より、自家製ハムレークンによる生ハム(モモとバラ)が今年も届いた。毎年恒例、面白いお手紙付きで。今日はモモをスライスしていただいた。おいしかった!!みんなで競争のようにして食べた。モモ、バラとも生スライスを楽しむ他に、少し塊を残しておいて、本格カルボナーラも作ろうと思う。

昼間は締め切りの近づいた仕事に黙々と取り組み、夜は生ハムのお礼のハガキを書いたり、この2月は偶然にも身近に赤ちゃんが二人も生まれたので、お祝いについて考えたりした。やっぱりこういう晴れやかなことやお祝い事が根っから好きなのよね。心から子どもたちに幸あれと思う。私も出来る限りのことをするからね。
2月23日(水)

・ごはん
・たまねぎとわかめの味噌汁
・豚のしょうが焼き、もやし炒め添え
・塩ふり長芋
・大根のぬか漬け
・納豆
・プチトマト

ゆういちろうと二人で静かにご飯。ゆういちろうはご飯と味噌汁としょうが焼があればあとは何もいらないという感じだった。「男子」って感じがする。それとも、食事前にプチトマトや漬物を結構つまみ食いしていたからかなあ。

PTA会長さんから呼び出しがかかり、明日6時過ぎに校長室に集まることになった。話したいことがあるらしい。いったい何を言われるのだろう。どきどきするよ〜。
2月22日(火)

・ごはん
・豆腐とわかめの味噌汁
・金目鯛とれんこんの煮付け
・生牡蠣、ポン酢で
・春菊とマッシュルームのサラダ
・大根のぬか漬け

「和食大好き!」と宣言したくなる献立となった。サラダだけ例外で、フレンチドレッシングで和えた。人によってフレンチドレッシングの作り方は微妙に異なるだろうけど、うちのは、サラダ油大さじ2、米酢大さじ1、粒マスタード小さじ半、塩、胡椒という、いたってシンプルな構成をしている。このドレッシングと、生のまま薄切りにしたマッシュルームとの相性が抜群にいいのである。

そして魚の煮付けのなかで一番好きなのはやっぱり金目鯛だなあと思いながらおいしくいただいた。金目鯛から出る甘い独特の脂が煮汁にも広がり、一緒に煮たれんこんもいい味になった。もうすぐ旬が終るので、魚売り場をこまめにチェックし、あと一回くらいは食卓に登場させたいなあ。

日曜にちょびっとだけ望遠鏡をのぞいたせいで、もっともっと星をよく見たくなった。暖かくなったら吉野の天川村にキャンプに連れて行ってと気が早くもおねだりをしている。初めてのキャンプのときは、うちでゆっくり休みたかったのに強引に連行された感があったので、アウトドア派を気取る人って本当に苦手なのよね、そういう人たちがたくさんいそうなところには行きたくもないのよねと、ありとあらゆる難癖をつけて抵抗してたけど、ごめん、私が愚かでした。
2月21日(月)
・ごはん
・昨日の残りのミネストローネ
・チーズ入り豚バラキムチ炒め
・プチトマト

今晩も夕飯の時間が遅くなった。冷蔵庫にあるもので一瞬で作った。他に興に乗る事柄が私に出てきて、生活時間がどうしても押している。寝食を忘れ好きなことに没頭できる身分ではないはずなのに、その自分の身分すら忘れてしまうなんて。。。

そうだ先日、今度海外のファンドでお世話になるかもしれない先生からフェイスブックのお誘いがあったのだった。snsにご興味がなさそうな雰囲気の方だっただけに意外。きっとmixiがそうだったように読むだけの人になるような気が大いにするが(最近ログインすら滅多にしなくなったが)、仕事に一区切りがついたら参加しよう。それとも英語だと別人になったようにネットワーク上の人とコミュニケーションを取るようになったりするのかな。英語の苦手な日本人の立場を利用して、多少ぶっきらぼうでもストレートに好きなことを言えばいいと思うので、ヘンに気を遣わなくて済み楽といえば楽よね。


2月20日(日)
・白ワイン
・ミネストローネ
・キャベツとアンチョビのスパゲティ
・鮭のソテー、白ワインレモンソース

晴れたので望遠鏡で星を見た。プレアデス星団(昴)とオリオン座のM42(ガス星雲)を観察。7時半にいったん部屋のなかに引き上げ、9時半にもう一度オリオン座の位置を確かめた。するとあら不思議、場所が弧を描くように移動している!! ゆういちろうが「なんか時計みたい」と言ったので、父親が、そうなんだ、時計は星の運行を真似て人間が発明した道具なんだ、よく気がついたねと、激賞。言った本人もいたくご満悦。

7時半から9時半のあいだに急いで食事を作って、食べ、さらに食後のコーヒーのあとに、2個の押しピンと凧糸を使って、惑星の公転の楕円軌道について一緒に勉強した。それにしても楕円は美しい形をしている。



アンドロメダ、ペルセウス、カシオペヤ、ケフェウス、ポセイドン、化け鯨、メデューサなどが登場する神話も面白おかしく語って聞かされ(教訓:絶対に他所と比べて身内の自慢をしてはいけない)、星座版を片手にゆういちろうはさらに興味深々の模様だった。
2月19日(土)

・すき焼き

実家から送られてきたすき焼き肉ですき焼きにした。母の口癖、「これ、あなたたちにあげるというより、あなたたち親を通してゆういちろうにあげていると思っていて」の通り、牛肉大好きなゆういちろうがおそらく一番たっぷり食べたのではないかと思う。とはいえみんな結局お腹がいっぱいになり、〆のうどんまでたどりつけなかった。結構なことである。

うちの母は心配症で、忙しかったり経済的な理由で私がゆういちろうにとんでもないものを食べさせているのではないかと思っている節が大いにある。ちゃんとしてますがなと自分では思うのであるが、あまり信用されていない(笑)。でも、食べ物を送ってくれるのはうれしいので、このままでもいいような気もしている。ともあれ、すべてのものはゆういちろうに通ずという感じで「家庭」が運営されている。



真剣にドラえもんを読んでいる我が家のプリンスゆういちろう。「うるさいからテレビ消してくれる?」とのこと。もう赤ちゃんなんかじゃないね。読書する人の風格が出てきているねと、夫とふたりで親ばかを言いあった。



3年生から理科が始まり、宇宙や星座のことを習うようになるので、子どもでも使いやすい望遠鏡を購入した。組み立てたはいいが、あいにく今晩は曇り空のため星を見ることはできなかった。他の人の家のなかを覗いちゃだめだぞと戒めつつ、試運用開始。明日は晴れるといいなあ。
2月18日(金)

・赤ワイン
・ごはん
・トマトのポタージュスープ
・鶏の塩焼き
・昨日の残りのじゃがいものグラタン、キムチ添え
・ひじきと大豆の煮物
・柿漬け大根



食事前に副菜を少しつまみながらお酒でもと思って食卓に並べておいたけど、お行儀がよいのか、誰も手をつけなかった。赤白黒の色の組み合わせも、三川内焼きと伊賀焼きの組み合わせも、両方とも私の好みである。本当のことを言うと、その手のこだわりを早いとこ超越して、どんな物事でも受け入れられるだけの度量が身について欲しいのだけど、修行が足りずまだまだ無理な模様。。。執着、煩悩の塊である。

今日は昼間駅前の大型ショッピングセンターの前で、大変幸せそうな赤ちゃん連れの若夫婦をなぜか3組も連続して目撃してしまい、自然と心が温まった。赤ちゃんが両親からしっかりと可愛がられているのを見るのは本当にいい気分である。胸がきゅんとしたついでに、親ばかではあるが、火曜の大雪の日の写真をもう一枚載せよう。



雪と子ども(但し暖かそうな格好をしているに限る)、もしくは雪と動物(毛が豊かにふさふさしているに限る)が写った写真を見ると、これまたハートウォーミングな気分に浸れるのであった。
2月17日(木)

・ごはん
・豆腐とわかめの味噌汁
・じゃがいものグラタン、キムチ添え
・柿漬け大根
・納豆
・プチトマト

夫が飲み会でごはんは要らないとのことで、今晩もゆういちろうと二人で食事した。普段は付け合わせの地位に甘んじているじゃがいものグラタンをメイン料理に格上げし、ちょっと手抜きの夕飯にした。とはいっても、ゆういちろうの大好物なので、全然問題なかった。40分ほどでできる肩の力の抜けたごはんとなった。

柿漬け大根とは、生活クラブ生協が扱っている漬物で、ほんのり甘い柿のジャムのようなものに大根を漬け込んだタイプの漬物である。おいしくて気に入っている。

じゃがいものグラタンは、ジョン・キョンファさん(より正確には、その娘さんのヘリョンさん)のレシピで作っている。キムチと一緒に食べるとおいしいというのは彼女の本から教わった。フィリップ・トネットさんという日本でレストランをやっているフランス人シェフからは、フライドポテト付きステーキのソースとして、粒マスタードとキムチの素を合わせた簡単ソースを教わったし、朝鮮とフランス相思相愛の工夫ぶりが面白い。
2月16日(水)

・ごはん
・しじみの味噌汁
・ぶりの梅のり焼き
・人参ともやし炒め
・卵焼き
・プチトマト
・大根のぬか漬け

夫の帰りが遅くなったため、ゆういちろうと二人で食事した。たたいた梅肉に酒しょうゆみりんを合わせたタレにぶりをしばらく漬け込み、細かくちぎった海苔をまぶしてグリルで焼くというのは、大庭英子さんのレシピよりいただいた。ほんのり梅風味がして爽やかでおいしい。ゆういちろうの食べっぷりを見ていると、ぶりそのものよりも周りの焼き梅のりだれが好きなんじゃないかと思われる。

食卓に飾った梅の花もそろそろおしまいに近づいた。香りも大分収まってきた。残念だけど仕方がない。見てもよし、匂いもよし、食べてもよし、梅の木って本当に偉いと思う。



一番香りの強かった頃の写真である。庭の梅の木を剪定した際に出てきた徒長枝部分なのだが、せっかくつぼみもついているので捨てるのは忍びなく水に挿しておいたら、ひと月近く経ってようやく花を咲かせた。枝ぶりの美しさが問われるいわゆる生け花の作法にはかなってないけど、ずっと見守っていた分、愛着はひとしおである。
2月15日(火)

・ごはん
・豆腐とわかめの味噌汁
・牛肉のたたき
・しめじとマッシュルームのフレンチドレッシング和え
・納豆
・大根のぬか漬け

午前中、仕事の調べ物をしていて、そうだったのか!という発見があった。運命的。これからが楽しみである。

午後からは今年度最後の参観日、懇談会のため学校へ出向いた。来年度のPTA役員選出も兼ねており、どきどきしたが、揉めずに済んでよかった。教室は寒かった。みんなコートを着たまま授業を見させてもらった。足の裏に貼るカイロを忘れたのを心底悔やんだくらい足元からしんしんと冷えた。それにしてもこれでしばらく学校に行く必要がないのでうれしい。次に学校に行くことになるのは、冬物のコートではなく軽い春もののコートを着る頃だ。

共稼ぎだったころは、今晩の状況だったら、さあ一段落したのでフレンチに行こう♪と平気で出かけてたけど、今はそんな浪費癖を改める時期にあり、うちで出来るちょっとしたごちそうを考えた。みんなの大好物、牛肉のたたきを作った。レストランはしばらくおあずけ。うちで作って食べるのが基本の毎日である。だが、その分、ごくごくたまに外食できると有難味が倍増する。うまいことできている。

最近、縁あって食のライターという肩書きを持つ大掛達也さんという方と知り合いになった。契約の都合上、あと一年は奈良に住まわれるそうで、くうならというブログで精力的に奈良の食材やレストランを紹介されていることが判明。自分が行けなくても代わりに行って下さっているのではと錯覚に陥るくらい、奈良市民にとって面白くてためになる情報満載のブログである。
2月14日(月)
・ごはん
・大根とわかめの味噌汁
・めじろの煮付け
・いんげんとマッシュルームのサラダ
・長芋とプチトマトのサラダ
・大根のぬか漬け



おかげさまで完全復活。うららかに晴れた午前中、寝具類を含む洗濯や連休中にできなかった掃除、特に泥汚れの目立った玄関のたたきを濡れぶきし、さらに気分爽快になった。ところが午後になるといつのまにか暗雲立ち込め、雪が降り出し、またたくまに積っていった。金曜よりも積ったんじゃないかなあ。写真は玄関前の外灯に積った雪を払い落している学校帰りのゆういちろうの姿である。

夜8時前ごろ、学生さんと飲んでくると急に夫から連絡があり、ゆういちろうと二人でしみじみと食事をした。味噌汁にも魚の煮付けにも漬物にも、大根はいろいろと姿を変え、私たちを楽しませてくれた。冬大根は甘くて大好きである。ひさびさに二人でお風呂に入り、いろんなことを話した。寝るまで彼のおしゃべりはずーっと続いた。雪に興奮したのかな。いつもよりたくさん話をすることができて私もうれしかった。


2月13日(日)
・鴨鍋
・〆うどん

朝になっても風邪の症状おさまらず、この日も3度の食事を夫に作ってもらった。幸い、夜になって「あれれ、からだが軽いぞ♪」とふと気付き、病み上がりのうれしさで、調子にのってスイートポテトを作った。



山本麗子さんのレシピ。さつまいもの皮のケースに絞り出すタイプではなく、スプンで武骨に種を落として焼くタイプのもの。はけで塗ったつや出しの卵黄がいい感じに焦げておいしそうでしょ。翌日バレンタインデーという大義名分もあったとはいえ、純粋にお菓子を作りたかったのが本音である。だって連休中に本当は仕上げたかった論文に手を付けられず、鬱屈してたので、せめてレシピどおりにお菓子をきっちり作って、自分のなかの生産性や制御感を取り戻したかったのである。
2月12日(土)

・赤ワイン
・ごはん
・ミネストローネ
・ヒレステーキ、しょうゆガーリックソース

風邪である。朝、昼、晩の食事を夫が作ってくれた。ありがとう。かたじけない。食欲はあるからこのまましばらくおとなしく過ごせばたぶん大丈夫のような気がする。とはいえ、こんなときに届かなくてもいいもの、大学教員公募の不採用通知が届いた。もう慣れっこだわ。。。一方、国際雑誌に投稿した論文が採択されたという知らせも入り(やった!)、吉凶入り乱れている今日このごろである。落ち着いてやれることをこつこつやっていこうと思う。で、この連休は無理せず休養だ。
2月11日(金)

・しいたけとたまねぎの中華風スープ
・皿うどん
・納豆



朝起きると一面雪景色で驚いた。奈良に来て一番の大雪ではないかと思う。何か障りはないか、家の外周りを確認し、背後をこっそり追いかけてきたゆういちろうから道路で雪つぶてを投げられ(応戦しなかったので雪合戦にはならず)、いったん部屋のなかへ。



遊び足りないゆういちろうは雪だるまを作り始めた。父親も途中参加。なぜかゆういちろうは「このほうがかっこいい」と雪だるまの頭のてっぺんに円筒状の雪の塊を置いた。まるで中国か朝鮮の皇帝みたい。

今晩も雪が降るように天気予報では言っていたが、連休中でよかったわ〜。これまでだましだましやってきたがとうとう私は風邪を引いたようだ。お昼も夕ごはんも、夫が作ってくれた。ありがとう。あったかくして寝よう。
2月10日(木)

・鯛と牡蠣の鍋
・〆卵雑炊

生活クラブ生協の大粒の牡蠣で鍋をすると、素晴らしく、いいスープが出る。近くのスーパーマーケットで売っているのと味が全然違う。個人的には〆の雑炊が一番楽しみだったりする。雑炊の段になると、珍しくゆういちろうが手伝ってくれた。卵を溶き、鍋に投入、土鍋のなかでくつくつ噴き上がる卵混じりのお米の様子に驚愕していた。

岡ア乾二郎さんより一通のメールが届いた。そういうふうに来ましたか。希望の種が脳内にばら播かれ、それがプチプチといい音をたてめし粒になっていくような感覚がする内容であった。面白いことが起こる現場にこれから立ち会えそうで、私はとても幸せ者である。

岡アさんに関連することで直近でもう一つ楽しみなのは、四谷で開かれる3月12日の村上隆さんとの対談である。個人的な関心でいうと、村上さんの作る立体作品はあまり気持ちのいいものではないけれどもまだ大丈夫なのに対し、なぜ石黒浩さんの作るアンドロイドは生理的にどうしても受け付けられないのかということについて考えるヒントが得られればいいなあと思っている。(石黒さんご本人も主張されているよう「不気味の谷」に陥っているのかなあ)
2月9日(水)

・昨日の残りのチキンカレーライス
・もやし炒め
・プチトマト



ここのところ何かと気ぜわしい日が続いた。心に余裕をもって暮したいのに。反省。

昨晩は地元奈良での文化サロン(と呼んでいいと思う)に出かけるため、夫とゆういちろうのために夕方急いでカレーを作っておいたのが幸いし、今晩の夕飯準備は手抜きといいますか、かなり時間短縮することができた。ゆういちろうの大好物ばかりの献立。父親よりもたくさん食べた。8歳児にしてこの食欲、お腹のほうは大丈夫かなあ。これから大きくなるにつれ、もっといっぱい食べるようになるんだろうなあ。

食卓の様子を写真に撮ってみて気づいたが、カレーソースが一部皿の縁に飛んでいるのがとっても気になる。食卓に並んでいるのを自分の目で見たときには全然気にもならなかったのに、不思議! 
2月5日(土)

・白ワイン
・白菜としめじとねぎのコンソメミルクスープ
・スパゲティ、トマトソース
・いわしとれんこんのチーズ焼き

夜7時から自治会の役員・班長会議が入っていたので、5時前くらいから夕飯をぱぱっと作って、急いで食べて出かけた。風邪にかからないよう、スープにはにんにくねぎしょうが風味を効かせた。会議に出かけたら、風邪やインフルエンザで欠席者続出だった。次年度の引き継ぎができないグループもあった。

私は、ババクジを引いてしまい(笑)、4月から副会長を務めることになったのだが、引き継ぎの打ち合わせをしてみると、案の定結構こまごまと仕事があった。弔事の段どりも仕事のひとつなので、とにかく来年はみなさん元気にお過ごしくださいと心から願う。一緒に副会長をされる方が感じのいい方で本当によかった。立候補されただけあって、「ここはひとつ若い人が」とか絶対に言わなそうで安心している。というよりどちらかというと仕事をまかされてしまうような方なので、不公平感が出ないよう協力体勢を心がけようと思う。
2月4日(金)

・鶏と鱈の水炊き風鍋
・白菜のぬか漬け



心なしか日差しが春めいてきた。鉢植えにしたビオラも次々とつぼみを付け、幾分かこんもりと茂り始めた。春本番になった暁には、鉢から垂れるくらいの立派な株になるといなあ。

夕飯は簡便に鍋にした。明日の朝も雑炊にできるよう多目にスープをとったら、そもそもの鍋の中身の量も多くなったみたいで、家族全員お腹一杯になり、今晩の分の〆の雑炊にたどりつけなかった。

英語のネイティブチェックも終わったので、これから少し体裁を整え、国際会議の原稿投稿を済ませて、それから、ゆういちろうの明日の空手稽古のため胴着にアイロンもかけて、本日のお仕事おしまい。そして、ゆっくり眠ろう。
2月3日(木)

・恵方巻き
・コーンクリーム(カップ)スープ
・焼き牡蠣(夫と私)
・目玉焼き、チーズカレーソース(ゆういちろうのみ)
・人参ともやし炒め
・山芋スティック、ベジタブル塩で
・白菜のぬか漬け



節分の日に合わせたかのように庭の紅梅のつぼみが開いた。かわいらしいピンク色。暖かな気分になる。

今年の方角、南南東を向いてがぶりと太巻きにかぶりつく行事食を敢行したせいで、今晩の食事は惣菜の寄せ集めのような感じになった。非常食用にストックしていたカップスープの賞味期限が近づいたので、小腹がすいたときなど気が向いたときにお湯を注いで少しずつ減らしていったのだが、今晩とうとう完食できた。
2月2日(水)

・昨日の残りのビーフカレーライス
・グリーンサラダ
・茹で卵
・ひじきの煮物

カレーに合う合わないの問題ではないくらい、いったいどうしたんだろうというくらい急にひじきが食べたくなり、冷凍庫に、以前魚の切り身と一緒に実家の母が送ってくれたひじきの煮物パックがあることを思い出し、解凍して温めなおして食べた。たまにママ〜って感じになるのであった。夫のことも間違えて「お母さん」と呼んでしまったし。なんじゃそらって感じでしょう?

ぱくきょんみさんから思いがけない連絡があった。話せば長くなるのでかいつまんで説明すると、ぱくさんは田園調布にあるパテ屋という惣菜屋さんでかつて働いていたことがあり、そこのオーナーである林のり子さんの本『パテ屋の店先から』が最近復刊されたことをちょっと前におしえてくださった。さっそく読んでみたらとっても面白かったので感想を書いてぱくさんに送ったところ、ぱくさんが面白がって著者である林さんにその感想文を「こっそり」見せた。すると、林さんも気に入ってくださり、なんと感想文コレクションのなかに入ることになったのだった。(←全然かいつまんでませんね)  それにしても、声が届いて純粋にうれしい♪

あとね、もっといえば、何がうれしいかというと、いいなあと思える女の人がまたひとり増えたことなのである。私がいいなあと思うのは、現実に子どもがいるいないに関わらず、年上年下も関係なく、優しくて賢いお母さんのイメージをもった女の人。世間一般でいわれるところの母性とはちょっとずれているような気もするが、でもなんだかんだいって母性的なイメージを喚起させる女の人に惹かれる傾向があり、気持ちの上ですっかりなついてしまう。私の場合、そうするとものすごい精神安定力が出る。取り乱しそうになったときも、彼女(それはAさんだったりBさんだったり)だったらどうするかと想像して、最終的には問題をなんとか回収する方向に向かわせることができる。

感想文コレクションがどこかに公表されるのかどうかよく分からないのだけど、公表されたらここでもお知らせしますね。現段階のコレクションを読ませていただいたのだが、錚々たる方々の立派な書評の末席に、「いやあ、面白かったです〜」って感じの素人の興奮まるだしの表現(だってぱくさん宛ての本物の私信なんだもの)が挿入されていて、それはそれで面白かった。40近くなってくるとですね、恥ずかしいよりも面白いほうが優先されるのですよ。(なんだか、恥ずかしがって世間に対してほとんど何も表現してこなかった過去の自分に対して、言い聞かせているような文面になった気がする。)
2月1日(火)

・ビーフカレーライス
・グリーンサラダ
・茹で卵

生活クラブ生協の宅配品が届く日だった。さっそく本日届いた和牛薄切り肉を使って、ひっさびさにカレーを作った。自分でいうのもなんだがおいしくできた。結局、肉の質の違いによって味が左右されるのではないかと。。。身も蓋もない話なのかもしれない。

前から約束しており、楽しみにしていた今日のおひるごはん。家族ぐるみでお付き合いをしているご近所の方(お母さんと娘さん)に誘われて、奈良女子大学近くの「カフェ」でいただいた。お母さんの高校時代の同級生がご実家を改装されて最近始めたお店だとのこと。おいしいお味噌汁とゆかりご飯に、メイン以外に付け合わせが4品がついていた。近くにあったら通うのになあ。
1月31日(月)

・豚キムチ鍋
・〆うどん

今晩は冷凍豚バラ肉を解凍し、その他うちにある残り物系材料を使って簡単キムチ鍋にした。ようやく日常生活のペースが戻って来た。泊まりがけで出張に行くと、帰宅後、リズムを整えるのにしばらくかかる。出張先の東京では、全く思いがけずO夫妻からお誘いいただき、神田にある中国、東北地方の郷土料理の店でごちそうになった。羊肉中心で、塩やクミンの効いた味。豆腐の麺料理もびっくりするほどおいしかった。ありがとうございました! 今度うちにも遊びに来てください!!

最近も色味の少ない写真ばかり撮れる。じっと春を待つ。



庭の様子。果物をもらったとき、一つだけ残して、じゅくじゅくにしてから外に出すことが多い。小鳥さんが来るようにと願ってのことなんだが、我が家はどうやら2羽のヒヨドリが番を張っているようで、かわいらしい小鳥さんは果物になかなかありつけない。ヒヨドリはたいそう凶暴で、自分より大きいイタチでもどつきまわして追い払ってくれ、助かっているといえば助かっているので、あまり文句はいえない。ただクロッカスの球根だけは荒らさないでほしい。



週末は、ゆういちろうの通信添削課題であるお餅作りに挑戦した。もち米を炊いて、すりこぎ棒でつぶして餅にした。つきたてを醤油でいただいた他、最終的には、今年最後の雑煮にして食べた。



台所の様子。Kくんのおばあちゃんがくれたヒラメの布小物を飾って以来、勝手口付近にも愛着が湧いてきた。とぼけた表情のヒラメたちが生活を楽しくしてくれる。装飾は大事。こちらから見れば地味だけど、裏の腹部分の布にはそれぞれ赤や紺の派手目の模様が入った上等な絹が使われていて、外から中に入るときそれがちらっと見える仕組み。

職場では衝撃的な事実を知らされたが、心を透明にして、たんたんと仕事をしました。あともう少しで国際会議の申し込み原稿が完成する。やれることをこつこつと。英語でも日本語でも。
1月26日(水)

・赤ワイン
・パン
・トマトのポタージュスープ
・ローストビーフ 和風グレイビーソース
・いんげん豆のソテー
・ふかしたじゃがいも
・きゅうりの漬物

夫の44回目の誕生日だったので、少し奮発してローストビーフを焼いた。ここを参照して作った。ソースにしょうゆを加えるから「和風」グレイビーというみたいである。でもね、レシピ通りにソースを作って味見してみた結果、どうもぼやけた味になっている気がして、結局は、砕いた固形スープの素と最後にバターを加えて味を整えたら、ばっちり決まった! 和風フレンチ味グレイビーソースと言いたい気分である。脂肪分の節制を心がけているが、今日は他の献立でバターを使わなかったので、これくらいいいかなと思う。ローストビーフはみんなの大好物。ゆういちろうはパンにもたっぷりソースを吸わせてお腹いっぱいになるまで食べてくれました。

明日から東京出張である。ホテルはきっと乾燥しているんだろうなあ。喉をやられないように気をつけよう。
1月25日(火)

・ごはん
・ねぎとわかめの味噌汁
・さんまのかば焼き、刻み海苔をたっぷり添えて
・もやしとしめじの炒め物
・キムチ&サワークリーム
・納豆
・プチトマト

キムチ単体では辛みがきついとき、サワークリームを添えると、俄然箸が進むことが分かった。どちらも発酵つながりで相性がよいのかな。

放課後ゆういちろうの友達の男の子4人が遊びに来て、ごはんの支度中、うちのなかは大変にぎやかだった。しーんとしたなかで台所に立つより、子どもたちのうぎゃぐぎゃ言う歓声を聞きながら食事を準備できるのはとても幸せだと思った。彼らは要所要所で大変面白いことを言うのだ。ずっと聞き耳を立てているわけではないが、そういう発言が耳に入るたびに目じりが下がっていると思う。

■追記
今日学校で出された国語の宿題のひとつに、「スーホの白い馬」の朗読があった。ゆういちろうの声で読まれたその物語に思わず落涙した。モンゴルの、馬頭琴という楽器をめぐる民話をもとに作られた話だそうだ(あらすじは、ここ)。常日頃感じているが、動植物の健気さはやっぱり半端じゃないと思う。
1月24日(月)

・白ワイン
・ごはん
・ねぎとしいたけと春雨の中華スープ
・中華風鯛の野菜あんかけ
・山芋スティック、ベジタブル塩で
・白菜の漬物

今日を自宅研修日にした夫が作ってくれた。中華は断然夫のほうがうまい。それを本人に伝えたら、「おだてていつも作らせようという魂胆だろう」と受け流された。おだてているつもりはないが、また作ってほしい気持ちは大いにある。

花売り場でいい香りに振り返ったら、オーデコロンミントという種類のミントの苗からであった。すごい芳香力だ。少し紫がかった葉っぱの様子も気に入った。さっそく買って帰り、洗濯物干し台近くの旧畑のエリアに植えた。ミントの場合、多少踏んでしまっても全然なんともないので(もちろんわざと踏みにじるようなことは決してしないが)、早くそこらじゅう殖えて洗濯物を干すたびにいい匂いがすると気分がよいだろうなあ。
1月23日(日)

・豚キムチ鍋
・〆うどん

先日実家から送られてきた豚ロース肉を使ってキムチ鍋にした。キムチ鍋の味は安定して作れるようになった。誇れることのひとつである。

午前中は、自治会の防犯標語の表彰式に親子で出かけた。ゆういちろうの表彰作品は、「しんごうは まもろうね」。自由律が評価されたのかもしれない(笑)。私のは、「あら大変! お勝手戸締まり したかしら」が表彰された。回覧板や地元の生協の集会場などでも紹介されるらしい。事務局の方よりこっそり教えてもらったのだが、当初私は戸締まりの漢字を間違えて「戸閉り」として提出したらしく(恥ずかしい!)、ビラの段階では誤字のまま印刷されたが、今後の広報では親切にも先方で直していただいたものが使われるとのこと。お気づかいありがとうございました。

ひさびさにお菓子を作りたくなり(論文執筆の取り組みに興が乗ると決まってそうなる。私にとってよい兆し)、気分転換に3年前の雑誌(『暮しの手帳』33春2008)をぱらぱらと眺めていたら、全く思いがけず石垣りんの次の詩が目に飛び込んできた。自己憐憫の情が少し入りかけた自分に対して、ちょうどいいタイミングで、喝を入れられた気がする。 「一篇の詩など、役に立たないと誰が言いましょう。何度も何度も読みましょう。」 全く同感!


       私の前にある
        鍋とお釜と燃える火と


 それはながい間
 私たち女のまえに
 いつも置かれてあつたもの、


 自分の力にかなう
 ほどよい大きさの鍋や
 お米がぷつぷつとふくらんで
 光り出すに都合のいい釜や
 劫初からうけつがれた火のほてりの前には
 母や、祖母や、またその母たちがいつも居た。


 その人たちは
 どれほどの愛や誠実の分量を
 これらの器物にそそぎ入れたことだろう、
 ある時はそれが赤いにんじんだつたり
 くろい昆布だつたり
 たたきつぶされた魚だつたり


 台所では
 いつも正確に朝昼晩への用意がなされ
 用意のまえにはいつも幾たりかの
 あたたかい膝や手が並んでいた。


 ああその並ぶべきいくたりかの人がなくて
 どうして女がいそいそと炊事など
 繰り返せたろう?
 それはたゆみないいつくしみ
 無意識なまでに日常化した奉仕の姿。


 炊事が奇しくも分けられた
 女の役目であつたのは
 不幸なこととは思われない、
 そのために知識や、世間での地位が
 たちおくれたとしても
 おそくはない
 私たちの前にあるものは
 鍋とお釜と、燃える火と


 それらなつかしい器物の前で
 お芋や、肉を料理するように
 深い思いをこめて
 政治や経済や文学も勉強しよう、


 それはおごりや栄達のためでなく
 全部が
 人間のために供せられるように
 全部が愛情の対象あつて励むように。

1月22日(土)

・赤ワイン
・野菜のコンソメスープ
・スパゲティ、トマトソース
・鯛のムニエル、マスタードソース

スープとスパゲティは夫が作り、魚は私が焼いた。料理を作っている間、ちょうど台所の窓から若草山の山焼きの様子が見えて、いい気分だった。山焼きの前に、花火もあがり、趣向を凝らした最近の花火技術に驚いた。今週あたりから、寒いけど日差しに春の気配が感じられるようになり、庭の紅梅のつぼみも心なしか急に膨らみ始めたように思ったが、山焼きを迎えるとああやっぱり春の始まりだったんだなあと腑に落ちた。最近いろいろなことが起こるけど、悲劇的な方向には決して向かわないだろうと不思議に達観している。過去への執着から来るある種の喪失感も自然と薄れ、新しい世界で新しい人間関係が切り結ばれていくのだろうと思う。

午前中は、学童保育の役員の仕事で、6年生を送る会の打ち合わせ会議に出た。まさか私たちも今年度で中途退所になるとは思わなかったが、気持ちよく最後の仕事をしようと思う。立つ鳥後を濁さず。

午後は、ゆういちろうの友達がうちに遊びに来た。子どもたちが部屋でテレビゲームに興じているあいだ、私は庭仕事をしたり、読書をしたりした。10キログラムの寒肥を庭木に施し、花の季節、新緑の季節を迎える準備も整った。懸案事項をひとつクリア♪ そして読書のこと。ベイトソンの『精神の生態学』(訳・佐藤良明)を必要にかられあらためて読みなおしているが、368ページでとてもいい表現にぶつかった。

  −−−こんな世界にあって、制御の問題はもはや科学の手を離れるしかない。
  むしろそれは芸術の問題に属するのかもしれない。意識による制御が困難で、
  結果の見通しが立たないコンテクストは、科学より芸術がふさわしいという理由
  ばかりからではない。失敗の結果が「醜さ」であるというところも、芸術に似ている。

  −−−われわれ社会科学に携わる人間は、これほどまでに理解できていない
  世界を、制御しようなどという考えは抑え込むのが賢明だろう。理解が届かない
  という事態に焦って、その不安から制御の衝動をつのらせることがあってはなら
  ない。「われわれが生きるこの世界は、一体どんな世界なのか」 ――この、今日
  では尊ばれてはいないけれども、古代から探究者をインスパイアしていた、純粋な
  知の衝動に導かれていけば、それでいいのではないだろうか。その結果、力を手
  にすることはできなくても、美を手にすることができるのなら、私としては満足である。

以上、今から50年以上も前の、1959年の講演録より抜粋した。昔読んだはずなのに、この部分は読み飛ばしていたようだ。今頃になって心に沁み入っている。
1月21日(金)

・ごはん
・豚しゃぶ風の鍋

今晩も、ゆういちろうと二人で食事した。実家から送られてきたしゃぶしゃぶ用の豚で簡単な鍋にした。「豚しゃぶ風」としたのは、お湯にくぐらせて少しずつ食べるスタイルではなく、いっしょくたに一気に煮込んでどーんと食卓に置いたからである。それにしてもうちの両親はしょっちゅう食べ物を送ってくれる。

百人一首のなかで好きな歌は、凡河内躬恒の、

 心あてに折らばや折らむはつ霜の置きまどはせる白菊の花

である。植物好きな人には分かると思うが、植物に対するときのあの童心にかえったうきうきした気分がよーく表現されているから。子どもは誇張が大好きだもの。おもちゃの「みんな持ってる」は二人持ってるとほぼ同義だからね。田辺聖子おばさまの現代語訳は、次のとおり。

 初霜でそこらじゅう 真ッ白になってしまった
 白菊の花がそれにまぎれてどこかわからないじゃないか
 あて推量で、このへんかなあと折るならば折れるかもしれないが
 何しろ 一面 白い中の白菊の花だからなあ

百人一首に出てくる歌の意味ぐらいもう少しは知っておこうと読み始めた『田辺聖子の小倉百人一首』(角川文庫)によれば、この歌に激しく噛みついたのが、和歌の近代化を成し遂げた正岡子規とのこと。「一文半文のねうちもこれなき駄歌」、「この歌は嘘の趣向なり。初霜が置いたくらいで白菊が見えなくなる気遣いこれなく候」、「小さきことを大きくいう嘘が和歌腐敗の一大原因と相見え申し候」、などなどけちょんけちょんである。

そこまで酷く言わなくてもと思う反面、子規の次の歌、

 くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨の降る

はやっぱり大好きなのだから、観賞者ほど節操のない者はいないのかもしれない。私の場合などは、植物を解する人が詠った歌であれば、もう何でもオッケー!ってほどの寛容さを持っている。裏を返せば表現者の孤独感はいかばかりかということなのだけど。。。
1月20日(木)

・鶏と牡蠣の鍋
・〆卵雑炊

夫は仕事で忙しく、今晩も、ゆういちろうと二人で食事した。鍋に鶏と牡蠣を入れたら、とてもおいしいスープが出た。どちらもジューシー。相性がいいみたいだ。

夕方、学童保育の先生から電話があった。今年から市の基準が厳しくなり、私の現在の勤労条件だと来年度の受け入れは無理だという連絡だった。弱り目に祟り目。困ったことである。

次のフルタイムの就職先を見つけるためには、勤務地をこれまで関西限定にしていたのを止めて関東も含めた新幹線ベルト地帯に広げるべきか、それとも関西限定したままで代わりに職種を広げ研究教育職以外の求人にも目を配るべきか。いよいよライフプランの変更が必要になってきた。

研究の世界にずっといられるものとばかり甘く考えてきて、好き放題にやってきたつけが回ってきたのかなあ。鼻っ柱だけは強いやんちゃな方だったと思うが、もしかしたらたくさんお世話になった研究者の方々ともう2度と会えなくなるかもしれないのだ。せめて今後会う人にはこれまでありがとうございましたと、礼儀正しく振る舞おうと思う。

あとは、散々国家予算を使ってやっとこさ得ることのできた貴重なデータを眠らせるわけにはいかないので、本当の意味で「これぞ研究」と置き土産になるくらいの質の高い博士論文に仕上げるのと平行して、万が一のときを考え、後を託せる人を探さないといけない。

現在いただいている研究費の継続タイムリミット内に、就職活動と論文執筆と相続者探しをする。粛々と落ち着いてやるべきことをやろう。
1月19日(水)

・ごはん
・牛肉と根菜の塩煮込み
・茹で卵、サワークリームディップで
・大根の浅漬け
・プチトマト

牛肉と根菜の塩煮込みなるものを生活クラブ生協のレシピどおり作ってみたが、しょっぱかった!! 塩大さじ2は、小さじ2の表記間違い? それとも本当は大さじ1のつもりだったのかな? 大さじ1を入れた段階でいったん味見すればよかった。一度スープについてしまった塩気を抜くのは至難の技だから、慎重になるべきだったのに。反省。

来週の火曜に学童保育で百人一首大会があるので、最近食後はかるた遊びをしている。久方ぶりに百人一首を読みあげたが、ほとんど恋の歌ばかりではないですか。子どもの頃、結構な数を暗記していたが、歌の内容も分からずに覚えていたのね。。。
1月18日(火)

・ごはん
・しじみの味噌汁
・めじろと根菜の煮付け
・しめじともやしの炒め物
・大根の浅漬け
・納豆

白から茶色のグラデーション系の地味色食事となった。魚介類を求める今日このごろである。最近夫の帰りが遅くなる日が多く、夜食の時間にひとりでごはんを食べることを考えると、なるべく地味にすべしと思うのだった。



皿の色味に対して漬物の白が私の目には美しく映えたのだが、写真に撮ってみると、照明のせいでかなり黄色っぽく写ってしまった。料理や焼き物の写真って、本当に難しい。。。

椿模様の皿は、長崎・五島列島の温窯という窯元で焼かれたものである。ご存じ、五島は椿の産地。椿の灰汁で椿模様の皿を同世代の女の人が独りで窯を開き焼いているとあらば、応援したくなるのが人情というもの、買い求めずにはおられまいぞ。三川内とは違って、五島焼きは島民の生活のために焼かれていたもの。聞くところによると、昭和になって大量生産品が五島にも席巻することになり、地元の窯はいったん全部閉じられたそうだ。最近になって復活の兆しが見られるとのこと。官窯も民窯もどこも大変だったんだなあ。。。

温窯の皿は、「優しい女の子」の風情がして、見ていると気持ちが落ち着く。椿の他に同じ大きさで、もう少しポップな水玉模様シリーズの皿もあり、うちではそれをトースト皿として使っている。染付もされているので、そうめん用の大皿も焼いてもらった。(↓昔撮った写真)

  

水烏賊と海藻が涼しげに気持ちよさそうに浮かんでいて、とても気に入っている。それに水烏賊の表情がとてもひょうきんなのも、いい感じである。

こう書くと、ものすごく贅沢をしているように思われるかもしれないが、直接お願いするので、本当に控え目な価格で焼いてくれるのである。少なくともデパートや都会のお皿屋さんの相場より、ずっとずっと控え目。ものの価値と値段の関係については、いろんなことを考えてしまう。
1月17日(月)

・白ワイン
・ブイヤベース
・〆スープスパゲティ

ますやみその鍋の素を使って簡単ブイヤベースを作った。くせになるおいしさ。お正月に試して以来、すっかり気に入ってしまい、思い付いたときに出来るよういくつかストックしてある。

ダンサー・振付家の手塚夏子さんよりうれしい便りがあった。自分でいうのもなんだけど、同世代である手塚さんの才能に20代前半の頃から注目してきたのだ。年季が入っていることに関しては自慢できるが、住む場所が離れてしまってから何年も公演に出向いていないのは反省点のひとつである。明日、明るい時間にお返事を書こう♪

そして、じゃーん、なんと私はゆういちろうとともに自治体から表彰されることになった。ずっと前、自治会の防犯標語に親子それぞれ応募したところ、二人とも入選したとの連絡が入った。ゆういちろうがどんな標語を思い付いたのかはすっかり忘れたが、自分のは覚えている。誰も応募者がいないから何とかならないかと、ご近所の防犯委員さんから言われて、とにかく頭数をそろえることを目標にものの10分もかからず素早くひねり出した標語ばかりだが(防犯委員さんからはとっても感謝された)、いったいどれが入選したのだろう。

地域の安全全般のお題目に対しては、「みんなで守ろう地域の安全」
泥棒、空き巣対策のお題目には、「あら大変、お勝手、戸締りしたかしら」
女性への痴漢、子どもや障害者への虐待対策には、「弱いものいじめは、No! No! No!」

というか、こんな標語が表彰されていいのだろうかと思うが(笑)、いただけるものはありがたくいただこうと思う。よっぽど応募者が少なかったんだろうな。表彰式で余計なことを言わないように気をつけよう。それにしても、時間をかけてきりきりと絞り出したような本業の文章が思うようには評価されずに次の就職先がなかなか見つからない後安美紀の立場からしてみれば、辻田美紀のこの軽やかさはなんなんだ。憎たらしいぞ。            
1月16日(日)

・かにすき
・〆卵雑炊

ありがたいことに冷凍庫がいただきものでぱんぱんになった。ゆえに以前実家から送られてきたカニを解凍して鍋にして食べた。ゆういちろうが一番たくさん食べた。おいしそうに食べるのを見るのがうれしかった。

今週末の学校の宿題に、生まれてからのことを写真つきで解説するプリント2枚が出された。面白い表情をしたもの、あるいは私に甘えているとてもかわいらしい写真もたくさんあるのだが、その路線は止めて、ゆういちろうが世界と対峙するかのようにひとりでカメラ(の向こうの人)に向き合っているときの写真にした。以下は、そのような1,3,5歳のときのゆういちろうの姿である。今現在は8歳。今の雰囲気とは全然違う。これから先、どんな経験をし、どんな表情をした大人になるのだろうか。







1月15日(土)

・スパゲティ 梅昆布茶ソース
・ミネストローネ
・鶏のソテー バルサミコ風味

医者から注意されているにも関わらず、またもやこってりとしたものが食べたいという夫に対して、なんとかさっぱりとすべくバランスをとったつもりの献立である。ミネストローネスープは油を使わず水から茹で、ビーフステーキが食べたいというのを却下し代わりに少量の鶏を酢で味付けし、スパゲティは絶対に食べたいというので、梅おにぎり風味にしてみた。可もなく不可もなく予想通りの梅おにぎり風味になった(笑)。

梅昆布茶ソース3人分の構成は次のとおり。たたいた梅肉(大きめの梅干し2,3個分)、昆布茶の粉末(付属スプン4杯)、オリーブオイル(大さじ2)、酒(大さじ2)、塩少々、スパゲティの茹で汁少々。これらを大きなボールで混ぜ合わせておき、茹でたてのスパゲティに和えて出来上がり。刻み海苔をたっぷり添えて、召し上がれ。

これまで気に入られようと思ってリクエストされたものを素直に作ってきたが、これからはその方針を止めるつもりだ。今すぐにでも心を鬼にして油を抜くべきなんだろうが、急にやるとリバウンドが激しそうなので、じょじょに変えていくつもりである。今年一年は、食生活を見直し、体質改善の年にしたい。
1月14日(金)

・ごはん
・たまねぎとわかめの味噌汁
・鯛と大根の煮付け
・ごぼう、セロリ、マッシュルームの炒め物
・大根の甘酢漬け(ゆういちろうのみ)
・プチトマト(ゆういちろうのみ)

実家から鯛とめじろが切り身になって送られてきた。最近、父はよく釣りに行っているみたい。退職後、釣りや畑仕事に精を出しているので、私たちはご相伴にあずかりとても助かっている。以前もらった大根と一緒に煮付けたら、とてもおいしくできた。冬大根はとても甘い〜。今晩も夫の帰りが遅いので、ゆういちろうと二人でゆっくりといただいた。

根野菜ときのこの炒め物には、ゆういちろうの同級生のお母さんから長野にスキーに行ったお土産にもらった、彩塩工房というところが出している「ベジタブル塩」をかけて食べた。これもまたおいしかった。ベジタブル塩とは、日本の焼き塩にパキスタンの岩塩、白ごま、黒胡椒がブレンドされた調味塩のことである。

最近、石鹸や入浴剤はにがり入りのものに替えたし、我が家は密かに(でもないが)塩ブームである。たくさんのマイブームがあり、幸せなことである。
1月13日(木)
・ごはん
・豆腐とわかめの味噌汁
・昨日の残りのじゃがいものそぼろ煮(夫とゆういちろう)
・焼き牡蠣(夫と私)
・ごぼうとれんこんのきんぴら
・青梗菜の塩ゆで
・大根の甘酢漬け
・プチトマト

白から茶色のグラデーションの地味色系献立にプラスして、青梗菜の緑とプチトマトの赤を添えた。昨日の食卓よりは彩りが出たかな。ちょっとずついろいろなものを食べたかった。それにしても、ごはんも地味にしたい気分だし、家のなかの植物も地味なものを好む今日このごろである。というのも今の私には、地味さのなかに大きな喜びがあるのである。



例えばドナセラ。ずっと前、個人宅で開かれたフラワーアレンジメント教室にお呼ばれしたことがある。その日、使った花のなかにドナセラが含まれていた。とっても元気だったので帰宅後アレンジメントから引っこ抜き、水に挿しておいた。そしたらまあすぐに根がもじゃもじゃ生えてきて、新しく葉っぱも出てきて新旧交代し、立派に観葉植物になってくれました。ファクシミリ兼用電話機の横に。なんてことはない姿かたちをしているのだが、眺めると心が和む。



お正月のテーブルに飾った花を今もそのままにしてある。白あじさいのドライフラワーと月桂樹一枝を活けた。なんてシックなんでしょう(笑)。 でも! 本当のことを言うと、あじさいの枝はちゃんと生きていて、根が生えてきたのだ。縁起がいいので正月飾りにしたのだった。

白あじさいは実家の庭で根ぶせで増えたもの。ぼってりしたタイプではなく、石の裏にひっそりと咲く繊細な感じのするあじさいで、きれいだったのでもらってきた。昨年の秋、うちの庭でドライフラワー化した枝を花首の部分で切り取ろうとしたのに、誤って根元からぽきっと折ってしまった。しばらく落ち込んだが、水に挿して、根が出ろ、根が出ろと唱えていたら、1か月以上たって忘れた頃にひょろっと一本根が見えた。今では数本生えている。春が来るまで家のなかで大事に育て、暖かくなってから土に挿す予定である。



こちらはトイレの窓際の様子である。(夕食日記にトイレの写真を載せてすみません。) トイレや洗面所には爽やかな雰囲気になるようミントを活けるようにしている。ミントは雑草以上に生命力あふれた植物で、すぐに根が生えてきて、茎も伸びる。こんもり活けたはずが、今では背高のっぽさんに。徒長してかわいそうだが、しばらくここで我慢してもらい、これも暖かくなったら土に植えてやろうと思う。こうやってミントは庭のいたるところに殖えていくのだと思う。

論文や資料を読み漁っている他に、仕事では、年度末予算のことでいろいろとやりとりをしないとならない。担当の秘書さんが気ごころの知れた優しくしてくれる人なので、つい甘えてしまっている。


1月12日(水)
・ごはん
・しじみの味噌汁
・じゃがいものそぼろ煮
・もやし炒め
・納豆
・大根の甘酢漬け

夫の帰りが遅いためゆういちろうと二人でしみじみと食事をした。和食が食べたかった。うちのしじみの味噌汁のポイントは、酒をほんの一たらしすることと、赤だしと普通の味噌とを半々に合わせることである。これを心がけたら毎回味が決まるようになった。
1月11日(火)
・潮鍋
・〆卵雑炊

生活クラブ生協の宅配で届いた潮鍋セットを利用した。牡蠣、イカ、鱈のほかに、いわしのつみれが含まれている。先週の注文票でつみれがあるのを知り、購買意欲をそそられたのだった。形を整えるようにしてスプンですくって、煮立っている鍋に入れるのが好きである。自分でいうのもなんだが、今晩の卵雑炊はいつもよりうまくできた。


1月10日(月)
・ごはん
・大根と豆腐の中華風コーンスープ
・八宝菜
・春菊とプチトマトのサラダ
・納豆

八宝菜は夫が作り、それ以外を私が作った。ひさびさに缶詰のコーンクリームを買って、中華風スープを作った。少し頭痛がして風邪をひきかけたかと思ったので、ねぎ、しょうが、にんにくの風味を効かせたスープにした。サイコロ大に切った大根と豆腐を入れるのがポイント。これらを入れたほうが栄養的にも優れると思うが、黄みの強いクリーム色のなかに2種類の質感の異なる白い物体が浮かんでいるのが目にもおいしいと思う。

夜間にマイナス5度まで冷え込むと予報が出た。あらら大変とばかりに、寒さに弱いニオイバンマツリ2株に覆いをしてやった。ニオイバンマツリはジャスミンのような香りがし、花の色が青から白に変化する美しい植物である。英名も、Yesterday- Today- and- Tommorow と風情がある。3年ほど前かなあ、近所の花屋さんの前を通ったときいい匂いに引き寄せられ、店先の植栽で、見た目の美しさにも一目ぼれして以来、うちの庭でも育てている。ここによると鎌倉のお寺にも植えられているようだ。こんなに立派な株になるまで何年かかるんだろう。

■追記
トゥモローの綴りが違うよと、ある方より指摘があった。恥恥。Tommorow ではなく、Tomorrow だった。中学英語に失敗しているようじゃ、もう私は受験は無理だ〜。
1月9日(日)

・鯛鍋
・〆卵雑炊

昼に引き続き夜も中華が食べたいという夫に対して、断固として我を押しとおした私が、鍋料理を作った。あっさりしたものを食べたかったから。実家から送られてきた魚や野菜を有効利用して、買い出しにいかずにうちにあるものでまかなった。

いつかまとめて紹介したいと思っていた三川内焼き。今年の始めに、えいやっとおこなえて、自分のなかの懸案をひとつクリア。すっきりした。今晩、光雲窯をご紹介してひとまず終りにする。三川内にはほかにもよい窯元がたくさんあるに違いないが、我が家はすべての窯元の器を持っているわけではなく、日常的に触れている器に絞ってまずはお伝えしたいのだ。

光雲窯の今村隆光さんは、立派な唐子絵の伝統的な作品を手掛ける一方で、今村さん独自の鯨絵の作品にファンが多い。公式ホームページにもあるよう土もの(陶器)にも挑戦されている。直接お会いしてお話ししたことはないが、新しいことを試みる人が個人的には大好きなので、遠くからすごいなあと眺めている。

私が好きなのは今村さんの土もので、鯨の絵もいいが山水画を洋風(?)に崩した絵のほうをどちらかというと好む。下の写真は去年6月にも載せたものだが、ひょうたん型の土もの山水花瓶が大のお気に入りである。東洋と西洋、伝統とモダン、具象と抽象、端正かバサラか分からないちゃんぽんな作品でしょう? 玄関に飾って毎日眺めて楽しんでいる。派手目な花瓶であるが、花との相性も意外とよく、今は、馬酔木(あしび)とカンガルーポーを活けている。





唐子絵のことも触れておこう。もともとは朝鮮から連れて来られた陶工たちが故郷を偲んで描いた絵とされているが、そのうち唐子の数と身分制度とががっちり結びつき、確か7人が朝廷と将軍家、5人が大名家、3人が諸侯の身分を表す、献上唐子絵なるものが固定された。三川内でしか焼いてはならない代物であった。

明治に入ってその縛りが解放され、今ではどこでも如何様にでも描いてよいことになった。長崎のちゃんぽん屋さんでもどんぶりに唐子絵は使われているし、プリントものもたくさん出回っている。上の写真に写したのは、夫の家で使われていたちゃんぽんどんぶり皿(我が家でも「超」日常使い)であるが、裏には「鍋島」と記されている。三川内で焼かれたはずなのに、なぜ鍋島となっているのか。きっと生き延びるために長崎の母の実家でもいろいろなことを試みたのだろうなと、当時の苦労をあれこれと想像する。
1月8日(土)

・スパゲティ・トマトソース
・ゆり根のポタージュスープ
・ゲシュネッツェルテス
・春菊のサラダ

夫が今晩はこってりした料理が食べたいと言い張り、やめてくれと私が言ったら、自分で作るといって作ってくれた。ゲシュネッツェルテス(スイスを代表する煮込み料理)は、初めてのヨーロッパ出張で自分ひとりで入ったレストランで感動した料理とのこと。たまに思い出したように作る料理である。子牛肉が手に入らないので豚にし、生クリームで作るレシピが多いがサワークリームに替え、できるだけさっぱりさせたとのこと(!?)。

春菊のサラダには、ツナ缶のツナを入れると言いだし、これもやめてくれと私が言ったら、代わりにパルメザンチーズのスライスが入った。これもカロリーダウンとのこと(!?)。ゆり根のポタージュスープには、仕上げに生クリームを使わず、牛乳を加えただけにした。この時期にしか味わえない滋味深いスープであった。おいしかったです。ありがとう。



料理の写真もできるだけ記録に残しておこうと思い、撮り始めたが、私が好きなのは、料理それ自体よりも、どうやら緑と白の色の組み合わせであることに気付き始めた。昨日の七草がゆといい、その色合いになると、急に、うわ、きれい〜〜となってしまう。白い花が好きなのだが、白飛びしてなかなかうまいぐあいに写真に残せない代償なのかなあ。せっかくのメイン料理、肉の写真はヘンに生々しくなり、今のところここに載せる気があまりしない。しばらく自己観察してみよう。

さて、今晩は、日常使いにぴったりの器を制作する窯元を紹介する。食器洗い乾燥機はもちろんオーブンに入れて焼いてもへっちゃら。それくらいで割れるような温度では焼いていませんからと、啓祥窯のご主人はおしえてくれた。



啓祥窯は、濃くはっきりとした線の絵が多い窯元である。しょうゆ皿や角皿は和食のときによく使っている。しょうゆ皿は漬物を銘々に用意するときにも役立つ。水引以外にも、えのころ草やつわぶき、山帰来など幾種かの植物図柄シリーズがある。同じ図柄で揃えるもよし、図柄違いで揃えるもよし。ギャラリー風の陳列がなされたおしゃれな店内で、システマチックな買い物ができるお店である。



そうだ、啓祥窯では、この小鉢を忘れてはならないのだった。あまりに日々愛用しているので、忘れるところだった。格式張らずに松竹梅の吉祥文様を日々楽しむことができ、食卓がいつも明るい気分で充たされる。



嘉久正窯の器は、うちではこれのみだが、ピンポイントで大活躍している。手作りのたれやソースを入れて食卓におくと大変かっこいい。和風洋風問わず使っている。蓋がついているので、そのまま冷蔵庫に入れられ、電子レンジで温めなおせばよいので、グレービーソースのときはとりわけ便利である。啓祥窯と同じく、様々な美しい植物図柄シリーズがあり、どれを選んだらいいか迷ってしまう。

どちらの窯元にも顧客がついているみたいだし、お店の雰囲気も似ている。はっきりと分業制が採られており、作り手と売り手は別々のところにいる。そして、美術品や揃えの食器を特注する上客向けの作品と、店で買い物をする私たち一般客向けの商品とのあいだには、くっきりと線引きがなされている感じ。イメージでいうと、デパートの外商顧客と、デパートに行って、ブランド物の洋食器をセット買いする客とのあいだの線引き感覚かなあ。店ではバラ売りが基本なので、割れたらその都度補充すればよいという安心感もある(←やったこともないくせに、適当にものを言っています)。

啓祥窯と嘉久正窯の違いはどこにあるのか。個人的な感覚でいうと、絵そのものは嘉久正窯のほうが好きで、きれい〜〜欲しい〜〜となるのに、実際に買うのは啓祥窯のものが多い。啓祥窯のお皿のほうが、ずいぶんカジュアルで、よい意味で、あまり緊張感がない。上に乗せる普段の料理をいろいろ思い付くのであった。嘉久正窯の絵は、三川内焼きのもともとの役目に忠実なのか、晴れの場面にふさわしい華やかな雰囲気を醸し出しているものが多く、上に載せる料理の格をものすごく選ぶと思う。お忍びで注文しにやって来る客も多いそうだし、日常的に「お客様」の「おもてなし」をするお宅にこそふさわしいのではないか。

いつも何かと世話を焼いてくれるKくんのおばあちゃんのおうちは、嘉久正窯に一通りの和食器を焼いてもらったそうだ。前から親しくお付き合いがあったが、最近そのことが判って、縁の不思議さを思った。注文してから1年か2年待たされたそう。昔はずいぶんとのんびりとした買い物をしていたのだなあと思う。

今晩は、器そのものの趣味判断よりも、買う買わないの生々しい話になった。避けて通れない大事な話だから仕方ない。
1月7日(金)

・七草がゆ
・めじろの煮付け
・韓国海苔
・沢庵
・もやし炒め
・プチトマト

もうすでに仕事を始め、休みモードは抜けているのだが、けじめとして七草がゆを作った。この時期の若菜を食べるとさすがにすっきりした気分になる。庭の雑草のなかにもきっと食べられるものはたくさんあるのだろうが、いろいろな意味で怖くて(造成地の土壌だいじょうぶ?とか)、実行に移せていない。夢は、清涼なせせらぎにたくさんクレソンが生えている光景なのだが、今のところ夢幻の類の話である。



父の釣った青物の魚とぱくさんからの韓国海苔と先日友人からもらった手作り沢庵もお粥に付けた。どれも米に合う。胃に優しい食事になったと思う。夜に会議が入り、夫の帰りは遅いので、ゆういちろうと二人で静かに食卓を囲んだ。

三川内焼きの窯元紹介もそろそろ終盤に近づいた。今晩のを入れて、あと3回の予定。宣言したはいいが、途中で飽きるかと自分でもちょっと危惧していた。だが、なんだかおせっかい極まりない妙な使命感に燃えて続いている(笑)。

今晩紹介するのは平戸祐祥窯の2枚の大皿である。5,6年ほど前家族で、毎年ゴールデンウィーク期間中に三川内で開かれるはまぜん祭りに出かけたとき、祐祥窯さんの座敷で偶然見つけたお皿である。このとき仙人のような風情のおじいさんに相手をしてもらった。2枚ともその方が描いた皿である。



波模様の皿は、よく見ると(よく見なくとも)震えるような筆致で描かれていることが分かる。ご存じのように超絶技巧系の技をこれでもかと見せつけるのが三川内の伝統と言えると思うのだが、この皿は、名人が遊び心からわざとへたうま系で描いてみたのか、それとも、本当に手が震えて昔のようには描けなくなったのか。おそらくその両方が関わっているのだろうが、おじいさんは飄々として特に説明を加えない。てっさ、牛肉のたたき、馬刺しなど、ごちそうを並べるとものすごくよく映え、とても気に入っている。



この写真は一年前の日記に載せたものだが、この鯉の絵もおじいさんが描いたものだ。去年の子鯉の目には金箔があるが(実は親鯉の目にもちょこっと金が残っているが)、普通に使って洗っていくうちに今は全部剥がれた。もともとは鱗にも金箔が貼られた飾り皿だったみたいだが、私が見つけたときにはすでに鱗の金もほとんど剥がれ落ちていて、奥のほうで埃をかぶっていた。金めっきが剥がれた後、下から立派な模様が出てくるのを計算して作ったのではないかと思うくらいである。

平戸祐祥窯独自のホームページは存在しないし、組合にも入っていないようで、三川内焼き公式サイトでも大きくは紹介されていない。現地に行かない限り知ることはなかった窯元であった。日常使いというよりも、人が大勢集まったときに祐祥窯の皿は活躍する。うちにはもうひとつ、ぶりかまや豚の角煮などをどーんと盛るのにもってこいの蓋付の大皿もあり、よほど祐祥窯と宴会は相性がいいみたい。

土産物屋の通販サイトのページがあることはあるが、有田焼のなかに分類されているし、何よりも実際の祐祥窯さんのおうちの雰囲気と全然違っていて、惜しい!と思うのだな。今後窯はどうなっていくのかなあ。。。おじいさんはご存命だろうか。。。当たり前といえば当たり前だけど、現地でしか手に入らないよいものが世の中にはいっぱいあるのだと実感できただけでもラッキーであった。ちなみに、おじいさんの値段の付け方は、若夫婦を気遣ってか、商売する気があるのかとこちらが心配するくらい大変控え目であった。お名前を伺っておけばよかった。
1月6日(木)

・鶏の水炊き
・〆卵雑炊

我が家もそろそろ正月明けである。サッカー教室も始まった。明日から小学校の3学期が始まる。宿題やら持ち物のチェックやらいろいろ気を揉んでいる。何に気を揉んでいるかというと、全部本人にまかせて、忘れ物をしても自己責任にすると決めたはいいが、気になって仕方ないことである。

お昼はゆういちろうの友達KくんとSくんが遊びに来た。Kくんのおばあちゃんがお昼ごはんにおにぎりとたこ焼きを焼いて持ってきてくれた。みんなぺろりと平らげた。夜は水炊きにした。鶏のエキスを最後はご飯に吸わせて全部いただける大変ありがたい鍋である。

今晩ご紹介するのは、平戸洸祥団右ェ門窯の中里由美子さんの絵である。17代目一郎さんの妻、18代目太陽さんの母にあたる方である。由美子さんの描く古平戸絵が私は大好き♪ 和洋中なんでも合い、取り皿にも盛り皿にも使いやすい深さ大きさの、以下の6寸皿たちを日々愛用している。買ってきた刺身を発砲トレイから出してそのまま百合の絵の皿に移し替えるだけでも、5割増しほどおいしそうに見えるから、本当に不思議である。純白の地肌ではなくあえてにごしを入れてあるのも、毎日の料理に使いやすいところだと思う。





1月5日(水)

・昨日の残りのビーフカレーライス
・茹で卵
・プチトマト

残り物の2日目カレー。例によって例のごとく、2日目のほうがおいしくなっていた。

亡き祖母のことを最近よく思い出す。うちにある様々な布のクッションカバーは全部祖母が縫ったものである。季節ごとに替えている。年末の大掃除後、ようやく冬仕様に模様替えした。

手先が器用で、私にもたくさん洋服を作ってくれた。久しぶりに古いアルバムを開いてみると、結構な数、写真に残っていた。下の写真は、35年前の2歳9カ月頃の私であるが、はいているパンタロンズボンは叔父か叔母のセーターの袖をリフォームしたものだし、白いセーターも大人のセーターの糸をほどいて編みなおしたものである。当時は今よりもずっとお金に困っていて、子どもに新しい洋服を買うなどもってのほかだったそうだが、お洒落は楽しんでいたみたい。大人のものをどこをどう工夫して私の服にしたか、子どもにも分かるよう説明してくれたから今でもよく覚えている。




聞くところによると3歳ぐらいまでの私は、今とは全く違って(!)、やせっぽちで、ずいぶんおとなしく、聞き分けがよく、人見知りの強い、恥ずかしがりやの子どもだったそうだ。叔父が悲しい物語を語って聞かせると、かわいそうとぽろぽろ涙をこぼして泣いていたそうだ(信じられません)。もしここで寿命がつきていたら座敷わらし化しそうな風情であるが、おかげさまで40年近くになるまで大きな病気をせずに過ごせている。このまま心身ともに健康で、せめて70歳ぐらいまでは生きたいなあ。

ちなみに、もう少し大きくなると、ひょうきんでおてんば系の表情で写っているものが多くなり、思春期に入ると、髪もばっさりショートカットとなり、意地悪さや反抗心も写りこみ、ずいぶん複雑化してくる。写真は面白い。ゆういちろうを産んでからの記念写真は、なんか文句ある?って感じの傲岸さ、貫禄も少しはついた気がする。
1月4日(火)

・赤ワイン
・ビーフカレーライス
・蕪の温サラダ

奈良公園内にある手向山八幡宮に初詣に行った。二月堂近くにある東大寺を見守る神社である。この辺になると人があまりいないので落ち着いて散策できる。灯篭に貼られた紙のモチーフがとても可愛らしかった。





その足で、特養にいる長崎の母を見舞いに行った。今はもうなくなった中里の実家に戻りたいのだろうか、その話題が多かった。

夕飯はカレーにした。2種類の固形のルーを使ったゆういちろうの好きなお母さん風カレーである。夕飯の準備中、テレビゲームをめぐって夫がゆういちろうに厳しい説教をした。負けてやる気をなくし不貞腐れ投げやりな態度になったゆういちろうに、やると決めたなら最後まで必死でやれと。人生訓が効いたみたいで、彼は俄然気持ちを入れ替えた。「がんばれ、自分」と歌いながらサーブしたり、相手チームにスパイクを入れられたら「作戦考えよう」と父親に提案したり。こんなに真剣にバレーボールゲームに取り組むのだから、Wiiスポーツってすごいと思った。
1月3日(月)

・白ワイン
・ブイヤベース
・〆スープスパゲティ

おせちに飽きたのではなく、なくなってしまったので、うちにあった備蓄品、ますやみその魚貝でブイヤベースでなんとか凌いだ。この鍋の素は初めて試してみたけど、予想よりもずっとおいしかった。これから我が家のお助けメニューになると思う。

今晩ご紹介するのは、玉泉製陶の福本正則さんである。福本さんは透かし彫りを得意としているが、私は福本さんの染付も好きである。カキーンと薄く軽い白磁に、非常に丁寧な細やかな絵を描く方である。福本さんの作る酒器の口当たりは大変よい。





娘さんの作風はお父さんのとは少し違っている。現代的な金魚が濃い目に描かれているものが私は好きである。上から見ると皿の形自体も金魚型をしていて面白い。夏にぴったりの皿である。この金魚の絵柄の作品群は、日本人よりも西洋人受けするようで、海外のコレクターからの注文が多いそうだ。いいものが人知れず流出している良い例である。

三川内の人々は、日本の権力者のための献上品贈答品を作らせることを目的に朝鮮から連れてこられた陶工たちの末裔なので、今でもどこか浮世離れしている。特定の土地に閉じ込められ、いいものを作ることだけが生きがいでもあり誇りでもあり生活そのものであった人々だから、当然のことだと思う。ある種の純粋職人の世界が今も息づいている。

玉泉製陶のサイトの商品紹介のなかの「実用品」のページを見ても、これらのどこが実用品なんだろう、お求めやすい価格ってあなた!と、言いたいことは山ほどあるけど、でもこの感覚のずれがなぜかほっとする。世の中のみんながみんなマーケットリサーチしなくてもいいじゃないかと思う。

焼き物は言い値の世界なので、うちで使っているものは、デパート向けサイト向けにつけた値段とは全然違う価格で譲っていただいたものである。自分なりに何かそのことへのお返しをしたいと結婚以来常々考えていたが、30代の女が焼き物について語るのは生意気にもほどがあるとこれまで自粛していた。だって(私が言いたいのはその手の世界では決してないのに)下手すれば家庭画報的おばさんの世界まっしぐらじゃないですか。でもここのところの心境の変化で、そろそろその自縛を解いてもいいんじゃないかと思い始めた。少しずつ言えることから言っていきたいと思う。
1月2日(日)

・お雑煮
・黒豆
・二色なます

今晩は雑煮がメインだった。まさか昨日一日でお重につめたおせちがなくなるとは思わなかった。詰め切れなかった黒豆と二色なますが残っており、かろうじておかずになった。

今年は三川内焼きについてここでもう少し詳しく触れようと思う。繊細な染付以外に、伝統的には、純白白磁の細工ものも手がけている。





上下の写真にある菊花飾細工は平戸洸祥団右ェ門窯の中里太陽さんによるもの。上の写真の飾り香炉は中里茂右ヱ門(なかざともえもん)窯の15代茂右ヱ門さんの手によるもの。縁あってほとんど譲ってもらうような感じで我が家にやってきた。

今回驚いたのは、茂右ヱ門さんが通販サイトを開設していたのを知ったことである。時代は変わったようだ。厳しい身分社会と三川内の人々とは切っても切れない関係にあり、献上品を作ることだけが唯一の存在価値だった。昔は、作品を献上したのちは、同じものが存在してはならないためすべて処分していたのだった。作り手は代々身体を通して技術を伝えており、ものを残すことは許されなかった。ところが現代は、手厚い保護がなくなった代わりに「民主化」が進み、献上品と同じようなものが商品として誰でも買えるようになった。残された問題は、どういう人々が買いたいと思い、誰が実際に買ってくれるかということだ。

いや、もっというと、茂右ヱ門さんは自分の代で秘伝の技術が終ることを覚悟して、自分の思うように自分の伝えたいことを業者に委託してサイトを作らせている感じがするが、若い世代の太陽さんや峰幸さんは、受注制作のみに頼ることはできず、一家を支えるため自分で積極的に「商品開発」をし、販路を開拓しないといけない。

伝統技術の存亡をかけて、新旧それぞれの想いが複雑に絡み合って、今の三川内焼きがある。私はといえば、うっとりと愛でながら使う、飾る、ということぐらいしかできない。古い身分制度の復興などまっぴらごめんだけど、三川内焼きはとても美しくて好きなので、なくならないでねと想い続けるぐらいしか能がないのだ。
1月1日(土)

・日本酒
・お雑煮
・お節

あけましておめでとうございます。2011年がよい一年でありますように。



今朝の奈良のこの付近は、よく晴れて気持ちのいいお天気でした。我が家は、造成された盛り土をほとんど削ることなく、その上にちょこんと立っています。道路から見ると、枯野に囲まれた家の感じがして愉快です。ニュータウン30年の草の歴史が詰まっている土手です。もう少しこの冬の風情を楽しんだら、新しく生えてくる草のためにばっさり刈る予定です。それはそれでとても気持ちがよいものです。



元旦の朝。里芋の煮物を盛る器です。お正月なのでおめでたい龍の絵の皿にしました。夫の遠い親戚にあたる、三川内焼・玉峰窯の中里峰幸さんが作ったものです。時世に翻弄されつつも、生き延びて、焼き物を続けている人たちがいるのだと思うと、これもまた気分がよいものです。



大晦日のおせちの準備状況です。伊達巻を焦してしまいました。プロだと決して作れない伊達巻になりました。黒と黄の対比の強い、得も言われぬ模様になりました。味のほうは正直いまいちでしたが、お重に詰めてもなかなか個性的で様になり、なにより大笑いすることができました。

おせちは今日一日でなくなってしまいました。鴨ロース、ぶりの塩焼き、えびの艶煮の段がみんなに大人気でした。ものすごい勢いで箸を伸ばしました。煮しめの段はおとなたちに大人気でした。夜になると冷え込んできました。あたたい湯船に浸かってから早目に眠ることにします。