料理ネタ


過去ログ

2014年


・うどんすき

12月25日~30日まで長崎に行ってきた。ベースは長崎市内の家だが、途中、旅行内小旅行をおこない、嬉野温泉、三川内、平戸に立ち寄った。家の前には、藪椿が旺盛な勢いで咲いており、南国だなあと思った。平戸のお寺の屋根には、麒麟の隣に、象の形に似た珍しい動物が据えられており、一体どういう云われなんだろうと好奇心が刺激された。奈良に戻ってきて、簡単にできるごはんは何かなと考え、すき焼き風うどんにした。

 

12月14日は衆議院選挙があった。唐招提寺にお参りしてから投票所に向かった。鑑真和上の時代のご苦労を思えば、ほとんどすべてのことが何のそののように思われる。







実家から送られてきたみかんとお隣さんからいただいた柚子。そして大好きなおうちカレー。しっかり食べて風邪の邪気を追い払った。

 

慌ただしかったので、クリスマスは何もしないでスルーするか、と、途中まで思っていたが、やっぱりそれらしいことはしようと、急きょ飾り付けをした。そういう気合いの抜けたときに限って、ローストチキンがうまいぐあいに焼けるのだな。自分でいうのもなんだが、今まで作ったなかで、一番おいしくできたと思う! お肉屋さんを変えたせいもあるかもしれない。味のしまったいい鶏だった。








ただいま(31日)お節の仕込み中。いいお年をお迎えください。

2014.12.30

・チキンカレーライス
・トマトとモツァレラチーズのサラダ
・春菊とマッシュルームとキュウリのサラダ

元気のでるカレーにした。明日もカレーだ。楽ちんでうれしいな。

2種類の事務書類があって、ちゃっちゃっとやってしまおうと思えば、おそらく、時間的には1時間もかからないはずなのに、なかなかとりかかる気になれない。私のなかの事務仕事に対する抵抗感、自分でもなんとかしたい~と思うのだが、一生治らないような気がする。ばかばか。豆腐の角に頭ぶつけてくたばっちまえ。と、癇癪を起こす前に、風呂に入って気分転換でもするか。

2014.12.11

・ごはん
・大根とわかめの味噌汁
・肉じゃが
・蓮根の塩きんぴら
・春菊とマッシュルームのサラダ

牛バラ肉を使ってひさびさに肉じゃがを作った。甘辛気分。

建築家の奥村まことさんから、本日、かわいらしいいろいろな木の実のイラストつきのハガキが届いた。なんと! ありがたいことに、雑誌『住宅建築』に載った私の書評(土門拳のやきもの写真に関する)を読んだ感想が書かれてあった。
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今ごろ、おかしいけれど、美紀ちゃんの書評を読んだ感想を申し上げます。それは、美紀ちゃんが歩いている足音がきこえるようなものでした。「おや、こんなところに・・・」という歌もきこえてきました。「見つける」ということがだいじだなァ、と思いました。「うつわ」という動かない「もの」が人々の足をとめ、津々浦々の住まいの中に、つくる人と、つかう人の心のまじわりをつくる。空気も人も動いてる。(略)

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うれしいなあ。自宅を設計していただいたご縁を通じて、まことさんからたくさんのことを教わっている。こんな風に私が何かしたらたいていレスポンスをくださる。

そういえば先月も、まことさんは、ミゾホウズキの黄色い小花のイラストつきのハガキをくれたのだった。お返事書こうと思っていたのだが、忙しさを言い訳にそのままになっていた。選挙が終わったら、手紙を出そう。


2014.12.10

・明太子スパゲティ
・サルティンボッカ
・トマトとベビーリーフのサラダ
・昆布漬け大根
・卵焼き(お弁当用の残り)

従姉から届いたお歳暮の辛子明太子を使ってスパゲティにした。明太子スパゲティは、たいていいつも、ここのレシピをもとに作っている。カロリーかなり高めだが、年に一度の贅沢だと思えば、許せる。おいしいが勝ち。家族全員の大好物。

どうも私は前のめりでせっかちな人間なもので、もう頭のなかの妄想は、戦争などの嫌でイヤでたまらない時代を想像して身悶えする時期は過ぎ去り、そこからどうやって立て直していくかを考える時期に入っている。私の想像では、その頃、下の詩を書いたような素敵な男性がたくさん出てくるはず。人を思いやることのできる優しい男性が、今よりももっと多く、世の中にあふれかえっているはず。絶対に今よりはましになっていると思う。

ゆういちろうが将来よい人とめぐりあいますようにと祈りながら、以下、茨木のり子 『誌のこころを読む』 pp.39-40 を抜粋します。

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『ひとりの女に』は戦後出版された、もっともすぐれた恋愛詩集として、評価の高いものですが、今読んでも、少しの古びも感じさせず爽快で、これが敗戦後の、人みな餓死すれすれで、難民のおんぼろ時代に書かれたとは信じられないくらいです。復員兵として南方から帰り、ひどく荒んだ日々を送っていた作者が、一つの恋を得て、生きる力をふたたび取り戻してゆく過程がみずみずしく描かれた連作で、しかもその少女は、

   馬鹿さ加減が
   ちょうど僕と同じ位で
   貧乏でお天気屋で
   強情で
   胸のボタンにはヤコブセンのバラ
   ふたつの眼には不信心な悲しみ
   ブドウの種を吐き出すように
   毒舌を吐き散らす
   唇の両側に深いえくぼ
               (「賭け」)

というぐあいで、特別に美化されていないところが新鮮です。
 幻想ではなく、ありのままの自分を愛されるのは心安らかで、誰しもの願いでしょうが、親以外にはなかなかこうはいきません。一人の少女によって救いあげられながら、同時に、父が娘をみているようなまなざしもあり、男性のそうした二面性を、期せずしてあらわしています。
 ヤコブセンはデンマークの作家で「ここならばバラ咲かむ」という小説があり、当時の作者の愛読書だったのかもしれません。


2014.12.9

・親子丼
・なめこの味噌汁
・青梗菜の炒め物
・キュウリとトマトのサラダ、味噌ドレッシングで
・昆布漬け大根

最近我が家は和食ブームである。

ゆういちろうの大好物の親子丼にした。今日の発見としては、今までひとりひとりを別々に作っていた親子丼の手順の見直しに成功したことにある。たまねぎ(もしくは長ねぎ)と鶏肉を出汁醤油でいっぺんに煮ておく。それをひとり分ずつ子鍋に分け、卵をひとり分あたり1個投入してかき混ぜ、あつあつご飯を入れた丼の上に盛る。そうするとほとんど時間差なく全員分を仕上げることができる。何で今まで気づかなかったのだろう。

親子丼の仕上げに三つ葉を散らすのもおすすめ。鶏や卵から出るわずかな獣臭さを見事に消してくれる。心強いジャパニーズハーブだわ。

2014.12.8

・おでん

我が家のおでんは昆布かつお出汁をベースに、日によって、骨ぶつ切り鶏か牛筋肉のどちらかをプラスして、スープを作る。鶏を使うと和風ポトフの味になり、牛を使うと和風アイリッシュシチューの味になるような気がする。牛筋肉は串刺しになって売られているものよりも、シチュー・おでん用の赤身筋肉を適当に刻んで入れるのがお勧め。よりおいしい出汁が出るよ。

寒い晩はやっぱりおでんが一番!!

2014.12.7

・鮭とキュウリ入りサラダ寿司
・あさりの潮汁、三つ葉を添えて
・春菊と牛肉のサラダ、味噌ドレッシングで
・茶碗蒸し

それぞれ素材の出汁のきいた和食を食べたくて、ひねり出した献立。おいしかった~。サラダにつけた牛肉はこま切れ肉をさっと湯通ししたもの。他の皿とのバランスを考え、風味付け程度に少量出すのがポイント。

最近、たまたま近所のスーパーで見かけて、試しに買ってみた「大阿蘇万能茶」に、もう夢中。こおばしくて大好き。夏の麦茶にとってかわり、食事のときに水代わりにいただいている。珍しいものかと思えば、全然そうではないみたい。普段の生活において心してよく見てみると、この辺のたいていのスーパーのお茶コーナーで大阿蘇万能茶を見かけるので、きっと大人気商品なんだろう。このお茶を飲むようになって、やかんでお茶を煮出す頻度が格段に高まったので、きっと知らぬ間に家族の誰もがごくごく飲んでいるのだと思う。

明日も冷えそうだ。今日のうちに、大根や牛筋など、種も買い込んだし、明日の晩は、あったか~いおでんにするんだ!

2014.12.6

・鶏と牡蠣の水炊き風鍋



昆布出汁に、ほんの少しだけ醤油と酒と塩を足して味付けした鍋を、ポン酢でいただいた。奥丹波の生酒をつけて。沁み入ります。

いい知らせが入ってくる一方で、ええい、イモイモしい奴と一蹴したくなる出来事もある。これから日本はどうなっていくんだろう。私たちはどこに向かっているんだろう。怒るとか呆れるとかという感情を通り越して、おいおい正気なのか?と、ぎょっとする感じ。どう考えても自己統治に失敗した人たちが、国を統治している気分に浸っていると、思われてならない。民への愛情限りなくゼロ。あんたらは子どもか! 大人の責任を果たしてくれ! いい年してなんであんなに稚拙さを全開させていられるんだろうか。本当に迷惑千万。

2014.12.3

・白菜と豚バラの鍋、ポン酢で

 

庭の紅葉もすすみました。昨日はイタチが、2回、目の前を通り過ぎました。いいことあるかも♪
本日、ブルーマンデイの午後は、労働のあいまに気分転換に珈琲をいれ、森からの贈り物がびっしり詰まった、いただきもののケーキをいただいた。至福の時。お茶や珈琲やお菓子のない世界なんて味気ないだろうなあ。

夕飯は、昨日予告したとおり、柚子をしぼって柚子ポン酢の鍋にした。手作りポン酢は、かんきつ系のしぼり汁とだしとしょうゆを1:1:1で混ぜれば、だいたいうまくいく。絞った後の柚子の皮は、ネットにまとめて入れてお風呂に入れれば、香り高い立派な柚子湯に。ひどい風邪をひかずにこの冬を乗り切りたいものだ。

クリスマスケーキを忘れずに予約してとゆういちろうから頼まれた。今年はお母さんが作ろうか?と聞いてみたら、「いえ、おかまいなく」と例年どおりのそっけない返事が。チッ、女心のわからない奴!

2014.12.1

・アスパラガスとベーコンのレモンクリームパスタ
・ローストビーフ
・マッシュポテト
・ニース風サラダ

夫が作ってくれた。レストランになかなか行けない分、外食した気分になるメニューにしたとのこと。昨日は生地からこねてピザを焼いてくれた。本当にありがとう。料理好きの夫をもって私はうれしい。作ってくれたときに日記を書こうかしらというくらい。

 

ふと気づけば、果物を買い込んでしまっていた。カリンを秋田の曲げわっぱに入れたら、いい感じ♪ いい匂い♪ レモンは今晩1個しぼってパスタソースに入れた。レモンクリームパスタ。明日は柚子ポンの鍋にしよう。料理は愉し。美味し糧。

2014.11.30

・白菜と豚バラの鍋
・手作りハム
・なめこのわんこそば

ひさしぶりに家の周りの庭を一周してみると、秋から冬への季節の移り変わりを感じた。もみじの赤とノコンギクの紫の組合せがきれい。ミツマタの根元に植えたヤブコウジの赤い実もかわいい。でも、ただきれいだったりかわいかったりするわけじゃないんだな。庭はやっぱりいいわあ。そして、最近、庭に出る気持ちの余裕もなかったのかと、あらためて自覚した。気をつけよう。

 

 

豚バラ肉が消費期限を迎えたので、白菜および冷蔵庫にある軟弱野菜系を投入して、簡易鍋を作っていた。ところが、仕事帰りの夫が、昨晩から仕込んでいた豚ロースハムと蕎麦が食べたいといい、さくさくと自分で作った。外では食べられない得も言われぬ構成の食卓となった。蕎麦にハムを合わせると、鴨南蛮ならぬ豚南蛮蕎麦のような味となり、意外といけた。

コンタさんのロボット実験をまとめた論文をIEEE系のカンファレンスで発表した修士の学生さんが、なんと! 学部長表彰を受賞した。彼、ものすごくがんばってたもんなあ。めでたい。私もうれしいよ~。この調子で行くぜ。

以下は、11月15日のゆういちろうの誕生日に考えたこと。

とうとう12歳になった。誕生日ケーキに立てるろうそくの数はそろそろ限界か。まあ、来年のことは来年に考えよう(笑い)。

 

誕生日プレゼントは、チェスの盤と駒にした。うちに既にあるチェス盤はプラスチック製の折りたためるやつで、キャンプなどアウトドアでも活躍してきた。が、父親の発案で、これからはお前を大人扱いするぞという意味も込めて、本格的な盤と駒をプレゼントすることにしたのだった。本格的なものとなると、やはり相当値が張り、そのなかでなるべく一番安いものを選んで(それでも我が家としては思いきった買い物)、贈った。本人大喜び。ものすごくうれしいみたい。駒を持ったときの手の感触が全然違うそうだ。道具に対する愛着って、この頃から本格的に芽生えるのだろうか。畳の上でチェスが、日本ならではの光景でしょう?

一方、この日、夕方おもむろに、「おかあさん、ばーんと、12歳のゆういちろう、ダイブしました、みたいになったらどうする?」と聞いてきて、「うわ、ついに、出た~~」と内心どきりとした。生きるとは何か、死ぬとは何かを、ときどきふと考えているみたい。

すぐに思い出すのが、12歳で自殺した岡真史さんのこと。ご両親が彼が生前誌をノートに書きつけていたことを発見し、『ぼくは12歳』という詩集にまとめられた。茨木のり子さんが他人の詩を論じた『詩のこころを読む』のなかにも、大事な詩のひとつとして取り上げられている。


    みちでバッタリ   岡 真史

 みちでバッタリ
 出会ったヨ
 なにげなく
 出会ったヨ
 そして両方とも
 知らんかおで
 とおりすぎたヨ
 でもぼくにとって
 これは世の中が
 ひっくりかえる
 ことだヨ
 あれから
 なんべんも
 この道を歩いたヨ
 でももう一ども
 会わなかったよ


遺書のようなものは何もなく、ただ詩だけ残され、自殺の動機は何もわからないまま。ご両親の気持ちはいくばくか。茨木のり子さんはこの詩について次のように述べている。

「どうして自分は生まれてきたのだろう?などと考えて、まごまごしているうち、からだのほうは、どんどん成長して、今度はまた、わけもわからず生むほうの側にまわっているのです。それはアッ! というまの出来ごとです。
 おさない詩ですが、十二歳の少年の心に、もう異性をおもう心が芽生え、このましい少女(たぶん)に出会ってドキンとし、それは自分にとって世の中がひっくりかえるぐらいの大事件に思われます。また会いたいと思うのに「もう一ども 会わなかったよ」と、きびしいリアリズムで終わっているのが哀切です。自分の存在以上に他人の存在が気にかかり、場合によっては他人のために死ぬことさえできる恋の不思議な仕掛けは、十二歳の作者が直観でとらえているように、ほんとに世の中がひっくりかえるぐらいの出来ごとです。」

これから世の中がどんな方向に進んでいくかは私には分かりませんが、思春期の戸口にたった男の子の気持ちも、きっと私にとって、世の中の動向以上に分からないものになってくるでしょう。おりゃー、逃げも隠れもせんから、かかってこいや~、Let it be to me くらいの肝っ玉ぶり(気迫)を発揮できるかどうかは、正直甚だ心もとないのですが、彼は彼、私は私、ふんわりふわふわ覚悟をもって過ごしていくしかありません。


2014.11.24

・カニのクリームスパゲティ
・白菜と蓮根のポタージュスープ、韓国風
・プレーンオムレツ

実家からボイルずわい蟹が届いたので、スパゲティにして食べた。おいしかった~。オムレツは夫が大皿にどっかーんと大きいやつを作ってくれた。映画「ひまわり」に出てくる、鼻歌をうたいながらオムレツを焼くシーンをイメージしながらとのこと。量が多くて、最後、見るのもうんざりになってきた。これも、映画に似ているような。

女性活用などという踊り文句にだまされてはいけません。女衒(ぜげん)まがいの活動、もう絶対に許せない、き~~~と、ここのところかなり荒れ模様の日々だった。多少暴れたところ(内にこもらず、外に向かって表現したところ)、自分のなかでは、怒りがだいぶおさまってきた。経済格差の是正と文化資本の再配分が急務の課題であることは、誰もが分かっている。そのためには女性の連帯(多様性を認め合ったうえでの)が絶対に必要。だけど、こちらが泣きたくなるほど、ここまでずたぼろに分断されてしまっているものをどうすればいいのか。解決の糸口がなかなか見つからないから、いらいらがつのるのだ。

2014.11.14

・ごはん
・鶏汁(昨日の残り)
・鶏の酢照り焼き
・ポテトサラダ

豚汁の代わりに、鶏をたたいて、鶏汁にした。豚汁と鶏汁どちらもおいしいと思う。

今日は縁あって、本屋の女性誌コーナーで光文社の「VERY」と「STORY」という雑誌をしばし立ち読みした。両者ともだいたい30~40代の女性をターゲットにしていて、前者はおもにママ(主婦)向け、後者は働く女性向けの誌面構成。隅から隅までなるべく丁寧に読もうと努力したので、相当疲れた。うまく言えないが、どよよんとした重たい気分に包まれた。

看板エッセーは、前者は小島慶子さん、後者は林真理子さんのようだ。それぞれの読者女性へエールが贈られている。なんとなく互いを意識しているかのような内容で、このお二人は、昔でいうと清少納言と紫式部のような関係なんじゃないかなと思った。こういうことは、きっと酒井順子さんあたりが書いているんじゃないかと思うけど(あてずっぽう)。いずれにせよ、それぞれに固定のファン層がついてそう。

こういう、関係者で仕事を回し合って自足しているかのように見える閉じた女性サークルに入りこむと、めんどくさそうなことこの上ないので、なんとなく今まで恐ろしくて足を踏み入れないようにしてきたが、もしかしてそれは社会と自分自身の関係に目をそむけることでもあったのではないかなあとも思うようになってきた。

女はタイヘンだ。自分以外のことに興味を持つことを強く禁じられている。それはとても苦しいことだ。これずっとつづけたらビョーキになるぞ。

男の人も男の人で女には分からないタイヘンなことがあるはず。お互いに格好付けずに言い合うことができれば、もう少し風通しのいい社会になると思うのだが、でも、それだと分かった風なことを言って優等生的自己満足して終わりな気がする。その前に私は、まずは女のタイヘンさをきちんと言葉にしていくのが自分の仕事の一つのような気がしてきた。(もちろん今は論文を書くのが最優先ですが、女であることも忘れないようにしないと)

2014.11.5

・バゲット
・ゲシュネッツェルテス
・タコとトマトのガーリックオリーブオイル煮込み
・生ハムと春菊のサラダ

夫が初めてヨーロッパ(チューリッヒ)に行った時に食べて、感動した料理が、ゲシュネッツェルテスという煮込み料理で、結婚してからもたまに作ってほしいとせがまれる。代用品で意外と簡単にできることが分かってからは、気軽に作るようになった。少し肌寒くなってくる頃に食べたくなる。家庭料理というだけあって、経済的でもある。気取っているようで、気取っていない。

10年以上前に、インターネット上で見つけたレシピのページをプリントアウトして、後生大事に見つめてきたが、オリジナルのページがすでに削除されていることが判明。万が一、プリントアウトした紙をなくしても嫌なので、ここにレシピを記しておく。ただし、仔牛肉やマジョラムなど、日本で手に入りにくい素材は使わず、簡単にできるようにしたもの。お試しあれ。

■材料
豚フィレ肉かたまり 400g
玉ねぎ         1個
オレガノ(乾燥)  小さじ1
水          1カップ
サワークリーム  大さじ2
薄力粉       小さじ2
塩           少々
こしょう        少々

■下ごしらえ
・玉ねぎは縦半分に切り、それをまた半分に切ってから、
  1~2cmほどに粗く切っておきます。
・豚肉は7~8mmの厚さにスライスし、軽く塩こしょうしておきます。
・カップにサワークリームと薄力粉を混ぜておきます。
 (とろみをつけるための薄力粉がダマにならないようにするため)

■作り方
1. フライパンにサラダ油を熱し、玉ねぎを炒めます。
2. 玉ねぎがしんなりとしたら豚肉を入れ、軽く焼き色がつくまで炒めます。
3. 豚肉に焼き色がついたらオレガノを加えて軽く混ぜ、すぐに水を加えます。
4. ふたをして5分ほど弱火で炒め蒸しします。
  (煮込みすぎはダメ。肉が硬くなる)
5. 豚肉に火が通り、玉ねぎが半透明になったら火を止め、
  薄力粉の入ったサワークリームを加えて軽く混ぜます。
6. 味見をして、足りなければ塩こしょうし、 もう一度軽く火を通します。
    (煮立てないこと。クリームが分離してしまう)


2014.11.2

・ごはん
・玉ねぎとわかめの味噌汁
・焼きぎょうざ
・スモークサーモン(切り落とし)
・ほうれん草の白和え
・青梗菜の塩炒め

今日はゆういちろうの遠足の日で、明日香村のハイキングに出かけて行った。朝早く起きてお弁当を作ったせいか、ただいま夜9時なのだが、いわゆるねむねむ状態になっている。今日はこれでおしまいにして、思い切って寝てしまおうかなあ。応募していた教員公募に落っこちたし、もういいや、寝てしまえ!! 慣れっことはいえ、嫌なもんですよ、やっぱり。明日から心機一転がんばるのだ。

夕飯は冷凍ぎょうざをメインにして、なるべくシンプルな味付けの副菜をつけた。つぶしたにんにくをサラダ油でじっくり炒め、塩を加えてなじませ、最後にざっと青梗菜を炒めてフィニッシュ。滋味深い味になった。

明日からもう11月である。早いなあ。何か大事な忘れ物をしているような気がしていたが、媒体的認識描画ロボット・コンタさんのドローイングの展覧会が9日までだった。もっと早くお伝えしておくべきだった。私が描いた(描かされた)絵も展示されている。まさか自分がコンセプチュアルアート作品の制作の当事者(といっても自分が制作したかと言われれば、制作していないともいえる)になるとは、人生何が起こるか分からないものだ。よろしければご覧ください。

2014.10.31

・ボンゴレ ロッソ スパゲティ
・コーンポタージュスープ
・ローストビーフ、たまねぎソース
・春菊と水菜のサラダ、味噌ドレッシング

今日は夫婦ともども休暇をとって、のんびりと過ごした。休みの日はたいてい夫がごはんを作ってくれるので、こちらとしては本当にゆっくり休めるので助かる。お昼はお好み焼き、夜はローストビーフ。おいしかった。ありがとう。



昨晩の大雨で、玄関先のバラのこの秋の一番花が散ってしまい、代わりに二番花が元気に咲き誇るようになった。小さくてもバラはやっぱり華やかでいいものだ。

何周もの周回遅れで笑われるかもしれないが、最近急にフェイスブックにはまっており、この日記のほうをあまり書かなくなってしまった。フェイスブック、これまで使い方がよく分からず敬遠していたのだが、使っていくうちに、あ、こういうことかしらと自然に慣れていった感じ。とても面白い。表現したいことがあると、人は積極的になれる! とはいえ、たまに技術的なことで大ボケをかましてしまうことがあるが、どうかお許し遊ばせ。

以下、お知らせです。

雑誌『住宅建築』 2014年 12月号 No.488 に、土門拳の写真集 『古窯遍歴』(矢来書院、1974年)の書評を書きました。現代社会を生きる者が、特殊専門技術の結晶ともいえる、やきものを所有するとは一体如何なることなのか。他人の作ったやきもの作品を撮影して、自分の写真集にした土門拳の仕事を見ながら、考えました。もしよろしければ本屋でお手にとってみてください。

担当の編集者さんから、耳より情報が寄せられました。本雑誌で特集されている竹中工務店の大工道具館は、「超!オモシロイ」らしいです。いつか早いうちに私も行ってみたいと思います。また役者の連載として小劇場(12月号はスズナリ)が紹介されているのですが、webだと魚眼写真が360度体験できることも、おしえてもらいました。誌面とweb、それぞれの媒体の特徴を生かして、複合的によりよい情報を伝えようとしてくれているので、読者としてはうれしい限り。

2014.10.26

・おにぎり一個

アメリカ・サンディエゴで開催された国際会議に参加すべく、1週間ほど家をあけていた。帰宅後、13日は、時差ぼけで夕方から朝まで眠ってしまった。途中、目が覚めて、台風で停電したときのためにおにぎりをたくさん作っておいたもののなかから、1個とって食べた。日本のお米は最高においしい!

アメリカへ出発前に、庭師の三宅洋平さん(庭づくり三宅を主宰)からちょうど電話があり、庭の草刈りと剪定をしてもらった。このタイミングで、庭木の枝を透かしてもらっていて、ものすごく助かった。おかげで大型の台風2つを無事にやり過ごせた。あのままだと檜は倒れていただろうし、ナンキンハゼは自分のうちだけでなくご近所の屋根にもあたって迷惑をかけてしまうところだった。

三宅さんと庭についてあれこれしゃべるのは本当に好きな時間で、毎回楽しみにしている。だけど、今回は、庭の理想を語るより前に、檜の枝に隠れていたスズメバチの巣を何とかしないといけないという、目の前の危険に対処することに意識が向かった。結局、空の巣であることが判明し、事なきをえた。知らぬ間に彼女たちは巣を作って育ち、巣立っていった模様。スズメバチと共存していたことになる。スズメバチの巣の外側は、マーブル模様をしていて、リッチな感じのセーターにでもなりそう。



   

庭はいま秋の空気でいっぱいになっている。青龍という台湾ホトトギスの青は、透き通るほどきれい。柿色や菊の白もシックに決まっております(庭の花については自画自賛でごめんなさい)。南カリフォルニアに咲く明るい花たちもとてもよかったが、日本に咲く花も魅力にあふれている。

そうそう京都の宇治市を拠点にされている三宅さんに、今度お会いしたときにでも聞きたいことができたのだった。宇治市のゆるキャラ「抹茶ョ。」(マッチョ)を考案した首謀者は一体どなたかということを。ちょっと私も今までほんわかしすぎたので、攻めないとね。闘志をもらいました。

さて、今回のアメリカ出張では、ノーバート・ウィーナー生誕120周年を祝う、SMC2014という国際会議に出たのだった。自分たちの発表に対しては、ものすごく手ごたえを感じた。これはもうちゃんとつめて攻めていかないといけない。責任感大。だからこそ、そのためにも勉強が必要だと思った。

例えば、ウィーナーの著作を1冊もまともに読むことなく、通信とフィードバック制御をリンクさせたサイバネティクスを唱えた人、程度の知識しかこれまで持っていなかったことが今更ながらはっきりと自覚された。勉強が足りない。何とかしたいと思った。

正統的に作られた権威は偉大なもので尊重すべきである。権威に盲目的に反発することは恥ずかしいことだと思う。だけど、権威を無条件で受け入れること、権威主義は、もっと恥ずかしいことだ。それは、褒め殺しによる無視であり、知的怠慢である。ウィーナーほどの業績をあげてきた偉人たちの一般向けに書かれた著作を、スルーしてきたのはまずかったのではないか。手始めに、最近みすず書房から復刊された『人間機械論』を読んでみようと思う。

権威を構成している仕組みは何か、それ以外の方法はあるかということを、せっかく生まれてきたのだから、自分の頭で考えたい。古今東西からもたらされた様々な知恵をありがたく拝借しながら。つまり先人たちとああでもないこうでもないと一緒に考えているつもりで、本を読みたい。





なおホテルの前は、ミッションベイという湾岸が開けており、その日の、陽の光のあたりかたによって、様々な表情を見せてくれた。

水や空や土を描くことはすごいことだな。帰国後、PostStudiumPostのnote の続編、「菱田春草を見る」を読んで、東京国立近代美術館でやっている菱田春草展を見に行きたくてたまらなくなった。11月3日までだから、果たしていけるかどうか。うむ...。以下、facebook にも載せたnote の感想文をここにも載せます。

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■ PostStudiumPost note 「菱田春草 を見る」を読んだ。 https://note.mu/poststudiumpost/n/n10ebdb35373c

1898年(明治31年)発表の、菱田春草の「寒林」という作品は、当時極めて新奇な知覚経験であったはずのフィルム写真技術の導入がなければもたらされなかったであろうことが、note の冒頭「0 妙竹林の実験」において提示されていた。有無を言わせぬ説得力のある論で。

私は、ルネサンス絵画の仕組みについて、岡﨑乾二郎さんの著書『ルネサンス 経験の条件』を通じて学んだといえる(本書は2001年,筑摩書房より刊行され、今年2月に文藝春秋により文庫化された)。もちろん学校の世界史や美術の授業や教科書を通じて、「カメラの前身であるカメラ・オブスキュラによって遠近法が発明された」というようなひととおりの項目的知識は与えられたのだが、何を隠そう、肝心の仕組みについては何も理解していなかったのだ。

ルネサンスの絵画は、ご存じのように、解剖学・遠近法・数学・気象学・色彩論等、当時手に入る一連の諸科学の知見とともに生みだされたものである。フランスの詩人ポール・ヴァレリーはレオナルド・ダ・ヴィンチについて次のように語っている。「レオナルドにとって絵画は認識の最高の目標であり、至上の例証であった。絵画は、かれの確信にしたがえば、総合科学を要求していたし、かれ自身いかなる理論的分析をもおそれていなかった。こんにちのわれわれならば、このような分析にたいして、その深さと厳密さのゆえに、呆然と立ちつくすほかはない。」(ヴォルター・ベンヤミン『複製技術時代の芸術』 晶文社 p.144より)

note を読んで、ルネサンスがとても身近に感じられた。近代はきっとまだ続いているんじゃないかな。その気になれば、いつでもどこでもルネサンスな状態でいられるんじゃないかな。岡﨑さんたちとの共同研究がすこぶる面白いのは、そういうことなんじゃないかと、あらためて感じ入ったのだった。新しい芸術、科学技術的刺激に満ちている日々なのだ。(面白さに呆然と立ちつくすだけではだめで、アウトプットしていきなさい、という有言無言のプレッシャーは、その分、日に日に増して感じているのだが…。)

note の構成は、0 妙竹林の実験、1 「考え」を描く、…7 「黒猫」と、全部で8部構成になっている。前回noteのポロックの続編として、どれも夢中になって読んだ。

岡﨑さんは、見えないものを見させてくれる絵画の平面を、「形而上学的(メタフィジック)なもの」と捉えているが、なかでも、6 「落葉」の分析は、非常に腑に落ちた。

菱田春草の「落葉」(1909年)は、物理的世界ではありえない光景を、違和感を感じさせないよう用意周到に描きわけることで、平然と実現させている。これは、言語の詩的機能とも関連がある話ではないだろうか。

こう考えるのも理由がある。それは忘れもしない、2012年10月14日、日本では正倉院の宝物として保管され、幻の楽器となってしまっている伽倻琴(カヤグム)の本物の演奏が聴けるとあって、神奈川県立音楽堂(木のホール)に家族で向かっていたときのこと(神奈川国際芸術フェスティバル「韓国音楽 歌い語るソリの世界-池成子と韓国伝統音楽の名手たち」)。

駅からずっと坂をのぼっていって、いいかげん疲れてきたとき、坂の上に音楽堂があるらしき場所が見えた瞬間、息子が、「おかあさん、すっごい下り坂を上ってるね!!」と私に言った。

前回noteを読んで考えたことともつながるが、主体の視点を一つの所与のものとして捉えれば、「下り坂を上る」現象とは、坂を転げ上るボールのようなトリックか、もしくは、坂の上と下とに分裂した幽霊の視点がもたらす怪奇現象として、受け取られなければならない。

しかし、心臓破りの坂の上にあらわれてきた目的地の建物を見て、「下り坂を上ってるね!!」と、息子がうれしそうに言った時、私はその表現を素直に受け取った。トリックや怪奇的なものとは感じなかった。

「下り坂」は実際には見ることはできない。この言明を理解するためにかかる時間は、京都の坂道には、下り坂と上り坂、どちらが多いですか? という問いがナンセンスであることに気づくまでの時間とほぼ同じだと思われる。実際に見えているのは地面の傾斜であって、上っているか、下っているかということは、視覚的に決定できる話ではない。

「下り坂」と「上る」という発話を並列させても平気でいられるのは、きっとこれは言語の詩的機能の発現であり、おそらくは自由意志という哲学的問題とも深く関わっているのだと思う。少なくとも、人間は「下り坂」に対して、雪崩をうつかのように落ちていくだけの、雪だるまのような物理的(フィジックな)存在ではないはずである。今ではもう、悲鳴をあげるかのように、そう信じたい。

まだ見ぬ絵に対してここまで思い入れを持つのは初めてである。「落葉」を実際に目の当たりにしたとき、果たして私は、どのように感じるのだろうか。未来の自分は自分でも予想がつかない。

■ このポストには、誤解が生じやすい、表現の欠落があったので補足します。(勢いのまま書いていて、前提条件が抜け過ぎでした)

『ルネサンス 経験の条件』では、ダ・ヴィンチの遠近法の方法は、「一壁面、一空間、一場面」と、1つの主観や感情にとりまとめる、トリッキーな(後のイリュージョニズムにつながる)ものとして、理論的かつ批判的に検討されています。

つまり、私が感じている面白さは、「一壁面、一空間、一場面」の原則の呪縛から解き放たれていく感覚です。その見えない呪縛があまりに強かったので、ときどき呆然としてしまうほどだ、ということです。

むしろ重要なのは逆遠近法の仕組みだったということを、本書から教えられたのでした。それは、岡﨑さんの他の論考でも主張されているように、差異や分散をよろこびをもって肯定する態度ともつながります。

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2014.10.13

■9/26
・ごはん
・シュークルート
・春菊のサラダ

実家から塊ベーコンとソーセージが届いたので、シュークルートにして食べた。手間はかからないが、単純に煮込み時間がかかる料理。今晩は夫におねだりをして、白ワインをつけた。

新しい場所で非常勤講師の仕事が始まった。「人間行動学」という授業を担当。私たちが行動を起こすときに依拠する価値観とはいったい何に制約されているのか、これから考えていきましょうとガイダンスした。前の先生の意向も引き継ぎながら、あの有名な、Joshua Bellの実験のビデオを見せると、みんな熱心に映像を注視していた。1枚150ドルもするチケットを即日完売するほどの人気バイオリニストが、軽装して、3億5千万円相当のストラディヴァリウスで地下鉄入り口で独奏。だけどほとんど誰も彼の演奏に注目せず、通り過ぎていくだけ....。

授業後、残った学生さんと立ち話。授業では、ひと言も「美」には触れなかったのに、先生は美についてどう思いますか?と、いきなり直球質問。デザインと芸術の違いについても質問された。参考文献を聞かれたので、質問の趣旨と少しずれているかもしれないが、ベンヤミンの『複製技術時代の芸術』を挙げた。健闘を祈る。



ゆういちろうは夏休みの宿題にやる気が出ないとき、ドラえもんの秘密道具の「そうなる貝セット」のなかの「やり貝」があればきっと自分もやる気が出るはずと言って、小さな貝殻を自分の背中くっつけてくれと私に頼んできたことがあった。本物の貝を貼り付けて、知らぬ間に割れてしまったときはガラス並に危ないと思って(背中からベッドにスクリューダイブしたり、突拍子もないことをすることがあるので)、やる気が出るようおまじないをかけたお札を背中に貼ることにした。当時は意外と効き目があったのだが、今はすっかり忘れ去られて、他の書類と一緒にテーブルの上で眠っている。


■9/27
・スパゲティ・カルボナーラ
・シュークルート(少々)
・タンドリーチキン
・エビチリ(お弁当の残り)
・春菊のサラダ、味噌ドレッシングで

ゆういちろうの小学校最後の運動会。金木犀の香りがどこからともなく漂う、気持ちのよい秋晴れだった。朝からお弁当づくりに精を出した。夕飯は、残った巻きずしの具を刻んでサラダに散らしたり、お弁当の残りものを適宜アレンジした。私としてはそれだけで済ませる予定だったが、つまんでいるうちにいろいろ食べたくなって、夫がスパゲティやタンドリーチキンを作ってくれた。

 


■9/28
・ごはん
・おでん
・パプリカのトマト煮込み(お弁当の残り)

前日出し忘れたお弁当の残り、どっかーんと作ったパプリカのトマト煮込みと、おでんを合わせるという、自宅ならではの食事。おでんとトマトはどういうわけか相性がいい。今晩のおでんのだしは、昆布とかつおと牛すじ肉でとった。おいしかった。

この前買ったサボテンの頭がなんだかぼわーんと変な感じと思っていたら、あれよあれよという間に、新しいコブが誕生した。バッタかカマキリか怪獣みたいな植物だな。



PostStudiumPost のnote の感想の続きを書いた。「官能」について。立場の異なるものたちが、お互いに気持ちよく過ごすためには、官能の作法を知る必要があるなあと思いながら書きました。fecebook と同じ文章をここにも載せます。

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PostStudiumPost|note(ノート)「絵画への抵抗-vol.1 ジャクソン・ポロック」 https://note.mu/poststudiumpost/m/m76d8aefabf9f
の感想のつづき。

note の論考に刺激され、今回は「官能」について考えてみたい。

岡﨑乾二郎さんたちとの共同研究で開発した相対運動ロボットのミディさんとコンタさんや、最近復興させたポルターガイスト型ロボットのデクノボ(2007年初演)と触れあっていると、非常に独特な不思議な昂揚感、自分が今どこにいるのか一瞬わからなくなる浮遊感を味わうことができる。

note 『ジャクソン・ポロック再考』解題 岡﨑乾二郎インタビューを読んでいて、ミディさんやコンタさんやデクノボと触れあうときの感覚を、「官能的なとてもいい気分」だと、これからは堂々と言うことができる! と思った。晴れ晴れとした気持ちになった。

官能というと、卑猥な性交描写のなされる官能小説など、真昼間に語ってはいけないイヤラシイもののようにどうしても思いがち。あるいは、その反動からか、愛のある官能的交わりは人類の存亡にもかかわる崇高な(高尚な)行為であり、卑俗な言葉や偶像で侵すことなど許されまじ、というご意見もあったりする。どちらせよ、「官能」という言葉は、中途半端に口にすると、いろいろな面倒ごとが全方向からふってわきそうな言葉であった。少なくとも私にとっては。

わいせつ論争など耳にしても、ポルノか芸術か、卑猥か高尚か、汚いか美しいか、など、勝手に固定された評価軸のなかの、どの辺に当てはまるかを言い当てよ、と命令されているような気がして、本当にうんざりしていた。誰かの都合のいいように設定された一元的な評価軸なんて、世界を貧しくしてしまう元凶の一つだと思うから。

官能は、卑猥なものでもないし、かといってとりたてて崇高なものでもない。

岡﨑さんは、note において、マチスの絵のもつ官能性の秘密の構造を次のように解き明かす。そして、その構造を装置化しようと、ここのところ研究中であると。つまり、note の論考から読みとれるのは、一元的な評価軸を与えないで、官能の仕組みをできるだけ正確に捉えてみようとして開発されたのが、ミディさんやコンタさんやデクノボたちだということ、である。



図10 Henri Matisse Artist and Model Reflected in a Mirror 1935


「マティスは絵を描くときに、モデルと異様に近い距離で描いていたことで知られていますが、このドローイング(図10)で実際にマティスがいたのはドローイングの手前。左下にまさに今彼が描いているドローイングがある。この手前に彼の手があったのですね。つまり、この場所にドローイング、マティスの身体、モデルは距離が接近し重なるくらいのところにいたということでね。が、絵の一番奥、向こうにおそらく鏡があって、そこに絵を描くマティスもモデルも映っている(実際はこれも描かれている)。その鏡に映っているマティスの姿と手前の大きなモデルの距離が絵に距離を作り出している。」(note 『ジャクソン・ポロック再考』解題 岡﨑乾二郎インタビュー より抜粋)

「つまり最初に空間があり、距離があり、そして時間があるのではなく、マティスの絵はモデル、絵、画家という三者の距離が無化されて、一つに重なりあっている場所が最初にあって、その折り畳まれた関係を展開したときに距離が産み出される。最初に空間と時間が一カ所、モデルと画家と絵が重ね合わされる場所として畳み込まれていたわけですね。そこから空間と時間が引き出される、展開する。そんな風にできている。鏡像、絵画、実際の対象、画家といった現実性における階層の差はここではそれほど重要ではない。それらがネットワークとして折り畳まれたり、展開したり、伸縮自在になっている関係こそが示されているともいえますね。だからマティスの絵は視覚的なものというより、視覚的には分裂し、飛散してみえる複数の像がにもかかわらず、触覚的に統合されているというか。それがマティスの絵のもっている独特の官能性の秘密かも知れません。」(同じく、note 『ジャクソン・ポロック再考』解題 岡﨑乾二郎インタビュー より抜粋)

マチスの絵(ドローイング)を眺めていて、ふと思い出したのが、川端康成の短編集『掌の小説』におさめられた「バッタと鈴虫」という小説である。わずか6ページにも満たない文章だが、官能の萌芽が丁寧に描かれ、絵のような小説だと思った記憶がある。

文学と絵画がどのように互いに交わりながら、新しい表現を模索してきたかということは、四谷アート・ステュディウムの絵画ゼミでも取り上げられたテーマであったし、おそらくPOST STUDIUMでもいつか議論されることのように思う。この辺、とても大事なことだと思うし、説明をし始めたら、やたら長くなりそうなので、後日あらためて別便でポストします。


2014.9.26-28

・ごはん
・蓮根の味噌汁
・鶏のスパイス焼き、蓮根ソテー添え
・じゃがいものグラタン
・春菊のサラダ

ゆういちろうのリクエスト通り、今日は朝晩ともご飯に味噌汁をつけた。熊本でとれた早生の蓮根がおいしい。和風洋風どんな味付けにも対応してくれる懐の深さ。最近手をかえ品をかえ食べている。オーブンに皿ごと放り込んで焼いたものをうちでは何でもグラタンと呼んでいるが(つまりよい意味での手抜き料理)、一品何か加えたいときに本当に助かる。フランスのお母さん(お父さんも?)、便利な調理法をどうもありがとう。

四谷アートステュディウム閉校後の新しい活動拠点として、東京・国分寺にPOST STUDIUM / urizen という場所が開かれた。https://twitter.com/POSTSTUDIUM

また、PostStudiumPostは、「芸術、美術を論じるプラットフォームとしていかなるメディアが最適か実験」するための試みの一つとして、note 「絵画への抵抗-vol.1 ジャクソン・ポロック」 を配信した。

遅れ馳せながら、拝読してみると、それが、なんとまあ、とても素晴らしかった。note は今までにない可能性が広がるタイプのメディアだと思う。遠く離れていて、講座に直接参加できなくても、note を通じて勉強できる。芸術、美術だけでなく、研究や教育や出版に携わっている方々も、どのような感じなのか、まずはお試しあれ。以下、facebook にも載せた感想文を一部修正して(けっこう右左ごっちゃにまちがっていて...)、ここにも貼り付けます。

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ただいま、岡﨑乾二郎さん、辻田勝吉さん、木原進さん、石川卓磨さん、高嶋晋一さんらと共著で、某雑誌に包囲空間に関する論文を投稿中。その論文では、ポロックやギブソンのことに触れ、遮蔽縁の奥行き知覚や空間表現について検討している。論文には、聞き書きした岡﨑さんの言葉がいっぱい埋め込まれていて、自分で言うのもなんだが、共著にふさわしい論文になったと思う。本物の共著。採択されるといいな。

PostStudiumPost|note(ノート)「絵画への抵抗-vol.1 ジャクソン・ポロック」 https://note.mu/poststudiumpost/m/m76d8aefabf9f

このnote には、論文で全部取り上げることのできなかった空間表現をめぐる論考が、さらに豊富な出典事例も追加されて、のびやかな広がりをもって展開されていた。ギブソンやマッハも登場。美術の世界の問題だけでなく、知覚心理学や認知科学を研究する人間にとっても非常に勉強になる。これで540円は本当に安いと思った。関連する論考が今後も出てくれば、随時ここに更新され、追加料金なしに読める仕組みだそうだから、お得感が大きい。

投稿中の論文に直接関わる内容ばかりではない。note を通じて、個人的に新たな発見ももたらされた。それは、左、右の問題。車体や馬の進行方向を、右向きにするか左向きにするかで疾走感が違うというもの。私が誰にしゃべるわけでもなく自分の中で密かに抱えていた長年の疑問を解くヒントが、noteによって与えられたと思った。

私の疑問とは、焼き物に描かれた魚の文様の頭の向きのこと。私が特に気に入っている焼き物のおサカナは、なぜかたいてい頭が右向きに描かれている。左向きに描かれているのより、躍動感やら生き生きとした感じを覚えるのは、どうしてだろうという疑問。車の写真の問題と同じ。

note全体を読み進めることで、この、方向に関する偏好性は、魚や車単体ではなく、その周りを包囲している時空間の流れも一緒に知覚しているからこそ起こる事象ではないかということに思い至った。

時間の矢の向き(X軸の向き)は、たいてい左から右へ流れるように描かれる。ゆえに、頭を左に向けている車は、風の流れに対向(抵抗)して、車輪は動いているが、同じ場所に留まっているように見える。それに対して、頭を右に向けている車は、流れにのって、一気にびゅーんと疾風のごとく移動している途中の姿であるかのように見える。

焼き物に描かれた魚となると、話の次元が1つ上がる。ろくろを右回り(時計回り)にまわすか、左回りにまわすかによって話が違ってくる。制作プロセスが関わってくるからだ。頭が右向きに描かれた魚が、周囲の流れに沿って(削られて)きれいな流線形が描かれているから好ましく感じたのか(右回り)、それとも流れに乗ってびゅーんとのびやかに突き進んでいる様を好ましく感じたのか(左回り)。少なくとも二つの可能性がある。そういう観点で物事を眺めたことがなかったので、どちらなのか自分でも分からない。好奇心全開。ぜひ調べてみたい!!

右回り、左回り問題は、絵巻物の読み方にも応用できると思った。絵巻物が美術館などで展示されるときは、横一面にばーっと広げられているので、人間のほうが、右から左へ移動しながら読み進めていくことになる。この経験に囚われると、ついうっかりして、西洋=横書き=左から右への時間の流れ、東洋=縦書き=右から左への時間の流れ、と2項対立的な問題にして、話を無駄にややこしくしてしまいがち。でもこれは、主体の位置をアプリオリに固定してしまっているからこそ起こる偽問題だということ。

巻物を読む時は全部広げて読むのではなく、自分の身体は動かさず、むしろ紙のほうを左から右へ巻きあげながら読んでいくのが普通の読み方のように思う。つまり、西洋や東洋の時間感覚の違いというよりは、場の上に描かれた物体が左から右へ移動することで時間の流れを表すのと、「場面」自体が左から現れて右へ消えていくことで時間の流れを作ろうとすることの違いを指しているように思う。

回転方向が右向きか左向きかは相対的な問題だということは、走馬灯や回転のぞき絵(ゾエトロープ)が映画の原理に受け継がれていった経緯からも明らかなような気がする。とはいえ、時間の矢の向き(X軸の向き)が、たいてい左から右へ流れるように描かれることそれ自体が、不思議といえば不思議….。まあこれは天体運動とも関わってきそうですね。北半球の上に生まれたからそう見えているだけなのかもしれないし。魚の向きという、他人からみればとるに足らない小さなことから宇宙の問題にまで、私の思考は広がっていきました。

note のおかげで、思考がびゅーんと進んで気持ちよかったり、ぴたっと止まってふいに思索にふけったり。noteでは古今東西の文物にネット上でリンクが張られているので、考えるヒントが網目状に広がっていく。POST STUDIUM に触れると勝手に頭が活性化して、頭が喜んでいるのが、自分でもわかる。自分の考えが、正しかどうかを先回りしてびくびく気にする必要なし。研究には、特権的な立場が保証されている先生なんて誰もいないのだから。まずは論考に刺激され、自分の頭で考えることが大事だなあと思った次第。他にも感想はあるのですが、長くなるので、続きは別便で。


2014.9.24

・ミートソーススパゲティ
・オムレツ
・春菊とマッシュルームのサラダ
・トマトとバジルのチーズ焼き

夕ごはんは何食べたいと聞いたら、ゆういちろうはご飯と味噌汁の普通のごはんがいいと言った。が、父親のリクエストにより、オムレツとミートソーススパゲティにした。明日の朝はご飯と味噌汁にするね。食後にいちじくか葡萄をだすつもりだったが、うっかりしていて忘れた。

もし私にちいさな娘がいたら、七五三にはやっぱり自分の着た着物を着せたい。だけどもし本人がお色直し(!?)に乗り気になったら、このチマチョゴリも着せてみたい。セットン・カラーがとにかくかわいい。黒髪の女の子によく似合うと思う。マリーアントワネットが離宮で好んで着たようなシュミーズドレスの少女版も着せてみたい。アルハンブラ宮殿でイスラムの女の子たちはどんな衣装を着ていたのか知りたい。きっとすばらしい色彩のものだったに違いない。女の子だったら、世界中のいろんな民族がそれぞれ工夫してきたかわいらしい衣装を一度でいいから着てみたいと思うんじゃないかなあ。世界中のおいしいものを食べたいように。

おいしいものやかわいらしいものはみんなが大好き。お互いの友好の証として、交換(交歓?)しながら楽しみたい。決して欲張らず、お互いを大切にしながらね。これって世界中の人々の夢じゃないかな。誰かの都合で線引き、分断して、いがみ合うように仕向けられるのは、まっぴらごめん。自ら好き好んで囚人服を着るようなものだし、和食は確かにおいしいが、和食しか食べられなくなるようなもの。甚だ遺憾。モノトーンの世界には住みたくない。

2014.9.23

・ごはん
・豆腐と玉ねぎの味噌汁
・野菜餃子
・蓮根のグラタン
・トマトとモツァレラチーズのサラダ
・ルコラ

肉や魚は食べたくないが、かといって御浸しや煮しめ類であっさりしたくもなかった。いささかめんどくさい食欲を持て余していたが、チーズ(乳製品)でつなげばいいと気づいて、組み立てた献立。夜遅くお腹をすかせて帰ってきた夫の胃袋をそこそこ満足させ、揚げもの系で胃もたれさせる心配もなし。

茨木のり子熱がとまらない。またもや、ゆういちろうに贈られたものを拝借して、今度は、茨木さんご本人が他人の詩を評した『詩のこころを読む』を読む。以下は、岩波ジュニア文庫の60~64ページより引用。

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 日本の女歌は『万葉集』以来、すべて恋歌といってもいいくらい、連綿とつづいてきました。それらは、日本語の歴史に艶を与え、意味に意味をだぶらせて、あえかに美しく、遠まわしに憶(おも)いを伝える洗練された伝統を育てました。そういう良さ、ありがたさがある反面、強い男性にからまりつく蔦のように、あまりにも、なよなよ嫋々(じょうじょう)として、いささか情ないという一面も持っています。
 その反動だったかもしれませんが、戦後、恋唄は女のひとによって、あまり書かれていません。恋のみが人生にあらず、今まで押えつけられてきたものを撥(は)ねのけ、ともかく自分の言葉を! それを探りだすことの方に力点がかかってきたのかもしれません。(中略)
 (中略)いにしえの恋歌は「わたしをもうお見限りなのね、あんまりですわ」というのが圧倒的に多いのですが、私が選んだ現代のものは、あくまでも男性と対等で、しっかりと自分をもっている手ごたえが感じられ、やはり質の変化は見てとれます。


    海鳴り     
             高良留美子

 ふたつの乳房に
 静かに漲(みなぎ)ってくるものがあるとき
 わたしは遠くに
 かすかな海鳴りの音を聴く。


 月の力に引き寄せられて
 地球の裏側から満ちてくる海
 その繰り返す波に
 わたしの砂地は洗われつづける。


 そうやって  いつまでも
 わたしは待つ
 夫や子どもたちが駈(か)けてきて
 世界の夢の渚(なぎさ)で遊ぶのを。

      ――詩集 『見えない地面の上で』


 (中略)
 女の生理現象、結合、生殖も、卑猥に語ろうとすればどこまでも卑猥にすることができるし、この詩のように、どこまでも涼しく高い次元であらわすこともできる変幻きわまりなさです。
 (中略)
 女にとっては嫌悪でしかない月の満ち欠けに、作者は清々(きよぎよ)しい夢を託していて、このように感じている女性が一人いるとわかったことで、私たちの感じかたは変貌をよぎなくされ、一つの深い経験が加わったことになるのでした。そしてまた、女がみずからを卑(いや)しめるときは生むという行為も、どこまでも堕落し崩れさってゆくだろう・・・・・・という、語られていない言葉が、この詩の背後から聞こえてくるようです。

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この言葉を、本日出産されたであろう友人に贈ります。


2014.9.22

・ごはん
・じゃがいもと玉ねぎの味噌汁
・豚しゃぶとたっぷり水菜のサラダ風、味噌ドレッシングで
・からし明太子
・白菜キムチ

ごはんのすすむ献立にした。味噌に細かく刻んだたまねぎとニンニク混ぜ合わせ、しょうゆ、ごま油、みりんで溶いた「味噌ドレッシング」が、最近我が家で大ヒット、万能化している。春菊とオクラのサラダにも合うし、茹でた肉や蒸した肉にも合う。

茨木のり子さんの詩集『落ちこぼれ』は、もともとはゆういちろうに贈られたものだが、僭越ながら拝借し、目下、私の机の上にある。知や学を前にして、私は謙虚な姿勢で臨みたい。知や学それ自体は大きな力を持つことがあるかもしれないが、人間である私が初心を忘れ、自己の利益や欲望のためにそれらを使ってはならないと考える。当たり前のことだが、最近物忘れがはげしいので、記しておく。


  知

   H₂Oという記号を覚えているからといって
   水の性格 本質を知っていることにはならないのだ

   仏教の渡来は一二一二年と暗記して
   日本の一二〇〇年代をすっかり解ったようなつもり

   人のさびしさも 悔恨も 頭ではわかる
   その人に特有の怒髪も 切歯扼腕も 目にはみえる
   しかし我が惑乱として密着できてはいないのだ
                     知らないに等しかろう

   他の人にとっては さわれもしない
   どこから湧くともしれぬ私の寂寥もまた

   それらを一挙に埋めるには 想像力をばたつかせるよりないのだろうが
   この翼とて 手入れのわりには
   勁(つよ)くなったとも しなやかになったとも 言いきれぬ

   やたらに
   わかった わかった わかった と叫ぶ仁(ひとし)
   わたしのわかったと言い得るものは
   何と何と何であろう

   不惑をすぎて 愕然となる
   持てる知識の曖昧さ いい加減さ 身の浮薄!
   ようやく九九を覚えたばかりの
   わたしの幼時にそっくりな甥に
   それらしきこと伝えたいと ふりかえりながら
   言葉 はた と躓き 黙り込む


しいんとした沈黙の時間を大切にしたい。しかし、それはまことに自発的な沈黙である。私のなかで新しい言葉が産まれてくるために必要な静かな時間である。他人から黙れと言われたから、口をつぐむべき類のものではない。おしゃべり禁止令が出たって、私たちは自由に言葉を交わすことができる。


  詩集と刺繍

   詩集のコーナーはどこですか
   勇を鼓して尋ねたらば
   東京堂の店員はさっさと案内してくれたのである
   刺繍の本のぎっしりつまった一角へ

   そこではたと気づいたことは
   詩集と刺繍
   音だけならばまったくおなじ
   ゆえに彼は間違っていない

   けれど
   女が尋ねたししゅうならば
   刺繍とのみ思い込んだのは
   正しいか しくないか

   礼を言って
   見たくもない図案集など
   ぱらぱらめくる羽目になり
   既に詩集を探す意志は砕けた

   二つのししゅうの共通点は
   共にこれ
   天下に隠れもなき無用の長物
   さりとて絶滅も不可能のしろもの

   たとえ禁止令が出たとしても
   下着に刺繍するひとは絶えないだろう
   言葉で何かを刺しかがらんとする者を根だやしにもできないさ
   せめてもとニカッと笑って店を出る


2014.9.15

・バゲット
・トマトとパプリカのポタージュスープ
・スペアリブの3種の酸味ソース
・茹でいんげん
・キウイ

昨日は和食、今日はイタリアン。酸味の効いたものが欲しかった。スペアリブは、レモン汁とオレンジジュースとバルサミコ酢で煮込むという、ジローラモさんのレシピを参考に、夫が作ってくれた。

食後に大友克洋さんの『AKIRA』(映画)を観た。つい最近、8月9日にも観たけど、また観たくなった。8月に観て以来、我が家で口癖のように出てくるセリフが、キヨコの「未来は一方向だけに進んでる訳ではないワ…私達が選択出来る未来もあるはずよ…」である。家族のなかで一番キヨコのモノマネがうまいのが私。今晩観たので、余計に強化されそう。アキラは阿修羅みたいな顔をしてたな。本当の阿修羅の顔なんて誰も見たことないのに、なんでそう思っちゃうんだろう。考えてみると不思議だな。

2014.9.14

・ひき肉入りカレーライス
・きゅうりとハムと春雨の酢の物
・茹で卵と春菊のサラダ、マスタードドレッシングで

元気が出るカレーにした。ドレッシングの配合をいつもと違うようにしたら、とろんとまろやかな気に入った味に仕上がった。砂糖を隠し味程度にほんの少しだけ入れるのがポイントのような気がする。

昨晩と今晩、夕食後、庭に出て、月を見た。とてもまあるく大きくあかるい月が出ていた。月影がくっきりと地面に映っていた。そんなに自覚がなくても、満月のあかりをたっぷり浴びたということなんだろうな。太陽が出ているときとは全然違う感覚。太陽は熱いもの。

昨晩は月を見た後、私がベートーベンの『月光』を聴こうと提案したら、我が家の男性陣から、それはベタすぎるだろうといったん却下され、代わりにゆういちろうが雅夢の「愛はかげろう」を聴きたいとを言った。小学生にしては選曲が激しぶすぎ。きっと父親のiPodに入った曲をしょっちゅう盗み聴きしてるんだな。結局、多数派の論理に押し切られ、一番最初に「愛はかげろう」をみんなで聴いた。

今晩はなぜか、男性陣ふたりのあいだで、クラプトンの「ワンダフル・トゥナイト」をかけながら、微妙にかみあわないトークが繰り広げられた。

父が息子に、女の子に臆面もなく You look wonderful tonight, You were wonderful tonight ぐらい言えないと、モテないんだぞ、ちくしょーと語りかけ、きょとんとしているゆういちろうに、こんな気障な言葉をしれっと言えるのはアングロサクソン人だよ、日本人で言えるのはせいぜい松岡修造ぐらいだとたたみかけた。ゆういちろうは、松岡修造が悪く言われたと思って、「僕は松岡修造は嫌いじゃないよ。というか僕、結構好きだよ。だって太陽みたいな人なんだもん」と強く彼を擁護。「いや別に俺も嫌いなわけじゃないけどさ」と夫、「そうね、ときどきイラっとくることを言うけど、なんだかんだいって憎めないから、言われてみれば、実は私も好きなほうかも」と私。いつの間にか、場の空気が彼一色に染まっていた。

2014.9.9

・鶏ちゃんこ鍋
・〆うどん

日中は蒸し暑いが、朝晩はだいぶひんやり涼しくなってきた。今季初の鍋にした。しみじみとおいしかった。真夏は絶対に鍋なんて食べたいと思わないので、やっぱり秋が来たんだ。

懸案だった書評原稿を脱稿して、今もなんだかふわふわしたヘンな気分でいる。この日記を偶然見つけて読んでくださっていた、ある雑誌の編集者さんが声をかけてくれた話だったので、がんばります!!とすこぶる張り切った。

ナマイキにも土門拳の『古窯遍歴』という写真集を評したのだが、随筆もいくつか収められていて、そちらも興味深かった。「精力減退した老人の玩具(おもちゃ)」にしか見えないと、大嫌いだったやきものを、様々な出会いを契機にだんだん好きになっていく過程が描かれている。

やきものが悪い人に弄ばれる危険性が高いのであれば、幼女や御稚児さんたちも十分にその危険性がいっぱい。世間にもアブナ写真がいっぱい溢れかえっているなかで、被写体の尊厳(人権)を保って、表情を写し取るにはどうしたらいいのか。ゆういちろうや私の子どもの頃の写真を見ながらしばし考えてしまった。少なくとも私は誰かのおもちゃなんかじゃなかったぞ!! ゆういちろうもおもちゃにした覚えはないぞ!! 

 

2014.9.5

・ごはん
・蓮根とたまねぎの味噌汁
・鶏のソテー、きのこソース
・トマトのチーズ焼き
・がんものさっと煮

  

あんなに暑かったのに、早いもので、庭は初秋の雰囲気をまといつつある。玄関先の萩は小さな花をいっぱいつけて気持ちよく枝垂れ、食堂脇のツリバナの実が赤く染まり始め、根元では白いヒガンバナが咲いている。

昨日は九州よりお友達のAさん来る!! ひさびさにお会いできてうれしかったな。女性研究者というつながりだけでなく、教育や子育てのことなど、共通の話題がたくさんあり、自分のなかですごく視野が広がった。今度会うときはお互いにどうなっているんだろう。最近、といっても3.11以降なんだけど、人と会うと別れ際はなんだか切なくなることが多い。どうか達者でね。



Aさんはお子さんが独立したあとは、もう一軒家を建てたいという。実は私たちも、高原に別荘(といっても豪華なやつではなくて、ロシアのダーチャみたいなの。万が一のための避難所も兼ねて)が欲しくなり、先立つものはなにもないというのに土地を見て回っている。

上の写真は、想像のなかではすっかり自分のものになっている、有力な候補地のひとつ。一段高くなっていて下はレタス畑。眺めがとってもいい。食も豊かな土地で、ひもじい思いはしなくて済みそう。こういう夢みたいなことをふわふわ考えている時間は、とても楽しくて好き。

今晩の食事は、夫婦で台所に立ち、あうんの分業制でトータル1時間ほどで作った。他にやることがいっぱいあるから、とにかく、てきぱきてきぱきやっていかないと。

2014.9.4

・焼きビーフン
・中華風卵スープ
・中華風きゅうりと春雨の酢の物
・いろいろ根野菜の煮しめ(昨日の残り)



庭のひょうたんぼく、もう随分前にですが、今年もかわいらしい赤い実がなりましたよ。秋になったらパーティを開きたいなあ。ただいま庭は、やぶ蚊天国で、安心、安全というわけにはいかないから、もう少し涼しくなるのを待ってから動き出しますね。

お盆に、弟家族と一緒にキャンプをしたのも、ずいぶん昔のことのよう。楽しかったなあ。2年ぶりに女子会も企画しました。赤ちゃんが無事に元気に生まれますように。

とはいえ目下、たくさんの締め切りを抱えていてやたら緊張感ある日々を送っている。直近では、8/31, 9/1 に修正論文1本、学会発表論文1本、書評1本の計3本。書評予想通り難航、明日にはなんとかせねば。6月末締め切りの本の原稿(英語)、不義理を更新中(あともう少しまできています。ごめんなさい)。9/20までに本の原稿(日本語)の目処を立てる。夏休み明け(9月中)を目処に博士論文原稿(第4稿)を仕上げる。書き出すと、プレッシャーで押しつぶされそう....。

一方、夫より朗報が入った。9/19のデクノボのデモに向けて、ロボットの調整を進めていて、ぐんと精度がよくなる兆しが本日あったとのこと。こっちまで元気が出たぞ。音もなくすべるように動き、キレをもって方向転換する。なめらかなこと氷のごとし、するどきこと針のごとし、だそうだ。早く現物を見てみたい。今まで誰も見たことのないすごい舞台がここから生まれると思う。その日が来るのが一番の願い。何年かかるか分からないが、大切にその日までを過ごしたい。

デクノボは本当に不思議なロボットだ。改修担当の大工大チームの惜しみない愛情のかけ方には、ぐっと感じ入るものがある。デクノボに触れる人の心に愛があると、デクノボを映像を通じて見たときでも、どういうわけかその愛は私のほうにも流れてきて、心の琴線に触れる。まるで人間みたい。ほら、心に愛がない人から、どんなに優しくされようとも、何も感じないでしょう? デクノボではその逆のことが起こっている。

今晩の夫の料理は作ってくれた。ひさびさの中華だった。おいしかった。ありがとう。明日はゆういちろうの空手の昇級試験があって、朝早く出発する必要あり。ちゃんと起きられますように。その後は、もちろん原稿書きだ。

2014.8.30

・ごはん
・豆腐とわかめの味噌汁
・春雨とひき肉のピリ辛炒め
・焼き餃子
・具たくさん野菜のサラダ

いかした感じのサボテンを花屋で見つけ、衝動買いをしてしまった。消費税込で848円。節約中の身だけど、許されるよね。悲しいことがあると普段より棘がたくさん生えてきて本物のサボテンになってしまうサボさんのように私はなりたい。



 



台風の日は、いざというときのためにごはんを多目に炊いておいた。ゆういちろうが塩むすびを握ってくれた。誰かが作ってくれたごはんは余計においしく感じられる。私は、朝ごはんにフレンチトーストを作った。普段の朝ごはんはごはんに味噌汁派だが、休みの日だから気分を変えたかった。メープルシロップがうちにはないので、はちみつとバターでいただいた。今晩の夕ごはんは夫が作ってくれた。おいしかった。いつもありがとう。作りたい人が手を挙げて臨機応変にごはんを作っている夏休み。

バルセロナから船便で葉書が届いた。クレイジーキルトのようなタイルのモザイク作品、おそらくガウディのものだと思われる。うっとり見入ってしまった。いつか本物を見てみたいなあ。

写真の説明中心のとりとめのない日記になりましたが、今晩はこの辺で。

2014.8.14

・オムライス
・ミネストローネ
・スパイシー・チキン
・春菊とマッシュルームのサラダ

台風が来る前に、シーツを洗って、干した。一日中、外は蒸し蒸ししていたが、ちゃんと乾いた。夕方になってから雨がぽつぽつ降り始めた。うまいこと逃げ切った感あり。ちなみに、うちではファブリーズを使ったことがない。気になるところにシュシュッと吹きかければオッケーというようなコマーシャルをテレビでよく見かけるが、寝具はパリッと乾いていてほしいという気持ちが強いので、わざわざ湿らすという行為がどうしても受け入れ難し。水道代の節約になるのかもしれないが、でも、ねえ。

今晩も夫が夕ごはんを作ってくれた。ありがとう。一日のうち1~2時間ほど深く集中して料理をするのは、気分転換になって、心にも体にも仕事にもすごくいいらしい。昨日はおいしい茶碗蒸しを作ってくれたし、すごい人と結婚したと思います。

私はといえば、料理に深く集中することはあまりなく、いつもなにかしら気が散っているような気がする。頭のなかで歌を歌いながら作っていることが多いかもしれない。たまにゆういちろうと実際に歌いながら、完全に手が止まっていることもある。最近、歴理にドキリの織田信長の歌にはまっていて、ファイヤー!ファイヤー!と大声で合の手をかけているところを、偶然夫に見つかってしまったことがあり、一体どうしたんだと心配された。

小学6年生用の社会の教材にもなっているNHKの歴史にドキリは、とてもよくできていると感心しきり。ドキり・ソングという歌がとても面白く、つい口ずさんでしまう今日このごろ。決して決して決して母子ともに暇ではないのですが、ゆういちろうと私で協力しあって完コピしたのが、卑弥呼中大兄皇子聖武天皇源頼朝織田信長。鑑真やザビエルの宗教者の歌もだいたいマスターし、少し時代が下って、大塩平八郎をただいま覚えようとしているところ。西郷隆盛や平塚らいてうの歌は、覚えたくても、体力およびリズム感がなくて私にはハードルが高い。

EVERYBODY!! Go on!! How cool!!

2014.8.8

・ごはん
・豆腐とわかめの味噌汁
・鶏の酢照り焼き、炒めた茄子を添えて
・トマトとモツァレラチーズのサラダ
・冷や奴
・スライスきゅうり、塩で

先日、実家から畑で採れたトマトやきゅうりや茄子が届いた。さっそくばりばり食べている。旬の野菜はやっぱりすごくおいしい。

畑だけでなく、お店で売っているトマトもたまに送ってくれる。真っ赤に熟れたトマトを見たら、急に美紀の顔を思い出して、思わず箱ごと買って送ることにしたと、以前両親から言われたこともあった。野菜に喩えられてうれしい! 実質的な感じがして。

写真はしばらく前に送られてきたもの。(今回のは撮り忘れた) 夏本番前のトマトは、私にとっては「高級品」なので、湯むきしたトマトをうやうやしく丸々どーんとメインに置いたこともあったな(笑い)。今では考えられない。 ともあれ、畑で野菜づくりができる、平和な日々がこれからも送れますように。






2014.8.6

・ごはん
・たまねぎとお揚げの味噌汁
豚ロース味噌漬け
・ほうれん草の白和え
・マッシュルーム、ピーマン、長芋のガーリックオリーブオイル炒め
・マッシュポテト(昨日の残り)

最近ゆういちろうは豚肉づいている。今晩は味噌漬けを作ってくれ~~とリクエストがあり、昨晩と同じく、肉料理は夫が、野菜のつけあわせは私が作った。主婦的には、冷蔵庫のなかにそれぞれ微妙に余っていた野菜類を使い切ることができて、満足感を得た。

白リン弾やフレシェット弾などイスラエルがパレスチナ人に対して使用した残虐な殺戮兵器の話(戦争犯罪)。ドル離れ促進を狙ったブリックス銀行設立をめぐって、アメリカとロシアが激しく対立している話(経済戦争)。イスラエルのあからさまな戦争犯罪をなぜ国際社会(国連)が止めることができないかというと、デフォルト寸前のアメリカ経済の延命措置として位置付けられる経済戦争であるから。等々の話を、ゆういちろうが理解できるよう、なるべく平易な表現を用いて、夕飯のときに家族みんなで話し合った。来るべき時がやってきたときに慌てふためくことのないように。最後まで尊厳のある人間としての生き方を選びとることができるように。

下の写真は、1979年、冷戦下のソ連において出版された子ども向けの絵本である。京都・三条の器と本の店 nowaki で先月開かれた「カスチョールとロシア絵本のどうぶつたち」展にて出会った。作者はミトゥーリチさんというらしい。当時、西側諸国から悪の枢軸国と呼ばれ、恐れられていた国で、こんなに楽しい仕掛け満載の絵本が作られていたとは....。知らなかった。人間の、子どもを喜ばせたいと思う、文化的営みの強靭さ。

 












2014.8.2

・トマトの冷製スパゲティ
・たまねぎのスープ(昨日の残り)
・スペアリブ
・マッシュポテト
・茹でアスパラとブロッコリー、コチマヨソースで

金曜夜の食事。ゆういちろうがスペアリブ食べたい~~と主張したことを受け、肉料理とスパゲティは夫が作り、野菜のつけあわせは私が作ることにした。一緒に料理を作ると、時間短縮できるし、自然といろいろと会話できるので、一石二鳥だと思う。

他者や自分に対して誠実に接するとはどういうことか。誠実に仕事に取り組むとはどういう事象を指すのか。あれこれ考えさせられることの多い今日このごろである。この世界で本当に闘うとはこういう人たちのことを言うのだろうと、あらためて深い敬意の念を覚える方々もいる一方で、残念ながら、口先だけ紳士淑女だなと、直観してしまう人たちもやはりいる。

いろいろな人たちでこの世界は構成されているので仕方がないこととはいえ、他者のことなどこれっぽちも考えていないくせに、他人から自分がどう思われるかに関してはやたら気にしている人たちの姿を見かけると、そういう人たちにとってそこまでして守らなければならない自己というものは、一体どういうものなのか、正直不思議に思う。楽しそうに笑っていても、本当に人生を楽しんでいるのだろうかと。私にとって、会話を楽しむことと、哀しみを覚えることは、どちらでもほぼ同じことなので、一緒に笑うことぐらいはできますが。

自分を知り、自分を尊ぶことができないと、他者の尊厳などそもそも感じることができないのではないか。なーんて、内省的になりがちな夜でございます。

2014.8.1

・ざるそば

煉獄の風景に身を置きたいと、高知、四国カルストに行ってきた。今晩は、気持ち的にはずいぶんとひさしぶりの我が家である。夜はうちで食べようと、8時半ごろ帰宅するや、すぐにそばを湯がいて食べた。ご報告したいことは他にもたくさんあるのだが、まずは旅の写真だけでもアップしよう。いつでもどこでも海や山や空や風を感じながら生活できたらいいなあ。



桂浜に立ち寄ってから、カルストに向かって出発。



天狗高原にある天狗荘という宿舎に泊まった。朝晩涼しかった。満天の星空を見ることができた。天の川(銀河)も生まれてはじめてあんなにはっきりと、正確には、ぼんやりとした雲のような大きな流れが鮮明に見ることができて、とてもうれしかった。上の写真は、天狗荘から遠くに見えていた天狗高原展望台に到着して、天狗荘を逆に眺め返してみたときのもの。写真中央上あたりにあるのが天狗荘。













ひとつひとつ形の異なる石が誰かの墓標であるかのような風景だった。誰かがそっと花を手向けたかのように花が咲いていた。牛もいた。大きな牛が道路の真ん中をもうもう言いながら歩いていたのがおかしかった。

2014.7.28

・キムチチャーハン
・豚肉のミルク煮(ボローニャ風!)
・トマト、きゅうり、大根、豆腐のサラダ

3つの大皿にそれぞれの料理を盛り、自分で好きなように取り分けて、一つのお皿の中で微妙に味を混ぜながら食べるスタイルにしてみた。夫もゆういちろうも嫌がるかと思ったが、意外と好評だった。炒めたご飯に、酢の効いたドレッシングが絡むと確かにおいしい。

インターネットで配信される、イスラエルのガザ侵攻、虐殺の報道を前に、心がかきむしられている。心臓の大事な部分が痛むし、頭痛がしてくる。アメリカという国家を憎む。それに追従する日本政府および欧州諸国の首脳陣に対して怒りを覚える。同じ人間に対する虐殺を、どこか拷問を楽しむかのような視線で見つめることのできる人間の野蛮な神経を憎む。

ただし、映像に関しては、見て見ぬふりをするというよりは、見ないで見たようなふりをしている自分がいることも確かである。正視できない。恐ろしいから。夜、映像が夢に出てきてもらっては困るから。(私は、夢の抑圧機能がおかしいのか、ほとんどそのまま夢に出てくる傾向あり)

我が家の場合は、夫が、私やゆういちろうの眼の代わりになって、言葉でつたえてくれる。下半身が吹き飛んで人間の形をしていない子を、同じ年端の子が抱きかかえている、姉妹とおぼしき二人の子どものこと。ゆういちろうと同じか、少し小さいくらいの女の子たち。絶対に写真は見るなと父親が言う前に、ゆういちろうがもう止めてと耳をふさぐ。当然だが、すぐに止める。

昔テレビで、百悪どころじゃない、悪行の数々をつくしてきたであろう人が、視聴者に向かって一日一善を訴え、人類みな兄弟などと散々言ってきたものだから、なんとなくその手の言葉を口に出して言う人のことを私はどうしても信じられないというか、胡散臭く思ってしまいがち。

だけど本音を言えば、なぜ学問をするかというと、究極的には、人類の幸福のために奉仕したいという願いからしていると、やはり思うのだ。博士の学位を、学問の中身はどうでもよく、学位だけ、お金を払ってでも欲しいという人がいれば、正直、お好きなようにすればいいと思う。人類の幸福追求をする人たちの、邪魔さえしなければ、威張り散らしたりしなければ、だけど。


2014.7.24

・ごはん
・じゃがいもの冷製スープ
・タンドリーチキン
・なすとトマトのチーズ焼き
・きゅうり、塩で

最近は、漬け込んで、焼く、という手順で肉料理を作ることが多い。そんなに手間暇はかからないが、時間だけはやたらたくさんかけていて、自然と味わい深くなってくれる。単純に塩こしょうを擦り込んで一晩寝かせる以外に、ヨーグルトや味噌や塩麹など発酵系のつけだれもありがたい存在だ。なお今晩のタンドリーチキンはここを参考にしてヨーグルトに漬け込んだ。


話はかわりまして、

先月、6月20日(金)に横浜BankART1929にてデクノボというロボットが再生しました(PDF)。修復作業を間近で見ていただけに、よくぞ動いてくれたと、デクノボのがんばりに感動しました。この日は、人生最高の夜の一つに数えられます。私のいまだ知らない秘密の仕掛けがほどこされた動き方を見ることができたり(自分でまずは仕組みを推論してみろと言われています)、遠くから憧れていた方に、全く思いがけず、お会いしてゆっくりとお話することができたり(この話はいずれ後ほど詳しく書きたいです)、等々。

そのデクノボに関連して、本日よいニュースが入りましたので、ここでもお知らせいたします。


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6月20日(金)に横浜BankART1929にてデクノボというロボットが再生しました。

デクノボは、造形作家・批評家の岡﨑乾二郎さんがお作りになったのですが、その名前にふさわしく、見た目は棒が突っ立っているだけの姿をしています。ですが、2007年にあの現代舞踏家のトリシャ・ブラウンと共演するなど、私にとってデクノボは大スター。久々に舞台に復帰するという噂を聞きつけ、彼が長期間のブランクをどう克服するのか、こちらまでどきどきしながら稽古の様子をときどき覗き見していました。体づくりに関わる基礎的な稽古は、おもに大阪でおこなわれました。ロボット工学者の辻田勝吉さんと矢吹耕平さんを中心に大阪工業大学の学生さんたちに丁寧に見てもらっていました。

6月20日のデモは、私は客席でじっくり集中して見ましたが、とてもすばらしかったです。時には2台に分かれながら彼は再生しました。その現場を見て下さった編集者の印牧雅子さんより次のお話をいただき、9月19日(金)にWhenever Wherever Festival 2014にて、特別研究発表・デモ+シンポジウム開催の運びとなりました。

http://bodyartslabo.com/wwfes2014/festival/deknobo.html


トリシャ・ブラウンは《I love my robots》 と言いました。デクノボは、人間の愛情をこれからも世代を超えて受け継ぎ、互いに大事に扱われ、動くというだけで、こんなにうれしいものなのだということを伝えるメディアになると思います。9月に再会したら、「やあ、こんにちは!」と言いながら、非人間型人間デクノボをぎゅっと抱きしめたいと今から楽しみにしています。いつかきっと、人類の歴史にしかと刻まれる、まだ誰も見たことのないような感動的な舞台作品が、デクノボから生まれるような気がしています。

実を言うと、大阪でデクノボが初めてすーっと動いたとき、辻田さんも私も、ただそれだけで涙がこぼれ落ちてしまいました。棒はつけずに箱だけ2台同時に動く姿が映ったビデオを見ても、箱が体育館の床を這いずりまわっているとしか見えなくもないのに、なぜか涙がつーっと自動的に出てきます。デクノボは何か人間の心の琴線に触れることをしているとしか思えません。

9月19日は、まだ先の話ですが、よろしければ見に来てください!!

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2014.7.23

・たらこスパゲティ
・きゅうりの暑気払いスープ
・焼きししとう
・きゅうり、もろみみそ

従姉のKちゃんから届いたお中元の辛子明太子をスパゲティにして食べた。実家から夏野菜がたっぷり届いた。バッタやカブトムシたちがおいしそうにきゅうりを齧るように、ぽりぽりばりばりと思う存分野菜を食べた。ありがとう!!



おととし東京練馬にある奥村昭雄さん(当時ご存命)とまことさんのうちに遊びに行った時、まことさんから庭に生えていたかわいらしい植物の実をいただいた。我が家の庭にも撒いたところ、順調に殖えていき、とうとう今年は花をたくさん咲かせた。子どもの頃、道ばたにうんとこさ咲いているこの花を採れるだけとってきて、数珠つなぎにしてよく遊んだ、愛らしくも懐かしい花。大人になってその花の名前がヘクソカズラということを知り、なんてひどい名前をつけたんだと、憤慨したものだ。ここにもあるよう、私はその花を臭いと思ったことは一度もないのだ。いったいどういうことなんだろう? 人生上の謎のひとつ。

子どもの頃、よく遊んだ懐かしい草花は、他にもたくさんあって、最もよく思い出すのが青い可愛らしい花をつけるオオイヌノフグリである。花だけたくさん集めてきて、水を張った器にぱっと散らして愛でていた。ただし、ここにもあるよう、名前の由来は犬の金玉だそうで....。

おならやうんこや金玉と戯れていたわけですね。愉快だわ。この気持ちは忘れないでおこう。

2014.7.16

・生ハムを乗せたマルガリータ・ピザ
・トマトの冷製スープ
・鯛のアクアパッツァ

今晩はイタリアンの気分だった。夫はピザ、私はスープと魚料理。夫婦で分担して夕ごはんを作った。おいしかった。

 



ゆういちろうがふとTくん元気かなあと言いだした。滅多に会うことはないのに、急に思い出したみたい。Tくんは私の従弟で、ゆういちろうはTくんの結婚式のときに指輪を運ぶ係をしたのだった。昔の写真を見て確認した。上の写真は式の後の披露宴の様子。姪っ子のRちゃんもまだちっちゃい!! 思い立ったが吉日と、弟の家に電話して、今年の夏休みは泊まりがけでRちゃんたちと一緒に遊ぶく約束をした。私たちにとって大切なことは思い出だ。いっぱい夏の思い出をつくりたい。いい思い出が欲しいと、後でどんなにがんばってお金を積んでも、買えるようなものではない。もちろん、誰かに思い出を盗まれることもない。

  

裏庭の、熊本の今は亡き伯母の家から挿し木で殖やしたカシワバアジサイの花がもうすぐ終わろうとしている。裏庭は酸性土壌なのか最後のほうは赤く染まってきた。伯母からは、それはそれはたくさんの思い出をもらった。周囲の人たちにものすごく深く情愛を分け与える伯母だった。思い出は死なない。

2014.7.6

・チキンカレー
・アスパラガス、コチマヨソースで
・卵焼き
・きゅうりの浅漬け
・プチトマトトマト

夏野菜をたっぷりいれたチキンカレーにした。最近アスパラガスの食べ方としてはまっているのが、韓国風タルタルソースとも呼べるコチマヨソース。ざっくり刻んだ茹で卵と、マヨネーズ、コチジャン、オリーブオイルを混ぜたものとを和えて作る。ジョン・キョンファ先生のレシピ。

解釈改憲の何が問題であるかというと、「違法な飲酒運転はしないが、きょうからビールは酒でないことにした」と言うようなものだと、奈良弁護士会の宮尾弁護士が喩えておられたそうだ。なんという分かりやすい喩え。さすが子どもにも分かる憲法絵本の文面を作成された方である。

これでいろんなところにドライブに出かけられると、賛成派の政治家たちは、喜んでいるのだ。ばかを言うな、めちゃくちゃ危ないじゃないか!! ビールは酒だ。これくらいは大丈夫だと自分たちが思い込んでいるだけ。世界中のみんなに対してとっても迷惑だからそんな危険運転は絶対にやめろ。集団的自衛権に賛成する人って、悪い人から麻薬を打たれて幻覚でも見せられているのだろうか。個別的自衛権で十分でしょう、○○から攻撃されるのが心配だとしても。糖尿病よりアブナイことになる。

この際だから言いますが、閣議決定されても後で覆すチャンスがあると、あまく考えている人たちもいて、頭がくらくらした。秘密保護法案が年内にも施工されることになる。政府が国家秘密だと判断した事項は、国会議員にもほとんど何の情報も与えられない。秘密裏に、政府の思うままに、重要法案を通せることになるのだ。

状況はこのままだともはや絶望的なわけだ。だからこそなのか、虚無感が私の中からなくなった。むくむくと生存本能がわきあがるのみ。もう政府には何も期待していない。心ある人が反対するかもしれないというのも「期待」の一つだったが、誰が期待なぞするものか。

私たちはストリートに生きている。もともとそうだったのかもしれない。のびのびと雑草のように節度とたくましさを保って生存していこう。

なお、ここに書かれた京都・東本願寺の公式見解には救われました。南無阿弥陀仏。


2014.7.1

・ごはん
・お好み焼き
・焼きなす、すりごま醤油で
・焼きししとう、ごま油醤油で
・きゅうり、もろみみそ&ごま油醤油マヨネーズソースで

実家の畑でとれた野菜を切ったり焼いたり。あとは、フライパンで豚バラ、キャベツ、もやし入りのお好み焼きを焼いた。かりかりに焼けた豚バラがおいしかった。

明日、集団的自衛権の行使を容認する閣議決定がなされる見込みである。私は集団的自衛権は容認できない。国家が国民に不幸を押し付けることを意味するから。戦場に日本人が派兵されれば、当然だが人を殺したり殺されたりする可能性が出てくる。それは絶対に嫌だ。今晩それに抗議する大規模デモが官邸前でおこなわれた(というか今もおこなわれているようだ)。だからデモに参加しようかと思ったが、結局は奈良にとどまった。もし新幹線で上京して宿泊した場合は旅費として4万円ほどかかる。その分のお金を別のことに使うことにした。未来へ希望をつなぐお金の使い道を思い付いたので、デモには参加できなかったが、何もできない虚無感や罪悪感に必要以上にとらわれることはなかった。

自分のなかの、状況に応じて伸び縮みする出来そこないの良心をそれでも信じて、自分ができることをできる範囲でやっていくしかない。解釈改憲には反対する。

2014.6.30

・生ハムを乗せたマルガリータ・ピザ
・ローストポーク
・もやし炒め
・きゅうり

夫が生地をこねるところから全部自分でピザを作ってくれた。昨日も作ってくれて、あまりにおいしかったので、今日もリクエストしたのだった。ありがとう。本当においしかった。これからもピザは手作りしてくれるとうれしいです。

明日締め切りの英語の原稿がなかなか進まない。もともと英語が苦手なのに、いろいろなことが頭に思い浮かんできて、英語頭になかなかなれない。つい、ゆういちろうに愚痴というか、「おかあさんが英語頭になるために、ゆういちろう、うちのなかで英語しゃべって~」と甘ったれた無茶ぶりをしたところ、いたずらっ子っぽい満面の笑みで「ル・ヴァン・ス・レーヴ」と返された。お約束として、「イル・フォ・トンテ・ドゥ・ヴィーヴル。風が吹いている、生きようと試みなければならない」と答えたが、なんだかゆういちろうにまんまとしてやられてしまった感大。

こうなったらというか、お返しに、次の英語の詩を暗唱できるようにしておいてと課題を出すことにしようかと思う。ジョン・ダンの説教の一節。「誰がために鐘は鳴る」や「人は一人では生きられない」などの英語の有名なフレーズは、もともとそこから生み出されたそうだから、暗唱できて損はないと思う。僭越ながら、小学生でも理解しやすいような現代日本語訳もつけてみた。教育ママゴンを甘くみてもらっては困る。(まあ、その前に自分を何とか教育しろという、自己突っ込みをしつつですが。ああ論文まだ全然終わらない.....)


No man is an island, entire of itself;
every man is a piece of the continent,
a part of the main.

If a clod be washed away by the sea,
Europe is the less,
as well as if a promontory were,
as well as if a manor of thy friend’s
or of thine own were.

Any man’s death diminishes me,
because I am involved in mankind;
and therefore never send to know
for whom the bell tolls;
it tolls for thee.


John Donne (1572-1631)
"Devotions Upon Emergent Occasions" (1624) より


人は孤島ではない。自分が全部であるわけがない。
誰もがみな陸のなかの一かけらであり、
本土のなかの一部なのだ。

土くれひとつ、海に流されたとしても、
その分、ヨーロッパは小さくなる、
それは岬が流されたのと同じ、
あなたの友達の土地や、
あなた自身の土地が流されたのと同じ。

人の死は、それが誰の死であれ、自分が削がれることだ、
なぜなら私は人類の一員だから。
だからこそ、まさか尋ねることなどなかろう、
誰を弔うために、あの鐘が鳴っているのかを。
それはあなたのために鳴っているのだから。


ジョン・ダン 『危機に際しての祈り』   より

2014.6.29

・ごはん
・大根とたまねぎの韓国風スープ
・鶏トマト冷や奴、たまねぎドレッシングで
・春菊とマッシュルームのサラダ
・キムチ

茹でた鶏にトマトと豆腐を合わせて、作り置きしておいた甘酢醤油ベースのたまねぎドレッシングをかけた。鶏のエキスが出た茹で汁を利用して、ごま油とにんにくの風味を効かせた韓国風スープを作った。両方とも蒸し暑いこの時期にからだが欲する味だと思う。

今日はゆういちろうの学校の参観日だった。国語の授業。100年後の理想の小学校についてみんなで意見を出し合う授業だった。そして明日からはプールが始まる。プールに入るためには、耳鼻科を受診して耳垢を掃除してもらう必要があった。あやうく忘れるところで慌てた慌てた。1学期は何かと学校行事が立て込んでいる。

15日は、おかざき乾じろさんのポンチ絵を見に、京都・三条駅すぐのnowaki というお店にゆういちろうと出かけた。明るくカラフルな作品が多い中で、一点、黒とこげ茶を基調にした異彩をはなつ作品があった。もしやこれは京都開催だから京都ゆかりの画家、「須田国太郎の黒」を戯画したものなのかしらと思ったり。こういうのは当たっても外れてもあれこれ想像できるのが楽しい。また、女の人が金魚鉢を眺めるマチスの絵を想起させるこの作品は、できることならいただきたかった。実際は、女の人の顔の面よりも金魚鉢の面のほうがかなり深く陥没しているのに、金魚鉢のほうが手前にあるように見えるのはなぜか。軽くて持ち運びが簡単だから、ポンチ絵は、知覚心理学の授業のすばらしい教材にもなると思った。

nowaki というお店自体、置いてあるものたち一つ一つに尊厳があって、すばらしかった。ものにも魂があるから大事に丁寧に扱うべしと自然と思える場所だった。お店のオーナーの方や、お手伝いにきていた作家の福永信さんとも短いながらも印象に残るお話ができた。

私たちが行ったときはお客さんが多く、なかでも子ども率が高かった。みんな思い思いにうろうろして、たたみに坐って絵本を読んだり。自由気ままに過ごせる感じがありがたかった。ほら、たまにあるのですよ、素敵な絵本や子どものおもちゃを置いている店で、子どもの来店を拒否するところが。飴ちゃんやよだれを触ったかもしれないばっちい手で、商品をぺたぺた触られて、汚されたら嫌だということなのでしょうが、表向きはやさしげな表情のお店なだけに結構ショックだったりします(体験者語る)。だったら最初からこわもてクールビューティにしてくれよと、まぎらわしいことすんなと、ぶつくさ言ってみたりして。

nowaki では、なんだかうれしくなってしまって、ゆういちろうが読みふけっていた古典妖怪満載の妖怪図鑑(作者は軽部武宏さん)と、今回来られなかった夫に、江籠正樹さんのねこの箸置きをお土産に買った。満足♪



 




2014.6.17

・ごはん
・たまねぎとわかめの味噌汁
・アスパラベーコン
・豚肉の青じそ巻き
・もやし炒め
・きゅうりの浅漬け

ゆういちろうが広島の修学旅行から帰って来た。平和公園と宮島が2大見学地。そのほか、もみじまんじゅう作り(あんことチョコレート)や、班ごとに分かれてそれぞれお好み焼き屋さんに入って、お店の人に手伝ってもらいながら広島風お好み焼きを作って食べるなど、ぎっしり盛りだくさんの内容だったみたい。

私たちが子どもの頃とは違って、初日のお昼のお弁当は家庭で作って持たせる必要があり、昨日は5時過ぎに起きて準備するなど、親としても朝寝坊厳禁の緊張感あふれる修学旅行だった。アレルギーや放射能汚染の問題やらで、何が使われているか分からない外食はなるべく避けたいという趣旨なのだろうか.....。

食べた後は捨てられる容器に入れてくるようにという学校からのお達しだったので、透明なパックに詰めた。この前テレビで、沖縄のお弁当について紹介されていて、なるほど!!と思ったのでさっそく真似してみた。沖縄ではごはんの上におかずを乗せるのがお弁当の常識だそうだ。確かに省スペースにもなるし、汁漏れの心配もぐんと減るし、何よりも生姜焼きのたれが微妙に沁み込んだごはんはおいしいと思い、メインのお肉をごはんの上に乗せた。

 

キャラ弁の方向には走らず、子どもの弁当でも、なぜかお父さん風弁当になってしまう。そもそもゆういちろうが、きゅうりにはマヨネーズではなく味噌をつけてくれなどと言うものだから、自然と我が家ではそうなるのだ。そしてなんだか豚肉づいていて、今晩も、お弁当のおかずになるようなおつまみ風のこまごまとしたものを作った。

裏庭のあじさいがとてもきれい。祖父母が育てていた純白のあじさい。枝伏せして分けてもらい、今ではすっかり株が大きくなった。生命力旺盛な花だ。表庭はいろいろな種類の小さな花が万遍なく咲いていて、細い通り道を歩いていると、なんちゃってではありますが草はらの中を歩いているような気分に浸れる。のしのしゆっくり歩いているので、蜂や毛虫も私を刺す気にはならないみたい。

 

自分のうちの庭ぐらいは、自分の思い描く、理想的な世界の姿に近づけたいと思っている。あせらずにのんびりと。

2014.6.13

・スパゲティ・ミートソース、アゲイン
・きゅうり、塩か酢味噌で
・プチトマト山盛り

夫は会食で不在のため、ゆういちろうと二人で、昨日より簡素な夕ごはんにした。とにかくきゅうりがおいしい。生野菜をばりばり二人でバッタのようにむさぼり喰った。

  

  

庭はもう生き物たちの楽園。植物も虫も鳥も猫も人間も気ままに往来している。特に大きな喧嘩はないが、平和でもない。小競り合いはたくさんある。みんなそこそこ元気にやっている。

やっぱり植物は庭や畑に生えていてほしいと思い、普段、家のなかに植物を持ちこむときは、お裾分け程度に留めている。間違って折ってしまった紫陽花の枝を捨てるにはしのびなく水差しにしておいたところに、雨で倒れたバラが加わった、偶然の産物のアレンジメント(下写真・左)。ゆういちろうが母の日に買ってくれた黄色のバラは、ドライフラワーにして台所のいつもよく見るところに飾っている(下写真・中央)。夫は野菜売り場でカリフラワーを見つけると、ほぼ間違いなく買う。なんでそんなにカリフラワーが好きなのだろうか。私はどちらかというと味よりも見た目が好きである。面白い姿形をしていると思う(下写真・右)。

植物さんたち、いつもありがとう。

2014.6.10

・スパゲティ・ミートソース
・かぼちゃとトマトの冷製スープ(昨日の残り)
・きゅうり、塩か酢味噌で
・だし巻き卵

実家から畑で採れた初なりきゅうりがいろいろな野菜と一緒に送られてきた。バナナも入っていた(やった!)。きゅうりの瑞々しいこと。いくらでもぱくぱくと食べられる。お店で売っているものって何であんなに乾燥してるんだろう? 

今晩の献立は、食事全体の構成などバランスを考えることなく、気の向くままに作りたいものを作った。まあ端的に言って、だし巻き卵の練習をしたかったのだ。だいぶ思うように作れるようになってきた。卵4個に対して、しょうゆとみりんで味付けしただし汁100ccを加える配合に落ち着いてきた。作れることはわかったので、あとは精度をあげていくのみ。

先週は夏カゼか夏バテなのか体が異常にだるだるになりいっとき完全にダウンした。しばしゆっくり休んだらおかげさまで復調した。休養って本当に大事。みなさんも、梅雨入り前のこの時期、どうかからだにはお気をつけください。



土曜はお世話になっている特養で長崎の母のケア方針を伺う大事なカンファレンスがあった。家族全員でお話を聞いた。母は85歳。とても元気そうでよかった。ごはんの時間を毎日楽しみにしているそうだ。

  

 
  
 

体調がすぐれないときには特にそうだが、花を見ると気持ちがすこぶる和む。雑草も園芸種も花は花。長崎の母は紫が大好きで、和室前の庭には特に紫色の花を植えるよう気にかけた。結局は自宅介護は無理となり、特養にお世話になることになったが。花はみんなの目を和ませる。

食べ物がなくて人知れず死んでいく人がもしかしたらすぐ身近にもいるのかもしれない。これからはそう思いながら生きていく。

学生の頃は、日本は飽食の国で、食べ物は腐るほど捨てるほどにあり、飢えたくても飢えることができないと本気で信じていた。その当時は、今日のような日が来るとは夢にも思っていなかった。愚かさのつけが今頃になってじわじわと効いてきている。政治経済にあまりに無関心すぎた。20年もあれば何かもっとできただろうに。過去を悔いてもタイプスリップできるわけではないのだが、20年前の学生の自分に会えたら、説教してやりたいことが多すぎて困る。

2014.6.9

・ごはん
・ハンバーグとキャベツの煮込み
・ごぼうの塩きんぴら、カレー風味
・うりの浅漬け

小さなハンバーグをいくつも作り、昨日はトマトと人参、玉ねぎと一緒にデミグラスソースで煮込み、今日はキャベツと一緒にコンソメスープで煮込んだ。煮込みハンバーグ大好き。

関西在住の方へお知らせです! 6月6日から15日(10日のみ休み)にかけて、おかざき乾じろさんの個展「みだるるみだるるながきかみ ちいさきちょうとちいさきはな 篇」が、京都の器と本のお店 nowaki で開催されるそうです。あのポンチ絵の展覧会です。大人であるはずの私も絵を見てとてもうきうきしましたが、子どもならなおのこと大喜びするはず。絵本を扱うお店だそうですし、ぜひ大人も子どももみなさまお出かけください。

なお6日の18時からは、京都造形芸術大学で岡﨑乾二郎さんの講演「『ポンチ絵』としての芸術の物語」があります。ゆういちろうと一緒に聴きに行く予定。夫も間に合えば仕事帰りにかけつけるとのこと。ポンチ絵。 delicacy。小さく控え目で愛らしい。岡﨑さんは美をデザインするなんてひと言も言わない。

庭のあじさいが色づき始め、気の早い揚羽蝶が蜜を吸いにやってきていた。私は吸いこまれるようにその様子に見入った。



2014.6.3

・ごはんのグレービー炒め
・トマトとパプリカの冷製スープ
・ローストポーク
・ズッキーニとマッシュルーム炒め
・ルコラとバジルのサラダ

週末。外食しない代わりに、自宅でレストラン気分を味わえる献立になるよう心掛けた。りんごジュースに肉を漬け込んで焼くだけという非常にシンプルなレシピを見つけて以来、うちではローストポークはずっとこのやり方で作っている。お客さんでも来ない限り1.5キロの塊肉を買う気にはならず、たいていは300~400グラムの、3人家族でその都度食べきれる分量で作っている。その場合は、160度のオーブンで30分程度がちょうどよい感じだ。簡単で比較的安く済むのに、食卓はとってもゴージャスな雰囲気になるのがうれしい。出てきた肉汁を捨てるのはしのびなく、味付けして、ごはんにからめるように炒めて出すと、家族に喜ばれる。

暑かったので冷たいスープにした。石澤清美さんの『野菜のポタージュ』のなかにある「トマトのラタトゥイユ」のレシピを参考にした。トマトとパプリカ、玉ねぎを蒸し煮のうえ、ペーストして冷やし、ヨーグルトでのばしたスープ。レシピでは、セロリや赤ピーマンを入れることになっていたが、手に入らなかったのでセロリは省き、赤ピーマンの代わりに赤パプリカを使った。赤ピーマンのムースをスープにしたような、とてもおいしいスープができた。ヨーグルトが味のポイントだと思う。暑い夏はこのやり方で乗り切ろう。

閑話休題。

小学校5年生ぐらいからゆういちろうには塾通いのお友達が増えてきた。私立の希望校にお子さんが通っているセンパイのお母さんから聞いたことには、中学受験を考えているなら、遅くとも5年生くらいからハイレベルコースに行く必要があり、塾の先生からは、「子どもはほっておけば何もしません。これはお母さんの戦いですから」とはっぱをかけられるそうだ。さらに聞くところによるとハイレベルコースのお子さんは、週5日、お弁当をもって通い(食べるのは授業の合間の10分ほどの休み時間)、ほぼ毎日夜遅くまで勉強しているそうだ。

ひそかにゆういちろうの中学受験を視野に入れていた私だが、話を聞けば聞くほど及び腰になっていき、さらに追い打ちをかけるように、ゆういちろう本人は、学校から帰ったらまず遊びたい、うちでごはんを食べたい、あんまり長い時間勉強したくないと、絶対に塾には行きたくないと強固に主張。忘れもしない5年生の冬休みの宿題として提出した「一日の予定表」には、強烈にありうべき自己を主張し、親として頭を抱えることとなった。食べることと寝ることに全力をかたむけ、受験以前に勉強そのものを拒否(悪くとれば)、もしくは、勉強するのも自由のうち(よくとれば)。



その後ですが、紆余曲折あり現在に至っています。(つづく)

2014.5.31

・ごはん
・豆腐と玉ねぎの味噌汁
・牛肉の人参ごぼう巻き
・かつおだいこん(浅漬け)

今晩は和食にした。おいしかった。野菜だけだとそんなに箸が進まないゆういちろうだが、肉で巻いてやると俄然大量に食べる。なお今日は学校で特別行事があり、お弁当のいる日で、アスパラをベーコンで巻いたものをメインのおかずとして入れた。これも完食。やった! ちなみに、これとは反対に、肉を野菜で巻くロールキャベツなどの料理は、嫌いというわけではないが、少々彼のテンションが下がるようだ。結局肉団子とキャベツを別々にして食べている。

ゆういちろうの修学旅行用の冊子の表紙に、自分のものとわかるようオリジナル4コマ漫画をいくつも描いてあった。なかでも以下の「卒業式」は、ひそかに問題作だと思うのだが。



2014.5.27

・春雨と牛肉のエスニックいため
・大根と玉ねぎの中華風スープ
・キムチ
・卵黄入り納豆

土曜日からずっとゆういちろうからチャプチェ(韓国風春雨いため)作って!!と強いリクエストがあった。チャプチェは夫の得意料理のひとつで、実を言うと私は作り方をほとんど知らない。うーんどうしようということで、料理のことなど全く知らなかった(=チャプチェって何ですか?レベル)新婚のときに何かと助けてもらったレシピ本、『ガンバレ!お料理1年生:基本の中華&アジアンおかず』(発行・主婦の友社)をぱらぱらとめくった。すると「春雨と牛肉のエスニックいため」なるレシピが紹介されており、これならうちにある材料で作れるかもと、その本を参考にして作ってみた。

1)牛のこま切れ肉に、おろしにんにく、しょうゆ、酒、カレー粉を揉みこみ、下味をつける。
2)ニラがなかったので、代わりに長ネギをスライス
3)1)の牛肉と2)の長ネギをいっしょにごま油でいためる
4)茹でて水切りをした春雨を加えてさらにいためる
5)オイスターソース、レモン汁、砂糖を混ぜ合わせて、4)に加える
6)ラタトュイユの残りを汁ごと加えて、ざっと炒めて出来上がり

ニラの代わりに長ネギ、ナンプラーの代わりにオイスターソース、赤ピーマン(生)の代わりに前日の残りのラタトュイユ(赤ピーマン等の煮込み)を入れるなど、適宜アレンジしてみたのだが、自分でいうのもなんだが、初めて作ってみたわりには素晴らしく味がばっちり決まった。とても気分よし。

ここにあるよう貧乏長屋には泥棒も入らないなどと他国を名指しして侮蔑するような発言をする人を、私は心底軽蔑する。大馬鹿者である。ゆういちろうには、これがどれだけ人間として恥ずかしい言動なのか、(本来なら国益国益とうるさく言いたくはないが、)これがどれだけ国益を損ね、国際社会における日本人の地位と日本の安全を窮地に追い込む発言になっているか、責任をもって教えることが親としての最低限の務めような気がする。なぜ広島に原爆が落とされたかというと、そこに軍事拠点があったからだ。呉で制作されていたのは戦艦大和。

6月にゆういちろうは広島に修学旅行にでかける。原爆ドームのある広島平和記念公園も見学ルートのなかに入っている。このところ学校では事前学習として子どもたちひとりひとりが調べ物をしている。ゆういちろうは、堀越二郎の零式艦上戦闘機(ゼロ戦)の設計の話と、イサムノグチの原爆慰霊碑の設計原案および彫刻クロノスを取り上げた。下の写真は、去年の武蔵野美術大学での展示『墓は語るか』の資料をみながら、イサムノグチ作品の模写に努めるゆういちろうの姿。



2014.5.26

・ごはん
・新たまねぎと人参のコンソメスープ(昨日の残り)
・鶏の酢照り焼き
・だし巻き卵
・ほうれん草の白和え

だし巻き卵は誰からも文句は出なかったが、自分としては改善の余地があると思った。口に入れたとき、あともう少し、だしがじゅわっと出てくる感じにしたい。コンソメスープには腐敗防止に梅干の種(一昨日の梅肉をたたいた残り)を入れてあり、ほんのり梅風味。和風にも洋風にも合うと思う。

庭はいまバラやクレマチスが次々と咲き始めた。クレマチスはお隣さんとの境に植えてある。隣家との境は緩衝地帯として何もしないのが無難なのかもしれないが、「うちのほうに向かってクレマチスを咲かせやがって」と文句を言う人はいないと見越して、ゆるく絡ませている。そしてきっと料理もそうだと思う。「俺のためにおいしい夕飯を作りやがって」と激怒する人はいないと信じている。きれいな花を咲かせたり、おいしい料理を作ろうとちょっくら気を向けることぐらいだったら、それほど悪いことではないと思う。日々の生活のなかで意地になりすぎるのはよくないと思うが。

  





2014.5.21

・梅みそそぼろのタコライス風
・ねぎとわかめの味噌汁
・春菊のサラダ

ふと思い付き、大庭英子さんの『ひき肉ストックレシピ』のなかの梅みそそぼろをごはんに乗せ、さらに刻んだレタスとトマトと海苔を散らし、タコライス風にアレンジしてみた。家族全員が好きな味に仕上がった。自分でいうのもなんだが大ヒットだった。経済的だし、また作りたい。

タコス(メキシコ) → タコライス(沖縄) → 梅みそ海苔風味のタコライス風ごはん。ゆるやかにおいしいとこ取りでつながっていく感覚を持つことができて、なんだかとてもうれしかった。いい気分。食卓のうえでは誰に遠慮するわけでもなく人為的な境界線を飛び越えて思い切りのびのびと仲良くできる。

2014.5.19

・昨日の残りのチキンカレー
・大豆と台湾缶詰肉の炒め物
・焼きねぎのマリネ

前日の残り物のカレーに、サイドメニューをささっと作って合わせた楽ちん献立。夫の学生さんの台湾土産の缶詰が本日の味のポイント。ドライパック缶の大豆に、八角の風味が効いたスパイシーな肉を汁ごと入れて炒め合わせたら、どこか懐かしい屋台でどっかーんと出てくるような一品が出来上がった。

5月14日は、平日だったが、偶然にも家族全員にぽっかり時間ができて、奈良・葛城にある當麻寺の練供養に出かけた。開始時間の4時には少々間に合わなかったが、現地につくと、ちょうど先頭の御稚児さんの行列が導き観音像前にやってきたところだった。あとはもうそこで起こっていることにただひたすら感じ入った。最初に到着したお坊さんたちが最後にまた彼岸に還っていくところで、ついに涙腺結界。気付けば、あっという間に、時間がたっていた。今年で1010回目となるだそうだ。千年以上も前からずっと続いてきた法会なのかと思うと、昔の人たちと少し仲良くなった気がする。これから毎年5月14日は、都合がつく限り、練供養に出かけようと思う。

最近、ゆういちろうは思うところあって、また新しい物語を書き始めた。うかつに触ると日本全国に雷が一斉に堕ち、海では10mの高さの津波が襲ってくる伝説の神刀。奈良県奈良市に、その伝説の神刀の手がかりとなる地図が発見されたそうだ。まだ途中なのだが、個人的には続きが大変気になる。

2014.5.18

・筍のクリームスパゲティ
・ミネストローネ
・きゅうりの煮含めナムル

今晩は筍をクリームスパゲティにして食べた。作り方はとても簡単。

1)フライパンで筍をバター炒めする
2)牛乳と小麦粉を加えてとろみをつける
3)だし汁(筍を炊くために昨晩とったもの。ほんのり醤油とみりんで味付け)を加え、好みのソースのゆるさにのばす
4)塩こしょうで味付け
5)茹であがった麺とからめる

実際に食べてみると、塩加減が足りなかったので、粉チーズをかけてみたら、予想以上に味がばっちり決まった。脂ぎとぎととは程遠い、比較的あっさりめのクリームスパゲティ。野菜中心の献立だが、肉好きの夫からも褒められた。とても気分よし。旬の力である。

2014.5.12

・筍ごはん
・若竹汁
・豚の味噌煮、生の春菊を添えて
・筍の炊いたもの
・筍の塩きんぴら

実家から大きな筍といろいろな種類の野菜が送られてきた。筍を送ってくれたのは、今年二度目。どちらもご近所の方からいただいた筍をお裾分けしてもらう形であった。1回目には讃岐うどんも入っていた。母の日なのに、こちらがもらってばかりだ。ありがたくいただいています。




少し前の話になるが、ゆういちろうのお友達のお母さんから畑でとれたスナップえんどうをいただいて、さっそく豚肉と炒めて食べた。スナップえんどう大好き。そういえばこの前横浜に行ったとき、お昼に入った中華料理屋さんでも、スープに筍とスナップえんどうが入っていて、とてもおいしかったのだった。何種類もの食材が手に入らなくても、旬のものをたっぷり食べることができたら、からだにはいいのではないか。

  



庭はいま、次から次へと花が咲き、一年でもっともきれいな時期を更新中。ご近所の方から挿し木で分けてもらったイングリッシュローズは今年も虫に食われがら何とか無事に花を咲かせた。あたりにとてもいい香りをただよわせている。サンショウバラは今年は木全体にたくさん花を咲かせた。ひらひらふうわりとした花。個人的にはバラは薄いピンク色が好き。八重でも一重でもどちらも好き。柿の若葉とアイリスの紫の組み合わせも好き。好き好き好きとうるさくてすみませんが、庭の花を好きすぎて、もう本当にこの時期は大変、自分でも困るくらい。

2014.5.11

・ナポリタンスパゲティ
・新玉ねぎのスープ(ぽったら煮)
・プレーンオムレツ
・トマトのサラダ

実家の畑でとれた新玉ねぎを使って、玉ねぎを丸ごといれる、毎年この時期恒例のぽったら煮を作った。辰巳芳子さんのレシピで、昆布と梅の風味が効いてとてもおいしいスープである。それ以外は、夫が作ってくれた。いただきもののソーセージをいろいろな料理にアレンジし、大量にあったのに、あっという間になくなってしまった。またしてもスパゲティの日。明日はもしかしたらカレーかもしれない(笑い)。





端午の節句、子どもの日でもある5月5日に、奈良吉野の天川村に出かけた。雨にも負けず、キャンプ場でテントを張り、一泊した。食料は家に備蓄してあるものを適宜みつくろって何とか足らせた。夜中寒さに何度も目が覚めた。これも修行である。おかげでひと月遅れて、また桜を見ることができた。山の雰囲気はまるで高畑勲さんの映画『かぐや姫の物語』に描かれた色合いにそっくりだった。5月に天川村に来たのは初めて。一年のうちほんのわずかな期間、山が本当にこういう色合いになるのだなあ。山育ちのくせにすっかり忘れていた。水の音も耳を澄ますといろいろな音色に聞こえた。

2014.5.6

・蛸のトマトソーススパゲティ
・ソーセージ2種
・トマトとモツァレラチーズのサラダ
・大根の煮含めナムル

今日はひさびさにスパゲティにした。スパゲティのときになぜか日記更新したくなる。簡単に作ることができて、余力が残されているからなのかなあ。むむむ。

土手に植えたカラタネオガタマの木が満開を迎え、バナナのような濃厚な甘い香りをあたりに漂わせている。5月になった。1年のうちでもっとも気持ちいい時期である。

忘れないうちに4月29日のことを書こう。

横浜のBankART Studio NYK で開催されている、田中信太郎・岡﨑乾二郎・中原浩大の合同個展「かたちの発語展」を家族で見に行った。これはもう本当におすすめ。6月22日までやっているので、関東に用事がある際は、横浜まで足をお運びになってみてください。

空間全体をとおして、何をすぐに連想したかというと、奈良のお寺さん。広いスペースに、大きな建造物がゆったり点在していて、せせこましさゼロ。もちろんただだだっぴろいだけの殺風景な感じもゼロ。うるさい看板も立っておらず、自分の好きなペースでゆっくり見て回れる。そして、注意深くよく見てみると、小さな優品もさりげなく置いてあったりして、何とも言えない心憎い展開に、自然と身をまかしてしまうことになっている。開放的な空間で、何度でもふらりと遊びに行きたくなる展覧会だった。

そしてなんと、(他の方の展示にはきちんと確認していないのでよく分かりませんが、)岡崎さんの展示については写真撮影オッケーだったので、携帯電話のカメラで自分用の記録として撮影しました。いつでも思いだせるよう、以下にいくつか載せることにします。他にもたくさんいいものが展示されているので、ぜひご自分の目で実物を確かめて下さい!!



《エンディミオン》 2006 粘土。両手でそっとかかえることのできるくらいの大きさのアクリルケースに入っていた。ギリシャ神話をもとにした作品。好きな人の不老不死を願うことの意味について考えさせられる。ちょうど今のゆういちろうの興味関心にもぴったり。



《ハンバウとそむきにぐるものを ホクワクととらへたり》 ブロンズ。2000年制作の石膏型のほうは、東京国立近代美術館 「泥とジェリー」展(2014年1月21日-4月6日)に展示された。ブロンズというと「硬い」という固定概念が邪魔して、私の目にはどうしてもブロンズのようには見えず。制作に携わった方に本当にブロンズなんですかと聞くと、手で叩いてみせてくれ、高い金属音がしたので、嘘ではないことは分かったが、不思議な感じのする作品。

お食事中の方がいたり、夕食日記にのせる話題ではないとお叱りをうけるかもしれないが、この作品の、特に横たわっている断片は、ぱっと見る限りにおいて、アレにとてもよく似ている。最初、私の目には大きなアレにしか見えなかった。だが、よくよく見てみると、自分でこのように出そうと思うと、絶対に出てこない形状をしている。自然さとは程遠く、繊細な工夫がほどこされている。




上写真。新作。《「あっ熱っ」。知らずに匙を口に運んで子どもは叫ぶ。舌がいままで感じたこともない冷たさにびっくりして。火の熱さよりも鋭い冷たさを間違えて。この二つの感覚は同じではないのに。》 1994 ブロンズ、の型を、拡大した作品。素材はポリプロピレン。大きさの目安として、身長約140cmのゆういちろうと一緒に写す。

下写真。《間違えもせず、手探りもしないで、まっすぐ食卓の上に手を伸ばす。それから、また壁に手を触れないで、三度跳んだら部屋の外だったが、扉を閉めるのを忘れていた。》 1995 石膏。右手側にたたずんでい る人影は身長180cmの夫のもの。

離れているものを組み合わせると、お腹のなかにぎゅっと詰まった内臓のような無駄のない構造。ひとつひとつが、ずっしりと、でんとした重量感。中が空洞であるとはにわかには信じがたい。(とはいえ、よくよく考えてみると、内臓は孔だらけでした。)腑分けという言葉について考えさせられる。



2002年の第8回ヴェネツィア・ビエンナーレにて野外展示されたという作品。こちらは見た目軽やかだが、安定感抜群の彫刻。入り口から入って、彫刻の中をくぐるのにも全く抵抗感なし。しかし、全体をぐるりと回ってみると、安定感のなかに潜む不安定さに気付く(ぞっとした)。これ、紙相撲のように、何もしないと安定して立っていられるが、少しでも外乱を加えると、一気にバランスを崩して倒れてくる構造。組み立て中に、万が一事故が起これば、死人・怪我人が出るかも、というくらいの。



《まだ早いが遅くなる》 1986 綿布。布の縫い合わせの実際の上下関係と、遠くから目でみたときの遠近感との落差に、頭がくらくらした。岡﨑さんが絵画の授業でおっしゃっていたことが、ほとんど全部すでにここで展開されているように思った。写真は、コラージュ作品のある部分を切り取ったもの。携帯電話のカメラの都合で縦長のままここに載せているが、実際は、横に倒して撮影した。

実をいうと、どちら向きで撮影したかすっかり忘れていて、縦長に写し取ったとばかり思い込んでいた。カタログの図版を見ながら、どの辺りを写したのか探してみたが、一体自分がどこを切り取ったのか、しばらくいっこうに特定できなかった。ようやく、はたと、横長に切り取った写真であることがわかった。岡﨑さんの作品には、上下左右感覚が分からなくなってしまうものが多い。



バンクアートの展示会場の様子。窓から港が見える。

本展示の大きな魅力として、カタログの充実が挙げられる。各作家ごとにそれぞれカタログが作られていて、例えば、岡﨑さんのカタログは240ページにも及ぶ。研究用の資料として利用できる内容である。その表紙を飾ったのは、最近話題になった吉祥寺のA-thingsに展示されたポンチ絵だった。個人的にも思い入れのある作品群だったので、純粋にうれしい。

2014.5.2

・焼きそば
・バーベキュー(昼の続き)
・野菜スープ(昨日のポトフの残り、肉なし)

お昼は、ゆういちろうのお友達とお母さんがたをお招きして、庭でバーベキューをした。ゆういちろうは、ず~~~っと前からこの日を楽しみに日々過ごしてきた。もちろん親の私たちもとても楽しみだったのだが、原稿をいくつか抱えていて、果たして穏やかな気分で開催できるのか青ざめる日々だったのだが、なんとかがんばってこの日を迎えることができた(!!)。ゆういちろうのおかげで、仕事にメリハリがついているのだと思う。

子どもたちはお肉や焼きそばが焼けたときにピンポイントで炭火前にやってきて、それ以外は、近くの公園で遊んだり、部屋のなかで音楽を聞きながらゲームに興じたり、楽しそうに過ごしていた。ご飯を自分たちでわいわい言いながら握って、しょうゆをぬって、焼きおにぎりにして食べた。その様子を私は、大人になったときいつかきっといい思い出になってくれるといいなあと思いながら見ていた。

ちなみにうちのなかに入って、がんがんにかかっていた曲は、ビートルズだった。青盤。遊びにきてくれた女の子が今ビートルズにはまっているらしい。あと、子どもたちのお兄ちゃんお姉ちゃん世代(=中高生)のあいだで今みんなが夢中になっているのは、ワン・ダイレクションというイギリスとアイルランドの5人組アイドルグループであることも今日初めて知った。6年生ともなると、自然ともう、ティーンエイジに差し掛かっているのね。

大人は大人で大人の話をしました。昨今のおぼかたショックの話題になったとき、考古学がご専門で、奈良で発掘調査にたずさわっているお母さんからは、ゴッドハンド事件のとき、考古学全体が大ダメージをくらい、何を言っても世間の人から信じてもらえない時期があったこととか。

奈良県は自殺率が全国の都道府県のなかで一番低いのはなぜかとか。私は、お寺が周りにたくさんあるから、今死ななくてもいつでもいいやって感じなるのではないだろうかとほんわかした考えを述べたところ、もう一人のお母さんの意見は、全然違っていて、奈良は「家庭」単位でものごとが進められていて、家族であるかぎり強力なセーフティネットが張られているが、一方で独身者には厳しく、家族からドロップアウトした人たちは奈良には住めなくなって結局大阪に流れていってしまう、というものであった。

夜は、いただいたお肉(上等な)をさっと焼いて、バーベキューの続きのような食事をした。夫は昼間は炭火管理と焼くことに従事し、まともに肉を口にしたのは、夕飯だったそうだ。気がつかずに、ごめんなさい。

2014.4.27

・ごはん
・たまねぎと豆腐の味噌汁
・牛肉のたたき
・椎茸とマッシュルームの炒め物
・ほうれん草のナムル
・かぼちゃの煮物(昨日の残り)
・こぶ大根

ちょっとしたものをちょこちょこと小鉢に盛ったせいか、品数がたくさんあるように見える賑やかな食卓となった。具だくさんのちゃんぽんやどんぶりご飯を一気にどっかーんと食べたいときもあれば、今晩みたいに一皿につき一素材的な食事を採りたいときもある。食事を自分で作る喜びは、自分が食べたいものを自分で作ることができるところ。誰かに作ってもらうのとはまた全然別の喜びや楽しみがある。



牡丹が満開を迎えた。美しい庭園のなかで典雅に咲くイメージが強い牡丹だが、我が家の場合は、換気扇やまな板を干している台所の窓や庭の水遣り用の水道蛇口やらホースやら、生活道具類のお隣で咲いている。とくに牡丹から「こんなところに植えて、失礼しちゃうわ」というような不満や恨めしさは感じられず、私の目には、とってもご機嫌に咲いているように見える。生活道具はカバーして(=見えなくして)下手に隠すよりは、その近くに魅力的なものを並置したほうが、よほど目くらまし効果があるように思われるのだが、いかがだろうか? というより隠そうとすると余計にそこだけ目立ってしまい、かえって悪い意味での「生活感」が出てしまうような気がするのである。

エアコンの室外機カバーだって、みっともないものをカバーしようという気持ちが強いと、そこはかとなく物哀しい雰囲気が出てしまうが、鉢植えのための素敵な台として見事に機能しているんだったら、スペースの有効利用として逆転ホームランを打ったなと、住まい手の頭の良さに敬意を覚える。もしかしたら、女の化粧の上手下手の境目もその辺にあるような気がするが、墓穴を掘るのでこれ以上つっこまないことにする。

2014.4.25

・チキンカレー
・トマトのサラダ
・茹で卵

日記を読み返すと、ここのところほとんどカレーとスパゲティばっかり食べているように見えるが、そんなことはなく、カレーとスパゲティを食べた日になぜか日記を書きたくなるという自分の癖のようなものがあらわになっていると解釈したほうが妥当性がある。(←ここのところ論文を書いているのか、自然と理屈っぽい書き方になりがち....) 確かに、スパゲティは気に入ったものにめぐりあえたので、つい何度でも食べたくなったというのもある。日記を書かない日は、たいてい和食の日。

昨日、ゆういちろうは、風呂上がりかと思われるほど髪の毛まで汗びっしょりになって学校より帰宅した。聞くと、帰り際、みんなで体育館でフリスビーとドッチボールを組み合わせた遊びをしたとのこと。ドッチビーというそうである。最初は冗談かと思ったが、インターネットで検索してみると、正式な競技名にもなっていることが判明。世の中、知らないことだらけである。

さらにゆういちろうから、『赤毛のアン』の翻訳者をヒロインにした、吉高由里子主演のNHK朝の連続テレビ小説が始まったとおしえられた。そういうことは早く言ってくれなくては。遅れ馳せながら、今日から見始めた。ちなみにゆういちろうの好きな女性タレントは吉高由里子と剛力彩芽。AKB48は子どもっぽいのであまり興味がないそうだ(!)。

ついでにいうと、夫の好きな女優はダイアン・レインで、憧れの女性は皇妃エリザベート。皇妃エリザベートに関しては、ウィーンのシェーンブルン宮殿まで追っかけをしたことがあるそうだ。気が強くてわがままな人が好みだと、結婚後におしえてくれた。私もどちらかといえば気が強くてわがままな部類に入るのかもしれないが、気の強さやわがまま度合いは、絶対にダイアン・レインやエリザベートの足元にも及ばないと思う。理想の女性に近づけなくて申し訳ない。

2014.4.22

・ペスカトーレ・スパゲティ
・ルコラとマッシュルームのサラダ

 

昨日は豚の冷しゃぶを玉ねぎドレッシングでいただいた。春菊のポタージュスープと茶碗蒸しを合わせ、春らしく若草色の雰囲気を出した。ケーキ屋さんでひさしぶりにケーキを買った。三者三様。お好みで。すごく贅沢した気分。焼きっぱなしの素朴な手作りのお菓子を前にすると、やっぱり手作りが一番と心の底から思うが、プロの作るお菓子を口にすると、やっぱりプロは全然違うなあと心から感心する。お菓子に関してはどれが一番いいとか絶対に決められない。



今晩は夫が作ってくれた。生活クラブのスパゲティが4月から値下げすると宣伝していたので試しに買ってみたら、もちもちしていてとてもおいしく、今度からこれにしようと満場一致で決まった。

ヒョウタンボクから芽が出たと、風がおしえてくれた。なんと素敵な風のお便り♪ うれしいなあ。かわいがってもらって、そして、いつかかわいい花を咲かせ、赤い実もたんとつけるといいね。

2014.4.20

・蛸のスパゲティ
・ミニステーキ&ミニオムライス
・おくらのジュレ
・プチトマト

夫が作ってくれた。中途半端な量が残ってしまったごはんをさっと炒めてオムライスに復活させるなど、洋風の居酒屋にいったようなにぎやかなメニュー。赤ワインも開けて、ちょっとしたお祝い気分。疲れて帰ってきたとき、ごはんを作って待ってくれているなんて、おいらはうれしい。ありがとう。



ゆういちろうの昔の写真が携帯カメラのなかから出てきた。4歳ごろのもの。お気に入りの帽子をかぶってゴキゲンな様子。基本陽気な性格をしていると思っていたが、最近はちょっと様子が違うときがある。

たとえば昨日夕飯のとき、「人間はいつかは死ぬのだから、不老不死の薬はいらないって、岡山のおじいちゃんが言ってた」とおもむろに言いだし、親をびっくりさせた。いったい何があったのか聞いてみると、3月に仕事の都合で岡山の実家にしばらくあずけたとき、自分の好きな大切な人にはずっと長生きしてもらって、いつまでも一緒にいたいと思って、それが自分にとっての幸せだと思って、不老不死の薬があったらうれしかと(私の)父に聞いたとき、長生きはしたいがと前置きしたうえで、上にあるよう、不老不死の薬は必要ないという答えがかえってきたものだから、どうしてなのかなあと最近考えているとのこと。

せいいっぱい、思う存分、考えるといいさ!!

2014.4.17

・タイ風グリーンカレー
・ほうれん草のバター炒め
・トマトのサラダ、クミン風味

市販のカレーペーストを使って、ココナッツミルク入りのタイ風カレーを作ってみた。ゆういちろうにはすこぶる不評、辛すぎるとのこと。結局、彼はカレーを断念し、納豆とごはんに変更、ベジタリアン的な夕食となった。2,3歳の頃は、辛いスープカレーを平気で口にしていたのに、辛みに関しては、大きくなってからのほうが好みが出てきたみたいである。特に、タイの辛さは、苦手のようだ。



裏庭に植えたチューリップも開花した。今年の裏庭は、花瓶にチューリップをたっぷり生けた雰囲気になればいいなあと思って、底の抜けた木製の鉢を地面に直置きし、土を継ぎ足し、サークルで囲んだようにして、その中に、値の下がった色とりどりの見切り品の球根をぎっしりまとめ植えしてみた。この方法は比較的うまくいったように思う(自画自賛ですみません)。

晩秋の寒さのなかで春を夢見て仕込んだことが、その夢を忘れた頃に、実際の春が来て報われる。園芸サイクルはのんびりしていて好きだなあ。

2014.4.15

・青梗菜のスパゲティ、しょうゆガーリック風味
・ローストポーク
・じゃがいものグラタン&キムチ
・ルコラとプチトマトのサラダ

メインのローストポークは夫が前の晩から仕込んでいたもの。おいしかった。ありがとう。スパゲティは、いわゆるアーリオ・オリオ・ペペロンチーノと呼ばれるものに近いが、青梗菜と隠し味程度にしょうゆを加えたら、より味わいが増したように思う。

朝からずっと、これから私たちはどこに行ってしまうのかと大人の会話を夫と二人でしていたら、お昼ごはんのときにゆういちろうが、全然話に入れずに面白くないから、スタップサイボウの話はもうしないで!!と、爆発。それでも無視してああでもないこうでもないとしゃべり続けていた。申し訳ないが、止められなかった。

夕方になって、ゆういちろうは、「ダンシングオールナイト、こっとばににすれば~~、ダンシングオールナイト、嘘にそっまる~~」と急に歌い出し、おかあさんたちの言っていることは、もしかしてこういうことなの?と、話に割り込んできた。なぜ彼がこんな昔の曲を知っているのかというと、父親のiPodに入っている曲をたまに勝手に聴いているからなのだが、それにしてもこちらとしては、思いっきり意表をつかれた感あり。そして、そっか、「日本の気分」を知るには、J-Popを聴けばいいのかと思った次第。

たとえば、彼女が陥ったのは、嘘でもなんでもいいから成果を出し続けないと誰にも相手にされないから、夜も眠らず、ずっと踊り続けなければならなくなった状況なのかな、とか。


  「ダンシング・オールナイト」   作詞:水谷啓二 作曲:もんたよしのり

 
  甘いときはずむ心
  ひと夜のきらめきにゆれる
  キャンドルがうるむ瞳の中で
  無邪気に踊ってみせる

  ダンシング・オールナイト 言葉にすれば
  ダンシング・オールナイト 嘘に染まる
  ダンシング・オールナイト このままずっと
  ダンシング・オールナイト 瞳を閉じて

  独り言吐息ひとつ
  それだけで崩れてしまう
  あぶなげな恋としらず
  ぬくもりを手さぐりしてた

  ダンシング・オールナイト 言葉にすれば
  ダンシング・オールナイト 嘘に染まる
  ダンシング・オールナイト このままずっと
  ダンシング・オールナイト 瞳を閉じて

  この店で最後の夜を
  どちらからともなくそう決めて
  思い出をなぞるように踊る
  初めて会った夜のように

  ダンシング・オールナイト 言葉にすれば
  ダンシング・オールナイト 嘘に染まる
  ダンシング・オールナイト このままずっと
  ダンシング・オールナイト 瞳を閉じて

  ダンシング・オールナイト 言葉にすれば
  ダンシング・オールナイト 嘘に染まる
  ダンシング・オールナイト このままずっと
  ダンシング・オールナイト 瞳を閉じて


あと、彼女に同情的で、善良な人のなかには、『セーラー服と機関銃』的な感性を持っている人がいるかもしれないな、とか。自分の罪をちゃんと認め、いったんは退いた後で、またもどっておいでと。


  「セーラー服と機関銃」   作詞:来生えつこ 作曲:来生たかお


  さよならは別れの 言葉じゃなくて
  再び逢うまでの 遠い約束
  現在を嘆いても 胸を痛めても
  ほんの夢の途中
  このまま何時間でも 抱いていたいけど
  ただこのまま冷たい頬を あたためたいけど

  都会は秒刻みの あわただしさ
  恋もコンクリートの 篭の中
  君がめぐり逢う 愛に疲れたら
  きっともどっておいで
  愛した男たちを 想い出にかえて
  いつの日にか僕のことを 想い出すがいい
  ただ心の片隅にでも 小さくメモして

  スーツケースいっぱいに つめこんだ
  希望という名の 重い荷物を
  君は軽々と きっと持ち上げて
  笑顔見せるだろう
  愛した男たちを かがやきにかえて
  いつの日にか僕のことを 想い出すがいい
  ただ心の片隅にでも 小さくメモして


誤解があってはならないので、一応言っておきますが、こんなことをして「今」を分かった気になっている訳では決していない。その反対。あまりに「世論」と自分の考えとのあいだにずれがあり、どうしてそうなるかわかんないわかんないと頭を抱えていたので、無理矢理にでも、こんな感じなのかしらと、心を落ち着けるためにやっている作業の途中経過を書いたまで。それくらい、私にとってあの会見は「事件」だったのである。


2014.4.13

・ごはん
・中華風ピリ辛スープ
・八宝菜
・チンジャオロース

スープは私が、八宝菜とチンジャオロースは夫が作った。ひさびさの中華だ。私はおいしかった。が、しかし、スープの味付けに夫とゆういちろうからクレームがついた。エッセ「男の料理の基礎」のレシピを参考に作ったのにもかかわらず、酢を入れてすっぱくした中華風スープは好きではないとのこと。胡椒でピリ辛にするのはいいが、酢は入れないでね、とさ。はい、へい、ほー、わかりやした、合点でごやんす。

 

   

早咲きのチューリップが咲いた。今年は赤いチューリップを数種類セレクトし、土手は赤いチューリップシリーズになるようにした。白い花も負けてはいない。下の段の写真、左から、シャガ、水仙、ハナニラ。一番右は、祖父母のお気に入りだったちぢれ葉のツワブキ。すでに虫に食われてしまい、壮絶なすがたかたちをしている。

お花もお茶もそういえば植物由来だ。心をこめて植物と接するとよい気分になる。気のせいかもしれないが清浄な時間に身を置くことができるような.....。この感覚を大切にしよう。

2014.4.11

・宅配ピザ

カレーライス→スパゲティ・ミートソース→宅配ピザオンリーという、身を持ち崩していくパターンの典型例のような献立。気分が少々やさぐれていたから、今晩は許して。

研究者が所属研究組織の決定に対しておこなった不服申し立て会見を、テレビの生中継を通じて見た。あまりに薄汚く、うっとおしいことこの上ないが、だからといってずっとやさぐれた気分をひきずっていてはダメだ。

科学者のおこなう事実認定と法律家のおこなう事実認定とでは手続きの仕方が全然違うのに、あれだとごっちゃにされてしまうような感じがして、非常に違和感を覚えた。そして科学者が気を抜いていると、なし崩し的に科学の世界に対する政治介入、司法介入を許してしまうような嫌な予感を覚えた。特に、放射能汚染に関する基準値設定など、直近にも問題山積みだから。科学は科学として独立した価値観を持っていること、安易な介入はさせないぞという気概をもって、科学者、研究者ひとりひとりが最大限自分のできることでもって、専門家としての信頼回復に向けて努力しなければならないと思った。科学者はからだをはって科学の砦を守らなければならない。研究者は公共の利益とは何かを本気で考えなければならない。

今回の騒動は動きの何もかもがあまりに拙速にすぎる。疑心暗鬼の塊。でも世間は鬼ばかりではなかろう。まあまあお茶でも一服いかがかと、こう着する間柄をとりもつような、現代の利休のような存在の出現が待たれる。

2014.4.9

・スパゲティ・ミートソース
・ルコラとラディッシュのサラダ

ひき肉とマッシュルームが冷蔵庫にあまっていて、今晩こそミートソースを作らねばと思ったが、考えてみれば、カレーに続き、ミートソースを作るとは、まったくもっておこさま嗜好だ。ついでにいえば、玉ねぎを切らしていることを忘れており、冷蔵庫のなかで微妙な量あまっていたキャベツで代用してみた。ミートソースの場合は、キャベツでもたまねぎでもそれほど味に差は出ないということがわかった!! とにかく肉とトマトが大事で、あとは結構何でもあり、かも。私の舌はそれほど大雑把! どこでも生きていかれる感じがしてむしろ喜ばしい。

夫は野菜売り場でラディッシュを見ると、ほぼ必ず買って帰る。味も見た目も全部が好きなんだそうだ。食卓に出すと、気持ちが明るくなる野菜があって、よかったね。ゆういちろうが小さい頃は、家庭菜園なるものを手掛け、ラディッシュを植えたこともあるが(小さな子どもの力でも簡単に引っこ抜ける)、そういえば最近は全然育てていない。



私の好きなのは、三つ葉とか大葉とか菜の花とか、少し癖があるけど軽い感じのする軟弱野菜かなあ。吸い物に三つ葉を散らした後、根元だけ水につけておいたら、すぐに新しい葉が生えてきた。春の木の芽どきは、台所でも、ついこまごまとこういうことをしたくなる。



思い出した(!) この前、うちで食べた菜の花の天ぷらがおいしかったのだった。ほんのり苦みがあって。天ぷらはお店で食べてもおいしいし、うちで作ってもおいしいし、最高の料理法のひとつですね。なんだかとりとめがありませんが、今晩はこのへんで。おやすみなさい。

2014.4.7

・カレーうどん
・スライストマト

夫はお花見で帰りが遅くなるため、ゆういちろうと二人でとっても簡単な夕ごはんにした。カレーうどんの隠し味に特製ポン酢を入れたらおいかった。

帰宅した夫より聞いた話。一緒に仕事をしている東南アジアからの留学生(日本語堪能。英語はほぼネイティブ)が、とある日本人の教授先生と研究についてお話する機会があり、その先生が、「君なら英語が分かるだろうから、英語で話そう」と提案し、しゃべり始めた。ところが、何をおっしゃっているのか、さっぱり分からず、「すみません、分かりません」「すみません、分かりません」と答えていると、俺の英語がわからんのか、お前は馬鹿かと言わんばかりに、今度は日本語で「そんな研究では全然ダメだ」と一方的にお叱りを受けたとのこと。

聞いているこちらが穴があったら恥ずかしくなるほど、恥ずかしい行為だと思う。

その留学生の方いわく、国際会議等の場で夫のしゃべる英語はふつうに聞き取れる、でも普段、日本にいるときは、英語がそれほど得意ではないから、日本語で自分に話しかけてくれる。それはとても自然なこと。ありがたく思っている。分からない英語でしゃべりかけられるほど、困ってしまう事態はないと。

そうだ、思い出したことがある。

私たちがおこなった描画ロボットに関する研究を、去年、東京で開催される大きな国際会議に申し込んだところ、どう考えてもジャパニーズイングリッシュをお書きになる査読者の方にあたり、「プアイングリッシュで、何を言っているのか分からない。ネイティブチェックを受けるように」という理由で落とされたことがある。

実は、その論文を英語で書いていくときは、アメリカ東部エスタブリッシュメント出身の、「美しい米語・英語」を日常的に書いたり話したりする友人に、隣にいて助けてもらいながら仕上げたのだった。日本に来てからは科学論文の英語添削に長年関わり、なおかつ、中島みゆきの歌を英訳するお手伝いもして、日本語の情理も深く理解している方である。私たちの書いた英語で意味の通じにくいところは、日本語で彼女に説明をし、論点をちゃんと理解した上で、素晴らしい英語になおしてくれた。

「ネイティブチェックを受けろと言われて、論文が落とされました」と、散々お世話になった彼女に事後報告に行ったら、目を真ん丸にしていた。とはいえ、そのとき私たちは不服申し立てはしなかった。なぜならおそらく査読をなさった方は、その英語の書きぶりから見て、相当高い確率で日本人。日本人どうしで国際的な場で恥のさらしあいをしてはダメだと思ったから。足を引っ張り合ってどうするよ、という気持ちのほうが大きかった。

どんどん記憶が呼び起こされる。今は亡き祖母から子どもの頃聞いた話。

祖母には子どもの頃ほとんど一緒に育ったような従弟がいて、彼は、戦前、学者の卵として留学先のアメリカで大変な苦学をしており(今と違ってすさまじい経済格差)、帰国後、外交官の娘と結婚してからも自宅では英語とフランス語をしゃべる生活を続けていたという。

有事はいつ起こるか分からないから、そうするしかなかった。威張るために外国語をしゃべるのではないのである。国際社会において日本人として恥ずかしくない行動をするためには、生活の場面でも、自国語をしゃべることを禁じられている人たちもいるということは、田舎者の私にとって驚きだった。

その祖母が小さい頃の私に常々言い聞かせていたのが、自分の国の言葉(方言を含む)をしゃべることができて、自分たちは幸せだということだった。だからこそ、土着の民として誇りをもって生きていきましょう、ということを教えられた。

ああ、いろいろ思い出してしまった。ちゃんと生きなければ。

2014.4.6

・チキンカレーライス
・トマトとモツァレラチーズのサラダ
・お昼のおつまみの残り、3種

ゆういちろうたっての願いで、久々にカレーを作った。明日もカレーで乗り切ろう。そして、かわいいものを見て、和もう。



帰省先の長崎で行った居酒屋にて、帰り際に女将さんがゆういちろうに木彫りの小鳥さんをくれた。おじいちゃんが趣味で作っているそうだ。ゆういちろうの友達のおばあちゃんが作った松ぼっくりの置物と合わせてみた。和む。



花束シリーズ第3弾。正面、側面の次は、背面。少しずつシンボルとなる花を変えながら、見る方向によって微妙に異なる表情を出しつつ、全体としては統一感のあるアレンジとなるよう心掛けました。オカンアート的自画自賛。

2014.4.5

・ごはん
・昨日の残りのミネストローネ(野菜のみ)
・ポークステーキ、大根葉ソテー添え、おろしポン酢で
・冷や奴

かんきつ系果物を絞って特製ポン酢を作り(だし汁・しょうゆ・果汁の割合=1:1:1)、そこに大根おろしを加えて、焼いたお肉にたっぷりかけていただく。最近、マイブームな肉の食べ方。脂身の多い肉でも、胸やけせずに、最後までさっぱりおいしく食べられる。

ふいに悔しさがこみあげてくることがある。

そのまま黙っている事が要求される。声を上げると叩かれるか、沈黙のままで干される。怒りは社会的にも迷惑なことで、耳心地の良い従順なカタチを求められているし、卑怯な振る舞いにも耐えなくてはいけない。結果だけが上滑りしていく。あの人も我慢してるんだからあなたも我慢しなくてはいけないと、誰かがいう。その対象を絶滅に向かわせる。

実は直前の文章は、映像作家・今野裕一郎さんの2014/4/4付の日記、「バストリオ、書く!」からそのまま拝借したものである。これを読んだとき、びっくりしましたよ。まるで私が書いたのではないかと思うような文章で。作品を通してしか存じ上げない方なのに、私、知らぬ間に念を送ったのかしら!!

楽しいことやうれしいことがあれば、喜びすぎない程度に気をつけていれば、その感情を表出したとしても、誰もそれほど表出作法についてとやかくうるさく言われないと思うが、怒りや悲しみの感情は、別。うかつに表してしまうと、自分の意図をはるかに超えて伝播してしまうから、気をつけないといけない。しかも、たいていは、反省してほしい人たちや組織のところにはそれは届かず、もっとも侮蔑の対象から遠く離れている方に、なぜか届いてしまう。ご自分のこととして受け止められてしまう。場合によっては、もっとも倫理的な人を悲しい思いにさせたり、傷つけてしまう。まさにジレンマ。

オマエに言ってんだよ、泣かしたろか、と思う相手にはたいてい届かず、それ以上反省する必要もないでしょうにと、ひそかに尊敬する相手が、私の感情的な言葉に泣いてしまう。怒りや悲しみの感情と一体どうお付き合いすればいいのかなあ。本当に難しい問題だと思う。人生修業。

閑話休題。



お花はいいなあ。夫が大学の謝恩会で学生さんから豪華な花束をもらった。当初は紫の大輪のバラと深紅のミニバラもあったが、しばらくして萎びた。上の写真は、それらを除いて、少し切り戻ししてさっぱりさせたときのもの。下の写真は、そこにさらに、庭に咲いた黄色と白の2種類の水仙の花とピンクのヒヤシンスを足したときの様子。雨に打たれて倒れた花たちが生き返りました。足したり引いたりして、最後の一輪が枯れてしまうまで楽しもうと思う。



2014.4.4

・ごはん
・骨付きチキン入りミネストローネ
・昨日の回鍋肉の残り少々(夫とゆういちろうのみ)
・冷や奴

野菜たっぷりの具だくさんスープを作った。スープとごはんだけで栄養をたっぷりと採ることができると思う。満足。あとは副菜として豆腐をつけた。日中汗ばむ陽気だったせいか、冷や奴(冬は絶対食べたくない!)にしたらやけにおいしかった。今晩はしょうゆをかける気がせず、塩をほんの少しだけかけた。

5年生の終わりにゆういちろうはいろいろと思うところがあって、急に勉強に力を入れ始めた。また、担任の先生から将来なりたい職業をあげるように言われたとき、造形作家と答えた。彼いわく、造形作家の仕事のなかには文章を書くことも含まれているとのこと。(先生、そうでしたか!!) 春休みに入ってから、短い物語も書いた。以下、ゆういちろう先生の許可をもらって、縦書き原稿に書かれた物語「青春時代」を、ここに転載する。

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青春時代

 この物語は、青春小学校の五年四組の「井津藻元気(いつもげんき」」という男の子を主人公にしたものである。性格は陽気でテストの成績も結構良い方だ。
 そんなある日、元気はとある女の子と出会った。その子の名前は、「田中桜(たなかさくら)」という子だった。元気とは性格が逆でどんな時でも冷静ちん着だった。そんな子と会ってから二人はだんだん気が合うようになっていった。


 それから数年後というものの高校生になった元気と桜はあっという間に恋(こい)におちた。ここ最近は、おたがいの家まで遊びに行った事もある。そんな二人にダイナミックな事件が起こった。なんと婚約をしたのである。その翌日、テストがあった。科目は算数だった。元気は一番得意だったが、桜は国語と理科は大得意だけど、算数は少し苦手だった。授業が終わった放課後、桜はため息をつきながら帰っている途中、元気がやって来て桜をなぐさめてくれた。桜は元気になった。そのまた翌日、昨日やったテストが返ってきた。結果はなんと二人とも百点だった。二人は喜び合った。二人が家に帰ってそのテストを見せたら二人のお父さんとお母さんは泣くほど大喜びした。


 またまた数年後、大学四年生になった二人は、小学校の時よりも成績が大きく伸びた。特に桜は大きく進化した。苦手だった算数も今では、計算や文章題などがスラスラ解けた。そんなある日、二人は試験をやった。
 その翌日、試験の告知の手紙がかえってきた。元気は九十八点、桜は九十六点だった。二人にとってみればまあまあの点数だった。
 それから翌年の四月、二人は大学を卒業した。卒業後、二人は別々の仕事を見つけて取り組んだ。そして二人が二十四さいの時に結婚式をあげた。結婚式をあげた場所はハワイだった。結婚して四ヶ月後、桜は双子の子どもを産んだ。現在、桜は三人目の子を妊娠してハワイに移住している。次の出産は来年の春になる。そしていよいよ三人目の子を産む時が来た。そして三人目の赤ちゃんが産まれた。
 家は業者さんが来てくれて建ててくれた。家から10分のところでビーチがある。そこでいつも遊びに来ている。
 三人目の子を産んだ後も幸せに暮らしている。

          fin


2014.4.3

・ごはん
・大根と三つ葉の澄まし汁
・天ぷら(海老、菜の花、大葉、茄子、かぼちゃ)

3月がもう終わってしまう。密度の濃いひと月だった。更新せぬ間に季節が移り変った感あり。



       

わずかな期間だが休暇と帰省を兼ねて長崎に行った。桜が満開だった。近海の魚と鯨と筍の刺身を存分に楽しんだ。今晩は夫が天ぷらを揚げてくれた。おつゆと塩、どちらもおいしかった。

2014.3.30

・鯛ご飯
・しじみの味噌汁
・れんこんと長ねぎのチーズ焼き
・大根のチョナムル
・トマトとレタスのサラダ

魚介がどうしても食べたくなった日。父の釣った鯛の切り身を使って鯛ご飯を作った。そのほかいろいろな地域のものを合わせた献立にした。

原稿の締め切りを抱えていて今は多くを語れないのですが、取り急ぎ、お知らせまで。今年度春学期に非常勤講師をさせていただいた四谷アート・ステュディウム(近畿大学・東京コミュニティカレッジ)の閉校措置をめぐって、受講生を中心とした有志による署名活動がおこなわれています。どうかご参照いただけたらさいわいです。


【署名サイト】http://p.tl/MjLX
【twitter】https://twitter.com/ytysign
【facebook】http://on.fb.me/19lXo5j


3月に閉鎖する予定であるというのに、この時期になっても、まだ一度も今回の閉校措置をめぐる説明会が開かれていないことに対して、私自身は大変遺憾に思っています。教育・研究機関において、下位組織が一部閉鎖されるということ自体は今の時代においてそれほど珍しくはないと思うのですが、そのことに対して一切説明がないというのは非常に異例のことだと思います。普通ではないことが目の前で起こっていると認識しています。ゆえに私は嘆願の意をこめて署名いたしました。

2014.3.4

・ごはん
・シュークルート
・トマトとレタスのサラダ
・ブルーチーズ

夫の好物ということで、先日、今度はまた別に、岡山の牧場兼お肉屋さんの作ったソーセージとベーコンのセットが実家より届いた。それをつかって彼の好物であるシュークルートを作った。私はいま、他人の好物を作って、どうおいしいでしょ!!と迫り、自己満足するというモードに突入している。家庭内で、ありがた迷惑な存在にならないよう細心の注意をはらいつつ(小心者なので)。

    

最近撮った庭の花の写真。暖かくなって梅の花が一気にほころんだ。バラも大事な芽を残してすっきり剪定した。その際出てきた実や花のついた枝で、きれいなものは家のなかに飾った。植物は好きだなあ。植物相手に作業していると本当に気分がいい。

自分の使命というものを、ようやく認識しつつある今日このごろ。癇癪持ちのかつての自分とはおさらばだい。相手の知性に最後まで敬意を払い、粘り強く分かってもらえるまで丁寧に説明する。がんばるぞ。

2014.2.27

・かに鍋
・〆うどん

実家から送られてきたずわいがにを鍋にして食べた。ゆういちろうが好物のおかげで、我が家はかにに恵まれている。甲殻類はいい出汁がでるなあと思いつつ、最後はうどんをいただいた。

食後は、オリンピック・男子アイスホッケー決勝戦(スウェーデン対カナダ)を見入っている。現在は、第2ピリオドから第3ピリオドにかけての休憩中。夫いわく、「恐ろしい~、あんな棒持った人にどつきまわされたら、死ぬで」。ゆういちろういわく、「男たちには戦う気力がみなぎっている!」。キーパーのごっついいでたちを見て、私も思わず、「こりゃ、ロボットを使った代理戦争ゲームだね」とうなってしまった。

2014.2.23

・鶏鍋
・各種おつまみ

昨日は、ようやくレポート採点が終わり、溜まったストレスを発散するためにいろいろと作ったのだった。(1)豚バラと大根の煮込み(豚の角煮風)と、(2)頂き物の絶品玄米餅を焼いて、ほんのり甘く炊いた小豆と合わせたもの、(3)塩味と味噌味の2種類の白菜ナムル。今晩は、昨日の残りもの各少々に、具の種類も分量もシンプルに構成した鶏鍋を合わせ、日中韓をちゃんぽんにした友好的な食卓にした。

今日は善き一日哉と、ご機嫌で眠りにつきたかったが、やっぱりどうしても書かずにはおれない。それはゆういちろうの教育で気をつけていること。したり顔で「これが私たちなちの食育です」と言っているように聞こえた方がいらっしゃれば、不快な思いをさせてごめんなさいと最初から謝っておきたい。けど私たちは、今この時期に、この国で、こういう風な気持ちでご飯をつくっています、と書き遺しておきたくなったから書きます。

好む好まないとに関わらず消費社会にずっぽりと取り囲まれて生きてしまっている以上、消費社会はけしからん!と言っているだけではダメなような気がして、なるべくいろいろと考えるような仕掛けを、自宅の食事のなかでも作っていきたいと考えてきた。もちろんいつもいつもそんなことをしている訳にもいかないので、思い付いたときに、思い立ったが吉日と取り組むようにしてきた。

例えば、1月は夫の誕生日があり、本人からウクライナ風のボルシチと骨付きチキンのローストを作ってと、正直にいって主婦にとっては何ともめんどくさいリクエストが強く寄せられた。だいたいウクライナ風って何よ?という感じだった。だが、よくよく話を聞いてみると、ウクライナが今大変なことになっていることを、ゆういちろうに伝えておきたいという気持ちがあることが分かり、そういうことなら作りましょうと相成った。



食事を通せば、非常に具体的な形で、自然とウクライナの話になる(=つまり、どういうものがボルシチと呼ばれていて、なおかつそこにウクライナ風という意味がつくのはどういうことなのか。そこから会話が始まる)。そのうえで、今のロシアが旧ソヴィエトだった頃から東ヨーロッパとどういう関係を持っていたか、なぜEUが立ち上がったか、なぜイギリスはEUを脱退したいのか、細かい正確な話はおいておいてざっくりとでも、アメリカとの関係も交えながら、ドラえもんのキャラクターにも登場してもらいながら面白おかしく、大国はい~~~つも自分勝手なことをして本当に嫌になるよねとおしゃべり。

でもどちらかというと、1月の段階では、奈良の田舎町でも、駅前のショッピングモールに行けば、世界中から物があつまり、ビーツの缶詰が安く簡単に手に入ることの意味を話しあった。本格的な本場のウクライナ風ボルシチかどうかは、ウクライナと直接縁のない日本に住む私たちには判り兼ねるが、それでも質の善し悪しを問わなければ、家庭でも簡単になんちゃってボルシチを作ることができる。だけど、おそらく逆はないでしょう。今のウクライナの地方都市、田舎町で、お誕生日のお祝いに、家族の健康と異国情緒のために、日本のわかめと豆腐の味噌汁を作ってほしいとリクエストして、それが簡単に可能になるとは思われない。

今日になって、ウクライナ情勢がメディアを通じて伝えられた。たくさんの死傷者が出たと。ゆういちろうも私も映像に釘付けになった。怒りに満ちていた。ゆういちろうは、今日は、冗談混じりで親からの「解説」を聞くような状況では、もはやないことを、察知したようだった。1月の段階で、今にして思えば遊び感覚で、お誕生日の話題のひとつにウクライナを取り上げたことが、すごく恥ずかしいことのように私には感じる。ミーハーにすぎたのではないか。でも、ここまでの状況になるとはそのときの私は想像していなかった。ゆういちろうに対しては、せめて、ぐだぐだ言い訳をしないことに努めたいと思った。

そして今、私の貧しい想像力は、次のような事態を想定している。日本の現状に対して、諸外国の方々は、きっと今、公的にも私的にも、面白おかしく批評したり、解説したりしているに違いない。でも、そのうち、日本は、人道的にいって、決して誰も笑えない状況になってしまうのではないかということ。

でも、そのような笑えない状況のなかだからこそ、笑いや遊びの意義について考えることができるのかもしれない。(ものすごく前向きに考えるとすれば。)冷笑ではなく、ついにっこりしてしまうような笑い。何かを粗末に扱うようなお遊びではなく、とんでもなく無駄に人生を浪費しているかのように見えて後から振り返ればあれは生き延びるための遊びだったねと、にんまり思い出すことのできるような遊び。

そして、自分のなかに湧き上がる怒りや悲しみの感情とどう向き合うか、付き合うか。下手に暴れようものならプチっとつぶされる。虫けらのように。でも下手にごまかしたり、抑圧しようものなら、心も体も悲鳴をあげてビョーキになってしまう。早死にしてしまう。本当に本当によくよく気をつけなければ。

2014.2.19

・鶏団子鍋



ゆういちろう、空手昇級おめでとう!! 帰宅後、いったん昼寝。そして夜には俄然お勉強モードに。夕飯は、簡単な鍋料理に。

今晩はおもに太陽系の仕組みについて。太陽系惑星の自転と公転。夜と昼の起こる仕組み。地軸が傾いているから春夏秋冬の違いが出てくること。地球と月との関係。月は衛星にしては馬鹿でかい大きさをしていること(=他の惑星の衛星は、惑星に対して豆粒、ケシ粒くらいの大きさであるのに対し、月は地球の3分の1もの直径がある!)。そのため、月は地球の海水を引っ張り、潮の満ち引きが引き起こされていること。などなど。

実を言うと、その前ひと悶着あったのだった。勉強したくない。なんで勉強する必要があるのか、勉強して何の意味があるのか。俺は馬鹿だからいくら勉強したってたぶん全部はわかりっこない。それにお母さんだって、仕事やりたくないやりたくないと言ってしょっちゅう遊んでいるじゃないか、と。親としてどう答えたかを簡単にまとめると次のとおり。

(1)学校の勉強をして直接何かに役立つことはほとんどないと考えたほうがいい。さらにいえば、(2)むしろ勉強しないほうが、聞きかじりの知識を得意気に披露し、ハッピーな気分で調子よくみんなに向かって威張れる人になれるかもしれない。(3)でもそれが、自分(たち)だけハッピーで、みんなにむちゃくちゃ迷惑をかけていることになるかもしれない。(4)人は誰だって、多かれ少なかれ、勉強しようがしまいが、お互いに迷惑をかけあって、だからこそ助け合って生きている。だけど、勉強をしないでいると、知らずに余計な迷惑をみんなにかけていることに、なかなか気付くことができないと思う、(5)ゆういちろうはどういう人間になりたい? 勉強したいと思うか、したくないと思うかは、ゆういちろう次第。どういう状態をハッピーと思うかも、ゆういちろう次第、(6)お父さんお母さんは、みんなが心からよろこんでお互い様だねと言いながら助け合う社会に生きたいと願っていて、そのためには勉強する必要があると思っている、特に公理の勉強は学校でちゃんと学ぶべし。(7)もちろん1人の人間が生涯をかけて勉強できることには限りがある。仲間と知恵を分かち合うことが必要。自分がよくないことをしたらちゃんと指摘してくれる人が大切な仲間。

ほとんど自分たちに言い聞かせるかのように真剣に言ったら、何かは、伝わったみたい。通常の生活においては、そんな偉そうなことを言える人間では決してないのだが、だからといって子どもの意見に同調するわけにはいかない。最近のニュースを通じて見せつけられる指導者、責任者の方々の言動が強烈すぎて、気付けば、熱弁をふるっていた。おかげで、1人の小学生男子が、俺は勉強するぜ!という気になったのだから、ものすごい反面教師効果ともいえる。

2014.2.16

・長崎ちゃんぽん

  

朝起きると、雪だるまが前傾姿勢になっていた。「僕は前のめりにしか生きられない」と言っているみたいだという父親の意見に対して、ゆういちろうは、「いやちがうよ、肺結核にかかって咳き込んでいる状態」だと主張。なんて文学的な見立てなのだろう。

外に出て、正面にまわってみると、目も口も落ちていた。かなり凄惨な表情。しばし絶句。だけど、ゆういちろうは、まだ生きていると言いながら、もういちど目と口を用心しながらそれはそれは丁寧につけた。再び魂がもどってきた感じがした。

「僕の出番はもう終わりです。もうすぐ春が来ます。ニッポンをよろしく頼みます、ゆういちろう君」って言ってるように聞こえた。気のせいだとは思いますが。



夕方になると、雪もほとんど溶け、雪だるまは崩壊した。



ケーキを焼いた。我が家の男性陣にも好評でよかったよかった。板チョコのままのほうがよかったと言われたら、もう二度とうちではケーキを作らないと、決死の覚悟で臨んだ甲斐があったというもの。闘志やら緊張感やらというものは、普段の生活のなかでこそ培われるべき。 じゃないといざというときに加減がわからず、力を発揮できない(ムキッ! 闘魂!!)。

夕飯は夫が作ってくれた。ありがとう。明日は、ゆういちろうの空手昇級試験があり、早朝には出発する必要があるので、今晩は早く寝ようと思う。おやすみなさい。

2014.2.15

・昨日の残りの豚ひき肉カレー&ライス
・トマトと春菊と生ハムのサラダ
・茹で卵



     

今年一番の大雪。奈良市が警報発令。でも学校を早引きした子どもたちがおとなしく家の中にいるわけがない。ともだちと雪だるまやら雪合戦やら、やることがいっぱい。



なんだか本当に心ある人みたいに思えてきた。車は当分出せそうもない。

夕飯は残り物を中心に簡単に済ませた。愛をこめてチョコレートケーキを焼くつもりが、それどころではないことがたくさん起こって断念。締め切りを一週間も間違えていたこと(手帖への記載ミス)が発覚するなどもう大変。ごめんなさい、ごめんなさいと思いながら、慌てて対処するという大ポカ。他にも何か大事なことを忘れていないかドキドキしている。重なるときは重なるので本当に気をつけよう。2月20日(木)に、ゆういちろうの学年最後の参観日があったのも、あやうく見落とすところだった。

2014.2.14

・ごはん
・ねぎと豆腐の味噌汁
・豚しゃぶ、玉ねぎ入りポン酢で
・春雨とわかめの酢の物

忙しい1週間だった。個人的には、2月6日(木)がピークだったなあ。家の見学会(案内チラシ)とレポート採点締め切り日が重なってしまい、頭も体もどうにかなりそうだった(笑い)。

家の見学会では、60名ほどの方々が2班に分けていらっしゃった。遠くからは北海道からお見えになった方も。いい家を提供したいという工務店の方々、建築家の方々の熱意に触れることのできる貴重な機会だった。私もちゃっかり他のお宅を見学させてもらうことができてラッキーだった。やっぱりなんだかんだ言っても、現物を見る、現地に身を置く、ということはとても大事なことだと思う。ハピネス。定量化できないが、強く感じた。

今晩はありあわせのもので食事を作った。先日せっかく鶏の水炊きを作ったのに、市販のポン酢だれをうっかり切らしていることに気づき、急きょ家にあったみかんでポン酢を手作りした。みかんジュース主体の甘めのポン酢が出来上がった。今日は、その余りを利用して、みりん少々を足してたまねぎドレッシングにして、豚しゃぶをいただいた。美味でした。

食事を作っている最中から、食後にかけて、夫がフォークソングをがんがん鳴らした。ひさびさに吉田拓郎を聞いた。泣けるぜ、ぷ~。 東京がんばれ!! 雪に負けるな!!!

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『唇をかみしめて』   吉田拓郎


ええかげんな奴じゃけ
ほっといてくれんさい
アンタと一緒に
泣きとうは ありません

どこへ行くんネ
何か エエ事 あったんネ
住む気になったら 
手紙でも 出しんさいや

季節もいくつか
訪ねて来たろうが
時が行くのも ワカラン位に
目まぐるしかったんじゃ
人が好きやけネー 人が好きやけネー

さばくも さばかんも 空に任したんヨー

人がおるんヨネー 人がそこに おるんヨネー

何かはワカラン
足りんもんが あったけん
生きてみたんも
許される事じゃろう

自分の明日さえ
目に写りもせんけれど
おせっかいな奴やと
笑わんといてくれ

理屈で愛など
手にできるもんならば
この身をかけても すべてを捨てても
幸福になってやる
人が泣くんヨネー 人が泣くんヨネー

選ぶも 選ばれんも 風に任したんよ
人がおるんヨネー 人が そこにおるんヨネー

心が寒すぎて
旅にも 出れなんだ
アンタは行きんさい 遠くへ行きんさい
何もなかったんじゃけん
人が呼びよるネー 人が呼びよるネー
行くんもとどまるも それぞれの道なんヨ
人が生きとるネー 人がそこで生きとるネー
人がおるんヨネー 人がそこにおるんヨネー


2014.2.8

・太巻き
・素うどん

節分の日ということで豆まきをしたあとに、太巻きをいただいた。豆まきでは、鬼役はなぜかいつも私。今年は迫真の演技で、庭の木の枝を折って振り回してやった。夢に出てくるがいいさとばかりに。なのにみんなのノリが悪く、これじゃあ普通に玄関から中に入れるじゃないか、もっと強く豆を撒けと、ゆういちろうに演技指導までしていたら、大きな声を出すんじゃない、ご近所さんに見られるじゃないかと、夫よりストップがかかった。まあ、たしかに大人気(おとなげ)ないのでいい加減のところで止めました。

なんだか妙なテンションなので、まずは落ち着かなくては。



写真は、今年少々遅れての初詣の際に撮った手向山神社の鳩の御神紋。鳩絵馬もとてもキュート。向かい合った二羽の鳩のあいだのハートマークがかわいい。鳩なのでてっきり平和の象徴かと思っていたのだけど、聞くところによるとそれは西洋式の認識らしく、もともと神社における鳩とは、「八幡大菩薩の使い」、「勝利を呼ぶ瑞鳥」、「武運を祈る鳥」を意味するそうだ。

なんだかそういうのを知ってしまうとますます、「己の信念をかけて散るのは本望、でもそうたやすくは負けやしませんよ、私は。真理はこちらにあると信じとりますから。」と誰かれ構わずじっと目を見て説得しそうな勢いになってしまう(笑い)。やっぱり「まじヤバイテンション」なので、まずは落ち着かなくては。

2014.2.3

・ごはん
・トマトのポタージュスープ
・ハンバーグ、マッシュポテトと青梗菜のソテーを添えて

昔は、人間が今よりもずっと単純だった上に馬鹿の癇癪持ちだったのでなかなか気付くことができなかったのだが、どう考えても私は、人生の要所要所でいろいろな方々にたくさん助けていただいて生きてきたのだとつくづく思う今日このごろ。

1月26日は夫の誕生日だった。ある方から、石垣りんさんの詩を贈っていただいた。



  年を越える


   そして さしかかる
   峠
   私たちは登りつめる。
   一年の終わりの何日かを
   どうしても
   どうしてか
   越えなければならなかった。
   だれと約束したのでもない
   そのことじたい目的があるわけでもない。
   そういう旅を人は強いられていて
   急ぐ。
   なぜか この道はさびしい。
   多勢の足音がきこえているのに
   みんなひとりの峠を越えてゆく。


この詩が気になって、この詩が載っている詩集『レモンとねずみ』を手に入れた。文庫本サイズのハードカバー。本自体もなんだかとても愛らしくていい感じ。仕事もがんばりたいし、ごはんもちゃんと作ろうって気になった。



  やさしさ


   大きな国が
   ちいさな国へ出かけて行って
   戦争しました。

   ちいさな国の
   とり残された戦争孤児を
   大きな国へ連れてきました。

   大きな国の
   大統領が出迎えて
   ちいさなこどもを抱きかかえる。

   大統領のやさしい笑顔。
   愛の規格は笑うこと
   鬼も泣こうというときに。

   大きな国の腕の中で
   どうしてこどもは軽いのだろう。
   どうしていのちはちいさいのだろう。



  母の景色


   母は
   花のように美しくなくていい。

   花は四季を忘れるほど
   咲き競っているけれど。
   人の心を温室に入れるほど
   産業は発達していない。

   冷たい波に洗われて
   岩石の表情になっても
   濡れた白砂の横顔でもいい。

   やさしさは侵食され
   愛はうちくだかれ
   希望は流されても。

   半島のゆるぎなさで
   あなたは母でありすればいい。

   いのちの大陸につづく
   ちいさなちいさな陸地、
   母たち。
   手をつないで下さい、
   すばらしい海岸線が見えてくる。



  ランドセル


   あなたはちいさい肩に
   はじめて
   何か、を背負う

   机に向かってひらく教科書
   それは級友全部と同じ持ちもの
   なかには
   同じことが書かれているけれど
   読み上げる声の千差万別

   入学のその翌日から
   ほんの少しずつ
   あなたたちのランドセルの重みは
   違ってくるのだ

   手を貸すことの出来ない
   その重み

   かわいい一年生よ。



  虹


   虹が出ると
   みんなおしえたがるよ
   とても大きくて
   とても美しくて
   すぐに消えてしまうから
   ためておけないから
   虹をとりこにして
   ひとつ金もうけしようなんて
   だれも考えないから
   知らない人にまで
   大急ぎで教えたがるよ
   虹だ!
   虹が出てるよ
   にんげんて
   そういうものなんだ
   虹が出ないかな
   まいにち
   虹のようなものが
   出ないかな
   空に。



2014.1.29

・炊き込みごはん




唐招提寺にお参りした。見るだけで気持ちまですっきりまっすぐに整えられる金堂のたたずまい。境内全体が本当にありがたい場所である。

 

帰宅後、夫が「レストランでランチをした気分になれるお昼ごはん」と軽めの晩ごはんを作ってくれた。最近しょっちゅうごはんを作ってくれるので、うれしい。私も昨日のお昼は素うどんを作ったので(温かいおつゆにからだが芯まであったまりました~)、証拠写真を載せておきます。

2014.1.19

・ごはん
・おでん




昨日はロールキャベツを作った。たいていは材料を焼くだけとか蒸すだけとか簡単な手順の料理を好んで作るのが、昨日は、自分でもいったいどういう心境の変化なのかよく分からないのだが、私にしてはとても珍しく、こねたり、包んだり、と、いつもより手間をかけた料理を無性に作りたくなった。今日はおでんを作った。細身の大根を丸々一本使った。比較的短時間で味が沁み込むようにと、厚みは少なめにカット。

素材の色が、それぞれきれいだなあと思って写真に撮った。で、ふと思い出しのが、昨年12月にもらった蟹のこと。甲羅の色にうっとりしたり、「エイリアン」みたいに怒っているような顔にちょっとどきどきしながらも、みんなでてきぱきと解体しておいしくいただいたのだった。

いろんなものを私たちは「喰ってる」んだなあと思う今日このごろ。食べることができて幸せ。

2014.1.15

・あさりのボンゴレスパゲティ
・かぼちゃのポタージュスープ
・鮭とほうれん草のグラタン
・水菜のサラダ

連休中の食事は夫が作ってくれた。なんと夕ごはんだけでなく朝ごはんも!! 朝昼兼用でゆっくりしっかり食べてもりもりがんばろうって気になった。




最近のヒットはいただきものの蜂蜜たち。蜂蜜バタートーストにするとおいしい。カロリーが気になるので休みの日に食べることにしているが、聞くところによると、ニュージーランドに自生するマヌカという植物から採れた蜂蜜はどうやらとっても体によいらしく、毎朝バタートーストにすべきかとても悩ましい。

2014.1.13

・七草がゆ
・豚の味噌焼き
・ほうれん草と椎茸の炒め物



今日でお正月気分はきっぱり終わりにし、仕事に励もう。

そのためにも備忘録としてプチまとめ。毎年恒例の葉牡丹を使った正月用寄せ植えは、今年は紫とオレンジを基調に組み立ててみた。春になるにつれ、ますます華やかになってくるはず。お節に飽きた後は、今年は焼肉にした。ポイントは、手作りのたれ。いただいた醤油ベースの二種類のたれ(ポン酢だれと、コチジャンとかくし味に酢を効かせた韓国風のたれ)と、お節用ローストビーフに使ったグレービーソース(残り物)を、お好みで交互につけていただいた。おいしかった~。今晩の七草がゆにも、ポン酢と韓国風だれは大活躍した。お椀のなかでいろいろな国に旅行に出かけたみたいになった。


2014.1.7

・ごはん
・お揚げとわかめの味噌汁
・牡蠣とほうれん草のグラタン
・豚バラと白菜の炒め物



昨晩なんであんなにゆういちろうがごはんと味噌汁にこだわったかといえば、家庭科の時間に習った料理や裁縫をうちでも練習してみるという冬休みの宿題が出されていたからだった。さらにごはんを作る直前に、証拠写真を撮って持って行かないといけないと言いだした。まったくもう、そういうことは早く言ってくれよという感じだったが、一生懸命お米を研いだり、お揚げを刻んだり、味噌を溶き入れる姿に、親ばかだが胸きゅん。出来上がりも、ちょうどよい塩梅で、しみじみとした気分でごはんをいただいた。大きくなったもんだ。ゆういちろう。

2014.1.6

・ごはん
・ごぼうとれんこんのポタージュスープ
・カツレツ
・マッシュポテト

通常のごはんに戻った。明日はごはんと味噌汁にして~と、ゆういちろうからリクエストがあり、合点承知だと答えた。



平城京跡で凧揚げをした。今年は今までで一番高く凧が上がった。糸の限界まで延ばした。いい風が吹いていた。



空を見上げ、まるでウルトラマンを呼んでいるみたいな雄姿。がんばれ、ゆういちろう!!

2014.1.5

・お雑煮
・お節 アラカルト



  

昨年のクリスマスにご自宅で丹念に手作りされたお醤油をいただいた。お正月の料理に使ってみたところ、それがもうすべての素材の味がまろやかでおいしくなり、家族全員で驚愕した。びっくり醤油。ありがたいありがたいと言いながらごはんをいただける喜び。

2014.1.2

・お雑煮
・お節 アラカルト

あけましておめでとうございます。
おかげさまで昨年はなんとか過ごすことができました。
今年もよい年になるよう精進いたします。
引き続き、本年もどうかよろしくお願いいたします。

今晩は、お雑煮をメインにして、お節はほんの少しだけつまむ程度にしました。一気に食べてしまうようなことは、今年は、ありえません。計画的に過ごします!

昨年末にいただいた贈り物、まど・みちおさんの『人生処方詩集』の中から、みんなそれぞれいくつか選んで朗読しました。私が読んだのは次の詩です。




   くまさん 



 はるが きて
 めが さめて
 くまさん ぼんやり かんがえた
 さいているのは たんぽぽだが
 ええと ぼくは だれだっけ
 だれだっけ


 はるが きて
 めが さめて
 くまさん ぼんやり かんがえた
 みずに うつった いいかお みて
 そうだ ぼくは くまだった
 よかったな


 


    トンカチ


  
 トンカチは ごきげん
 だれが つけてくれたのか
 なまえからして きにいっている
 まるでじぶんに ぴったりで


 それにしごとがまた いかす
 たたくことが そのまま
 たたかれることに なってるんだ
 たたいた かずだけ
 せいかくに たたいたつよさで
 

 おお天よ ありがとう
 こんなにこうへいな きまりを… と
 トントン カチカチ トンカチは
 こころうきうき たたきにたたく





    するめ


 とうとう
 やじるしに なって
 きいている


 うみは
 あちらですかと…





    ケムシ


 さんぱつは きらい





    ノミ


 あらわれる
 ゆくえふめいに なるために





    がいらいごじてん


 ファッション=====はっくしょん
 ア ラ モード====あら どうも
 ミニ スカート====目に すかっと
 パンタロン=====ぱあだろう
 ネグリジェ=====ねぐるしいぜ
 ダイヤモンド====だれのもんだ
 ペンダント=====へんなんだ
 マニキュア=====まぬけや
 メニュー======目に いう
 ア ラ カルト====あら 買って
 コロッケ======まっくろっけ
 ホット ドッグ====おっとどっこい
 ピックルス=====びっくり酢
 バウム クーヘン==どうも くえへん
 マロン グラッセ==まるう おまっせ
 クロッカス=====ぼろっかす
 トイレ=======はいれ
 トランポリン=====しらんぷり
 ボクシング=====ぼく しんど 
 トラクター======とられたあ





    ものたちと


 
 いつだってひとは ものたちといる
 あたりまえのかおで

 
 おなじあたりまえのかおで ものたちも
 そうしているのだと しんじて


 はだかでひとり ふろにいるときでさえ
 タオル クシ カガミ セッケンといる


 どころか そのふろばそのものが もので
 そのふろばをもつ すまいもむろん もの


 ものたちから みはなされることだけは
 ありえないのだ このよでひとは


 たとえすべてのひとから みはなされた
 ひとがいても そのひとに


 こころやさしい ぬのきれが一まい
 よりそっていないとは しんじにくい 





    ガーゼ


 
 ワタの糸と 空気の糸とが
 格子に織りあげただけのように
 見えるけれど…


 ガーゼの すみきった目には
 ありもしない敵と味方の区別などは
 見えはしない
 そこにある 傷口と
 そのために泣いている生命(いのち)だけしか
 

 ガーゼは 傷口によりそい
 生命を まもりぬく
 まっ白く あかるい
 花びらのような やさしさで
 どんなに どす黒い重たい
 武器たちの にくしみからも


 ワタの糸と 空気の糸と
 それから どんなにすばらしい糸とが
 格子に織りあげたのか
 ほんとうは ガーゼを


2014.1.1

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