演劇鑑賞



『吾妻橋ダンスクロッシング』The Bery Best of AZUMABASHI

企画・構成:桜井圭介
日時:2007年3月9日 19:00〜21:30
会場:アサヒアートスクエア

 

現代社会を生きるリベラルでありたいと願う日本人である私にとって、いわゆるかつてのお貴族様が楽しんだようなスペクタクルや、オリエンタリズムや、飛行機のファーストクラス(乗ったことはないが想像でものを言っている)は申し訳なく思って楽しめないのだ。

 

けれども変な話、2007年3月9日の金曜の夜、劇場に足を運んで、生まれて初めて申し訳なさを感じずに貴族的気分を味わえた。つまり、まるで私の好みを事前に用意周到にリサーチし、私を喜ばすために最大限配慮し、私仕様にカスタマイズされた舞台のように思えてならなかった。もちろん、桜井圭介さんが実際にそんなことをするはずがない。そんなのは分かっている。でも、一観客にそこまで勘違いを起こさせるほど、それくらい私は今回の吾妻橋ダンスクロッシングThe Very Best of AZUMABASHIを思う存分楽しんだのだった。

 

(補足:前回も思ったが、ビールを飲み、おつまみを食べながらの観劇は単純に楽しい。リラックスして舞台を眺められる。)

 

では一体、何がそんなに楽しかったのだろう。強いて言えば、保育園の子どもたちの出し物に、吹き出したりほろりとなったりする感覚なのかなあ。親(観客)は見ることに一所懸命。子ども(演者)も見てもらうことに一所懸命。どちらかが一方的にかしづいたり、一方的に偉いわけではない。

 

うーん、でも、違うな。もっと互いに大人ならではの楽しみを満喫したのだ。分析的に考えてももっともらしい「理由」を思いつかないので、以下、単純につらつらと題目ごとに感想を述べることにする。見ながら、いろんなイメージが頭のなかに勝手にどんどん沸いてきて、困った困った。

 

■オープニング

身体表現サークルのふんどし姿の男女が、電飾をたくさん体に巻きつけていえ〜いと踊る。思わず吹き出す。かつて北欧の心理学者たちは、体の関節部分わずか13点に光点をつけて動いただけで、人間はその光だけを頼りに、相手の動きの質(男女かどうか、どのくらいの錘を投げたのかなど)を弁別できるということを実験的に示した。つまり、これ、知覚心理学の古典的な実験成果を逆手にとった演目でもある。電飾の数が多すぎて、かえってどんな動きをしているのかよく分からない。つまり、へたくそでも大丈夫! 蛇足だが、もっとも痩せていた男性のお尻がとてもたるんでしまっていることに衝撃を受けた。もっと滋養のあるものを食べなよと余計なことを思う。

 

■康本雅子「姉?」

前回観たときあまり印象に残らなかった彼女が、今回光って見えた。前回と同じ曲だったように思うのだが、不思議だ。衣装、すなわち裾の短い喪服姿にぐっときたからなのか、それとも根本的に桜井さんの編集技術なのか。

 

■ボクデス&チーム眼鏡「小手指商事・営業課」

小浜正寛さんの、何かを持った両手が挙げられていく姿を見るのが大好きなんだなあと改めて思い知った。今回も、カレーライスや、ラストには(小浜さんお決まりのお家芸の)蟹が静かに持ち上げられていました。分かってても面白いんだもん、芸だと思います。

白いゴムをうどんと見立てて、一人がうどんを何本もすすり上げる動きをチームで再現。そこからゴム飛びも始まった。にこにこしながら見ていたら、今度はうどんのほうが逃げていき、食べる人が追いかける構図に。ここでも、地と図の反転、仮現運動などの古典的なゲシュタルト心理学の知見を生かして、知覚(錯覚)をうまく利用した芸が見られた。そばをすするのは噺家の立派なお家芸だが、噺家さんが見ても苦笑する舞台になっているのではなかろうか。堂々とモノに頼っているのだから、あっぱれだ。

スローモーションでボクシングリングを再現するのも面白かった。頭のなかにアリスの「チャンピオン」が鳴り響いた。最後、チーム眼鏡のなかに山縣太一さんがいたことが判明。いつも思うが、なんであそこまで舞台上でにやけられるんだろう。にやけているのを「演じている」ようには思えないんだなあ。かといって「素」でもない。変な人だ。

 

■身体表現サークル「ザ・ベスト」

ふんどし姿の男たちがくんずほぐれず組み体操のようなものをしたり、急に開いて、ダンスを踊ったり(群舞)していた。組み体操モードのときは、舞踏家・室伏鴻さんの粘土細工映画を見ているかのような身体の変容を思い出していた。室伏さんはひとりでそれをやるが、ひとりでがんばらなくても4人でやれば自然とそうなる。開いたダンスモードのときは、マティスの絵「ダンス」を思い出していた。歓喜。とにかく楽しかった。

 

■宇治野宗輝&ザ・ローテーターズ
  「EVEN THE BEST CAN GET BETTER WHEN IT'S BIGGER」

映像つきDJのようなことをやってかと思えば、急に前に出て歌い始めた。その歌がとても下手だった。「へたうま」とかそういうのではなく単純に下手。わざわざ前に出てきて歌うほどのものじゃないだろう。真っ先に思い出したのは、かつてJBのコンサートに行ったとき、JBが突然前に進み出て、はじけんばかりの笑顔で「どうだすごいだろう」とうれしそうに手品を披露してくれたときのシーン。あれは全然ぱっとしない手品だった。かっこよすぎる。

 

■休憩中の女子トイレの中:ChimPom(チン↑ポム)の映像

女子トイレにChimPom(チン↑ポム)のパフォーマンス映像が流れていた。ユニット名から想起されることそのまんまの、乙女である私としては、ここに書くのも恥ずかしいパフォーマンス。。。 女子トイレの女子たちは、きゃははといって眺めたり、目をそらしている人がいたりと、不穏でした。我が家では、4歳の息子に対して、「お○んちんで遊んじゃいけません。ばいきんがはいって大変なことになるよ」と言ってきかせているが、あまり強く抑圧してもだめなのかなあと思い悩んでしまった。

 

Off Nibroll chocolate

保育園の子どもたちの遊びをぼんやり眺めているときの感覚を思い出した。うちの息子なんて、友達からいきなり「死ね!」と真顔で言われても、「○○くん、いっしょに遊ぼう〜」とすりすり寄っていくのだ。「死ね!」と言った子どもも、今度は急に「うん、遊ぼう〜」ときゃっきゃっと仲良く遊び始める。途中でまたびっくりするような罵詈雑言が入るのだが、なぜか楽しそうな遊びが成立している。まったく意味不明なのだ。大人がその不条理を再現できるんだから、すごいよ。

 

■康本雅子「ブッタもんだすって」

後半にも再登場。今度はソロではなく、男性とのデュオ。岸本さん、最後の演者紹介のときのとってもまじめな顔立ちにぐっと来てしまった。

 

■ほうほう堂×チェルフィッチュ 「ズレポンス」

ほうほう堂の舞台は二回目。去年横浜BankARTで手塚夏子さん振り付けの私的解剖実験4の後に、ほうほう堂を見たのだった。今だから告白するが、あの日途中で退出したのは私である。手塚さんが動きの必然性をきりきりと希求するのに対して(にっこりしながらうっすらと涙が出るという不思議な感覚を覚えた。すばらしい舞台だった。山縣太一さんも出演)、ほうほう堂は生ぬるすぎて、その場にいるのが耐えられなくなってしまったからだ。私は自分でも少し病的だと思うが、「いたたまれない」と思った瞬間から、本当に息苦しくなってその場から離れたくなってしまうのだ。まったく悪気はない。

でも、今回のダンスクロッシングでは、「あら、なんと、かわいらしい人たち」と肯定的な暖かな気分で見ている自分がいた。きっと前回は、見る順番が悪すぎたのだな。すまないことをした。そういう意味で、編集作業は大事なことだ。

 

KATHY 「MISSION / R」

黒ストッキングと金髪カツラをかぶった3人の女の子たちが、ラヴェルの「ボレロ」に合わせて、単調なリズムの動きを延々と繰り広げる。しかし途中から観客席に乱入し、客の顔に黒ストッキングをかぶせ、カツラもかぶらせ、舞台に上らせる。そして、自分たちと同じように動くようからだで指示する。単調なリズムであるのは変わらない。曲の進行に合わせ、舞台にのぼる客の数はどんどん増えていく。単調な動きのはずなのに、みんなばらばら。最初は一瞬サクラ?と思ったが、途中からそんな問題はどうでもよくなった。

私はモーリス・ベジャール振り付けの「ボレロ」が大好きだ。東京バレエ団のトップダンサーが、息をきらして鬼気迫る形相で踊る姿に「あにきぃ〜!!」と黄色い歓声を挙げるくらい好きだ。でも去年大阪でシルヴィ・ギエムが真ん中で踊ったのを見たときには正直にいってがっかりした。だって、実際は肩で息をきらしていても息をきらしているのが伝わってこないだもん。KATHYのは、素人を舞台にあげたので、すぐ息をきらす、すぐ疲れてがたがたの動きになる、でも単調なリズムの曲なので懸命にみんな何とかついていっている。感動ものだった。3人組以外は素人集団ゆえ、ラストをどう終わらせるのかわくわくどきどきしたが、照明効果をうまく利用して処理。スカッとした。

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そんなこんなことを感じました、考えました。桜井さんの勝利である。ことばではなく作品で強く表現をする。やられた。あっぱれだ。前回の公演に関して私はこの場でもぶつぶつと文句を書いたが(2つ前の文章を参照のこと)、今回その文句に対して鮮やかな回答を見せ付けられた。何とも心地よい。今度は私が考える番だ。ありがとう桜井さん!! (2007.3.13)



『ソウル市民・昭和望郷編』 公演2ヶ月前に記した覚書

 

作・演出:平田オリザ
稽古期間(前半)          2006年
  国立大雪青少年交流の家(北海道合宿):8月11日〜8月24日
  こまばアゴラ劇場(東京都)         :8月30日〜9月9日
  スタジオ走り穂(東京都)       :9月12日〜9月23日

 

先月9月に『ソウル市民・昭和望郷編』の前半の稽古のフィールドワークを終えた。来月11月に後半の稽古が始まる前に、中間のまとめをしておこうと思う。まとめといっても、稽古中身の分析をするわけではない。先方に無断で研究発表をするわけにはいかないし、ましてや稽古で起こった出来事を私の筆で公にすることはできない。また公開前の作品なので、いわゆる「ネタばれ」となる記述も用意周到に避けなければならない。これらは先方から信頼してもらうための最低限のルールである。

 

だったらこの時期黙っていればいいじゃないかとも思うのだが、自分のなかで作品に対する気持ちの整理や劇団に対する気持ちをしておきたいという欲求が強くなって、収まりがつかなくなっている。「私の気持ち」なら公開してもいいだろう。内容に瑕疵があった場合、その責任は私にのみあるからだ。

 

『ソウル市民・昭和望郷編』は、ソウル市民三部作の完結編となる作品である。ソウル市民三部作は、朝鮮に暮らすある裕福な日本人一家、篠崎家の三代の歴史を綴った作品群である。同じ篠崎家の居間を舞台に、1作目の『ソウル市民』は日韓併合前の1909年のある日の出来事を、2作目の『ソウル市民1919』は1919年の三・一独立運動(万歳事件)の起こった日の居間の様子を、3作目の『ソウル市民・昭和望郷編』は世界恐慌前夜の饗宴を楽しむ1929年のある日の出来事をコミカルに描いている。

 

私は『ソウル市民』『ソウル市民1919』までは大丈夫だったのだが、今回の『ソウル市民・昭和望郷編』の第1回通し稽古を見たとき、自分の感情を抑えるのに必死だった。みなが「お芝居」として見て朗らかに笑っているのだから、私も「お芝居」として距離を保っておかないと。泣くな、ここで泣いたらアブナイ人になってしまう。

 

後から振り返ってみるに、あのとき泣きたくなるほど哀しくなったのは、「歴史は繰り返す」ことへの異なる2種類の反応だったのだと思う。ひとつは、世界恐慌以後なだれ込むようにしておこった世界大戦を誰もくいとめられなかったように、いま私たちが生きている現代でも、戦争をとめるどころか日本国民(傍目には、にこにこ暮らしている)として既に戦争協力してしまっていることに対する、無力感や怒りの気持ち。もうひとつは、ソウル市民三部作の篠崎家三代の歴史が、私や夫の家族の歴史の多くのモチーフと気持ち悪いほど符号していることへの反応。曽祖父、祖父、父を三代に据えると、私たちはその後の四代目にあたる。前近代的な「家」がきれいさっぱり没落、消滅したあとに生まれた四代目の合理的感覚からすれば、「家」は消滅しても私たちは個人としてちゃんと生きているし、あなたがたもそのような状態を望んだんですよね。20世紀初頭に「家」を飛び出し近代的な核家族を意図的につくるためにおこなった苦労は、甘受せねばならないものだとしても、さぞかし大変だったでしょう。

 

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私はなぜ誰からも頼まれてもいないのに平田オリザさんをはじめ青年団の皆さんのつくるものにこれほどまで惹かれ執着するのか。それをいぶかしく思う人がいて当然の執着ぶりだと思う。信頼する知り合いのなかにも、「優秀な若手が次々に出てきているのに、まだ青年団をやっているの?」と本気で心配してくださる方もいるが、「まだまだまだまだやりたいことは残されているので、ご心配には及びません」と答えるようにしている。

 

少しうがった見方をすれば、青年団をめぐる言説を分析すれば、なぜ私たちのまわりの知的状況が衰退しきってしまい、とりわけ左翼が力を失い、当局から危険視すらされなくなってしまっているのかが理解できるのではないかと思っている。そのテーマに取り組む研究者がいずれ出てくるのではないかという予感もある。そのときは私も持っている資料を差し出して全面協力したい。

 

柄谷行人は『坂口安吾と中上健次』のなかで、次のように言っている。

 

――漱石は、近代西洋文明と資本主義によって解体される日本の社会がもたらす人間の「悪」の諸相を容赦なく描いた。しかし、彼はそれに対して、「日本」や「東洋」を対置せず、「個人」や「自由」を穏やかに唱えた。それは西洋に由来しているが、事実上帝国主義の西洋には失われているものだった。漱石のこのような姿勢は、昭和期の左翼には中途半端に、あるいはブルジョワ的に見えた。(p.281

 

おそらく青年団のやり方を「なまぬるい」と感じる人のなかには、「昭和期の左翼」と同じ精神構造をしている人がたくさんいるのではないかと推測している。私はそのなかでも良質な批評をする人には、「だからあなたがたは負けたんでしょうが」とまるで負けた父に対して娘が投げかけるような愛憎入り乱れる感情がわきあがる。「そのせいでこっちはえらい苦労しているんですよ」と。しかし、そうなるのはまだよい方で、ただ絶句するしかないあまりに怠慢な批評を目にすることもある。

 

漱石のとった方法と同じように、中上健次も、小説において「路地」をめぐる壮絶な家族の世界を描いているが、それは虐げられたものたちの文化的誇りとプライドをもたせるという現実の運動と結びつくものであった。熊野大学の創設など穏やかなやり方で。彼は、闘争の結果、人々が誇りを回復するなどありえないことを理解していた。中上がもたらしたものは、路地のもつ悪の要素を自覚することで初めて持つことのできる誇りである。高みにあるものを引き摺り下ろし、引き摺り下ろされ包まれることが恍惚とした快楽であるという状態を自覚させることである。

 

私は文学少女というには半端者だったが、中上健次に心酔していた。しかし残念ながら生きている中上を知らない。せめてお墓まわりをうろちょろするしかなかった。太田省吾さんの『水の駅―3』の舞台稽古を通じて知り合ったカメラマンの宮内勝さんは、中上健次の親友だった。宮内さんに頼んで彼の七回忌に連れて行ってもらったことがある。そこで「素顔」の中上健次についていろいろなことを教わった。小説からは直接伺うことができないが、非常に裕福な育ち方をしたこと。利賀村での記念すべき第1回演劇フェスティバルを一緒に観にいったこと。文壇や編集者との関係。女の人に対する驚くほど奥手の態度。

 

中上は、自身だけひょんなことから裕福に暮らしていたことへの葛藤を抱えつつ、あるいはだからこそ、固い決意をもって虐げられたものたちに徹底的に寄り添う小説が書けた。しかし、今はそれができない。中上健次が生きていた頃に見えていた風景と現在の風景は異なっている。寄り添うべき路地がなくなってしまった。裕福に暮らしたものが「血」を理由にして路地に寄り添うべく舞い戻っていいのか。かつてなら、そう中上に問いかけることも可能であった。しかし路地が消滅したいま、良心のやましさから来るその問いかけ自体を成立させる基盤がもはやどこにもない。『枯木灘』にはその予兆がある。殺したくてもなかなか殺せなかった父。その父をようやく殺す間際になって、こともあろうか父は勝手に自殺しまう。主人公は着地点を見出せず、宙吊りになってしまう。「違う」という感覚だけが残される。

 

この虚しい状況を、中上健次とはまた別のタイプの誠実さ優しさをもって、描こうとするのが平田オリザである。平田オリザは、特定の場所には執着しない。彼が執着するのは、「悪意なきひとのもたらす悪」、悪の関係性そのものである。現代社会には、その手の悪が蔓延していて枚挙にいとまがない。どんなに悪意あるテロですら一国を一瞬にして破綻させることは不可能であるというのに、株式投資にむらがる自分の利益を追求すること以外とりたてて悪意のないものたちが、現代の高速ネットワーク技術とつながることで、東南アジアの国々を一瞬にして容易に経済破綻に追い込んでしまった。戦争を悪だとすれば、私たち日本人は戦争をおこしていてもどこか平気でいられる、悪意のない無邪気な国民である。

 

虚しく退屈である。私は日本のなかに鬱屈した退屈さに耐えかねて、大儀ある戦争でもして生きている感覚を取り戻したいと思っているマッチョな人たちが少なからずいると思っている。平田オリザは、虚しさによる戦意消失をもたらすことでの穏やかな反戦運動をおこなっている。そしてその戦意消失は必ずしも生きることの放棄につながらない。虚しく生きていくしかないという虚無感にさいなまれることもない(もはやそんな無駄生きを許すだけの余裕が社会のなかにない)。宗教的熱狂と動物と対話する優しいこころをもった宮沢賢治の拡張主義の二の舞を踏まぬように、用心に用心を重ねているように見える。

 

ちなみに私は、太田省吾さんの世界からは「みんな狂っているから戦争では使い物にならないですよ」、桜井圭介さんの世界からは「みんなじゅうぶんに弱っちいから、戦っても負けちゃいますよ」というメッセージを受け取る。いまは兵士による対面式の戦争の時代ではないのだが、最後対面式になったときには確実に負けるだろうということを示しておくのは重要なことだ。

 

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さて、以上のようなことを考えるようになったのは最近のことである。青年団と10年近くの時間をかけてつきあうことで、分かってきたことだ。世の中の風潮もどんどんヒステリックになっているように見える。

 

終わりに近づいたが、このへんで、青年団に研究調査を申し込んだきっかけ、当初の研究のモチベーションについて述べておきたい。これは私の書き方が悪いのだが、あまりに熱く、青年団、青年団と書くものだから、演劇研究だと誤解されるふしがある。それはちがう。あくまで人間の心理の研究だ。演劇はそのための道具であり、青年団はその題材である。どんなにさびしくともそこから出発して、人間どおしの付き合いを始めるほかない。平田オリザさんは「俳優は私にとってコマである」というテーゼから出発した。だから私の気持ちは分かるはずだ。

 

太田省吾さんの舞台稽古に出入りしていたときは、そのようなさびしさを感じることはなかった。心優しい人々に囲まれて、いつまでもいっしょにいたいという暖かな気持ちに包まれた。だから、私は太田さんの前で演劇は道具であると言い切れる自信がない。つかず離れずの距離を保つことはできない。いつまでもいっしょにいさせてくださいと依存してしまう恐怖を引き受けねばならない。のみこまれる怖さと心地よさ。

 

話を元に戻す。青年団に研究調査を申し込んだ直接のきっかけは、法と心理学の研究で分からないことがたくさん出てきたことであった。私は、学部学生から大学院修士課程にかけて、記憶を専門とする心理学者の集う研究会(通称自白研)で、冤罪が疑われる被疑者、被告人の供述分析のお手伝いをしていた。なぜ私たち心理学者には被告人の供述が「やっていないのにやった」と言っているようにしか思えないのか。それなのになぜ裁判官は同じ供述を詳細で臨場感があり迫真性に富んでいると感じ、有罪を言い渡すことができるのか。少なくとも私には、裁判という現実世界のなかの被告人の供述よりも、舞台という虚構のなかの青年団の俳優の演技のことのほうがリアルに感じる。「やっていないのにやった」ことにしてしまえる演劇の力を借りて、コトバについて理解しないと、結局は何も分からないのではないか。このようなもやもやとした気持ちを抱え、直観にすがる形で青年団に調査を申し込んだのだ。

 

(私の指導教官は、理論の大切さも教えてくれたが、同時に外に飛び出すことも後押ししてくれた。傍から見れば、紐の切れた凧のように今まで好き放題にやってきたとしか思われないだろうが、私のなかでは芯を一本通しているつもりでいる。なお研究会の成果として、今年メンバーの高木光太郎さんが『証言の心理学』という本を上梓した。)

 

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私は実証主義の伝統のなかで生きており、いつも反証可能性にさらされている。それに対し、「自分の思い」は反証不可能だ。だから、自分のHPで、このように誰からも邪魔されず思いをぶちまけてみると、確実に、快感を得ることができる。論理の飛躍を気にすることなく、論理構成が多少でたらめでも、文章の体を成すことをあらためて知った。

 

しかし研究者にとってこの事態はもろ刃であることも自覚している。そもそも「思い」は人々の反感や共感を生んでも、議論は生まないから。議論しようにも「私はこう思う」に対しては「ああ、そうですか」としか答えようがない。今私がもっとも欲しいのは、議論する相手だ。そのためには研究結果の解釈を提示するほかない。そうすると同じ結果を違う解釈をしてくれる相手が出てきて、議論が成立する。

 

たとえば、今年のゴールデンウィークに美術家の岡崎乾二郎さんに、研究成果の一部である青年団の発話タイミングの2段階習熟過程について説明したところ、ジョン・ケージの偶然性の概念を押さえておくようコメントをいただいた。とてもありがたいことだ。

 

いそいそと「勉強」にとりかかった。でも、私の記憶の初期の段階で、なぜかジョン・ケージがグレン・グールドに変換されてしまった。後にどんなに彼の著作をたどってみても偶然性の概念にたどりつかず途方に暮れてしまった。はっと気付いて、コメントをいただいた当時の手帳を見返してみて、最近になってようやく自分の過ちを知った。アホである。思い込みが激しいのもほどがある。だからこそ、それを戒めてくれる議論の相手を必要とするのだと常々自分に言い聞かせている。

 

さあ、自分の仕事に集中しよう。再びしゃべり始めるべく、いったんは寡黙のときを過ごそう。(2006.10.23)




『吾妻橋ダンスクロッシング』

企画・構成:桜井圭介
日時:2006年10月14日 15:00〜17:00
会場:アサヒアートスクエア

 

吾妻橋ダンスクロッシングをみた。感想を述べる前に桜井圭介さんとの関わりを記しておこう。

 

ダンス批評家としての桜井さんの考えは以前から『西麻布ダンス教室』などの著書を通じて親しんでいた。私のもっとも信頼する批評家のひとりである(最近では、去年の12月にシルヴィ・ギエムの『最後のボレロ』を見たときなど、桜井さんの説の正しさを再確認した)。その桜井さんが神楽坂で公演を前提としたダンス教室を開くことを聞きつけ、見学を申し込んだ。2000年のことだったと思う。意外にもあっさりと受け付けてくださった。なんて幸運なんだと思った。自分が面白いと思うものを作って、他人に見てもらうという行為は、残酷で楽しい。私は、自分が安全なところにいて、ただの感想文を批評文だと思い込んでいる人たちの甘ったれた文章を読むのは苦手であり、どちらかというと博打を好むタイプだ。これで批評家が自分の公演を打つという大博打の現場にいることができるのだ。

 

神楽坂ダンス教室は、私の予想を超えて、大収穫だった。もっとも大きな収穫のひとつに、現ボクデスの小浜正寛さん、手塚夏子さん、たかぎまゆさんらの存在を知ったことにある。小浜さんなんてスーツを着て、音楽にあわせ延々と両手に蟹持って振っているのだ。アホである。それをダンスだって真剣な顔で言い張るのだから、朗らかに笑いました。頭の悪い人が賢いふりをするのは滑稽で観ていられないが、もっと最悪なのが、賢い人が馬鹿なふりをすることで、鼻持ちならず嫌味な感じで観ていられない。小浜さんはそうではなく、賢そうな顔立ちをしているのに、実はほんとうに頭が悪いのかもしれないと思わせる何かがあった。そのように感じてしまうことは、それはそれは魅力的な感覚だった。私は、頭がいいのか頭がおかしいのかよく分からない人に多大な魅力を感じる。そういう人たちが面白い業績を残していると信じているので。

 

私はおもに平田オリザさんの主宰する青年団の稽古を見る仕事をしているが、青年団の稽古だけを見ていてはだめで、カウンターパートとして、対極的な仕事をされている方の方法論も見ないといけないと常々思っている。平田さんの勧めと紹介もあって、太田省吾さんの『水の駅−3』の全稽古を見学させてもらったことがある。太田さんの無言劇を知らずして、平田さんの同時多発会話の舞台は理解できないと思ったし、今でそう思っている。平田さんの舞台稽古を分析中には、しょっちゅう太田さんの舞台のことが頭に思い浮かんでくるし、その逆のときもある。端的にいえば、狂気に対する意識度の違いが、しゃべる/しゃべらない、早い/遅いなどの形式の違いになってあらわれていると思う。

 

そして私のなかでは、太田さんと並んでももうひとり必要とする人が、桜井圭介さんなのだ。桜井さんの舞台にも平田さんの舞台にもどうしようもなくダメな人たちしか出てこない。しかし平田さんの登場人物は、一見すると「頭のいい」人たちが出てきて、桜井さんの登場人物は、一見すると「頭の悪い≒頭のおかしい」人たちが出てくる。だめだめさ加減の描き方が対照的なお二人なのだ。

 

意識的であれ無意識的であれ被害者であることを主張したがる私たちは、頭のいいダメな人(半端な権力者)の発する甘言からどのように身を守るか精一杯考えることで疲れてしまった分、頭の悪い≒頭のおかしい人の振る舞いに癒しを求め、ダメなどころか優しい心根を持った無垢な存在としてしまうか、もしくはダメだからこそ尊いのだと最初から開き直ってしまうか、してしまいがちだ。それに、頭のいいダメな人(半端な権力者)を見て笑うのは、落語を始めとして私たちの得意とするところだけど、頭の悪いダメな人を見て笑うのはあまりに身も蓋もなくて道徳的には勇気がいる。通常は、不謹慎な匂いを消すために、頭の悪いダメな人に自己を重ねて「共感」した上で笑うなど、さまざまな隠蔽工作をおこなっている。桜井さんの企図したことは、頭の悪いダメな人を笑うことに対するもっとも高度に洗練された隠蔽工作だと思っている。すなわち、そこに「コドモ」というひねった概念を入れて、アクロバティックに価値を反転させ、コドモの毒の部分も引き受けた上で、にこにこしながらコドモの運動会を見守っているときのような大人による朗らかな笑い、ユーモアを起こそうということだと思う。というか、そう思っていた。

 

ところが、今回3度目にしてやっと手に入れることができたチケットを握り締め、いそいそと新幹線に乗り込み『吾妻橋ダンスクロッシング』を見に行ったのだが、私が上に書いたように勝手に自己の妄想のなかで思い描いていた世界と異なっていて、面食らってしまった。神楽坂ダンス教室で感じることのできた朗らかなユーモアの世界はそこにはなく、神経質な笑いの世界が広がっていたのだ。ついでに言うなら、こういうのを面白いと言わなければならないとプレッシャーに感じる人が出ないといいんだけどという老婆心。

 

いったいなんなんだ、この気持ちはと自問自答して気付いたのだが、苦い幼児期億だった。ドリフ好きだった私(当時小学生)の、ひょうきん族支持派に対する、コンプレックスな思いだった。お兄さんお姉さんのいる同級生は、みなひょうきん族を支持していて、ドリフ好きはオコチャマ扱いをされて肩身が狭かったのだ。最先端のクラスの話題についていこうと、純粋ドリフ派の弟の意見を退け、無理やりひょうきん族を見たりもしたが、私には言外の意味を汲み取れずあまり面白く感じられなかった。結局、ケーキを高木ブーの顔に投げつける行為をことのほか好む自分をそのとき自覚し、表向きはひょうきん族派の人たちとも適当に話しを合わせ、密かにドリフに戻った暗い過去がある。せっかく楽しもう(旬な人々の芸をちゃっかり消費しちゃおう)と意気揚々と出かけていったのに、あまり思い出したくない過去を思い出しちゃったもんだから、皮肉である。

 

さらに掘り下げてみる。今回の作品はダンス公演にしてはコトバがたくさん使われていた。「何か違う」と感じたのは、コトバの使い方である。はじめに断っておくが、コトバをしゃべるとダンスじゃなくなると主張するつもりはさらさらない。ピナ・バウシュだってそうだし、平田オリザだって「ここはダンスだよ」と稽古場で言うときがある。

 

さて、違和感を覚えたコトバの使い方がどういうものかというと、賢い大人でないと分からないコトバ遣いをしていたということなのだ。ここでいう賢さとは、制度(文法など決まりごと)についてよく知っている人が、それを意図的にずらして、制度そのものの在り方を浮き彫りにしたり、あるいは制度そのものを無効にしようとする意図を感じさせる行為全般に感じるものを指す。前述した「神経質な笑い」というのも、その賢さの知覚に由来すると思っている。特に、シベリア少女鉄道や地点など演劇的要素の強い演目にその傾向が強い。

 

言語獲得中、概念形成中のコドモの発するコトバのどこがおもしろいのか。それは、制度や概念を一生懸命自分のものにしようとがんばっているのに、大人とそれらを共有できていないので、大人からみると驚くほどラディカルなコトバ遣いがポンポンと飛び出すことである。あまり分かりやすい例ではないが、せっかくなので自分のうちのことを書かせもらう。最近男と女の違いに興味津々のもうすぐ4歳の息子が、いきなり「おかあさんは女?」と質問したことがある。「そうだよ」と答えると、「じゃあお父さんは?」「おばあちゃんは?」「○○ちゃんのおじちゃんは?」と次々と親戚や保育園の友達の名前を挙げ、うち誰が男で誰が女かを答えさせ、最後に「お母さんは?」と再び聞いてきた。「だから女だって」と言うと、「違う! おまえは男だよ、おかあしゃん」ときっぱり真顔で否定された。おまえ呼ばわりされたことも驚いたし(保育園で覚えてきたのだろうか。。)、彼の頭のなかで男に振り分けられたこともショックだった。

 

制度を無効化するのではなく、制度を形成途中の危うい基礎の上に成立するコトバたちを聞きたかったのだ。かつての神楽坂ダンス教室のダンサーたちには、ダンスという制度を、危うい基礎のもと、あぶなっかしく立ち上げようとしていた。その繊細な危うさを見たかった。

 

経験上作り手の意識は時々刻々と変わっていくのは重々承知している。6年前神楽坂ダンス教室で得た衝撃をふたたびというのは虫のよすぎる話だったのだろう。であるならば、現在桜井さんの考えていることを知りたいと思った。最初は「衝撃」と知覚したものでも、何も考えなければマンネリに陥って衝撃でもなんでもなくなるのが世の常である。桜井さんは批評家であるから、今回の吾妻橋ダンスクロッシングは、前回と前々回の作品の批評の上に成り立っているはずだ。前回、前々回を残念ながら見逃してしまっただけに、私には推測する術がない。神楽坂ダンス教室のときと今回吾妻橋ダンスクロッシングのあいだは、私には大きな作風の変化に見えてしまい混乱してしまったが、もしかすると全然そんなことはない連続的な問題なのかもしれない。あるいは、連続でもなんでもなく、桜井さんのなかでこの6年のあいだに考え方が根本的に変わって、かつての世界と今の世界とのあいだに断絶が生じているのかもしれない。それを私が桜井さんのテクストから読み取れていないだけなのかもしれない。

 

最後に備忘録を兼ねて、演目のなかで印象に残ったものをピックアップする。

 

ボクデス:すごくきれいにまとまっていた作品。小浜さんはやっぱり賢い人だったんだと思ってしまいました。

 

YUMMY DANCE:個人的好みの問題かもしれないが、一番好きなタイプ。美人でも不細工でもない微妙に揃っているんだか不揃いなんだか分からない女の子たちが4人、私たちに見せるために、一生懸命あれこれ演目について考えて、練習してくれたんだろうなあということが伝わってくる作品だった。唐突にごろごろ転がってくる子をジャンプしてかわす姿は、朗らかで好もしい。保育園の出し物を楽しめる感性の持ち主なら、きっと好きになるはず。

 

砂連尾理:バーテンのシェイクする後姿をかっこよく見せてくれた。スーツの揺れ方がとても素敵でポーとなっていた一方、どこかでそれを面白く壊してくれる出来事を期待していたが、かなわず。

 

地点:安部聡子さんのよく動く口周りを中心に見た。でも結局話の筋を追ってしまう自分もいた。地点は10分は短く、フルタイムの作品としてみたい。(2006.10.17)




『砂と兵隊

作・演出:平田オリザ
日時:2005年11月23日(水) 13:00−14:45
会場:こまばアゴラ劇場

 

ここには、地方からわざわざそれだけのために新幹線にのって演劇を観にいく、青年団ファンの感情の流れをなるべく事実に沿ってお話していきたいと思う。


6時半、いつもより少し早く起床。
8時過ぎには家を出京都駅から新幹線にのる。

 

新幹線のなかでは、島田雅彦の『子どもを救え!』を文庫本で読んだ。出世作『優しいサヨクのための嬉遊曲』の続編で、みどりと結婚し小説家となった千鳥姫彦が3歳と1歳の二人の子どもといっしょに住んでいる郊外の町が描かれている。『君が壊れてしまう前に』を読んだときにも思ったが、島田雅彦の描く郊外にはぞくっとさせられる。読後感も悪い。だったら無視して読まなければいいのだが、こわいものみたさでつい読んでしまう。私にとって島田雅彦は大嫌いだけとほっておけない小説家である。

 

小説に登場する、小説家の妻、愛人、殺された近所の専業主婦のいずれにも感情移入してしまった。圧巻は殺された専業主婦の書いた育児日記がだらだらと続く箇所である。だらだらと描写しておいて、島田雅彦は「殺された可南子は孤独だ」としながら彼女の書いた日記を次のようにまとめる。

 

「育児日記として書き始められた東条可南子の手記はいくたびもの中断を挟んで、最後の日々に至る。この裏切られた結婚生活の合い間で、何かを発見しては、それを嬉々として書きつけ、子どもたちの成長に自分も影響を受け、お金に困り、夫や愛人たちに腹を立て、思い出したように神に祈ったりしながら、日記によって精神の安定を図っていたようだ。最後の数日間を含め、何かを悟った時には筆圧が強くなっている。」

 

まるで私がこのHPでやっていることではないか。愛人はいないし、裏切られたとも思っていないが、それは些細な違いである。だからこそ私は、人を見透かしたような島田雅彦が大嫌いなのだ。私はさびしくなんかないぞ、あなたごときにわかってたまるかと。

 

ただやはり郊外の描き方はうまいなあと思う。私の住む平城ニュータウン界隈も、そんな感じだ。夫婦でひそかに「京大通り」と呼んでいる、生活者としての京大教授に出くわす確率の高い道路があって、そのことに気付いてからその道路沿いにあるこぎれいなコープに買い物にいくときジャージみたいな格好で行くのを止めたものだ。両脇に街路樹が植えられた幅4メートルもの歩道が駅まで完備されていて、車と人は出会わずに済む町の構造になっている。どんぐりがたくさん落ちているゆったりとした道。子どもを安心して歩かせることができる。

 

ところがのんびりとした昼間の顔と対比して、夜の顔は一変する。駅前には学習塾が何件もあって、歩道を一歩降りて車道に出ると、夜10時過ぎでも、子どもを迎えに来ている保護者の車がずらっと路上駐車しているのだ。たまに車をおりて立ち話をしているお母さんたちを見かけることもある。あとから分かったことだが、私の住む町は東大寺学園のおひざもとだった。自分は関東に住みながら、息子を東大寺学園に入れるために、わざわざ平城ニュータウンに家を買った大学教授もいるぐらいである。ヤンキーたちがたむろしている前を通るのとはまた違う怖さが、夜の郊外の町にはある。塾帰りの子どもを静かに待っている路上駐車した車たちの横を歩いて通り過ぎるときは、やはり不気味だ。猟奇殺人がいつおこってもおかしくないぴりぴりと緊張感だ。

 

頭のなかがもやもやしたまま、11時には品川駅に到着。
山の手線で渋谷駅まで行き、井の頭線に乗り換える。

 

私の友人に、仕事のあいまにジブリの登場人物と同居するなら誰がいいだろうということを考える暇人がいる。その友人は暇人であるがゆえに最近ちょっとパズーのテンションが入ってしまっており、さらに「アシタカのテンションまで混じっているので、精華大通りを行く人をつかまえて、『生きろ! そなたは美しい』とかキランとした瞳で言って、警察呼ばれそうな勢い」を持て余している困った人なのであるが、なぜか渋谷駅構内を歩いていたとき私にも美輪明宏サマが降りてきて、道行く若者をつかまえて「もっときれいな色をお召しなさい」と言いたくなってたまらなくなった。危ないとこだった。

 

とはいえ、さくさくと行軍し、11時半過ぎには駒場東大前到着。
最近できた駅前のマクドナルドで昼食をとった。ダブルチーズバーガーセットをコーラで。ジャンクな学生気分を味わいたかった。

 

学生時代の姫彦とみどりの続編を読んだこともあり、いつもは素通りしていた駒場キャンパスもひさびさに歩いてみたくなった。サークルの部室が火事で焼失してしまってから自然と足が遠のいていた。何年ぶりだろう。

 

部室とは別に、練習場として利用していた林のなかの古い洋館に近付いてみて、キャンパスに入ったことを後悔した。玄関付近のおもかげだけ残し、内部はカフェ&レストランに改装されていたのである。ルヴェ ソン ヴェール 駒場という名のカフェ&レストランのパンフレットには、こうあった。「都会の小さな森の中 オープンテラスで明るい陽射を感じながら 四季の彩を楽しむカジュアルなフランス料理 穏やかな緑の温もりに包まれて ゆったりとくつろぐ・・ そんなひとときを ルヴェ ソン ヴェール はご提案します」

 

ご提案でもなんでもしてくれと、やけをおこしそうになった。私の後ろに、家族でそのレストランに入ろうとした人たちがいた。そのなかに、若くてきれいな美人がいたのをめざとく見つけて、ここはあなたたちが来る場所ではなく、私たちの場所なんですからねと言いたい衝動ぐっと抑えた。しばらく仁王立ちして客入りの邪魔をしてしまったようで、レストランの「ギャルソン」から追い払われた。

 

行き場を失って、ふらふらと火事で焼けた部室の方へ歩いていった。前行ったときには、焼け跡を少し残して更地となっていた場所だ。なにやらフレパブのような建物が再び建っている! 近付いてみると、ペットボトルとかが集められたごみ収集場になっていることがわかった。

 

寒すぎるこころを抱えたまま、劇場に向かった。出迎えてくれたのは親しい俳優さん。私はもうさびしさのテンションがあがりにあがっていたので涙を流さんばかりに再会を喜んだ。平田さんともお話ができた。来年秋の次回作のことをちょっぴり詳しく聞く。再びフールドワークすることになる作品だ。まだここには書けないが、今からとても楽しみである。

 

話は前後するが、学生のとき駒場廃寮反対運動をしている人たちがいて、加藤登紀子とかを呼んでコンサートをしていたが、私はそのとき「いい年して飼い馴らされてみっともない。馬鹿みたい」と思っていたのである。彼女のまわりでにやにやしている男たちを見ると目がつぶれると思っていた。「ノスタルジーですよ」と吐き捨てる浅田彰のほうがまだマシと思っていた生意気な学生だった。でも、やはり自分の慣れ親しんだものが壊されるのはイヤなものなのですね。リノベーションとして中途半端に残されると余計に。火事ですっからかんにすべて焼失して更地になってしまったほうがまだ清々していい。それに私は、駒場キャンパスを歩いている、にやけたり深刻そうにしたりしている学生を全く好きになれない。うっとおしく思っている。にこにこと学生の前で歌うことのできる加藤登紀子よりも、なんてこったい、全くお粗末なおこちゃまだ。自虐的自己嫌悪にならないためにも、まだまだ私は自分をうっとおしく思うお年頃なんだなと本気でかわゆく思うことにしている。

 

雑念を抱えたまま、客席に座った。
舞台には乾いた砂が敷き詰められている。時折、上から砂時計のように一条の砂がさらさらと落ちてくる仕掛けになっている。のどに悪いので、劇が始まる前に劇団員が飴をもって客席を回った。落ちてくる砂を見ながら次第と劇に集中し始めた。

 

『砂と兵隊』には、従来の青年団の舞台の時間の作り方とは異なるところがあった。これまでの作品では、舞台は固定されていて、そこに俳優が出たり入ったりすることによって時間の流れを作っていた。下手(しもて:舞台向かって左)へ出て行った俳優は、必ず下手から再登場した。つまり、俳優の移動行為によってのみ劇が進行し、舞台の時空間と客席の時空間には同じ物理法則にのっとった時間が流れていた。一方『砂と兵隊』では、舞台は固定されているが、常に下手(しもて)から上手(かみて)へと移動することで時間の流れが表現されていた。すなわち、上手へ出て行った俳優たちが、次に出てくるのは下手ということになる。舞台は全く同じでもちょっとずつ時間的にずれている。常に匍匐前進で進んでいるのだけれど堂々めぐりをしていることが表現されていた。いうならば、「時計盤が舞台、秒針の動きが俳優の行軍方向、短針長針の位置関係が劇の進行時間」である。

 

こうなったらラストシーンはどうなるか青年団ファンは気になるところだろう。普通に考えれば、終わらせることが困難な作品だからだ。珍しく演劇的「トリック」が使われていて驚いた。無理やり終わらせた感があった。そうでもしないとだめだったのだろう。青年団のマイナーチェンジ。

 

(注:観劇中に俳優の行為を見ながら思ったことについては、今後論文のなかで展開したい内容とも重なってうまく切り分けられないので、ここには載せないことにする。)

 

終演後、客席を出ると、二日前に結婚式を挙げたばかりの劇団員の方から奥さまを紹介された。客席から降りてきたということは、客として同じものを見ていたことになる。ずっと昔青年団の俳優もされたことがあるそうだが、それよりもなによりも、なんと私が高校を卒業するまでいた田舎町に思春期のころ住んでいたこともあり、私の父を知っている方だった。ここにもスモールワールドがあった。ふるさとは遠くにありて想うもの。これからもよろしくお願いします。

 

出演していた俳優さんたちにも挨拶をしようかと思ったけど、やめた。やめた理由はふたつあって、ひとつは疲れていたから。喜劇作家を自負する平田オリザだけあって、劇中、ぷっと笑ってしまったところもたくさんあった。しかしいつもにも増して、ここをこのように笑うことができるというのは傍観者的立場にたっているからだよなあ、ここはホントは笑っている場合でなく最も憂うべき箇所なのになあというもう一人の道徳大好き人間である自分がブレーキをかけてきやがって、見ていてとっても疲れるのである。面白いことに、私がどうしても抑え切れずきれずひかえめに笑うと、ここは笑ってもいいんだなとでもいうように私の後で必ず笑うお客さん(見ず知らず)が近くに座っていて、変な気分を味わった。その人もきっと同じ気持ちだったのだろう。

 

二つ目の理由は、もっと現実的である。単純に、待てども俳優さんは表に出てこないから。演出により、最後のお客さんが出て行くまで匍匐前進をし続けることなっているらしいのだが、私が見た回では、いつまでも拍手をしているお客さんがいて、一向に終わりそうにもなかったのだった。これは俳優にとって身も心も相当疲れる作品だと思った。

 

自分も含めて一体どうして観客はそんな苦行のような思いをしに劇場まで足を運んだり、俳優は俳優で青年団に留まりたいなどと思うのだろう。観劇後の気分はすかっとしない、カタルシスが得られない。渋谷の町に出て、何か甘いものでも脳にくれてやろうと店を探すが、どこもいっぱいだった。ぴかぴかしているなかで何か虚しい気分にもなる。

 

やっと座れた店のなかで、いま何かが私に欠乏している、一体それはなんだろうと思い、帰りの新幹線のなかで読むべきもの(=こころに栄養を与えてくれるもの)を考えた。小説も漫画も雑誌でもだめだ。はっと思いつく。有馬朗人の句だ。外国の地で詠んだ硬質なさびしさの表現された句。昔一度読んだことがあるだけだが、強烈な印象が残っていた。今の気分にぴったりだ! 私は、教育改革者ではなく俳人としての有馬朗人は好きなのだ。

 

本屋にいっても取扱がなかった。「どうしても読みたいの」とだだっこ状態になった。新幹線のなかで読むものがないと退屈でどうしていいか分からない。丸腰恐怖の強迫観念にも襲われて、闇雲に渇きを癒してくれる本を探した。そういう余裕のないときは、大抵いい本にめぐり合えないものである。みなさんも経験上おわかりになると思う。あきらめきって、最も入り口近くの最前列にある新刊コーナーで、もっともセンセーショナルだと思われる新書を買って新幹線に乗った。

 

その本は退屈極まりなかったが、意地になって最後まで読んだ。社会人の意識調査をおこなってクラスタリングして得たかたまりに適当に名前をつけて、誰もが知っている凡庸な解釈をこうじて得意になっている人(男)の書いた本である。女の分類結果(かたまり)の解釈の仕方には思わず笑ってしまった。と同時に、ここまで分かってないと、余計なお世話だが、かわいそうにもなった。同じ知的レベルのサラリーマンが話題のひとつにでもしようと思って買っていったがために売れ筋上位に入っているのだったら、まだ文句はいうまい。けれどももし「先生、すごい」といってその著者にひよひよ寄っていく女がいたら、よほど頭の悪い女か、金目当て地位目当てのしたたかな女だ。友達になりたくないタイプである。

 

ああ、次から次へと口から毒が出てくる。「なんで、こんなにいらいらしているのか」とわざとらしく問いらしきものを立ててみるまでもなく、理由ははっきりとわかっている。平田オリザのせいなのである。

 

島田雅彦は「この私」を見ていてくれている。もちろん「ことば」を通した錯覚ではあるが、そういうリアルな錯覚をこちらに生じさせることができる。だからこそ私は、登場人物の女たちに自己移入することもできるし、あなたに私のことなどわかってたまるもんですかと拗ねてみせることも可能である。

 

だが平田オリザは「この私」など見ていない。私は自分が相手にされなかった腹いせに、他の弱そうな男をつかまえて、ひどいことを言って、いじめる快楽を味わっているのだ。もちろんリアルな人間関係でそんなことをしたら、逆にメッタ刺しの刑に処せられるだろうから、頭のなかだけに留めて。この辺の心理を、同性の作家の意地悪な視点で描いてもらいたい。私には、江国香織と知り合いになって、私をモデルとした、とことん嫌な女を描写してもらいたいという夢がある。

 

話を元に戻す。ここまで分解して初めて、このような感覚の違いをもたらすのはなぜだろうという問いをやっとたてることができる。平田オリザと島田雅彦の違い。近未来を描いているか、現在を描いているかの違い? 性的表現があるかどうかの違い? もっと根本的に、演劇と小説というジャンルの違い? どれも大事な要素だと思うが、しっくりこない。

 

孤独の描き方の違い?

 

少ししっくりきた。

 

先に登場したアシタカのテンションが入っている暇人パンセ(友人)から、別文脈のやりとりでおしえてもらった書評のなかに、次のような一節がある。 
「アインザームカイトというドイツ語がある。孤独のことだが、どちらかというと「ひとりぽっち」のニュアンスがある。漱石の『行人』の主題がこれだった。しかしこのアインザームカイトは世界に向かって「ひとりぽっち」なのであって、世界と無縁な孤独なのではない。」

 

この孤独観に関しては、ふたりとも共有しているはずだ。問題は、世界に対する向かい方である。島田雅彦はあがいているところをちゃんと露呈させる。ときどき素人の私でも稚拙すぎないかとびっくりするほどである。ところが平田オリザはあがいているところを絶対に他人には見せない。

 

島田雅彦は小説が書けなくなってもずぶとく生き残るに違いないと思っている。しかし私は、平田オリザがなにもかもいやになってふっといなくなってしまうのではないかと時々思うときがあるのだ。

 

宮沢賢治と同い年の作家・牧野信一のファンゆえ、どうしても平田オリザと牧野信一を重ねてみる癖がある。平田オリザのいまは、ちょうどギリシャ牧野のとき。ユーモアたっぷりの分裂吟遊詩人。この状態がずっとずっと続いて欲しい。暗い作風に舞い戻ることは、なしであって欲しい。

  

ほとんど自己保身の不安感をさらけ出してしまった。お許し願いたい。私は2005年現在において40代前半にいる人たちに最も期待しているのだ。彼、彼女たちが矢面にたって、とんちんかんな批判にひょうひょうと耐えてくれているお陰で、私(たち)はのびのびとその下で遊んでいられる。私はいつまでも妹分の位置にいて、ずっと甘えていたいのだ。少なくとも今倒れられたら、私はまだ足腰が弱くてだめだ。たぶん一緒に倒れてしまう。だからもう少し体力をつけて、少なくとも私(たち)が自力で立てるようになるまでは、健在でいてほしいのだ。自分勝手なベタベタなお願いだとは重々承知している。でもお願いする。なにもかもいやにならず健在でいてください。




『聞こえる、あなた? 
Fuga#3



作・演出:太田省吾
日時:2005年6月18日(土) 15:00−16:30
会場:京都芸術劇場春秋座



太田さんのひさびさの新作。夫婦で観にいく。

客は、係りの人に案内されながら、裏口から入場。通常の舞台の上に客席が設置され、通常の客席のうえに舞台が設置されていた。観客と俳優の物理的な距離感は、2001年にフランスのブレストで上演された『Tokyo Notes』に近い。舞台上にはパイプの柵が迷路のようにはりめぐらされていた。

花道を俳優たちがゆっくりとゆっくりとこちらに向かって歩いてやってくる。どうやらパイプは結界の役目を果たしているようで、一つ目のパイプをまたぐと、わりと自由に動き始め、なかにはせきを切ったようにしゃべり始めるものもいる。しかしとたんにぷつっと黙ってしまう。沈黙の時間がしばらく流れる。

セリフのなかのひとつひとつの単語は明確な意味を持ち、短いフレーズになっても意味は伝わってくるのだが、それらフレーズを全部つなげると全体としてその人間が何を言いたいのか急に分からなくなる。そのような言動を、手をかえ品をかえ、なかには対話形式をとりながら、それぞれの俳優が繰り広げるのだ。もちろん、それだけだと全くもって意味不明で観客は耐えられないだろうが、そこは演劇。ひとりの人間のおしゃべり、沈黙、おしゃべり、沈黙を追いかけていくと、ああ、この人はこういうことにこだわっているのだなということはおぼろげながら分かる仕掛けになっていた。どんなに耳を傾けても全くわからない人もいたけど。。

典型的な「物狂い」の世界である。今風にいえば、ゆきずりで集団自殺でもした狂人たちの生死の境目を描いているのだろうか。途中、向こうの世界にひとり戻っていったのは、命びろいした者なのか。

太田さんの作品を観ると、いつも自然に平田オリザさんの方法と比較してしまうことになる。これは研究者としての私がそうさせるというよりは、単に劇の目撃者、知覚者の私がそうさせるといっていいかもしれない。私にとって、2人は余りに表と裏の関係にある人たちだ。

平田さんの劇では無自覚にどこか狂っている人がいつも描かれる。それに対して、太田さんの劇には狂っていることに自覚のありすぎる人たちが登場する。そしてどちらの登場人物も人を非常にいらいらさせるのだ。鈍感うそつきも正直すぎる人間も大嫌いだ。大嫌いだけど引き込まれるのも確か。そしてどちらも「自分」に近い気がする。(この辺の「自分」が誰であるのか、まだうまく説明できない。私はまっとうな社会生活を送っているから単純にイコールではない。感情移入、自己移入している状態ともちょっと違うような気がする。)そう、2人とも愛憎入り乱れる感情の流れをうまく作ってくれる。ほっこりした暖かい心などを演劇に求めているわけではないことを再確認させてくれるのだ。

ついでにいえば、二人の描く時間スケールも全く違う。平田さんは、無自覚に狂っている人たちが雑談を重ねるうち、どうしてもできてしまう齟齬やほころびを繊細に描く。人はその刹那的時間に釘付けになる。それに対し、太田さんはその刹那の時間を贅沢にもたっぷりと味わおうとするのだ。人工的に(=演劇的に)時間の流れを遅くして。

したがって、日常の時間スケールに忠実な平田さんの演劇は、私たちが慣れ親しんでいる現代科学との相性がよい。太田さんの演劇は、むしろ生の哲学とかの人たちでないと太刀打ちできないと思う。あるいは現代においてはオカルトとして評価されているけど、遠い将来は主流の学問になるかもしれないような、超理論的でクールなマッドサイエンティストたちなら、太田演劇を「適切」に評価できるのかもしれない。

私はいつも、両極端のお二人ならどういう意見を戦わせるのか頭のなかでシミュレーションしながら、自分の原稿を書いている。


それにしても太田さんは不思議な方だ。人間、年をとったら、軽妙、洒脱、洗練に向かうというのは、我々が勝手に作り上げた期待される年寄り像だということがよくわかる。いわゆるそういうタイプの「お年寄り」にこれからなっていくだろうな、と思わせるような人では全くない。かといって、自分の属した社会にしがみついて老害をまき散らかすようなぎらぎらしたタイプの人でも全くない。そのへんは全く無頓着で、あっさりしてそうである。でも、どこか何かの欠乏感にとらわれ、それを埋めるべくぎらぎらしている感じのする人だ。枯れていない感じ。

『聞こえる、あなた?』の、2人の女のやりとりが続く劇の最後のほうで、どんどんしめつけられるようなきゅーとした感じが内臓に起こった。なぜか、目にうっすら涙もにじんだ。いい!!! 

だからそういう意味でも、この作品は、人格形成中の青少年にとって有害演劇である。以下、PTAおばさん化しますので、ご勘弁を。

自分の息子が中高生のあいだは絶対見せたくないし、その時期に俳優として参加するといったら親として大反対すると思う。夫が観劇後ぼそっと言ったように、失恋や挫折をいくつか経験して、ある程度自我が固まってからでないと、見ちゃいけない演劇のような気がする。刺激が強すぎるのだ。やわらかい心は破壊される恐れがある。

それに青い光の照明は反則でしょう。敏感な人ならそれだけで吐き気をもよおすと思う。本や俳優の存在で十分すぎるほどグロテスクな世界を構築できているのだから、そこまで気持ち悪さを演出しなくても。。

もっとお気軽に安全に日常レベルで『聞こえる、あなた?』の代わりになるのは、中島みゆきの『私の声が聞こえますか』かなあ。